彼も気づいていたようだが、それとは別の予想外なことを口にする。
最初は驚くばかりだったが、ディークのある一言でシャニーは眦を決することになる。
(なんだ……? このヘンな〝流れ〟……)
戦場となる孤児院の中庭を歩き出したシャニーだったが、その足は5分と経たずに止まってしまった。
気になってしょうがない。おかしな〝流れ〟が心を掻きむしって、イライラがどんどん膨れ上がってくるのだ。
「ねえ、ディークさん」
堪らず呼んだ。この苛立ちは、ジリジリ焼き付けてくる太陽のせいなんかではない。
「なんか……さ、〝流れ〟を感じる」
言葉でどうやって言い表せば良いだろう。それでも、ゾワゾワしてとても落ち着いていられない殺気が〝流れ〟に乗ってきて、侵食されるような不快感が全身にまとわりついてくるのだ。
無意識のうちに、太刀に手をかけていた。
はるか遠くから垂れ流されているはずなのに、今にも食い破られそうな恐怖に手を下ろせそうにない。
ディークも何か掴んでいたのか、振り返ってもその目は鋭く睥睨していた。その先は……妙な〝流れ〟が襲ってくる源流と同じ。
「おまえの直感だけは、昔から驚かされるぜ」
「
褒められたのか茶化されたのか。反射的に口を三角に尖らせた。
見習い時代、ディークにおんぶに抱っこだった中、この〝流れ〟だけは、彼も当時から「女の勘はバカにできねえ」と茶化しながらも重宝してくれたものだ。そろそろ、
でも、それは束の間のことで、「俺も同感だ」そう口を開いた彼の眼差しには、戦神と呼ばれる所以が稲光のように走った。
「なにか分からんが、場に相応しくない気がある」
「へえ? そのオジサン、なかなか見どころあるね?」
違和感の源流を睨み続けるディークに、セチが興味を持ってしまったようだ。
目を細めて満面に爽やかな笑みを浮かべる姿は、知らない人が見れば穏やかな風の精霊かもしれない。実際は死の微笑みと言ってもいい。
(あーあ、ディークさん。……同情しとこ)
彼女に目をつけられるとなかなか厄介なのは、当事者としてウンザリするほど味わってきた。
でもそれ以上に、憧れの師匠が戦闘狂……もとい、風の精霊からも一目置かれたと思うと、自分が褒められたように心が弾む。
「そりゃそうさ。なんたってあたしの師匠だし」
「少なくとも、隙は無いね。キミと違って」
完全な不意打ちだ。まさかこっちに跳ね返ってくるとは。まるで太刀を首に添えられたかのような視線に、首が伸びて息が詰まる。口元は笑っていても、意味深な視線はぜんぜん穏やかではない。
とは言え、相手が悪すぎると言うものだろう。相手は『手負の虎』の2つ名を持ち、戦神とさえ呼ばれる伝説級の偉丈夫だ。
(歴戦の勇者だよ? こんなか弱い16の女の子に何ができるって言うのさ)
実際7月に斬り結んだ時も完敗だった。なのに「それは許せないかな」と言って、セチはさらにニコッとし始めたではないか。
「私も剣を与えてる以上、プライドがあるからね」
「そんなこと言ったって~。──って、だから勝手に人の心を読まないでってば!」
「仕方ないじゃないか、隙だらけなんだし。ん〜、何がいいかなぁ〜」
嫌な予感がする。
彼女は急に鼻歌を歌い出したと思ったら、踊るように目をキラキラさせて見上げ始めたではないか。面白がってロクでもないことを企んでいるに違いない。反論を絞ろうにも、セチが何か閃いてパチンと指を鳴らすまで、あまりに時間が無さすぎた。
「そうだ! 負けたら罰ゲームでもしてもらおうか?」
「ば、罰ゲーム?!」
「そ。キミが負けたら、一週間くらい私が体貰うってのはどうかな。それなら、本気出すしかないよね?」
ブワッと髪の毛が逆立つくらいの危機感が全身を駆け巡る。どうして嫌な予感ほど当たってしまうのだろう。
いや、当たるだけならまだいい。その中でも最悪、最凶で、なぜそうなってしまうのかサッパリついて行けない。
「そ、そんなメチャクチャな!」
「さあさあ、早くそのオジサンに突っ込みなよ」
「……めっちゃ、負けて欲しそうじゃん」
「人聞き悪いなあ。私はキミの味方だよ? 大丈夫、万が一のときは骨くらい拾ってあげるさ」
「そんなニコニコして言わないでよぉ!」
単にセチが乗っ取る口実を作りたいだけに決まっている。ディーク相手にコテンパンにされるのだって、このニコニコ顔は計算済みに違いないのだ。
勝とうが負けようが面白ければ何でもいいのだろうし、負ければ一週間やりたい放題付き。
(そんなセチの一人勝ちが見えてるゲームなんか誰が乗るもんか!)
