託した者、背負った者。例えそれに気づかずとも、すでに歯車は回り扉は開かれた。
今はただ、思い浮かべるのは愛するあの人だけ。ようやく、その事だけを考えても良くなったのだから。
一体ここはどこなのだろう。
人の気配は何もない、地上とも地下とも見分けがつかない遺構の奥深く。どこからともなく吹き込んで流れていく風が、巨人の呼吸か、はたまた野獣のうなりにも似た神経を震わせる音を立てている。
そうして風が集まる一番奥の広間には、何者かが一人佇んでいる。彼は微動だにしなかったが、ふいに黒のソフト帽の下から鋭い眼光が闇の奥を突いた。
「……意外と遅かったな」
直後にワープアウトしてきたのは、ズタズタになったスーツを纏ったまま、帽子も仮面も失って素顔を晒すウェスカーだった。ゆっくりと主──レリウスの下へ歩く革靴の音だけが遺構に響く。
「ええ。旧交を温めておりましたら、時間を忘れてしまいまして」
それだけで状況を察したか、「そうか」とだけ短く答えるとレリウスは懐から取り出した葉巻を咥え、考えに耽るようにしばらくそのままだった。
再び風が吹き抜けた頃、彼はようやくマッチを擦り、一服ふかし始めた。ふうっと白い煙を風に流し終えると、一度言葉を飲み込むように一度俯き、思い出したようにこぼす。
「で、どうであった」
「はい。やはり、彼女は貴方様に相応しい女傑だとハッキリ分かりましたよ」
ウェスカーの口調は穏やかで、どこか清々しささえ醸し出す。
対象的に、口元を一層厳しくさせるレリウスは目元を隠すように俯き、葉巻から灰がチリチリと落ちていく。
「……彼女のことは、申し訳ないことをした」
絞るように、突然レリウスがこぼした。
「いえいえ。それしか道がないのですから、いまさら栓無きことでしょう」
驚く素振りを見せることもなく、ウェスカーはそう答えて静かに頭を下げた。そう言われて救われたのだろうか。レリウスはまた深く一服している。
しかし、大きな雲を作ると「いまさら……か」と、再び眼光鋭く背後を見上げた。
「えぇ……今になってしまいましたねぇ、この骨董品のせいで」
ウェスカーもレリウスの視線を追い、顔をしかめる。二人が見つめる先には巨大な門がある。門の中は万華鏡のように光が渦巻き、陽の入らない遺構の奥を明るく照らしている。
その中に、ふいに人影浮かび、どんどん濃くなってくる。
「お前が言えた話か」
姿を現したのは純白をまとう金髪の司祭。門の向こうでは世界宗教のトップに君臨していた男だ。紫紺の目は宿敵に遭遇したとは思えないほど威風堂々としており、司祭には似つかわしくない隆々とした長身から、値踏みするような目で二人を見下ろしている。
「しかし、良かったではないか。これでようやく一緒になれるではないか」
緊張感が部屋を包むが、互いに得物を抜く素振りはない。この治外法権の空間ならば、思う存分やりあえるだろうに。それどころか、金髪の男──最高司祭アゼリクスは二人に構わず歩いてきて、すれ違いざまに深い声で笑いかけているではないか。
「ククク……面白い冗談だ。ワタクシはともかく、彼女が煉獄になど来るわけないでしょう」
レリウスと2人でいた時の顔は仮面だったかのように、ウェスカーに蛇のごとき殺意の目が光る。
しかし、相手は竜の世界で海千山千、濁どころか毒さえ喰らってきた組織の長だ。まさに竜に蛇が噛み付くようなもの。
「そうだな。煉獄送りなど無理な話だ」
あっさり挑発を受け止めたアゼリクスは、侮蔑を込めた目で睥睨しながら息を吐くように言ってのけた。
「あの女を血祭りにあげる頃には、煉獄などと言った下らない世界観は、すでに存在しないだろうからな」
「この……外道が!」
我を忘れたように取り乱して罵るウェスカーを一度は鼻で笑ったアゼリクスだったが、その足が突然止まる。「外道……か」そう呟いた彼はエピタラヒリを翻しながら2人と相対す。
「生贄を次元の狭間に捩じ込み、気に入らないものをこの千年潰し続けた貴様らの言葉は、実に重みがあるものだ」
深い声が抑揚豊かに喋るだけで腹が震え、頭を揺さぶられるようだ。
何か言ってみよ──そんな目を見下ろす彼に、ウェスカーたちは何も言い返さなかった。それが何よりの答えと、アゼリクスは続けた。
「俺は、そうして造られた歴史を正そうとしているのだ。彼女には、それを手伝ってもらう」
「彼女がアナタに手を貸すとでも?」
