懐いていた幼女をさらわれて助けに行かないわけがない 作:みそすうぷ
「これ、やっぱりエミリーだよね?」
同い年で仲の良かったリリイが俺を見て言う。
「うん、間違いない……」
「そんなバカな話あるかよ?! だって、エミリーは悪魔にさらわれたんだぜ? 見たところ一人みたいだし、子供が一人で人さらいの悪魔から逃げるだなんて! そんなのサンタの俺たちだって無理だぜ?」
「待て、ジャック。彼女何かする気だぞ?」
アルベルがそう言った直後、湖の中のエミリーは罠の石を、岩に投げつけて砕いた。
「あ!」
「まずい!」
中から悪魔が出てくる。今度は罠にかかる前とは違い、罠の作用で染色され、白く輝いている。
俺たちは呼吸を忘れて、見守った。
悪魔は不思議そうにエミリーを見る。対してエミリーは堂々とその場に立ち、慌てた様子はなかった。どうやら、あえて罠を破壊したらしい。
弱った悪魔とは言え、彼女くらいの子供を殺すくらいなら容易いだろう。
しかし、悪魔はそうすることなく、その場を去った。少ししてエミリーもどこかへ歩き出す。
指定した場所以外の反射を見るためには、さらに数頭の動物の肉が必要になる。用意した鹿肉では当然足りるわけもなく、俺たちはエミリーの後を追うことはできなかった。
「よかった……エミリー無事だったみたいで……」
リリイがほっと胸をなでおろす。
俺は口に手を当てたまま、思考する。確かに生きてたのはよかった。しかしこれは無事だったと言えるのか? この広い森で幼い少女が一人、今もさまよっているかもしれない。
とはいえ、彼女は目的を持って歩いていったように見えた。それに身なりも綺麗だった。とても悪魔から逃げてきたとは思えない。もうクリスマスからは一か月以上経ってる。それまでどうやって生き延びたんだ。
金だって持っていなかったはずだ。服や食料はどうやって……?
肩を叩かれ、ハッとする。アルベルだ。
「ロディ、急いで街に戻ろう。一刻も早くこのことを報告しないと」
「でも、エミリーはたぶんまだ森の中に!」
「落ち着け、たった四人でこの広い森を探しきれるはずがない。ここへは時読み反射のためだけに来たんだ。装備だって十分じゃない」
俺はもどかしくて仕方なかった。でもアルベルの言うことは正しい。
「一度帰ろう。そして万全の装備でまた彼女を探しに来るんだ」
俺たちは荷物をまとめ、湖を後にした。
四人で周囲を見渡しながら森を歩き、街に向かった。しかし、靴の一つすら見つかることはなく、俺はひたすらにエミリーの無事だけを祈った。
「霧が濃くなってきたな」
ジャックがつぶやくように言う。
確かにだんだん遠くが見えなくなってきていた。これではすぐ近くをエミリーが通っていても、気づけないだろう。
「はぐれないように気をつけよう。ほら、ジャックとリリイもなるべく近くを歩いて」
俺が注意すると、リリイは嫌そうにジャックの方へ寄った。
「ふん」
ジャックが荒く鼻息をもらすと、リリイはコートのボタンを閉めながら言った。
「言っておくけど、私だって嫌なんだからね」
「んなことわかってらあ」
「じゃあそんなに嫌みったらしくしないでよ。不愉快なんだけど」
「うるせえなあ、黙って歩けよ。お前はこんなときも文句ばっか言って、エミリーと友達だったんなら少しは心配しろよ」
途端、リリイがジャックの胸ぐらをつかむ。
「私が……私がエミリーのことを心配してないとでも思ってるの?」
リリイの目から涙が零れ落ちた。
「おいお前ら、いくら何でもこんなときに……」
「リリイも落ち着いて……」
アルベルと俺がさすがにまずいと、間に入る。
ジャックは舌打ちをすると、リリイの手を払い彼女を睨んだ。
「なら少しは速く歩けよ。俺たちの中で一番足がトロいのはお前だ。みんなお前に合わせてんだよ」
リリイはジャックを突き飛ばし地面に転ばせる。
「てめえ!」
リリイは無視して駆け出した。霧はますます濃くなってきていた。
俺はリリイを追った。
少し先を行っただけのはずなのに、リリイがいない。
「リリイー!」
呼んでも返事はない。まずい、急がないと。
「二人とも、リリイがいない! 急いで追いかけなきゃ!」
