アイズは暗闇の中を駆け回っていた。
眼前に迫るモンスターを、一刀の下に壊滅させダンジョンを一人走り走っていた。
それはまるで何かから必死に逃げるようで、事実彼女は涙を流しながら、叫び声を上げそうになる口を必死に噤んでいた。
―――誰も教えてくれなかった。誰も。
アイズは逸っていた、ステイタスの伸び悩み、顕著に表れたそれは自身の限界を知らしめるには十分であった。
だから求めた。
目に見えて成長出来るランクアップの方法を、しかしロキファミリアの誰に聞いてもはぐらかされ、友人であり自身の先に進むデモポンに聞いても答えてくれなかった。
それは悲しかった。
仲間外れにされたように感じた。
だが、強くなれと追いかけ回してくる黒い自分の恐怖よりも、リヴェリアを悲しませたことが、怖かった。
ダンジョンに潜る前、たまたま出会ったリヴェリアは案じてくれていた。
なのに暴言を吐いてしまった。
デモポンにもそうだ、嫌われたかもしれない。
一人に……、また一人になってしまう。
でも欲しい、力が欲しい。
アイズの小さな体の中に宿る剣の様な心は、罅割れようとしていた。
振るって、叩いて、切り裂いて。
ボロボロになった剣。
それが今のアイズだった。
アイズが家出したと聞いて、ホームを飛び出したデモポンは完全武装していた。
それは恐らくロキファミリアの人達がオラリオ中を探し回っているだろうと考えたからだ。
ならば自分とアイズの隠れ家、10階層の洞穴。
あそこにいるかもしれない。
確認していなければすぐに戻る。
そうデメテルに告げてデモポンはダンジョンに向かった。
その道中、不思議な出来事があった。
夜のオラリオの喧騒。
普段は騒がしい街の人々と、その中に混じり込む神々。
一瞬の内に、神々から声が消えた。
それは周囲にいる人々も怪訝になるほど顕著で、酒を飲んで騒いでいた眷属達が心配しているほどだ。
あまりに異様な風景、その中で走るデモポンは一人の男神に声をかけられた。
「やぁ、久しぶりだね紅蓮君」
「ヘルメス様、お久しぶりです。でも今俺急いでて、また今度でお願いします」
ヘルメスと呼ばれた神は、眼深に被った帽子を持ち上げると、真剣な瞳で呟いた。
「今君が向かおうとしているのは、ダンジョンだね。―――行かない方がいい。今のあそこは、どこかの馬鹿のせいで地獄と化しているだろうさ」
「……それはどういう?」
「おいおい、いくらオレがヘルメスだからって、なんでも知っている訳ではないよ。ただ、そう感じるだけさ」
その声、その佇まい。
発する全てが超越存在、普段はおちゃらけている神であるが、今この時は、神託を授ける神の名に恥じていない。
ただ、それでもデモポンは止まらない。
「ありがとうございます。でも、行かなきゃいけない理由がありますので、大丈夫だったら引き上げますので」
デモポンはそう言ってヘルメスの視界から消え去った。
その姿を見送ったヘルメスは呟く。
「まったく……、『約束の時代を担う英雄』その可能性を上げるためとは言え、俺の行動がこうなって帰ってくるとは、下界は本当にままならない。だからせめて、俺は見届けよう。切り裂くことしか知らない姫を彼等は優しく抱きしめることができるのか。―――その行く末を」
「ギオォォォォオオオオ……」
「グォォオオオオオオオ……」
デモポンの視界には流れるように通り過ぎていくモンスター達の姿が映っていた。
上層とは言え、モンスターは人を容易に捕食出来るように、徒党を組むこともままある。
それでも、デモポンの動きを捉えることが出来ずに、見送ることしか出来ない。
本来のレベル2の俊敏値では到底ありえない速さを、デモポンは見せつけていた。
それを可能にしているのはデモポンのスキルの一つ。
その名もアレイオーン、効果はスキル発動時の速度高域強化、ただし逃げに徹した際には超域効果となり、それはレベルの差を覆す程となる。
デモポンは、敢えてモンスターを倒さず、追わせることで、疑似的に逃げの状態を作っていた。
加速する加速する加速する―――。
限界を超え加速し続けても、ダンジョンの壁にぶつからないのは、偏にそれだけ通った道であるからであり、体に染みついた道程は勝手に足を動かしてくれる。
「邪魔だ、どけええッ!!」
