獣―――。
それは雰囲気からそう思えたのだろうか。
ただ感情が出やすい瞳からは、何かに追い詰められている壁際の手負いの獣を連想させられた。
男の子はアミッドを一瞥すると、目礼だけで済ませ、デメテルとアーディには頭を下げ再び訓練と称した虐めに戻ろうとした。
その時、先程まで散々男の子を吹き飛ばしていた女性が男の子のすぐ後ろにまで歩みを進めており、振り返った男の子の頭に強烈な拳骨を落とした。
それは決して頭からしてはいけない音がするほどの威力であった。
「ふぎゃッ!!」
男の子は短い悲鳴を上げる。
その様子を見て、やれやれと女性が首を振ると、アミッドに声をかけて来た。
「やれやれ……、初対面の人物には出来るだけ礼節を持てと私は言ったぞ?……私はガネーシャファミリアの、シャクティ・ヴァルマだ。よろしく頼む。そして、ファミリアを代表して感謝したい、いつもディアンケヒトファミリアには世話になっている。ありがとう、アミッド・テアサナーレ」
ガネーシャファミリア団長の
それは大変名誉なことである。
ただその言葉は今のアミッドには重く感じられた。
「……私達は当然のことをしているだけですので」
アミッドは褒められているのに、その顔は能面の様に無表情で聖女と言われるほど整ってはいるが、無理をしているのが感じ取れた。
シャクティはスッと目を細めると、拳骨を落とされた頭をさするデモポンの襟首を猫の様に持ち上げ、アミッドの目の前に移動させた。
デモポンはもうどうにでもしてくれと言ったような諦めの表情を浮かべており、アミッドは少し驚きの表情を浮かべる。
アミッドが驚いたのは、デモポンから先程まで感じ取れていた獣の様な雰囲気が消えていたからだ。
デモポンは吊るされながら、首を動かしてシャクティに文句を言う。
「シャクティ、恥ずかしい……」
「この程度の辱めは我慢しろ。まったく、もう終わりだと言うのに何度も突っかかってきて……、少しはこちらの都合も考えろ」
シャクティは手の掛かる弟に文句を言う姉のように、言外に疲れたと言っていた。
デモポンの方も、膨れ顔であるがシャクティに言い返している。
アミッドは二人の関係性に誤解していたのかもしれないと考え直した。
すると、デメテルが手を合わせながら言った。
「ポンちゃんもシャクティさんも汗をかいているから、先にお風呂に入ってきたらどうかしら?」
デメテルの言葉にデモポンは露骨に嫌そうな顔をした。
「シャクティは、髪の洗い方が下手で痛いから嫌だ」
「ほう……、いつも早く済ませてくれと言っているのはどの口だったか?今日は記録更新といこうか?」
シャクティがニヤリと笑うと、デモポンの顔は青くなる。
デモポンは吊るされたまま、シャクティに連れていかれた。
アーディは、その様子に「あはは……」と苦笑いをしている。
なかなか濃い人達だとアミッドは思った。
デメテルファミリア内の応接室、そこに用意された丸椅子が二つ。
そこにはデモポンとアミッドが向かい合っていた。
アミッドは治療師としての準備を済ませていく。
デモポンはそれを不思議そうに眺めている。
二人が未だに子供で背も低いことから、どこからどう見てもお医者さんごっこにしか見えない。
ただ、アミッドが小さく息を吐いたところで空気は変わる。
その顔には一切の妥協を許さない、職人の表情があった。
ただデモポンは年相応に丸椅子から投げだれた足をブラブラさせ、暇であると態度で示している。
そして軽い問診を行った後に、アミッドは服を脱ぐように言った。
デモポンは言われた通りに上半身の服を脱ぐ。
アミッドはデモポンの肌を見て驚く。
あれほど吹っ飛ばされていたのに、その肌には傷一つ無かったからだ。
回復薬を飲んだと言う話も聞いていない。
普通ではありえない状況に、アミッドは少し考え込む。そして素直に感想を述べた。
「凄まじいですね。デモポンさんは、最近
アミッドはデモポンの体の一部分を突いた。
その瞬間、デモポンは飛び上がる。
「イタイっ!!」
その様子を見て、デメテルだけでなくシャクティもアーディも驚いていた。
「やはり、疲れは蓄積されているようですね。いえ、外部からそう見えないだけで内部は損傷しているのかもしれません」
アミッドはそう言いながら、検診を始める。
