第17話
昼時、寒さを感じる季節。
汗で張り付いた衣服が体温を余計に奪い取る。
にもかかわらず、広大な庭園の一画で1人、デモポンは己を鍛え続けていた。
なぜダンジョンに潜らないのかと言われれば、ギルドの担当官であるソフィに無茶をしたことを怒られたからである。
そのため、付き添いがない状態でのダンジョンアタックを実質封じられていた。
そして、闇派閥の襲撃とゴライアスの強襲、その二つを見事潜り抜けたデモポンはレベルを3へと昇華させ、新たな力を得ていた。
デモポンが腕を振るうと大地から次々と武器が生えてくる。
まるでそれは畑で芽吹いた野菜の類かのように、そこにあって当たり前だと言わんばかりに主張している。
デモポンはその中から手近な斧を握ると、振り上げ、即座にそれを手放し、槍を手に持ちそれを投げ、剣を手に持ち斬りかかる。
まるで相手がいるかのような動作で修練を重ねるデモポンの耳に足音が聞こえた。
「―――ッ!?」
その直後、デモポンはその場を飛び退き足音の主へと身構えた。
デモポンの視線の先、そこにいたのは一人の大男。
筋骨隆々なその姿、山の如く揺らがない隙の無さ、圧倒的な存在感を放ち現オラリオ最強の冒険者、レベル6の
オッタルは自身の背から大剣を抜き放つ。
一体どれほどの重量を誇るのか、デモポンの身長の二倍はあろうかと言う大剣。
その切っ先をデモポンに向け、猛者は言った。
「……貴様が何を感じ取ったのか、ソレはどうでもいい。……来い」
その声が耳に届く前に、デモポンはすでに駆け出していた。
鉄と鉄が打ち合う喧騒をBGMにデメテルファミリアのホームには三人の女神が向かい合っていた。
いつもの客間から感じる事が出来る優しい土の香りを上書きするような甘い誘惑の香、部屋全体に浸食したその異物が、部屋の主すらも上書きしたかのような異常。
それをそこにあるだけで成しえてしまう超越存在、美の神フレイヤは出された紅茶に静かに口を付けた。
その香りが鼻についたのか手を眼前で勢いよく振るっているのがロキ。
そんな二人を笑顔で見ていたデメテルは、テーブルの上に紙の束を差し出した。
「はい、これが私のファミリアが調べ上げた現在オラリオに滞在する外の商人達のリスト。それとこっちはここ一年大きなお金を動かした形跡のある商人と商社のリスト。最後に怪しい動きを見せている商業系ファミリアのリストね」
分厚い紙の束を見せられて、ロキは舌を出した。
さすがにこの量はどうかと思ったのだろう、フレイヤですら、僅かに眉間に皺を寄せている。
そんな二柱を見てデメテルは困ったように肩を竦めた。
「もぅそんな顔をしないでちょうだい。うちの可愛い子供達が頑張って集めてくれた情報よ?」
デメテルはそんなふうに言うが、ロキやフレイヤがそんな素振りを見せたのはデメテルファミリアの情報網とその規模であった。
ただの一介の商業系ファミリアにオラリオに出入りするほぼ全ての商売人の情報が集まる。
それはオラリオの商いの全土をデメテルファミリアが把握していることになり、口振りから闇市ですら把握していることになる。
冒険者と商売人は切っても切れない間柄にあり、どちらかが欠けてしまえばダンジョンの攻略も闇派閥の殲滅も悲願の達成も夢のまた夢となってしまう。
その片翼を握られていると言う事は、ファミリアの内情をいつ知られてしまうかわかったものではない。
何をするにも物資は必要不可欠であり、何かをしようと動けば、その情報はデメテルの下に集まる。
ロキやフレイヤが渋い表情をするのは仕方がないことだった。
だが、この二柱はかつての最強ファミリア、ゼウスとヘラに代わり現在オラリオの頂点に座している。
デメテルファミリアならこの程度為すであろうことは予想していた。
ならこの二柱は何が気に入らないのか。
それはデメテルが近いうちに一端オラリオ外に疎開するためであった。
膨大な情報の開示、それはデメテルが本気であることの証、ロキとフレイヤに情報を託すと言う事は、嘘でも何でもなく本気だということ。
オラリオの食を一手に引き受けていると言っても過言ではないデメテルファミリアの喪失は闇派閥との抗争が日に日に増している昨今、頭痛の種となっていた。
