白夜にも似た一方的な空は紫電に蝕まれ、驟雨のごとく剣が降り注ぐ。
この戦況に何とか風穴を……──シャニーが悪夢を払うのを待っていたように始まったそれは、新たなショーでしかなかった。
「うおおおおっ!!」
遠かった破砕音を跳ね飛ばすように、獅子の咆哮にも似た怒声が突っ込んでくる。
シャニーの頭を踏みつけていた男が転移魔法で消えて秒もしないうちに、巨人が地面を踏み抜き、大剣で木製のバルコニーを砕き割った。
「……おやおや、気配は遮断したはずだったんですがネェ……」
新たに現れたのは望まぬ客だったか。仮面の男はつまらなさそうに口をへの字にひん曲げている。
とりあえず、助かったらしい。シャニーは助けてくれた巨人の足元を見ただけで、もう涙が止まらなかった。
そして、頭上から聞こえてくる声に確信した。大きな背中が、また助けてくれたのだ。
「ハッ、こいつの豪運ぶりにはつくづく驚かされるぜ」
ディークはポケットから小さな何かを取り出し、男に見せつけている。
「こいつがなけりゃ、俺も気づけなかったってもんだ」
彼が手のひらに乗せていたのは、シャニーがつけていたピアスだった。
突撃の際に落としたそれを頼りに、ディークたちは乗り込んできたらしい。彼の背後からはバタバタ駆けてくる足音が床を揺らし、螺旋階段から次々姿を見せて集まってくる。
「大丈夫?! シャニー」
「み……んな……?」
「下がってろ! 毒ガスだ。ったく、もろに喰らいやがったな?」
ディークは壁に渾身を叩きつけて穴を開けるや、ルシャナたちからシャニーを預かって躊躇いなく外へと飛び出した。
毒の館から抜け出したディークに続きルシャナたちも飛び降り、彼を守るように周りを囲って武器を取る。その視線の先には、魔力でゆっくり滑空してくる男がいた。
彼らに男をひとまず任せ、ディークはポシェットから小さな瓶を取り出した。
「今助けてやる。闇医者のとびきり効くヤツだ。あとからクルが我慢しろよ」
ラベルには化学式が書かれた褐色の瓶。中に液体が入ったそれは、あきらかに薬品だと分かる形状だ。その先には剣山のように針が出ていて刺されたら痛いに決まっている。
ディークはそれをためらいなく腕に突き刺してきた。
痛い……それは、まだ生きているのだと教えてくれる。
ところが、薬を注入されたとたんだった。ピクッと手先が動いてから、身を起こせるようになるまであっという間で、思わずシャニーは自身を見下ろしてしまった。
まるで眠りから覚めたように、体に感覚が戻ってくるではないか。
「ディークさん……ごめんなさい」
「バカが。だから突っ走るなっつったろ。ほら、もう立てるだろ? あとはレンに治療してもらえ!」
肩を持って荒々しく立たされ、お尻をバシッと押されて危うくまた倒れるところだ。まるで心配してくれないけれど、そうしてディークに叱られるのも今は嬉しい。
みんなのところに帰ってこられた喜びにグッと足先に力を込め、レンから抜き身の太刀を受けとる。あの緊迫した状況でも、しっかり拾っておいてくれたらしい。
「せっかくのワタクシのショーをおじゃんにしてくれるとは。……どうやら死にたいようですね」
太刀を構え直したときには、すでに皆の視線は仮面の男へと注がれていた。
月光に明るく照らし出された口元を苛立ちでひんまげる男は、不気味にテラテラ光る仮面の眼窩から睨んでくる。
そんな静かな戦いは一瞬であった。もはや、戦端は開かれた場所なのだ。
「あいにく、死ぬのはてめえだ!」
咆哮一番、ディークが大剣を掲げて飛び上がる。
月を隠す巨人の影は、瞬く間もなく仮面の男目掛けてまるで隕石のようにのしかかった。
雷電の牙の前に距離は詰まり、男は身構える動きさえ出来ないらしい。捉えた──
「なに?!」
何か、予想していたものとは違う高い音が、新たな緊張で場を支配する。