俺が後ろを振り返ると、アルベルとジャックも霧の中で姿を消していた。
俺は必死に三人の名前を順に呼ぶ。誰も俺の名を呼び返しはしなかった。
街まではそう遠くはないはずだ。道の数もそう多くはない。歩いていれば、途中で落ち合えるはず。
俺はそう思って、再び歩き出す。
しかし、思わず立ち止まった。何度頭を悩ませても結果は同じだった。
行きは迷いなく歩いてきた、何度も通ったことのある道がどうしても思い出せない。
そのとき、俺の背中を何かが叩く。
牙をむき出しにした小人だった。
小人、それは人間の半分くらいの身長で、獰猛な牙を口に生えそろわせている。
独自の文明を持ち、服飾文化に飛んでいて着ている衣服は派手で美しい。だが、知能は低く攻撃的で、人を食らう。
俺は即座にコートの中へ手を伸ばす。杖を掴むのと同時に、やつも俺の腕に噛みついた。
「ぐっ!」
小人の顎の力はすさまじい。少し噛まれただけで骨が折れそうだ。俺は咄嗟に蹴り飛ばし、距離を取る。
そして怪我した利き腕で杖を持ち、構えた。
小人が飛び跳ねながら、こっちへ寄ってくる。狙いが定まらない。
俺はやつをギリギリまで引き付け、目の前にやつが来た瞬間杖を一気に傾ける。杖は先端から勢いよく火を噴いた。
杖には振り方がある。伝説に描かれているような魔女の魔法とは違う。あくまで知識と技能の決勝で、俺たちサンタは戦う。急激に傾けられた杖は、中の油と鉱石が瞬時に反応し火を放つ。山斬り鳥の鱗で加工されているため、杖そのものが燃えることはない。
火は激しく小人にぶつかり、やつを後退させる。
それでもこちらへ向かってくることを止めはしない。
俺は第二撃の炎を放つ。火だるまになった小人が悲鳴を上げながら体当たりしてくる。俺は近くの木を蹴って飛び、それを避けた。
落ちていた拳くらいの大きさの石を拾い。気にぶつかってよろめいている小人を殴る。
何度か繰り返すと、小人はやっと絶命した。
息を整えていると、腕の痛みが強くなってきた。手当をしようとコートから包帯を取り出したとき、俺の足に何かが刺さった。
いつの間にかいた別の小人だった。
気づけば俺は十体以上の小人たちに囲まれていた。
杖の火で、足元の小人を追い払う。
俺は痛みに耐えかねて、膝をついた。杖を振って、自分を火で囲む。小人たちは少し離れたが、その熱さに俺はむせかえった。
口を肩でふさぎながら、腕と足に雑に包帯を巻く。包帯に塗られた薬が効いてくれば、走れるくらいまで痛みは治まるだろう。しかし薬が浸透するまで五分程度はかかる。それまで、耐えきれるか。
俺は奥歯を強く噛み、杖を握り直した。
何度も杖を振り、火を出し続ける。しかしこれではむしろ火で焼け死んでしまう。
そう思って炎を弱めるが、失敗だった。
火の壁にできた隙間から、小人が一体飛び込んできた。
再び腕を噛まれた俺は、杖を落としてしまう。杖は転がり、火は治まっていく。小人は何度も俺に襲い掛かり、殴っても離れない。そうこうしているうちに完全に火が消えた。
一斉に小人たちが寄ってくる。
「うわあああ!」
俺は必死に小人たちを殴り、追い払おうとする。しかし、数が多すぎて立ち上がることすらできない。
そのとき、閃光がまたたいた。鋭く飛んできた炎は次々に小人をなぎ倒していく。
「ロディ! 大丈夫?!」
リリイだった。
彼女は俺に駆け寄り、杖の火で小人を瞬く間に追い払う。
「リリイ……」
「ロディ、顔が傷だらけ! すぐ手当てするからね!」
「どうして……戦闘用の杖を使っても石で叩かないと死ななかったのに……」
「街灯の着火用の杖を使ったの。あいつら、見たことない動きの火だから怖いみたい」
「なるほど、助かったよ」
「あまり喋らないで……口元も切られてる」
俺はうなずき、彼女に手当てを任せた。
森を抜けるところで、アルベルとジャックに合流できた。聞いた話によると、二人は迷うことなく帰ってこれたらしい。
リリイも道を忘れることはなかった。なぜか俺だけが、帰り道を思い出せなくなっていたのだ。
偶然リリイが近くを通っていなければ、小人たちに食い殺されるところだった。
その三日後のことだ。俺たちサンタクロースは再び会議を開いていた。森にいたことがわかったエミリーの捜索計画を立てるためだ。
