スチームタウンから離れて、蒸気機関車がレールの上を走っている。時々揺れる車両の中、ファイは腕を組んで目を閉じて眠っている。アスターは盗んだ書類を一枚一枚じっくり読んでいる様子。私は夢の世界に行けず、向こう側の景色をずっと眺めて過ごしていた。
確かにオーエンは殺した。ルクス・エテルナの始末部門などは機能停止に近い状態だろう。だけどまだ終わっていない気がした。でも、これ以上何をすればよいのかもわからない。女王陛下にも見捨てられた以上、私には何もできないのだ。
アスターの方を見る。彼は書類のみに集中しているようだった。この男は仲間でもない。ただ利害が一致しただけなのだ。ファイだって助けてくれることもあれば、突然マスケットを向ける事もある、何をするか分からない人だ。私に仲間という存在はいない。一人のまま、時間が過ぎて、やがて病が蝕み終える時を待っているだけ。それがとても悲しく、怖かった。
「眠らないんだな」
赤い髪の女性があくびをして口を開く。
「大丈夫な体質なの」
彼女は向かい側に座っている。車両は静かで、私達以外に乗客はいなかった。
「夢を見たことが無いのか?」
「いえ、時々。あまりいいものではないけど」
「……一つ聞いても?」
ファイが目を開いて言った。
「どうぞ」
「お前が勇者様の事を質問した時、疑問が思い浮かんだ。アイラと勇者の間に何かあったのではないかと」
少し考えて私は口を開いた。この話題は避けたかったけれど仕方ない。
「……彼女とは幼馴染だった。子どもの頃に別れたけど。大きくなって会っては別々になって、でも……。私はあの子に顔向けできないほど酷い事をしてきた。刃も向けた。だから……」
次の言葉が出なかった。
「彼女は明らかにお前を嫌っているのか?」
「……分からない。でも、優しすぎるから」
「なら、また会った時に謝れば大体は解決するんじゃないか?」
「シンシアが汚れた私に触れてはいけないの」
「そう思っているという事は許してくれるだろう?」
息を吐いて、応えた。
「純粋な白に、黒は一滴でも混ざったらもう戻れない」
「……意外に面倒くさい女」
ファイが呟き、再び目を閉じた。アスターが書類を読むのを止め、景色を見ていた。
「まだ数時間はかかるでしょう。……アイラ殿も、ファイも、今後の方針を決めていますでしょうか?」
「私は特にやりたいことはないな。ただ……いや、着いた後話すことにしよう」
彼女の言葉の意味がよく分からなかったが、深く聞く気にはなれなかった。私もやることは決めてなかった。場所を変えてルクス・エテルナに関連する組織などを潰しまわるのも悪くはないと思ったけど、本当にそれでいいのかと考える。この後もあまり会話が無いまま列車は目的地へと向かっていった。
――
アイアンゲート駅に着いて、私達は降りる。灰色の雲が覆う世界から抜け出し、空を見上げると青が広がっていた。
「うん、空気が澄んでいる」
ファイは背を伸ばし、色が落ちたロングコートが風に揺れる。
「で、前言ってた話だけど、どうするの?」
「……そうだな。近くの村に寄ろうと思っている」
ファイの瞳を見ると、彼女の中に何か揺れ動くものがあった。迷っていると感じる。
「目的でも?」
アスターが聞くと、彼女は口を開く。
「いや、でも来てくれると助かる」
彼は目線を向け、答えを求めた。
「わかった。行こう」
ファイは安堵を微かにしながら縦に頷く。行き先が決まったところで彼女が先導して歩き出し、私達もついていった。方角から、アイアンゲート駅から南下し、遠くに海が見えてきた。風に乗って潮の匂いが流れてくる。
太陽が上り終えた辺りで、村に辿り着いた。と言っても小さな集落だった。恐らく戦争や魔物などの影響で住む所を失った人が集まっているのだろう。取引や宿泊などまったく期待できそうにない。ファイの方を見ると集落の人々に話しかけていた。子どもも好奇心からか、近づいていった。彼女は笑顔で接しながら長らしき老人と会話する。するとポーチから円柱の箱を複数と、小さな袋を取り出し、老人に渡していた。頭を下げた後、ファイは戻ってきた。
