ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅢ   作:宵星アキ

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勲章の授与式当日、途中まで一緒だったはずのディークが行方をくらましてしまう。
今追いかけなければ、もう二度と会えないかもしれない──シャニーは僅かな記憶と勘を頼りにオスティア市外へと飛び出した。


不器用なジュビレ

 重厚な守りを体現するような、果てまで続く金管楽器の煌めきをまとったファンファーレに骨まで共鳴して興奮を揺さぶられる。

 オスティア城での授与式の日。シャニーはディークと共に式典に出席していた。

 

 空に浮かぶ城のような無数のシャンデリアが高い天井から煌めき、大講堂を埋め尽くす観衆や、さらに奥の壇を照らす。その間に海が割れるように続いた紅いじゅうたんを、先頭列まで歩いてきたのは複数いた。授与の対象は前の戦いだけではないらしい。

 燕尾服を着こなした賢そうな学者然の紳士や、もはや天の使いかと思うような微笑みのシスターに、何をした人なのかよく分からない普通のおじさんに……受賞者は色さまざま。

 

 今日は外行き用の軍服でばっちりキメてきたし、彼らにだって負けていないはず。

 ふだんは開けっ放しだったトップスのレースアップはちゃんと結んだし、化粧やヘアメイクもロイお抱えのスタイリストに施してもらって100点満点だ。

 

「ねえねえ? 今日のあたしさ……ちょっと違わない?」

「あぁ? ……わりぃ、馬子にも衣装とでもツッコミ待ちだったか?」

「なあああぁぁっ?!」

 

 なのにこの人ときたら。ナイショで下にもあれこれ着込んで、レディに磨きをかけてみたと言うのに。恥ずかしがったのがバカみたいではないか。横から同情してくれるルシャナたちの眼差しが逆に辛い。

 

「ハン、ガキが科作ってんじゃねえよ」

 

 ジリジリをぶつけても、ディークはそっけなく壇上を見上げるだけ。一緒に見上げたら、タコになっていた口から衝撃がまんま飛び出した。

 

「わあ、見て見て! リリーナ様キレイ!」

「騒ぐんじゃねえよ、バカ」

 

 壇に上がったリキア同盟盟主──リリーナ女候の翼が伸びるようなプリンセスドレスには思わず目を奪われた。

 ディークを掴んでぐいぐいやっても何の興奮もないらしく、いつもどおりのトーンであっさりとしていてつまらない。

 その無愛想が今日はとても凛々しい。ふだん半裸の彼も、さすがに白の軍装をまとっていて男前が光る。

 

 一人ひとり呼ばれていく。壇上ならもっと格好よく見えるに違いないが、当のディークは順番が近づいてきたからか面倒そうだ。

 がっかりして壇上に視線を戻せば、純白のプリンセスドレスと、それに負けないくらい艶やかな青髪をなびかせる女候の笑顔が眩しい。

 

「いいなあ、キレイだしカッコいいし。あたしもせめて魔法使えたらなぁ」

 

 天は二物を与えないというが、どうやら例外もあるらしい。魔法を使えたら何をしてみたいだろうか。溢れる未来(妄想)が次から次に湧き上がって夢は尽きない。

 

「おまえが魔法だ? ハッ、やめろ」

 

 風船に針を刺すようなことを、どうして平気で言えるのだろうか。ムリムリと振るロマンを知らない手を掴む。

 

「ブー、なに? どういう意味?」

「トラブルの素だ。遠くから狙われちゃ敵わん」

「うー……根に持ちすぎでしょ」

 

 まだ作戦を邪魔したのを引っ張るつもりか。

 順番も近づいてきたし、これくらいにしておいてやろうとしたのも束の間。まるで死体蹴りするような声が頭からケラケラ飛んできた。

 

「キミ、私がついてても具現化できないんだからセンスないんだよ」

 

 セチのストレートすぎる評価がグサリ。これだけでとっくに心には風穴が空いたのに、彼女の辞書には慈悲だとか加減がないらしい。

 

