pixivで投稿していたものを丁寧に直して、ハーメルンの方で投稿させていただきました。
今回は主人公の藤坂が料理長に任命された時のお話です。
これから、ゆーっくりと可能な限り投稿を続けていきます。よろしくお願いします。
——これはスペシャルウィークとサイレンススズカに出会う二週間前のことだ。
3月の中頃、ここ中央トレセン学園のある東京都府中市では暖かな日が続いたことでよく晴れた空のもと一足早く各所に植えられた桜が満開に咲き誇り、周囲の家屋や子供たちの遊ぶ公園、ウマ娘たちが駆ける河川敷に至るまでその花びら落とし、ピンクに染め上げていた。
どこかその景色は元気に満ち溢れていて人々の表情は明るく、これからはもっと頑張ろうというエネルギーを感じさせる。
それはビシッと真新しいスーツを決め、大きなキャリーケースを引きながら府中駅の改札を抜けた藤坂も同様であった。
「くうっ〜! やっっと着いたぁ〜……!」
駅の改札を出てすぐに凝り固まった体をグッと伸ばして解し、気持ちよさそうに声をあげる。
なぜ彼が。
その疑問には答えるならば、故あって彼が料理長として勤めていた地方トレセン学園を辞め、東京にある中央トレセン学園で新たに勤めるべく上京した、と答えておこう。
「次はタクシー、かあ……。嫌だなあ。もうこの際、歩いて行っちゃうか〜」
もう乗り物にはウンザリの藤坂。
この頃、料理ばかりで運動不足気味になっていたため、この辺で歩くのがちょうど良いだろう。
そう考え、彼は駅から徒歩でトレセン学園を目指すことにしたのであった。
♦︎
まず彼が通ったのは商店街。
その入り口を通れば、早速威勢の良い野太い声が響いてきた。
「安いよ安いよっ! キャベツ一玉90円だよ! こりゃ、今買わなきゃ損だね!」
「こっちの魚もお買い得だよ〜っ! 今朝獲れたばかりの新鮮なブリが出血大サービスの500円だっ! 他じゃこの値段で絶対買えないね! 二ポンド賭けてもいいよ!」
「よっしゃ! こっちも負けてらんねぇなっ! 今買うなら、豚バラ100gを140円のところを110円に負けちゃうよっ!」
そこでは八百屋、魚屋、肉屋に至るまでどこの店も活気に満ち溢れており、値段を下げて張り合う。
その活気にあてられたお客さんは次々と足を止めて、店の品を買うに値するか吟味。そして結局はホクホク顔で買っていくのだ。
人の行き交いが多い、よく繁盛している商店街だった。
藤坂がそんな店々の雰囲気を楽しみつつ見て周っていると、「へーい、らっしゃいらっしゃい、美味しいニンジンはいかがですかー!」とオジさんやオバちゃんが切り盛りしている商店街では場違いと思えるほどの、明るく元気な声が聞こえてきた。
彼は気になりその声のした方を見てみれば、そこにはピンク髪の溌剌そうなウマ娘が全身に元気を漲らせて、八百屋の前でニンジンを販売しているのがわかった。
職業病であろうか。
買うつもりはないが、どんなニンジンが売っているのか気になった彼はその店にふらりと寄る。
すると、藤坂のことをお客さんだと思ったそのウマ娘は大きく元気な声を上げる。
「あっ! らっしゃーいっ! おにいさん、今日はこのニンジンがオススメだよー!」
そう言い、彼女は手前にある色ツヤが良さそうなニンジンを手に取り、彼の前に突き出した。
そこでようやく彼はハッと正気を取り戻し、焦り始めた。
(しまった、つい無意識で! これじゃあ、冷やかしに来たみたいじゃないか!)