第一、3日後に決闘が待っていると言うのに、セチに任せたら略奪団を真っ二つにするくらいでは済まないのは明らかだ。
ただでさえ、吐き気がするくらいの妙な〝流れ〟が押し寄せてくるのに。
……そこまで来て、ようやく気づきハッとする。セチには毎回全然違う方向に話を持っていかれるから困る。
「って! そうじゃなくて、セチもなんか気づいたの? やっぱり、この〝流れ〟って」
「うん。同類かな。かなり遠くから眺めてるみたいだけど」
気づいているなら教えてくれたっていいのに。
どうやら気づくどころではなく、彼女には見えているような口ぶりにすら聞こえてくる。
(セチは同類って言ってたけど……)
忘れもしない言葉だ。あの業火の魔人からはっきり言われた、あちらの世界に誘う言葉。
「もしかしてソルバーンさん……いや、〝流れ〟が違う」
口にしてみてから自分に首を振る。
たしかにあの魔人の放つ火炎地獄は、〝流れ〟を突き破り燃やし尽くして足りないほどで、デタラメな力としか言いようがない。
とは言え、彼の炎は良くも悪くも真っ直ぐなもの。今感じる、絡みつき締め上げてくる、昏く深い扉の向こうから見つめるような黒い眼差しとは違う。
何より、ソルバーンなら見ているだけなどできないだろう。とっくにこの場に現れて、喰らおうと襲ってきているに違いない。
「あの男じゃないかな。トォルだと思う」
「トォル?」
やはりセチには心当たりがあるらしい。初めて聞く名前に、シャニーは目が点になった。
「雷の精霊だね。こ〜んな目の吊ったインテリさ」
指で目を吊り上げ、これでもかと舌を出す顔はとても精霊とは思えない。よほど仲が悪いのだろうか。人の話をここまで聞かないと、合わない人がいても仕方ない。
紹介されているトォルとやらも、精霊ともなれば紹介とはきっと違うのだろう。最初こそそう思ったものの、不安になってきた。
(ううん……セチやソルバーンさんがこんななら、ありえるのかな……)
「心外だなあ。あの男はともかく、私まで〝こんな〟扱いなんてさ。しかも、相棒のキミが」
「いや、だから。と言うかむしろ……」
どんどん精霊のイメージが崩れていく。
精霊と言えば威厳があって、高貴で、聡明な神の使徒……──話を聞かない、ただの享楽主義の戦闘狂だったとは。
そんな事などお構いなしに、セチは自信満々だ。
「ま、襲ってきたら返り討ちにするだけさ。キミがね」
「めちゃめちゃヒトゴトじゃん……。確かにそうなんだけどさ。子供たちを守ってあげなきゃだしね」
普段はともかく、戦闘で頼りになるのは間違いない。
それにしても、略奪団のリーダーがそんな精霊の使い手と言うのだろうか。
(そういや、紋章にも雷のマークが……)
これはとんでもない相手と戦う羽目になったかもしれない。そうなれば、やはり事前の準備こそが鍵を握ることになるだろう。
どこに罠を仕掛けるべきか……そう考えていた時だった。
──ゴワンッ!!
「ア゙ッ?! イターッ!!」
震えるような硬い音がしたかと思うと、目から星が出て尻餅をついてしまった。
焼きごてを押し付けられたようにおでこがヒリヒリする。擦りながら潰れた目を無理やり開けて見上げてみれば、大剣が太陽に光っていた。
「わりいわりい、前見てねえおまえが悪ぃんだぜ」
「ヒドイよ! ワザとでしょ!」
どうやらあの腹におでこをぶつけてしまったようだが、ディークの白々しい口調ひとつとっても断言できる。第一、彼との身長差を考えたら、担いだ剣が額の高さに来るなんて絶対おかしいではないか。
拳を突き上げて火の玉をぶつけても、彼は鼻であしらうだけで謝る素振りもない。それどころか、返ってきたのはお説教だった。
「仕事中にボサッとしやがって。戦場で気を抜くクセは相変わらずかよ」
ムスッとしながら立ち上がったシャニーは、いまだにじわじわ痛みが響くおでこに手をやって歩き出したディークについて行く。
セチの声は周りには聞こえないようで、ルシャナ達曰く、ただボーっとしているようにしか見えないらしい。
(別にボサっとしてるわけじゃないのに~!)
