大学から海岸のある方向へすぐの所に港町がある。魚が大群が網に捕まり、漁師達の手によって陸へ揚げられる。磯臭さと潮風が入り混じる港は活気づいていた。離島の最寄りであるこの町は、世界会議が近づき、各国の代表団が集まっているのだ。警備は厳重で、町中を武装した兵士達が巡回している。そんな中、酒場では賑やかな声と音楽として流れており、テーブルには酒や魚料理が置かれてあった。
「あの代表団見たか?俺達を見下すような目つきだったよな!」
「飲まんとやってられねえ!酒をもっと持ってこい!!」
「そうだそうだ!!もう我慢ならねぇぞ!!!」
昼から飲み始めた酔っ払い達は怒り狂い、店中の客も酔いつぶれていた。対照的にカウンター席ではフードを着た人影が一人座っている。コップを片手に静かに飲んでいたが、そのコップを持つ手は震えていた。
「踊る踊る、フルドゥールの端で……。目の前で鳥の大群が土をついばむ……」
彼から発せられる言葉は理解に苦しむ、論理性の無い言葉だった。小声で呟く彼に理性というものは感じられない。ただひたすら独り言を言うだけだった。
「おい、てめえ!さっきから何ぶつくさ言ってんだ!?」
そんな彼の背後から怒鳴りつける男がいた。男は頬を赤く染めており、かなり出来上がっているようだ。彼は振り向かずに言葉を呟き続ける。
「鐘が海の中で鳴る。爬虫類の内蔵が空に飛び出して、目の隙間に這いずる……」
「この野郎……無視してんじゃねーよ!!」
男が拳を振り上げた瞬間、彼はまるで人が変わったかのように素早く動き出した。神経に流れる液体がテンポを上げ、殺戮衝動へと変わる。それは理性や人間性などない獣のような本能だ。筋肉の中にある細胞が活性化し、脳からの指令を待たずに体が動く。奴は咆哮を垂らしながら襲ってきた。
「うわぁああああっ!!!」
男の悲痛な叫び声が上がると同時に、肉を引き裂く音が聞こえた。腕力だけで真っ二つに切り裂かれた男の身体を見て、他の客は恐怖する。血飛沫が上がり、床一面に広がった。店内にいた人々はパニックになりながら逃げ惑う。だが、発症した奴の身体能力は人間離れしており、瞬く間に次の標的を捉える。
「ぎゃあああっ!!!助けてくれぇええっ!!」
逃げる暇もなく首を掴まれた男は必死にもがく。しかし、どんなに強く抵抗しても無駄だった。首を掴む手に力が込められていき、やがてゴキッという鈍い音と共に絶命してしまう。そして、逃げ遅れたものから順に次々と殺されていった。血祭りにあげた後、フードの人影は壁を突き破り外へ出ていたった。酒場に残されたのは凄惨な跡のみだった。
――
「一足遅かったわね」
アイラとセリーナは惨劇が起きた現場である酒場に来ていた。奴が去ってから数分後に到着したのだが、既に遅すぎたらしい。辺りには大量の死体があり、生存者はいないようだった。入口を衛兵が封鎖していたが、二人は構わず中に入る。
「ちょっと待つんだ!ここは立ち入り禁止区域だ!」
「いいじゃん。ちょっと調査するだけだからさ。ね?世界最高の探偵さん」
「私は探偵じゃないんだけど……まあ、犯人は大体推測できるけどね」
二人の少女は酒場の中へ入っていくと、そこには悲惨な光景が広がっていた。あちこちに転がる死体からは血液が流れ出し、床には飛び散っていた。また、テーブルや椅子なども壊されており、まるで嵐でも通ったかのような荒れ具合だった。
「酷い有様ね……。シンシアにはとても見せられないよ」
「そうね。この事件は私達だけで解決しないと……」
二人とも険しい表情を浮かべている。アイラは死体の前で屈みこむと、死体を観察を始めた。
「真っ二つなんて、魔物とかの仕業かな?」
「……違うと思う。これは恐らく人間の犯行だよ」
「どうしてそう思ったの?」
「犯人は犠牲者の肩を強く掴んでいた。強く掴んだから跡がくっきり残る。その時の跡が人間の指の形に似ているんだよ」
アイラが言うように、被害者の右肩付近には強く握り締められたような痕があった。セリーナもしゃがんで確認すると、確かに彼女の言った通りだと分かる。
「なるほど……。じゃあ、やっぱり人間がやったってことね。でも、この腕力はどう証明するの?」