藤坂としては、というか常識的に冷やかしはあまり良くない行為であるのは勿論のこと、かといって、自分の保身の為に無言でこのまま去ってしまえば目の前のウマ娘が商売に対する自信を無くしてしまうのではないか。
それはウマ娘のことを大切に想う、彼にはとても許容できないことであった。
だからこそ、正直なことを言わざるを得なかった。
「いや、買うわけじゃないんだけどね。荷物になるし……ちょっと、見るだけだよ」
彼は少し目を逸らして言う。
もう既に、彼のキャリーケースの容量は限界を迎えており、ニンジン一本たりとも入らない。
それにまさか、これから雇われる者がニンジンを手に持ったまま面接を受けるというわけにもいかなかった。
けれど、彼女の自信を守りきった彼には賞賛が送られるべきである。
気まずそうな藤坂に対して、そのウマ娘は目をパチパチと瞬かせる。
「それって……おにいさんは、冷やかしさん、ってこと?」
問われたその冷やかしという言葉に、彼はドキリとする。
「まあ、そうなっちゃうね……まずいかな?」
藤坂は少しばかりモラルに反するかと考え、ついには眉尻を下げる。次には申し訳ない気持ちに襲われるのだろうが、そうはならなかった。
縮こまる彼にピンク髪のウマ娘は首を横に振り、
「うー〜んっ! まずくないよ!」
と言ったのだ。
桜の花弁が咲くその瞳に一切の濁りなく、続けて口を開く。
「だって、八百屋のおじさん、言ってたもん! 冷やかしさんでも、そのうち、りぴーたー? になるって! たぶん、常連さんっていう意味だから、おにいさんは、お客さんってことだよね! だったら、じゃんじゃん見ていってよ! 新鮮で美味しい、ニンジンがいっぱいだからっ!」
明るく、そう言うこのウマ娘は、こちらが遠慮しないように気遣っているのだ、ということに気づいた藤坂。彼の申し訳ないという気持ちは霧散とまではいかずとも、少しだけ緩和された。
「そういうことなら、遠慮なく見させてもらうね。どれどれ……」
藤坂は、売られているニンジンを手に取り、その色合い、硬さ、形状などを入念に確かめていく。
そうしていくうちに、その目は見開かれていった。
そして、次に上げたのは感嘆の声。
「へ〜っ! 赤みが濃くて、適度に柔らかいし、形も良い。これは、良いニンジンだねっ!」
ニンジンの品質の良さに藤坂は驚いた。彼のいた地方のものとは比べられないほど良質なニンジンだったのだ。
(これは、料理に使ったら美味しくなるぞっ!)
そんな風に内心ワクワクする藤坂。
どこまでいっても彼は料理人であるらしい。
その彼のワクワクを感じ取ったのか、ピンク髪のウマ娘は、可愛らしく胸を張り、
「そうでしょそうでしょ! わたしはこれを食べて大きくなったんだー!」
と、実に誇らしげだ。
自分が普段食べているニンジンを褒められて、嬉しいのだろう。彼女の尻尾はよく揺れていた。
「だから、ここのウマ娘のみんなはレースで強いのか……なるほどね〜」
藤坂は納得したように、二、三度頷く。
彼らは意気投合し、それからも二人は会話を楽しく続け、そろそろ、という所で藤坂はトレセン学園に向かうことを思い出す。
「あっ、もう行かなきゃ。それじゃあ、ありがとう。これから面接で緊張してたけど、君のおかげでなんか元気をもらえたよ」
「うん! また来てねー!」
元気いっぱいに手を振る彼女に、彼は手を振り返し、その場を後にした。
♦︎
次に彼は商店街を抜け、河川敷の桜並木を通っていた。
ゆっくりと上から落ちてくる桜の花びらにご機嫌な足取りで歩いていると、反対側で大きな声を上げながらトレーニングをしているウマ娘を見かける。
「バクシンバクシン、バクシーーーン!!! 全生徒の模範であるウマ娘として、バクシーン!」
しきりに「バクシン」と叫ぶ鹿毛のウマ娘。
その脚力には目を見張るものがあり、一度地に落ちた桜の花びらを再び高く舞い踊らせていた。
「ずいぶんと、気合いの入った掛け声……あの子もトレセン学園の生徒なのかな? まあ、元気だと、たくさん食べてくれて、レースにも強くなるし、良いことなんだけど……バクシンって何?」