「化身が真似事と張り合ってもらっても困るし、世の中諦めも肝心だよ?」

「うう……夢くらい見たっていいじゃない」

「拗ねない、拗ねない」

 

 まるで悪気のない爽やかな笑顔が恐ろしい。精霊を名乗る悪魔と言うべきだろう。

 

 これぞ職人芸か。リキア同盟の紋章を中心に精緻な彫刻が施された、黄金色に煌めく重みのある勲章。壇上から戻ったシャニーはシャンデリアに掲げて輝きを眺める。

 リキアに描いた軌跡の証は、何度眺めてもじんわりする。これで少しは手柄を積めただろうか。

 

(……違うし。そのために頑張ったんじゃない)

 

 純粋に人々を守りたいから動いただけなのに、ふいに黒い自分が顔を出したようで複雑だ。

 それでも、少しでも名が通ったなら結果的に良かったと言える。無名より、きっと多くの場所で人々に寄り添えるに違いない。

 

「ディーク殿? ディーク殿はどこだ?」

 

 そのときだ。急に周りがざわつき始めた。見渡せば先ほど壇まで誘導してくれた騎士が名前を呼びながら小走りしている。まわりも何事かとヒソヒソしはじめ、油を走る火のごとく一気に騒然となった。

 

「え……ディークさん……?」

 

 腹にじゅわっと嫌な感覚が噴きあがる。どうにもディークは最初から乗り気でなかったし、会場入りしてからも冷めた感じでまるで違うものを見ている気はしていた。

 ……もし、あれが脱出経路を探っていたとしたら。

 

「ルシャナ! あとは任せた!」

「えぇ?! ちょっと、任せたってあんた!」

 

 ぽんと勲章をルシャナに渡して駆ける。出席者も観衆もかき分けて、騒然の会場を突き破るとオスティアの街へと飛び出した。

 

「きっとあそこだ」

 

 思い当たる節はある。いや、そこ以外分からないから、もはや賭けと言ってもいい。

 動乱のとき、オスティアの反乱を鎮めてから西方三島へと渡る間、毎日のようにディークが連れて行ってくれた場所。

 彼と一番に絆を感じるあの場所を目指して、ひたすら人をかき分け、肩を跳ね返され尻餅をついても、それでも走って、走り続ける。

 

「ディークさん……。どうして……いつも行っちゃうの?」

 

 日はすでに傾きかけ、街をオレンジに染め始めている。暗くなってしまえば街の様相は変わり迷子は避けられない。

 それでも、今行かなければ、二度と逢えない気がする。

 想いは伝えた。まだ伝わらないなら、伝わるまで、きっと伝わると信じて捕まえるだけ。

 中央通りを外れ、黎が広がり出した旧市街へとシャニーは消えていった。

 

◆◆

(着いた……)

 

 まわりはすでに真っ暗で、等間隔に走る松明の炎が白の石畳をオレンジに染め影を長く伸ばす。

 その先には一軒の古びた酒場が見えてきた。まわりはレンガや石組で作られた建物が並ぶなか、ひとり木造を貫く店構えは年季を滲ませており、酒好きのこだわりをそれだけで醸し出す。

 

 ひとつ頷いてシャニーは一歩を踏み出した。目指す店は、まるで迎え入れるようにスイングドアが揺れている。大きく息を吸いこみ、ドアに手をかけ一気に潜った。

 静かな店にはシルクハットの紳士もいれば、サングラスをした近寄り難い客もいる。きょろきょろしていたら荒くれの一団と目が合った。そういえば、今日はレディに磨きをかけていた……──にちゃにちゃしたイヤらしい視線から逃げるようにカウンターへ目を向ける。

 

「あー! 見つけたぞ!!」

「ん?! ……あー……おまえかよ」

 

 指差して叫んだとたん、ぎょっとした背中が振り向く。ディークは一瞬目を真ん丸にして、騎士団に見つかった泥棒のような露骨に苦そうな顔をし、今さら作り笑いしながら手を上げてきた。

 

