お菓子作りって本当に大変だよねっ。
「頼む! オグリに故郷の料理を食べさせてあげれへんか!」
手を合わせて懇願する小柄な芦毛のウマ娘——タマモクロスに藤坂はとりあえず事情を尋ねてみることにする。
「一体どうしたの? よければ話を聞かしてほしいな」
「? アンタ誰や? 見ない顔やけど……」
「今日から厨房で働くことになった藤坂だよ、よろしくね。ちなみにタマちゃんの言うそのオグリちゃんの道案内もさせてもらったよ」
「アンタがオグリをカフェテリアまで連れて来てくれたんか! おおきに! そうそうウチが言わずと知れたタマちゃん——って、誰がタマちゃんやねん!」
(ノリツッコミが上手い子だなぁ)
「で、そんな必死に頼み込むほどのことなのかい? オグリの症状は」
今まで静観していた料理主任がようやく口を開き、事の顛末を尋ねる。
すると先ほど陽気に話していたタマモクロスの表情が一気に曇った。
「せや、オグリの奴が……オグリの奴が、たった10人前しか食べへんのや……!」
(ん? いや、それは少ないというよりむしろ多くない? ウマ娘としても十分多くない……?)
そう思ったのは藤坂のみであったようで、その話に聞き耳を立てていた調理スタッフ達が俄かに騒ぎしくなった。
「あ、あのオグリキャップがたったの10人前で……!?」
「そ、そんなバナナ!? 明日はバナナの雨が降るぞ!?」
「くそっ、これが
阿鼻叫喚とはこのことか。
驚愕、そして絶望に塗れだした厨房内に藤坂は内心ドン引きしていた。
(ええぇ……普段どんだけ食べてるのオグリちゃん)
「いやいや、流石に大袈裟すぎますよね。ね、料理主任?」
あまりの騒ぎように藤坂は縋るように料理主任を見るも、その肝心の彼女の目は見開かれており驚愕を隠せずにいるようだ。
「確かに、今日はオーダーが少なかったね……普段は冷蔵庫や冷凍庫の食材が蹂躙され尽くされて跡形もなく消えるのに、今日は余るぐらいだったのはそういうことだったわけさね」
「1人でそんなに食べるんですか……」
「オグリの腹は『マリアナ海溝よりも深く、サハラ砂漠よりも広大』だと言われとるな、全部カフェテリアのおっちゃんが言ってたことやけど」
(例えがもはやワールドクラス……!)
タマモクロスの補足もあり、オグリがどういうウマ娘か少なくとも腹の面ではなんとか理解した藤坂。
次に彼は疑問に思ったことを口にすることにした。
「それで、どうしてオグリちゃんの故郷の料理を作ることになるの?」
まずは理由を聞かないことにはどうしようもない。
理由の如何によっては、別の解決策もあるかもしれないためだ。
タマモクロスはゆっくり話しだした。
「……オグリは地元の笠松を離れてトレセン学園に来てもうしばらく経つ。そうすると、地元の馴染みの顔が恋しくなるっちゅうて、ホームシックになっとるんや」
「なるほど、故郷の料理を食べればその寂しさも解消されるってことか」
「お、ほんま話が早くて助かるわ。せや、料理に関してならウチみたいな素人じゃなくプロに任せた方が確実やからな。
ウチも色々やってみたけど、あんまし上手くいかんし……」
そう言い俯くタマモクロスの手が荒れているのを、藤坂はめざとく捉えていた。
(オグリちゃんのために一杯頑張ってケーキ作ってたんだろうな……よし)
「今回の一件、やってみるかい?」
料理主任は藤坂の覚悟を知ってか知らずか、そう提案してくる。
そんなこと、彼にとっては聞くまでもないことである。
「やります、やらせてください! 困ってるウマ娘をこのまま放ってはおけません!」
その真摯な瞳を確かめ料理主任は、ふ、と笑う。
「……アンタみたいなウマ娘想いの良い奴が料理長になるなら、トレセン学園もしばらくは安泰さね」
「料理主任……」
そうして藤坂が軽く感動していると料理主任は彼の肩に両腕を置き、
「だから、死なないように気をつけな」
「へ?」
いきなり出てきた『死』という単語に、藤坂は間の抜けた声をあげてしまう。
(料理してて死ぬ可能性があるの?)