心の中で繰り言を漏らしていると、まるで聞こえていたかのようにディークの後ろ目が刺さってごくりと息を呑む。
叱られるのかと思ったが、ディークの口から出てきたのはそれ以上の衝撃だった。
「そいつか。オスティアで見せたやつは」
「へ?! ディークさん、聞こえてたの?? セチの声」
「セチって言うのか。……へえ、セチか」
ソルバーン以外でセチの存在を勘付かれたのは初めてのことで、トーンの外れた声が飛び出してしまった。
セチまでもが目を真ん丸に見開いて驚いているところからして、ただ事では無いようだ。さすが戦神と呼ばれるような人は違うと言うことか。
それでも、振り返ったディークは、手を払って否定すると腕を組み始めた。
「いや、聞こえちゃいねえ。あくまで、今までのおまえの言動からの推測だ」
「それはそれでスゴイよーな……」
「へぇ……このオジサン、キミの師匠にはもったいないくらいの御仁だね」
ますますセチのターゲットがロックオンに近づいてしまった気がする。
ニコニコ顔で相手を褒めているのは、大抵ロクでもないことを考えている時だ。一度斬り結んでみたいとか、企んでいてもおかしくない。
(丁度いい機会……かな)
これからも一緒に戦うなら、彼女のことも知って欲しい。決して悪い奴では無いし、最近はお互い信じて〝相棒〟になってきたのは間違いない。
でも、決して魔人とは思われたくもなかった。それは自分にとっても、セチにとっても辛いこと。
「ま、まあ話せば長くなるんだけど……」
「ハン……。まあいいぜ。長話は面倒だ」
どうやって伝えようか考えながら適当な言葉でお茶を濁していたら、彼はもう背を向けてしまったではないか。
自分から聞いてきておいて、面倒とはあんまりだ。
「ちょっと?! 少しくらい聞いてよ! ──ぶっ?!」
急いで追いかけて切り出しを考えていると、何か思いついたように彼が急に止まるものだから、背中に鼻をぶつけてしまう。
ディークは背を向けたまま、周りに警戒するように低く重い声で切り出した。
「シャニー、おまえはガキどもを頼む。俺はこの妙な気を探る」
「えぇ?! 一人じゃ危ないよ!」
いきなり何を言い出すのだろう。
ディークは動乱のときから、人には散々1人で突っ走るなと言いながら、自分はこうしてちょくちょく単独で動こうとするのだ。
言っていることとやっていることが違うと、何度か不満をぶつけたものだが、「ナマ言ってんじゃねえ」で済まされてきた。
今ならその理由も分かる。だからこそ、今回は相手も相手だし許せない。
すぐに彼の手を取って引き留めた。
「正攻法じゃ掴めそうにねえ。裏の連中の情報を探ってみるつもりだ。だから俺一人でやる」
それでも、ディークは振り返りはしなかった。
初めてだ。何をするか教えてくれたのは。
でも、そう言う問題ではない。聞いたらますます不安になってしまったではないか。
裏の人間とか簡単に言っているが、常識の通じない血なまぐさい連中だ。そんなところに足を踏み入れたら、ディークの身に危険が及ぶのは優に想像できる。
「ま、おまえら騎士は表の世界で皆の希望になりゃあいい。適材適所ってやつだ」
なのに、ディークはサラッとそう言ってまた歩き出そうとしている。
(ディークさん、昔からいつもそう……。そんなのイヤなんだよ)
取った手を引っ張って無理やり彼を止めた。
「……ディークさんはずるいよ」
「あん?」
「背負ってばかりで、あたしにはちっとも背負わせてくれない」
彼なりに、守ってくれようとしているに違いない。7月もそうだった。
けれど、あの時に気持ちはしっかり伝えたはずだし、ディークは約束してくれたのだ。精々アテにすると言って。
ようやく振り返ったディークだが、まともに受け取っていないのは、面倒くさそうにため息をつくような顔から伝わってくる。
「おまえな……」
「あの時は見習いだからってガマンしたんだよ。でも今は、ディークさんと肩並べたつもりなのに。あたしだってディークさんのこと、心配なのに」
まだ分かってくれないのだろうか。
ディークが心配してくれるのと同じくらい、彼の無茶に胸が絞られる思いをする人間がいることを。
彼からすれば14の見習いも、16の正騎士もガキには変わらず、「ナマ言うな」かもしれない。
だけど、あの時より許せない気持ちは比べ物にならないくらい膨らんでいる。ディークの気持ちを知れば知るほど、一緒に背負いたくなるのに、彼はそれを許してくれない。
