フェレへと戻るのは実に1ヶ月ぶり。何から報告しようかと巡らせる彼女だったが……。
誰もいなくなった事務所は、いくら狭くても一人では持て余す。
オスティアでの調査を行った日。そのままリキア連絡所に滞在したシャニーは、空を真っ白に染める朝日に目を覚ました。
霞む目を細めて窓の外を眺めたあと、室内を見渡してふと寂しさが胸を揺する。
板のように差し込む朝日に埃が浮かんでおり、それ以外に動くものはない。音もなく、きんと静寂が真っ暗な稽古場の奥まで続いていた。
「1人って……久しぶりだな」
今日はオスティアを始発として、ディークと共にフェレまで飛んでロイに報告するつもりだ。
朝稽古を終えても、まだディークとの待ち合わせまでかなり時間がある。
「よっし……。ここはいっちょ、フンパツしますか!」
事務所の仕事を適当に済ませたシャニーは、オスティアの街へと飛び出していった。
◆◆
陽もすっかり昇り、最初のおやつが恋しくなる時間。
シャニーはディークの事務所のドアを叩いていた。とは言っても、同じ旧市街に事務所を構える彼の元へは、徒歩で5、6分くらいのご近所さんなのだが。
「ディークさん! おまたせ!」
ドアが開き、ディークが顔を出す瞬間を見計らってシャニーはくるりと一回転して見せた。黄色のワンピースがふわりと風に咲き、腰のリボンが踊る。
作戦どおりに、ディークが目を見張っているのを見つけたシャニーは、白い歯を見せしてやったりと笑う。
「なんだ、おめかしてるじゃねーか」
「えへへ、ありがと。似合う?」
もう一度リボンを風に靡かせるように回ってみせてみた。
白と悩んだ末、いつも軍服が白だから違う色にしてみたが、ディークは何と言うだろう。
ロイに見せる前に意見を聞いてみたい……その思惑はあっさり失敗した。
「馬子にも衣装だな」
「ぶー! ひどい!」
「なんだ、ちゃんと覚えてたか。エライな」
「……」
からかわれた挙句、追い討ちまで喰らってさすがに目に火が入る。口をこれ以上ないくらい尖らせ、目に力を込めてディークを睨んでやった。
なんだか……この光景、既視感がある。そうだ、見習い時代にも同じように言われたことがあった。
ただ違うのは、あの時は褒め言葉だと思っていたくらいか。
(ワードに自慢したらバカ笑いされたんだっけ……。ううう! ムカつくぅ!!)
喧嘩仲間を思い出したらますますメラメラ来た。さぞ怖い顔になっているに違いない。
ディークも懲りたのか、ふっと笑うと肩をポンポンしてきた。許せと言ったつもりだろうか。
そこで何も言わなければ許してあげたのだが、どうして彼はわざわざ火をつけてくれるのか。
「ロイにもらったのか?」
「ちがいますぅー。自分のお給金貯めて買ったんだい!」
ここに来る前に、ちょっとしたおしゃれなブティックに行ってかなり頑張ってきたのだ。
給金や追加報酬はほとんどイリアに仕送りしてしまうから、オシャレは天馬から飛び降りるくらいの覚悟がいると言うのに。
「もう、みんな失礼しちゃう! なんでもロイに集ってると思ってさ。あたしそんな悪女じゃないもん!」
ロイにあれこれプレゼントしてもらっているのは否定しない。
ロケットに、ピアスに、服に時計までも。……あらためて並べてみると、たしかに全身ロイからもらったものを纏っているかもしれない。
それでも、ちゃんと稼いだ給金で頑張っているとディークには知って欲しかった。誤解されるのはロイにだって悪い。
ところが、ディークはわざとらしい疑り声で見下ろしてくるではないか。
「へえ? いつもロイに高級スイーツを買ってきてもらってるとか、ミリアが言ってたがな」
(あ・い・つ・めぇ〜〜ッ)
ニシニシ笑うミリアの顔が浮かぶ。彼女だってそのおこぼれにあやかっているクセに。これだから噂好きは。
「あ、あれは! オスティアに行ったついでに買ってくれるって言うから。そ、その、ほら! 限定20個激レアスイーツだし!」
「……今のうちに白状しとくか? 悪女さんよ」
「悪女じゃないもん! というか! そんなの7月が最後だよ!」
