サーモンって実は白身魚らしいですよ。
「ここにいる野菜嫌いのブライアンが食べられる、野菜を使った料理を作って欲しい」
「‥‥!? なんだとっ!」
そう、平然と言ってのけたルドルフにブライアンは目を見張る。
そしてすぐさま彼女のもとに飛んでいき、
「事前の話しあいではそんなこと言っていなかっただろうが!」
バンッ! とルドルフの手前にある机を両手で強く叩き、前のめりになって問いただした。
耳を振り絞り眉を吊り上げ、歯を剥き出しにしたそれは、まさに怪物と呼ばれるに相応しい形相である。
対して、ルドルフは変わらず至って冷静に眉一つ動かず言葉を返す。
「前もって言っていたら、今この場にいなかっただろう?」
加えて確信を持って言う、その悪びれない口ぶりと態度にブライアンはさらに耳を後方に傾けて額に青筋を浮かべる。
彼女の怒りのゲージは臨界点に達しようとしていた。
次第に二人の間を剣呑な雰囲気が漂い始める。
すわ、一戦あるか。
否、そうはならなかった。
「まあ、ブライアン。そうカッカッするな。会長も考えあっての事だ」
素早くエアグルーヴがブライアンの肩を掴み、まあまあと宥めたのだ。
この言葉にブライアンは少し溜飲を下げる。
何かやむを得ない事情があるのなら、嫌ではあるが自分も受け入れようと一瞬思った。
しかし。
(いや、待てよ……? なぜ、そんなにも落ち着き払える。それに間に入ってくるタイミングもあまりに早すぎるぞ)
普段であれば、怒ったブライアンが更に二言三言発してからエアグルーヴは宥めにかかるのだが、今日は始めの一言目でそうしてきた。
あたかも、自分が激昂するのがわかっていて予め段取りを決めていたかのように。
この時、ブライアンは全てを察した。
「‥‥! さては、二人とも結託していたな! 私に野菜を食べさせるために!」
「ブライアン、お前の野菜嫌いは前々から治そうと会長と私の二人で考えていたんだ。今回、奴を試すついでに良い機会だからお前の野菜嫌いを治そうと会長がご提案なさったのだ。だから、逃げるなよ」
「くっ、しまった! 離せ!」
必死に逃げようとするブライアンだが、時既に遅し。
肩を掴んでいるエアグルーヴは一切その手を緩めようとしない。同じウマ娘同士であっても、振り解くのは困難。
そうしてジタバタともがくブライアンに他二人は薄く口端を歪める。
全てはルドルフとエアグルーヴの術中であった。
冷えた微笑をやめ、真剣な目つきに戻したルドルフは改めて料理長へと向き直る。
「どうだろう、藤坂さん。願いを聞き入れてはくれないだろうか。たとえ、断ったとしても解雇になるということはない」
逃げる道を残したその提案に、藤坂はギュッと拳を握りしめた。
(ここまでお膳立てされて答えなきゃ、料理人としての名折れだ! やってやる!)
「わかりました! 必ずや、ナリタブライアンさんに美味しいと言わせる野菜を使った料理を作ります!」
藤坂の瞳に覚悟の光が宿った。
そんな彼を見たブライアンは軽く舌打ちをする。
「チッ!‥‥‥そうまで言われたら、私も食べなくてはならないな。だが、不味ければどうなるかわかっているな?」
ブライアンは藤坂がやる気になっているのを認め、みっともなく抗うのをやめた。
その代わりに料理が不味かった場合、藤坂の身が危うくなる。
それでも彼は恐れなかった。
「はい、構いませんとも! もし不味ければ、煮るなり焼くなり好きにしてください!」
もはや、その目に一点の曇りもない。
その様にエアグルーヴはブライアンに見えない位置で小さくガッツポーズをとった。
「‥‥‥よし!」
ブライアンに野菜を余程克服させたかったのだろう、先ほどよりもご機嫌そうだ。
ルドルフはそろころ頃合いかと思い、机の引き出しから家庭科室とタグが付けられた鍵を取り出して椅子から立ち上がった。
「それでは家庭科室を借りて、調理をしてもらう。案内をするからついてきてくれ」
四人は生徒会室を出た。
♦︎
そして家庭科室に着き、中へと入る。
普段トレセン学園の生徒が利用しているこの場所は何かと騒がしいのだが、現在は物音一つせず整然と調理器具一式が並べられているだけであった。
四人の他には誰も居ない。
生徒会の権限で今日一日借りることになっている、と藤坂は説明された。
「食材は一通り揃えてある、さあ存分に腕を振るってくれ」
と、ルドルフに調理を促されて彼はよく手を洗ってから、何処に何があるのか冷蔵庫の中はどうかと入念にチェックしていく。
そうやって一通り確認したところで、藤坂は考える。
(どんな料理なら、野菜嫌いなウマ娘が野菜を食べてくれるだろう……?)
