「急ごっ」
そんな言葉を呟きながら廊下を走っているのは轟 焦凍。零一との試合後、彼の手によって保健室まで運ばれてリカバリーガールの治癒を受けたのだがそれは出来るだけ最低限にして貰って時短を図った。決勝戦を見逃がす訳には行かない為にも出来るだけ早く保健室を出たかったから、そう伝えるとリカバリーガールは何処か呆れながらも微笑ましそうな笑みを浮かべながら
「若いねぇ……分かったよ、でも無茶はするんじゃないよ?」
という言葉を貰いながら了承して貰った。身体はまだ痛むが歩みを止めるような物ではないのでそのまま歩く、まだ準決勝の筈だが遅れる訳には行かない……と向かっていると自分の道を妨げるかのように現れたのはエンデヴァーだった。その表情にはあからさまな程の怒りが浮かび上がっている。
「焦凍貴様……何だあの無様な戦いは」
「アンタからすればそうなんだろうな、アンタからすればな」
試合の結果を酷評するエンデヴァーだが、それは間違いなく炎を使わなかった事に対するものだろう。自分からすれば完全に言いがかりに過ぎないしあれの何処が無様な敗北と言えるのだろうか、と思う故か言葉も切れ味を帯びていた。
「何故左を使わなかった、そうすればお前は勝っていた」
「それはない、例え炎を使っていたとしても零一には勝てなかった、絶対に」
あの場で炎を使ったとしても勝てたというビジョンは轟の脳裏には浮かび上がらなかった、経験も技術も上である彼は自分の獣拳も個性を完全に上回る実力を備えている。獣拳武装をする前はいい勝負をしているように見えたかもしれないが、自分の激技は通用していなかった。まだまだ未熟だという事。
「兎も角、もうあの獣拳とやらはお前は使うな。あれはお前に不要な物だ」
「―――はぁ?」
思わずそんな声と共に激気が漏れた。こいつは何を言っているんだ、血迷った事を言っているが実は酔っているのか、と本気で思った。
「頭湧いてるの、ポーラベアー拳の力を見てそれを言うなんて何考えてんだ」
「お前には俺の炎がある!!獣拳なんぞ必要なかろうが!!」
宝の持ち腐れと言われるかもしれないが、それでも構わない程に轟は炎を使う気が皆無。そんな事言われても自分は獣拳を使わない選択肢を取るつもりはない、無視して横を通り抜けようとする。
「待て焦凍!!」
エンデヴァーの大きな手が左肩を掴んだ、炎故か酷く熱い手だ、それを酷く不快に感じたのか自分の中の獣が唸っているのが分かった。それを感じて気が合う事に頬を緩めた。
「お前には炎がある、それさえ使えばお前は間違いなく№1になる事が出来る!!オールマイトを超える事が出来る!!何故それが分からん!!?」
「……超えたくないからだよ」
「なんだと!!」
「ヒーローになりたいとは思ったけど、オールマイトを超えたいなんて思った事はない。そうさせたいなら爆豪辺りを弟子にでも取って教育すりゃいい、俺は興味ない。俺、いや私は……」
その時に見た光景をエンデヴァーは恐らく、生涯忘れられなかった事だろう。そこにあったのは正真正銘、娘としての焦凍が居た。笑みを湛えながら右手を見つめている、そこにあるのは純粋な嬉しさと希望、これから自分が歩む道の先にあるであろう物に心から楽しみにしている表情。紛いなりにもエンデヴァーは父親、娘である焦凍の事を愛してはいる……だがそれを上回る物があった。
「好い加減にして、暑苦しい」
「っ……すまん」
つい、手を放してしまった。如何して自分はそんな事を……と思うよりも先に娘は言葉を放った。
「私は獣拳を使い続けるし習い続ける、何より……あれは零一との大切な絆、それを切るなんて絶対に嫌」
「……好きにしろ」
思わず、そんな言葉を呟いてしまっていた。そのまままるでいたたまれなくなったのか、エンデヴァーは何処か力なくその場から去っていく。それを轟は見届ける事はなく足早に歩きだして行った。
去っていく娘の足音と気配を感じながらもエンデヴァーは見つけた自販機で缶コーヒーを買った、適当に選んだがそれは自分がCMに出ている物だった事に手に取ってから気付いた。
「……焦凍」
最愛の娘、というには余りにも自分勝手だと自分で想いながらも先程の笑顔を思い出す。あの子の笑顔を見たのは本当に何時ぶりだっただろうか……いや、本当に小さい頃……それこそ赤ん坊の時位だったのではないだろうか。自分を見てきっと泣くだろうと思っていたのに、笑ってくれた事はよく覚えている、その時は思わず顔が緩んでしまって妻にそれを笑われた事も、そして自分がそれに臍を曲げたようにそっぽを向いた事も覚えている―――じゃあ次の笑顔は?
「思い、出せん……」
分からなかった、№2ヒーローとして多忙な日々を送っていたのもあるが……それからの事は思い出せなかった。直ぐに思い出せるのは……娘の、焦凍の苦しげな表情と怯えた表情だった。オールマイトを超える為だ、その義務があの子にはある、そう言い続けて来た、だが……それは誰に言っていたのだ?娘なのか、それとも自分なのか。
「獣拳が、あの子の笑顔を蘇らせた……いや無月、零一……」
恵まれた個性を持つ娘とは対照的な無個性であるあの少年が切っ掛けとなった、そして焦凍は笑うようになったのか……自分を否定する為だけに男装までしていたあの子に……礼を言うべきなのだろうか、それとも娘に近づいた不届き者として見るべきなのだろうか……。
「俺にそんな事を思う資格はないのかもしれんがな」
自傷気味に笑うと乱暴にコーヒーを飲み干した、普段飲んでいる物と比べれば酷い味だが今はこの味が自分には合っているような気がした。
「認めざるを得んか……獣拳を学ぶならば好きにさせるのが焦凍の為か、感情的になったがあれだけの力だ、継続させる方が為か……だが、もしも奴が焦凍に近づきすぎた場合は―――燃やし尽くすか」
一瞬、脳裏に焦凍が零一を連れて付き合ってます云々言う光景が浮かんでしまい、思わず全身から炎が噴き出そうになった。
№2ヒーロー、フレイムヒーロー・エンデヴァー。オールマイトを超える義務があると言いながらも彼はかなりの親馬鹿だった。