見えない敵が次々切るカードに、シャニーは青褪めるばかり。
こんな場所にベルン女王が来るなど、あり得ない話だ。ルゥを通じて断りを入れるしかないのだが……。
真夏の真っ青だ青空にも、少しだけ優しさと共に寂しさが混じり始める9月の空。その空に翔ける天馬が、風を楽しむことなく一直線に引き裂いていく。
馬上にいるシャニーの顔を染める青は重い。
「どうして? どうしてこんなことに」
オスティアからの帰路は、普段なら大好きなスイーツの余韻に浸りながら、鼻唄がコントレイルに混じる軽快な時間だ。
しかし、今日の彼女の目は震えていた。その視線は腰カバンを見下ろし、それを確かめるように手を添えて思わずこぼした。
「なんで……、──あたしを?」
◆◆
ジオラマのように遠くに小さく見えていた孤児院は、あっという間に輪郭をくっきりさせる。
戻ってきて一番に見えたのがディークで助かった。特にどうなるわけでも無くとも、天馬から飛び降りて真っ先に駆け寄っていく。
「よぉ、ロイとは久しぶりにいろいろ喋れたか?」
孤児院ののんびりした空気をあってか、ディークの声は日差しを吸い込むように優しい。目が合うなり、彼はいつもと同じことを聞いて弄ろうとしてくる。オスティアに仮にロイがいたとしても、仕事の邪魔をしにいくわけ無いのは分かっているだろうに。
そんな穏やかな空気を、シャニーの余裕のない金切り声にも似た早口が引き裂いた。
「そんなわけないよ! ディークさん、みんなを集めて!」
狼狽をありあり見せながら手を取って懇願する様子に、ディークの眼差しはみるみる戦神のそれと変わっていった。
◆◆
「なんだと? また殺しが起きただと?」
木の香りが優しく包む穏やかな院長室に、苛立ちを含みながらも冷静なディークの太い声が走る。
部屋には一気に緊張感が張り詰め、喉が張り付くようだ。それでもシャニーはごくりと一息して、はっきりした声で危機を知らせた。
「うん。あの手口、間違いない。例の連続殺人犯だよ」
CIDから呼びだしを受けた時点で、嫌な予感はあった。
その詰所で事件を知らされても、半分は信じられない気持ちだった。とは言え、残りは確信だったわけで、信じたくないだけだったのかもしれない。
そんな思いも、遺体安置室に連れて行かれて打ち砕かれた。またしても、被害者は見るも無残に表情さえ分からない状態だったのだ。
「ちょ、ちょっと待って欲しいっス! この前犯人は捕まえたはずじゃ」
ミリアが舌を噛みながら、まとまらない気持ちのままに答えを求めてくる。仲間達が狼狽えるのも無理はない。頑張って事件は解決させたはずだったのだから。
その中でも、ディークは舌打ちするだけだった。
「これで的中しちまったわけだ。悪い方にな」
腕組みしながら横目に向けた彼の視線は、まっすぐシャニーを捉えている。彼女もまた、唇をギュッと噛みながらも静かに頷いた。
嫌な予感が当たらないように……その儚い願いが砕け散った顔は、俯いたままどこを見るでも無く見下ろす。
「2人とも気づいていたわけ?」
話についていけない周りの気持ちを代弁するように、ルシャナが2人へ交互に視線を送る。
新聞にも取り上げられた案件だ。誰もが解決したものと思っていたに違いない。
どうやって切り出そうかシャニーが悩んでいると、ディークが注目を集めるように、軽く手でジェスチャーしてみせた。
「考えてみろ。追ってる奴は相手を黒焦げにしてんだぜ?」
そうだろ? とでも言いたげに、再びディークがシャニーをチラッと一瞥する。
そうだ。それこそが、ずっと引っかかってきたモヤモヤに他ならない。自身が抱き続けてた違和感の答え合わせをするように、彼女は頷きながら仲間たちをぐるりと見渡した。
「うん。テレーザには、〝人の心〟があった」
テレーザは、興奮作用のある毒を摂取していたことが前回の調査で分かっている。それでもなお、彼女は孤児院へむけては決して魔法を放とうとしなかったのだ。
律儀に宣戦布告を仕掛け、戦う相手以外には牙をむかないその心は、殺める事そのものを楽しんでいたわけで無いのは疑いようもない。