ウェスカーは勝手都合の良い算段をせせら笑ったが、アゼリクスの顔には困惑と冷笑が浮かぶ。
「逆に問うが、何故貴様たちはあの女がまた手を貸すと確信できるのだ?」
またしても、ウェスカーはダンマリを決め込んでいる。その顔は砂を噛むように不快をありあり滲ませる。
答えられる訳があるはずもない。どんな正義という名の大義名分を掲げようとも、所詮自身のエゴを正当化する道具にすぎない。利用した事実は揺るがないのだ。
「嘘で繕うか、真実で塗りつぶすか。どちらを選ぶかは明白だろう。現世を楽しんでいるあの女も、
「……彼女には、同じ轍を踏ませはしない」
言いたい放題を許していたレリウスが、白銀の刃にも似た眼光で牽制しそれ以上を遮る。しかし、時を止められたは水を斬ったように一瞬でしかなかった。
「ほう? それはいい心がけだ、レリウス。それで? 手練手管を弄ろうした結果が、それか?」
アゼリクスが顎で指した先には、彼が出てきた巨大な門がある。
これこそが、このエレブ大陸と異界を繋ぐ竜の門であり、レリウスはこの門を封印しようと試みていたらしい。もっとも、アゼリクスが姿を現した時点で完全ではないだろうし、彼の視線はすでにウェスカーへと移っていた。
「我が命に替えても、天命を果たすのみ」
「ほう? 次は自ら道具になるか? いいだろう。現世から弾き出された亡霊でも、役は準備してある。活躍を精々見極めさせてもらおうか」
まだ、今はその時ではないと、お互い得物を手にはしなかった。むしろ手を出せなかったのだ。いずれも中途半端であり、邪魔が入れば今後への支障は計り知れない。砂上に建つ楼閣のごとく、歪な協定の上に平和が保たれていた。
「安心しろ、こちらから手を出すつもりはない。罪深き者は自ら舞台に上がるだろう。そうして斉うのを待つのもオツなものだ。お前なら分かるだろう。いい酒には、相応の熟成が必要だと」
不干渉を約束したアゼリクスだが、もちろんそれは和平のためなどでは無い。
干渉などせずとも、ピースが吸い寄せられるようにはまっていく。止める術を知らない者たちが、一度動き出した……いや、自らが動かした運命を眺めるしかできず抱く恐怖を愉しんでいるのだ。
「アゼリクス……どこまでやるつもりだ?」
恐怖で染め上げようと欲する魔教皇へ、レリウスは最後の警告を発する。1000年前にも同じ質問を投げつけ、返してきた最悪の答え。
問うた途端に、あの時と同じ狂気に取り憑かれたような自信に満ちた顔で「どこまで……だと?」そうアゼリクスは鼻で笑って強く言い放った。
「決まっておろう! どこまでもだ!」
結局、同じ答えを聞くことになった。
アゼリクスは高らかに宣言し、湧き上がる紫紺の炎に自身を包んでその場を後にした。
あの男はこの大陸に新たな理を引き、歴史を否定しようとしている。それは人のためで無いのはもちろん、竜のためでも無い。己の理想を阻んだ全てに対する粛清に他ならない。
「……マスター、もはやお力になることは叶いませんが、後はお願いします」
驚異の去った静寂の間で、ウェスカーは静かに膝をついた。整い行く舞台の端から退く者の無念だけではない、どこか安堵したような落ち着き払った素顔を見下ろし、レリウスは深く頷いた。
「承知した。私もお前を失うのは辛いが、掟には逆らえまい」
世界の理の外から傍観が義務付けられた組織において、己の存在を世界に認識させることは許されない。ウェスカーは先の戦いで素顔をエレブの者に晒し、認識されてしまったのだ。
もはや、こうなってはとるべきは決まっていた。
「死して屍残すまじ……斬!」
それが、組織の掟。
瞬きする間に断罪は終わり、レリウスは太刀を納めていた。
「……さらばだ」
その場には元から何もなかったかのようにウェスカーの姿は忽然と消え、レリウスだけが吹き抜けた風の向こう側──竜の門を見上げて、ぽつりと漏らした。
「……私もいずれ行く。その時は、元のお前でいてくれ」
◆◆◆
「解決屋ディーク、そしてイリア天馬騎士団第十八部隊の者たちよ、表をあげなさい」
ウェスカーとの死闘から夜が明けた早朝、孤児院の礼拝堂に透き通った声が時の到来を告げていた。
柔らかながらどこか威厳のある声に呼応するように、それまで膝をつき頭を下げていた者たちが顔を上げる。
「今回の働き、本当に感謝しています。ありがとう」
ギネヴィアが戦い抜いたシャニーたちを集めて労いの声をかけていたのだ。