「……出て行ってしまうのね」
まず口を開いたのはフレイヤであった。
天界から親交のあったデメテルとフレイヤ、その関係は友神と言っても良い。
だからか、普段は余裕のある姿しか見せないフレイヤの瞳は嘘を許さないと語っていた。
「えぇ、来週皆で炊き出しをしたらその日にオラリオを経つわ」
その瞳から逃げないデメテルはハッキリと言い切った。
「善神代表の自分がオラリオから姿を消せば、
ロキは肩肘を突きながら言った。
「えぇ理解しているわロキ。私は自分の子供を優先させると選んでしまったの……それに」
「デモポンか?」
「……本当は最後まで残ろうって皆で決めていたのだけれどね。私達がオラリオにいる限りポンちゃんはオラリオから離れない。そうしてもし
デメテルの言葉にロキは同意を示した。
「ま、自分の子供に辛い現実を直視させたくないっていう気持ちも、失いたくないっていう気持ちも理解できる。けどな、それはデモポンの意思を聞いての行動ちゃうやろ?」
ロキの言葉にデメテルが瞳を伏せてしまう。
「
フレイヤの言葉にロキは乱雑に髪を掻き回す。
「解っとる。解ってるから、聞いたんや。あのクソガキは冒険者やからな。今のオラリオから逃げるんわ冒険者の教示に反してしまうやろ?」
ロキは珍しくデモポンの気持ちを代弁した。
冒険者と言う生き物を長い時間多種多様に見て来たからこそ、その言葉を発することが出来た。
一度逃げてしまえば、デモポンは冒険者としてオラリオに戻ることは無くなるかもしれないと考えての言葉だ。
だがデモテルもそんなことは百も承知である。
そして説得も不可能だとわかっている。
なら無理矢理連れていくしかない。
故にデメテルは原点に帰った。
冒険者としての心が邪魔をするなら、それを折ってしまえばいいと―――。
「それにしてもさっきからうるさいなぁ……。デメテル、鍛冶職にまで手を広げるつもりか?ヘファイストスに言いつけてまうで」
ロキの問いにデメテルは首を振る。
「私はねロキ、皆で楽しく畑仕事をしてお食事が出来ればそれでいいの、それ以上の楽しみを下界に求めていない。だから、今でもポンちゃんが冒険者でいることに内心反対しているのよ。でもね、ポンちゃんは決めてしまったから私の言葉を聞いても辞めようとしてくれない。ならやっぱり、冒険者としてのポンちゃんを折るしかないってそう思ったの」
デメテルの言葉を聞いて、ロキはキツネ目を大きく開く。
そしてすまし顔で紅茶を飲むフレイヤを見て、デメテルを見て、またフレイヤを見た。
「……一体誰を連れてきよった?」
ロキが非難の籠った声でそう言うと、フレイヤは何故か嬉しそうに言った。
「頂点」
技術が凄いとか、駆け引きが上手いとか、そういう類の冒険者は多く見て来た。
ただそれらを捨てて暴力だけで向かってくる冒険者をデモポンは見たことがなかった。
「ヌンッ!」
オッタルが大剣を叩きつけるように振り下ろす。
技も駆け引きも関係ない。
純粋な力のみの味気ない振り下ろし。
それが、ゴライアス以上の脅威となってデモポンを襲う。
受けに回れば死ぬ―――。
デモポンは大袈裟なまでの回避運動を行い、大剣から距離をとる。
瞬間大地が爆ぜた。
切っ先が触れた瞬間に固く舗装された地面が石ころの様に飛び散り、それが散弾となって襲い来る。
デモポンは即座に盾を生み出し石の散弾を防いだ。
次の瞬間には体が宙を浮いていた。
盾の上から殴り飛ばされたのだ。
盾のグリップを握っていた手から血が噴き出し、全身の酸素が漏れ出す。
空を飛びながら、なんとか息をしようと口を動かすと、デモポンに影が差した。
「フッ!」
その正体はオッタル。
跳躍した彼はそのままデモポンを両断しようと重力に体を任せて大剣を振り下ろす。
デモポンは盾を放り投げると、小さく魔法であるアイトーンを放つ。
体の軌道を変え、剣線の予定位置から体を逃がすと、空に浮かぶオッタルに向けアイトーンによる熱波を照射した。
ドラゴンブレスと見間違うその熱波をオッタルは耐えきった。
熱波の彼方から煙を全身から吹き出し突っ込んでくるその光景はゴライアスより恐怖である。
だがデモポンはその一撃すらすんでのところで回避することが出来た。