東の森はとてつもなく広大なため、時読み反射でも全てを観察することはできない。人力ならなおさらだ。
「小型の馬に乗って連隊を組むのはどうでしょう?!」
またリリイだ。さっきからいくつも案を出しては却下され、落ち込んでは立案を繰り返している。
「それもほとんど人力みたいなものだろう」
「小型の馬具体的に何の品種だ? 数は足りるのか?」
「あ、それはその……うう……」
さすがに不憫に思ったのか、珍しくアルベルが気をきかせた。
「捜索手段もだが、例の霧の問題はどうする? またロディと同じ目にあうやつがいたら、次は死人が出てもおかしくはないぞ。リリイが着火用の杖で小人を追い払えると気づいたが、小人は数が多い。次も同じ軍勢とは限らないぜ」
みんながしばし考え込む。最初に沈黙を裂いたのは、この街のサンタを統率するヨセフだった。
「そもそも報告を聞いていると小人に襲われたはロディだけらしいじゃないか。アルベルとジャックに関しては、ロディとはぐれてからは霧から出られたんだろ?」
「要するに?」
聞き返すアルベルに、ヨセフは俺を指差して言う。
「霧の問題は、森ではなくロディに起因しているんじゃないか?」
「ちょっとちょっと俺のせいですか?」
俺は思わず立ち上がる。
「確かに私はそこまで小人に狙われていなかったような……」
「リリイまで……小人と霧になんの関係があるんですか。小人は霧を生み出すような能力も技術もないですよ」
「別に小人が、とは限らないだろ」
「あのなあアルベル、じゃあ一体だれが何のために俺を狙ったって言うんだよ」
「さあな」
「念のため、ロディは捜索には参加しない方がいいのでは? エミリーを探すどころか、我々が遭難しかねない」
他のサンタからそんな声が上がり、うなずく者もいる。
確かにその線もあり得るが、俺としてはエミリーの捜索に関わりたい気持ちがある。クリスマスイブに彼女がさらわれたのは、そもそも俺のせいなのだから。
「いや、むしろ参加するべきだ」
「アルベル?」
「ロディ、お前が餌になるんだよ」
「餌って……」
「イブからはかなりの時間が経ってる。子供のエミリーが一人で森で生活できてるとは限らないだろ?」
俺含め、みんながハッとしたようだった。
「エミリーが誰かといるとしたら? そしてそいつが、ロディを襲った何かだとしたら?」
「確かに……それならある程度、辻褄が合う」
「エミリーはお前を見て、街に帰れると思ったんだ。そしてそれを阻止するべく、お前はやつにさらわれた」
「なら、なんで私は狙われなかったのよ」
なぜか不満そうにつぶやくリリイを見て、ジャックが初めて発言する。
「お前は弱っちいから狙われなかったんじゃねえの」
「あのね! 私が小人の対処法を思いついたんだからね!」
「着火用の杖なんて思いつかなくても、文献にはいくらでも小人の殺し方なんてのってるっつの」
「ジャックは何も活躍してないくせに!」
「元はと言えば、お前が一人で駆け出したせいで俺たちは分散することになったんだからな!」
サンタたちがいつもの二人の様子にあきれて紅茶をすすり始めたとき、会議室の扉が叩かれた。
見回りを行っていたサンタの一人が、一人の男を連れて入ってくる。
「緊急です!」
「どうした?」
見回りのサンタがヨセフに、落ち着かない様子で言う。
「エミリーが見つかりました!」
事の顛末はこうだった。
男は、東の森をよく知る猟師だった。
その日、男はいつものように森で鹿を狩っていた。追っていた鹿をもうすぐ仕留められるというとき、突然人影が現れたという。男はあと少しで銃を撃つところだった。
声をかけようとして、彼は止めた。そこにいたのは、一昨年死んだはずの彼の父親だったのだ。猟師の父親もまた、猟師であった。森を愛していた彼は死後、森の中の静かな一角に埋葬されたという。
無論、猟師の男はすぐに気づいた。自分の父親の死体が、悪魔にとりつかれたのだと。すぐ街に戻り、サンタたちに報告しようとしたらしい。しかし、よく見ると隣に一人の少女がいたのだ。男には娘が一人いる。娘は幼い頃からつい最近まで、訳あって別の街の学校に通っていた。娘が街に帰ってくる直前、男の父親は死んだ。
