日陰でジェラートと洒落込みたいシャニーだったが、ディークは無惨にも特訓に引っ張り出す。
そのあまりにも過酷で無慈悲さを見習い時代に思い知っているシャニーは、聞くだけでとろけてしまうのだが……。
ギラギラの昼下がり。何回目かの孤児院巡りツアーを終えたシャニーが休憩室へと戻ってきた。
別世界の扉を開けたように部屋は薄暗い。カサカサに乾いた木のテーブルセットに肘を突き、足を組みながらコーヒーか何かを飲んでいるディークがいた。
(た、助かった……)
焦点の定まらない虚な瞳は、ふらふらしながらディークの元へと辿り着く。そのままお尻を椅子に放り出すように座ったシャニーは、加減も無くあごでテーブルを打ちつけてバウンドした。
憎い、憎い憎い憎い……。イリアではあんなに優しかったあいつが許せない。もう視界に入れただけで目が眩んで、ついに限界を超えた。
「へぇぁ〜……あぢいいぃ……なんでリキアってこんな暑いのぉ」
頬をテーブルに吸いつけてみても、こういう時に限ってイリアのような冷たさはちっとも返ってこない。
開けっぱなしにしてきたドアの先に広がる、傾いた世界に目をやってみる。なんだか地面がモヤモヤして見える。あまりに暑くて、ついに頭がおかしくなってきてしまったようだ。
「なんだ、犬みたいに舌出しやがって」
呆れ声と共に上から降ってきたコップが、テーブルに吸い付く耳を起きろと叩く。コップから伝わる熱と、立ち上る湯気越しに見える外のモヤモヤが混ざって、ますます頭が沸騰してきて眩暈がきた。
ディークは気遣ってくれたに違いないのは分かるものの、この灼熱地獄で出してくれたのがまさか熱々のコーヒーとは。
「暑くてもう死にそうだよぉ……。世界がモヤモヤして見えるんだ、ヤバいよね……」
「あん? おまえがおかしいのは普通だから大丈夫だ」
「ひっどおい!! あぁぁ……怒ったらまた暑くなった……」
「元気じゃねえか。モヤって見えるのも普通だ。安心しろ」
まるで心配の欠片すら見せてくれないのはあんまりではないか。
気慰みに、出されたコーヒーを一口したのが間違いだった。そのまま噴き出してきたように滲む玉の汗を拭う。
外の暑さは世界が終わるかのようで、フライパンを置いておけば勝手にステーキができるに違いない。
「冷たいスイーツ欲しいよ、ディークさん」
「てめえで買ってこい」
無惨にも即答だった。阿吽の呼吸というのは、時として取り付く島もないから困る。
でも、今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。今なら春を迎えた雪だるまの気持ちが分かる。ウインクしながら猫撫で声でごろごろやって、リーサルウェポンで勝負に出る。
「外出たら溶けちゃうじゃん! ねえ〜、お・ね・が・い?」
「チッ、じゃりんこが科作ってんじゃねえよ」
まるで珍獣でも見つけたように目を見張り、わざとらしい舌打ちを残してディークは席を立ってしまった。
結構サービスしたつもりだったのに、まさかじゃりんこ扱いとは。
(ちぇっ。ディークさんったら、いつまでも子ども扱いして……)
不満を目から発射しても、返ってきたのはコーヒーをのんびり啜って満足げな声だけ。ディークの背中は、平穏を取り戻したとでも言いたげで恨めしい。
「ディークさんはいいよ。上半身裸なんだもん」
筋肉が服なのかと思うくらい、ディークが上着を羽織っているなど見たことがない。
カジュアルスーツとか着こなしたら、かなりのイケオジなのにもったいない。そう思ってきたが、リキアの夏を考えたら、何度服屋に誘ってもディークが動かないのは分からないでもない。
「おまえももっと薄着にすればいいじゃねえか。ロイなら何も言わねえだろ」
ずいぶん簡単に言ってくれるもの。こう言うときは、どうしても男は気楽で羨ましい。
たしかにスリーブレスやらチューブトップとか選択肢はある。けれど、基本は軍服だし、ここでは修道服だから茹だっているわけだ。
「ヒドイよディークさんは。あたしの背中のこと知っててそんなの言うなんて」
それだけではない。人には言えない、そう簡単に露出できない理由があるから困っているのに。それを真近で見たとは思えないデリカシーの無さだ。やはり、イケオジの称号は剥奪すべきだろうか。
おまけにディークは悪びれることもなく、背を向けたまま適当を言い出したではないか。