(懐かしいなぁ……)

 

 見習いのときもそうだった。あのときは隣にルトガーがいた違いはあれど、街で遊んだあと合流するといつもああして迎えてくれていたか。

 座っている席からディークをお尻で玉突きに退けて、逃がさないように端まで追い込むとそのまま隣に座る。

 

「チッ、よくここだと分かったな。つか、よく覚えてたもんだ」

「へへん、ディークさんの弟子だもん。動乱の時、よく連れてきてもらったからね。──じゃなくて!」

 

 ついつい気持ちよく喋らされるところ。当初の目的を忘れさせて煙に巻く作戦は今でも現役らしいが、そうは何度もひっかかるものか。

 

「探したんだからね。どうして黙っていなくなるのさ。ダメじゃん!」

「おまえは俺のカーチャンかっつの」

 

 中がモヤつくほど濃い酒をぐい呑みする彼からグラスを取り上げた。

 頭をボサボサやり、今にも耳栓を始めそうなくらいうんざりした顔。こんなディークを見るのは初めてで、今はただの酒飲みオジサンにさえ見える。

 

「ハッ、おまえらのキャイキャイする声は、オトナにはちょいと居心地悪くてな」

 

 少しは堪えたかと期待したのが間違いだった。

 悪びれる様子もなく勝手なことを言い出しては、氷もお情け程度の新しいグラスへなみなみ酒を走らせている。あの透明な蒸留酒は、40度くらいはあるはずだ。

 これは、色々な意味でお灸を据えるべきだろう。

 

「なーんだ、自覚あるんだ? オ・ジ・サ・ンって」

「ブッ?! ……ッ、──ッ!!」

 

 まさかこんなにも特効とは。

 吹き出しかけた酒が鼻に入ったらしい。咽せるわ、うめくわ、破裂しそうに真っ赤なディークは息も絶え絶え。

 ここまでくると罪悪感も湧くものの、ツンと視線を切った。

 

「てめえ……。人が悲しむことはするなって習わなかったのかよ」

 

 少し安静にすればいいのに。掠れ声で涙ながらに訴え、血走った目で恨みがましく睨み上げてくる様は、大人げないを通り越して哀れとも言える。

 それでも、今日はこれくらいで許すつもりなどない。

 

「お互いさまだもんね。もう会えないんじゃないかって心配したんだぞ!」

「大袈裟だろ……。っつか離れろ!」

「ディークさんが悪いの。いきなり……いなくなったりするから」

 

 お尻でディークを壁に押し付けて腕にしがみつく。

 観念したらしく、ディークの腕から力が抜けた。ふうっと呆れたようにため息して、彼はまた酒に口をつけ始めている。

 

「ったく、そう言う事はロイにしろっつの」

「うふふ、ご心配なく〜」

 

 同じ好きでも、ディークへのそれはちょっと違う。人生の礎をつくるきっかけを与えてくれた師父(せんせい)のようなもの。

 苦しいときは親身になって寄り添ってくれ、反抗すれば容赦なく叱ってくれた。親を知らない者にとっては、まさに父のような存在と言ってもいい。

 

 ぐるりと見渡してみる。柔らかいランプの灯りは、故郷でもないのにどこか懐かしくホッとさせてくれる。古臭いけれど、酒と木の丸い薫りに包まれたこの酒場は、彼との絆を一層深めるきっかけとなった場所だ。

 

「確か……ここで剣を教えてもらう約束したんだったよね」

「ああ? そうだったか? よく覚えてんな」

「覚えてるよ。西方行ってから、何であんな約束したんだろって後悔したもん」

 

2年前────

 