ブライアンの先程の様子を見るに、相当な野菜嫌いと見た彼。
単に生の野菜を使ったサラダもしくは温野菜などでは到底その口には入れてくれないだろうことは明白であった。
冷蔵庫の中にある食材達と自分の記憶にあるレシピを照らし合わせ模索。
しばらくして閃いた。
「これなら!」
この料理ならば、野菜嫌いのウマ娘でも美味しく野菜をいただけるだろう。
そう確信した藤坂は早速調理にとりかかる。
「ようやく調理にとりかかったみたいですね」
「ああ、これでブライアンの野菜嫌いが治ると良いのだが‥‥‥」
「‥‥‥はぁ、もう好きにしろ」
ブライアンはこの状況にゲンナリとして、なげやりに言う。
まず、藤坂はイタリアンパセリとケッパーを粗めに切り、玉ねぎをみじん切りにしていく。
次に何かを水の入ったボウルに注ぎ入れてから、みじん切りにした玉ねぎをその水に浸した。
その淀みのない動きと調理方法にルドルフとエアグルーヴは感嘆の息を漏らす。
「なるほど。玉ねぎは水に漬けることで辛みが抜ける。野菜嫌いのブライアンが食べるには必要なことだ」
「ええ、ですがそれだけなら辛味は完全には抜けないはずです。奴はいったいどうするのか‥‥‥」
「今回、野菜を食べると一度言ったからには、野菜を食べるが、一口食べて不味ければもう食べんぞ」
勝機を見つけたブライアンは少しばかりニヤリとした。
続けて藤坂はサーモンを冷凍庫からとり出し、解凍し始める。
「サーモンか‥‥‥確かにお題は野菜だけを使った料理というわけではないが‥‥‥」
「肉を野菜と共に使えば、ブライアンは野菜を一口だけ食べてから他の野菜を残し、あとは肉だけを食べるでしょうね」
「‥‥‥」
図星なのか、ナリタブライアンは他二人から目を逸らし沈黙する。
解凍し終われば、サーモンを細かく1センチ角ほどにして切っていく。
そうして細かく切られたサーモン、トマト、玉ねぎ、ケッパー、イタリアンパセリ等を鉄製のボウルに移して塩、粗挽き黒胡椒、EVオリーブ油等と混ぜ合わせる。
サーモンを切った包丁を一度洗い、パゲットを輪切り。それをトースターでこんがり焼く。お次にレモンを一欠片にカット。
その間に焼けたパゲットの上にボウルで合わせたものを載せて、最後はレモンを添えれば——
「完成です!」
藤坂は調理を終え、笑顔で三人の方を振り向きながらそう言った。
「こちらは、サーモンのカナッペになります」
彼は三人の前にできた料理を差し出す。
——それは、珠玉の一品であった。
一つ一つがトパーズオレンジのようにキラキラと輝くサーモン、ルビーの深赤たるトマト、白磁の玉ねぎ。
それらを更に彩るようにしてケッパーやイタリアンパセリが散りばめられていた。
「ふむ……カナッペか、確かにカナッペならば、サーモンと野菜が混ざり合っているため、サーモンだけを食べられる心配もない」
「どうだ、ブライアン。食べてみろ」
「‥‥‥わかっている」
ナリタブライアンは、カナッペの美味しそうな見た目、匂いに惹かれつつあった。
(む、箸がないな……素手で、ということか)
彼女がチラリと料理長の方を見ると、彼はうんと頷いていた。
やはり素手で食べるのだと知ったブライアンはカナッペを手で掴んでみる。
(掴んでも崩れることなく、よくまとまっている……フン、意外にたべやすそうだ)
そして、意を決してそれを手で掴み、勢いよく口に放り込んだ。
モグモグと咀嚼する内にナリタブライアンの目が驚愕の色を纏ってゆく。
「‥‥‥美味い」
素直にその一言が出た。
ナリタブライアンは野菜が嫌いだ。
それはウマ娘としての本能が強すぎるため、他のウマ娘よりも五感が強く、味覚が鋭いのが原因だ。
