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ケネブレスの空はずっと灰色に包まれていた。雨が降る気配も無く、ただどんよりとした雲だけがはてまで広がっている。路地に沿った建物は、湿った空気を吸い込み、影が人々を包み込んでいた。通り過ぎる群れも、私も、お互いの顔を見ようとしない。誰も彼も影を追いかけてみつめる、いつもの光景だった。
両手に花屋で買ったばかりの四本の花を抱え、石畳の上を歩く。人混みを抜けると教会近くの墓場が見えてきた。敷地の前で一度立ち止まり、目を閉じて小さい祈りを捧げてから足を踏み入れた。
墓地には無数の死石列が立ち並んでいた。どれも古びていて、苔むしている。風化して欠けた部分や、崩れかけたものさえあった。そんな墓標の間を縫うように歩いていき、ある場所に辿り着く。
他の墓とは少し違う形をしており、恐らくその道の専門家が彫ったものが四つ並んである。どの墓も最初に『永遠の安らぎを。この街に捧げた若き英雄達』と。一本ずつ花を供えていき、そして最後の一本を指先につかんだところで後ろから声をかけられた。
「毎日必ずここに現れるな」
紋章が刻まれた鎧を着けた傭兵団の長が立っていた。
「私のわがままだよ」
そう答えながら最後の花をそなえる。エルグランダは隣に立ち、墓に刻まれた文に瞳をやった。
「クラスティス公爵暗殺事件の件はご苦労だった。やはり例の組織が関わっているのは分かっていたが、こちらは手を出せなかった。ネズミが傭兵団の内部に侵入している可能性も考慮すれば、下手に動けなかったんだ。お前がいてくれなければどうなっていたか分からない」
彼は視線を落とし、小さく息をつく。
「だが、あの組織を壊滅させる事ができたら、こんな悲劇も起きずに済んだはずだ……」
言葉を聞き、胸の奥がちくりとする。しかしルクス・エテルナは世界の影という土に根を深く張って生きている存在だ。
「ところで額が赤いな。悪漢にでも襲われたか?」エルグランダは洞察力を生かし、少し前に起こったことを推察した。たしかに額の痛みがいまも残っていた。
「いえ、ブランカの事で謝ろうとウッドロック・インに行ったの。女性の店主が私を『人殺し』と叫びながら、木の器を投げられた」
「……君だけが生き残った。失った者からすれば、責める理由にもなる」
額に手を当てながら、呟いた。
「彼女は、愛されていたのね」
エルグランダは何も言わずただ静かにこちらを見つめる。しばらく沈黙が続き、やがて彼が口を開いた。
「今日はこの辺にしておこう。何かあれば報酬を持ってまた君に頼むよ」
そう言い残して立ち去る。刻まれた四つの名前を見つめながら、口にした。
「カリード、エルドス、ネイラ、ブランカ……」
彼らは私のせいで死んだ。私が殺したようなものだ。私だけがこの地上に残り、のうのうと暮らしている。復讐はまだ終わらない。でも、時間は迫ってきている。残った時間を別の事に費やす事はできないだろうかと考えたが、穏やかな気持ちで過ごせる日など来るはずもなく。口から吐き出した黒い液体が土に染み込んでいく様を見ながら、目を閉じた。
「ごめんなさい」
一言だけ告げて、その場を去った。
「アイラ殿は何か食べますか? この頃は何も口にしてないでしょう」
「別にいい」
部屋に戻って、アスターが声をかけてくる。窓の外に広がる景色から目を離さずに、関心なさげに答えた。
「わたくしがあなたと行動するようになってから、あまり口にする場面を見た事がありません。本当に大丈夫なのですか?」心配そうな声音で言った。
「問題ない」