ある。
少なくとも、その場にいた調理スタッフ達は皆一様に顔を青ざめさせ、目を逸らしていたのだから……。
♦︎
料理主任から許可をとって厨房の一角を借り、タマモクロスに白い調理服を着てもらい消毒。
藤坂達は最低限の準備を終え、本題のオグリに関してタマモクロスに話してもらった。
「タマちゃん、オグリちゃんの故郷の料理って何かわかる?」
「寝言でいつも言うとるんやけど、ニンジンケーキが食べたいみたいやで。せやけど、ウチが作ったニンジンケーキをさりげなく食べさせてみてもずっと元気がないねんな……」
「ニンジンケーキかぁ……」
ニンジンケーキ。
子供から大人まで幅広いウマ娘に愛されているケーキ。
一般的な苺ケーキの苺をグラッセされた糖度の高いスイートニンジンに置き換えた非常にシンプルな物で、単純ゆえに様々な改良を加えられバリエーションに富む。
その種類は今現在でも数百種類に及び、どの味がオグリの故郷の味なのか分からない。
「……それと、あんましオグリには料理作ってることは内緒にしといてもらへんか。オグリは自分のために他人に迷惑かけてると思うと、罪悪感を強く覚えてまう性質なんや」
「了解」
となると、一つずつ確認していくしか方法はないのである。
「とにかく料理はトライ&エラーということで、作ったニンジンケーキを、さりげなくオグリちゃんに食べさせてみてくれないかなタマちゃん」
「ウチが言い出したことや、そんぐらいはやってみせるわ! もちろん、ウチも調理を手伝う!」
何はともあれ、こうして藤坂とタマモクロスの研鑽の日々は始まりを迎えたのだ。
調理開始である。
「よし、こんなんでええか?」
「うん、これで大丈夫」
藤坂とタマモクロスが一緒に厨房の奥から取ってきたのは、大量のニンジンと蜂蜜、レモン、無塩バター、生クリーム、薄力粉、卵、グラニュー糖。
それらを金属製の調理台の上に綺麗に並べ直し、藤坂はひとしきりオーブンの中を確認した後、さっそく予熱しだす。
「まずはニンジンのグラッセを作っていくよ」
「おう!」
「ニンジンは皮を剥いたら、先端を大きめに残して1センチの輪切りに。レモンも同じく輪切りにする」
「先端は何に使うん?」
「それは最後に分かるよ。輪切りにしたニンジンを、さっきのレモンと水100mlと無塩バター20g、ハチミツ大さじ1、塩小さじ1/4を入れた雪平鍋で煮込む」
「強火やけど、これ焦げつかないんか?」
「最初は沸騰させなきゃいけないから時短のために強火にしてるけど、沸騰したらしっかり弱火にしていくよっと」
「これで10分煮込んで水分飛ばすんやな」
「そうそう、その間にスポンジ生地の材料を合わせていくよ」
「常温に戻した卵を卵黄と卵白に分けて、卵黄1に対してグラニュー糖を20g入れてハンドミキサーで白っぽくなるまで撹拌。
卵白もハンドミキサーでグラニュー糖70gを加えつつピンとツノが立つまで混ぜていくよ。卵黄と違うのは数回に分けてグラニュー糖を入れていくことかな」
「どうしてグラニュー糖を数回に混ぜるんや? 一気に入れれば楽やん」
「それはね、砂糖やグラニュー糖には卵白の気泡を保つ働きがあることが関係しているんだ」
「気泡を保つ力……?」
「そう、グラニュー糖を最初に全部入れちゃうと、卵白の水分と糖が強く結びついて空気の入る隙間が無くなって気泡が出来にくくなってしまう。ネバネバのスライムに気泡を入れるのが難しいようにね。
けど、数回に分けてグラニュー糖を入れていくことで、卵白の固さを調整することができて、気泡が良い塩梅で卵白と混ざりつつ、気泡が潰れにくくなる——という理屈だね」
「へぇ〜、そういう理由なんやったんやな〜。おおきに、勉強になったわ!」
「で、この泡立てた卵白にさっきの卵黄を泡を潰さないようにヘラを使ってさっくり混ぜていく。混ざったら、篩にかけて薄力粉を半量ずつ入れてさらにヘラでさっくり混ぜていく。湯煎で溶かしたバターも半量ずつ……」
「ケーキ作りは何かと細かくて大変なんやな……」
「型に生地を流し込んでね」
「わかったわ!」
「流し終わったら、ここで予熱してたオーブンの出番。180度で25分焼いていくよ」
「ここからはゆっくり待とか」
そして、25分後……。
「よっしゃ、焼けたで! 取り出してっと……」
