1 / VI
冷たい風が私の肌を刺していた。雲は光を遮り、辺りは薄暗い。私は一人立ち尽くしていた。数歩の距離先には女性の姿が見える。白い髪が風で揺れ、瞳が私を見つめている。しかし、瞳は温かさを失くしており、まるで人形のようだった。体のあらゆるところから蝕まれたおぞましい肌が覗いている。
「生きてるの……?」
私は思わず呟いた。彼女は瞳を私に向けたまま、少し遅れて答える。
「死んだ。いや、私は生まれた時から死んでいた」
私はゆっくりと彼女の方へ足を進めると、向かい風が吹く。
「どうしてあなたはそんな姿になったの?何かあったの?」
私は彼女に問いかけた。ただ、じっと私を見つめて、静かに口を開いた。
「あなたには関係ない」
冷たく突き放す言葉だったが、声はどこか寂しげ。まるで助けを求めているような声だった。私はさらに彼女に近づきながら続ける。
「何かあったなら話して、助けになりたいから!」
彼女に向かって手を伸ばそうとすると、さらに風が強くなる。
「もう手遅れよ、私は全てを捨てた」
彼女は私に背を向けて歩き出した。
「待って!」
私は慌てて追いかけようとするが、強い風に阻まれる。諦めずに足を進めようとした時、一瞬だけ彼女の姿が真っ黒な人影、邪悪な何かに見えた。その瞬間、私の体は急に重くなったように感じる。
「うっ……」
私は思わず膝をつくと、そのまま倒れてしまう。体が言うことを聞かず、意識も朦朧としてきて、苦しさに耐え私は必死に抵抗しようとしたが、力すら残っていなかった。どんどん目の前が暗くなっていく中、かすかに彼女の声が聞こえた気がした。
「これも運命よ」
私は闇の中に沈んでいく感覚の中、静かに目を閉じた。
――
夢から覚めた時、私は寝巻のままベッドの上にいた。外はもう少しで明けになる時刻だった。
「さっきのは夢だったの……?」
私は呟くと、体を起こす。
不思議な感覚だった。夢の中というのは大体過去の記憶や空想、願望などが混ざっているものだが、今回の夢は違う。予知のような不思議な感覚。キャンプから出ると、見張りをしていたエリオットがうつろうつろとしていた。
「エリオット、大丈夫?」
私は心配になって声をかけた。彼は少し驚いた後、小さく頷いた。
「ええ、大丈夫……です」
彼はそう答えながら、目を擦っている。キャンプの見張り番は日替わりだけど、人間種族の場合は途中で居眠りをしてしまうことがあるみたい。
エリオットも疲れているのだろうと思って、私は毛布を渡した。
「あと少しは私がやるから寝ていいよ」
私が言うと、彼は少し迷った後に毛布を受け取った。キャンプに戻ると思ったら近くの椅子に座る。
「随分早い起床でしたが、何かありましたか?」
「ちょっと変な夢を見ちゃって」
「夢、ですか?」
彼は不思議そうに聞き返してきた。
「うん、アイラに会ったの。でも、何か様子がおかしくて……」
「どのように様子がおかしかったのですか?」
「それが……真っ黒な人影みたいに見えたの。まるで、何かに取り憑かれたように」
私が答えると、エリオットは少し考え込んだ。
「ただの夢、で済ませるには少し複雑ですね。シンシアはこのような夢を頻繁に見るのですか?」
「ときどき、かな?見てちょっと経つと、大きな出来事があったりするの」
「予知能力でしょうか?でも、アイラさんは確か怪しげな方に治療を受けに行ってから一切姿を見せなくなりましたね」
「うん、だから余計に心配で……」
「もし意味のある夢であるのならば、アイラさんの身に何か起こる前触れかもしれませんね」
エリオットは少し俯いてまた考え事を始めた。
「エリオット?」
私が声をかけると、彼は顔を上げた。
「気を損ねるなら申し訳ありませんが、アイラさんを一目見た印象は、あまり良いものではありませんでした」
エリオットは少し申し訳なさそうな顔をして言った。私も再会した時は、幼い頃と比べて、変わっていると感じていたと思う。
「アイラさんはどこか歪んだ心を持っているように感じました。何か辛い経験をしたのかもしれませんが冷たい印象を受け、いずれ道を外れてしまうように感じました」
確かにアイラにはどこか暗い影があるように思えた。何なのかはまだ分からないけれど、あの夢が意味するものだとしたら、アイラに何が起こっているのか。私は不安な気持ちを抱えたまま、朝日が昇るのを眺めていた。
――
