そんな中で突然揺らいだ〝流れ〟。
姿を現したのは、招かれざる客だった。
散歩。ひたすら散歩だ。
子ども達が駆け回る広く青々した庭をぐるりと見渡し、手を振る無邪気に笑って返す。馬や鶏のいる小屋もあっという間に通過した。
汲みに来たばかりだろうか。周りが濡れており吊られた桶から滴る井戸が顔を出す。ここまで来ると終着駅も近い。ほどなくして、出発したときと同じ格好のまま、広大な敷地を見渡すディークが見えてきた。
そろそろ、この孤児院巡りツアーも飽きるというもの。
「なかなか来ないね」
「ま、来ないなら来ないで良いんだがな」
ふうっと一息ついたシャニーは、ふくらはぎをポンポン叩きながらディークに繰り言を漏らす。
いくら涼しい素材で出来ているとはいえ、足首まで覆う長袖の修道服で、炎天下をぶらぶらしていると干物になりそうだ。
日焼けが気にならないのだろうか。ディークは今日も上半身に何も着ないでのんびり見渡している。男の人を、こんなに涼しそうにできて羨ましいと思ったのはかつて無い。
「でもさ、また起きたんだよね、事件」
「ああ。今度もウラの人間らしい。どうにも引っかかるぜ」
アゴに手を添えて、ディークもあれこれ可能性を探るような仕草をしだした。
孤児院で泊まり込みの警備を始めて1週間。たったそれだけの間に、また犠牲者が出た。何の目撃情報も残さず、これでもう3人目。まるで嘲笑うかのような完全犯罪に、どうしても焦りが募ってしまう。
孤児院で獲物が来るのを待つのでは、いつになるか分からない。その間にまた犠牲者が出るかもしれないのに。
「ちょっと天馬であたりを──」
やはり徒歩では限界がある。シャニーが厩舎へ体の向きを変えた途端だった。グイッと後ろから肩を引っ張り戻された。
「警戒心を煽るような真似はよせ。今は待つんだ」
感情で戦場に立つな──見習い時代からディークに言われ続けてきたことだ。今水面を荒立たせ濁らせてしまえば、真相は何も見えなくなってしまう。悔しさと焦れる心をグッと噛み砕いて厩舎に背を向ける。
まさに、そのときだった。
(──ッ、何?)
ふいに〝流れ〟を乱す何かにハッと空を見上げてみると、しばらくしないうちに紺碧の空に浮かびだしたのは白い点。
とんでもないスピード……それが天馬だと分かるまであっという間だった。
(あれは……?!)
目がまん丸になったのはそれだけではない。翼の間から見え隠れする、空に目立つオレンジの髪。あれは……間違いない。
「あら? あらあらあら〜?」
ショートボブの女が、見えすいた挑発を込めたせせら笑いを浮かべてどんどん大きくなる。
大げさにマントをはためかせながら彼女は天馬を飛び降り、絡みつくようなニヤニヤを浴びせてきた。
「天馬騎士のくせに天馬にも乗らないで、何? そのカッコウ。ボクの知らないうちに騎士を辞めたのかな? シャニーさん?」
「あ、あんたは……!」
よりにもよってコイツだとは。
他の人間なら、この
まじまじと舐めまわすように眺める眼差しは侮蔑に塗れていて、気づけば身構えていた。
「年下、あまつさえ下級部隊にあんた呼ばわりされる筋合いは無いんだけど?」
招かれざる客……──天馬騎士団 第五部隊長マリッサは、腰に手を当てて不満そうに見下ろしてくる。
「何の用ですか? こんなところまで」
無数の〝なぜ〟で、ただただ神経を掻きむしられるばかり。
マリッサがどうしてリキアにいるのだろうか? リキアはアルマが率いる第二部隊の管轄で、彼女を差し置いて営業できる胆力があるとは思えない。てっきり、アルマが会いに来てくれたのかと最初は思ったくらいだ。
それに何より、マリッサが
「イドゥヴァ団長から特命を受けてね。でもなきゃリキアくんだりまで来ないよ」