突き出された右手より発せられる紫電を伴った紅い熱波。
アイトーンを使用し、紅い彗星となって進む先にいたモンスター達は、訳も分からぬままその命を散らしていった。
デモポンは10階層の洞穴に辿り着く。
だがそこには誰もいなかった。
嫌、微かに人のいた形跡はあった。
だが、アイズの姿はそこにはなかった。
「クソっ」
デモポンは悪態をつく。
待っていたかもしれないからだ。
友人である自分を。
その時、デモポンの背に悪寒が駆け巡った。
まるですぐ真後ろにモンスターレックスが口を開けて待っているかのような、次の瞬間には命を散らせてしまう想像が全身を包み込む。
「ッ!」
デモポンは飛び退き、双頭剣を構えた。
だがそこには何もいない。
デモポンが小さく息を吐きだすと、下腹部が揺れた。
「なッ!!」
それはモンスターの咆哮、今まで聞いたこともないような絶叫だった。
まるで、親の仇を目の前にした誰かのように、相手を殺戮するための予備準備のように、戦いの狼煙を上げたかのように、その声は10階層を包み込んだ。
どこだ、どこにいる。
霞が充満する10階層、その全土を把握するかのように神経を研ぎ澄ませる。
だが、それらしい感触を得ることは出来なかった。
嫌、それのいる場所はすぐにわかった。
「ここよりも、下……?」
10階層よりも下層、それもそんなに変わりない。
11階層か12階層、その辺りにこの声の主はいる。
デモポンはそう確信した。
今なら逃げ出すことは可能で、そうしても誰も咎めない。
むしろ良く生き延びたと褒められさえするだろう。
だが、そこにアイズがいたならばどうだろうか。
友人を見殺しにした男が出来上がるだけだ。
その考えに至ると同時に、デモポンは駆け出していた。
目指す先は12階層。
11階層は、走りながら確かめればいいと考えて。
―――覚悟は出来ていた。
アイズは眼前に浮かぶソレを見ても、頭の中は酷く冷静だった。
ある時、ロキに言われた言葉を思い出す。
「えぇかアイズたん。神の言う事なんか信じたらあかんよ?皆が皆、アイズたんの為を思って言うてくれるわけやないからな。特に、男神には気いつけや。アイズたんは可愛いからなぁ~」
今日は男神と二回会ったな。
一回目は帽子を被った男神、ランクアップの方法を教えてくれた。
けれど、それが原因でリヴェリアを悲しませた。
二回目の神は、フードを被った男神。
黒い自分の喜ぶことを、甘い言葉で言ってきたが、リヴェリアや友達のことを思い出して断ることが出来た。
そしたら目の前に産まれた。
黒いワイヴァーン。
本来なら中層に現れる筈のモンスター。
しかも体表の色も違う特殊個体。
それが、口腔内に漏れ出す程の火炎を溜めていた。
「ゥ―――」
「ゥァアアアアアアッ!!」
アイズは叫び声を上げると、ワイヴァーンに駆け出した。
同時に放たれる煉獄。
アイズは前筋力を足に集約すると、急回転し、岩陰に隠れて炎が通り過ぎるのを待った。
「はぁはぁ……」
息が苦しい―――。
アイズがそう感じた時、あたりの光景は様変わりしていた。
12階層。
そこは霞が支配する世界。
ただアイズは恐怖と歓喜が織り交ぜになりながらも、冷静な頭で訓練の日々を思い出す。
飛竜種との闘い方のセオリー、そして強者との立ち回り。
デモポンと考え、リヴェリア達にダメ出しされてきた日々。
ただその時間は無駄ではなかった。
アイズは素早く岩陰から飛び出す。
ただし、岩を足場にしてワイヴァーンに飛び掛かったのだ。
剣が届かないならば、届く位置まで墜としてしまえばいい。
アイズは憎しみが籠った一撃を、ワイヴァーンの片翼の付け根に叩きつけた。
ワイヴァーンもこれは予想外だったのか、回避行動をとることが出来ずに、本来有利な筈の空で、小さな子供に良い様にされている。
「アアアアアアアアッ!!」
叫ぶ、アイズは叫び続ける。
そして何度も何度も翼を斬りつけ、肉と骨が避ける音を聞きながら、ワイヴァーンと共に落下する。
それでもアイズは止まらない。
斬る箇所が無くなったなら、別の箇所を斬るだけ。
地面にぶつかるまでの僅かな時間。
その中で、ワイヴァーンは小さな子供に弄ばれるかのように切裂かれ続けた。
そうして落下の衝撃で、アイズとワイヴァーンは跳ねるように地面を転がる。