直後に聞こえたディークの声は、はっきりとした想定外の塊だった。
男に振り落とす直前で大剣にぶちあたった、何か。
空中でバランスを崩しながらも、身を翻して着地したディークは、バックステップで嫌な間合いから抜け出した。
「ふふっ、ワタクシにそんな無粋な攻撃は届きませんよ?」
男は両手を広げて無防備をさらしながら見渡してくる。まるで、出来るものならやってみろと言わんばかりだ。
何か……うっすらと男の周りに見える気がする。シャボン玉にでも入っているかのように、丸い何かが男を包んでいる。間違いなく、そんな〝流れ〟をシャニーは感じていた。
「ならこれならどうっスか!」
ミリアが構わずクロスボウの照準を男に合わせてぶっ放す。
彼女の改造クロスボウは目にも留まらぬ連射を浴びせており、あたりは金属が弾き合うけたたましい音でひび割れてしまいそうだ。
そこまでやっても、男の仮面に傷一つつけることは出来ず、クロスボウはそのうちカラカラと空振りを始めた。
「うっそぉ……ウチの攻撃が通らないとか、どんなトリックッスか!」
「高密度の電撃魔法によるシールドと分析。あれを普通の武器で貫くのは難しいかと」
レンの分析からするに、魔法障壁を展開しているらしい。
シャニーがディークを見上げると、声を掛け合うまでもなく彼も渋い顔で頷いてきた。シールドを展開している相手に近接戦はあまりに危険と言える。
とはいえ……。
ミリアが普段と違うボルトを装填している。あれはおそらく、とびきりの破壊力を持ったマグナムショットだ。
「こいつはとびっきりっスよ!! ──えっ?!」
重い音と共に発射された〝とっておき〟さえ、いとも簡単に弾かれてしまい、ミリアが歯をガチガチさせて驚きを顕にしている。
「死線にわざわざ入り込んでくるとは、アナタたちも物好きですネェ。でも……」
男は広げていた右手をおもむろにミリアたちへ向け、その指先をピンと伸ばす。
蛇のように絡みつくような声が途切れた、その刹那。
「興味ないんですよネェ!!」
男が爆発のような白の光に飲み込まれ。刹那、白で塗りつぶされた世界を突き破る彗星のごとく、青白い雷撃が迸る。
すべてが光の中に溶けていき、誰もがなす術を失い立ち尽くす。あれに当たれば……死を免れないのは疑いようもない。
「らあああッ!!」
地を滑るように飛び出したシャニーの抜刀一閃が、破滅の光を振り払う。
風を裂き魂を噴くような叫びをまとう渾身の一撃が、目前まで迫っていた雷撃を斬り飛ばした。
太刀に込めた風の魔力を払って刃を下に向けると、はるか向こうで標的を失った雷魔法が山にぶち当たり、稲妻にも似た轟音があたりを劈く。
「ヒュウ。シャニー、もう大丈夫なのか?」
「そんなこと言ってられないじゃん! コイツは……あたしが倒す!」
ディークの言葉に振り向くことなく、シャニーは再び太刀を霞に構えて男を視界の真ん中に捉えた。
二度もこの男の前で膝をついた。放っておけば、何の関係もないものにまで平気で手を出す殺人鬼の前に。去年はウッディやルシャナを。今年はディークに、ルゥ、そして多くの何の関係もない人達さえ。
たったひとりへの執着のために大事な人達をこの男は傷つけ続けてきた。絶対に許せない──怒りが目に渾々と魔力を湧き上がらせた。
それを全身に浴びた男の口元が、ニヤリと快楽に吊り上がる。
「イイですねェ! ではワタクシのショーで、その顔をジワジワ恐怖で歪めていただきましょうか!!」
男が開演を宣言するや、彼の周りに陽のような光輪が見えた。
瞬きも許さぬ間に輪は男に吸い込まれ、何かが風船のように膨れあがり爆発するような衝撃で、誰もが吹き飛ばされそうで何かに掴まらずにはおれない。
「うわあああ?!」
「みんな! あたしの後ろに!」
バリバリと何かが粉々になる音があたりの景色を破壊する。