イドゥヴァから仕事をもらったのがよほど嬉しいのか、よくぞ聞いたと言わんばかりの喜々とした声が耳に障る。
アルマでなくマリッサを起用する不可解さが引っかかるが、別にどうでもいいことだ。〝流れ〟を乱す彼女のせせら笑いからするに、どうせろくでも無いことに決まっている。
「ついでにキミの様子も見てくるように言われてるんだよ。予想どおり油売ってるみたいだね」
聞いてもいないのに、ペラペラと疑問に答えてくれた。
予想どおりはこちらのセリフ。やはりろくでもない話だった。半ば追放のように扱っておきながら、監視を差し向けるとは随分と心配なようだ。
そんなに気にかけてくれるなら伝えておくべきだろう──
「あたしは今、ロイ副盟主付きの騎士として、リキア同盟から受けた依頼に対応しているんです」
あからさまに、ピクリとマリッサの眉が歪んだ。
状況が分かったのならさっさと行って欲しいのだが、マリッサは動こうとしない。どうやら場所を変えるしかなさそうで、仕方なくディークの手を引く。
「忙しいんで用がないなら失礼するよ」
「十八部隊から忙しいなんて言葉が出るとは驚きだよ。いったいどんな色仕掛けでロイ様を籠絡したのかな?」
待っていたかのようだった。
背を向けて無理やり視界から消したはずが、腐食した言葉の槍で貫かれ、気づけばマリッサと眦をかち合わせていた。
「こっ、この!」
「もしかして、夜の営業にも精出してたりすんの? いやー、16の子が大変だね」
「ふざけないで! ロイ様はそんな人じゃないッ!!」
売り言葉に買い言葉でジリジリとマリッサににじり寄る。
イリアでもどんな噂を流しているか分かったものではないが、ロイに関わるものだけは、軽々しく口にされたくない。グラグラ噴き上がるマグマを抑えられなくなって、少しずつ溢れて飛び散りはじめる。
「だったら、どんな〝真っ当な〟依頼をされたのさ?」
「ここら辺で──?! 〜〜〜〜ッ!」
抜刀すれば鋒が届く距離まで近づき、そこまで口走った途端だった。背後からガッシリと肩を掴まれて引き戻されると、そのまま口を栓された。
「わりぃが守秘義務がある。ノーコメントだぜ」
けんもほろろに突き返す、ディークのドライな声に揺さぶられてハッと我に帰る。
また叱られてしまったようなもの。本来なら、自分が毅然と対処すべきはずが、糸を巻き上げるようにまんまとあれこれ情報を引っ張り出されるところだった。
「部外者は引っ込んでてくれるかな? これはボクたち天馬騎士団の問題だ」
「アーハイ、ソウだな。だ、そうだが? シャニー」
ニンジンを鼻先に吊り下げられたじゃじゃ馬を抑え込んだディークは、塞いでいたシャニーの口から手を離した。
「喋ることは何もないよ。今のあたしはフェレ侯爵付きで、リキア同盟配下の騎士。天馬騎士団こそ部外者でしょ? 引っ込んでてよ」
普段なら、敵対勢力に雇われでもしない限り情報共有も仕事の一つだ。もちろん、騎士団に所属していれば……の話となる。今は形の上ではロイから直接叙任を受けた扱いの身であり、騎士団に報告すれば、すなわち機密のリークを意味する。
意趣返しに同じ言葉を投げつけてやったら、あからさまにマリッサは苛立ちを目元に滲ませて、しばらく何も言わなかった。
ようやく黙らせられたと思ったのも束の間、彼女は「……ふうん?」と見下すように言って、ひきつった笑みを浮かべながらよく分からないことを続けてきた。
「デカく出たもんだね? 団長に頭が上がらないくせに」
「何のこと?」
「聞いたよ? 土下座したんだって? 部隊を守るために? 泣けるねえ」
頭の中を蒼く昏い記憶が走る。黎い部屋に浮かんだイドゥヴァのほくそ笑む顔を思い出しただけで、ビリッと体に電撃が突き抜けた。