藤坂はバクシンとは何であるのかを気にしながらも、気にしても無駄だと思い直し、止めた足をまたトレセン学園の方へと動かした。
♦︎
ようやく彼がトレセン学園のすぐ近くまで来ると、正門に一人の女性が誰かを探すように左右に視線を向けながら立っているのが見えてきた。
その女性は丁字茶色をした綺麗なスーパーロングの髪を後ろの黄色リボンで二つに分けて結っており、黒い一本の線の入った緑色の帽子に、これまた緑色のスーツ、黄色のネクタイを身に纏う、キャリアウーマンといった言葉がよく似合う女性であった。
彼女は藤坂のいる方を視ると、探していた人物を見つけたのか、その顔に花が咲いたような笑顔を浮かべながら、丁寧に朝の挨拶をする。
「おはようございます。藤坂さん♪」
どうやら、彼女が探していた人物とは藤坂のことであったらしい。
「は、はい、おはようございます。駿川さん」
その笑顔に僅かに動揺しながらも、なんとか立て直し、笑顔で朝の挨拶をする。
緑帽子の女性の名は 駿川 たづな
彼女は理事長秘書という役職についており、日々、ウマ娘のことを想い、行動している。その想いによって、無茶をしてしまうのは、玉に瑕であるが。
二人は今回、直接会う前にたづなが事前審査の為にビデオ通話でやりとりをしていた。
その際に軽い自己紹介とウマ娘のことについて語り合い、二人ともウマ娘を想う気持ちが人一倍であるので、会話が終わる頃にはすっかり意気投合。
良好な関係を築けていると言えよう。
「改めまして、私は理事長秘書の駿川たづなと申します。よければ、気軽にたづなとお呼びください。これからよろしくお願いしますね♪」
左手を右手の上に置き、万人受けするような、実に綺麗なお辞儀をした。さすが、理事長秘書といったところだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。たづなさん」
藤坂もキッチリという言葉が似合うお辞儀で迎え撃った。几帳面であることと、ウマ娘を想うという点では、二人は似た物同士なのかもしれない。
「では早速、理事長室までご案内しますね」
案内役である、たづなはそう言うやいなや、校舎の方に足を向け、タッ! と素早く走り始めた。その速さはウマ娘並みだ。
「た、たづなさん!? どうして走るんですか!?」
今日、このトレセン学園に来たばかりの藤坂には、たづなさんが突然走り出した理由が分からなかった。慌てて手足を動かし、藤坂はたづなを追いかける。
「このトレセン学園では、静かに走ることが推奨されているからですよ。ウマ娘の子達と一緒の空間に居ることになるのですから、走り慣れておいた方がよろしいかと」
たづなは一切走る速さを落とすことなく、藤坂の疑問に答える。が、その声も徐々に遠くなっていく。
「そんなの、前のトレセン学園じゃなかったのに! あっ、待って置いていかないで!?」
ヒトの一般的な速さしかない、藤坂は案内役のたづなを見失わないように必死になって足を動かし、その後を追うのであった。
♦︎
走ったお陰ですぐに二人は理事長室前に着いた。
「ここが理事長室となります。ここで理事長がお待ちしているので、どうぞ中へお入りください」
たづなは相当に速く走っていたにもかかわらず、息を乱した様子は一欠片も見られない。
対して、藤坂はというと……。
「ゼェ、ハア……ゼェ、ハア……つ、疲れ……た」
膝に手をつき、大きく息を乱していた。
広大な土地を有するトレセン学園をヒトの身で全力疾走したのだ、脚はもうパンパンである。
「まだお疲れのようですね」
「こんなに走ったのは、人生初かもしれませんよ……」
「重要なのは、慣れです。これから、スピードとスタミナをつけていきましょうね♪そうすれば、このぐらいヘッチャラになりますから!」
たづなが疲労困憊の藤坂を嫌味すら感じる爽やかな笑顔で励ます。
「……は、ハハハ」
この時ばかりは、藤坂は空笑いしかできなかった。どう考えても、彼が慣れる日はやってこないだろう。
そういったやりとりを経て、藤坂は息と乱れた身だしなみを整え、いざチョコレート色をした理事長室を3回ノックする。
すると、すぐに「許可ッ! 入室したまえッ!」と部屋の中から声がした。