さっきまであっはずの建屋がない。男の凄まじい放電は、吹き飛ばし土台さえかき消してしまったと言うのか。
吹き荒れる雷の嵐に瓦礫が矢のように降り注ぐ中、シャニーは仲間の前に立って風の魔力で弾いて凌ぐ。
腕で顔を守りつつ隙間から男を探せば、彼はゆっくりと宙に昇っていくではないか。
「ハハハ! 地を這いずる愚かな〝人〟が、ワタクシをどう止められるのか、出来るものなら見せてくださいヨォ!!」
建物があった高さくらいまで浮かんだ彼の背後には、迸る雷電で紫に染まる月が見える。
ミリアの機械弓やレンの魔法くらいしか、このままでは届きそうにない高さだ。
「チィッ、転移ならまだしも、浮遊なんざ初めて見たぜ」
それはディークであっても同じようだ。大剣を構えながらも、すぐに策が浮かばないようで舌打ちだけを残す。
その反応を待っていたかのように、仮面に交戦的な笑みを口元に浮かべて男が手を掲げた。
「ホラホラッ、早くしないとミナサマ黒焦げですヨ!!」
男が手先に召喚したのは剣。それは実態が無いようで、激しく流れる紫電で形作られている。おそらくは、魔力で生成した電撃の塊に違いない。
彼はその鋒で斬りつけるではなく、地上へ向けて放り投げてきたではないか。
「危ない!!」
シャニーの怒声でとっさに皆避けるが、魔法が伝ったのか着弾点から2馬身ほどまで地が焼けており、焦げた黒まで焼かれて真っ白になるほどだ。直撃したらどうなるかなど言わずもがなだろう。
「クソっ、さすがに地上からじゃ分が悪い。シャニー、おまえらの十八番の出番だぜ!」
「ルシャナ! あたしたちで足止めする! その間に天馬に!」
ディークに頷いたシャニーは脇から大きく斬り上げ、風の刃を刀身から飛ばして仮面の男へ牽制を仕掛けた。
相手のアドバンテージを、一刻も早く奪わなければならない。天馬騎士で三角に囲めば、少なくとも1人は死角に入れるに違いない。
だが、仮面の男が地表でうごめく連中を見逃すはずもなかった。
「お死になさい!」
彼はシャニーからの牽制を避けると、間髪入れず手に剣を召喚し投げつけた。耳を掻きむしるような重い音を放ちながら、まっすぐにルシャナたちの背中へ吸い込まれていく。
「させるかよッ、これでも喰らいな!」
とっさに腰に挿していた投げ斧をずんむと掴んだディークが、咆哮一閃に投げつける。
唸りをあげて飛んでいく渾身の斧が紫電の剣にぶつかり、剣は標的を失って遙か先の山へ吸い込まれていった。
「ナイス! ディークさん!」
「ハッ、一発当てるごとに10万ゴールドとかならアガるんだがな!」
その後もしばらく、仲間たちの経路を確保しつつ、ルシャナたちを狙って投げ下ろされる魔法を撃ち落としていく。
だが、完全な防戦一方なのは疑いようもない戦況だ。
ようやくルシャナたちが帰ってきて、彼らはシャニーの天馬も連れてきてくれた。
すぐに相棒に乗ったシャニーは空に舞い上がる。地上から見ていたより、悪魔的な光景が広がっていた。紫電に包まれた男が、まるで魔界の空に浮かぶ太陽のごとく闇を照らしているのだ。
ただ飛び込むだけでは、あの太陽に近づくまでもなく黒焦げだろう。
「さぁて、ここからじゃ足止めが関の山だな。
どうしたら──そう考えているとディークの声が下から聞こえてきた。
何だか、彼に背中を押してもらえた気がする。
考える余地など、最初から無かったではないか。相手は雷の精霊トォルの使い手。止められるのは、自分しかいない。
「どうなるか分からないけど、今できるありったけをぶつけるだけだよ!」
その先は、かつて踏み込んだことはない黎い世界。
いや、一度だけあったかもしれないが、その時は意識を奪われて朧げに覚えているだけ。
今はそこに踏み込まなければならない。
大事なものを守るためには、怖いなんて……──言っていられないではないか!