身支度を整えていつもの安宿を出ると、すぐ近くに外套を被った男が一人、壁に寄りかかって立っている。フードを深く被っているため顔はよく見えないが、次の一言で誰か分かった。
「友よ、久しいな」
声で私は咄嗟に身構えた。
「グレイザー、わざわざ殺されに来たの?」
横目で睨んだ。
「まだその時ではない。が、もう近い。話をしに来た」
「話?」
私は警戒を解かずに聞いた。
「日が二回落ちた後の日、セントラルホール地区にある廃屋敷で俺はこの都市を燃やす。友よ、お前は止めに来い」
「どういうこと?」
私が聞き返すと、グレイザーは口角を上げて笑った。
「そのままの意味だ。救いのないこの町を燃やす。テディもヘクサリアももういない。だから俺は全てを燃やす。都市も、都市に住む奴らも」
「どうしてそこまでするの?」
私は思わず聞いた。グレイザーは乾いた口を開いた。
「友よ、俺達の真実は殺し合いの中で話すとしよう。お前と別れて俺達はどのような道を辿ったか、お前の知らない真実を話してやる」
「なら、わざわざ刃を向けあう必要なんてないでしょ?黙って燃やせば良いのに」
私が言うと、グレイザーは首を横に振った。
「友よ、俺はこの殺し合いに意味を持たせたいのだ。俺達、迷宮を生き延びてきた者にとって、通じ合えるのは力だけ。殺し合いだけが真実を語ることが出来るのだ」
グレイザーは外套のフードを脱ぐ。そこには黒い肌の男が立っていた。
「お前はどうなんだ?友よ、お前は何のために戦っている?俺達を救いたいのか?」
グレイザーはじっと私を見つめる。私は彼から目を逸らした。
「私はただ……」
私が答えようとしていると、彼は私の言葉を遮った。
「俺は全てを燃やす。そう決めたのだ」
グレイザーは外套のフードを被って歩き出す。その背中を見つめながら、私は口を開いた。
「あんたをやれば一区切りは付けるはず。きっと……」
そう呟いて私はいつものように依頼へ出かけるため、グロック行きの馬車に乗る。やはりグロックに行く人々はそういう目的の人間しかいないのか、薄汚さのある人間が多く、私はうんざりした。フードを被り、干渉されないことを願いながら揺られること数十分、グロックに着いた。降りたら、薄汚い人間達に紛れて、ダークマーケットに入っていく。
グロックのダークマーケットは、国の中でも最大級と言えるほどの規模を誇る。名の通りもちろん非合法な物も多く取り扱われているため、人身売買や盗品なども多数存在しているため、一般人が来ることはまずない場所。私はいつも通りフードを深く被り、目立たないように歩いて行く。大通りから外れた道ではバファスや武器などを扱う商人がチラホラと見える。
そして、私は目的の店に着いた。木箱が大量に積まれており、中には盗品と思われる物も多く入っている。この店はロンダリング用の店であり、盗品などを扱っている。私は店主に声をかけた。
「鉄球はある?大きさは問わない。質が悪いものでも構わないから大量にあると尚良い」
私がそう言うと、店主はニヤリと笑って言った。
「あるよ、最近仕入れた鉄球がある。質は良いとは言えないが大量にある」
「袋一杯で買いたい」
私がそう言うと、店主は鉄球の入った袋を取り出した。ガラクタから、例の鉱山事件で使い物にならない鉄球も混ざっている。雑に扱われているせいで、錆びてボロボロになっているものも多い。
「これでどうだ」
店主が私の前に袋を置くと、私は中身を見て頷いた。
「支払いは通貨?宝石?それともコイン?」
「コインだ。ここではコインでしか取引しない」
私はコインをいくつか取り出して、店主に渡した。
「何に使うかは聞かないの?」
「余計な詮索はしない主義だ。命が惜しいからな」
店主はそう言って、コインを受け取る。
「命が惜しかったら、こんなところに居ない方が賢明だよ」
私は店を後にした。店主は何も言わずに私を見送った。ダークマーケットを出た私は、フードを深く被って裏通りを通る。狭く入り組んだ路地には、風情ある古い建物が立ち並び、昼間でありながら、通りの一部には影が落ちて冷たさを感じる。次の店は何の看板も掲げていない。私は静かに店の前に立った。扉に鍵はかかっておらず、中へ入ると薄暗い部屋にカウンターがある。私はカウンターに座って、となりの人物を横目で見た。
「あなたはプロキオン?」
私が聞くと、その人物は頷いた。
「ああ、ちゃんと時間に間に合ったようだ」