シャニーにとっては戦場で意識を失って、目が覚めたら朝だっただけでも仰天だったのに、ギネヴィアが呼んでいるとディークに首根っこを引っ張られてきて今でも現実味が湧いていなかった。
「あたしたち、当たり前のことをしただけです。ギネヴィア様こそ、助けていただいてなんとお礼すればいいか」
「いいえ、貴女達は私を守ってくれただけでなく、何より子供達の未来を、リキアの平和を守ったのです」
何か判断する必要もなく、体が勝手に動いた感じだった。猟奇殺人犯の捜査はもともとリキア同盟としての仕事だったし、同盟内の領民を守ることは騎士なら当然の感覚であった。
むしろ、内部の事件に他国の女王を巻き込んだ形になったわけだ。ギネヴィアは好相を崩しているが、シャニーは何度も頭を下げるばかりだった。
「ハッ、コイツはともかく、俺は別にそんな大義の為に戦ったわけじゃねえ。貰えるもんさえ貰えてりゃヨシってな」
おまけに、一緒に謝ってくれると思っていたディークが、どこか高みの見物でもするように、女王を前にしているとは思えない不躾を口にするものだから心臓が潰れるところだ。
「ディークさん! 失礼だよ!」
「あん? 傭兵たあ、そう言うもんだ。嫌なら反面教師っつーことで」
幾多の戦場や契約主を渡り合って心臓が鍛え抜かれているのか、どうやら本心らしい。ディークの顔は真面目で何か考えがあるわけでもなさそうだ。注意をすれば、俺は俺とでも言いたげで聞く耳を持たないし。これだからおじさんは困ったものだ。
「もう! 申し訳ありません。悪気はないんです」
「いえ。信じる者のために戦い抜く。揺るがない信念を見せていただきました。貴方なら、どの国でも英雄でしょう」
「ハッ……俺はこっちのが性に合ってるんでね。貴族に見えていない連中の相手をしてる方がよ」
「デッ、ディークさんってば!」
一度叱ってみたが、右から左にまるで効果がない。それどころか、せっかくギネヴィアが無礼に目を瞑って褒めてくれているのに、なんと恐ろしい事を面と向かって言うのだろう。
シャニーは立てないまま、椅子から手をぶんぶん振ってディークに止めろとジェスチャーを送るが、それを止めたのは他でも無いギネヴィアだった。
「シャニーさん、お気になさらず。見えていないことも、ディークさんのような方がいてくれるから国がまわっていることも、十分理解しています。ふふ……ロイ様からお話は聞いておりましたが、確かに民を勇気付けられそうな御仁ですね」
どうやら事なきを得たらしい。というより、どうにもギネヴィアはディークのことをやたら買っているようにも見える。
もしかして、これがヘッドハンティングというものだろうか。確かに強いし、大人の余裕もあるうえに何でも知っている。ただでさえ強靭な竜騎士が守りを固めるベルンに戦神が加われば常勝無敗、完全勝利は約束されたようなものかもしれない。
「ま、そっちはこの若いのに任せるつもりですよ。粗忽者だが、黎も知る白……光と闇やら、上と下やら……繋ぐにはうってつけだ」
「ええ。ロイ様からお聞きしていた通りの方でした。透き通った風が、清々しく心に吹き抜けるような……本当に何でも話せてしまいそうな快活の妖精」
どうやら噂は本当だったらしい。あちこちから士官や軍の要職を打診されていたのを尽く断って、わざわざ儲からない便利屋をやっていたという。
今回もディークはあっさりとその席を放り捨ててしまった。それだけでも驚くのに、あろうことか話をいきなりパスしてきたではないか。おまけに、ギネヴィアまで満更でない様子だ。
「ありがとうございます! えへへ……その、ごめんなさい。女王陛下の御前で、あたしだけ座ってて」
他のメンバーは今も膝をついているが、シャニーだけは礼拝堂の最前列に座らされていた。昨日の戦闘で消耗しきったエーギルは回復しきっておらず、立つのが精一杯だったのだ。
「ふふ、またベルンでスイーツ談義しましょう。まずはご自愛くださいませ」
とは言え立場は傭兵。あまつさえ、大国ベルンの女王の前とあってはそうも言えないはずだが、ギネヴィアは柔らかく微笑んでくれている。
おまけに、戦闘前の茶会で口にしていたことをまた言うものだから、シャニーは思わず聞き返した。
「えっと、あの、本当にベルンにお呼びいただいて良いのでしょうか?」
「もちろん。守られた者として、これから先を共に創る隣人として祝福したいのです」