短く答えると、そうですかと言ってカップに入った黒い飲み物を飲んだ。以前と比べて、剣を抜く回数は格段に減って来ている。クリスタリアに居た時が異常だった。今では街に出る事もなくなり、部屋の中で過ごす時間の方が長くなっている。代わりにアスターが動くことが多くなっており、手紙を送るために外へ出たり、裏の仕事を行うために外に出たりする場合がある。
ベッドの上に横になり、気だるげに床を眺める。バケツには私が吐いた黒い液体が溜まっており、彼はバケツを見て、顔をしかめた。
「もう、長くないのですね」
その問いに返事をする事はできなかった。希望は塵となって消え去る。私が消えてもこの世界はいつものように回り続ける。そう悲観の淵におちながら、ゆっくり瞳を閉じた。せめて、夢の中だけは幸せでいたいと願いながら。
瞼の裏に映るのは、小さな少女の姿だった。
「どうしてこの森に?」
「この森に傷を治す植物があるって、魔法使いのおじさんが言ってたの!」
金髪に青い瞳の少女は、元気な声で言った。幼い頃、村にやってきた辺りの思い出だ。まだ幼かった頃のふたり。
「でも、危険だから皆入っちゃダメって」
「大丈夫! 私なら、平気だよ」
そう言って左手を引っ張った。森の中を進んでいき川を越えて、さらに奥へ進んだところで、彼女が立ち止まる。
「ほら見て、多分あれがおじさんの言っていた薬草だよ」
彼女の指差した先には、青々と茂る草がある。葉には銀色の雫が垂れていて、太陽の光を浴びると輝いて見えた。彼女が植物をポーチの中に入れている中、重く鈍い足音が遠くから聞こえ、一気に目を鋭くした。
「誰かくるよ」
呟くと、向こうから熊がやってきた。普通の熊よりも二倍ほど大きく、鋭い爪が生えている。彼女は悲鳴をあげて逃げ出そうとしたが、恐怖のあまり腰が抜けてしまった。背中にあったショートソードを抜き、構えて彼女の前に立つ。
「早く立って」
「た、立てない……!」
熊を刺激してしまったのか、巨体がこちらに向かってきた。振り下ろされた腕を避け、すれ違いざまに斬りつける。血飛沫が舞い、赤がしみつく。振り返ると大きな腕を再び上げて、襲いかかってきた。
「やあっ!」
懐に潜り込んで、心臓を突き刺す。生暖かいものが手にかかったが、気にせず引き抜いた。そしてもう一度突き刺し、今度は横に薙ぐ。真っ赤な血液が吹き出し、私の顔にかかる。その一撃で熊を仕留めた。肩で息をしながら地面に倒れている彼女を見下ろす。
「立てる?」問いかけるが彼女は首を左右に振って答えた。
「今のアイラ、顔が真っ赤で怖いよ……」
血が顔にかかってしまえば、誰だって怖がるもの。幼い頃は理解してなかった。
すぐ近くにあった綺麗な池で顔を洗い、血を落とした。水は冷たかったが、頭は冴え渡っている。洗い終えて、腰が抜けた彼女に近づいて様子を見た。シンシアはまだ立てないみたいで、彼女を背中に抱え、森を歩き始める。
しばらく無言のまま歩いていると、シンシアが口を開いた。
「アイラにお父さんとかお母さんはいないの?」
「いない。殺されちゃった」淡々と言うと、彼女は息を呑んだ。
「そっか……」
また沈黙が続く。
「どうして村の皆はアイラのこと嫌うのだろう」彼女がぽつりと呟いた。
「砦から来たせいだと思う」
北の砦。誘拐された子ども達が集められ、人体実験が行われている場所。実験に耐えた者は武器を取って訓練され、戦地に送り出される。村人達が嫌忌するのは当然だ。砦の子どもは大体化け物だからだ。
「悪い人じゃないのに……アイラは優しいし」
何も言わず、ただ黙って歩いた。優しさの意味が分からなかったので、返せなかった。しばらくしたら近くの切株にシンシアを座らせ足を見る。
「大丈夫? 怪我してない?」
「ううん。ズボン履いてたから平気」
そう言って笑みを浮かる。私は安堵のため息をつき、休息をとった。
「帰ろう」
頷くと、ゆっくりと立ち上がって再び森を歩きはじめた。やがて出口が見え、村の近くまで戻ってくる。
