人混みの中は汚れた空気で満たされている。泥や糞尿の臭いではない。血と汗の臭いでもない。鳥たちが上手く羽ばたけない息苦しさと、様々な思惑と裏で引き起こされる陰謀をボウルにぶちまけて棒ですりつぶしたような臭気だ。夜のクリスタリアもあの街と同じ臭いが漂っていた。
通りで人が行き交い、誰もが人に悟られないように表情を取り繕っている。私も彼もそうだ。教会が強い権力を持つこの都市では、審問官が常に目を光らせていた。黒い外套に身を包んでいる私と隣の男は、裏路地を通って暗闇の街を進む。大きな通りでは衛兵たちが騒々しく歩き回り、通行人たちを監視している。
「衛兵の人数も増えてきたようですね」
「派手にやればね」
私は隣にいる男に話しかける。彼は私の言葉に耳を傾けて、小さく笑った。
「ですが、今回は派手に行きます。国中を揺るがす大事件になるでしょうから」
手元にある紙を私は見つめながら呟く。そこには今回の標的の似顔絵と人物の特徴について書かれていた。相手はアンモン司教、クリスタリア五大司教の一人。彼はカルトオブアルカナムに資金や人材を流し込んでいるらしく、地下での活動を容認させていた。証拠も忍び込んだ時に押さえている。やがて、司教が根城にしている教会が見える場所まで着いた。司教は夜になると、高い場所にある私室に籠り祈りの時間を過ごす。
「では、合図が出来たらどうぞ」
「やって」
「10数えてください」
男は手のひらで魔法を発動させた。遠くの魔道具に伝わるまで秒読みが始まり、私は指を一本一本曲げていく。そして最後の一本を曲げた瞬間だった。教会の高窓から、地を照らす光が放たれる。窓が割れると、そこから火柱が立ち昇った。轟音が響き、恐怖を告げる鐘の音が鳴り響く。
付近にいた衛兵たちは慌てて教会の方へ走り出した。辺りにいた市民たちは悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
「では、明日の知らせを楽しみにしましょう」
「ええ」
私たちは影の中に潜むようその場を去った。
――
「次の標的を見つけました」
机の上には地図と剣、マスケット、薬などが置かれていた。向かいにはアスターが文書を片手に座っている。その傍には金属の椀があり、中には茶色の飲み物が入っていた。私は彼の目を真っ直ぐに見据える。
「誰?」
「相手はアンモン司教。五大司教の一人で、インダストリア・アーマ区域を治めています。彼は恐らく例の組織との癒着があり、下位組織のカルト集団に資金を流しているでしょう」
「そう」
私はアスターの説明を聞きながら、彼が用意した資料を手に取る。暗号と思われる文字列が並んでおり、この資料から読み取るのは難しそうだ。インダストリア・アーマ区域は産業、貿易の中心となる区域で、様々な国の人々が行き交っており、情報を集めるのにも適していた。それに、商人たちが集まるということは金も集まるということでもある。
「まずは彼との繋がりを確かめ、当たりならば派手にやりましょう」
「派手とは?」
「アイラ殿、爆発は恐怖の象徴です。普通にやるだけではダメなんです。貴方なら分かるでしょう?爆音と共に破壊が生まれ、恐怖は抑止力にもなり、扇動にもなるのです」
「どうやって爆薬を調達するの?大量になるだろうし後をつけられたらマズい」
私が不安げに話すと、彼は自信に満ちた顔で答えた。
「ご安心ください。軍の倉庫から盗み出します。そしてその日に計画を実行します。遠隔で作動する魔道具も揃えていますので」
アスターは懐から小さな箱を取り出した。小さな棒を倒して作動させる仕掛けになっている。
「夕方に盗みに入りましょう。今は別にやる事がありますので」
「何をするの」
「まずは付いていただきましょうか」
アスターが立ち上がり、一緒に建物を出ると大通りに出た。向かう先はクリスタリアの中枢となるセントラルサークル地区。ここは五つの区画の中で最も大きい場所で、中央にある城を中心にして周りに貴族たちの居住区が広がっている。各行政の本部や裁判所も置かれている場所だ。
