建物に隠れたつもりだろうがそうはいかない。
勢いのまま飛び込んだ建屋の中には男の狂気と、そしてどことなく甘い香りが詰まっていた。
(追い詰めた──ッ)
子供をさらって逃げる男を追い、シャニーはさらに加速する。何か耳に固いものが当たった気がするが、今はそれどころではない。
「隠れようったってそうはいくか!」
風の魔力でスピードに乗ったまま、建屋の扉を蹴破る。中に転げながら体勢を整えると、もうもうと噴き上がる土埃に視界を遮られた。
ようやく晴れても、中は空気が淀んで埃臭い。窓から入る光も朧げで、水の中にも似て闇の先はぼやけている。
ずっと使われていないのか、崩れた石レンガのカケラが足底をゴツゴツと突き上げては崩れる音が廊下に響く。
「あの先だね……」
闇に霞む視界の先には、誘うように扉がぼんやり現れた。うっすらとしか見えずとも、ぴっちりと閉まっているのは分かる。
ついに目の前に立った扉の奥から、気味の悪い流れをびりびり感じる。ここで立ちつくしたら、そのまま動けなくなりそうなほど。
全身に力を込め、一気に飛び込んだ
「……──ッ?!」
ドアを蹴破った音が部屋の中に響き渡った。
中はがらんとしており、部屋の両脇から腕のように伸びる階段からバルコニーがのぞいている。
その上だ。間違いなく、月光が射すあのバルコニーの上に、あの男がいる。手すりに手を引っ掛けて勢いをつけると、シャニーは半螺旋の階段を駆け上った。
「ようこそ、セチ様。いやあ、この瞬間をどれほど待ち焦がれたことか」
どこからともなく聞こえてきた声。バルコニーの奥には、ソファにふんぞりかえるスーツの男がいた。スーツ姿に、顔をロウで固めたような白の仮面。
やはり、昨年襲撃してきた仮面の魔術師なのは疑いようも無い。
(なんだ……? この甘い匂い……フロランタン?)
さっきまで建物を支配していたカビ臭さとは別のにおいが鼻をくすぐった。
生臭いような、どこか甘いような。
しかし、今はそれどころではない。目の前の男は、魔導書無しで幾らも雷撃を放ってくるのだ。その一撃でも喰らえば、消し炭になってしまうほどの。
「あいにくだけど、あたしの名前はシャニーでね」
静寂の場に、刃が鞘に擦れる声が響く。
霞の構えを取り、いつ不意打ちがきても対応できるように男を見据えて離さない。
そんな警戒心を意外そうに嘲るような声で、男はソファで足を組んだまま返してきた。
「存じておりますよ。しかし、生まれ変わりならば前の記憶もおありですよね?」
一瞬、面食らって息が詰まった。
そんな話、聞いたこともない。
相手は疑う余地もなく敵だ。単なる揺動に過ぎないに決まっている。……とは言え、精霊と契約する時点ですでにデタラメな話だ。何があってもおかしくはない。
「……セチ、どう言うこと?」
「真に受けても疲れるだけだよ。言葉、通じないから」
「セチが言うと説得力がハンパないんだけど……」
念の為、相棒に聞いてみたものの、けんもほろろに突き返された。
目を逸らすな──まるでそう言うかのごとく、氷のように鋭いセチの眼光は、今も男を貫くほど睨みつけている。
こんなセチは見たことがない。触れただけで刻まれそうな、全てを見透かすような目。まさに、理の外にいる剣神と呼ぶに相応しい威圧感だ。
何より、今まで出会った中で一番に考えが読めない彼女をして、手に余るとはますます底が見えない男だ。
「そんなことはどうでもいい! そこで何をしている!」
「何をって、見て分かりませんか? 談笑ですよ、談笑」
どれだけ声を張っても、男から返ってくるのは意味不明なことばかり。間の抜けたゆったりとした口調が、ますます心を逆撫でる。
第一、一人しかいないのに、何が談笑だろうか。時間稼ぎにしか思えない。