だがアイズの心はまだ折れていない。
即座に起き上がり再び弄んでやろうとして―――。
吹き飛ばされた。
「ギィアっ」
それは竜の怒りだった。
子供に良い様にされて、叩き落されて、弄ばれた。
その怒りは凄まじく、尻尾による横薙ぎの一撃は、地形を変えながらアイズを木の葉のように吹き飛ばした。
アイズの肺から空気が一気に抜けて消えていく。
空気を求めるために、動かした筋肉が痛みで意識を飛ばしにかかってくる。
それでもアイズはそれらを憎しみの炎で黙らせた。
黙らせたうえで、立ち上がった。
攻撃を受けたソード・エールは罅割れている。
握る拳は震えている。
切れた額から流れた血が、片目を赤に染め上げる。
それでも切っ先は敵に向けられる。
それが気に入らなかったのだろう。
ワイヴァーンは再生させた翼をはためかせると、鋭利な爪を突き出してアイズに飛び掛かった。
それは必殺の一撃だった。
アイズには躱すことも出来ず、差し違えるかもわからない切っ先を向ける事しかできない。
ただワイヴァーンが通り過ぎた先には、上下に別れた自分がいるだろうなとは、予想できた。
死にたくない―――。
怖い―――。
私にはやらなければならないことが―――。
脳裏に言葉が次々と生まれ、虚しく消えていく。
弾かれたバネのように飛び掛かってくるワイヴァーン。
爪はすでにワイヴァーンの体の半分を隠す程に迫っている。
アイズは思う。
英雄がいてくれたならば、私の英雄がいてさえくれば、こんな私を助けてくれるのだろうか。
―――だが違う。
私に英雄はいなかった。
だから私が英雄になるしかなかった。
英雄になるために強さを求めたのに……。
その時、アイズはデモポンを何故か思い出した。
決して英雄になってくれる人ではない。
でも友達にはなってくれると言ってくれた人。
どこかムカつくけれど、それでも私の話を聞いてくれて―――。
「もう少し、話したかったかな……ポンちゃん……」
その時、アイズを暖かな風が包んだ。
「俺もそう思ってたところなんだ」
アイズは瞳を大きくした。
いる訳がない、いない筈の人物。
最後に言葉を交わした時は、嫌な別れ方をした。
たった一人の友人。
「ポンちゃん……?」
「その呼び方アイズにされるのは初めてだけど、友達らしくて良いね」
紅い波が、ワイヴァーンの爪を防いでいる。
まるで押し寄せる波のように、ワイヴァーンの爪は先に包むことが出来ずにいた。
ただ、デモポンは友人であって英雄ではない。
カッコつけて登場は出来たが、敵を倒せるわけではない。
「……えっ?」
アイズの掠れた声が漏れ出た。
たしかにワイヴァーンの爪はギリギリのところで停まっていた。
ただし、それはアイズにであってデモポンがそうではなかった。
アイトーンの魔法の熱波はワイヴァーンの進行を防いだ。
ただ、少し遅かった。
デモポンが駆け付けた時には、すでにワイヴァーンの爪はアイズに届きそうになっていた。
だからデモポンはアイズとワイヴァーンの爪の間に割り込み、魔法で進行を止めたのだ。
ただ無理に割り込んだせいか、魔法の発動が少し遅れ、ワイヴァーンの爪はデモポンの腹部を貫いていた。
それにアイズが気が付いたと同時に、これ以上押し込むことは出来ないと判断したワイヴァーンは爪を引き戻す。
その反動にデモポンはアイズを背に倒れ込んだ。
アイズも咄嗟にその背を抱える。
アイズが声を出そうとするが、デモポンに封じられる。
「そのまま支えといて……」
そしてデモポンは叫んだ。
「アイトーンっ!!」
それと同時に押し寄せる劫火。
アイトーンの熱波の壁がなければ、今頃二人は骨も残さずに消え去っていただろう。
ワイヴァーンの炎が尽きるまで、デモポンはアイトーンを張り続けた。
そして炎の放射が終わると、デモポンは倒れ込む。
アイズはデモポンを労わる様に寝させた。
辺り一面は、ワイヴァーンが二人を逃がさないためだろう。
炎の壁となっていた。
ワイヴァーンはそんな二人を見て、歓声を上げる。
その死の喇叭を聞きながら、アイズはデモポンの腹部を両手で押さえていた。
「いや、いや!こんなの嫌だっ!」
アイズは叫ぶ、だがそれに呼応するかのようにデモポンの腹部から血は溢れ出す。