するとアイラは近くにあったテーブルの分厚い木の板を掴み、ぐっと握った。すると、バキッと大きな音をたてて割れてしまう。
「セリーナなら、何となく分かるでしょ?」
「……なるほどね」
セリーナは何が起こったのか理解したようだ。次にアイラは壁や床を観察した。
「本当に見境なく殺し回ったね。足跡も、物の壊れ具合もどれも衝動的。獣みたい」
「で、壁を突き破って逃げたのね」
「うん。ここから外に出たんだと思う」
アイラ達は破壊された壁を見て話す。そこは酒場の外へと続く道であり、そこから外へ出たことは間違いない。
「追いかけよう」
酒場の壁を抜け、外に出る。町は相変わらず賑やかな様子だった。二人は壁から繋がる裏路地に入り、奥へと進んでいく。足跡はくっきりと残されており、追跡は簡単だった。しかし、
「きゃああああっ!!」
突如として女性の悲鳴が上がった。二人は急いで声のした方へ向かう。するとまた殺人現場が見えた。
「最悪……」
アイラは顔をしかめながら呟く。そこでは先程と同じ惨状が繰り広げられていた。男女問わず、偉い人から貧しそうな人まで無差別に殺されている。力任せに暴れまわったのか、腹部に穴が開いた死体もあった。
「おい、何が起きたんじゃ!?」
たまたまそこにいたドランが慌てて駆け寄る。
「無差別殺人よ。まだ近くにいるかもしれない。早く見つけないと」
「ワシも手伝うぞ!」
「じゃあ、ついてきて!」
三人は血が付いた足跡を辿りながら走る。
「それにしても、こんなに多くの人間を殺すとは……。一体誰が犯人なのじゃろうか……」
「分からないけど、相手は相当厄介みたい」
「そうね。ただ、何かに怯えているというか、そんな感じがする」
アイラの言葉に二人は同意した。だが、今は考えている場合ではない。一刻も早く奴を見つけなければ被害は拡大していく一方だ。町中を走っていると、返り血の付いた黒いフードの男を発見した。彼は全力で逃げていており、その速さは人間離れしていた。
「あれじゃない?」
「そうね、口を割らせよう」
アイラとセリーナは全速力で男を追いかけ始めた。男は後ろを振り向き、追っ手が二人であることが分かるとさらにスピードを上げる。
「待ってくれ!ワシは足が短いんじゃ!」
追いつけないドランは息を切らしながら叫ぶ。
「ドランは先回りしてて!」
「わかるか!!」
男は裏路地に入った。二人もその後を追う。狭い道を抜けると、そこには行き止まりになっていた。
「追い詰めたわ」
「観念して」
二人は武器を構え、ジリジリと距離を詰めていく。
「……」
フードの人物は何か小言を呟いている。その声は怯えているような、理性を失っているような印象を受けた。すると、フードの男は跳躍して壁を蹴り、よじ登る。そしてそのまま屋根の上へ登っていった。
「逃がさない!」
アイラとセリーナも壁の突起を掴んで登り始める。身体能力の高い彼女達にとって、このような壁は楽々と乗り越えられるものだった。二人が乗り越えると、屋根の上を伝って逃げる男の姿が目に入る。
「セリーナは弓で男の足を狙って!私が追いかける!」
「りょーかい!」
アイラは勢いよく走り出し、男を追いかける。男が建物から建物へ飛び移ると、アイラも同じように飛び移り、追いかけていった。セリーナは弓を構えて狙いを定める。
「行けっ!」
放たれた矢は脚に命中したように見えたが、男の動きが鈍っただけで致命傷には至らなかったようだ。しかし、アイラが距離を詰めるには十分すぎる時間だった。彼女の両手が男の身体を捕まえ、地面に押し倒す。
「捕まえた……ってきゃっ!?」
男は人離れした筋力でアイラの手を払い除け、立ち上がるとアイラの顔面に拳を叩きこもうとした。アイラは咄嗟に頭を動かして避けたが、屋根に穴が開くほどの威力があった。男は立ち上がると再び逃走を図る。アイラは体勢を整えて後を追った。
「この……!」
しかし、その追跡劇も終わろうとしていた。アイラはベルトから投げナイフを数本取り出す。
「止まれ!」
彼女は渾身の力を込めて投げた。それは見事に命中したが、それでも止まる気配はない。次にセリーナの弓矢が飛んでくる。弓矢は肩に刺さったが、やはり効果はなかった。と思いきや、男の足が動かなくなり、バランスを崩す。麻痺の弓矢を撃ち込んだようだ。しかし効果は短い。