プロキオンは答えると、懐から紙を取り出した。私もコインを出してカウンターに置く。
「彼らの情報は掴めた?」
「ああ、仲間を尋問した結果、奴らがいつ通るかが分かった。地図を見てくれ」
プロキオンは紙を私の前に滑らせた。手に取って、内容を確認する。矢印などが書き込まれていて、かなり詳細に記されている。
「いい仕事ね、ありがとう」
「連中は南の大陸では英雄扱いされているが、こっちではただの犯罪者だ。俺としても気に食わん」
プロキオンは吐き捨てるように言った。私は彼にコインを渡した。
「そうね。彼らの冒険はもうすぐで幕を閉じる」
私がそう言うと、プロキオンは鼻で笑った。
「楽しみにしておく。次の仕事があるからこれで失礼する」
プロキオンは店を後にした。私は紙に書かれた情報に目を通した。
「この地図を頭に入れておこう」
私は小さく呟くと、フードを深く被り直して店を出た。
――
恐らく通ると思われる街道に先回りして、近くにある村で時間を潰すことに。部屋を一つ借りて罠や爆薬を仕込み、太陽が真上辺りの位置に来たところで、私は部屋を出る。フードを被り、顔を隠しながら村を出ようとすると、村の入り口に誰かが立っているのが見えた。フードにコート姿で、顔はよく見えない。近くを通り過ぎると、何者かが私を呼び止めた。
「これから依頼か?」
言葉を聞いた瞬間、私はナイフを抜いてその人物の喉元に突き付ける。彼女の声には聞き覚えがあったからだ。
「何しに来たの?よくも平然とした顔をしていられるね」
私がそう言うと、彼女は笑う。
「以前会った時よりも切れてるな。今日はそういう日か?」
「口が多いね、今日の下着はいつものよ」
彼女は笑い、ナイフを指先で軽く押して退けた。
「答えを聞いてなかったな。今から何をしようとしてるんだ?」
「依頼よ、強盗殺人を繰り返している連中を今から殺しに行くの。邪魔するなら今から殺し合ってもいいよ」
私が言うと、彼女は首を横に振った。
「邪魔になるなら、今はやらない」
ナイフを降ろし、彼女に背を向けて歩き出すと、彼女もまた私の後を付いてきた。
「どうしてついてくるの?本当に図太い神経してるね」
私が言うと、彼女は答えた。
「お前が何をするか知りたいだけだ」
私は彼女の言葉に耳を貸さず歩き続けた。しばらくすると、目的の街道に辿り着く。背中のバッグに入れていた道具を一つずつ取り出して準備を始める。
「依頼の内容は?」
「オラニエ大陸で暴れまわっている男女二人組がいるの。各地で強盗殺人を繰り返し、件数は20を超える。痺れを切らした女王が私に依頼してきた。金さえ払えば何でもすると思われてるのかもね」
「聞き覚えがある。有名な犯罪者だな。二人は南の大陸からやってきたらしく、金持ち相手に強盗を繰り返している。どうやら南の大陸の連中から英雄扱いをされているらしい」
「そうみたいね。女王からの手紙を見たけど、『手段は問いませんので彼らを伝説にしてあげなさい』と書いてあった」
私が言うと、彼女は少し笑った。
「伝説か。なかなか洒落た言い回しだな」
私は道具の一つとして、小さな金属片が中に詰まった爆弾を取り出す。
「手作りか?」
「そう、手作り。でも威力は保証するよ」
「どういうやり方で殺すつもりだ?爆弾で吹き飛ばすのか?」
彼女は興味深そうに私の手元を見つめている。私は少し考えて答えた。
「彼らは馬車に乗って通るつもりね。爆薬で馬車を止めたら、後はナイフで殺す」
「なるほど、あまりいい案だとは思えんな。馬車を止める方法も、どうやって殺すかも」
「他にいい案でもあるの?」
「あるさ。私が馬車を止める。お前は私の銃を借りて、適当に乱射すればいい」
彼女は私の前に銃を差し出した。私は受け取ると彼女の目をじっと見つめた。
「どうしてそこまでするの?あなたは私を殺そうとしたじゃない」
「そうだな。だが今は殺し合いをするつもりはない。それに、私はお前に興味がある」
彼女は私の肩を叩いた。ため息を付いて、私は彼女から銃を受け取る。受け取ったスチームマスケットは改造されており、筒の部分が大きめに取られている。
「改造銃?こんなものどこで手に入れたの?」
私は銃を眺めながら言った。
「勝手に改造した。自作した弾を使う為にはこうするしかない。これも使え」
彼女はそう言って、私に小型の銃を渡した。携帯しやすい回転するスチームマスケットだった。
「どうやって弾を入れるの」
「まだ時間ありそうだな、使い方を教えてやる」
