黒い外套を着けた少女は夜の街を歩いていた。夜は裏の世界の者が表に出てきてしまう時間だ。だが彼女はそんなことには構わずに歩く。この街には歓楽街がある。そこには娼館が建ち並び、娼婦達が客引きをしているのだ。アイラは接触を避けるため、裏側へ通じる路地へと入っていく。その道は薄暗い場所だった。歩いていると、突然少女は立ち止まった。目を下に落としている。そして何かを見つけたのか、しゃがみ込んだ。
「どうしてここに死体が……」
彼女の視線の先には男の死体があった。目立った外傷は無いものの、急激に萎んでしまったかのように身体が小さくなっている。まるでミイラのように干からびていた。脱水魔法を使われたのだろうかと考えたが、それにしてはおかしい点もある。それは水分が全く抜けていないことだ。皮膚もそこまで乾燥していないし、服にも汚れが無い。少女は死体の肌にそっと触れてみた。すると指先からは生命力を感じられないことが分かった。つまりこの男は生命力を何者かに吸い取られてしまったということだ。あと、死体から微かに香水の香りを感じた。
「……大体の検討はついた」
そう言うとアイラは再び歩き出した。死体は放ったままでいいだろうと思った。明日になれば誰かが発見し、大騒ぎになるかもしれないが別に構わない。その時に事情を聞いて、動き出せば良いだけだ。少女は静かに闇の中へと消えていった。
――
翌日、街では死体の話題でも持ちきりになっていた。どうやら殺されたのは衛兵の一人らしく、犯人はまだ捕まっていない。街の住民は不安そうな表情を浮かべながら話していた。そんな中、少女は宿屋の一室で一人軽めの朝食を取っていた。スープを飲み込んだらすぐに宿を出て、聞き込みの為、衛兵の詰所へと向かうことにした。
「ああ、俺達の仲間だ。あいつは女と遊ぶのが大好きだからなぁ……。きっとどこかの女に入れ込んで殺されちゃったんだろうよ。可哀想にな……」
アイラは詰所に居た男に話しかけると、彼は悲しげな顔をしながら答えてくれた。
「娼館に入り浸っていたと……。ありがとう」
「待ってくれ、あんたは何をする気なんだ?」
「犯人探しってところかな?」
「そうか、報酬は払うから犯人を捕らえてくれないか?このままだと仕事にならないんだよ」
「良いけど、もし犯人が怪物だったらどうする?」
アイラはこれが人間のやった犯行だとは思えなかった。死に方からして魔物の仕業である可能性が高いからだ。しかし、それを聞いた衛兵の男の顔色は変わることはなかった。
「その時は殺しても構わんさ。むしろ、頼むぞ!」
「分かった」
それだけ言ってアイラはその詰所を出た。
(でも、あの香水の出処は調べる必要がある。香りからして高級品。次は貿易品を取り扱う店に行くとしよう)
アイラは次なる目的地へと向かう事にした。
この街は多くの交通路の中継地点として栄えており、様々な国の人間が集まっている。そのため多くの商店が立ち並んでいるのだが、その中でも特に大きな建物があった。そこは貿易品の取引を行う場所で、取り扱うのは高価な商品ばかりだ。そんな場所で、アイラは香水の瓶を眺めていた。
「どれも良い香りがするものね」
彼女はその一つ一つを手に取り香りを確かめる。その中には昨日嗅いだものと同じものがあった。やはりここで間違いないようだ。後はどうやって店主に取り入るのかだが……
「お嬢さん、何か御用ですか?」
背後から声をかけられたので振り返る。そこには商人風の男が立っていた。年齢は人間でいう所の40代くらいだろうか。小太りで背の低い男だ。金にがめつい印象を受ける当たり、彼はドワーフだろうと彼女は推測した。
「殺人事件の事は知ってる?犯人が使ってた香水を探そうと思って来たんだけど……」
「ほう、それで見つかりましたかな?」
「ええ、これよ」
アイラは手に持っていた香水を見せた。すると男は驚いたような顔をして言った。
「これは珍しい品種ですね、東の大陸から取れる花を使った香水です。確か名前は……"月華草"」
男は香水の蓋を開けると鼻に近づけて匂いを確かめている。そして満足そうな笑みを浮かべた。
「東の大陸は独特な香りがすると思っていた。なんと言うか、磯臭いというか」
「そんな事はありません。とても素晴らしい香りですよ。東の大陸は素晴らしい所でしてね、なんと金や銀が採れるんですよ!いつか行ってみたいですね……」
男は興奮気味に語った後、急に押し黙ってしまった。そして、少しして再び口を開いた。
「ところで、私に何の用でしょうか?」
「この香水を買った人を教えて欲しいの。できれば直接会って話がしたい」