「それで、あのとき聞いてたんスか? 犯人はお前かって」
ようやく合点がいったようで、ミリアがポンと手を叩いている。
戦っている時からシャニーは喉に小骨が引っかかるような違和感を抱いていたが、ミリアが聞いてきたその場面で、違和感は確信へと変わっていたのだった。
「そのとき、奴は決定的なことを言っていた。レン、心当たりあるだろ」
ディークが気づかないはずが無いか。
同じことに言おうとしていたシャニーは、言葉を飲み込んでレンに視線を移す。
彼女は眉を下げたまましばらく黙っていた。左右する視線が観念しても、元から小さい声は、理由を探そうとしてかどんどん尻すぼみになっていく。
「あの人……私をいきなり攻撃してきた」
「あたしたち、お互いを犯人だと思ってたんだ。テレーザは仲間の敵討ちに来たみたい」
シャニーの中ではそう確信していた。それならすべてに辻褄が合うのだ。
宣戦布告して来たことも、レンを狙ったことも。いや、もっと前。配下が孤児院にちょっかいをかけてに来た時、レンのサンダーに腰を抜かして逃げていったのも。
お互いが、互いの雷撃を殺人鬼のそれと勘違いしていたとしたら……。その仮説を裏付けるように、略奪団員たちは取り調べでテレーザを慕う内容を供述しているらしい。
そうでなくとも、主が降参するや、武器を捨てて命運を共にしようとした騎士たちだ。テレーザが殺人鬼なら、彼らは逃げ出したに違いない。
「それでも一週間空いたから、ただの狂言かとも思ったんだがな……」
ディークも分かっているだろうに。それはある意味、そうなって欲しいと最後まで片隅にとっておいた希望だったのだろう。
事件は何も解決していない──それを突きつける決定的な証拠を一瞥したディークは、スイッチを入れるかのように声に重みを取り戻す。
「で、そいつが次の宣戦布告か?」
彼はシャニーが指の間に挟んでいるカードを見下ろして急かす。
シャニーは強張った顔で、カードに記された一文字一文字を目に焼き付けるように見つめる。
何度読んでもいまだに信じられず、最後まで読み終えて瞳を震わせた彼女は、皆に見えるようにテーブルに置いた。
──今度こそ、貴女を永遠に私のものにさせていただきます。風の契約者シャニー様
「うへっ、趣味悪いっスね……」
皆が周りを覗き込み、真っ先に嫌悪を口にしたミリアが輪から跳ねるように飛び出した。
書き口もそうだが、まるで血で書いたように赤黒く垂れ、ところどころ掠れる文字はイタズラとは思えない。触ってはいけない人間の仕業だと、本能が体を震わせてくるのだ。
「ま、あの気色悪い臭いの正体ってのは間違いないな」
こうした話は慣れているのか、ディークだけはカードを手に取ってマジマジ見ながら冷静に分析していた。
同じ違和感を掴んでいたシャニーのほうは、顔を蒼くして表情が剥がれ落ちている。
気が気では無かった。名指しされただけでも恐ろしいことだが、今回はそれだけで済まない気がしていたのだ。
「ちょっと待ってよ。ぜんぜん繋がらないんだけど。私たちが追ってるのは無差別殺人犯だよね」
「え。で、テレーザがその犯人じゃ無かったってことッスよね? なぁ、レン」
「ん。……かな?」
周りの反応を見渡しながら、ルシャナが困惑に眉をひそめている。
ミリアとレンも顔を見合わせるが、彼女たちはルシャナが何に戸惑っているのか分かっていないらしい。
ルシャナはディークの横まで小走りすると、彼が持つカードを指さした。
「いや、そうじゃなくて。無差別じゃないってことなの?」
「ああ。この感じだと、最初からシャニーを狙ってたような書き口だな」
今までの犯人像とまるで違う行動に、誰もが戸惑いの視線をシャニーへ送っている。
今度こそと書いてあることからも、何かしらの因縁がうかがえるはずが、当のシャニーは唇をぎゅっと噛んだまま。指を下唇に引っかけたままピクリとも動かない。
遂にしびれを切らしたか、ディークが呼んだ。
