どうにも、ずっと嫌な〝流れ〟は漂い続け、黒い眼差しに背後から絡みつかれている気がしてならない。
そんな神経をとがらせている彼女たちをあざ笑うかのように、ショーは突然に、だが計画通り始まるのだった。
夕暮れ時。シャニーとディークは孤児院で一番高い場所──鐘つき台にいた。
ディークがのぞく双眼鏡は北へ続く道をじっと捉えている。その先には、夕焼けに溶けるように小さくなっていく馬車が見える。
「ふう、特に何もなく終わりそうだな」
まるで熱い風呂に浸かったかのように、ディークは大きく息を吐き出して緊張を解いた。
孤児院へのギネヴィア訪問は、警戒していた連続殺人犯の襲撃もなく、つつがなく終わったのだった。
「さすが女王様って感じだったな」
歴戦の戦神であっても、一国の女王を直接もてなしたことなど無かったのだろう。その口調は抑えようとしながらも、緊張から解放された喜びからかどこか上向いている。
「んー? そーだった〜?」
「あー……。おまえにとってはそうでもねえってか。まさか、女王相手にあんなことをするとはねえ……」
同じように双眼鏡を覗き込みながら、生返事のような気の抜けた返事をするシャニーに、ディークは頭をボサボサやって今度はため息を吐いた。
──4時間前
「あなた方がエレンのお友達なのですか?」
一目でエライ人なのだと分かって、シャニーは無意識のうちに背筋を伸ばして敬礼していた。
煌びやかな装飾をしていたからでは無い。ウェーブのかかった絹のような金髪を腰まで流し、優しいなで肩と合わさって何ともしなやかな印象を受ける。
それでいて、ベルンを象徴する真紅の服を纏う中で、エメラルドのように輝く瞳には強い意志が溢れ、とにかくオーラが違うのだ。
そこらの食堂や大衆浴場なんかでは絶対感じないオーラだ。
「いや、それはルゥだ。俺は坊主と契約している解決屋。こっちはリキア副同盟主付きの騎士だ」
そんなことを考えているうちに、ディークがさっさと話を進めていた。
彼は軽い自己紹介を済ませると、背中をトンと押して挨拶を促してくる。
「天馬騎士のシャニーって言います! お目にかかれて光栄です!」
緊張して少し声が上ずってしまった気もするが、なんだか夢のような瞬間だった。
もうこれだけでも、騎士を引退してもずっと自慢できそうなくらい名誉なことだ。ちっぽけな一傭兵に過ぎなかったはずが、まさか大陸の趨勢を握る巨大国家の女王の前に立って名乗るとは。
ところが、ギネヴィアにとってはそうでも無かったらしい。
「まあ、ではあなた方がロイ様の仰っていた『妖精』と『手負の虎』なのですね」
彼女は手を重ねながら目を煌めかせ、口元をわっと優しく広げて嬉しそうだ。
シャニーは思わずディークと顔を見合わせた。ロイが自分たちの名前を出していたとは。
面倒なことになったとでも言いたげに、ディークは口元を渋くしているが、シャニーにとっては気が気でなかった。
「え?! ロイは……ロイ様は、あたしのこと、なんて?」
「側に居てくれるだけで元気をくれる、太陽のような人だと。ふふ、お聞きしていた通りの爽やかな方でした」
なんだか、嬉しいような悲しいような。
ロイが周りにそうやって言ってくれるのは、照れてしまいながらも手を結びたくなるくらい気持ちが温かくなる。
一方で、側に居れない時間が長すぎて、支えている実感が薄れているのも確かだ。
とは言え、ギネヴィアは誉めてくれているのに変わりはない。
その眼差しは近くて、笑顔も姉のように優しい。意外にも近い距離感に、ついつい友達と話すようなトーンになってしまった。
「えへへ。嬉しいです。ありがとうございます」
そのまま、差し出されるまま握手までしてしまった。
随分とフランクな女王様に映った。いくらロイから話が行っているとは言え、一傭兵相手に握手までとは。
不思議な気持ちだ。相手は国の頂点にいるはずの人なのに、全く近寄り難いオーラがなく、むしろ引き込まれるよう。
いつしか雑談が弾んでしまい、女王と傭兵なんて垣根は、あっという間に吹き飛んでいた。
「ロイ様のお側にいられるなんて羨ましいです」
その中でふと、ギネヴィアが独り言のようにこぼした言葉が、妙に大きな声で頭に響いた。
「え……?」
「彼とお話していると時間を忘れてしまいます。引き込まれそうなほど、本当に凛々しい方で、もっとお話したかったのですけど……」
今度は妙に焦る自分がいた。
こんな賢者でさえもロイのことを慕っている。彼の優しさや逞しさからすれば、それは当たり前なのだろう。
それがふと、怖いと感じたのだ。
「ロイ様もなかなかお城にいないから……」
ギネヴィアに話を合わせると言うより、すぐにでも会いたい気持ちに言い聞かせるようになってしまった。