彼女に使い方を教えてもらいながら、雑談は続いていく。
「いつもは男が傍にいたな、彼はどうした?」
「わからない。朝起きたら居なかった。私のことを見捨てたんじゃない?」
「彼が黙ってお前を見捨てるとは思えないな。見捨てる時は一言言っていくだろう」
「そういう男には見えないけどね。見捨てられたに決まってる」
私がそう言うと、彼女は少し考えてから口を開いた。
「彼は忠実な男だ。病気と思えるほどな。お前を見捨てるはずがない」
私は彼女の言葉を無視して、改造銃の弾を込める練習を続けた。
「そう言えばあなたの名前を聞いてなかったね」
私が言うと彼女は答えた。
「ファイ、だ」
「本名なの?」
「いや、機関から与えられた名前だ」
「仕事はどうなの?」
「いや、もう機関からは見放された。お前の暗殺に失敗したからな」
彼女はバッグから水を入れる革袋を取り出し、口をつけた。
「じゃあ、今は何をしているの?」
「フリーだ。あてもなく彷徨っている」
彼女はそう言いながら弾を込め終わった銃を私に返した。
「馬車はどうやって止める?」
私が聞くと、彼女は答えた。
「バッグにいらない荷物をいっぱい入れて欲しい。道の上で中身をぶちまけて、私がバッグの荷物を拾うふりをして馬車を止める。その隙にお前がやれ」
彼女はバッグの中に荷物を詰め込んでいった。
「なるほどな、面白いアイデアね」
私はそう言って、荷物の整理をしているファイを見つめた。
「銃には変わった弾薬を入れてある。発射すると小さな弾がばらけながら飛んでいく。適当に撃っても殺せるはずだ」
彼女は弾を込めた。私は荷物の整理を終えると、長いマスケットを左手に、回転する銃を右手に持つ。
「合図は私が足踏みを二回する時。それまでは隠れてくれ」
「分かった」
荷物を持って少し離れ、彼女を見つめる。彼女は道の真ん中に立ち、バッグを地面に置く。私が黙って見ていると、彼女が手で隠れるように合図した。私は静かに物陰に隠れる。
彼女はバッグから荷物を全て取り出すと、道の真ん中に投げ捨てた。ファイは荷物をバッグに戻そうとする仕草をして、バッグの中に手を入れる。すると目標の馬車が彼女の目の前に立つ。ファイは馬車の方に向けて声をかけた。
「すいません、手伝ってくれませんか?荷物が散らばっちゃって」
馬車を見てみると、確かに男女二人組が乗っている。馬車は止まり、男が降りてきた。
「手伝いましょうか?」
男はファイに近づいていく。その様子を物陰から見ていた。女性は馬車に残り、ファイと男が荷物を拾う。
「すいません、ありがとうございます」
ファイはそう言って男に礼を言った。彼女の足元に注目すると、彼女は右足を僅かに上げている。そして、早めのテンポで二回地面を蹴った。
合図だ。ファイが急いでその場から離れると私は飛び出して、マスケットの先を男の頭に向け、小さい銃を女性の方に構える。躊躇いもなく引き金を引くと、弾が男に向かって飛んでいき、男の上半身を赤く染めて倒れた。即死だ。轟音で馬が暴れ、馬車が制御不能になり、女性が悲鳴を叫んだ次の間には発射する。生きようが死のうが関係なく、弾を使いつくすまで撃ち続けた。撃ち終えると、馬車から転げ落ちた女性の死体、散乱跡の近くに男性の死体が転がっている。
「脈が無い。死んだ」
ファイも頷いた。二人で死体を観察する。二人ともまだ成人したての若者に見えた。
「確か仲の良い二人だったな、最後くらいは一緒にさせてやろう」
ファイが男の死体を担ぎ上げて、女性の隣へ寝かせた。
「意外にロマンチストなのね」
「そうでもないさ。もし死ぬとき、近くに誰かいてほしいか?」
「……別に」
私はちょっと考えてから答えた。色々思う所はあるのだが、口には出さなかった。
「本当にお前は冷血だな、まるで人間味が無い」
ファイは荷物の整理を始めた。私は馬車に積んである荷物を物色して、使えるものを探すけど、中にあるのは盗品や大量の武器や爆薬、そして盗んだ金品だ。
「下手に手は出せないね」
私はファイにそう声をかけた。彼女は荷物の整理を続けながら口を開いた。
「そのままにしておくのが適切だろう」
「……依頼は終わりね。どう?ここで一戦やりあってみる?」
彼女は少し考えた後、首を横に振った。
「やめておこう、今はそんな気分じゃない」
彼女は荷物の整理を終えて立ち上がった。以降、大した会話も無く、私たちは場を後にした。