「ディークさん、もしもの時は……お願いね」
どうしてだろう。ふいにディークの顔を見たくなって、後ろ目に彼へ視線をやったら、なぜか不意に笑みが浮かんだ。
ディークは目を見張っているが、きっとこの人なら最善をとってくれるに違いない。
後顧の憂いを絶ったシャニーは、もう1人の自分に勇気の塊をぶつけた。
「セチ! この前みたいに、いや! 全部貸して!!」
「へぇ? 飲まれちゃってもいいんだ?」
セチは試すような横目で意地悪く返してきた。
テレーザたちと戦ったときも、まだブレーキをかけていた自覚はある。セチと手を繋ぎながらも、それでも重心は外へ傾けるように。
震えていたのだ。精霊に飲まれてしまえば、二度と帰ってこられない恐怖に。
「あたしたち、相棒でしょ?」
その恐怖を自らの太刀で振り払った。
何度も折れ、その度に多くの人に支えられて鍛え直してきた誓いという名の刃で。
その刃の中にはもう、セチもいる。いや、共に握り、共に翔ける相棒なのだ。
彼女はずっとそれを望んできた。相棒として覚悟を今決めずして、いつ決める? この一戦に敗れたら、どのみち全て失うのに。
シャニーは自らセチの手を取った。
「あたし、セチを信じるから!」
「──ッ」
「だから、セチもあたしを信じて! もし飲まれても、きっとみんなが止めてくれる! 行こう!」
ずっとみんな励ましてくれてきた。万が一の時は任せろと。
今こそ、大事な人たちを信じて、前だけ向く時に他ならないではいか。
取った手を引いて、セチと溶け合おうとしたときだった。「……そっか」そう零して、セチに引っ張り戻されてしまった。
「じゃあ、問うよ」
急かそうと喉元まで出かかった言葉が引っ込んだ。
問うてきたセチの目は未だかつて見たこともないほど透きとおり、エメラルドのように輝いていた。
彼女と目を合わせると、静かな、だけど氷のように厳しい声が直接心に響いてきた。
「あなたは
「?? よく分からないけど……なるしかないじゃん!」
言い切った瞬間だった。
まさにトリガーを引き、一気に歯車が動き出したよう。
シャニーの周りに地を抉り渦を巻くほどの凄まじい風と青い炎が吹き荒れ、その中に彼女はすっぽり包まれてしまった。
「こ、こいつは……」
まるで異世界との扉を開いたかのような、天を衝く蒼の波動を見上げて、ディークはそうこぼすしかなかった。
それも束の間。その源に、くっきりと人の形が浮かび上がってくる。
──黎明の眠りより、幾重にも繋ぐ絆を携え現界せん。
──我は風。悪夢を斬り払う風刃にして、暖かい光を導く風。
──希望を紡ぎしセチを継ぐ者!
青い焔の中から聞こえてくる声。
水の中から聞くようにぼやけエコーが入りながらも、誰もがはっきり聞き取ったようで瞠目したまま動かない。
固まる時を次の1ページへ誘うように、一際強く吹き抜けた風が焔を吹き飛ばした。
「シャニー、おまえ……なのか?」
中から現れたのは、いつもと変わらない後ろ姿。毒気を抜かれたような顔でディークが声をかけるが、しばらくしても反応はない。
彼が一歩踏み出そうとしたときだ。それを察したかのようにシャニーは確かめるように静かに目を開けた。
目を開けられる。腕も足も、全てが思うがまま動かせる。
「……大丈夫、飲まれてない!」
瞳から渾々と溢れる翠緑はまごうこと無くセチの魔力だ。それでいて、その瞳は一層に青を輝かせてまっすぐ前を見据えている。
溶けあった二つの風が、透きとおる青の焔に包まれた光に包み、周りに勝利への希望を抱かせた。
「邪魔が一匹紛れ込んだままですが……ようやく2人になれましたね」
死線を超えた先に踏み込んでいると分かっているのだろうか。待ち焦がれた瞬間への興奮が男の声を踊らせ、抑揚に乗って絡みついてくる。
「あなたにセチとどんな因果があるかは知らない。でも、多くを奪ったその罪、贖ってもらう!」
その呪縛を払うように太刀を一振りしたシャニーは再び構えを作り、鋒の向こう側にいる悪魔へ腹の底から叫ぶ。
怒り、それは真っ赤に燃える怒りだ。それでも、周りを包む風のエーギルは乱れのない流れを崩さない。
「キヒヒッ、ようやくその気になってくれましたね!」
むしろ興奮し始めたのは仮面の男だった。飢えた蛇が舌なめずりするように口角をあげ、両手を広げて紫電を迸らせる。