アイズは泣き叫んだ。
自分のせいだと、己を呪った。
ただそんな慟哭の中で、デモポンの間の抜けた声がした。
「アイズ……ねえ、アイズさん……」
「ふぇ……?」
「お、押さえないで、押さえないで下さい。苦しい、吐きそう……」
今にも吐き出しそうに青い顔をしているデモポンを見て、アイズは慌てて手を離した。
「ポーションあるから……、これをかけて?」
デモポンは片手にポーションの瓶を二本持っていた。
アイズはそれを奪い取ると、二本ともデモポンの腹部にかけた。
アイズは泣き腫らした顔で、デモポンの頭を抱えると、自身の膝の上に置いた。
「これで治るの……?」
その声にデモポンはニッと笑った。
「俺は特別だから大丈夫」
デモポンは大丈夫だと言ったが、危機が去った訳ではない。
未だに炎の壁は健在で、ワイヴァーンはこちらを見据え、口腔内に炎を溜めている。
もう逃げ場はなかった。
アイズはそれでもデモポンだけは守ろうと、覆いかぶさる。
その時、声が聞こえた。
「アイズ!」
その声は、緑の光となって絶望の闇を打ち払った。
声の主リヴェリアは、幾層もの壁をブチ破って12階層に現れた時、すでにアイズとデモポンの運命は決められようとしていた。
ワイヴァーンから発せられた大火球。
それが二人を飲み込もうとしていた。
だがリヴェリアが叫ぶ。
この地獄を切り抜けるその言葉を―――。
「アイズ叫べ!」
アイズはソード・エールを握り直し立ち上がる。
下方で「ブッ!」という音と、地面と何かがぶつかる音がしたが気にはしていられない。
「
アイズは眼前に迫る大火球にソード・エールを振り上げ叫んだ。
リヴェリアの声に嘘は無く。
もう一度、しっかりと話し合いたいと思ったから。
「
―――両断。
本来ならばありえない断面を見せ、大火球は姿を消す。
アイズは身に纏っていた。
風を、優しい風を、それは良く知るモノで、帰りたかった
「一緒に……いてくれたんだ……」
アイズは涙を流す。
それも風が優しく拭い取ってくれた。
ワイヴァーンは混乱しながらも次弾をチャージし始める。
だが、ワイヴァーンも気が気ではなかった。
つい先ほど現れた、リヴェリアの存在がワイヴァーンに迷いを生ませた。
先に
だが、その数瞬の迷いが決定づけた。
「準備は良いかアイズ」
「うん」
ワイヴァーンが視線を強者から戻すと、そこには先程まで倒れ伏していた弱者が立っていた。
デモポンはアイズの背に左手を当て固定し、右手を反対側に伸ばしている。
右手からまるで渦を巻くように溜め込まれているのは熱波であった。
アイズはソード・エールをワイヴァーンに固定し、風を纏わせている。
ワイヴァーンがまずいと感じた時には、遅かった。
「アイトーン!」
デモポンは叫び、熱波を開放する。
それはまるで流れ星のような軌跡を生み出しながら、二人を押し上げた。
アイズの背中から黒い炎が力を内側から爆発させようと暴れ回る。
しかしそれは、デモポンの暖かな波が包んでくれた。
突き進む先に、ワイヴァーンが口を開けるのが見えた。
だがそこに恐怖はない。
どうすれば良いか、
そして、立ちはだかる全てから守るように、身を包んでくれる
風を剣の切っ先に集約していく。
一撃、これにすべてを賭ける。
でも今は怖くない、皆がいるから。
だから、どうか―――。
「
ワイヴァーンと切っ先が触れると同時に開放された風は、ワイヴァーンの身を魔石を砕き吹き飛ばし、跡形もなく消し飛ばした。
その一撃は父の剣戟と同じだった。
身を守る風は母と同じだった。
崩れ行くワイヴァーンを背に、リヴェリアを見たアイズは、涙が溢れ出した。
アイズはリヴェリアに向かい走る。
リヴェリアもアイズに向け走る。
そして二人は抱き合った。
「わた、私……、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「あぁ、良いんだ。アイズ……、私はお前の母親にはなれない。けれど、愛したいんだ」
リヴェリアの声を聞いてアイズは余計に声を出して泣き始めた。
リヴェリアも涙声になりながら、アイズに語り掛けている。
そんな二人の様子を少し離れた場所から見ていたデモポンは、無性にデメテルに会いたくなってしまった。