「あー? わり、んなのわ──」
「忘れたとか……言わせないんだからね? 人の着替え覗いてコーフンしたくせにさ」
見習い時代の黒歴史でも最悪クラスを引っ張り出して、逃れられない罪を突きつけてやる。
途端だ。よほど焦ったのか、「ブフッ?!」とむせったディークが目を真っ赤にして振り返った。ここまで取り乱すとは珍しい。
「バカやろ! ありゃ事故だろ! つか、おまえが悲鳴を上げっから!」
どんなに取り繕ったところで無駄だ。
今でもあの衝撃、あの感触は昨日のことのようで、覚えていると言うより刻み付けられてしまっているのだ。背中の傷を抜きにしても、責任を取る意味でも忘れようなど許すものか。
「うふふ、やっぱり忘れてないじゃん?」
「チィ、食えねえやつになったもんだな、おまえもよ」
少しはお灸になっただろうか。
ディークはまた窓の外へと視線を逸らして負け惜しみのように言っているが、褒め言葉だと受け取っておくとしよう。
それから間もなくだった。コーヒーを一口したディークは何か閃いたのか、「ん? なんだ?」と意外そうな声をあげて振り返った。
「つーことは、ロイは知らねえのか?」
「? 言えるワケないじゃん」
事故で見られることになったディークは別として、傷の事を知っているのは、日常的に一緒に着替えなり大衆浴場へ通ったりする部隊の仲間たちだけだ。
むしろロイに知らせようとか考えたことすらなかった。そんな話、わざわざ聞きたい話でもないだろうし、第一どうやって言えばいいというのだろう。セチのことだって一言も喋っていないのに。
質問の意図が分からず眉が下がるシャニーに、ディークは横目で薄ら笑いを浮かべだした。
「ハン……健全だねえ、おまえらも」
湧き上がる疑問で頭の中がパンパンに膨れ上がる。
経験上、ディークの怪しげな目にこの白々しい口調は、からかったり本心でなかったり、とにかくロクでもないことを言うときだ。
彼の言葉を一つずつ疑ってみる。……まるで引火するように頭に詰まった疑問が次々破裂して、脳天から真っ赤な火が一気に噴き出した。
「?! ディークさんのバカ!!」
「おっと、仕事だ仕事」
理性など吹き飛んで他聞も憚らず怒鳴ってしまう。
それすらまるで読んでいたようだった。ディークはコップをテーブルに転がして足早に小屋を出ていく。
椅子を跳ね飛ばして弾けるように後を追うシャニーだったが、目に入ったのは転がり落ちかけるコップ。そちらへダイブしている間に、ディークの追撃が飛んできた。
「事になってからより先に言ったほうがいいんじゃねえか?」
「大きなお世話だよ! サイアクッ! バカ! バカバカバカ! もう知らないッ!」
堪らず手にしたコップを投げかけて、すんでのところで理性が勝る。これだからオジサンだと言うのだ。
言うだけ言って逃げるなんて、地団駄踏むくらいでは到底収まるわけもない。コップにガツンと八つ当たりしたシャニーは細い肩を目いっぱい怒らせ、足を踏み鳴らしながら鼻息荒く外に出た。
周りを見渡すまでもない。ディークは出てすぐの場所にいた。こんなギンギンに暑いにもかかわらず、甲羅干しでもするようにのんびりしているではないか。
「なにさ、仕事とか言ってたクセに」
「知らないってんならついてくるなよ」
「あーっ、うまく撒けたとか思ったんでしょ! そうはいくもんか」
目を合わせても、彼は面倒くさそうに口元を歪めるだけで素っ気ない。
相手を興奮させてそのまま煙に巻く。しばしば彼が使う手口だ。見習い時代は見る側だったものを、まさか使われる側に回るとは。
師匠の手の内などお見通しというもの。そう簡単に引っかかるものか。
「やれやれ、マジでお守りだな。ロイも自分の嫁候補くらい面倒みろってんだ」
のっそり立ち上がると、ディークは煙たそうにぶつぶつと愚痴をこぼし始めた。
なんだか腑に落ちずモヤモヤする。人のプライベートをまさぐって笑ったのは彼のくせに、まるで飼い犬を預かったようなうんざり顔をするとはひどい扱いだ。
「なによ、人を問題児みたいに」
「……」
「黙るなあ!」
頬を膨らせて睨んでやっても、忙しいと言わんばかりにディークは脇を抜け、せっせと武具の準備を始めたではないか。
「問題児じゃないなら口より体動かせ、ほらよっ」
「うおっと?!」
立ちはだかって止めようとすると、待っていたようにどさっと資材を渡されて唸るハメになってしまった。