「談笑って、誰も……?!」
太刀を構えながら男の座るソファに近づいた瞬間だった。
何か気配を感じ、振り向けばそこにはスキンヘッドの男が立っていた。いや、立っていると言うより、壁にもたれかかって動かない。目があらぬ方を見ていることからして、とっくに事切れている。
ゾワっと悪寒が走り、後退りした肩に何かがぶつかった。
振り向いた先を見上げ、シャニーは一瞬目を見開いて固まる。
「これ、みんなお前が?!」
薄暗くて見えなかっただけで、このバルコニーにはたくさんの亡骸が、団欒を囲んでいたのである。
黒焦げの亡骸を侍らせてソファで茶を楽しむ姿は、頭のネジがぶっとんでいるではとても言い足りない。
「ええ、みんな美しいでしょう?」
「ふざけるな!!」
しゃあしゃあとした口ぶりに、シャニーは男の声を斬り払うように一閃すると飛び出した。
「ダメだ、相棒。罠だ!」
セチに制止されても、風を纏った体は瞬く間もなく男の目の前まで迫っていた。
勢いのまま刃に
仮面の男目掛けて振り下ろされた袈裟斬りは、暗闇にクレッセントムーンを描いてソファを一刀両断にしていた。
「あーあ。邪魔しないでくださいよ。せっかくの団らんを」
真っ二つになって青い焔に焼かれているのはソファだけ。
耳障りな声が、言葉とは裏腹に愉快そうに話しかけてくる。
魔力で翠緑に輝く瞳が、じろりと流し目に男を捉えた。彼は何が面白いのか、下を向いて顔を隠しながらも腹を抱えて肩を揺らしている。
「団らんだって? 殺した相手となんて、何がしたい!」
テレーザの時もそうだったが、やはり転移魔法はやっかいだ。あまつさえ、この男は彼女とはまるでレベルの違うのは言わずもがな。
自らの恐怖心を振り払うように、シャニーは太刀で目の前を払いながら叫んだが、その瞬間、妙な感覚が襲う。
(くっ、体が重い)
風を纏って羽のように体は軽いはずなのに、どこか動きが鈍い。
足に何かが絡みつくよう。何なのか、これは。鎖にでも繋がれるにも似た……いや、地から伸びる手に掴まれているみたいな……。足が上がらない。
「ですから、団らんですよ。アナタもゆっくりしていかれてはいかがです?」
相変わらず男は飄々とした口ぶりで、武器を掲げた人間が目の前にいるのが分かっていないように自然に振る舞っている。
しまいには、テーブルにあった茶器を手に取ると、高く掲げてわざとらしく音を立てながらカップに注ぎ出したではないか。
「答えろ! 連続殺人はお前の仕業か!」
「はい、そうですよ。それが何か?」
間など一切なかった。
即答。悪びれることはおろか、驚きも否定さえもせず。
まるで名前を聞かれたかのようにあっさり答えた彼は、カップに鼻を近づけ心地良さそうにしている。
「ベッドを用意したり花を飾ったり……いったい何が狙いなんだ! 答えなさい!」
「まあ、そうイキリ立たずに。お茶でも用意しましょうか?」
どれだけ声を張っても、まるで虚空に叫んでいるかのようだ。
男は茶を一口啜ると、ティーポットに手を向けてニコッとしてきたではないか。カチンと頭に火花が飛ぶ。
目尻を吊り上げ、眉間に稲妻が走るように睨みつけて飛び出した。
「答えろ!! 去年のようになりたいかッ」
時を切り取って繋げたような、転移魔法かと見紛うほどの瞬間移動で男を斬り上げる。
またしても、手に伝わってきたのは家具が吹き飛ぶ感覚だけ。
「やれやれ。そんな動けるとかすごいですネ」
わざとらしく肩をすぼめながら、転移先で男が手を広げている。白く乾いた仮面のはずが、その目元がニヤリと嘲けているようにさえ見えてくる。
シャニーは霞構えの鋒を男に額に合わせ、瞬きもなく牙を顕に睨み据えた。