「おい、シャニー。おまえ心当たりねえのか?」
名指しで、しかも知り合いなどフェレの周辺以外にいるはずもないリキアで。さらに、命を積極的に狙ってくるような敵対関係の人間……それだけでは、まるで思い当たるものはない。
それでも、こう考えれば一気に選択肢は増える。──もし、イリアから追ってきたとするならば……。
「……あるにはあるよ。ここはリキアだし……、そんはなずないって、端から……考えてもなかったけど」
シャニーの中には三つの顔が浮かんでいた。
ひとりは流れを揺らがせるような波動は無く、ひとりは猛烈な悪魔だが、それは雷ではない。
途切れ途切れに口にしながら考えを整理していくと、必然的にあの魔人の顔が残った。
今までどうして思いつかなかったのか、自分でも不思議なほどの、自分が知る中で最も狂人的な男が。
「ま、まさか、シャニー。あいつ……なの」
シャニーが零した恐怖の欠片がルシャナの記憶の鏡を突き破ったらしく、一気に彼女の顔が蒼褪め始める。
思わぬ反応だったのか、ディークが目を一瞬点にした。
「なんだ、お前さんも何か知ってるのか」
「去年の今頃、正体不明の魔術師から襲撃を受けたんです」
忘れもしない。目を閉じてあの時を思い出すだけで喉が渇き、震えが止まらなくなる。それこそ、目隠しされたまま、電撃魔法特有のあの重く耳を麻痺させるような音を聞かされるように。
真っ暗なはずの視界を白く塗りつぶしたのは、あの男が放った紫電の雷光だ。
「凄まじい電撃魔法だった。木に穴が空いて灰になるくらい……」
堪らず目を開けてシャニーはそこまで口にするので精いっぱいだった。
あともう少し、もう少しでも反応が遅れていれば、今頃ここに居なかった。そう思うと、ますます身震いが止まらない。
あんな恐ろしい魔人が、直接その指先をこちらに向けているのだ。姿の見えない今も、どこかから、ずっと。
「おいおい……まさにそいつじゃねえか」
「襲撃の意図が分からなかったし、その後は音沙汰なしだったから」
ディークは呆れたように言って顔を手で覆ってしまっている。連続殺人が拡大する前から、シャニーは犯人を知っていたことになるわけだから当然かもしれない。
とは言え、リキアでの事件をあの魔術師と結び付けろとか無理があるだろう。それもあって、シャニーにとっては今でも信じられない気持ちも強かった。
「狙いがおまえとすれば、ますます殺しの動機が分からねえけどな」
ディークの言うとおりだ。それはシャニーだって知りたいことだった。
一年経った今、このタイミングで何故また襲ってくるのか、まるで分からないではないか。
付け加えれば、狙いがシャニーであるはずなのに、なぜ直接狙わず無関係な者ばかりを襲ってきたのか。それに対して、納得できる答えを掴めなかったのだ。
それでも無理やりシャニーは頭を絞り、ついに思い当ってしまった。
「も、もしかして、あたしを探して?」
「にしちゃあ、効率が悪すぎだろ。第一、もう居場所は特定されてる……そうは思わねえか? シャニー」
恐怖。それは、内からおぞましい何かが無数に這い出てくるような、今にも飛び出してしまいたくなるような恐怖だった。
だが、言い終わりもしないうちにディークが遮るように否定してきた。
彼の言う通りの部分もある。わざわざおびき寄せるような真似をしなくとも、あの黒い眼差しはずっと何処かから孤児院を見ていた。
まさかあれが、孤児院ではなく自分を見ていたとは。得も言われぬ恐怖に悪寒が走り、浅くなる呼吸を抑えようと口元を隠す。
このままでは良くない。自分を狙っているとすれば、ここに居ては……。
「妙なことを考えるな。それに応じておまえが出ていきゃ、てめえから罠にハマりにいくようなもんだ」
「……」
ふいに、頭上にポンと乗る大きくて強い手。
まるで考えを読まれたように、傾きかけていた思考を引っ張り戻された。
彼の言う通りなのは疑いようもない。もし、無差別でないなら、まさにそれを狙っているに違いないのだから。
それでも、どうにかしなければ。考えを巡らそうとすると、また先を越されてしまった。