「何をしたの?」
「食料と金貨を少々渡しただけ」
「ここらは旧帝国領ですから、王国もなかなか手が届かないのでしょう」
アスターの言葉を聞きながら、ファイは口を開く。
「誰もが生きるのに必死なんだ。お前も、私もな」
彼女は自身の手を見て拳を握る。そして何か決心したのか、私の方に顔を向けた。
「アイラ」
「なに?」
真っ直ぐな瞳で見つめられる。
「お前を、今から裏切る」
一瞬衝撃が走ったのだが、ちょっと考えてみれば、おかしくて笑ってしまいそうだった。
「そうするなら背を向けてる時にダガーを突き刺したらいいのに。どうして堂々と宣言するの?」
ファイは両手を私の首の方に伸ばし、乱暴にペンダントを外した。
「これは預かっておく」
「……何がしたいの?」
「決闘、だな。向こうの砂浜で」
彼女は指さす方向には、白い砂が広がる浜辺があった。
「私が勝ったら、返してくれるの?」
「ああ。……準備ができたら来い」
ファイは言葉を残して、一人で歩き始めた。コートのポケットに手を突っ込みながら去っていく後ろ姿を眺めていると、アスターが口を開いた。
「……奇妙な人ですね。ペンダントの為に行くのですか?」
「ええ、大事なものだし」
「わたくしは見届けるだけにしましょう。割って入るのも無粋というものでしょうから」
二人で海岸へと向かう。砂浜の手前でアスターが立ち止まった。
「ここで見届けます」
「……わかった」
白い砂に足を踏み入れ、私は歩いた。波の音と、鳥の声だけが聞こえる。海の近く佇むに彼女は遠い彼方を見ていた。
「来たよ」
声をかけると、赤い髪を揺らし何も言わずに振り向いた。
「そのペンダントは大切なものなの。返してもらうよ」
「なら殺して奪えばいい」
「……どうして私に決闘を挑んだの?」
ファイは少しの間黙った後、口を開く。
「私に目的のようなものが無かった。幼い頃は二人の兄の後ろをついて回っていただけ。組織に入っても、私は言われた通りにしか動かなかった。……意志から行動したことなんて無い。だから首輪を外された途端、分からなくなった。どうすればいいのか、なにをしたらいいか。ただ、このままではいけないと思ったから……」
ファイの視線が空へ。雲に覆われて、太陽の光が見えない。
「お前なら、何か分かるかもしれない」
「私はあなたの師匠でもない」
彼女は首を横に振った。
「師でも誰でもいい。何なら、楽にしてくれても構わない」
彼女の目をじっと見つめた。曲がって、揺れているのに真っ直ぐな瞳。覚悟していると感じる。
「そういうなら」
するとファイは携帯型の銃をこちらに放り投げた。
「撃ち合いと?」
「好きにしてもらっても構わない。だが、私は一発しか撃たない」
「どういう意味?」
答えず彼女は距離を取り始めた。離れると私に対して殺気を放つ。まるで獣に狙われる感覚だった。
「……本当にやるの?」
「お前も本気でやってくれてもいい」
言いながらも構える様子はなかった。腰近くに右手を置き、いつでも銃を抜き出せるようにする。決闘というのは相手のやり方に則るものだ。腰に銃をしまう革製の物が無かった為、ベルトに通して固定し、彼女を睨んだ。耳を澄ませると聞こえるのは波の音と、自分の心臓の鼓動だけ。ファイは左手の人差し指の先でベルトを撫でている。右手が微かに震えていた。私の鼓動も次第に速くなっていく。彼女はいつ動くのか。
早く沈黙が終わって欲しい。ゆったりとした波音が、私の神経を逆なでする。ファイの呼吸が乱れ始めるのが分かった。糸のように差した太陽の光も雲に隠れてしまう。瞬きしてはいけない。してしまった時が負けなのだ。お互いの視線が衝突し、殺気がぶつかり合う。空をカラスが飛ぶ。彼女の右手がもどかしいほどゆっくりと動いていき、私も左手を動かし合わせるようにした。手に力が入り、少しずつ握る形になる。目を細め、彼女の動きを注視する。