「あたしも剣を覚えたいな~」

「あぁ……そういや、おまえ一丁前に上位職に(ファルコンナイト)チャレンジするんだったか?」

「うん! 剣も使えるようにならなきゃなんだ。だからね、お願~い! 剣教えて!」

「ハン? そういうのは自分で──」

「ねえ、いいでしょ? ディークさん! お願い! アニキ! シショー!!」

「うるせえよ。片手間に付き合う剣は持ってねえ。仕事(プロ)を舐めるな」

「片手間なんかしないよ! 剣だけでもやっていけるくらい頑張るから!」

「ほう? 言うじゃねえか」

「地上で戦えるようになれば、もっとたくさんの人を守ってあげられる。自分の専門じゃないからって、守る人と守れない人を分けるのはイヤだもん。うん、きっとこれがリューギってやつだよ!」

「流儀……か。ハッ……」

「あはは……ナマイキだった?」

「……上等だ。言ったからには、──貫けよ?」

 

────あれが一つの転機だったのは間違いない。

 西方三島に渡ってからというもの、陽が昇る前からたたき起こされたし、夜も寝る直前までテントの中で稽古の嵐。遊ぶ時間などもちろん無いし、疲れ果てて手が固まり剣を握ったまま寝た夜も数えきれない。

 それでもディークの眼鏡に適うことはなく、いつも叱られっぱなしだった。戦場で活躍しても、技に頼ってばかりで心が伴っていないと叱られ、つぶれたマメだらけの手を眺めて泣きじゃくった日々は宝物だ。

 

「あのヘナチョコがよくそんな太刀を扱うようになったもんだな」

「えへへ。まだ中伝にも届いてないんだけどね」

 

 太刀の扱いは難しいけれど、ディークとの修行を考えればそよ風のようなもの。あの一年間が血肉となり、人間としての芯となって流儀を形作った。

 

「だけどさ、槍が天馬騎士としての誇りなら、太刀はみんなとの絆の証だよ。だから、──大事にしたい」

「ハン……。なら、言うこたあねぇよ。てめぇの道を拓くのはてめぇだけだからな」

 

 この太刀は、ディークとの約束を守り、貫き続けた流儀の中で紡いできた人々との絆がたぐり寄せた武器と言える。これを認めてもらえる高みまで極めることが、きっとディークへの恩返しとなるに違いない。

 

 なんだか、しんみりしてしまった。見つけてすぐ連れ戻すつもりが、時計を見ればもうだいぶ経っている。

 今ごろ戻ったところで説教を受けるだけだろう。絞られるのはマリナスからの一回で済ませたいところ。

 

「あたしもお酒飲もっと。マスター!」

 

 暇潰しも兼ねてオーダーした、琥珀色の蒸留酒に浮かぶ氷を揺らして遊ぶんでいると、ディークがロックグラスを爪で鳴らした。

 

「おい、おまえそんなの飲んで大丈夫か?」

「え? よく飲むよ?」

「顔に似合わねえもん飲むな」

「なによ、まだ子ども扱いするつもりなの?」

 

 違うのかよ──鼻であしらうような素振りからするに、ディークがそう思っているのは間違いない。

 たしかにこの酒を飲むようになったのはイリアに帰ってからだが、こうして酒場に警戒心がなくなったのは誰のせいだと思っているのやら。

 

「これは戒めのお酒ってね。悩みがある時呑むんだ」

 

 セチに気づくきっかけを与えてくれた黒の紳士。彼に会うために始めた酒だったが、いつしか己を映して省みるためのものとなった。

 

「はあ、あの時も、このお酒にディークさんが映ってたっけ」

「は、なんだそりゃ。もう酔っ払ったかよ」

 

 自身の剣から価値を見失い、さまよった新人時代。底なしの沼に沈んでいく中、酒にディークの顔を浮かべ呼んでいた。

 不思議な気持ちだ。まるで、あの時の湖面の向こう側へ来たのではないかとすら思えてくる。

 あの時からすでに、剣は絆に支えられてきた。誓いという名の流儀を見つけ、自分なりの剣も手に入れて。そして教えを説いてくれたディークとの再会は、なにか運命めいたものを感じずにはおれない。

 

「ようやくロイと良い仲になったみてえだな。早く帰ってやらなくていいのかよ?」

 

 そのときだ、ディークのふいな一言に、脳みそが蒸発しているみたいになった。いくらもう公言しているとは言え、酒も手伝ってか奇襲を喰らって心臓が跳ねまわる。

 

