第1話
「今夜も冷えるわね」
そう言って俺を抱きしめるのは豊穣の大地をそのまま人の形に具現化したような
俺の名前はデモポン、俺を赤子の頃に拾って育ててくれたデメテル様のファミリアの一員で、今日は一つの区切りの日であった。
ファミリア、それは下界に降臨した神々が持つ派閥のこと。
豊穣と慈愛を司るデメテル様のファミリアは、農業を含めた生産と商業を行っている。
ファミリアの先輩達も俺も毎日汗水垂らして、畑を耕している。
それは幸せな毎日だけれど、この世界は常に危険と隣り合わせだ。
「あの子が襲われたのはポンちゃんの責任なんかじゃない」
この世界にはモンスターがいる。
太古の昔、神々がこの世界に降臨する以前ダンジョンと呼ばれる場所から這い出して人々を襲った人類の天敵種。
そのような存在を打倒するために、神から与えられた人類の可能性の指針、
それは世界を豊かにする力ではあったが、逆にそれを悪用する者達も生み出すきっかけとなった。
そして俺のファミリアの仲間もそんな悪人に襲われ傷ついた。
「でも、俺が弱かったから……。守られていることしか出来なかったから、だから強くなりたい、皆を守れるように、強く」
「そう……」
デメテル様は、俺がいる農場に訪れると毎回暖炉の前で俺を包み込んでくれる。
それは親を知らない俺にとって母の愛を知らせる温もりだった。
デメテル様の俺を包む腕に力が少し入る。
「ポンちゃん、約束してちょうだい。今言った言葉を忘れないってことを」
俺はデメテル様の腕の中で体の向きを向き合うように変える。
デメテル様の瞳は潤んでいた。
今にも泣きだしそうな程に。
俺はいつもデメテル様からしてもらうように、両手でデメテル様の頬を優しく包む。
そして、笑顔で答えた。
「はい!」
そんな俺の笑顔を見たからだろう、デメテル様はハッとした顔になる。
「ポンちゃんも男の子なのね。……よし、ファルナを刻むわね!」
それがだいたい一年と少し前のこと。
四方がレンガで固められ、屋根を支える木の骨組みが見えた一室、机の上には十手のような形をした片刃の剣があり、そばに油の染みがついた布が乱雑に置かれている。
木組みの本棚には分厚い本が敷き詰められており、それぞれが専門書であった。
そんな部屋の一つしかない窓の下、ベッドに眠る一人の男児、齢9つであるが男の顔になりつつある。
その時、扉の先から声がした。
「ポンちゃ~ん!!」
その声に目を覚ます。
ブラウンの髪にブラウンの瞳、眠たそうに伸びを一つして声を張り上げた。
「はーい!」
「おはよう、ポンちゃん」
そう言ってデモポンを抱きしめるのはデメテルだった。
彼女は愛おしそうに大きな胸にデモポンの顔を埋めるように抱きしめる。
その苦しさでデモポンが目を完全に覚ますのがいつもの日常だった。
「お~お~、苦しそうだな」
「羨ましいような、そうでないような……」
「ほら、仕事が詰まってるんだから急いで朝食をすませてしまいましょ」
デメテルファミリアのホームの食堂、かなりの人数が食事をとれるように端から端まで走って移動しなければならないほどの広さである。
そんな食堂には種族も性別もバラバラの人達が集まり、出来るだけ一緒に朝食を食べる。
それはデメテルファミリアの暗黙のルールだった。
デモポンが食事を始めると、ファミリアの仲間達がデモポンの今日の予定を聞いてくる。
「今日もダンジョンにいくのか?」
「うん、今日は10階層で頑張ってみようかなって」
「10階層だと、オークがでてくるのよね?心配だわ」
「大丈夫だよ、ガネーシャファミリアの人とも何度も行ったし」
ガネーシャファミリアは、街の憲兵の役割を担っており、デモポンを除き非戦闘員しかいないデメテルファミリアでは良く護衛の依頼をしている派閥である。
デメテルがガネーシャに頼み、デモポンはダンジョンでの経験をガネーシャファミリアの団員に見守られながら積んでいた。
また、戦闘訓練の教導なども受けさせてもらっている。
それでも、ここ最近はソロでのダンジョン探索を行っている。
