墓場   作:埴輪庭

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ロジカルパパとパパ活女ホラー、試作①

 ◆

 

 ──秋葉原・ソリッドウェア株式会社開発一課。

 

 午後六時ちょうど。

 

 定時アラートのチャイムが PC のスピーカーから鳴り、オフィスの照明が自動で少し暗くなる。

 

 南雲 隆司は IDE もブラウザも閉じないまま、34 インチ湾曲モニターに映る CI ダッシュボードを指先で叩いていた。

 

 シルバー枠の眼鏡越し、その瞳はユニットテストのカバレッジ数値をミリ秒単位で追跡している。

 

「……テスト網羅率が 82.3%?」

 

 問いでも呆れでもない、ただの読み上げに近い声。

 

 その淡白さだけで、向かいのデスクに立つ入社三年目のフロントエンドエンジニアである水原佳乃は背筋を伸ばした。

 

「はい。今朝追加された音声認識モジュールの分がまだ……」

 

「“まだ”という語はスケジュールズレの温床だ。来週月曜のリリースフリーズまで残り 49 時間 12 分。網羅率目標は 90%。数字は主観に譲歩しない、そうだろう?」

 

 水原はタブレットに目を落とす。隣の席のバックエンド担当の山下がフォローの声を上げた。

 

「でも南雲課長、ステージング環境が昨夜から落ちてて……」

 

「環境障害は事象であって理由ではない。我々の SLA に“想定外”は存在しない」

 

 声の調子に怒気はなく、冷え切った水面のように揺らぎがない。

 

 隆司は続ける。

 

「インフラ班に任せるのではなく、あなたが Docker でローカルに分離環境を再構築しなさい。テストはその上で回す。チケット #7423 に経過を記録、障害ログを 20 時までに添付——いいね?」

 

 水原が蒼白になりつつ小さく頷くと、隆司は淡々と総括した。

 

「コードは無機質でも、ユーザーは感情的だ。品質が崩れれば解約率が跳ね上がり、ボーナス査定も下がる。つまり──誰も得をしない」

 

 言い終えた瞬間、Slack の通知がモニター隅にポップアップした。

 

 ──『meimei: 今夜ヒマ? 新宿で映画観よーよ♡』

 

 あざといハートの絵文字。

 

 隆司は無言で指を止め、短く息を吐いてキーボードを叩く。

 

 ──『 約束は明日だ。今夜は仕事がある』

 

 ──『 えーッ、おじさんサイテー! 仕事より私でしょ?』

 

 ──『 明日 11:00、渋谷』

 

 数秒の沈黙。

 

 既読マークだけが付き、通知は消えた。

 

 隆司はウィンドウを閉じ、ガラス窓に映る自分の顔を見た。

 

 蛍光灯の白が頬を照らす──まるで人形みたいだな、と思う。

 

 その夜は結局、スプリントレビュー資料の修正を優先し、タスクチケットを日付が変わる直前にクローズした。

 

 ◆

 

 雨降りしきる土曜日の朝。

 

 今年44歳になる南雲 隆司は六畳の畳に膝を揃え、狭いワンルームの隅に置いた小さな仏壇──黒檀の扉に桔梗の蒔絵が入ったもの──に向かって静かに手を合わせていた。

 

 線香がゆらりと青い煙を立てる。その奥、遺影の少女は十八歳の姿で微笑んでいる。

 

 黒髪を耳の高さで切りそろえた娘──花──は、大学入学直後の春休み、横断歩道でトラックにはねられ帰らぬ人となった。

 

 あの日から三年。

 

 日に日に隆司が生気を失っていく様子に耐えられなかったのだろう、程なくして家を出て行った。

 

 今は連絡もない。

 

 娘の位牌に視線を落とし、心中で一句の経を唱え終えたとき、スマートフォンが震えた。

 

 画面には「meimei」と表示されている。

 

 ──11時、渋谷! 忘れてないよね? 

 

 隆司は合掌を解き、仏壇の扉をそっと閉じた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 通勤ラッシュより少し遅い半蔵門線。

 

 再びバイブレーション。

 

 ──今電車に乗ったよ! おじさんは? 