「急ぐが、焦らずに、だぜ」
「うん……」
1人で悩んでも仕方ないことは分かっていても、どうしても応を返す声にブレーキがかかる。
とにかく、敵が襲ってくるまでに策を練らなければならないのは変わらない。
目の前に集中しようと頭を整理しかけた時だった。バダバタと廊下をかける音は子供のそれではない。
「みんな! 大変だよ! また、また……」
扉を押し開け、はあはあと整わない息のまま叫ぶルゥに、シャニーは凍りついていた。
身動きを取れない間に、どんどん犠牲者が増えていく。まるで心の中に毒が湧き上がり、侵食していくように腹が熱い。
「チィ、言ってる傍からかよ!」
ディークだけが舌打ちを残して駆け出し、部屋を飛び出していく。
まるで気持ちに整理がつかないまま、シャニーも彼の背中を追うのだった。
◆◆◆
「けっ、ここまで酷くやる必要があんのかよ」
苛立ちを含んだディークの声が、風吹き抜ける終わりかけの夏空に流れていく。
今回は事件が起きて間もない発見だったらしく、シャニーたちは事件現場に直行していた。
周りには何もない。舗装などされていない、人の往来で削れた場所が道だと教えてくれるだけ。群生する背の低い草が、風にそよぐ音だけが時を進める場所であり、田舎を超えてもはや人里でさえない。
今回も被害者は山賊らしく、近くには斧が突き刺さっている。かなり抵抗したのか、傷だらけの斧は煤で真っ黒だ。
その所有者は……シャニーは視線を合わせるや、バネの壊れたシャッターが落ちるように目を瞑った。
「許せない……ッ。これ以上は……何としても止めなきゃ」
それでも、現実からは逃げられない。
もはや、男か女かすら判断がつかないくらい黒焦げの被害者に祈りを捧げながら、シャニーは決意を口にした。
どんな人だった分からないが、突き刺さる斧はかなりカスタマイズされており、戦闘の素人で無かったのは明らかだ。
そんな手練でさえ、ここまで黒焦げにするほどの魔力……やはり……そのとき、シャニーは妙な違和感が走り、被害者を覗き込んだ。
「どうした? シャニー」
背後からの声に振り向くと、ディークが歩いてくる。
「なんか、前と少し違うような。今回は雷じゃなくて、本物の……火?」
今までの事件では、黒焦げなのは被害者だけと言ってもいいくらい魔法の範囲は狭かった。
それが今回はどうだ。まるで高い場所からシャワーを浴びるにも似て、あたり一面に亘って燃えてしまっているのだ。それこそ、ここで野焼きでもしたかのように。
最後まで聞いたディークは、答え合わせでもしていたかのように頷いた。
「それだけじゃねえな。どうにもおかしい。くたばってから焼かれたんじゃねえか? これは」
「え?!」
まるで気づいていなかった大きな違いに思わず声を上げたら、ディークは仰向けに倒れる被害者の背に手を差し込んだ。
「黒焦げは表だけだ。動かなくなってから、あるいは動けない状態でやられたってことだろ」
背中には着ていたであろう赤いTシャツと思しき布が張り付いていた。汗染みまでくっきり残っているあたり、一切火気に触れていないのだろう。
その事実は外せない大事な情報に違いないが、シャニーには直視できずに反射的に顔を背けてしまった。
「な、なんて酷い……」
吹き飛んだ視界の先には、黒く煤けた巨大な戦斧がある。
何度見ても巨大で、被害者はこれを片手で振り回していたというのが信じられない。
まじまじ見下ろし、地に突き刺さる刃の部分まで視界に移ったとき、「あれ?」と思わず声が出た。
駆け寄って屈み込み、手を伸ばす。
「ディークさん、こっ、これ……もしかしなくても……」
斧の刃についた何かを拾う。
何か……なんてぼやかす必要は無いかもしれないが、あまりに信じられなかったのだ。スコール前の雲のように、不安がもくもく膨れ上がってくる。
指先につまんで手のひらに乗せたそれを、ディークに見せたらさすがの彼も面食らったらしい。
「おいおい……コイツは。なんで
