Intro: Blade Runner of gale-1
ガジ・ベリ・ビンバと駄々を踏んだって、世界は回り続ける。
アイラと名乗る女性との最初の出会いは、ウサギ亭の中だった。時刻は昼を少し回ったところで、席の座り具合としては、ちょうど昼食を食べに来た客が少々、朝から飲んでいる常連が少々、そして余所からやって来た旅人が数名といったところ。その中に私、リンズィー・ボードレールも混じっていた。
ボードレールの女性、私はカウンターの椅子の上に立ってようやく台の上へ届くほど小柄で、人よりも随分と背が低い。
残念ながらウサギ亭周りの人間はどうも品というものが欠けているらしく、出されるジョッキも人と同じジョッキを渡されるのに量は少な目だ。後ろを通ったあばた顔の男性に「ハーフリングってのはやりがいの無さそうな身体つきだ」と言われて思わず、師に叩きこまれた百の罵倒を口にしかけてしまったけれど、理性がまだだと押しとどめてくれる。私が求めているのはこういう口からにんにく息を吐きだしそうな連中ではないのだ。求めるのは、れっきとした"英雄"である。黄金の時代であろうと、病魔はびこる暗黒の時代であろうと、いつだって主役となるべき存在があった。たった一人で戦局を大きく変えた武勲を持つ戦士から、未知の島に旗を立てた冒険家、貧民からのしあがり、百万超える金貨を得た商人まで様々だが、とにかくこの目で見たいのだ。そんな英雄の姿を。
しかし現実には、酒場に来てみれば出てくるのはろくでもない人間ばかり。差別を脳みそに詰め込んだようなあばた顔の連中、世を捨てて酒浸りになった老人たち、そしてなんというか覇気を感じない中年冒険者。こんな奴らでは駄目なのだ。もっと、第六感覚が疼く、英雄的人物はいないのか? そう思っていた時だった。しゃがれ声が真横で叫ばれ、脳みそに突き刺さる強烈な不快さが耳を襲う。
「聞いてんのか、人間以外はこっから出ろ!」
振り向くと、やたらと筋肉質な男が立っていた。身長は二メートル近くあるだろうか、筋骨隆々とした体躯に、短く刈り上げた黒髪、そして何より目立つのはその顔を覆う大きな傷跡。名誉の傷だったらいいのだが、どう見てもそれは違う。顔の所々に殴打によって歪められた痕があり、戦い方が下手くそであることを示していた。
「おいお前だよ、ハーフリング! ここは人間の店なんだぞ!? 出てけよ!」
周囲の客は私の方に注目を向けていた。皆一様に顔をしかめており、中には露骨に嫌そうな表情を浮かべている者もいるが、誰一人助けようという勇敢な者はいない。誰も助けないという苛立ちもあったが、頭の中で組み立てていたエピックなポエムがぶち壊されたことで、罵倒の留め具が外れてしまった。
「ふうん、あなたって大丈夫? ずっと上から目線で見下して痛くならない? そんなに大きな声で叫ぶなんてまるで魔物みたい。もしかしてあなたって人間のふりをしているの? それなら納得ね、その傷もちっさい生き物にやられたんじゃなくて勘違いされた人間にやられたんでしょう?」
「なめてんじゃねえぞハーフリングごときが!」
男は顔を真っ赤にしながら叫びカウンターを拳で叩く。酒場中に響き渡るような大きな音が鳴り響き、一部の客がびくりと背を立たせた。しかし私は怯まなかった。こんな男は図体以外何もかも小さいのだ。男が腕を振り上げた時、扉が開く音が響く。扉は静かに開けられ、そして閉まる。入ってきたのは、成人したばかりの少女だった。顔立ちは傷一つもない人形のよう、髪の毛は真っ白で、肌も透き通るように白い。青い瞳が周囲をぐるりと見回すと、我関せずといった様子で足を一歩前に踏み出した。足取りは堂々としながらも、静かな足音が酒場に響き、やがて足は私の隣、男の向かい側までやって来て止まった。彼女が近くに来たことで服装が詳細に分かる。冒険者らしくズボンを穿いており、ベルトには薬や投げナイフなどの道具をぶら下げていた。上半身はシャツに胸当てを着こんでいる。全体的に冒険者らしい軽装の装備で、赤い汚れが所々についていて、使い込んでいるのが見て取れた。背中にはロングソード一本背負っており、剣から魔力が漂っている。観察眼の無い人なら彼女は単なる新米冒険者だと勘違いするだろうが、堂々とした立ち振る舞い、大きな傷を一度も見たことが無いような白い肌、血の染みつき具合からして、多くの魔物を屠ってきた者だ。
「何かひとつ」
少女は言葉を短く、孤高を誇る口調でカウンターの向こうにいるマスターに注文した。周りの空気を一切読まないそのアテイチュードは、男の怒りをさらに募らせる。
「よそ者か? 今何やってんのかわからんのか?」