なぜマリッサが知っているのか。月光の団長室でイドゥヴァの前にひれ伏した、あの屈辱の光景を。
「ヘッ。大事なもののためなら土下座なんて安いもんだよ」
噴き上がる黒い怒りをグッと飲み込んで、自身に言い聞かせながら笑い飛ばして見せた。プライドと、部隊を守ろうと動いてくれた人たちの想い。どちらが大事かなど、考えるまでもない。
それなのに、何がおかしいのだろう。マリッサは天を向き、大口を開けてバカ笑いし始めたではないか。
「ははッ、 あの人に娘が頭を下げたなんて、お母さん泣いてるだろうね」
こんな鼻持ちならない人間に母を語られると、ゾワゾワと虫唾が走り耳を覆いたくなる。
しかしそれ以上に、胸に悶々と渦巻いたのは出口のない疑問だった。
「?? いったい何を言ってるんですか? どういうこと??」
この女が、母の何を知っていると言うのだろう。
だいたい、イドゥヴァに頭を下げることと母にどんな関係があるのか、サッパリ見えてこない。
そんな様子を楽しむかのように、マリッサは大笑いしている。
「あ、ようやく稼げるようになって喜んでるか、ハハハ!」
(人の家族のことにずけずけと……ッ)
センシティブな部分へ無神経に土足で踏み込んでこられては、もうこれ以上辛抱ならない。かと言って手を出せば、ロイたちに迷惑をかけることになる。
ただ、ギリギリ奥歯で噛み砕いていたときだ。視界の端でディークが大剣を担ぐのが見えた。
「話は後だ。どうやらお客さんのようだぜ」
彼の視線を追ってみて、思わず目が飛び出しかけた。
いつの間にか、知らない男が至近距離にいるではないか。マリッサに気を取られていたとはいえ、侵入を許し、乱れたはずの〝流れ〟にさえ気づけないとは。
「ヒュー、軽く食いもんでもご馳走してもらおうと思ったら、ウマそうなシスターを入荷してんじゃねえか!」
あちこち擦り切れ、穴が空いたボロボロの服は黒ずんで見るからに不潔。しなやかさのない針金のような茶髪に、顔も無精ひげが汚らしい。にちゃにちゃ値踏みするように笑う口元は歯が何本か無いし、鼻もできものがあるのかぼこぼこ。
近寄られただけで残り香が鼻をつくこんな男、口走る野卑なセリフも含め、まともな人間でないのは間違いない。
「あなたも略奪団の人だね!」
目当てが食料であるし、身なりも手伝ってすぐにピンと来た。
相手は一人とは言え、腰から得物をぶら下げていて気は抜けない。多少錆が出て可哀そうな見た目をしていても、造り自体はかなり重厚な剣だ。
「俺た
隠す様子もなく、男は絡みつき舐めまわすような猫なで声で呼んでくる。頭から足先までじろじろと下品な目で物色されるほど、弄られるように鳥肌が立つ。
「そんなことより、カワイイ顔してんなあ? 遊ぼうぜ!!」
エサを前に待てない犬のように、男が一直線に向かってくる。
見開いた眼と荒い息遣い。舌なめずりでも始めそうな程でろんと緩んだ口元からは、今にも野卑の塊が垂れ落ちそうだ。
男が手先に触れた途端、劇薬を注がれたように全身へ悪寒が走り、パチッと目にスイッチが入った。
「触らないで!」
ありったけで男を払いのけて、体中のバネを弾いた渾身の平手が空を裂く。
高い音があたりに響き、男はバランスを崩して顔を抑えながら後ろへよろめいた。横顔を隠す手の隙間から、赤い眼が光って貫いてくる。
「テメェ……男に手を上げたな!」
焼けた石が迫るような怒りをむき出しにしながら、それまでとは別人のごとく大声をあげた男が、ためらいなく剣を引き抜いた。
「ズタズタにしてから遊ぶのも悪くねえな!」
頭上に振りかざして威嚇する先には、鈍色の刀身が輝きを失って泣いているように見えた。抜刀の音から察したとおり、やはりかなりブレードの厚い剣だ。
(こいつ……略奪団……だよね?)