「ディークさん! ……恥ずかしいよぉ」

「はっ、何を想像したんだか。若いってのはいいことで」

 

 声をあげて笑われてしまった。グーで小突いてもびくともせず、気晴らしに酒をグイ飲みしたら頭に引っかかっていたものが転がり落ちてきた。

 

「て、ようやくって?」

「ロイは動乱中からおまえを誘ってたはずだが……マジで気付かなかったのか?」

「やっぱり、そうだったのかな」

「ったりめーだ。なのに俺なんかについてきやがるもんだから。ま、それでも成就するんだから不思議なもんだぜ」

 

 気に入ったら、いつまでもいてくれていいよ──ロイは動乱の最中そう言ってくれた。あのときしっかり考えて答えていれば、どうなっていただろう。もっともっと、早くからロイと一緒になれたのだろうか。ポカポカと心の中で自分を叩く。

 何より、ロイに申し訳ない。イリアに帰ってしまい、図らずもそっぽを向いたようなものなのに。それでも手紙をくれ、冗談半分に返した契約の話も真剣に受け止めてくれて。ずっと待ってくれていたのに、彼の気持ちも考えずに独りよがりに去ろうとして。

 

 そんな気持ちに首を振った。無駄なことなんか、何一つない。今までの全てが絆として導いてくれたからこそ、今がある。そう、断言できる。でなければ、もし早くにロイと一緒になったとて、乗り越えられなかったに違いない。

 

「うん。あたしも……傍に居ていいんだって思えるようになったの最近なんだけどね」

「へえ。おまえなら何も考えずについてくと思ったがな」

 

 それなのに、あまりにも意外そうな声で返されて反射的に口が尖る。

 

「ディークさん、なんかあたしのこと誤解してない??」

「いや? 姉ちゃんと比べられたらアレだが、それなり分かってるつもりだぜ? だからこそ、意外でな」

「どーせ玉の輿だ〜とか、悪女だと思ってたんでしょ!」

 

 たしかにそんな話をしたこともあって、ディークだけでなくワードやロットにも笑われたのは覚えているが、まさかここまで引っ張られるとは。

 ズバリ言い当てて指さしてやったら、図星だったらしくディークはまん丸になった目で指先を見ている。

 それは束の間だった。もの言いたげに変わった目を隠すように閉じて髪をボサボサやりだした。

 

「あー……ま、そう言う意味(・・・・・・)では平常運転か」

「やっぱり……バカにされてる気がする」

 

 普段よくからかわれていたとは言え、1年間そんなネコかぶりだと思われていたなんて、腹が立つと言うよりショックとしか言いようがない。家族以外で誰よりも心を聞いてもらい、理解してくれた人だと思っていたのに。

 しかし、その悲しみも、ディークが続けた言葉に吹き飛んだ。

 

「おまえも勝てなかったってわけか。好きだから言えねえ、大事だからからこそ傍に居られねえってな」

「どうして……」

 

 まるで近くで見ていたように当てられて目が飛び出しかけた。

 本気でロイの前から消えようとしていたのは、まだ2週間くらい前のこと。今考えると恥ずかしすぎて地団駄踏みそうだが、あのときは人生が終わったくらい最悪の瞬間に見えていた。

 

「うん、ホント悩んだ。あたしなんかじゃ釣り合わない。ロイが悪く言われちゃうんじゃって」

「乗り越えたんなら、良かったじゃねえか?」

「今、あたしとっても幸せだよ。ディークさんとも再会できたし」

 

 思い出すたびに勇気を出してよかったと思う反面、震えが上がってくる。もし、あそこでロイが来てくれなかったら、嫌いだと言ってしまっていたら……。

 軌跡がつながらなければ、こうしてディークと巡り合うことだってなかったことになる。すべてが奇跡としか言えない。

 それにしても、ディークがなぜ知っているのだろう。こんな二人だけの話をロイがしゃべるとも思えない。……彼の言葉を頭で繰り返していたらふと気づいてしまった。

 