「何が聞きたいんでしたっけ? ああ……ベッドですね」
それでも、男の口調は変わらない。むしろ、ますます絡みつくようにゆったりしはじめた。退屈で、面倒だとでも言いたげに。
「簡単な話でしょう。死ぬときはベッドの上がいいじゃないですか?」
「なっ……?!」
返す言葉が見つからなかった。
頭の中で、入ってきた声とそれを理解しようとする思考がぶつかって、火花が散り焦げ付いてしまいそうだ。
彼には自分が殺人を犯した罪悪感はおろか、自覚すらないような。あまりにも冷静な、それでいてどこまでも利己的で寒気がしてくる。
「あと、花は記念ですよ、記念」
爪を立てるような掠り笑いが、寒気に恐怖を被せてくる。
青褪めた顔で絶句するシャニーの顔を楽しむように、男は額に手をやると快哉を天に叫びだしたではないか。
「彼はちょうど100000人目だったのでね。思わず飾っちゃいましたよ〜、アハハッ」
もはやどこから驚き、何から怒ればいいか感覚が麻痺してくる。
まるで殺人を作品とでも思っているような饒舌は、止まるどころか楽しげにトーン高く、早口に繰り出されて頭がクラクラする。
辛抱ならず、ありったけを腹に込めて怒涛の狂気を押し返した。
「そんなにも人を殺めてきたっていうわけ?!」
10万などありえない数字で、どうせ盛っているに違いないが、問題が数でないのは疑いようもないだろう。数を誇り、さも楽しげに語るその異常性に他ならない。
こんな狂気を逃すわけに行くものか。その気持ちが、太刀を握る手を強くするはずが、どうにも力が入らない。
恐怖に逃げ腰になっているに違いない自分に、シャニーは喝を入れて鋒を見据える。
「別にアナタが心配することでもないでしょう。それにしても、いやァ〜、残念でした」
白銀の刃を突き向けられても、まるで見えていないかのよう。
男はわざとらしく顔を手で覆って天を仰ぎ始めたではないか。ギリっとシャニーが奥歯を噛み込んだのを察したか、今度は腹を抱えだす。
堪えるように漏れ出す病的な笑い声にまみれて放たれたのは、あまりに利己的で歪んだ願望だった。
「去年の夏、アナタを殺せていれば……大切なアナタを花で飾ることができたと言うのに。キヒヒッ」
「こ、こいつ……狂ってる……」
「アハッ、お褒めいただき感激です」
背筋に焼いた鉄を差し込まれたように、シャニーは全身が身震いして座り込んでしまうところだった。
この男の考えがまるで理解できない。なぜ殺人を繰り返すのか。なぜこんなに楽しげなのか。なにより、どうしてセチを知り、
ひとつ分かるのは、話して理解できる相手ではないこと。
今も彼は、まるで褒められたように顔をあげ、子供のように口元を明るく綻ばせている。
「おかげで、次のキリ番まで持ってくるのに苦労しましたよ。なにせベッドを運ぶのはなかなか骨が折れましてネェ」
「?! ま、まさかそのためだけに、一連の事件を?!」
「まあ、それだけではありませんが、アナタのためなら造作もないことですヨ」
まるでずっと話したいことを溜め込んでいたみたいに、敵を前によくもここまでペラペラと。
以前に会った時もそうだった。まるで旧友……いや、もっと近い間柄と話すような親しげな口調は、身に覚えのないシャニーにとっては嫌悪感しか湧かない。
あまつさえ、口から出るもの全て頭のネジがぶっとんだ……もはや悪魔の所業に他ならないはすが、それを「アナタのためなら」なんて言い方をされては。
「セチ、こいつなんでこんなに執着してんの?!」
「私が魅力的だったからじゃないかな」
堪らずセチに声をかけてみたが聞いてから後悔し、自信満々の即答でさらに力が抜ける。こんな時でさえ、彼女のマイペースは相変わらずだ。