「これ以上先は行けない。村の人に見つかるともの投げられるし」私はそう言って彼女と別れた。
「じゃあね!」
笑顔で手を降って、帰っていくその時だった。突然乱雑な落書きが私の視界を蝕み始めたのだ。人の顔に落書きがかかっているような光景。それは徐々に広がり、目の前が黒くなる。シンシアの顔も認識できなくなり、声にならない叫び声をあげながら、必死に抵抗しようとする。しかし黒いものはどんどん広がって侵食していき、やがて目の前が真っ暗になっていった。
次に意識を取り戻した時、そこは見慣れた部屋だった。
「随分と長い眠りだったようで」
男の声が聞こえる。疲れた首を向けると、アスターが椅子に座っていた。窓の景色からして時間帯はまだ昼頃だ。
「そこまで長く眠ってないじゃない」
「いえ、あなたは昨日の昼から寝始めて、今日の朝方までずっと起きませんでしたよ」
「……そう」
身体を起こすと、アスターは私にコップを差し出した。中身は水。
「今まで溜まった疲れが一気に出たのでしょう」
受け取った水を飲んでベッド近くの机に置いた。
「ここはどこ?」
「変わりません。ケネブレスにある宿の一室です」
「そう、よね」
夢の中で見た森は、すぐに彼方へおきざることにした。
「時間の感覚が分からなくなってきているような気がする。昼と夜の区別もつかないし、自分がいつ起きたのか分からない。……世界会議の事件からどれくらいが経ったの?」
「少なくとも一年半は経っていますよ」
そんなに経ってしまったのかと、息をついた。
「今の私は十六歳? 十七歳?」
「誕生した月は」
「無い。覚えていない」
「では生まれた日にちは」
「それも、わからない」
記憶喪失というわけではない。ただ、自分の誕生日や年齢などを覚えていなかった。
「教会に行けば分かるでしょうか」
「入れるならね」
立ち上がって支度を始めた。鎖のシャツや道具袋を身につけ、剣帯を装着する。
「今日も依頼をこなしましょう」
そう言って、窓際近くに立って外を見たその時だった。突然目の前が爆風に覆われ、凄まじい衝撃と共に二人共吹き飛ばされる。壁に叩きつけられ、そのまま床に倒れ込んた。
「っ……!」
痛みを堪えて立ち上がると、アスターも苦しげに立ち上がった。
「アイラ殿、怪我は……」
「私は大丈夫。それより何が起こったの!?」
爆発音が聞こえて、慌てて別の窓から様子を確認する。見た事も無い大きな物が煙を吐き出しながら、こちらに向かってきていた。ゴーレムではない。鉄に覆われ、大きな武器を複数装備している。こちらが死んだかどうかにも関わらず、火を噴く銃器をこちらの宿に撃ち込んできた。すぐに建物は炎に包まれていく。
「こちらです! まずは逃げましょう!」
駆け出して通路に。一階に降りても待ち伏せされるという彼の判断で、近くの建物へ強引に入り込んだ。建物の中なら安全とは行かず、絶えず巨大な鉄の兵器が建物に対して轟音をとどろかせる。壁が崩れ、天井が落ち、瓦礫が降り注ぐ。
「アイラ殿、無事ですか」
「なんとか。このまま籠ってもいずれは……」
「分かっています。壁を破壊して裏の方から出ましょう」
壁に両手を当てて力を込め、少しずつ崩していく。人が通れる程の隙間が出来た。
「先降りてる。私が受け止めるよ」
落下して彼が降ってくるのを待つ。彼は私の両手の上に無事着地した。町の様子は酷い有様だ。あちこちの建物が燃えており、人々が悲鳴をあげて逃げ惑っている。鎮圧に取り掛かった傭兵団もいたが、『圧倒的な力』の前になす術も無く倒されていた。
「ジャガーノートですね……」
私は男が発した名称を口で繰り返した。彼は続ける。「恐らくルクス・エテルナが開発していたもので、軍事目的で作られたと聞きました。資料によると指定した人物を抹殺する為に作られたものです」