理由としては、デモポンはデメテルと必ず帰ってくると約束していることと、彼女の慈愛は甘やかすことが全てではないからだ。
危険な仕事をしないデメテルファミリアの中に合って、あえて冒険者になる。
いつでも冒険者を止めて、ファミリア本来の仕事に戻ってもいい。
それでもその道に進むなら、応援はするし手も貸すが、それしかしない。
そういう約束で、デモポンはデメテルにファルナを体に刻んでもらったのだ。
時間が惜しいと朝食を掻き込んだデモポンは、食器を手に持ち席を離れる。
「大丈夫!俺はレベル2のレコードホルダーだから!」
そう胸を張って言うも、しっかりとデメテルに「慢心しちゃダメ」とデモポンは怒られた。
デモポンは装備を装着すると、ファミリアの仲間に声をかけてホームを飛び出す。
デモポンの瞳に映り込んだのは、道を行き交う人の波と、その中を縫うように進む冒険者の数々、その進行方向に目を向ければ、天に刺すほどに巨大な
デモポンは、まず冒険者達の元締めを行っているギルドに向かう。
まるで巨大な神殿のような作りをしているが、中に入ってしまえばそこは冒険者のような荒くれ者達が利用する場、綺麗ではあるが貴族の屋敷のような雰囲気は無い。
デモポンはまっすぐ受付に向かうと、自身の担当アドバイザーの受付嬢に挨拶をした。
「おはようございますソフィさん!」
「はい、おはようござます」
笑顔でそう返してくれたのは、銀髪の女性エルフのソフィであった。
エルフは基本的に容姿が整っていることが多い、ソフィもそれは同様で整っている。
変な男神や冒険者に口説かれている姿をデモポンは良く目にするほどである。
そんなソフィが優しく笑い挨拶する姿には、周囲からごくりと唾を飲み込む音が聞こえてくるほどである。
ただ、子供のデモポンには関係がない。
「今日は10階層まで行って、オーク狩ってきます」
デモポンがそう言うと、ソフィは眉尻を下げた。
「今日もソロなの?」
デモポンは元気に返事を返す。
「せめてパーティーを組んで欲しいのだけれど……」
「デメテル様から知らない人とパーティーを組んじゃダメと言われてますので」
「ガネーシャファミリアのアーディさんは忙しいの?」
「
デモポンの答えにソフィは眉を下げた。
それでも、今はその話題は別の人物に奪われているが、最年少冒険者として有名であったデモポンである。
幼いことには変わりない。
受付嬢として祈るぐらいしか出来ないことが歯痒いが仕方がない。
ソフィはいつもデモポンと会うと、そう考えてしまう。
受付嬢としてのキリッとした顔にソフィがなったのを見たデモポンは、日課をこなす。
「装備は?」
「斬撃に強い戦闘衣と中に打撃用のチョッキを着てます!」
「アイテムは?」
「
「リュックの中は?」
「解体用のナイフとお昼ご飯が入ってます!」
ソフィは受付カウンターから身を乗り出す。
「ガントレットとメタルブーツも手入れ出来てます!」
デモポンは片足を上げて、脛の部分と靴の先端に刃がついたブーツを見せると、両手の指先が尖り前腕部が盾のように分厚いガントレットを見せる。
「武器は?」
「刃毀れ一つありません!」
デモポンは腰の鞘から、十手の様な形をした剣、双頭剣をカウンターに置く。
ソフィはそれを慎重に見てデモポンに返した。
「良し!それじゃ、夕方までには帰ってきてね」
デモポンは返事をし、いってきますと告げてダンジョンに走り出す。
その後ろ姿を見て、ソフィは静かに祈った。
「ハッ!」
左手に握られている双頭剣をモンスターの首に突き刺し、捻じり引き抜く。
「グギィィィィィィ!」
モンスターは声にならない叫びを上げて消え去った。
モンスターは致命傷を負うか、体内に宿す魔石を砕かれると、黒い灰となって消えていく。
地面に落ちた魔石をデモポンは拾うとリュック内の専用ポケットにしまい入れる。
「ふぅ……」
デモポンはダンジョン9階層に来ていた。
ガネーシャファミリアの団員に教えてもらった通りに肩慣らしも兼ねて、ここにくるまでそれなりのモンスターを倒している。
「これだけ魔石があればそれなりの稼ぎになるな」
稼いだお金で防具を買い替えるか?