人混みの大通りから外れて裏路地を通り抜けて、屋敷などが並ぶ住宅街へと入る。しばらく歩くと、大きな屋敷の裏側に出た。壁が黒く塗られて、屋敷の中を見せたくないのか、木々が植えられていた。
「ここですね」
「誰の屋敷?」
「アンモン司教のものです。これから彼の証拠を拝借させていただきますよ」
「そんな事をしなくても普通に爆破すればいいじゃない」
「アイラ殿、殺しには正当性が必要なのです。例えば、罪のない人間を殺すのは罪でしょうが、悪人ならば話は別です。殺し自体が教義に反すると言っても、悪事次第では感情的に許されることもありましょう。復讐だけを動機にして獣にならないよう、お気をつけくださいね」
アスターは私の肩に手を置いて忠告した。
「そう」
「では、行きましょう」
お互いフードを被り、目の前の壁を跳躍して乗り越える。着地すると、草木が生い茂り、石畳の道が続いていた。
「私の近くに。姿を消します」
アスターは私を引き寄せると、魔法を発動させた。私たちは透明になっていき、周りの景色と同化した。
「これで大丈夫です。一分弱しか効果はありませんのですぐに建物の中に入りましょう」
早足で建物に近づくと、二階の窓が開いているのを見つけた。アイコンタクトで同意すると、壁を上り窓から中へ侵入する。部屋の中には誰もおらず、机の上には書類が乱雑に置かれていた。
「雰囲気からしてこの部屋が正解でしょう。証拠となりそうなものを見つけましょう」
机の引き出しを漁って紙の束を見つけるものの、あまり証拠にはならなさそうだった。一番下の引き出しを開けようとすると、痛みが指先に走る。純粋なエネルギーの塊が指先に当たって弾けたのだ。
「魔法がかかっていますね。ディスペルしましょう」
アスターは魔法をかけると指先を引き出しに触れた。かかっていた罠が解除され、扉が開く。中には書類があり、二人で中身を確認した。
「当たりです。賄賂の記録に、例の組織と契約した証拠などが入っていました。印も入っていますので間違いないでしょう」
「これをどうするの」
「当然、持ち帰ります。書類の使い道はいくつかありますから」
「行きましょう」
書類をしまったら、窓から建物の外へ出る。見回りは私たちの存在に気付かず、『侵入者なんてこないだろう』と高をくくって退屈そうな表情をしていた。魔法は解けていたが、節穴の連中に一切気づかれずに敷地を出ることができた。
「高名な人物の割にはそこまで大したことはない」
「今は警戒が夜に向かっているからでしょう。夕方になったらインダストリア・アーマ区域の『ギアーズ・レスパイト』に集まります。そこで再び動きましょう」
「分かった」
一時的な解散となり、私は適当に街を歩き回ることにした。次に訪れたのはハーモニック・スティメン区域、ウィッセンハイム図書館。ここはこの国で最も大きく最も古く、そして最も広い場所でもある。蔵書数も膨大であり、また利用者も多く、学者、研究者なども多い。目的は時間つぶしだが、色々知りたいことが有るため、少し見て回ることにする。最初に目についた本は世界の仕組みに関するものだった。今いるこの世界の他にも世界が存在するということが書かれている。九界と呼ばれており、地獄や天国、死後の世界なども含まれているようだ。今いるこの世界は現界と定義されている。そして、九界の外側にはオリジンという別の世界があると書いてある。他は専用用語などが多すぎて理解できなかった。
次に手に取ったのは帝国に関する歴史書。教会の検閲が入っているからあまりフラットな視点とは言えないが、それでも帝国の成り立ちについて詳しく知ることが出来た。特に気になっていたのは人体実験に関することだ。穢れを用いた人体実験を行っていたらしく、その結果として大量の死者が出たことも書かれている。
実験の材料は子どもが主で、犯罪者などが誘拐してきた子どもたちが使われていたそうだ。実験内容としては穢れを人為的に変異させた液体を注射など用いて身体に投与するというものだった。これにより身体能力の向上や魔術の使用が可能になるとされていたのだが、副作用が強く使用者が死亡したり廃人と化したり、獣化して襲い掛かるようになったりと悲惨な結果に終わっている。