「盗んだ書類から?」
「はい。恐らく、全てのものがあなたを抹殺する為に動いているのでしょう」
裏路地から大通りの方を見てみる。そこには鉄の足四本で巨大な胴体を支える怪物がいた。回転する大きな銃、大砲、火炎を撒く筒、それらを一つの鉄箱に詰め込んでいる。それが全部で六体程いた。
「あれで全部だといいけれど」
「いえ、まだ他にもいるはずです。この辺り一帯に」
「流石にこんな全部相手できない」
「当然です。見つからないよう、別の道を探しましょう」
アスターが先導し、後ろをついていった。途中で何度か見つかりそうになるが、どうにかやり過ごしている。
「街全体巻き込んで私を殺すつもりなの?」
「もう彼らに他の事はどうでもいいでしょう。あなたを抹殺する事しか頭にない」
「早くこの街から抜け出しましょう」
「分かっています」
走り続けていたが、突然背後から爆発音が鳴りひびく。振り返るとジャガーノートが一体、迫って来ていた。
「見つかりましたか」
「一体だけね、応戦する?」
「すぐに集まってくる以上、ここで戦うのは得策ではありません」
彼の意見に同意し、走り続ける。大通りを横切ろうとした時、近くの建物が砲撃で崩れ、裏道を塞いでしまった。
「くそ!」
悪態ついて引き返そうとしても前からも爆発音が聞こえる。辺りをまわると別々の方向から二体のジャガーノートがこちらに向かってきていた。
「アイラ殿、やりましょう」
アスターの声はいつもより低く、真剣な眼差しをしていた。
「作戦は?」
「なるべく囮を多く召喚します。その隙にあなたはどうにか仕留めてください」
彼はまず遮蔽物のある場所を選び、そこで魔法を唱える。別次元から来訪したと思われる無機物な狼が複数現れると、それを囮として走らせた。
「どうにか接近出来ますか?」
「やってみる」
剣を抜いて駆けだした。ジャガーノートは囮に銃弾の雨を降らせ、当たる度に囮が消滅していく。しかし、その間に私は距離を縮める事が出来ていた。彼は絶え間なく囮を召喚し続けている。やがて、目の前には鉄の巨体が見えた。一瞬で背後に回り、背中に乗り込む。覆っている鉄の板を腕力で引き剥がし露出した内部から、動力源として扱っている獣化した人間を見つける。人としての機能は失っていた。
「惨い事を」
突き刺すと一体は機能停止し、地面に倒れる。もう一体もまだ囮に乱れうっていた。再び駆け出すときにちょうど囮が消滅し、私の存在に気がついた。筒の先をこちらに向けてくるが、瞬間移動を使って狙いを逸らし、壁を走っていく。そして首元まで辿り着いた。
「これで!」
装甲の板に手を触れ、力を込めていく。金属の軋む音が鳴り、徐々に亀裂が入り始めた。全身を穢れで覆い力任せに破壊しようとした瞬間だった。一発の銃弾が右肩を貫く。痛みを感じて、思わず手を引っ込めた。
「ぐっ……!」
穢れの鎧を貫通して肩を撃ち抜かれた。撃たれた方には多くのジャガーノートがこちらに近づいて来ており、そのうち数体は銃口を向けて撃ってきている。連射砲、大砲以外に、大きな特殊弾を発射する為の砲台があった。それらを使い、こちらを狙撃してきたのだ。
「アイラ殿!」
「まだ大丈夫……!」
今は我慢するしかなかった。防護を破って動力を破壊し、急いでその場を離れる。去り際、彼が魔法を行使し、ジャガーノートの群れに向けて炎の光線を放っていった。けん制しながら二人で大通りを走り抜けていく。彼は心配そうな表情を浮かべていたが、私は気にせず走り続けた。しかし……。
「がっ……!」
アスターの腹部から鮮血が飛び散り、倒れていく。彼の身体を貫いたのは、先程見た巨大な兵器の銃口から放たれた弾丸だ。
「アスター!」
叫びながら彼に駆け寄った。