略奪団のボス──テレーザが咆哮とともに取り出した魔導書は、見たこともないおぞましいペンタクルが描かれている。
あれが、多くの裏の人間を灰にしてきた殺人魔法……シャニーはセチを纏い、青き軌跡を戦場に刻む。
「受け取りなさいな……」
テレーザはおもむろに背後へ手を伸ばす。
「このウェントリヒ・ドンナーの烈光を!」
腰の後ろから姿を現したのは一冊の魔道書。
闇魔法かと思うくらい不気味な濃紫に、攻撃的に尖る黄金のペンタクルが目いっぱい描かれている。
(あんな魔道書、見たことないよ?!)
無意識に魔道書に目を取られていたときだった。
ふいに、テレーザが空へ指を向け──強烈に〝流れ〟が揺らぐ。
「──ッ。危ない! レン!」
シャニーの一閃が空間ごと断ち切るように景色を弧に歪める。刹那、若月を思わせる風の刃が弓から弾かれるように飛び出し、レンの頭上からうなりをあげて急襲する剣を突き破った。
「うわさ通りだな。行くぜシャニー。──退けや、オラァッ!!」
ディークが言い終わりもしないうちに飛び出し、いきなり大剣を振りまわしている。触れた者たちはボールのように宙に弧を描いて飛んだ。
「作戦目標は対象の戦闘レベル低下と拘束! ふたりとも取り巻きをお願い! ルシャナはあたしたちをサポートして!」
シャニーも飛び出しつつ、後ろ目に上空の仲間へ叫ぶ。
もはや彼らに言い逃れはできまい。
妙に噛み合わない認識や、返してこなかった〝答え〟をあらためて聞き出すためにも、まずは大人しくさせなければ。
「レンとでっかいの! 頼むぜ!」
「デカいの?! ウチはミリアッス! リーダーの右腕っスよ!」
拳を突き上げて叫ぶミリアの声は、もうディークには届いていないだろう。
すでに彼は敵陣の真ん中に飛び込み、天馬騎士では持ち上げるだけでウンウン唸る大剣を軽々振り回して縦横無尽に躍動している。
「頼むよ、ミリア、レン! 背中は任せるからね! フォーメーションβ─Ⅴで掃射せよ!」
「ガッテンっス!」
シャニーも仲間に陣形を指示してディークのもとへ滑るように駆け寄った。
どれだけぶりだろう。彼と背中合わせに戦うのは。それでも、背中を守るのはきっと初めてかもしれない。
あのときは隊長と部下。だけど今は違う。
「アレ、サンダーストームだよね! 近づいちゃえばこっちのもんだ!」
あの頃の何も知らない突撃兵とは違う。これこそ動乱での経験が生きると言うものだろう。
太刀を脇に構えたシャニーが風に滑るように飛び出し、テレーザ目がけて一直線に突っ込んでいく。
「バカっ、待て!」
とっさに伸ばしたディークの指先が掴んだのは、シャニーの残り香ばかり。
「サンダーストームは高射程の代わりに、あまりの破壊力に接近戦で使えば自滅する……でしたかしら?」
もう少しで届く……時を縮めたように距離を詰め、太刀を握り直しながらもシャニーには違和感ばかり湧き上がった。
(なんで? なんであんな余裕なんだ?)
魔法使いなら、近接を嫌うはず。なにせ騎士と違い、ローブとよくて革鎧だけの軽装備だ。太刀の前ではナイフを前にしたプリンに等しい。
なのに、逃げるどころか避けようともしないままテレーザが迫る──
「なっ?!」
それは瞬きする間の、ほんの刹那のうちに起きた。
しかし、何が起きたのかぜんぜん頭がついていかない。まるで手品のごとく、突如としてテレーザが目の前から消えてしまったのだ。
「シャニー! 左だよ!」
「──ッ」
頭上からルシャナの指示が飛んできたのは、〝流れ〟が乱れたのとほぼ同タイミングだった。
振り向いた先を真っ白な閃光が塗りつぶす。もはや、避ける間合いはない。
「らあああ!」
魔力を乗せた一閃が、突っ込んできた天雷の剣を一刀両断に跳ね除ける。
「そんな下世話な話で、わたくしを語らないでくださらない?」
視界が晴れたころにはもうテレーザはおらず、〝流れ〟はすでに背後に回っていた。
魔道書を掲げた彼女の頭上へ、紫電の爆ぜる重低音が唸る。無数に召喚された剣は、ガトリングのように次々と襲いかかってくるではないか。
「うわっ、どんだけ撃ってくるのよ?!」
「射程が問題なら、距離を変えればいいだけのことですわよ!」
土飛沫が噴きあがる。突き刺し抉り抜く電撃の嵐を、颯のごとく駆け抜け風刃で振り払う。
転移魔法で動きまわるのでは、追いかけるだけで精いっぱいだ。反動など無いかのようにガンガン打ち込んできて、なかなか近づけずにいた。
(なんだ……この違和感。と言うかこれ、どこかで……──?!)