あたりに吐き気を催すほど重く耳障りな電撃音を走らせる男だったが、その眉がぴくりと動く。「……その前に、確かめたいことがある」そう言って、シャニーが構えをとったまま視線を合わせたからだ。
「ん?」
「テレーザにあんな危険な魔道書を渡したのは、お前なのか?」
シャニーは確信していた。いくらテレーザが名家の魔法使いとは言え、あんな電撃魔法を扱えるとは到底思えない。
男が見せつけるのは、立っているだけで震えがくるほどの閃電だ。もう、消去法も何も無いではないか。
「彼女は最上級が欲しいと言うものですから。あなた方を試すにはちょうどいいかと思いまして」
紫電が少し収まったと思ったら、代わりに聞こえてきたのはわざとらしい拍手だった。ピタピタとスナップを利かせた手先だけの賞賛と、ありったけの侮蔑と。
「それで合格だったから、今回自らおいでなすったってわけかよ?」
「ご理解の通りです。いやあ、いい戦いぶりでしたよ」
虎が唸るようなディークの野太い声にもまるでたじろぎもせず、むしろ仮面の男の声はますます楽しげに甲高い快楽を叫び、テンポを増す拍手が神経に爪を立ててくる。
そんな悪魔の快哉が不意に止む。「でも、彼女はよく分かりませんよ」そう言って彼は両手を広げ始めたではないか。
「ワタクシなら最低級魔法を使いますがねぇ」
「最低級であたし達なんか十分って? ずいぶん──」
「ノンノン、誤解ですってば。……キレの悪い魔法のほうが、なが〜くアナタが苦しむ姿を見られるじゃないですか? アハハッ、ゾクゾクしますね、堪りませんねえ」
男が指差し見下ろす先で、シャニーがギリっと怒りを噛み砕いていた。
この男はどこまでも、それが目的なのだ。それ以外は、モノであろうが人であろうが、それこそ命でさえもが無惨にも踏み抜かれてきた。
「チッ……──こりゃあサイコ野郎じゃ済まねえぞ」
「あああ、今すぐ、その白い肌を赤く腫れさせてみたいものです」
ディークが肩に乗せた大剣を担ぎ直す側から、男は衝動を抑えられないのか興奮に震える声と視線で標的を舐め回すよう。
しかし、ついに辛抱ならなくなったか、男はついに恋人の名を呼んだ。
「ねえ? セチさん? 聞いてみたいんですよ、アナタが許しを乞いながら泣き叫ぶ声を」
「キミに私はやれないよ。相棒もいる今なら、何度やってもね」
まわりがギョッとするのがシャニーには分かった。ディークでさえ、横目が固まっているし口がぽかんと空いたまま。
今喋ったのはセチに間違いない。なにせ、自分はシャニーだと叫ぼうとしていたのだから。
聞き間違いでないのは、嬉々として口角釣り上がる仮面の男を見ても明らかだ。
「くふふ、
「無関係を巻き込まなかったのは褒めてあげるよ。ただ、相棒をハメたツケ……きっちり払ってもらうよ!」
決別の咆哮と共に戦端は開かれた。
ホイッスルで天馬を呼んで地を滑るように滑空してきた彼に飛び乗り、シャニーはルシャナたちと合流して体形を整える。
これであの男のアドバンテージは封じた……──ともまだ言えないだろう。いくら天馬騎士が魔法防御に優れているとは言え、一撃でも被弾を許せば立て直すのは困難だと去年思い知らされた。
「みんな! あたしの軌道に合わせて!」
それでも、今はあの時には無い力と仲間がいる。
部下に指示を出しながら、突撃のタイミングを地上を駆ける勇者と合わせて握り替えた槍に力を込める。
地を走る稲妻のごとく走り抜けたディークが、その巨体に見合わぬ機敏さでトントンと厩舎に駆け上がっていく。屋根を踏み込んで建屋の屋上まで飛び出すまであっという間だった。
「おららああ!」
屋根から弾丸のように飛び出した彼の目が捉えるのは、宙からのうのうと魔法を撃ち込み続ける仮面の男の背中。渾身を込めた大剣で黒の魔導士めがけ一刀両断に振り下ろす。
男に触れそうな刹那。激しい火花の紫電が迸り、吹き飛ばされたのはディークの方だった。
「クソっ、やっぱり通らないか?!」
「ヒャハハー、簡単に消し炭にならないでくださいヨォ!」
魔法障壁で弾かれながらも宙で体勢を整える。重い音で地面を踏み抜くや、暗黒の空を見上げて舌打ちする彼の眉間が厳しくなるばかり。まるで気づいてすらいないように、仮面の男は今もシャニーたちを狙っているではないか。
「ミリア! 必殺技使えないの?」
無尽に襲い来る雷の剣はとても全て避けられない。あまつさえ、仲間と陣形を組んでいる状態では。セチの風で彼らを包んで剣を弾きながら好機を待つしかなかった。