 

 この「meimei」とは何者かといえば、一言で言えばパパ活女子である。

 

 三か月前、“meimei”を名乗る見知らぬ大学生から、いきなり SNS に DM が届いたのだ。

 

 ──『初めまして! 突然ですけどパパ活に興味ありませんか? 1h/10kでお食事から……仲良くなればその先も! 写真送りますね♡』

 

 続いて送られてきた自撮り写真──イヤーカフの下、左耳たぶの後ろにほくろ。花に瓜二つだった。秒針が一回りする間、隆司は画面を凝視し、そして初めて DM に返信した。

 

 なぜパパ活などという行為に踏み込んだかと問われれば、その写真がすべてだ。

 

 それ以来、隆司はmeimeiとパパ活をしている──といっても、公序良俗に反しない範囲で。

 

 ◆

 

 

 十一時十分前、雨は上がっても歩道は水たまりの輪だらけだ。

 

 ビル七階のカフェで隆司は紙カップのコーヒーを閉じたまま待った。

 

 予約時刻から五分遅れで目の前の席に少女が座る。

 

 meimei──芽衣だ。

 

 都内私立映像芸術学部二年、濡れたショートボブの栗色が光を散らし、ミントグリーンのブラウスの裾から覗く鎖骨が水滴を吸っている。

 

「待たせちゃった、ごめんね、おじさん」

 

 隆司は用意していた白い封筒を差し出し、いつものように笑う。

 

「大丈夫、時間ならある」

 

 席に着くと、芽衣はスマホを無造作にテーブルへ置き、椅子を揺らしながら喋り出した。

 

 父親と間違って教授にメールを送ったこと。

 

 渋谷に新しくできたタルト専門店で行列に三時間並んだこと。

 

 撮影サークルの先輩が最新のミラーレスを買って自慢してきたこと。

 

 延々と続く取り留めない話題が、雨粒のようにテーブルを叩く。

 

 隆司は相槌も打たず、ただ黙って聞いた。

 

 時々、芽衣の声の高さが娘の笑い声と重なり、耳奥で反響した。

 

 そんな独演会が30分ほど続いたところで、芽衣はふいにスマホを手に取り、画面を隆司へ向ける。

 

「ねえ、隆司さんってさ……動画とか詳しい?」

 

「動画?」

 

「昨日、サークルで変なのが流れてさ。六分六十六秒っていう長さの“呪いの動画”。先輩が面白半分で見て、一昨日から音信不通なの」

 

 赤黒い“66”と白い手形のサムネイル。

 

 事故現場の血痕を想起させ、隆司の眼筋が僅かにひくつく。

 

「バイラルマーケティングだ。閲覧数稼ぎの仕掛けだろう」

 

「じゃあ来週の土曜ヒマ? 私も見ちゃってさ……そのせいでなんというか変な事が起きるようになって」

 

「変な事?」

 

「うん、ほら、この時計のアプリ。これの秒針が逆回りになったり。非通知の電話が何度もかかってきたり……」

 

隆司は呆れたように首をふり、「ただのアプリの不具合だし、非通知の電話なんて珍しい事でもないだろう」

 

 そういって隆司は続ける。

 

「悪いが来週は無理だ。映画館で観たい映画があってね。呪いよりそっちを優先したい。一人でゆっくり観たいんだ」

 

 芽衣は意外そうに目を瞬かせたが、すぐに肩をすくめて笑った。

 

「そっか、おじさんって案外ドライなんだ」

 

「ドライじゃないさ。その証拠にこれまで君に突然呼ばれた回数34回中、31回はちゃんと会いにいったじゃないか。“お手当”もきちんと毎回渡してる」

 

「うわ、ロジハラ!」

 

 そんなことを言いながら芽衣は封筒をバッグへ滑らせ、唇を尖らせる。

 

「まあ分かったよう。……でも、ほんとに何かあったら頼るかも」

 

「そのときはまた考えよう」

 

 そう答え、隆司は再び芽衣の御託聞き係に戻った。

 

 ◆

 

 そして一週間経ち、土曜の夜七時。隆司はシネコンの最前列近くで、モノクロのリバイバル映画を観ていた。

 

 フィルム粒子のざらつきと、エンドロールに流れるジャズサックス──スクリーンの光が彼の無表情な横顔を照らす。

 

 終映後、場内が明るくなる。観客がまばらに席を立つなか、隆司のスマホが震えた。

 

 LINEの通知バナーに、たった一文。

 

 ──『助けて、おじさん』

 

 送り主は芽衣。時刻は21:03。

 

 一瞬胸がざわめく。

 

 ──『どうした?』とだけ返し、隆司はポケットにしまい帰路についた。

 

 三十分後、自室。

 

 シャワーを浴びソファに腰を下ろすと、再びスマホが震える。

 

 ──『お願い、本当に怖いの。助けて』

 

 お願いか、と隆司は溜息をつき、花の仏壇を見やる。

 

 ──娘にお願いと言われた時、俺はいつも断れなかったな

 

 

 

 

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