渡した欠片を見開いた目で見下ろしたディークから、毒気を抜かれたような乾いた声が漏れた。
彼がこんな反応だと、ますます不安が湧き上がって胃が焼けてしまいそうだ。もう、全て終わったと信じきっていたのに。
それでも、ディークがそうしていたのはわずかな間だった。
「さっきの件も含めて対策がいるな」
彼は腕組みしながら顎に手を添えたかと思うと、すぐに天馬騎士たちに目をやった。
「被害者は検死にかけてもらうか。どうにも腑に落ちねえ。おまえはルゥのほうを頼む!」
「ラジャ!」
彼は矢継ぎ早に指示を始めた。もはや誰が部隊長か分からないが、やはり経験の差は埋めようも無い。
手際の良さはまるで敵わないが、実は同じことを考えていたのだ。少しは彼の背を学べたのかもしれないと思うと、駆け出す足取りも力が入る。
「シャニー」
まるで読まれていたようだった。首輪を引っ張られるように、後ろからディークに呼ばれてしまったのだ。
つんのめったシャニーはそのまま跳ね出し、手足をバタバタさせてことなきを得る。
「な、なあに?」
「1人で背負い込んで、突っ走るんじゃねえぜ」
胸に矢でも突き刺さったような衝撃に頭がぐわんぐわんする。
無意識のうちにふっと笑いと共に肩から力が抜けてしまった。経験の差だけでは無い。まだまだ、学ぶべきところだらけだ。
ひとつ頷くと、シャニーは一路孤児院を目指す。
◆
悠長に着地を待っていられない。シャニーはまだ空にいる天馬から飛び降り、孤児院へと駆け込んで行った。
天馬も慣れっ子なのか、特に主人を追うでもなく芝生で日向ぼっこを始めている。
一方、子供達から「廊下を走っちゃダメ!」と叱られながらも、シャニーはバタバタ駆け抜けて院長室まで一直線。
彼を見つけるや、前置きもせず滝が落ちるように喋り出した。
「ねえ、ルゥくん。ルゥくんにしかどうしても頼めないことがあってさ」
「ほ、ホントなの?!」
現場で見てきたことや、新たに湧き上がった不安と差し迫る危機。それらをルゥに伝えると、彼も言葉を詰まらせた。
たくさんの子供たちを預かる彼なら、無理もないかもしれない。だからこそ、つまびらかに伝えたのだ。
「うん。それでね、ギネヴィア様には来てもらうのやめてもらったほうがいいかなって」
ギネヴィアでなくとも、今は誰も近づけたくは無い。
ただでさえ、相手は大国ベルンの女王であり、万が一も許されない相手だ。いくら本人はロイと協力して動乱に終止符を打った賢人とは言え、何かあれば周りが黙っていないだろう。
「分かったよ。
ルゥも心得ているらしく、彼は二つ返事で快諾してくれるのだった。
◆◆◆
──数日後
「って、ルゥくんは相談してくれたはずなんだよ?!」
院長室には、眉を下げながらも目で訴え、身振り手振りも交えて必死に弁解するシャニーの声がキンキンと響いていた。
どれだけ言っても、ディークの眉間に寄ったシワは変わらない。ついにはもういいと言わんばかりに手で顔を覆ってしまった。
「その返しがどうして、『おいしいお茶受けを持っていきますね』なんだよ?」
まさかそんな好意的な反応を求めて、ルゥにコンタクトをとってもらったわけでは無かった。
気を遣ったとギネヴィアに受け取られたのだろうか。延期をやんわり進言してもらったつもりだったのに。
ディークにどうしてと聞かれても、そんなのはシャニーが聞きたいくらいで、彼女は視線でルゥにヘルプを出す。
「それが、略奪団みたいなならず者がいるかもだから危ないって言ったら、『先の戦争に端を発するものだと思うから協力したい』って」
ルゥも嬉しいような、困ったような顔でお手上げといった素振りを見せている。
何も無い時なら、器の大きな女王だと感激するところでも、今滲んでくるのは悪い汗ばかり。
お忍びの訪問となれば兵数は限られるだろう。あまつさえ、ベルンの主力は竜騎士であり、魔法にはめっぽう弱いのだ。
「そうだとしても、ロイたちに通す話じゃねえのか?」
ディークは困惑した様子でルゥに確認したか聞いている。