罠の材料……略奪団向けだろうか。ちょっとでもバランスを崩したらバラバラ行きそうで、フラフラついていく。
木陰まで運び、二人でせっせと罠作りに勤しむ。単純でも正確さを要求される仕事はなかなか熱中できるもので、鼻歌が風に乗るまで時間はかからなかった。
「にしても、最近ずっとこっちにいるみたいだが良いのか?」
罠にワイヤーを通し終えて、達成感に額を拭って一息つくと、それを待っていたようにディークに呼ばれた。
「なにが?」
「ロイを放っといてに決まってんだろ」
喉が締まって窒息するかと思うくらい時が止まる。あまりに予想外の場所を攻められて目が飛びだした。
(放っておくもなにも、そもそも会えないのにどうしろって言うのさ。というか……)
そこまで囁いた心に釘を刺す。
「だって……、ロイはリキア同盟の活動で忙しいからさ」
8月になってからというもの、ロイは城を留守にすることも多く、帰ってきても日付けをまたぐ日々が続いているのだ。
シャニーも連続殺人調査の特殊任務で孤児院へ泊まり込みが続き、最近は一目、一言さえ交わせていなかった。
「ロイが活躍したら嬉しいもん。あたしもロイに期待されて任されてるわけだし、がんばろってね」
今ごろロイはどこで何をしているのだろう。
リキア、ひいては世界のために粉骨砕身する彼が飛びまわって忙しいのは、フェレに来る前から手紙で分かっていたはずではないか。
何より、大好きな人が世界から称賛され高みに登っていく姿が、まるで自分のことのような幸福感に包んでくれるのだ。
会えなくとも互いに想いあっているし、目の前の仕事を成功させることこそが、今一番にできるロイの支え方……そう、心に決めていた。
「そうか。なら遠慮するこたねえな」
嫌な予感のする言葉を口にしたディークは、立ち上がると辺りを見渡し始めた。
「晴れてるうちに野外特訓でもするか。罠の設置や回避、塹壕に森林戦に……」
ギョッと反応して、無意識のうちに体がディークと反対側を向いていた。途中まで聞いただけでも、息切れする自分がどっとのしかかってくるようで血の気が引いてくる。
ディークはムキムキだからいいが、ついていく側が地獄を見るのは、見習い時代にうんざりするほど思い知っている。腕の太さひとつとっても半分以下の細身に、同水準を要求するなんてムチャクチャではないか。
「はうあ。ディークさんの野外特訓はヤバい特訓にしか聞こえないんだよなあ」
「実戦で蒼くなるよりいいだろ。俺は先に行く。仲間も連れてきて準備しろ」
これは返答を間違えたに決まっている。何か一つ魔法を使えるなら、時間の巻き戻しと即に答えるだろう。
しかし、無情にもディークの背は少しずつ小さくなる。反論したところで、「体の細さで敵が加減してくれんのか?」と返されるまで経験済み。
動き出した時に引きずられるように、シャニーも重く歩きだした。
◆◆
「も、もうムリ……立てない……」
一度蹴躓いたら、どう頑張っても足の感覚が遠くに行ったまま戻ってこなくなった。
動乱時代も傭兵団の中で真っ先に音をあげていたが、まさかここでも一番をキープすることになるとは。
「ったく、スタミナ不足は相変わらずかよ。だらしねえ、ほら立て!」
相変わらずはお互い様だ。ディークが眉を吊り上げながら、それだけで吹き飛びそうな威勢のいい声を張りあげている。
彼にどれだけ活を入れられても、上から下へとそのまま地面に吸い込まれていくようでまるで動けない。
「むりだよぉ。あ〜、誰かスイーツ補給くれる優しい人いないかなあ。そしたら立てそうなんだけどな〜」
「何をバカなこと言ってやがる! このっ、立ちやがれ!」
「うえ〜ん、む〜り〜!」
そのうち言葉だけで足りなくなったらしい。
ジリジリした顔で、ディークは足でシャニーの腰を横から押して転がし始めた。
ついに木にぶち当たり、シャニーはしがみついてダンゴムシのように動かなくなってしまった。
「チッ、一旦休憩だ。最後までついてきたら焼き菓子ぐらいおごってやる」
ついにディークが折れた。頭をボサボサやった彼は舌打ちを残して背を向ける。
それを待っていたように、ルシャナたちもへなへなとその場に座り込むが、代わりにシャキッとした声がはしゃぎ回った。
「ヤッター! じゃあ近くの町にあるケーキ屋さん行こうね!」