一瞬の間で、何とも言い難い空気になりかけたものの、シャニーはパンと手を合わせた。
「そうだ! ルゥくんのところにご案内しますね。孤児院の中もご紹介します!」
すっかり本題を忘れるところだ。せっかく皆で知恵を絞って用意した、大事なおもてなし。
孤児院のあちこちへ、ギネヴィアを連れて案内して回る。彼女の護衛も兼ねていて、シャニーの〝流れ〟の揺らぎやレンの魔力も駆使しながら
「ギネヴィア様! こちらへ!」
「あら……これは?」
シャニーが案内した部屋に入ったギネヴィアは、その場で立ち止まって驚いたような声を漏らしている。
中は綺麗に飾り付けられたテーブルが並んでおり、虹色のスイーツが花畑のように美しく咲き乱れる。
掴みはバッチリと言ったところか。顔を綻ばせる仲間たちと思わず頷きあい、シャニーはギネヴィアの反応を確かめつつ室内へと案内してみることにした。
「えへへ。せっかくお越しいただいたので、少しでもくつろいでいただきたいなって」
メインはルゥが対応することになっているが、ただ案内するだけでは面白くない。そう考えたとき、真っ先に閃いたのがスイーツだった。
何かと理由をつけてデリス・アプリコに通い詰めたおかげもあって、飾りつけも満足いくなかなかの自信作だ。
「あたしたちが作ったのも混じっているので、お口に合うか分からないですけど」
見た目はカンペキかもしれないが、申し訳ない思いも今更ながら込み上げてきて、シャニーは照れ混じりに鼻先を指で触りながら苦笑いするしかなかった。
女王が相手とあり、ある程度はデリス・アプリコの品で固めたつもりだ。とは言うものの、やはり個人の思いつきである以上、予算の天井は背伸びしなくともすぐ手が届いてしまう。
こんなところは妙に庶民的な空気も出てしまっているが、意外にもギネヴィアは嬉々としたはしゃぎ声ともとれる感嘆を漏らしている。
「嬉しいわ。リキアやイリアのお菓子……食べてみたかったの!」
彼女が真っ先に駆け寄ったのは、シャニーたちで自作したイリアの伝統的な菓子だった。
躊躇うこともなく手に取り、まじまじ見つめたり、香りを楽しんだりしている。香りがキーのあのお菓子の本質を一発で見抜くとは、やはりタダモノではなさそうだ。
「あっ、もしかしてスイーツお好きなんですか?」
「ええ。あなたも?」
スイーツを前にしたあの放り込みたくてたまらないと言った感じの綻ぶ顔。情熱にそのエメラルドが燃え上がりそうなほど興奮した目。そして初見のお菓子を的確に感じる審美眼……!
スイーツ好きとあらば、もうそこに垣根などない。あってはならない。スイーツと言う名の芸術は、老若男女、貴賎さえ問わない共通言語なのだ!
パチンと頭の中でスイッチが入った音がした。
「よくぞ聞いてくれました! スイーツはあたしの癒し、青春! いや、人生に欠かせない虹色の魔法です! 見習い修行の時も──」
リミッターが外れたガトリングのように、シャニーの口からスイーツ狂が炸裂して止まらなくなってしまった。
もはや女王を前にしていることさえ吹き飛んでいるのか、ネジのぶっ飛んだ彼女は友達と話すような口調になってしまっている。
もちろん、まわりにいた仲間たちの顔には戦慄が走っている。
「あちゃー……壊れちゃった」
「申し訳ありませんギネヴィア様ッ。すぐ連れ出しますので!」
嘆くミリアのお尻を叩き、シャニーを一緒に羽交締めにしたルシャナは、それでもなお火を噴くように喋り続けるシャニーを引きずっていく。
ところが、それを止めたのは他でもないギネヴィアだった。「いえ」と言葉自体は短くとも、それ以上に目の圧に押されルシャナは固まった。
「この選び方……センスを感じます」
手にしたお菓子をじっと見つめ、ギネヴィアは唸るようにこぼす。その目の輝きが、ただの珍品への興味ではないのは疑いようもない。
「私もお菓子には少々……一家言ありまして。このお茶会、ぜひ楽しみましょう!」
興奮を抑えられない様子でギネヴィアが皆に呼びかける中、周りはぽかんとしてしまっていた。
どうしてこうなったのか。現実に置いてきぼりにされ、烈風に巻き上げられた木の葉のように、スイーツ狂が放つ情熱に誰もが流されていく。
「そうこなくっちゃ! あたしが世界中で修行した審美眼だって負けませんから!」
その中で俄然ハイテンションにはしゃぐシャニーは、女王の隣を陣取って、終始温泉のごとくこんこんとスイーツ愛を語り合うのだった。
◆◆◆
「ったく。結局、女子会しに来たようなもんだぜ。仲良くなれて良かったな?」
若い女子だらけ、あまつさえV.I.Pまでいるなかでは、男一人は逃げ出したい気分だったのだろう。