アミッドに色々とされているデモポンは先程のがよほど痛かったのか、涙目でアミッドを睨んでいた。
「……内部も特に問題なさそうですが、疲れが抜けていないと言う事はどこかが無理をしている可能性もあります」
アミッドがそう言うと、デメテルは不安そうにした。
「現時点では要観察とし、訓練後などに治療師に診てもらうことをお勧めします。ただ……」
アミッドはデメテルを見た。
デメテルは眉間に皺を寄せている。
その表情のままデメテルはアーディを見ると、アーディは頷きデモポンに服を着させると手を引いて退室していった。
それを見届けたデメテルはシャクティを見る。
シャクティはそれに対し頷いた。
「呼び出しておいて、こんなことを聞くのは申し訳ないのだけれど、ポンちゃんのスキルは口外しないと約束してほしいの、もちろんあなたの主神にも。その上でお願いしたいの……、ポンちゃんを定期的に診てもらえないかしら?」
神は下界の住人の嘘を見抜くことが出来る。
それはアミッドも承知している。
だからこそアミッドは本心から頷いた。
「患者の方がそれを望まれるのなら、それを叶えるのも治療師の仕事ですので」
アミッドが嘘を言っていないと判断したデメテルは、一息つくと話し始めた。
「ならあなたを信じて話すわ。ポンちゃんのスキル、エレウシス・アムブロシアの能力を……」
現在アミッド達、救援パーティは15階層に足を踏み入れていた。
先程まで和気あいあいとしていた冒険者達も、ここからは油断ならない死地であると理解しており、細心の注意を払っている。
アミッドも何が起きても良い様に、魔法を待機状態にし、いつでも護衛の冒険者達を癒せるようにと準備していた。
すると、周囲から亀裂が走る音が聞こえ始める。
「おい、この音は……」
冒険者の一人が呟くや、リーダーを務めている冒険者は叫んだ。
「
冒険者の一団はアミッドを中心にした隊形を維持しながら、ダンジョンの声の中を走る。
それでも亀裂が走る音は、まるで自分達を絡めとる様に辺り一帯から響き始めた。
「クソッ!」
そしてとうとう牙を剝き始める。
眼前に現れたのはミノタウロスの群れ、その数は20を超える。
さらに後方からは、数えるのも嫌になる量のモンスターが生まれていた。
完全に挟撃された形となり、次の階層に近かったことから、開けた場所となっていたそこには、迂回路なんてものは存在していない。
いくらレベル3を含んだレベル2の冒険者達と言えど、物事には限度と言う物がある。
さすがにこれは捌ききれない。
リーダーの冒険者は判断を迫られた。
その時、デモポンが叫んだ。
「後方は俺が行きます!皆さんは前方のミノタウロスの群れをお願いします!」
その声と同時にデモポンは隊列を離れていた。
冒険者達は困惑の声を上げ、今すぐに救援に向かうべきだと結論を出そうとするが、それをアミッドが制した。
リーダーの冒険者は、非難の籠った視線をアミッドに向ける。
それに対し、アミッドはただ「彼なら大丈夫です」としか言わなかった。
ミノタウロスの群れに魔法の雨が降り注ぐ。
それはミノタウロスの一部、先遣隊のような個体を粉微塵に変えた。
だがそれは所詮一部、次から次へとミノタウロスは仲間の灰を踏み均して突き進んでくる。
「うぉおおおおおおッ!」
とうとうミノタウロスの群れと冒険者の一団はぶつかり合った。
激しい殺し合いが繰り広げられるが、冒険者側に負傷者はいない。
それはアミッドが、負傷した冒険者を次の瞬間には魔法で癒してしまっているからであった。
その行いはもはや不死の軍団を生み出した事に等しく。
まさに聖女の名に相応しい出鱈目さであった。
ミノタウロスとの戦闘に希望が見え、余裕が生まれたからだろう。
リーダーの冒険者は後方のデモポンにも意識を向ける。
部隊とは離れてしまった闇の中、そこから聞こえるのは暴力の音色だけだった。
「……本当に、大丈夫なのか?」
リーダーの冒険者が唾を飲みながら、問いかけるとアミッドは視線を前方のミノタウロス達に向けたまま答える。
「はい、大丈夫です」
「なぜそこまで信じることが出来る?彼はまだ……」
「死なないと、約束しましたから……」
「え?」
「彼は、デモポンは、私の前で決して死なないと約束しましたから……、だから大丈夫です」