リキア同盟との会合を終えてからの訪問とはいえ、リキア内での対応には変わらない。
もちろん、シャニーも同じことを考えたし、フェレに戻って相談しようともしていた。
「ロイ、今エトルリアのフォーラムに参加しに行ってるからいないと思うよ。ギネヴィア様と会合しに戻ってくる感じじゃないかな」
ところが間が悪いことに、フェレ城からまたしてもロイに会えずに帰る羽目になってしまったのだった。
一体これで何度目だろうか。
最近はあちこち飛び回っているらしい。城にいる方が珍しいと、守りを預かるランスに慰められはした。
それでも、手紙でもなんでも、何かしら欲しいと思ってしまうのはワガママなのだろうか。
「さすが詳しいじゃねえか」
「一応、カレシですから」
「ああ? なんだ? 一応って」
ちょっとトゲのある言葉になってしまったからか、ディークが露骨に渋い顔をして聞いてきた。
「ツーン! 拗ねてなんかいませんよーだ!」
「やれやれ、何のことだか」
堪らず気持ちのままを口走ったら、ディークは両手を広げて付き合いきれないと言いたげに返してきた。
なんだか、自分が自分で嫌になる。
気づいて欲しいからこんな言い方になったに決まっているのに、いざ気づいてもらったら聞いて欲しく無いなんて。
でも、これでかれこれ2ヶ月弱。顔も、声さえも。ロイの一切を感じられずに心はもうひび割れていた。
ただでさえ、あんな予告を突きつけられて……心細いのに。
「仕方ねえ。守りを固めておくぞ。ま、お土産でなんとかするしかねえ」
そんなことは言っていられないか。
そっぽをむいていた間に、ディークはぱっぱとあれこれ決めて動き出そうとしている。
戦況はこの瞬間も動き続けているのだ。出来る限り策を練り、少しでも早く動くことこそが大事だろう。敵がまるで底の読めない魔人なら、なおさらに。
そんなときにリーダーが何をしている──そう自身を戒めたシャニーは、仲間たちに部隊長の顔を向けた。
「ルシャナ、ミリアとレンを連れて当日はギネヴィア様をお守りして」
「あんたは?」
目をまんまるにしたルシャナが聞いてくるが、想定の範囲内だ。
「あたしは狙われてる。ギネヴィア様からは離れた方がいいかなって」
連続殺人犯の確保は、リキア同盟付きの騎士として任務を受けている。
だが、今は外国のV.I.Pを守り抜くことこそ、最優先の果たすべき役割となるだろう。
「ま、妥当なところか」
腕組みしていたディークは、さらっとした口調で賛同してくれた。
ディークさえギネヴィアの傍にいて、仲間を指揮してくれれば何とか凌げそう……そう考えを巡らせたときだった。
「ただし、独りはダメだ。俺がつく」
「え?! で、でも、ギネヴィア様が──」
まさかそう来るとは。経験豊富なディークだからこそ、ギネヴィアを任せられると言うのに。
加減もできずに飛び出した、ヘンに裏返った声のまま反論しようとしたら、すかさず口を塞がれてしまった。
「戦いは一人でするもんじゃねえ……そう、教えたはずだ」
「──ッ」
見習い時代でもかなり最初の頃。それこそ、まだロイたちフェレの人たちとディーク傭兵団しかメンバーがいなかった時期。
そんな時から言われ続けてきたことを、また言われてしまうとは。
もちろん、あのときと今では、そうしようとした理由は違う。だが、一人でするな──その意味からしたら、今の方がよほど駄目な戦い方かもしれない。
「それに、隊長が相手方にツラを出さねえのは失礼だろ?」
「……分かった。みんなを信じるよ」
「そういうことだ」
「ありがと、ディークさん」
「ハッ……分かりゃいい」
一人前になったつもりだった。むしろ、三人前になってやろうと考えていたはずなのに。
まだまだ、全然だ。頂どころか、スタートラインにさえ立てていないかもしれない。
ありがたい師と仲間の存在に、シャニーは感謝を伝えずにはおれず、今できる精いっぱいで顔に向日葵を咲かせてみせた。
その後、あらためてギネヴィアの守りと、真犯人の捕獲に向けた準備を皆で練るのだった。
そして、ついにその日は訪れる────