考える余裕など無かった。容赦ない雷の滝をすり抜けながら隙をうかがう。
しかし、その攻撃範囲は次第にエスカレートし、略奪団員さえもが手を出せずに退避しているではないか。
「仲間まで巻き込むなんて! なにを考えてるのさ!」
「おほほ、魔導士の攻撃軌道を確認するなど基礎も基礎でしょう!」
何もかもがデタラメだ。頭だけでなく、戦闘スタイルまでぶっ飛んでいるとしか言いようがない。
「ちっ、なんつー連射だ。こいつはさっさと片付けねえと……」
防御技で凌ぎながら、ディークは背後を一瞥した。
シャニーが戦線を引き上げているから無事なものの、ここまで自棄に乱射されては、孤児院に被害が及ぶのも時間の問題と言えよう。
「シャニー! 俺とルシャナでヤツを誘導する。おまえはあれを捕まえろ! 連射している間は隙だらけだ、おまえなら突っ込めるだろ!」
攻めあぐねて後退してきたシャニーにディークが叫ぶ。それに呼応して、前を向いたままシャニーは指先で丸を作った。
もはや手段を選んではおれないと、ちょうど思っていたところ。ディークたちが背を守ってくれるなら、絶対うまくいくはずだ。
腹を括って、あの
「ラジャ! セチ、さっきより強めにいくよ! オーバードライブだ!」
セチと意識を共鳴させ、魔力を解放しようとしてみてハッとした。
どこか、体が軽い。
昏い心の向こうに手を伸ばすと、何かが四方から押し寄せるはず。いつもなら、そのまま身動きを取れず意識が遠のくのだが、今回は逆だ。
つるんとその呪縛からはじき出されるように奥へと誘われ、温かく柔らかい、まるで空に浮いて包まれているかのような心地よさが全身に広がっていく。
「いいね、いいね〜。その調子で
(この感じ……なんか、この噛み合うような、馴染むような感じ……力が漲るよ!)
体中を巡る新しい風のなんと心地よいことか。
セチの誘いに導かれるまま、シャニーはしばし静かに目を閉じて〝流れ〟を聞く。
意識を放り出され、外からの力で操られるような感覚はない。
それは間違いなく体の奥底から湧き出ている。噴き出る温泉にも似てとめどなく、そして飛沫をあげて迸る魔力。それでいて流れは穏やかで、頭から足の爪先まで満ちて包んでいく。
(今なら、どんな相手でも勝てる気がするよ!)
そっと目を開けたシャニーは、剣を霞に構え直した。
「セチ、いくよ!
浮き上がるように飛び出したシャニーは、なぎ倒す旋風のごとくテレーザを突き抜ける。
それでも結果は同じ。すでに転移した後で、脇から斬り上げた太刀は空を切っていた。
「なんと言う速さ! しかし、どれだけ速かろうと、わたくしを捕まえられるかしら!」
「どうかな? 追いかけっこしてみようか!」
青いエーギルが彗星の尾のごとくあちこちに軌跡を残しては、テレーザの転移先に向け大きく角度を変える。
(これはパーペチ
その直線距離は次第に短くなってきている。テレーザは転移だけで手一杯か、反撃の魔法を撃つ間を確実に摘んでいた。転移自体の距離も、満足に詠唱できないからか短い。
そしてついに、転移で現れたテレーザがシャニーの視界の端に映った。まだ転移中で身動きはとれないだろうが、この距離なら──届く!