アミッドがそう言った瞬間、中衛の冒険者から悲鳴が上がった。
それは突然の奇襲であった。
群れからはぐれていた一匹のミノタウロスが、光に群がる虫のように、魔法を行使するアミッドに向け突進を始めたのだ。
それにより、アミッドを囲っていた防御陣に穴が空いてしまう。
そしてそれを許容する程ダンジョンは甘くない。
さらに湧き出したモンスターがアミッドに向け、その牙を向ける。
周囲の冒険者達は知覚し反応出来ているが、間に合わない。
叫び声を発する時間すらない。
それでもアミッドはその牙を無視して、魔法を行使し続ける。
まるでそれが目に入っていないかのように、絶対に大丈夫だという確証を得ているかのように。
あと、数瞬―――。
それだけで、聖女の美しい銀の髪が鮮血に染まる。
そう誰もが予想するなか、暗闇の中から一筋の光が差し込んだ。
その光の矛先はアミッドに向かっていたモンスターの首。
次の瞬間モンスターは絶叫を上げる。
モンスターの首から鮮血が吹き上がり、アミッドの美しい銀髪をモンスターの血によって染め上げてしまった。
「血……、かかってしまったな。大丈夫か、アミッド?」
アミッドの目の前にいるのは、血濡れの獣。
その体の全てを血の赤で染め上げるデモポンであった。
デモポンの姿は文字通り血塗れであり、双頭剣と防具からは血が涎のように滴っている。
いまのデモポンの姿を見れば、モンスターと勘違いされてしまうかもしれない。
そんな姿のデモポンとアミッドの姿は、モンスターと見つめ合う聖女の絵画のように怖くも美しかった。
アミッドはデモポンを見ながらも、口元に小さく笑みを浮かべた。
アミッドがデモポンと出会ってからすでに一月が経過したころ。
アミッドは自室で文献を読み漁り頭を悩ませる。
「エレウシス・アムブロシア、効果は
アミッドが頭を悩ませていたのはデモポンのスキルのことであった。
エレウシス・アムブロシア、効果は
デメテルの説明によると、攻撃またはそれに類する行為に対しての免疫効果。
攻撃を受けると体がそれに対抗するために能力の底上げを自動で行う、出鱈目なスキル。
つまりそれは、格上と戦えばそれに勝てるように瞬時に強くなるということ。
いくらダメージを負おうが、それが死に直結しないように瞬時に体を進化させてしまう。
つまり超速回復がこのスキルの本質と言える。
まだ試してはいないが、魔法にも毒にも呪詛にもこの効果は働くだろう。
「ただ、どこまで回復の効果があるのか不明……。神デメテルから出来ればその境界値を探り出してほしいと頼まれましたが、いったいどうすれば」
アミッドは椅子の背もたれに体重を預ける。
木製の椅子が苦し気な音を奏でるのを聞きながら、アミッドは皺の寄った眉間を揉み解した。
「ステイタスが上がると言う事は体が経験に則って最適化されていくことと同義、つまりは身体の作り替え、そんなことをダメージを負う度に繰り返す。体のどこかに無理をさせていると考えるのが普通なのですが……」
う~ん……と悩むアミッドの血色は以前よりも大分良くなっていた。
それはデモポンとの関りとさらにデメテルファミリアの人達のちょっとした怪我を魔法で癒すことがきっかけとなっていた。
自分の魔法の力で人々が癒される。
その光景はアミッドに自信をつけさせていた。
そしてその自信は本来のアミッドの力を十全に発揮させていた。
強く扉を叩く音がする。
アミッドが返事を返すと急患のしらせであった。
アミッドは専門書を閉じるとすぐに立ち上がり患者の元へと急いだ。
補足説明
主人公のスキルを簡潔に説明しますと、ダメージを喰らった分だけ強くなるということです。
しかも回復もします。
まるで、ラスボスみたいな能力です。
後々描写しようと思いますが、弱点も勿論存在します。
例えば、一撃必殺の攻撃をくらえばもちろん死にますし、腕が吹っ飛ばされても生えてきません。
主人公の器の許容値を超える攻撃を受けて進化しようとすれば体が耐え切れずに内側から爆発します。
スキル名は、神話上でデーメーテールがデモポンにアムブロシアを塗り火にくべてデモポンを不死にしようとしていたと言う話から考えました。
エレウシスはデーメーテールのエレウシスの秘儀から取りました。