妙な〝流れ〟は感じないものの、どうにも違和感が絡む。
あれは……銀製か? にしても、あの造りはどう見ても騎士剣だ。
「おおっと、きな臭いことになってきたね。ボクは失礼するよ」
一気に戦場と化して、緊張が走る庭園に背を向ける声はどうしてこうも楽しげなのか。
目の端で声の主を追えば、マリッサはとっくに天馬にまたがっており、そそくさと宙に飛び出していく。
「おいおい、一般市民が賊に得物向けられてんだぜ?」
「悪いけど、天馬や槍は消耗品だからね。契約が無いならボクら傭兵騎士には関係ないさ。それじゃ!」
ディークに声をかけられてもしれっとした顔で言ってのけ、彼女はあっという間に北の空へと消えていく。
別に期待していないし、何よりいない方が面倒がなくて済むと言うもの。むしろ監視役ならいない方がマシだ。
「行くぜ嬢ちゃん! 早く帰ってみんなで遊ぼうぜ!」
鎖の切れた獣が、雄叫びをあげて剣を振りあげながら一直線に飛び込んでくる。鈍い動きのわりに、攻めしか頭になさそうな前傾姿勢は、そのまま押し倒してやろうとでも考えているとしか見えない。
それでも、武器を振りあげて襲ってくる──条件は十分だ。
「隙だらけだッ」
「どわっ?!」
半身からの居合い一閃。
太陽さえ両断しそうな白刃に男の剣は真っ二つに弾け、ブレードだけが高い音を立てて吹き飛んでいく。
「ヒュゥ」
「うん。なかなかの居合いだ。ようやく稽古の成果が出てきたかな?」
ディークの口笛だけでなく、満足そうな声が頭の中でしみじみしている中、もう一度霞に構えて男を観る。
「まだだよ、セチ。あいつ、まだヤル気みたい」
「稽古に付き合ってくれるなんてイイ人だッ。連絡先聞きなよ! いやぁ、私の時代は声をかけても逃げ出す手合ばかりでガッカリしたもんだけど、捨てたもんじゃない世の中になったみたいだね~」
セチの
「こっ、この! 女だからってもう容赦しねえぞ!!」
牙の折れた剣を放り捨てた男が、隠し持っていたナイフを震えるほどギリギリ握って飛び出しかけたときだった。
「照準ロック……クロスサンダー」
「っ?!! ひいい!」
威嚇で放ったレンの電撃魔法が男の足元を穿つ。
威嚇と言ってもなかなかレンも容赦なく、青々したふかふかの芝が一瞬で黒く抉れるほどで、男が腰を抜かしている。
すかさず太刀先を額へ向けてやると、彼は青い顔で口をぱくぱくさせているではないか。
「わ、悪かった。今日は退くから勘弁してくれ!」
先ほどまでの悪態はいったいどこへやら。
いや、それにしても疑念ばかり湧きあがる。直撃を喰らったわけでもあるまいし、あまりにも変わり様がいきなりすぎる。
そんなことなどお構いなしか。肩を押してシャニーを退かしたディークは、男の正面に仁王立ちして凄みだした。
「一つ答えろ。ここら辺で殺しをやってんのはお前らか?」
「殺しだあ? ヒィ?!」
「俺は
「そ、そんなの俺らに聞くか? 金になるならやるに決まってんだろ! し、信じてくれよ!」
シャニーは思わず仲間たちと顔を見合わせてしまった。
言葉にできない哀れみ……と言うより、もはやどちらが〝筋もん〟か分からない光景に唖然とするばかり。ただでさえ、顔に傷を持つ文字通りの
逃げ腰の男に向かって大剣を担ぐ、筋肉ムキムキの日焼けしたコワモテ。知らない人が見たら、十中八九ディークを指差すに決まっている。
「……シャニー、そいつを解放してやれ」
ところが、ディークはそれ以上搾るわけでもなく、それどころか、もう視線さえ外して思いもよらないことを口にした。
「え?? で、でも」
「略奪団を追い払うのが仕事だろ? こいつは白だ」
要領を得ないまま太刀を納めて一歩退く。
男はディークから突き出された紙に何か書くと、ろれつも回らない悲鳴をあげつつ脱兎のごとく背を向けた。肩をあちこちぶつけながら脇目も振らず孤児院を飛び出していく姿は、本場の筋ものから逃げる半グレにしか見えない。
「ディークさん、略奪団だよ? 白ってどういうこと?」
馬の嘶きと共に一目散に逃げていく、略奪団の男の背中を見つめるほどに腹落ちしない。
困惑をディークに向けると、彼は腕組みしながら「だからこそ、だ」そう言って続けた。
「奴らは略奪団だ。金にもならねえウラの人間をヤるのはピンとこねえ」
シャニーもすっと頷いた。
事前に予想がついていたものの、あらためて確信が持てた形だ。
あの男は、金になるならと言っていた。わざわざ稼ぎにならない相手を立て続けに狙うのはありえない。誰かに仕込まれでもしない限り。
「なにより、ヤツも得物は剣だったし練度は高くねえ。やられた人間がどうやられてたか考えてみろ」