「もらったあ! ……ムッ!」
渾身に太刀を切り上げるも、今回も空振り。あと僅かな差だったのは、太刀風にはらはら舞いあがるダークブロンドの髪が教えてくれる。
「あと少しかな。なかなかアガる追いかけっこだ。どんどん行くよ!!」
火山が噴火するように、シャニーから膨らんだ青焔が衝撃をまとってあたりを揺らす。
燃やせば燃やすほど馴染むセチの魔力で、体が羽のように軽い。全身のバネひとつひとつに感覚がみなぎり、今なら山さえ飛び越えられそうだ。
「なんなの、あの小娘は?! 次こそは──」
仕切り直しに成功したテレーザは、シャニーの背後を取っていた。その目は裂けそうなほど見開いており、魔道書を握りしめる指先がギリギリ爪を立てた。
これでもかと召喚した雷撃を、シャニー目がけて振り下ろそうとしていた手が、糸で引かれるようにビンと止まってしまった。
「お待ちかねだぜっと!」
その背後から、ふいに戦神の大剣がうなりを上げていたのだ。
ディークの不意打ちから小ワープで辛くも逃げたテレーザだったが、そこを待っていたようにルシャナが空から突っ込んできた。
槍がかすり地を転がったテレーザは、そのまま再び小ワープで距離を取る。
「くっ、なぜ貴方がここに!?」
「
「くっ、下劣な傭兵風情が!」
まだまだ魔力は十分らしい。
捨て台詞を残し凝りもせず転移したテレーザを、ディークはルシャナに目配せして包囲の準備を始めている。
その二人の間を、なぎ倒された芝が色を変えるほどの烈風が突き破っていった。
「さあさあ、もっと楽しませてよ? 転移魔法って言うのも、その程度だったのかな?」
「くう?!」
新しいおもちゃを手に入れた子供のように爛々とする目。太刀を片手に、シャニーはテレーザを執拗に追い回している。千の疾風を浴びせては、逃げるテレーザへずんずん突っ込むの繰り返し。
その口元は花が咲くように爽やかで、とても戦場にいるとは思えないほど。今にも無邪気な笑い声をあげそうだ。
「おい、なんかあいつ、キャラ違わねえか?」
「剣持つと性格変わるから、あいつ。……でも、確かにいつもとなんか違うような」
ディークやルシャナも違和感に顔を見合わせ始めた。
もはや3人で囲い込むまでもない。シャニーひとりでテレーザを追い込んでおり、雷はぱったり止んでいた。光速のチェイスタグを繰り広げる二人は、どんどん孤児院から離れていく。
「なっ──?!」
テレーザが言葉にならない声をあげて固まる。
ついに流れを読んで先回りしたシャニーが、転移先で構えていたのだ。
彼女はニコニコと〝鬼〟にタッチすると、後ろに飛び退き太刀を霞に構えた。
「追いかけっこも飽きちゃった。そろそろ真っ向勝負と行こうよ! これだけ離れてれば、全力……出せるよね?」
「な……」
「庶民は襲わない。あなたの流儀、しっかり見せてもらったよ」
シャニーは勘づいていた。孤児院はたまたま無事だったのではない。テレーザは敢えて狙わなかったのだと。
狙おうと思えば、もっと雷撃を放つタイミングはあったはずに違いない。出来なかったのだ。制御できないほどの破壊力が、孤児院に及ぶのを恐れて。
呆然としていたテレーザは「貴女は本当に……いえ」とだけこぼすと、その先を噛み砕くようにギリっと牙を剥いた。
手を広げ、召喚した無数の剣で空が紫紺に輝き膨れあがる。
「このイリアくんだりの小娘が! 消し飛びなさい!」
号令と共に、雪崩のごとく空が崩れてゆっくり動き出す。
紫の空はまたたく間に砕け、みるみる速度を上げはじめた剣は、吸い込まれるようにシャニーへと集まりその瞳を紫に染めていく。
それでも一切たじろぐことなく、構えを作り直した彼女の視線は、テレーザを一直線に見据えて放さない。
「ふふっ、隙だらけだ……ッ」
衝撃波に芝が吹き飛ぶ。クレーターを残して飛び出したシャニーは、地を滑り降り注ぐ剣の嵐へ突っ込んだ。青の流星が、辺りを侵食する紫電を突き破るようにテレーザへ迫る。
まるで避ける素振りもないのに、一本たりともかすりさえしない。雷剣はシャニーに触れた途端、渦を上げる風のエーギルの前に残らず跳ね飛ばされていたのだ。
「ウソッ、何なのですの?! この化け物!」
出力を上げようとも、迫る流星はますます軌跡を鋭くするばかり。
渾身の魔力を跳ね除けられ、目の前まで迫られたテレーザは悲鳴をあげるしかなかった。
「弍の型、ジリオン・ミーティア!」
星のまたたきにも似た、縦横無尽に駆け抜ける風はかまいたちとなり、陽に映える刀身の煌めきにテレーザの姿が包まれていく。
しばらく続いた流星の乱舞の末、彼女の背後に姿を現したシャニーが太刀を払う。直後、止まっていた時が動き出すかのように、旋風に弾きだされたテレーザは吹き飛んだ。