そして、殺気の波長が突然乱れた。左手がベルトに伸び、銃を抜く。ファイも右手を素早く出した。僅かながら、私の方が速く撃てる態勢だったが、引かなかった。ファイが撃った瞬間、身体を横に転がして避け、起き上がる。
「なぜ撃たなかった!」
ファイが銃を捨てて走り、蹴りを繰り出す。私も投げ捨てて腕を使って防ぐと、彼女の右腕が真っ直ぐに突き出されていた。咄嵯の判断で、自分の左腕で受け止める。鈍い痛みが走ったが、歯を食いしばりながら、彼女を押し返した。
「撃てなかったのよ!」
ファイがよろけながら、後ろに下がった。
「……お前なんて、所詮人間にも怪物にもなれない中途半端な奴だ!」
「そういうあんたも選択をしない癖に! 自分の意志で決めたんじゃなくて、誰かに言われたからじゃないの!?」
「それが私だ!」
ファイがまた距離を詰め、殴りかかる。避けて反撃すると、不意に回し蹴りが頭に当たって、砂の上に身体を転がした。
「……ぐっ!」
顔面目掛けて拳が降ってきたので、首を動かしながら避けて、足を回しながら立ち上がると、すぐにファイの方へ走って行った。
「お前は何の為に生きる!どうして戦うんだ!」
「復讐、それだけ!」
彼女が拳を何度も振り下ろしてくる。避け、手のひらを頬に当てると、コートの女性はよろめいた。
「私なんて穢れに蝕まれて、死ぬことしか出来ない!!何も残せない!!」
もう一度手のひらを彼女の顔に押し当てる。
「だったら、どうすればいいのよ!私だって……!」
ファイは砂の上に仰向けに倒れた。
「不幸だった。それだけでいいだろう……!」
彼女は立ち上がる。ファイはもう身体が限界のはずなのにまだ戦おうとしている。
「あんたは私の何もわかってない!」
「知るか!自分の事でいっぱいなのに他人なんか分かるわけない!」
渾身の右腕がみぞおちに突き刺さる。咳込み、膝をついた。
「私なんて、生まれてくるべきじゃなかった!!」
「じゃあ、ここで死んでおけ!!」
ファイの蹴りが側頭部に当たり、砂浜を転がった。
「くそ……!」
立ち上がり、彼女を見ると肩を大きく揺らしていた。
「一人に頼って、心の霧が晴れる。そんなうまい話なんて無いのは知ってた。私達は誰であろうと一つにはなれない。立て、早く」
黒い液体を吐きながら立ち上がった。汚れた二人が何度も向き合う。
「救いを求めるのはお互い様だ。でも、何も出来ない」
「だからこうやって先延ばしにしてきた」
ファイは息を整えた後、拳を構える。
「私はあなたに救われたいと思った」
「私もそうだ」
「でも、それは無理なの。私達は何もかもが違うんだもの」
「違うのは当たり前だ」
「だから、終わりにしましょう」
心から思いっ切り叫んで立ち向かった。彼女も駆けてくる。ファイの回し蹴りが脇腹に直撃し、私は倒れそうになる。しかし、踏ん張って頬を左手の平で叩いた。力を込めていたから彼女は吹き飛ばされ、地面に倒れる。
「結局、何も前に進まなかったな……」
ファイは起き上がろうとしたのだが、力が入らないのか出来なかった。捨てた銃を拾って、彼女に向けた。
「やりたいのなら、好きにすればいい」
ファイはそう言うと、目を閉じた。もう一度引こうと試みたが、結局、撃てなかった。
「くそ……」
銃を彼女の上に捨てて、ポーチからペンダントを返して貰う。立ち去ろうとするとファイが私の名を呼んできた。
「……お前は、誰かに愛してもらった事はあるのか?」
「ない。両親の顔も知らず、誘拐された先の砦でも人として見てくれなかった。誰も私を救ってくれなかった」
「そうか、私は二人の兄だけだ」
力なく笑い、砂の上に倒れた。彼女に背を向け、アスターの所へ戻る。
「終わりましたか?」
「……行きましょう」
曇り空は晴れることなく、波は穏やかに音を奏でていた。風の刹那の唄が聞こえた気がした。