「あれ……お前もって……」

「さぁな。俺にそんなもんがあるように見えるか?」

 

 それ以上聞かれたくなさげに視線を切り、ディークはグラスを傾け始めた。

 ようやく全部繋がった。嫌われたわけでも、忘れられたわけでもなく、彼は大事にしてくれていたのだ。

 

「ディークさん、ありがとう。きっとあたしの為だったんだよね?」

「ま、おまえがそう思いたいんなら好きにしろ」

「じゃあさ、なんで知らないふりをしたの?」

 

 ちびちびやっていたディークの手が止まった。あまり詮索されたくなさそうなところを突っついたからか。

 これだけは聞いておきたい。あんな剣幕で別人のふりまでしてなぜ突き放したのか。

 それでも、ちょっぴり後悔した。グラスを置いて振り向いたディークは、戦場の目で見下ろしてきたのだ。

 

「名乗ったら、おまえは剣を抜かねえに決まってるからな」

「当たり前じゃんだってディ──」

「おまえの前にいたのは、村を襲った〝賊〟だ」

 

 淡々と並べられていく情報に唇を噛む。彼の言うとおり、あのときはそう思った。しょっ引いていた男が情報を吐かせるための捕虜なんて知る由もなかった。

 

「で、でも! 盗賊団だったんだよね?」

「それは結果論だ。あの時(・・・)のおまえは、俺を討伐しなければならない立場だった。結果、おまえは失敗した」

「……」

「だが、一応剣は抜いた。果たせなかったが、仕事を放棄したわけじゃねえ」

 

 グラスの湖面に映る顔のなんと情けないことか。

 相手がディークだからこれで済んでいるわけで、もし相手が依頼主なら失敗の報告であり信用の失墜となる。たとえ、どんな理由があろうとも、後付けでそれが失敗でないと分かったとしても。まして任務を放棄したとなれば、ロイでなければどうなるか分からないところだったのは理解している。

 それでも釈然としない。心がディークの言葉を跳ね除けようとしている。こんなの、初めてだ。

 

「傭兵たあ、そう言うもんだろ。教えたはずだぜ? 仕事(プロ)を舐めるなってな」

「あたしはね、そうは思わないよ」

 

 反射的に飛び出した。思い出したのだ。2年前、舐めるなと叱った後に彼が続けた言葉を。見せてあげなければなるまい。2年越しの宿題の答えを。

 

「最初から剣に訴えたら、何も聞けないし助けられないよ。 何か事情があるかもしれない。それを聞くのも仕事だと思うんだ。それが──」

「おまえの流儀ってわけか」

 

 先にディークに言われてしまい言葉が喉に詰まった。天馬で飛び出そうとしていたのを急ブレーキをかけられたような気分だ。

 

「あー! カッコよく締めようと思ったのに!」

「ハン……言うようになったもんだぜ」

 

 せっかく自分の言葉で伝えたかったのに。当のディークは涼しい顔で酒を楽しんでいる。

 きっと分かってもらえたに違いない。お説教は飛んでこないし、さっきの戦神の目は消えて口元がかすかに上向いている。

 しばらく遠くを見つめるようだった彼は、酒を置くと見下ろしてきてハッと笑って見せた。

 

「それにしても、おまえの物好きも変わらねえな。見た目はちったあ女っぽくなったみてえだが」

 

 奇襲を浴びたように心臓が吹き飛んだ。式典のときはすっとぼけて褒めてくれなかったクセに。

 とは言え、酒場のオッサンにはなって欲しくない。話題を無理やり変えるにも、もう少し別の話だってあるだろうに。

 

「あのね、ディークさん。最近そう言うの厳しいんだから気をつけなきゃダメだよ」

 

 声をかけても意に介さずと言った感じ。傾けかけたグラスをちょいっと奪ってやると、おもちゃを取り上げられた子供のように不貞腐れだした。

 