緊張もそこそこに「失礼します」と一言断り、彼は入室する。
すると、部屋の中には——幼女がいた。
幼女は腰まで伸びた蜜柑色の長髪をもち、青い薔薇の飾りがついた青い一本線のある白い帽子に黒猫をのせて、達筆で理事長ッ! と書かれた扇子を広げていた。
そう、彼女こそが東京都府中市日本ウマ娘トレーニングセンター学園理事長の 秋川やよい である。
「遠路はるばるご苦労ッ! 私は、トレセン学園理事長の秋川やよいだ! これからよろしく頼む!」
扇子を閉じ、再び扇子を広げると今度は自己紹介ッ! と扇子に書かれていた。
目にもとまらぬ、ものすごい早業である。
「私は藤坂 蒼斗と申します。よろしくお願いします。理事長。今日は、そちらのトレセン学園で調理スタッフを募集中とのことで伺わせていただきました」
藤坂は綺麗に頭を下げて言う。
お互いの自己紹介が終わったところで、秋川理事長が扇子を閉じ、話をはじめる。
「うむ、では早速だが本題に入る」
理事長は目を閉じ、次の言葉をためる。
彼は続きの言葉を固唾を飲み、待った。そして——
「任命ッ!トレセン学園の料理長ッ!!」
秋川理事長が言い終わるのと同時に「ニャアー」と帽子の上の黒猫が鳴く。
彼女はこちらに閉じている扇子を向けた後、就任ッ!と書かれた扇子を広げた。
これには、普段平静としている藤坂も目を剥く。
「り、料理長ですか‥‥‥そのいきなり厨房に入ってきた新参者が料理長となると、他のスタッフ達が反対しそうですが…‥‥」
焦った彼はなんとか自分がこのトレセン学園の料理長には相応しくないと秋川理事長を説得しようとする。
それも当然だ。ただの調理スタッフとしてウマ娘を支えに来たのに、いきなり他の調理スタッフの上司になれと言われたのだ、むしろ動揺しない方がおかしい。
「解説ッ! 確かに君の言う通りでもあるが、私はこれからのウマ娘達の食の健康を非常に憂いている」
「近年、ウマ娘の栄養管理が問題視されてきている。食べ過ぎによる体重の増加、偏食による栄養の偏りなど、食の面で問題が発生しているのだ」
「さらに、二週間後、料理長が定年を迎える。それにより、他の調理スタッフが指揮系統をなくすことで混乱が生じることになるだろう」
秋川理事長はパシンと扇子を手の中で鳴らし、ビシッと扇子を彼に向けた。
「そこで君だ! 数々の地方ウマ娘の栄養を考え、料理を作り、支えてきた君の料理の腕と地方のトレセン学園で料理長として勤め、培ってきたその指揮能力が欲しいのだ!」
続いて、秋川理事長はたづなに目を向け、何かを合図する。
たづなはその合図に頷き、あらかじめ準備しておいた資料を藤坂に渡す。
「そちらの資料は、藤坂さんが勤めていた地方のトレセン学園でのウマ娘の健康診断結果をA〜Eで評価したものとレースでの実績を他の地方のトレセン学園と比較した資料となります」
藤坂が渡された資料に目を通せば、そこには図や表が用いられ、わかりやすく、まとめられていることが分かった。
「藤坂さんが勤めていた地方のトレセン学園では、他の地方のトレセン学園と比べ、健康診断の判定でAが著しく多く、又、レースでの実績も年々良くなっています」
と、たづなは藤坂に対して、きりりと締まった表情で説明する。
たづなに続いて秋川理事長が口を開く。
「さらに! 君が勤めていた地方のトレセン学園の生徒から君宛に感謝の手紙が数多く届いている!これらは君が彼女達のレース人生に良い影響を与えた証!」
「畢竟ッ!君にはどうしてもこの学園でカフェテリアの料理長をしてもらいたいのだ!」
秋川理事長は、期待ッ! と書かれた扇子を広げた。
「‥‥‥」
藤坂は迷ったーー料理長としてここのトレセン学園で勤めるかどうかを。
(中央トレセンの料理長……か。数々のGI ウマ娘を輩出している、このトレセン学園の……)
地方の料理長をしていた時とは訳が違う。
自分の采配ひとつで、輝かしい未来があるウマ娘を潰してしまうかもしれない。そう思ってしまった彼は料理長になることを、お断りしようとするが……。
(いや、待て。俺が断れば、この学園のウマ娘たちはどうなる?)