回収した資料によれば生存率は一割にも満たないとのことだ。実験を乗り越えても3年以内に精神が崩壊し、廃人となる者が大半を占めていたらしい。実験を乗り越えた子どもには帝国の洗脳教育が施される。そしてその子どもたちは兵士となって戦場に送られていたとのこと。この辺りの情報はかなりぼかされている部分があるようで、真実かどうかは定かではないと書かれていた。
そう言えば、ネイラもそうだったと聞いていた。これから殺す予定の三人も実験を乗り越えたが故にああなった。獣化というが、人狼のような毛がふさふさなだけの人間になるとか、そういう訳ではない。内臓のような感触や、弾力のある生理的嫌悪を催す肉質を持つ化け物になるのだ。獣化した怪物についての記述はそこまで多く書かれてないが、少なくとも私は多くの怪物を相手してきたから、この本より多くの知識を持ち合わせていると思う。本が書ければ一冊ぐらいにまとめるのもいいかもしれない。ただ、今はそういう場合じゃないだろうし、そもそも書く気もない。
本を閉じるころには日が降り始めていた。ガラスから光の色が変わっていくのがよく見える。約束の時間が近づいてきたから図書館を離れ、インダストリア・アーマ区域に向かうことにした。その区域は商業地区と工業地区のちょうど中間あたりになる。
と言っても商業ならケネブレス、工業ならスチームタウンのほうが栄えている。中継地点という方が近い。ここはどちらかと言うと軍事施設が多くある場所だろう。地図を頼りにギアーズ・レスパイトに入ると、既に多くの客が入っていて賑わっていた。
アスターを見つけるのは簡単だった。隅にある小さなテーブルで本を片手に座っていたからだ。彼は私を見ると目線で手招きをする。店の装飾として歯車が飾られている。それが光を浴びてきらきら輝いていた。普段、この店は労働者向けに安いエールや料理を提供しているらしい。だが噂によれば特定の客向けに不思議なカクテルや錬金術によって生成された薬を扱っているとか……。その注文の仕方は全く知らない。向かいの椅子に座ると、アスターは本を閉じて上品なカップを傾けた。
「計画は?」
「勿論整えてます。飲みますか?飲まないならもう行きましょう」
「もう行こう」
それから二人で外に出て、セントラルサークルに向かうが、外れの道を行って、地下道に入っていった。そこは薄暗く、誰もいない。ある程度を越えると、突然壁が古代のものに変わり、一気に複雑になった。
「何をすればいい?」
「この通路は誰も手をつけていません。複雑で危険ですが、衛兵の駐屯地、セントリーキープに繋がっています。この通路を使って火薬を盗み出します」
しばらく歩いたが、地下通路に住まう魔物も罠もあまりない。
「こんなに静かだったの?」
「解散した直後に目星を付けていまして。先にわたくしが偵察として入りました。かなり大変だったのですが……今は違いますね。さあ着きましたよ」
奥には夜の光が差し込む穴が空いていた。その先はセントリーキープだ。
「ここからは隠密に行きましょう。痕跡も一切残さずに」
そう言って、魔法をかけると身体が透明になっていく。
「行きましょう。構造は頭の中にありますから」
静かに進んでいく。セントリーキープはガード達の拠点であり、多くの武器や鎧が置かれていた。辺りは高い壁に囲まれ、壁の上には兵器などが置かれている。拠点の中央には高い塔が建っており、そこが見張り台になっていた。建物の中に入ると、衛兵の数はかなり少なかった。
「夜に事件が多発した影響で、夜間に多くの衛兵が駆り出されています。今なら簡単に入れますね」
目的の品は地下にあるらしく、階段を降りていく。扉を開けるとそこには大量の物資があった。ハルバードが大量に並んでいる部屋やプレートが並んで立てかけてある部屋などを物色していく。特に怪しいと思ったのが鍵がかかった箱だった。箱からは鉄や硫黄の匂いが漏れている。
「この箱だけ何かおかしいですね……開けてみましょうか?」
箱には厳重なロックがかけられていた。アスターが観察して解錠を試みるも解除することは出来なかった。
「私が開けようか?力技になるけど」
「やむを得ません。痕跡を残すことになりますが、お願いします」