夕焼けに消えた馬車を見届けつつ、ホッとしたようにディークがボヤキ半分に言いながらシャニーへ視線を送る。
だが、今度は生返事さえ無い。
体ごとシャニーのほうを向いた彼の目元が、ふいに厳しくなった。
「おいシャニー」
「えー?」
ようやく反応が返ってきたものの、相変わらず生返事ですらない。
彼女は双眼鏡に顔を突っ込み、必死に何かを探すようにじっと東の空を眺めている。
目を眇めたり、眉間にしわを寄せたり。どうにかして狙いを探し出そうとする姿に、ディークは呆れたように双眼鏡を取り上げた。
「そんな方ばっか見ても、ロイは見えねえだろ?」
グサっと心臓を撃ち抜かれたように、シャニーは体が跳ねてしまった。
「わっ、分かってるもん!」
反射的に尖った口から勢いに任せた怒り声が出てしまう自分がシャニーには恥ずかしかった。こんなの、ディークに図星ですと言っているようなものだ。
案の定、「どうだか」とあっさりあしらわれてしまった。
「ちぇっ。ディークさん、そーゆーところは勘が鋭いんだから」
「ハッ、おまえが単純なだけだ」
憎まれ口を叩き、口を尖らせてムスッとして見せても、ディークには涼しい顔であっさりあしらわれてしまった。
しばらくそうしていてもディークはまるで構ってくれず、黙々と警備を続けている。
シャニーは彼が持ったままの双眼鏡をちょいと取り上げると、顔をそれに押し付けた。
「ディークさーん、これどこに置いておけば良いのー?」
その時だ。遠くからディークを探して叫ぶ声が流れてきた。この声はルゥだ。踏ん張りながら話しているのか、どこか声が掠れ気味。
カチャカチャと金属が擦れる音もしてくる。この音は……武器、おそらく剣だ。
「おお、取りに行くぜ。少し待ってな」
待っていましたと言わんばかりに、喜色をあらわにした声で返すと、ディークは鐘つき台の縁に手をかけた。
「じゃあ、俺は少し向こうを見てくる。持ち場を離れるんじゃねえぜ」
「はーい」
ディークは返事を待つこともなく、そのまま飛び降りていった。
夕焼けにもだいぶ黎が混じり辺りはぼんやり暗い。孤児院の中に子供たちがすっかり入ってしまうと、静かで寂しいものだ。
ときおり遠くに聞こえてくるカラスの鳴き声や、子供達のガラス越しのようなはしゃぎ声が、独りの心を揺さぶる。
「……だって、心配なんだもん。ロイ、元気してるかな……」
誰がいるわけでも無いのに、そう口にせずにはいられなかった。
ディークに言ったところで何が返ってくるは明らかだし、その通りなのは疑いようも無い。それが分かっているくせに口にしたら、余計に寂しくなって胸が潰れてしまいそうだった。
気づけば、双眼鏡で覗く先はまた東の空になってしまっている。
顔をブンブン振って自分を叱りながら、南の空へ視界を移した、その時だった。
「──ッ?!」
吐き気を催すほどの〝流れ〟の揺らぎ。
ただ激しいだけではない。おぞましいほどの殺意と、背筋を凍らせる、この侵食してくるような黒い眼差し。
「い、今の感覚は?!」
間違いない。ずっと追い続けてきたあの男だ。
おまけに、今までとは違う。近い……もう背後に立っているのではないかと思うくらい、殺意が身体中を突き刺してくるのだ。
嫌でも、脳裏にこびりついた笑う仮面が浮かび上がってくる。たまらずあたりをせわしく見渡した。これだけ激しく揺さぶられては、もう〝流れ〟には頼りきれない。
「助けてー!!」
耳をつんざく高い声に振り向いたシャニーは思わず息を呑んだ。
子供が黒ずくめの男に連れ去られているではないか。
魔法だろうか。男は魔法陣に子供を拘束し、滑るように飛んでいく。まるで……わざと見せつけるように。
「いけない! くそっ、こんな時に!」
狙いがシャニーである以上、罠に決まっている。
シャニーはディークが消えた背後を一瞥してみるが、まだ彼は戻ってきていない。
僅かな間にも、もう男の姿は豆粒のようになっていて、紫紺に光る魔法陣だけが、夕焼けから逃れるように闇夜に揺らいでいる。
「くっ、今は待ってられない」
これしか、今は考えられなかった。
シャニーは鐘つき台を飛び降り、セチを開放すると風に乗って男の背中めがけて突っ込んでいく。
「セチ、この〝流れ〟は!」
「ああ、間違いないね。トォルだ。何してくるか分からない奴だから気をつけなよ」
今まで聞いたこともないような、低く落ち着き払った声でセチが真面目に返してきた。
その声は氷のように透き通りながら、下手に触れればそれだけで斬れてしまいそうで、シャニーの目はみるみるハヤブサのように鋭くなった。
距離はみるみる縮まっていく。
男はスピードを緩め、古ぼけた石レンガ造りの建物の前に止まった。
(追い詰めた──ッ)