「高度の魔法で一撃……。たしかに、ぜんぜん違うね」
オスティアに安置されていた被害者は、その全てに魔法による攻撃痕があった。
ただの魔法ではない。真っ黒を超えて白い灰になるほど焼け焦げた被害者は、誰もが防御した痕跡すら無いのだ。背筋にぞくっと悪寒が走るくらいの、まさに悪魔の仕業と言ってもいいだろう。
「孤児院に来ているのが烏合の衆だとしても、上位の連中がそこらをうろつくウラの人間にちょっかいを出すとは思えん」
「んー。じゃあ、変死事件の犯人は略奪団じゃないかもか」
「ああ。もう少し調べる必要があるな」
ディークと答え合わせすればするほど、諦めをつけるしかないようだ。
そこらの使い手とは到底思えないし、金目当てとも違うだろう。それにしては、容赦なさが度を過ぎているのではないか? あんな、誰かも分からないほど黒焦げにしてしまっては、仕事の証明ができないはずだ。
(丸1週間と、新たな3人の犠牲者……。ごめん)
ギリっとやり場のない怒りを噛み砕いていると、ディークのため息混じりな声が聞こえてきた。
「それにしても……天馬騎士団も大概なんだな」
ざくりと心を刺されたような気分で、何も返せず言葉に詰まった。ずっと憧れ、姉たちが守ってきたものが汚されてしまった気がする。
シャニーは爪が刺さりそうなほど拳を握り、悶々する気持ちを深呼吸と一緒に吐き出した。
「ごめんねディークさん。ヘンなもの見せちゃって」
「あーヤダヤダ。ドロドロした嫉妬やら妬み。約束事に忠実で、信用第一クリーンな騎士団が聞いて呆れるぜ」
「あいつが特殊なだけだよ。みんないい人だよ」
第三者から見たら、アレが天馬騎士団になってしまうのだろうか。
全力で否定したいはずなのに、横たわっているのはあまりにも利己的な体制。見習いのときは見えなかったそれは、シャニーにとっては今でも信じられないものだった。
そうは言っても、国のために必死に戦っている人たちまで悪く思われるのはあんまりではないか。あんなヤツらのせいで。
「おまえみたいな奴でも嫉妬されるもんなんだな」
「ええと、どういう意味ですか? ディークさん?」
ところが、ディークの興味はぜんぜん違う場所にあるらしい。おまけに含みのある笑みを浮かべるものだから、シャニーもニコニコしながら噛みついた。
痕がつきそうなくらい、ガッシリと腕を掴んで離さないシャニーを前に、ディークの顔から表情が消える。
「でも、わざわざあんなこと言いに来なくたっていいのにさ。ムカツクー」
ディークをやっつけても、ますますマリッサへの怒りが湧きあがるだけ。
尖った口でガトリングのように不満を吐き出したシャニーは、足元の小石にむしゃくしゃをぶつけるも空振り。
ピキッと来て、次は足が天を向くほど蹴り直す。
「このっ! ってわわわ?!」
今度は足元が芝で滑ったらしい。視界が宙を転がって、ドシンとお尻から激震が走った。
「……アホか、おまえは」
「──ってててえ〜……。んもう! そんな顔で見ないでよ!」
ディークはクスリともせず、心配さえしないで冷ややかな目で見下ろすばかり。
楽しみ終えたか、ディークがようやく差し出した手を取って立ち上がると、彼はひとつ鼻で笑った。
「奴さんも悔しいんだろ。左遷されてお先真っ暗のはずが、英雄ロイの下で勲章もらって、おまけにイチャイチャしてりゃな。ま、こんなアホに嫉妬するたぁ大概だぜ」
「アホアホ言わない! あたし達だって頑張ってるもん!」
マリッサの言い方はとにかく気に入らない。
4月の絶望からどれだけ苦労したことか。それを棚ぼたみいに言ったり、あげく不道徳呼ばわりとは。そんなこと、一度だってないのに。それどころか、最近は……。
(……何考えてるんだよ! あたしは!)
両手で頬をピシッと叩き、マリッサが消えた空の向こうを睨む。
絶対にあの人たちには負けない。そう誓ってイリアを出てきた。今できるのは、目の前にある信頼に応えることだけだ。
「とりあえずさ、ルゥくんに報告しに行こうよ」
「ああ。そうだな。あんだけカマシを入れておけばしばらく来ねえだろ」
「その間に調査をガンガン進めちゃおう!」
略奪団と接触できたおかげで、可能性は大きく絞れたはず。今後の作戦会議も兼ねて孤児院に戻ることにした。
その足が、ぴたりと止まる。
(マリッサ、何が言いたかったんだろう。……気になるな。何なんだろう)
いつしか、また北の空を見上げていた。
マリッサの歳からして、母と面識はないはずだ。なのに、どうしてあんな事を口走ったのだろう。
投げつけられた何故は、明かされないまま絡みつくばかりだった。