頼ってもらえない無力感、背負おうとすればするほど背負わせてしまうもどかしさ。さまざまな悔しさに、声が震えてくる。
「……その気持ちが分かるなら、部下に向けてやれ」
観念したような口調で何を言うかと思えば、まさか説教だとは。
「!! ディークさんが悪いんだよ? こんな風に育てたのはディークさんなんだもんね」
「俺はおまえのオヤジかっつの」
「へへっ。半分……そうかもね」
「ハン……?」
そんな1人で背負い込んでいる自覚は無いが、もしそうなら師匠が見せた背中のせいだ。
物心ついたころには既に両親がいなかったシャニーにとって、ディークは初めて厳しくしてくれる男性だった。
彼は見習いだとか女だとか、そんなのは一切無かった。ある時は背中で語り、ある時は真正面に立って叱ってくれ、挫けた時は並んで心を聞いてくれた。
まさに、師父と言える人。
「ま、俺みたいなのを、おまえが背負う必要はねえよ。侯爵夫人候補に妙なもん背負わせちゃ、ロイにもわりいしな」
そんな人が口にしたまさかの言葉。
パチンと心の中で普段外れないはずの何かが外れ、じわっと体中に炎が噴いた。
「ディークさん……」
シャニーの三本分くらいありそうな腕が引っ張り戻され、ディークが目を見張って振り向く。
「お、おい? シャニー、どうした?」
シャニーは俯いてわなわなと震えていた。
直後、居合のごとくあげた顔は眦を裂き、普段の朗らかさが嘘のように荒れ狂う嵐そのものだった。
「俺みたいとか言わないで! ディークさんはあたしにとってホントに大事な! 大好きな人なんだよ!」
「シャニー……」
「与えるだけ与えて、背負うだけ背負って……そんな事して前みたいにいなくなったら、果てまで探して連れて帰るんだから!!」
シャニーにとっても、自身にびっくりするくらいの金切り声が出ていた。こんな声、自分ではないみたいだ。
でも、腹に溜まったものを全部吐き出して後悔はなかった。
ずっとずっと、ずっとずっとずっと抱いてきた想い。大事な大事な師匠が、自分のことを〝俺なんか〟と、まるで居場所が無いような言い方をして遠ざけようとするのが、怖くて怖くて仕方なかった。本当に……どこか二度と会えない場所に行ってしまうような気がして。
7月にも同じことを言ったはずだが、何度でも言うしかない。分からないなら分かるまで。遠くに行こうとするなら、行かなくなるまで、何度でも。
しばらく目を見張ったまま固まっていたディークは、頭をぼさぼさやりながら、「……おまえには敵わねえな」と観念したように小さく笑った。
「ああ、胸に刻んでおくぜ。そんなマジ睨みすんな」
ようやく分かってくれたのだろうか。
彼にここまで反抗したのも、こんな目を向けたのも初めてだ。最後は感情をそのままぶつけてしまったが、強張りがとれたディークを見て身体中から力が抜けていく。
彼から手を離し、シャニーはそのまま自身の胸元に置く。手に残る温もりと、彼の約束の言葉を逃さないように。
「それにしても、言うようになったもんだな、おまえも」
「えへへ……。今日は『ナマ言ってんじゃねえ』って言わないんだね」
ディークに褒められるなんて、ちょっぴり恥ずかしい。
鼻の頭をこするシャニーの顔には、いつも通りの穏やかな笑みが戻ってきた。
それを見るや、ディークは呆れ顔で両手を広げている。
「まったく、数年前はホームシックでピーピー言ってたくせによ」
「い、言わないでよ!!」
「『寂しいよー』とか言ってくっつきやがってよ。俺がどんな誤解を受けたやら」
「アーアーアー! 聞こえない! 聞こえない! 何のことかなー!」
ディークはすぐに、見習い時代の黒歴史を話の種にするから気が抜けない。
ディーク傭兵団に入って間もないうちは、姉たちの顔を浮かべて泣いた時期も確かにあったものの、そんなの一週間くらいの話だ。
女騎士が山賊に蹂躙されているだとか、ディークはかなり年下好きやら騒ぎになった記憶はある。それはむしろ、きちんと上着を装わないディークの問題だろうに。
「仲間もいねーんだし、いいじゃねえか。あん時はなぁ、ウブで可愛いもんだったぜ」
「良くないし! あ、あの時はまだ子供だったんだし、仕方ないじゃん!」
酒飲みが懐かしむように、しみじみした口調で暴露される恥ずかしさと言ったらない。
(と言うか、今はかわいくないってコト……?)