デモポンはそんなことを考えながら、10階層を目指す。
アイズ・ヴァレンシュタインは追い詰められていた。
付き添いでダンジョンに来ていた口うるさい者を巻いたと思った先に下層へ繋がる縦穴が開いており、足を滑らせて冒険者となって初となる10階層まで落ちてきてしまっていた。
そこで別の冒険者のパーティーに
見渡す限りのオークの群れ、醜悪な豚鼻を鳴らしている。
だが、アイズにはそれすら単なる経験値稼ぎにしかならない、むしろ向こうから来てくれた、モンスターを譲ってくれた人達は良い人達だ。
自分が蜘蛛の巣に捕らわれた蝶だとも知らずに、歓喜の笑みを浮かべる。
「これでまた、強くなれる」
―――強くなる。
アイズ・ヴァレンシュタインは、その強迫観念に支配されていた。
彼女は何故強くなりたいのか。
そう聞かれた時に、内心こう考えている。
―――私には、英雄がいなかった。
助けてくれる英雄がいない。
ならば自らが英雄になるしかない。
だから剣を手に持ち、どれだけ傷つこうがモンスターを屠り続けて来た。
周りの制止も聞かずに。
10階層のダンジョントラップ。
視界全ての霧が濃くなっていく。
今まで捉えていたオークの群れが見づらくなる。
―――関係ない。
アイズは、少女と言うには似つかわしくない剣を持ち、能面のようなともすれば人形のような顔で眼前にいた一体のオークの腹部に剣を叩き込む。
瞬間、まるで剣が振れた先がハンマーで抉られたかのように爆ぜた。
血飛沫がアイズの黄金色の長髪を赤く染め上げる。
―――構わない。
アイズは、絶命していないオークに留めを刺そうと剣を振るうと、次の瞬間剣が粉々に砕け散った。
そしてオークが最後の力を振り絞って太い腕を振るうと、アイズはそれを躱し切ることが出来ないまま、少女らしく木の葉のように殴り飛ばされる。
「アッ―――、ガッ……」
アイズは自身の体中から酸素が枯渇した瞬間を知覚した。
だが、憎いモンスターはたくさんいる。
―――憎い、許せない。
その思いだけで立ち上がり、絶望した。
霧は晴れていないが足音で理解した。
オークの数が増えているのだ。
手には砕けた剣だけ。
一発殴られただけで致命傷。
足音は近づいてくる。
だが、アイズが絶望したのはこの状況にではない。
この程度のことを超えられない、自分の弱さに絶望していた。
足音は近づいてくる。
アイズはそれでも戦うと、刃がない剣を握りしめる。
だがその時気が付いた。
自身が震えていることに、尻餅をついてしまっていることに。
「え……?」
アイズは呆然とする。
霧の先からオークの足先が見えた。
そしてこれから無惨に殺される。
少女が泣いて震える様をオークに見せつけるためだろうか。
霧が晴れていく。
オークはあと少しの距離。
アイズが最後の足掻きの様に、オークの顔の位置を睨めつけると、下卑た笑いを浮かべるオークの顔が。
―――吹き飛んだ。
オークは首先から血を吹き出し黒い灰となって姿を消す。
霧が完全に晴れ、それを為した少年が姿を現した。
「なんでこんな所に女の子が……、それよりも、大丈夫?」
アイズは思う。
彼は英雄ではない。
私の英雄ではない。
それでも、その時彼が浮かべていた表情はどこか、自分が本当に助けて欲しかった英雄に似ていた気がした。