箱に手をかざし、力を込める。腕が黒くなったと同時に箱が強引にこじ開けられた。中には小瓶が入っており、蓋を取ると強烈な臭いがした。中身を見ると黒と赤の粉末状の物体が入っている。
「イグナイトパウダー、これです」
「量が少なすぎるけど、もっと漁った方がいい?」
「いえ、これでも十分すぎる威力を持ちます。もっとあればクレーターさえ作れてしまうと言われていますからね」
「恐ろしい。取り扱いには気をつけなきゃ」
「えぇ、そうして下さい。では行きましょうか」
建物を出ると同時に、キープ内の衛兵が更に駆り出されている光景を陰から見ることが出来た。
「何か騒ぎがあったようですね。都合が良いです。このまま来た道を戻りましょう」
その後、無事に脱出することが出来た。警備の目もほとんどない状況で脱出出来たため、そのままインダストリア・アーマ区域に足を踏み入れた。
「どうやら、さっきの騒ぎは火事のようです。別区域なので良い陽動にもなりました」
「次は花火大会ね」
「すぐに済ませましょう。スクロールも用意しておきました」
アンモン大司教が居る教会の近くに行くと、多くの衛兵達が教会を守るように陣取っていた。
「流石に警備は厳重ですか。どうしたものでしょう」
教会近くを見渡してみると、屋根から伝って侵入するルートを発見した。跳躍力次第だが、問題なく行けるだろう。
「屋根から行こう。スクロールの準備は?」
「万全です。しかし、やはり秘術は苦手ですな」
「早くして。時間が無い」
アスターがスクロールを広げて魔法を詠唱すると、私は意識を一回沈める。少しすると、視界が開けてきた。映るのはアスターと、瞑想する私の姿だった。
「では、大司教からしっかり情報を吐き出すようお願いします」
「分かってる」
黒いフードを被り、バッグを持って町の中へ溶け込んで移動する。衛兵が掲げる松明の光を避けるように移動し、屋根へ乗り移った。飛んだ時に足音は鳴らないし、風も殆ど無い。まるで重力を感じさせない動きで屋根の上を走り抜ける。そして教会の屋根へと飛び乗った。音もなく着地したら、バルコニーから教会内に侵入する。人目に付かない場所にバッグを隠し、配置したら、アンモン司教が居る最上階へと向かう。階段を上って最上階の扉を開けると、そこには多くのロウソクが灯されていた。その奥には大きな机があり、そこに一人の男が座っていた。堂々とした風貌を持つ人物で、職位に合う風格が漂っている。しかし、瞳は冷たく鋭い。野心家なのだろう。
「貴様が例の黒い死神か」
男は私を見るなりそう言った。私は覆われた黒い布越しに、かけてもらった変声魔法を使い、声色を変えて話す。
「賄賂と汚職の男よ、質問に答えろ。貴様が例の組織と繋がっているのか?」
「何を言っているんだ?そんな組織とは関わっておらん」
「貴様の家を確かめさせて貰った。書類を見つけた」
「ふんっ!それがどうした!?証拠でもあるというのか!」
「言わないならいい。居場所を吐け、誰が貴様を操っているかを教えろ」
私はナイフを取り出して男の首元に当てた。すると男は慌てる様子も無く、鼻息を大きく鳴らす。
「やってみるがいい!お前のような奴など怖くはないわ!衛兵!来てくれ!!」
「吐け」
「貴様があんな事をしていれば、いずれ向こうからやって来るだろう!!その時こそ終わりだ!!」
「分からないのか」
「いいか、このクリスタリアにも奴らが潜んでいる。いずれ彼らがこの国を乗っ取り、その時こそ私が王になるんだ!!」
そう言って彼は高笑いをすると、彼から発せられた衝撃波が私を襲った。その衝撃で壁に打ち付けられてしまうが、すぐに立ち上がる。同時に扉が開けられ、衛兵達がなだれ込んできた。
「潮時か」
私はバルコニーに飛び出すと、そこから飛び降りるのだった。視界が少しずつ地面に近づき、触れた瞬間、私の霊体は砕けて消えた。
少し経って意識を覚ませば、目の前にアスターの姿が見える。
「口が固い奴だった」
「それは残念ですね」
「爆薬はしっかり設置した」
「では、やりますか?」
「吹き飛ばそう」
教会を睨みながら私は言うと、アスターも同意する様にうなずいた。