森を歩く父親の亡骸は、愛する孫に森を教える猟師のように見えた。それは現実には叶わなかった死んだ父親の夢だったという。学校に入る前の娘はあまりにも小さく、森は危険すぎた。
果たして、男は二人の後をつけた。すると、一軒の小さな家を見つけたという。街の家とは違い、全て木で作られた丸太小屋だった。嵐が来たら壊れてしまうのではないかというような、素人の作ったものだ。
エミリーと、かつて父親だったものは慣れた手つきで家の扉は開いた。二人はそこで暮らしていると思われる。
「そこまでの道中、霧に悩まされるようなことはあったか?」
ヨセフが男に問う。
「いえ、今日は快晴でしたから」
「では道は覚えているな?」
「もちろんです。家は初めて見つけましたが、森は子供の頃から出入りしています」
「それは良かった」
エミリーの捜索に光が見えた。
「みんな、装備の用意と点検を。今ここにいる全員で、ただちに森へ向かう」
「「「了解!!」」」
「お父上のご遺体、必ずや奪還する。ことが落ち着いたら、丁寧にもう一度埋葬をしましょう」
猟師は涙目でうなずく。
俺が杖を削り直していると、会議室に子供のわめき声が響いた。
「もう、お父さん! みんなの前で抱きしめないで! あーもう、泣かないでよ! ジャック! 笑うな!」
リリイがジャックの頭をひっぱたいた。
昼過ぎには森に入れていた。前回とは違い、今度は総勢十八人だ。リリイのお父さんには地図を描いてもらい、街にいてもらうことにした。エミリーといるのが悪魔なら、戦闘にもなり得る。猟師とは言え、サンタでない人間がそこにいると足手まといになるからだ。
地図は全員に写しが配られた。
俺はそれを眺めながら、つぶやく。
「この場所、かなり森の奥だね」
「この広い森で局所的にここを見つけようと思ったら、何回時読み反射してもキリがないぜ。手間が省けたな」
ジャックはそう言って、そういえばというように付け加える。
「これもお前の愛する父ちゃんのおかげだな、リリイ」
ジャックは横にいたリリイから、軽く体当たりされる。
「しつこい! 黙って歩きなさいよ!」
ジャックがへへへと笑う。
「ちょっと、もうすぐ悪魔と戦うことになるかもしれないんだから、気を引き締めて」
「ロディもな。餌、なんだから」
「全く……」
「でもお前はここにきて良かったのかよ?」
リリイはジャックにそう言われて、顔をしかめる。
「はあ? なんで?」
「悪魔につかれたとはいえ、お前の爺ちゃんを燃やさなきゃいけないかもしれないんだぞ」
リリイは杖をいじって、ジャックの顔を見ない。
「別に。そんなこと大したことないわ。サンタには、親を燃やさなきゃいけない場合だってある。あまりよく覚えていないお爺ちゃんくらい、消し炭にできなきゃ困るわ」
リリイは父親にみんなの前で抱きつかれたことが恥ずかしかったのか、イラついていた。それとも、やけになっているのか。
そのとき、行進する列の前方から声がした。
「おい見ろ、ここで飯を食った跡があるぞ」
行進は止まり、俺たちは先頭に追い付く。確かにそこにはピクニックの跡のようなものがあった。
「気づかれたか。慌てて逃げたみたいだな」
俺は痕跡を観察する。地面に敷かれた布。その上にはかごに入った多くの食べ物がある。サンドイッチに果物。携帯食にはしては、量が多い。いくつかはカゴから出して食べていたようだ。
思案するヨセフに俺は提案する。
「ここで散開しよう!」
「でも家はまだ見つかってないぞ」
「この森でこんなきちんとした食事をするなんて、街の人ではあり得ないことだ! 森で暮らしてる二人に間違いない!」
そこで俺はかごの中のあるものに気づいた。瓶に入ったマーマレードだ。取り出してよく見てみる。クリスマスイブの夕焼けのような、鮮やかなオレンジ色だった。
「この色……エミリーが作ったもので間違いない」
「確かか?」
「ああ、絶対そうだ。何回もエミリーの家でご馳走になった」
覚悟したようにヨセフはうなずく。
「よし、ここで列を散開する! 全員、たいまつを作れ!」