「へいへい。ったく耳年増め。生きづれえ世の中になったもんだぜ」

「なんかディークさん、やっぱりオジサン臭くなったよーな」

 

 想像以上に弱点らしい。ディークの丸まった背中が揺れたかと思うと、見上げる恨めしげな目に取り憑かれゾクっと背が伸びた。

 

「うるせえよ。そのオッサンにホイホイついてきたのはどこの物好きだ?」

「だって! ディークさんがあたしを忘れたフリするから! ……嫌われちゃったかなって……思ったじゃない」

「ハッ……」

(あのときのロイも、きっと同じ気持ちだったんだね……)

 

 言ってから気づいた。口にしなければ、どんなに親しくとも伝わらない。そんな当たり前のことが、一ヶ月前まで分からずにいた。

 そうした意味では、ディークはまだ本心を口にしていない気がする。話が一周しても納得できたと言えば嘘だ。

 ここでは二人っきり。うるさい官吏も、しゃべる石ころもいない。今勇気を出さなければどんどん聞きづらくなる。

 蒸留酒をぐい飲みし、のぼせ上がるような感覚に任せて一気に言い切った。

 

「どうして仕事の事を教えてくれなかったの?」

「あん? 信頼第一、天下の天馬騎士団の幹部ともあろう人間が口にする言葉とは思えねえな?」

「それは……」

「仕事の話を関係者以外にベラベラ喋るのか? それだけだ」

 

 どうしてこう言うときに限って予想が当たってしまうのだろう。

 もしそうなら、忘れたふりなんか必要ないではないか。そもそも、剣を抜いたのはこちらで、ディークは応戦しただけ。「シャニー、やめろ」と言えば済んだ話のはずだ。

 

「でも……あたしのことくらい、名前呼んでくれたって良かったじゃん」

 

 あれこれ言いたい事はあっても、結局これが一番だ。

 ここまで聞いても教えてくれないなら、きっと踏み込んで欲しくない場所に違いない。とは言っても、あれからずっと渦巻いた想いをぶつけないままにはおれなかった。

 

「フッ、寂しかったのか?」

「当たり前じゃん! あたしの……大事な師匠なのに」

「甘いのは変わってねえな。ま……これも縁だ。しっかり鍛えてやるよ。部下の前で恥かきたくなかったら頑張れ」

「えへへ……よろしくね、ディークさん」

 

 昔も今も、ディークは自分を見せてくれなかった。

 それでも、こうして一緒に居られるだけでじんわり心が落ち着く。まるで大木にもたれるような安心感が包むのだ。

 ようやく心に淀んで溜っていたものを吐き出せた──いや、まだ終わっていない。

 

「あっ! 思い出した!!」

「あ?」

「ディークさん、謝って」

「はん? 散々謝ったろ。おまえ、そんな粘着質なヤツだったか?」

「違うよ! あの時、〝まだ毛も生え揃わねえ〟とか言ったよね?!」

 

 当のディークはもう終わったつもりでいたらしい。さぁ酒を楽しもうみたいに考えていたのか、突き出してやると露骨にうんざりして頭のボサボサが始まった。

 

「あー……。まあ、場の雰囲気ってヤツでな?」

「知ってて言うってすっごい失礼じゃん!」

「んー、そうだな。ま、それ以上自爆すんのはヤメとけ。事実だしな(・・・・・)

「~~~~~────ッ!!!」

 

 黒歴史が脳内に燃え広がる。やかんのように今にも耳や鼻から湯気が吹き出しそうだ。

 席を立って後ろの空きテーブルをディークの後ろに引っ張り、座りなおしがてらドシンとお尻をぶつけてディークを壁に押しやった。

 

「ふーんだっ。謝るまで帰らせないんだからね!」

「めんどくせーガキだな……。おい、マスター、アレ作ってくれ」

 

 さすがにここまでしてやればマイッタと言うと思ったのに、ディークは逃げ道を探すように唯一空いている正面を向いて、彼と同じくらいの年と思しき店主に声をかけている。

 こんな古くさ……──趣がある酒場に似つかわしくないシェフ帽と整った身なりの店主は、かなり手馴れていて動きひとつひとつに華がある。

 