「今度こそ!」
すると、男は獣のような叫び声をあげ、アイラに掴みかかった。アイラは対応できず、二人は屋根から転げ落ちる。幸いにも下は廃材置き場だったため、怪我はなかったが、衝撃は大きかった。
「ぐぅ……」
アイラは腹を押さえながら起き上がる。男の方を見ると、男はアイラを殺す事だけのみを考えているのか、こちらに向かって突進してきた。一瞬の隙をついてアイラはわき腹に蹴りを入れる。男の身体は硬化しており、アイラの蹴りは鈍く大きな音を立てて弾かれた。男は攻撃された事で怒りが増し、より凶暴な形相になる。男は近くにあった廃材を掴むと振り回して殴りかかってきた。
アイラは腕を交差させて防御姿勢をとる。男は廃材を振り下ろしてきた。重い一撃がアイラの両腕に響き、骨が折れるような音が聞こえた気がするが、構わず反撃する。相手の動きは大雑把なので、攻撃を予測するのは簡単だ。アイラは回し蹴りを繰り出した。脚は男の胸辺りに直撃し、男は後ろに吹き飛んだ。
「アイラ!大丈夫!?」
屋上に居たセリーナが飛び降りて駆け寄ってきた。
「平気よ」
アイラは痛みを堪えながら答える。男は立ち上がり、またも襲いかかってくる。
「しつこい!」
男はまたもアイラを殴ろうとする。アイラはそれを受け流し、素早く何発も殴りを入れた。男は怯まなかったが、足が空いている隙を突いて蹴りをいれた。男は仰向けに倒れ、アイラは馬乗りになって男の首を絞める。
「睡眠薬とか持ってる!?」
セリーナは急いで鞄の中を探る。
「あった!これなら!」
彼女は小瓶を取り出して蓋を開け、中身を男の顔にかける。
「これでどう?」
男は抵抗していたが、やがて眠ってしまった。
「やった見つけたぞ!全く体に堪えるわい」
ドランも遅れてやってきた。
「で、捕まえて突き出すの?」
「待って、確かめたいことがあるの」
アイラは眠っている男をに手をかざすと、何かの力を使った。男の身体に何も変化が無かったが、アイラは頷いて立ち上がった。
「この人、変異者よ」
アイラは身体の中に穢れが無いか確かめていたのだ。
「変異者じゃと?どういうことか説明してくれんかのう」
アイラは簡単に説明する。
「この人は人体実験で強化された人間だと思う。きっと精神が汚染されてるはず。もうこうなっては衝動的に暴れるだけの怪物よ」
「そっか……」
セリーナはナイフを抜いた。
「それなら、楽にしてあげないとね」
「待てい!衛兵に突き出すとかそういう考えは無いのか!」
「ダメ。檻を破壊されて脱走される可能性もある。そうしたら別の被害者が出るかもしれない」
「うむ、確かにそうかもしれぬが……」
「安心して、苦しませないようにやるから」
アイラとセリーナは男を挟むように立つ。
「せめてもの情けよ」
「これは私にやらせてくれない?」
「いいけど、どうして?」
「こういうのは私が看取ってあげるべき」
「そういうなら」
アイラはナイフを受け取り、刃先を男の喉元に向けた。
アイラは目を閉じ、息を整える。そして、勢いよく突き刺した。ナイフは深く刺さり、血が流れ出る。やがて、男の全てが停止した。
「その場を離れよう。じきに騒ぎを聞きつけて人がくる」
三人はその場から立ち去ろうとしたが、アイラはその死体を見つめていた。
オラニエ大陸には山に囲まれた場所がある。そこは穏やかな地域で、自然が豊かであり、人々は静かに暮らしている。その中に砦があり、地下で四肢を鎖に繋がれた人間が恐怖と苦痛に満ちた表情を浮かべている。帝国兵が合図を出すと、針が皮膚の下に潜り込み、穢れが注入されるのだ。人間の体内に入り込んだ穢れは徐々に全身に広がり、その人間は理性を失いながら苦しみ悶える。悲鳴、痛みを訴える声、それらが響き渡り、事切れるまでか、新たな力を得るまでその地獄が続く。それは彼女も味わったものだ。 目の前にある死体も元は普通の人間だった。だが今は違う。穢れに飲み込まれ、怪物と化した哀れな存在だ。
『これがお前の辿る運命だ』
背筋に冷たい針がなぞるような感覚を覚えた。
「どうしたの?」
「何でもない」
三人は一度宿に戻る事にした。
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