苦いものはより苦く、酸味のあるものはより酸っぱく感じる。
そのため野菜の独特な味を苦手にしていた。
だが、このカナッペはトマトの酸味や玉ねぎの辛味が極端に少なく、むしろサーモンと味が調和し旨味を感じる。
ブライアンはその美味しさから次々とカナッペを口に入れ、食べていった。
まるでカナッペがかっ飛んでいくような勢いだった。
その様を見て、ルドルフとエアグルーヴの二人は目を丸くする。
「残した野菜を誰かに食べてもらっていたあのブライアンが、こんなにも美味しそうに野菜が使われた料理を食べるとは‥‥‥これは唖然失笑だ」
ルドルフは、ブライアンが料理に夢中になっているのを見て、フフッと笑いが零れた。
「貴様、いったいどうやって‥‥‥」
エアグルーヴもどうしてブライアンが野菜を使った料理をこんなにも食べているのかわからなかった。
「酸味の弱い酢を使って玉ねぎの辛味を無くしたんです」
取り出したのは、やさしいお酢と書かれた酢だった。
藤坂は玉ねぎを水にさらす前にこのお酢を入れていたのだ。
お酢は水と一緒に使い、そこに玉ねぎをさらすと、玉ねぎの辛味を無くす効果がある。さらに、酸味の弱いお酢を使うことで味覚が鋭いブライアンも美味しく食べられるようになるというわけだ。
「それに加えて、オリーブオイルがトマトや玉ねぎの酸味や風味を抑えてくれるので、野菜を食べてもらうのにピッタリな料理だと思いました。あっ、二人もいかがですか?」
解説し終わった彼は思い出したようにそう言い、二人の前にも料理を差し出そうとする。
「ありがたくいただくよ」
「一つもらおう」
ルドルフ、エアグルーヴの二人は味を自分の舌で確かめるためにカナッペを貰い、食べた。
まず口の中に広がるのは旨味。
サーモンとトマトのジューシーな旨味とイタリアンパセリの風味を強く感じる。それだけだと、くどく感じるのだが、細かく切られた玉ねぎのシャキシャキとした食感と瑞々しさが中和しているようだった。また、トーストされた輪切りのパゲットがサクサクとしており、食べる度に心地良さを感じる。
「私も味覚が鋭い方なのだが、この料理は苦み、辛味、酸味がほとんど無く、美味しくて食べやすいよ。エアグルーヴ、君はこの料理をどう考える」
「私も会長と同感です」
「そうか‥‥‥では、決まりだな」
「ええ」
「‥‥‥」
自分の分のカナッペを食べ終わったブライアンも腕を組み、無言で頷く。
「藤坂さん、あなたの料理を食べてみてわかった。あなたはウマ娘のことを、食べる人のことを考えて料理を作っている。私は確信したよ。あなたならば、ウマ娘を食でより幸せに導くことができると」
ルドルフはコックリ一つ頷いてから、
「あなたにこのトレセン学園の料理長を是非とも任せたい」
と、その真摯な瞳で藤坂の目を力強く見て言った。
「ルドルフさん‥‥‥!」
藤坂は元々浮かべていた笑みを深める。
あのルドルフに自分の料理の腕を認められたことだけではなく、中央のトレセン学園であってもウマ娘を食で支えられることを嬉しく感じたのだ。
「ん?……料理人はコック……コックを……コックリ認める。フフッ♪ また一句できてしまったな」
「会長……」
「……またか」
「る、ルドルフさん……」
春風があたりを吹き抜ける。
春風なのに妙に寒くルドルフを除く三人は感じたという。
♦︎
「そういえば、ブライアンさん。もし料理が不味かったら俺にどうしてたんですか?」
「……プロレス技を掛けるつもりでいた」
「ヒィッ‥‥‥」
藤坂は顔を青ざめさせ、か細い怯える声を出した。
ウマ娘の圧倒的な膂力で技を掛けられれば、ヒトはひとたまりもない。
彼は今後とも美味しい料理を作ろう、と震える体を抑えながら三女神像に誓うのであった。