脅しとも見える言葉でも彼女の表情は変わらない。男の方を振り向くことなく、ただじっとマスターの方を見つめている。少し間をおいて彼は恐る恐る白い飲み物を前に差し出した。
「温かいミルクだ」
少女はそれを受け取ると、ゆっくりと口元に運ぶ。
「さっさとカネを払って出ていけ!」
男は再び叫ぶ。少女はミルクを一口飲むと、静かに口を開いた。
「飲みおえてから」
「じゃあ、手伝ってやるよ」
あばた顔は白い少女が飲もうとしていたミルクのジョッキを摑み、彼女の顔面にぶちまけた。ホットな白い液体が顔を濡らす。しかし動じることない。唯一変わった点とすれば、青い瞳が男を捉えたことだけだ。
「なんだ、その目は?」
少女は立ち上がり、ミルクまみれの顔を拭おうともしない。その態度が男の怒りをさらに煽る。
「ムカつくぜ、その顔!」
腰に下げていた剣を抜き放ち、少女に向かって斬りかかる。しかし少女は一歩も動くことなく、ただじっと男を見つめていた。そしてあばた顔が剣を振りかぶった瞬間、彼女は動いた。振り終わるよりも速く、右拳を奴の顔面に叩きこむ。その速さは常軌を逸しており、顔の骨が歪みかねないほどの衝撃が男を襲う。歯三本と鼻血をまき散らしながらのけぞるも彼女は一歩踏み出し、今度は左の拳を腹に叩きこんだ。そこからは無慈悲な拳闘チャンピオンのように、一方的な暴力が男に襲い掛かった。
男は殴られるたびに口から唾を吐きだし、身体を折り曲げてその場に倒れこむ。しかし少女は容赦なく男の髪を掴んで立ち上がらせ、再び拳で殴りつけた。十回ほど殴るとさすがに男も動かなくなったのか、彼女は胸ぐらを掴み、引き千切るほどの勢いで店の外に投げ飛ばす。私の中のコングが鳴り響いた。数秒でノックアウトさせた勝者は、ミルクまみれの顔を拭くこともなく、再び椅子に腰かける。カウンターの男が少女を気遣って、拭う布を置いた。その布を手に取り、顔を拭く。
「張り紙を見てきた」
それだけ言うとポーチから一枚取り出し、マスターに見せる。さっきの一方的な試合を目撃したオーディエンスは、彼女におそれをなしたのか、酒場は静まり返っていた。マスターの額にも汗が微かににじんでいる。
「あ、ああ……。あんたもしかして、あの……白の殺し屋か?」
言葉に彼女は首を傾げる。そんな名前で呼ばれたことはないと言わんばかりに怪訝そうな顔をした。白の殺し屋という名は知る人ぞ知るという知名度だ。魔物、人関わらず、依頼を受ければどんなものでも殺す。過去のことで冒険者ギルドからは忌避されているものの、依頼の達成率と信頼性は非常に高いという例外的な者だ。
「そんなものは知らない」
彼女は冷たく答えた。マスターはカウンターに置かれた布を取り、汚れた台の上を拭き始めた。彼女の隣に居た私は、置かれた張り紙を身を乗りだして読む。内容を要約すると、「近くの森で木を切りに行った男が帰ってこない。そこらで腕の立つ奴らを送り込んでも傷だらけで帰ってきた。聞いても何も答えない。近辺の治安に大きく関わるので、依頼を出す。報酬は少ないが、至急誰かしらを来てほしい」という依頼だった。
「受けてくれるのか」
主の男は布で台を拭きながら聞いた。彼女は少し間を置いてから、「報酬は」と返す。金銭を求める割には、欲のような部分を感じさせない口調だった。
「金貨二十枚」
マスターは布をカウンターの下にしまうと、彼女に向き直った。見返りは前述したとおり少ない。二十枚だと普通の人間なら数日程度のお金。この道に生きる人なら、まったく足りない金額だ。しかし彼女は即答する。
「わかった」
横顔を見たが、顔は無表情そのもの。男は眉を少し緩め、口角をわずかに上げた。
「助かる」
白の殺し屋は地図を取り出し、調査するべき場所を求める。男は地図をのぞき込み、指で場所を指し示した。
「このあたりだ」
頷き、立ち上がると出口に向かって歩き始めた。慌てて白い髪の後を追いかける。彼女だ。あの白の少女からは分厚い本にできるほどの英雄の匂いがした。無情で凍える暴力性、しかしその中に眠るあまたの謎。きっとこれらの物語を形にできれば、大学の皆も私を馬鹿にすることは無くなるだろうし、歴史に残ることも間違いなしだ。
「ねえ、待って!」
声をかけると、少女は足を止める。
「あたし、リンズィー・ボードレールっていうの。あなたは?」
瞳が動き、私をとらえた。やはり無関心の色しか顔に浮かべていない。
「アイラ」
それだけ告げて再び歩き始めた。また後を追いかける。
「さっきはあの男をぶっ飛ばしてくれてありがとう。どうやらこの辺りにも品のない人間がいたようね」
褒めたつもりだったが、彼女の反応は薄く、表情筋は微動だにせず、視線も前に向いたままだった。