記憶にある、とある事実が彼を思いとどまらせた。
それはトレセン学園の料理人は少ないということだ。
ハードスケジュールと度重なる激務で、誰もなりたがらない。ましてや、料理長はごく僅かだ。ここで、藤坂が料理長になることを断ってしまえば、それこそ、ここトレセン学園のウマ娘たちの腹を満たす者など、今後現れないだろう。
(思い出せ。トレセン学園で料理人になった時に誓ったことを。なにがあっても、全てのウマ娘の腹を満たし、健やかな成長を促すって決めただろっ!)
藤坂の覚悟は最初から、決まっていたようなものだった。
彼は、確かな意志を感じさせる瞳で秋川理事長の目を見て、
「是非、そちらのトレセン学園で料理長を勤めさせてください」と、そう願った。
その藤坂の覚悟を聞いた秋川理事長は一つ頷き、
「うむ! これからの健闘を祈る!」
激励ッ! と書かれた扇子を広げた。彼女は満足な返答を聞けたのが嬉しいのか、その顔に年相応のあどけない笑顔を浮かべる。
こうして、藤坂はトレセン学園の料理長を務めることになったのであった。
藤坂は書類上の手続きを行った後、「それでは、俺はこれで」と理事長室から退室した。
彼が退室したのを見計らい、たづなは秋川理事長に眉尻を下げながら尋ねる。
「理事長……学園のため、そして彼のためとはいえ、これからお世話になる彼に嘘をつくのはどうなのでしょうか……?」
彼女の手には一通の手紙が握られていた。それは数ある感謝の手紙の中に埋まっていたものだが、その内容は感謝とは明らかに別のものであった。
「この手紙には藤坂さんを地方のトレセン学園に戻せと、必死に急いで書き殴った跡がいくつもあります……しかも、文字が涙に滲んで……」
「うむ……わかっている」
理事長はその手紙をそっと優しく受け取り、いくらかの葛藤を経て、自身の机の引き出しへと丁寧にしまった。
「……それでもだ、たづな。あちらの学園とはそういう取り決めになっいるし、もう変えられない。それに私達には彼の力が必要だ。今、彼にこの手紙を見せれば先程の決心も揺らいでしまうだろう……私達にできることは、彼らのことを見守るしかないんだ」
「っ、わかりました……理事長」
諭すようにそう言う理事長に、たづなもこれ以上は何も言わなかった。
♦︎
理事長室から退室した藤坂はそのドアの前で肩の力を抜き、これからのことを考えた。
このトレセン学園で料理長を急遽勤めるとなると、周囲からの反感があるに違いない。
調理スタッフには疎まれ、ウマ娘には前の料理長の料理の味を求められるかもしれない。
そう考えると、先行きが不安になるが、
「‥‥‥やってやる」
彼は手をぎゅっと強く握り、不安な気持ちを抑え、決意を強めるのであった。
「一心発起している所悪いのだが、藤坂さん、私達と話をしてくれないか?」
突然、藤坂の後ろから芯のある綺麗な声が聞こえた。
彼は声のする方にバッ!と勢いよく振り向く。
そこには、三日月を想わせる前髪の白い一房に、鹿毛の長髪をもつ少女。
三日月少女の左手側に、鹿毛のワンレングスボブの少女。
右手側に、黒鹿毛のポニーテールの少女。
この三人が藤坂の後ろに待ち構えていた。
学生とは思えないほどの威厳が溢れるリーダー格らしき、三日月のウマ娘が最初に話しだした。