とは言え、ディークの剛腕ですら通用しないのに、剣だの槍といった近接武器で挑むのは自殺行為に他ならない。そうなればミリアたちが頼りなのだが、返ってきたのは悲鳴にも似たは焦燥だった。
「チャージ時間を稼げないとムリっスよ!」
「ん。それに、あのシールドを展開されたらキツいかも」
ミリアの返事を聞かずとも、シャニーにも厳しいことは分かっていた。頼みの綱は魔法だが、敵も魔法使いとなれば効果的とは言い難い。瞬発性ひとつとっても相手の方が上だ。おまけに、レンの言う通り絶対防御の方陣まで備えていては。
八方塞がりな気がしてギリっと奥歯を噛むシャニーは、ふとその口元を解いて仮面の男を見据えた。
「よし……。ルシャナ、ミリアたちとお願い!」
難しかろうと、止まってしまえばそこで終わりだ。天馬に鞭を入れ、夜空に流星のごとく突き抜ける。
とたんに仮面の男の口元が静かに上向く。シャニーが短気を起こすのを待っていたのか、彼はほくそ笑みながら天へと掲げ、手先に集まる魔力で空が白夜のように染まっていく。
「バラけたってダメですヨ! インディグナント・レイン!」
シューターの一斉発射にも似た轟音が、天へと突き上がったかと思うと世界が紫に染まる。意思を持つかのように反転し地を見下ろした紫電は無数の矢となって降り注ぐ様は天の裁きか。
それでも、ルシャナたちが被弾することはなかった。
侵食する紫紺を引き裂くように、翠緑が仲間たちをかばいながら天を賭けていくではないか。
精霊の風をまとったシャニーは、矢の全てを跳ね除けながら星が走るように突っ込んだ。
「貫け!!」
「おっと! アナタが槍を使うなんて、さすがに時効ってヤツですか?」
やはり、確かな感覚はない。防御障壁に阻まれているのだろうか。
いや、間違いなく貫いたはずが、寸前でかわされたといったところか。スーツの袖が槍に触れたか破れている。
はっきりしたのは、
「使ってるのは相棒だからね。錆びついた技なんかと一緒にしてあげないで欲しいな」
「とは言っても、アナタの太刀に比べれば」
同じくらい分からないのは、自分の代わりに応えたセチの妙な言い回しだがそれは後だ。この絶好の機会を逃すものか。
狙いすました目でセチが男を見据えて「どうかな?」と挑発したのを合図に、風に溶ける霧のごとく天馬ごと霞んで左右に分裂した瞬間、シャニーが弾丸のごとく跳び出した。
「ネビュラス・グレイヴ!」
「ぐっ?!」
風のマナに身を溶かし、左右からクロスする流星の一撃に、男が短く呻き声をあげのけ反った。
それでも、武器で防御障壁を貫いて致命傷を与えるのは難しいと言う他ない。追撃を見舞うより先に、糸で釣られるように首をもたげた男はすでに体勢を整えてしまっている。
だが、
「ふふふ、風の幻影術とはなかなか──?!」
そこまで笑っていた男が言葉を飲んだ時には、もう引き金は引かれていた。
「ぬぅ?!」
轟音を突き立てて白夜すら塗りつぶす閃光を前に、男は身をひるがえす間も無く声を上げた。
突っ込んできたのは凄まじいエネルギーの塊。世界を両断せんとばかりに次元を引裂き、収まることのない激流が全てを飲み込んで吹き飛ばしていった。それは、戦いの流れさえも。
シャニーがオトリとなって防御障壁を崩し、その隙間へミリアがレンと開発した魔道衝撃砲を撃ち込んだのだった。
「ちっ、掠りっスか!」
クロスボウの照準越しに男を見上げたミリアから舌打ちが漏れる。完全な死角から撃ち込んだはずが、手元が狂ったのか衝撃砲は直撃することなく彼方へ吸い込まれてしまった。
恐らく掠ったであろうことは頬を摩る男の仕草で間違いなさそうだ。
「ヒ……ヒャハハ……アヒャヒャヒャヒャ!」
だが、その擦る手が止まり、擦れるような笑いが漏れたかと思うと、みるみる男の口元が蛇のごとく裂けて天を突いたではないか。
「大人しくしておけば痛い目に合わずに済んだものを! いいでしょうッ、そんなに欲しいなら差し上げましょう! 死線の先への招待状を!」
はなから話が通じない類の相手だったが、どうやらキレてしまったらしい。
男性にしてはもともと高かった声をさらに跳ね上げて裏返るほど叫んだ彼は、おもむろに仮面に手をやった。
「第一遮断方陣展開……ッ」
危機を察して咄嗟にミリアが撃ち込むなか、男がつぶやくと彼の手の甲に紫紺の紋章が浮かび上がっていった。