「彼は帝国で賞金がかけられていた。今となっては国は存在しないから報酬の受け取りも出来ないけれど」
様子を観察して思ったが、どうやら彼女は超理性的な人物のようだ。怒りや悲しみといった感情を見せることはなく、ただ淡々と物事を処理するタイプだ。それに、他人に対して関心がまるで無い。そのエネルギーは自分自身に向いているか、あるいは別の方向に向いているのだろう。まるで本に出てくる鋼鉄の人形のように人間性が感じられない。
「ところでアイラとしか名乗ってなかったけど、ファミリーとかミドルとかあるの?」
「ない。幼い頃に聞いたかもしれないけど、私は捨て子だった。物心ついた時には、戦いを無理矢理教えられていた。だからファミリーもミドルもいない」
生い立ちを勝手に想像し、勝手に同情した。きっと恵まれた環境で育ってきた人とは違うだろう。鞭を打たれて育ってきた人間に心がないというのはよく聞くことである。
「なんと可哀想に。神が試練をお与えになったのかしら」
「神なんて信じてない」
驚いた。無宗教者だったのか。少し前では異端のひとつだったが、啓蒙が進んだ今ではそういう者に対しても寛容な時代になっている。しかし、彼女のような人が無宗教というのは意外だった。「宗教が嫌い?」
質問に首を振った。神が居ようが居まいがどうでもよいと。ただ単に興味が無いのだ。らしいといえばそうかもしれない。少女のミステリアスさに惹かれていった。
「ねえ、アイラ。子どもの頃とかで覚えている事ってある?」
言葉に彼女は首を傾げた。
「――ほとんどが訓練の記憶だった。でも野外訓練のときに、村から来た女の子と遊んだことがある。名前は思い出せないけど、綺麗なブロンドに青い瞳をしていた。普通の子という感じだけど、なんとなく印象に残ってる」
ブロンドに青い瞳、それはこの国で聞く勇者という存在の特徴に一致したが、そういう印象を持つ女の子が他にも多く存在する。だから結びつけるのは早計だ。ただ淡々とした彼女の人生に、どうやら一つの色があったらしい。
「その子はどうしたの?」
問いは首を振った。
「わからない。その村にはその後行ってないから」
「ふーん。旅をする理由は?」
「ある人を殺すため」
そう答えるが、その口調には憎しみも怒りもなく、事実を述べているような言い方だった。
「どんな人なの?」
聞くとアイラは間を置いてから答えた。
「……わからない。黒い鎧で全身を包んでいた。顔はわからない。大きな剣を持っていたと思う。奴が故郷を、両親を皆殺しにした。だから殺す」
無表情さは変わっていないが、その目には確かに怒りがある。しかし、怒りも何故か中身のないものに感じられた。今までの話を聞いていると、ある点において矛盾らしき部分がある。彼女はまるで違和感を何も感じないかのよう話していた。
「両親は殺されたの?」
再確認するように聞く。
「ええ」
そう答えた。過去について話す時、この白の少女は何かの違和感を感じさせる。歯車が合うことなく、何かがずれていることをあたかもなかったかのように話す。しかしその違和感をうまく言葉にすることができなかった。息を吐いて、彼女に聞いた。
「あなたにとって両親はどんな存在だったの?」
少し考えこんでから言った。
「……わからない」
その答えに違和感がさらに強くなるのを感じる。彼女が両親について考えている間、まるで機械と話しているように感じたのだ。
「でも、いた。左手にそんな感触がある」彼女は手を開いたり閉じたりした。「左手に、手を握ってくれた感覚が、熱が、まだある」
表情がわずかに和らいだ。その表情に人間らしさが垣間見える。
「ごめんなさい、変なことを聞いて」
慌てて謝る。何故こんなことを聞いてしまったのだろうかと思ったが、首を振って答えた。
「別に構わない」
それだけ言うと歩き出す。いつの間にか人里を離れ、幾千の足が踏みならした道を歩いていた。彼女の後を付いていきながら、現時点でのアイラという人間に対する印象や認知を、改めてまとめなおす。
アイラは無口で無表情で機械的な人間である。しかしそれは表面的な部分であり、その奥では何か別のものが動いているように感じた。そして過去について聞いた時、私は違和感を持った。まるで自分の事のように感じていないような口ぶりだからだ。考えすぎかもしれないが、この世界において彼女の存在は異質。だからさらに深く調べることを決意した。
という事で今回はここで一区切りにさせて頂く。この物語は白髪の少女、アイラを中心にエポックで、様々な世界を巡る冒険譚となる予定だ。残念ながら私、リンズィー・ボードレールはこの後、登場する機会が少なく、物語に絡むのも相当後になることをここでお伝えしておく。