「うん、オーブンから取り出してくれてありがとね。焼けたらこのスポンジを横半分にカット。待ってる間に作っておいたグラニュー糖と水を加熱してできたシロップをスポンジに塗っていくよ」
「こう見てみると、やっぱ菓子って甘いよな〜」
「この横半分にしたスポンジに輪切りにしたニンジンのグラッセを均等に挟み込んでいってね」
「おお、もうすぐ完成って感じやな……!」
「次に生クリームをグラニュー糖と一緒にハンドミキサーでツノが立つように泡立てて、スポンジに塗りたくる。最後に残しておいたニンジンの先端のグラッセをこのケーキに立てれば……!」
「この時のためのニンジンの先端やったのか……!」
「完成! ニンジンケーキ1号! まずは一般的に出回ってる作り方を試してみたよ!」
「よっしゃ、すぐにオグリに食べさせてくるわ!」
数十分後……。
タマモクロスは厨房に帰ってきた。
「ケーキ、どうだった?」
「ダメやった……」
「そっか……次行こうか」
リトライ。
「ニンジンケーキ2号! ニンジンの部分を砂糖多めのグラッセにしてさらに甘くしてみたよ」
「すぐ届けてくるわ!」
数十分後……。
「どう?」
「ダメや」
「次いこっか」
リトライリトライリトライリトライ。
「102号! 生地とかクリームとか、使ってるニンジンの産地を変えてmitayo」
「届」
すうふんご……。
「dou?」
「駄」
「next」
藤坂は諦めずに多種多様なニンジンケーキを作ったが結局、夕方までにはオグリの望むニンジンケーキに達することはできなかった。
「腕が死ぬ……頭が重い。でも、諦めてたまるものか……」
しかし、藤坂の心は決して折れない。
日も沈み始めてタマモクロスが寮に帰り、カフェテリア内に彼1人になってもニンジンケーキの研究は続くのであった……。
♦︎
夜。
彼はカフェテリアの一席で一人白目を剥いて気絶していた。
そこに何者かの影が迫り、彼に向かって腕を振り上げる。
「おい、起きな」
バシィ! 瞬間、机に突っ伏していた藤坂は背中を引っ叩かれ、あまりの痛みに跳ね起きた。
「いっ……ったあぁぁ!! って、料理主任!? なぜこんな時間にここに!?」
強制的に叩き起こされた藤坂が目にしたのは、料理主任の姿だった。
彼女はフン! と鼻を鳴らし、藤坂を見下ろす。
「アタシがアタシの厨房にいつ居ても良いだろう。そんなことより、オグリに食べさせるケーキは出来たのかい?」
それは藤坂が今一番聞かれたくなかったことだ。
「……出来てません。どうしても出来なくて……」
拳を強く握りしめ、悔しそうに唇を噛み締める。
あんなにも意気込んでいたくせに、どうしてもオグリの納得のいくケーキを作れない自分が不甲斐なくてしょうがなかった。
そんな藤坂の様子を見て、料理主任はため息を一つ吐く。
「はあ、アンタ、不器用だか器用なんだか分からないやつさね」
まったく仕方のない奴だよ、と料理主任は懐から一枚の紙を取り出し、藤坂に手渡す。
そこには数字の羅列が書かれていた。
「これは、笠松にあるオグリの自宅の電話番号だ。理事長に頼んで貰ってきてやったんだ、有効活用しな。変なことなんかに使ったらぶっ飛ばすよ」
「えっ、ちょっ、どうして……?」
訳もわからず、次々に進む事態に頭が追いつかない藤坂。
しかしその質問に答える気が微塵もない料理主任は、構わず話を続ける。
「後はアンタが考えることさ。これからはアンタがこのトレセン学園を影で支えるんだろ? しっかりしな。
さてと、年寄りにこの時間はちとキツイ。アタシはもう帰って寝るから厨房の戸締りは任せたよ」
とうとう藤坂の疑問が晴れないまま、踵を返した料理主任はカフェテリアの出口へと姿を消した。
残ったのは、荒い字で電話番号の書かれた一枚の紙切れのみ。
(どうして料理主任はオグリちゃんの自宅の電話番号を俺に……いや、そうか……!)
調理中、タマモクロスが呟いていたことを藤坂は思い出す。
『オグリはウチと同じく、あんまり家庭が裕福ではなかったらしいんや。たくさん食べるオグリは食費が嵩むからゆうて、母親がずっと料理をしてくれていたらしいで』
プルルルル。藤坂は携帯電話を取り出し、その電話番号に掛けた。
「……あ、もしもし! 夜分に失礼します、トレセン学園調理スタッフの藤坂と申します。オグリキャップさんのご自宅で間違い無いでしょうか? 実は——」
こうして、夜は更けていったのである。
次回、オグリの一人称視点です。