「はは。旦那も子猫ちゃんにはタジタジみたいだナァ??」

「子猫ならカワイイもんだが、こいつは暴れ馬ってほうがお似合いだぜ」

「ディークさん! サラっとディスらないでよ!」

「あん? 事実だろ?」

 

 あんまりな言い方にグーで腕を叩いてやっても、硬い筋肉に跳ね返されてびくともしないのが悔しい。

 誤解を解くどころかますます誤解されているようで、店主は手際よくオレンジの皮をナイフでむきながら声をあげて笑っている。

 

「ずいぶんイイ仲なことで」

「ハッ、言ってろ。仕事仲間ってヤツだ」

「旦那のことだ。おおかた、惚れられて離してくれねえってか?」

「さぁな。だとしたら、男を見る眼は壊滅的ってことだな」

 

 ディークは涼しい顔をするだけ。頭のてっぺんが突き抜けて噴火した。

 子猫という時点で嫌な予感はしていたが、そんな風に見られるのだけは秒で否定しておかねばなるまい。

 

「おあいにく様ですけど、あたしにはもうカレシもいるので。オジサンは趣味じゃないしねー」

「て、てめぇ……」

「フフン、クリティカルヒットー?」

「食えねえヤツになったもんだぜ。どうやらアレが要らねえようだな?」

 

 負け惜しみのようにディークが指さした先を映したとたん、思わず声が漏れた。

 チェリーがゴロゴロ入ったダークパープルのソースを移した鍋から火が上がっている。ワインだろうか。熱が席まで伝わってきて、広がるアルコールの香りにそれだけで頭がくらくらする。

 天国から降りるオレンジの階段螺旋に火のついたチェリーブランデーを伝わせ、使徒が降臨するように走る青の螺旋が心を炙る。

 マジックのような演出から生まれたのは、アツアツのチェリーソースに浮かぶ、オレンジの香りに包まれた真白のジェラートだった。

 

「……こんなの、見たことないよ」

 

 食べもしないうちから大満足のスイーツなど今まで経験したこともない。ディークのしたり顔に何も言い返す気も起きないほど。

 

「マスターはヘルメス・オスティアの元料理人でな。そのままいきゃ総料理長だって狙えたはずの変わりモンだ」

「旦那、そりゃお互い様ってことで」

 

 リキア最高級ホテルの至高の一皿ということになる。

 香りだけでも天に召されそうで、一口したとたん脳内の宇宙が爆発した。

 

「香りづけの演出で心をぐっと抱き寄せて、アツアツと爽やかな冷たさのハーモニーに、甘酸っぱいチェリーソースと甘すぎないバニラアイスの共存。相容れない者同士、殺さず引き立て合う……──まさにオトナなスイーツってわけね!!」

「……良いから黙って食え。ま、それで手打ちにしてくれや」

「今日のところはこのくらいにしとくよ。言っとくけど、スイーツに釣られたわけじゃないからね!」

「へいへいっと。おまえ、悪化してんな……」

 

 もはや変えられない過去の〝のぞき〟より、早くしないとせっかくのジェラートが溶けてしまう。

 アツアツと冷たさと、混ざり合う心のような甘酸っぱさを堪能しながら夜は更けていった。

 

◆◆

「ッたく、何が謝るまで帰らせねえだよ」

 

 時計は日付を変え、両針が別れを告げてから久しい。

 それでもディークはシャニーと別れられずにいた。彼女を背負って寝静まる街を宿へと向かう。

 スイーツで燃え尽きた彼女は、それからすぐ泥のように眠ってしまったのだった。

 

「むにゃむにゃ……ディークさんのバカ……」

「こいつは一生揃わねえかもな。ハン……そっちのがらしいか」

 

 ひとりボヤくその口元から、ふと戦神の巌が崩れ落ちた。

 

「安心させてやれってか。……背中見せなきゃなんねえってなら、もう少し居るとすっかね」

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