「がっ……は。なぜですの? このわたくしが」
「勝負ありだね。話を聞かせてもらうよ」
膝をつく彼女のもとまで戻ったシャニーは、テレーザの鼻先に鋒をずいと向ける。
周りの略奪団員たちもリーダーの敗北を悟ったか、武器を構えるものは誰もいない。膝から崩れて泣き出すものまでいる。
「従兄弟の不始末は同情するが、手癖はてめえの身から出た錆だ。んな金で家の復権なんざできるわけねえだろ」
彼らの反応が、ディークの言葉でなんとなく繋がった。おそらく、彼らはテレーザに仕えていた騎士たちなのだろう。
がっくりうなだれたテレーザは、やつれきった掠れ声で笑い出した。
「ふふふ……これでシュヴァルツァー家も終わりよ。……殺してちょうだい」
「今回の略奪は擁護しようもないけど……無益な殺生はできないよ。それより、ひとつ教えてよ」
家の復興を目指して、こんなことをしていたと言うことなのか。
もちろん、だからと言って決して許せるはずもないが、どうにも引っかかる。それは戦う前より、一層強い違和感を膨らませて聞かずにはおれなかった。
「ここらで繰り返されたウラの人間の殺害、本当にあなたなの?」
律儀に決闘を申し込み、庶民には手を出さない。それが、敗北と引き換えであっても。
悪人なりに筋を通しているこの女性が、あんな暗殺のような猟奇的な殺しができるだろうか。花を飾ったり、ベッドを用意したり……とても繋がらないのだ。
「ハッ……」
まるで何かトリガーを引いたようだった。
それまで悲壮に暮れていたテレーザの肩が揺れ、錆びた歯車が動き出すように掠れた声が漏れたと思うと「ハハハ──ッ!」空を裂くようにいきなり哄笑しはじめたではないか。
「何を言い出すかと思えば! 我が同胞をやったのはあなた方ではないの?!」
彼女はシャニーを指が反り上がるくらい指しながら、怒声をあげ始めた。まるで落雷にも似た金切り声は、耳が千切れてしまいそうだ。
溜まりに溜まった怒雷はそれでも足りず、テレーザの指先はシャニーを外れて空を指す。
「そこの魔道士が、わたくしの部下を焼き殺したんじゃないの?!」
「いけねえ! 避けろッレン!!」
勘づいたディークがとっさに叫ぶ。レンの頭上から、紫電の剣が見下ろしていた。
──ッ!
鋭く高い音が響く。緊張に凍りつく場の空気さえ払う一閃が、蝕みかけた最悪を斬り払った。
「勝負がついてからするなんて、……汚いじゃないか?」
「ヒッ……」
かざした太刀にいつ力を込めてもおかしくない。冷たく見据えるシャニーの眼光が、テレーザを背後から貫く。
首筋に太刀を当てられたテレーザは言葉を失い、その手に握られていた魔道書が、音もなく真っ二つに崩れ落ちた。
「これであなたはナシだ」
処遇を宣告したシャニーは、刀を退き一つ払って鞘に収める。とたん、凍りついたように動かなかったテレーザは、糸が切れるようにその場にぺたんとして手を突いた。
「オスティアに連行しよう。きっちり取り調べてもらわないとね」
シャニーはルシャナたちと手分けして、テレーザを後ろ手に縛って拘束を始める。それでも、彼女の部下たちは剣や槍を地に刺し、一切反抗を仕掛ける気配も見せなかった。
唇を噛み締めるように凛とした顔で主人のもとに集まる姿は、堕ちても大国の騎士の誇りを最後に示すよう。
なんだろう。終わったはずなのに、虚しさで胸が苦しい。
それでも、シャニーは彼らに背を向けて、ひとりひとりを勝利の笑みで労った。
「ありがとうディークさん。たくさん調べてくれてたんだね」
「礼はいらねえよ。いい賞金首だったから調べただけだしな」
よく知るキリッとした顔は、仕事人らしくて寄りかかりたくなる強さがある。
ところが、その顔はすぐホクホクしはじめたではないか。さっきの顔は夢だったのかと錯覚するほど。
「さぁて。契約外に出張費と、いくら弾んでもらえるかねえ」
「ディークさん……また悪い人みたいな顔してるよ」
「あぁん? ちゃんと料金体系含めてサインしてんだ。当然の話だろ」
目もと口もと、ふんだくってやろうと皮算用にニヤつく姿は、せっかくの勇ましいリーダー像をぶち壊してくれる。
「オジサン、顔だけで食べていけそうだよね」
ルシャナの言うとおりだ。
たしかに契約かもしれないけれど、この顔で凄まれたら勝てる人間などそうはいないだろう。
「どう言う意味だ! あとオジサンはやめろっつの!」
ディークはそう言って全面否定しているが、皆笑って背中を押す。孤児院へ戻る勝利の道すがら、女子4人は散々にディークをおもちゃにするのだった。
鬱陶しそうに歯をギリギリしながらも、どこか嬉しそうな彼の横顔をシャニーはずっと見上げていた。