そして立ち上がると叫び、拳を握りそこにアイトーンを纏わせ突き出す。
砂埃の先から巨石のような拳が姿を現し、爆発音を伴いながら打ち付けあった。
この時初めてオッタルは違和感を覚えた。
それはデモポンが戦いながらにして強くなっているからであった。
技や駆け引きを盗み出し、それを応用しているなんてことは当然として、純粋な膂力やスピード、そして戦いにおける感性その全てが別人かのように急速に成長している。
デモポンにとってみればオッタルは本気で殺しにきているように見えるが、オッタルからしてみれば加減して組み手を行っている程度の認識。
オッタルはレベル4程度の己を思い出しながら、相手をしていた。
デモポンと組手を始める前、オッタルはフレイヤからデモポンのレベルが3であることを聞かされていた。
であるにも関わらず、今のデモポンの能力はレベル4と同等の域に感じられる。
久方ぶりの未知。
知らずオッタルは興奮していた。
そのためか徐々に加減していた部分を開放していく。
それに必死に食らいついてくるデモポンにさらなる喜びを感じた。
今この未知を踏破した先に、さらなる高みが待っているかもしれない。
停滞していた己のステイタスを上昇させうる存在、オッタルは願った。
もっと強くなれと、そして己はそれを踏み越えると。
逸る気持ちは剣戟に現れ、より苛烈になっていく。
血飛沫を上げながらも折れないその瞳に懐かしさを覚えながら、大剣を振り上げる。
「そこまでッ!」
と、その大剣を振り下ろす前に喉元に冷たい感触がしていることに気が付いた。
視線を下げると、それは槍の切っ先。
「フィン、なぜ止めた」
名を呼ばれたフィンは切っ先を毛ほども揺るがすことなく静かに答える。
「これ以上は単なる加虐となってしまうからだ。僕としては君が冷静になってくれると有難いのだけれどね。―――これ以上を望むなら、僕が相手をしよう」
その冷めきった熱を浴びたオッタルは、敬愛するフレイヤの言葉を忘れかけていた己を恥、静かに大剣を背に戻すと、踵を返し立ち去ろうとする。
フィンはオッタルのその行動に驚きを見せた。
フレイヤファミリアは神フレイヤの言葉に絶対で答える。
団長のオッタルが行動を起こしているということは、神フレイヤの命令であることは間違いない。
それを途中で引き下がるなどありえないことだ。
だが、フィンは良く効く視力でデメテルファミリアのホームを見ると、窓の先にフレイヤがいることに気が付いた。
それを確認したフィンは構えを解くとデモポンに回復薬を渡そうとして、停止した。
フィンの目の前を何かが通り過ぎたからだ。
それは余りにも小さな石礫、力なく飛んでいったそれはオッタルの背に当たりポトリと落ちた。
フィンはそれを唖然と眺め、デモポンに視線を移すとさらに驚く。
「……気絶しているのに?」
デモポンは立ちながら気絶していた。
にも拘わらず、石礫を放り投げた手はゆっくりと閉じられていき拳の形に収まる。
そして、その瞳は折れていない。
フィンは背筋にゾクリと寒気が走ったのを知覚した。
オッタルは聞こえているかもわからないデモポンに勝者の言葉を贈る。
「勝者は敗者の中からしか生まれない。……泥の味を噛み締めて昇ってこい、高みへ」
その言葉は屈辱と共に、確かにデモポンに届いていた。
そんな光景を見ていたロキは大きく息を吐きだした。
「フィンを迎えに呼んどいて正解やったわ。あの筋肉ダルマ明らかにやりすぎやろ」
ロキがそういうもフレイヤは我関せずの態度を崩さない。
むしろオッタルに熱が籠ったことに喜びすら感じているほどだ。
フレイヤの内心を知ってか鼻を鳴らしたロキは、介抱を始めるフィンを見ながら呟く。
「にしても、デメテルはやり過ぎやろ。こうなる可能性も解っとったやろうに」
フレイヤは静かに口を開く。
「眷属は神に似る。いつからか言われ始めた説だけれど、あの子もその説を裏付ける証拠と成り得るのかしら……」
「はっ、なにいうとんねん。あの包み込むことに関しては右に出る神がおらんデメテルのどこをどう似ればあんな風になってまうんや」
「ねぇロキ?」
「あん?」
「普段優しい神が怒ると、怖いのよ?」