ディークの生暖かい目線が見下ろしてくる。たまらず両手で彼の腰を押し飛ばした。
せっかくロイが買ってきてくれると言うのに、断るなんて悪いではないか。なにより、2人っきりの時間を作るチャンスなわけだ。逃す手は無い。
ディークも分かってくれたのか、その目から薄ら笑いが消えたものの、違うところで引っかかったらしい。
「7月っつーと、俺も集められたあの場か?」
「そうだね……まるまる1ヶ月……だね」
「なんだ、そんなに会えてねえのか」
頭では分かっていたはずが、いざ聞かれると心が引き裂かれるように胸が熱くなってきた。まるでそのまま、ロイとの距離まで引き離されそうな。
「うん……。だからさ! 早く行こ!」
でも、それも今日で終わり。シャニーはディークを乗せて空へと翔けあがった。
ロイはまっさらなワンピースを喜んでくれるだろうか。まず何を喋ろう……フェレへの道すがら、そんなことばかりが浮かぶ。
目前に城が見えたとき、道中どんなルートで来たか記憶がないくらいだった。
◆◆
天馬が城に吸い込まれてから数時間後、静かに本館の扉が開いた。
爽やかな声が響くでもなく、聞こえて来たのは顔を出すマリナスに別れの挨拶をするディークの声だけ。
シャニーは火が消えた暖炉のように、とぼとぼ寂しそうに歩いていく。
「シャニー、お互い残念だったな」
後から追いついたディークが声をかけても、振り返ったシャニーは深いため息をつくばかり。
「ディークさんはいいじゃん。ちゃんと成果報告できたんだし」
自分はともかく、ディークは残念どころかしめしめと言ったところだろう。口には出さなくとも、散々ふんだくってホクホクしているのは口調で分かる。
「あのジジイ、財布の紐が固すぎんだよな」
「よく言うよ。凄んで目いっぱい引き出してたくせに」
ロイがいないことを良いことにやりたい放題。最初はガミガミやって対抗していたマリナスも、ディークに凄まれた途端、「ひぃっ?!」と悲鳴をあげたら後は言われるまま。
最初こそ当たりの強かったマリナスも、最近はかなり柔らかい。ガミガミこそ相変わらずでも、お菓子を差し入れるとぶつくさ言いつつ、笑ってお喋りするツンデレじいさんになった。
どこか姉に似る彼がディークに脅されるのは、見ていて可哀想なくらいだった。
「ハッ、おまえも生見ていい勉強になったろ?」
「ならないよ!!」
「あん? そんなお人よしじゃ、傭兵なんざやってけねえぞ? 今度はおまえに交渉させるとすっか」
「ヤダ! ムリだよぉ!」
「為せば成る。何事もってな」
「あたしは謙虚な騎士を目指すの!」
こんなか弱い乙女に、なんてことを仕込もうとしているのだろう。シャニーは首が吹き飛んでいきそうなくらい、ぶんぶんやって突っぱねた。
当たり前みたいに言うが、ディークのようにできる人の方が珍しいに決まっている。
おまけに、彼はまたマリナスをターゲットにしているようだが、彼が交渉の席にいては困るのだ。
「はぁ、せめて声だけでも聞きたいなあ……」
丸まった背中に絞られるように、どうしてもため息が出てしまう。
今日だって、本当はロイの顔を見て成果を報告しようと飛んできたのに。せっかく新調した服も、これでは台無しだ。
まさか、入れ違いでロイがオスティアに向かってしまったとは。
「なら、今からオスティアに行くか?」
「ううん。ロイも忙しいんだし、邪魔しちゃダメだよ」
ディークは「ちょっとくらいいいだろ」と背中を押してくれる。
逢いたい。たった5分かもしれないけれど、少しでも顔を見たいし、声だって聞きたい。
それでも自分に言い聞かせた。今はお互いに頑張るとき。今度会えるときまで、目いっぱい楽しみをとっておこうと。
シャニーは決意をグッと握った拳に込めると、自分への新たなご褒美を目指して目に火を灯した。
「かわりにディークさん! 今日は整うのに付き合って!」
「あん? まあ……しょうがねえか」
手をぐいぐい引っ張られ、要領を得ないままディークは天馬に乗せられるのだった。