盛り上がった女子会で出た冗談だと思っていたはずが、これはなかなかに大変なことになってきた。
今度は街中でのスイーツパーティーとは行かないだろう。おそらく、リキア同盟を代表しての表敬となる。なんだか、今でも夢を見ているみたいだ。
「えへへ。あたしなんかそんなすごい人間じゃありません。ギネヴィア様やみんながいてくれなかったら……あたし、毒ガスで死んでたし」
今でも現実感がない。ギネヴィアに誘われているのはもちろん、死にかけたことも。
あの時は訳もわからないまま死にかけ、よく分からない注射を打たれた後は、体へ打ち付けられた釘が外れたように元通りだった。
別に、自分の力で最悪を切り開いた感覚はまるでないのだが、「それ……です」ギネヴィアはそう続けた。
「天衣無縫な貴女のまわりには立場を超えて集まり、助ける。皆を繋ぐ……ディークさんの言ったことは、貴女にしかできない天命なのかもしれませんよ」
「あたしの……天命?」
「闇を払う一陣の白き風。氷姿雪魄な姿は、まさに希望と呼ぶに相応しい。それを称号として、
「ええ?!」
何故だか分からないが、思わずディークを見てしまった。
あのベルンが、一個人に、使い捨てにされてもおかしくない相手に称号を贈ると言うのだ。以前も聖天騎士団からあだ名をつけられたが、そんなものとは比べ物にもならないのは明白だろう。
それでも当然のように、ディークからは「何で俺を見るのやら?」くらい言いたげな呆れ顔が返ってきてしまった。
「嬉しいですけど、ベルンとの友好の証なんて、あたしみたいな一部隊長には重すぎるというか……」
仮に勲章を賜るような話があるにしても、本来なら騎士団として受け取る形で団長あたりが出席するはずだ。これが、本国の部隊ならば。
連絡所所属の者が対象になることは想定されておらず、規程がないのだ。それでも、きちんと本国に問い合わせるべきだろうか。いや、今はロイに仕える騎士の扱いだ。
「そう気構えないで。お茶会のお礼でもあるの。あんな……心からはしゃいだお茶会は初めてで。今度はベルンの銘菓をご馳走します。だから、絶対いらしてくださいね」
あれこれ考えていると、ギネヴィアは楽しそうに笑いかけてきた。あなたに来て欲しい──そう言われた気がして、シャニーはついつい手を挙げて返事をしてしまった。
ベルンの銘菓には興味があるし、女王御用達のスイーツ店の制覇もしてみたい。なにより、スイーツ談義も前回は熱が入り始めたくらいで時間が来てしまった。次回の茶会も、スイーツに愛を注ぐ者同志として果たすべき使命と言えるだろう。
「そう言うことなら、ぜひ! またお話聞かせてください!」
「ええ、もちろん。あ、ちゃんとディークさんも連れてきてくださいね」
他人事を決め込んでいたのか、いきなりな飛び火にディークが目をまん丸にして固まっている。
ギネヴィアとシャニーにじっと見つめられ、逃げ場を失った彼は頭をボサボサやりだした。
「おいおい……俺もですか? 陛下の命令とあれば仕方ねえ。こいつが問題起こさないようにしっかり目を付けときますよ」
「違うでしょ! 途中で抜け出したら今度は許してあげないんだから!」
毎度のように人を問題児扱いするディークに牙をむく。
オスティアの時も脱走したのはディークのはずが、マリナスに叱られたのは追いかけただけのシャニーだった。なのに今回も「何のことやら」と両手を広げてまるで反省の色が無い。立ち上がれたら駆け寄ってグーパンチのところだ。
「ふふふ。では、さっそくロイ様にお手紙を出しておきましょう。貴女方の活躍と、ベルン派遣の献言を」
ギネヴィアの言葉はまさに夢でも見ているかのようだった。ただの一傭兵のはずが、まさかこれから大陸の未来を創って行くであろう大国の新女王から名前を覚えてもらえただけでなく、本気で国へ招待してもらえるとは。
でも、一番に沁みたのは、直後にギネヴィアが続けた一言だった。
「あと……しっかり労ってあげてとね」
「ギネヴィア様……ありがとうございます」
ちょっとでも、ギネヴィアもロイのことが気になっているのかと思った自分をポカポカしてやりたいくらい恥ずかしい。それ以上に湧いたのは嬉しさと、ロイの顔だった。
特命任務が解決をもって作戦完了した今、フェレに還って大好きなあの人に喜んでもらいたい。
深く頭を下げながらも、愛する人の胸に飛び込む光景を浮かべてシャニーは朝陽に心が膨らむようだった。