「はじめまして、私は生徒会長のシンボリルドルフだ。よろしく頼むよ」
「私は生徒会副会長のエアグルーヴだ。貴様、本当に学園の料理長になるのか?その腑抜けた表情からはとてもそうは見えないが‥‥‥」
「‥‥‥ナリタブライアンだ」
藤坂はこの三人の存在に驚く。
特に、シンボリルドルフには。
彼女は日本レース界史上四人目のクラシック三冠バであり、この業界に係る人間ならば誰もが知るウマ娘だ。
他の二人も凄まじい戦績を持つウマ娘で、数々のGIを制している。
偉大な功績をレース史に残す彼女ら三人が自分に何の用があるのか、藤坂は疑問に思った。
「ここで話すのもなんだ、生徒会室で話そうじゃないか」
と、ルドルフが言ってから、三人は藤坂を生徒会室まで案内する。
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生徒会室にたどり着くと、生徒会室のチョコレート色の頑丈そうな扉が藤坂の前に聳え立っていた。
エアグルーヴは自身を含めた三人の生徒会メンバーが部屋に入ってから、「入れ」と扉を開けて粗雑に入室するよう指示する。
生徒会室に入ると、入口の真正面にある椅子に座ったルドルフが「どうぞ遠慮なく座ってくれ」と着席をすすめる。
それに従って、藤坂は彼女の正面に向かえるようなソファに座る。
他の二人は反対側のソファに座った。
ルドルフは全員が席に着いたことを確認してから、その真剣みを帯びた表情からゆっくりと口を開く。
「この学園のスクール・モットーは、【eclipse first,the rest nowhere】だ。訳は、(「唯一抜きん出て並ぶものなし」)。このスクール・モットーは、学園のウマ娘がより強くなることを願って創られたものだ」
「私は全てのウマ娘が幸福である世界を創るために行動している。そのためにも、喫緊の問題に対処しなければならない。そう、あなたの事だ」
「私も現在の料理長が定年を迎えるのは既に知っている。彼女は今まで我々ウマ娘の食事において量、質ともにウマ娘が満足ゆく水準を満たし、ウマ娘を食の面で支えてきた」
「そんな彼女が料理長を辞めるとなると、多くの生徒が悲しみ、彼女の料理を欲するだろう。あなたは彼女のように我々ウマ娘を満足させる食事を作ることができるのか。いや、ウマ娘を食事でより強く、幸福にすることができるのか。そう疑問に感じたら、いてもたってもいられなくなってね。あなたとこうして話すことを決めたんだ」
(これだけウマ娘のことを大切に想っているなんて‥‥‥やっぱりシンボリルドルフさんって凄いや)
藤坂はルドルフのその高い志、そこから滲み出すウマ娘を大切に想う気持ちに触れ、内心感嘆としていた。
未だ話は終わらないのか、彼女は続けた。
「そこでだ。あなたには、私達生徒会からお願いしたいことがある。一学生の身分で理事長の決定したことを変更するわけにはいかないが、あなたの料理の腕を試させてもらいたい」と言い終わった後、ルドルフはブライアンの方をチラリと見て、言った。
「ここにいる野菜嫌いのブライアンが食べられる、野菜を使った料理を作って欲しい」
それが、ルドルフによる料理長への課題であった。