ところが、「ああ、冗談じゃないよ?」そう心外そうに言ったセチはそのまま続けた。
「昔、告白されてね。そいつが勝ったら付き合うって約束で決闘して、ボコってからそんな感じなのさ」
粘着質だからか、弱い男には興味がないのか。セチにしては珍しく、軽蔑にも似た、害虫を見るような目で男に視線をやっている。
ようやく、少しだけ繋がった気がする。
やはりこの男も、人間でないのは間違いなさそうだ。そして、なぜ執拗に狙ってくるのかも、無差別殺人を繰り返してきたのかも。
だが、ますます理解が遠のいたのは間違いない。
「す、好きな人を殺そうとなんてする?!」
「だから言ってるじゃないか。サイコ君に普通は通用しないって」
セチは捨て鉢気味にそう言って、また眼光鋭く男を見据えている。その目は友でも、ましてそれ以上を見るものではなく、明確に敵とみなす修羅が光っている。
もはや話すことはない──シャニーも太刀を構え直す。
「何にしても……これ以上、好き勝手させない! 去年の雪辱、果たさせてもらう!」
「おぉ……それは恐ろしい」
啖呵を切りながらも、シャニーは焦っていた。
男の反応が全く同じだったからだ。ちょうど1年前……この男から、立てなくなるまでおぞましいほど魔法を浴びせられた、あの時と。
しかも、彼は黒のソフト帽に顔を隠しながらも、口元を鎌のように吊り上げてさも愉快と声を揺らしているではないか。
「でも、どうやって?」
「こうやって──ッ?!」
浴びせられた挑発に、ついに踏み出した瞬間だった。
──ドクンッ
「か?! ……はっ……」
何かが体の中で脈打った途端だった。
膝が砕けて足がもつれたところまでは分かった。そこから視界が宙を飛ぶまであっという間で、気づけば視界の右半分が真っ暗になり、太刀を握ったままの左手が張り付けられたように固まっていた。
(な、なに……こ……れ。か、からだが……うごか…)
「ケヒヒッ、体に染み込むようでキモチいいでしょう?」
頭上から、男とは思えない子供のように甲高く、気味が悪い声が降り注いでくる。
「即効性の血液毒ですヨ。気づいた時にはゲームオーバーってね?」
毒……それを聞いてハッとした。
テレーザを操っていたのも毒だった。なぜ、そのリスクが完全に頭から抜け落ちていたいのだろうか。
もしかしたら、あの甘い香りが毒だったというのか。
体から神経を抜き取られたように感覚がなく、力が入らない。それでも、このまま伏していたら待つのは……。
「ふざ……けるな……!」
「やめてください、動くと毒のまわりが早くなってしまいますから。じっくり……その歪んだ顔、見ていたいじゃないですか〜」
なんとか身を起こそうとすると、頭上から何か重いものが降ってきて、ゴリンッと鈍い音と共に床に頭を叩きつけれた。
どれだけ力を入れても、首が動かない。
目だけで見上げると、そこには茶色の何か……靴底だ。霞む視界のさらに上には、指先を突きつける仮面が闇に浮かんでいた。
「さて、その状態で避けられますかね?」
目が飛び出しそうになるほど、シャニーは目を見張った。
身動きの取れない体。突き向けられた指、そして勝ち誇った男。
もはや、意味するところは──そこまで考えるよりも先に、男の指先が紫電に輝き出す。
「さあ、これでアナタは永遠にワタクシのもの……! ヒッ……ヒヒェヘヘ……ヒャーハッハッハ──!!」
殺人を楽しむ白い笑みがいっぱいに広がる視界を、恐怖の光が塗りつぶしていく。
耳をつんざくのは、まさに悪魔の快哉。
(ロイ……お姉ちゃん、ディークさん……みんな……。──ごめん!!)
覚悟を決め、目を瞑った直後だった。
閃電の唸りを引き裂いて、どこからともなくガラスの割れる音がしたのは。
「うおおおおっ!!」