俺たち十八人のサンタクロースは、用意してきた道具でたいまつを作る。もちろん、ただ木を燃やして作ったものではない。街灯にも使われるくらい悪魔を追い払う力のある緑色鉱石の一種が埋め込まれている。
全方向に広がることで悪魔を探し、追い込むのだ。
この人数では放射状に広がるとすぐに列の切れ目ができてしまう。隙間から逃げられては意味がない。進む距離は三十分ほどが限界だ。
俺は煌々と燃える松明を手に、進み続ける。ギリギリ目に届く範囲で、両隣にジャックとリリイの炎が見える。この距離ならまだ切れ目は出来ていないはず。
そのとき、俺の視界の奥で何かが動いた。動きは速くない。一体のようだ。
赤い。血を流した鹿か。あるいは……。
「エミリー!」
俺は走って彼女に追い付く。彼女は驚いたような顔で俺を見上げる。
エミリーは真っ赤な美しいワンピースを着ていた。
俺たちは無事エミリーを発見し、保護することができた。街までの道中も何も以上は起きず、彼女は数か月ぶりに街に帰ってきた。
クリスマスイブに彼女を守れなかった俺は、本当にうれしかった。エミリーには目立った怪我はなく、健康だった。
しかし、一つだけ問題もあった。彼女は一切口がきけなくなっていたのだ。
俺はヨセフと二人で、エミリーの実家を訪れていた。
「やはりまだ話さないのか」
「ええ」
エミリーの母親はうつむきながら返事をする。
「もう帰ってきて一週間になるのに……」
「すみません、こうなったのも元は俺のせいで……」
「ロディ、何を言ってるの。私はこの子が戻ってきてくれただけでも、十分幸せなのよ。悪魔にさらわれて帰ってこれるだなんて。あなたは何回も私に謝りにきただけでなく、エミリーを探すためにたくさん働いてくれたでしょう? 私、ロディには本当に感謝してるのよ。夫を失った私には、もうこの子しかいないから」
俺はうなずいて、黙っていることしかできなかった。代わりにヨセフが口を開く。
「今、エミリーは?」
「キッチンにいます。料理をしているんです。会話はできないけど、この家のことも大好きだった料理のことも覚えてはいるみたいで……」
「もう一度、試してみてもいいですか?」
俺が尋ねると、夫人はうなずいた。
「気を付けてね。無理はダメよ」
「大丈夫ですよ」
俺は部屋の奥へ進み、キッチンに入る。エミリーはサラダを作っていた。瑞々しい野菜を丁寧に洗い、切り分けている。
「エミリー」
俺が呼ぶと、彼女は気づいた。
「今日も少し、いいかな?」
エミリーは心配そうに戸惑う。
「大丈夫。少しだけだから」
うなずいたエミリーは包丁を置いた。
「じゃあ、話してみて」
エミリーは深呼吸をする。そして、口を開いた。
俺の耳に激痛が走る。頭の内側から、鼓膜をひねられているようだ。
痛みはやむことがない。気が狂いそうだ。痛みに耐えるのに精一杯で、彼女の言葉を聞き取るどころではない。
俺は手をあげて、エミリーに合図する。
すると、彼女は話すのを止めた。次第に耳の痛みが治まっていく。俺は床に膝をついて、呼吸を整える。
エミリーはしゃがんで視線を合わせ、俺の手を優しく握る。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
立ち上がると、エミリーの母親とヨセフがキッチンに入ってきた。
「ロディ、どうだ?」
俺は首を振る。
「ダメだ。昨日と変わらない」
「やはりか……他の人間でも何度か試したが、皆ダメだ。サンタでない人間でも違いは無かった」
「くそ、なんとかしなきゃ」
「まあ、また来よう。今日は帰るとしよう」
「わかった」
「じゃあ、奥さん。そろそろ失礼する」
「また明日も来させてください」
ヨセフと俺が、玄関で夫人に挨拶する。
「娘のために、本当にありがとう」
「とんでもない、我々はサンタクロースですから」
ヨセフはそう言ってほほ笑む。
そのとき、奥からトコトコとエミリーがやって来た。
俺に小瓶を突き出す。
「あ、マーマレード」
エミリーは優しく俺に笑いかける。
「俺が好きなの覚えててくれたんだ……」
俺はマーマレードを受け取り、エミリーの頭をなでる。
「ありがとう、エミリー。また来るね」
俺たちはエミリーの家をあとにした。