相変わらず腹で芝生に吸い付いたままだが、シャニーは顔だけあげて拳を突き出している。
まさに枯れ地で水を得た若葉のような回復ぶりに、ディークは最初こそ渋い顔だったものの、すぐに眉間にしわが寄り口がじりじりとへの字になった。
「……今でもヒイコラ言ってんのに天馬に乗ってくつもりかよ。つか、業務中にあちこち物色しに行ってんじゃねえ!」
「えへへ、情報を足で稼ぐのも大事かと!」
ディークが叱る時によく使うキメ台詞が、ここまでピタリと合う場面もあるまい。
天馬で上から見るだけでなく、降りて自分の足で確かめろ……今回ケーキ屋を見つけたのも、見習い時代からの教えを守った賜物に他ならない。
それなのにディークは目をつぶり、口角を不自然に吊り上げながらぎりぎり拳を握りだしたではないか。緊張が走り堪らず立ち上がる。
「頭いてえ……とにかく休憩な」
ところが、ディークは大きく息を吐き出すと額に手をやりながら歩いて行ってしまった。
何だか、すごく誤解されている気がしてならない。哨戒中に立ち寄った村で、ちゃんと情報集めをする道すがら見つけただけでサボりでは断じてないのに。
小さくなるディークの背中をむうっと眺めていたときだ。ふいに、後ろからミリアの声が突いてきた。
「あー、シャニーはイイッスねえ」
「なにが?」
「いろいろ必殺技があって。ウチもガーっとなって、ズシャーになるヤツ欲しいッス」
どうやらさっきの訓練中にひと通り使った剣技を指しているらしい。ミリアは興奮気味に話しながら、左右の拳をワンツーパンチと突き出している。
「ミリア、表現力ゼロ。何を指してるのか、ぜんぜん分からない」
「う、うるさいな、レン。行間を読むっていうだろ?」
レンのストレートな突込みを跳ね飛ばすように、ミリアはまた素早くパンチして見せている。正直、シャニーもレンに同意だった。そんな流れの剣技は記憶にない。
そんなことなどお構いなしか。ミリアは何か閃いたらしく、弾いた指をそのままレンへと向ける。
「そうだ! レン、ウチらも必殺技作ろう! 火力担当としちゃ混錬攻撃だけじゃ物足らないし」
「ん。アップデートは必要かもね」
「おっ、またカッコいいの見せてくれるの?」
2人の得物の特長をうまくフュージョンさせた技は以前から見せてもらっている。
どれも太刀や槍で戦うのではまるで届かない範囲と威力で、今でも火力担当と誇れるくらい高みにいる。そこに更なる力が加わるとなれば、今度はどんな風に驚かされるのだろう。
ワクワクせずにはおれず、ミリアに視線を合わせたのが間違いだった。
「よおし、プロトタイプができたら手伝って欲しいッス!」
何でも二つ返事で応を返せる炎と風みたいな仲でも、この件ばかりは話が別だ。ノリノリで身を乗り出してくるミリアに、話に乗りかけていたシャニーはたじたじと距離をとった。
「あのう……。いちおー聞くけどさ、手伝うって」
「皆まで言わなくとも分かってるっスよ。これはシャニーにしか出来ないから張り切って欲しいッス」
案の定、そう言うことだった。毎度、毎度、そんなことに付き合わせるとは、人を一体なんだと思っているのだろう。
こう言う時は逃げたもの勝ち。さっさとお暇しようとしたその腕をがっしり掴まれた。
「ん。こんな生の情報を得られる
血の気がサーっと引いていく。
いつもならミリアを止めるポジションにいるはずのレンまでもが、まさかこんなことを言うなんて。いつもはホッとさせてくれる微笑みが、今は魔女の冷笑に見えた。
「当たり前みたいに言わないでよぉ! 張り切って的になる人なんかいるわけないじゃん!! ケーキ10個ぐらいオゴってもらわなきゃ割に合わないよ!!」
彼女たちは、弓や魔法を弾くセチの魔力をアテにしているに決まっている。万が一だってあるし、セチが面白がって何をしでかすか分からないのにムチャクチャだ。
縄抜けするようにレンから離れ、シャニーはお尻に火がついたように飛び出した。
「あ、逃げた」
「まあ、逃げる的なんて願ったり叶ったりなんスけどね」
ミリアがニンマリしていると、シャニーがピタリと止まった。
「ケーキってホールだからねっ、
それだけ注文を付けるとシャニーはまた走り出す。
その後ろ姿をぽかんと見ていたミリアはレンと顔を見合わせた後、取り出した財布の中を見てぽつりと漏らした。
「当たり前みたいに言わないで欲しいッス……」