聞きたい気持ちをグッと抑え込む。
違うとは分かっていても、もう少し言い方があるだろうに。
そんな乙女心も知らないで、ディークはまた怪訝そうな口ぶりで「あの時は……ねえ」などと鼻で笑っている。
「ハン、そういう事にしておいてやるぜ」
「ぐぬぬぬ……」
散々好き放題のディークが恨めしい。
見習いの時はこんなに弄られた記憶はないのだが、やはりオジサン化してしまったのだろうか。
なんとか反論しようと頭を絞っていると、彼は話題を逸らすつもりか先手を取ってきた。
「とは言え、だ。今回の
自分の耳を信じられない。まるで、さっきのやりとりが無かったことにされたかのよう。
それでも、頭より先に心が飛び出していた。
「今言ったばっかりなのに!」
「あー……なんつーか……」
ディークは頭をボサボサやって気だるそうにし、小さく舌打ちすると「おまえならいいか」と諦めたように言って続けた。
「おまえらみたいな、表の人間ってプンプンするのが一緒なだけで、掴み損ねる
彼がしばしば語る裏社会は、イマイチ飲み込めない世界の話。
そんな状態だ。足手まといと言いたいのだろう。でも、そうやって触れないままでいたら、彼はいつまで経っても一人のまま。
「じゃあ、あたしもグレーに慣れれば」
「馬鹿言うんじゃねえ。もっと視野を広くしろ」
まるで何を言うか読んでいたかのようだった。
喰い気味に遮って喋り出したディークは、シャニーの頭にポンと手を乗せた。その重みだけで、シャニーの顔は張り子のように下を向く。
「世の中にはな、真っ白じゃねえとダメな人間てのも必要なんだよ。実際は別にしても、な」
下を向いたまま、顔を上げることがシャニーには出来なかった。
ディークが言わんとしていることは分かる。
でもそれは、ロイやリリーナ女候のような、世界で英雄と言われるような人たちのことではないか。
(あたしは……ディークさんと〝同じ側〟にいる傭兵じゃない)
反論しようとばっと顔を上げたが、それ以上をディークは許してくれなかった。
「侯爵夫人にしろ、騎士団幹部にしろ、おまえは、周りにいる人間まで染めることになる。上に立つ人間なら、それを考えることだ」
黒どころか、灰色にさえ触れさせない。そのために自分が黎い世界を担う。
動乱でもそうだった。そうした世界の仕事に、当時の傭兵団の仲間を、ディークは一切関わらせなかった。なぜなのか、ようやく頭の中で繋がった。モヤモヤは膨らむばかりだが。
「人と人を繋ぐ……おまえはそう言う星の下に生まれたんだ。全部自分でやる必要はねえ。お互い、果たすべき役割ってのは違って当たり前だ」
何も言い返せない自分がもどかしい。
裏社会との繋がりを民に胸を張れるかと問われれば、それは確かにノーと決まっている。
だから、〝俺みたいな〟人間が相応しいとでも言うのだろうか。
ディークの過去は知らない。けれど断言できる。他の誰よりも仲間を大事にしてきた彼は、一番大事にされなければならない。
一人で全部背負わせるなんて、やっぱりダメだ。
「で、でもディークさんは全部一人でやろうとしてるじゃん!」
「なーに言ってやがる」
シャニーの肩をポンと叩いたディークは、その手をぐっと握ってシャニーの顔の前に突き出した。
「俺のいない間、
ドキンと胸が跳ねて飛び出して行きそうになった。
初めてかもしれない。ディークが自分の仕事を任せてくれたのは。彼の拳を自身の拳で繋ぐと、そのまま両手で包む。
ようやく少しだけ背負えて彼に近づけた喜びと、それ以上に得体の知れない恐怖が湧きあがる。
(また……どっか行っちゃったりしないよね……)
ディークのほうが間違いなく手練れでも、ただ無事を祈るかぎり。
「ディークさん。絶対帰ってきてよ!」
「なんだそりゃ。ハッ、妙に粘着質になりやがって。指定日までには戻る。安心しろ」
背を向けたまま手を振り出発するディークを、シャニーは涙を堪えて見送った。
それでも、心配は杞憂に終わった。ディークは約束を守ったのだ。
彼は宣言通り、略奪団の襲撃予告日の前日に無事帰還。
とっぷり日が暮れた後にもかかわらず、休む間もなく翌日の準備に精を出すのだった。