アイラの問いに男は困ったように頭を掻いた。
「それは無理ですね、買った人を記録するのは5万ロジュ以上の取引をした時だけと決められているんですよ」
「そう……なら仕方がないわ」
アイラは諦めてその場を去ろうとした。しかし、それを商人が呼び止める。
「少しお待ちください。犯人の手がかりになるかもしれないことがありましてね。あそこの歓楽街はご存知でしょう?あそこでの殺人はこれで3件目なんです。しかも被害者は全員娼館通いをしていたとかで」
アイラは足を止めて振り向く。
「被害者の特徴は?例えば、顔に大きな傷があったとか」
「強いてあげるとすれば、皆、男だということくらいですかねえ。まぁ、あまり参考にはならないと思いますけど。では私はこれで失礼します。仕事がありますので」
そう言うと男はそそくさと立ち去っていった。
「ありがとう、助かった」
アイラは男の背中に向かって呟き、歩き出した。
――
少女はおおよその見当がついていた。近くの椅子に座り、考えをまとめる。
(恐らく犯人はサキュバスね。歓楽街に紛れ込んで獲物を狩っていた。サキュバスの唇には生命力を奪う力が宿っていると言われている。だから被害者の身体は干からびたようになっていた。快楽に溺れ死んだと言うべきか。生命力を吸い取って力を蓄えたサキュバスは、悪魔すら魅了する危険な個体になる。そうなる前に狩っておかないと)
少女は夜を待とうと思い、一度宿屋に戻ることにした。
夜になると白い髪を全て後ろに結び、男装をして街へと出た。彼女の腰には銀のナイフが差してある。
(サキュバスの誘惑は男だけにしか通用しない。女は対象外なはず。なら、誘い出して仕留めるまで。問題はどうやって誘き出すかだ。)
黒い外套のフードを被って歓楽街へと向かう。まずは注意を引く為、意味深な言葉を並べながら歩く事にした。
「すまない、"死ぬほど気持ち良い"女は居ないか?」
アイラは若い青年のような低い声で言った。そう言って聞き回ると、ある建物の情報を得ることができた。その建物とは、この街の売春宿の中でも一番大きな建物だそうだ。それと同時に、何処からか睨まれているような感覚を覚えた。
(食いついているはず……)
そう思いつつ、アイラはその建物へと向かった。建物に入る前に、彼女は薬を飲んだ。時間差で精神の支配から解放される効果を持つものだ。もし、誘惑に負けてしまった場合の保険である。中に入ると、そこには大勢の娼婦達が客引きをしていて、多くの男が群がっていた。すると男装した少女の前に一人の女性が近づいてきた。
「あら、美形のハンサムさん。うちのお店は初めてかしら?それともお姉さんに興味があるのかしら?」
その女性は妖艶な雰囲気を放っており、胸元を大きく開けたドレスを着ている。アイラは直感で分かった。この人が犯人だと。しかし、実際の姿を見せるまでは油断はできない。
「ああ、初めてだが君にしよう。1000ぐらいまでなら出せる」
アイラはそう言い、懐から金貨の入った袋を取り出した。すると、彼女は目を輝かせて言った。
「嬉しいわ!じゃあ、早速案内してあげる」
彼女はアイラの手を取り、奥の部屋へと向かう。そして、部屋の扉を開けて中に招き入れた。その時に銀のナイフを密かにベッドの枕元に隠しておく。アイラの心臓は高鳴っていた。違う意味で。
「さて、何をして欲しい?お望み通りなんでもしてあげる」
そう言われた瞬間、アイラの精神が支配された。
(嘘でしょ!?まさかこんな簡単に……)
アイラは心の中で叫んだ。
「そんなに焦らないで、ゆっくりしたいんだ」
アイラは平静を保ち、女性に語りかける。
「ふぅん……」
彼女はアイラの顔に手を伸ばし、頬に触れた後、首筋をなぞった。そして両手で肩を押し、アイラの身体をベッドに押し倒した。
「私も貴方の事が気に入ったわ。でも、もう少しだけ遊ばせてね」
そう言うと、アイラの服を脱がせる。すると、胸の膨らみに気づいた。彼女はアイラの耳元で囁いた。
「あなた、女の子だったのね」
アイラの内心は焦りでいっぱいだった。
「まさか、私を追っているのがこんな可愛い子なんて思わなかった」
(まずい!早く薬効いて!)
必死に抵抗するが、精神が支配されている以上、抵抗することはできない。
「大丈夫よ、すぐに何も考えられなくなるから」
そう言って、アイラの唇を奪おうと少しずつ距離を詰めてくる。その時だった。
(……効いた!)
少女は咄嗟にサキュバスの首を掴んで押し倒す。
「なっ!」
サキュバスは驚愕の声を上げる。
「誘惑は効いたはずなのに!」
サキュバスは少女を蹴り飛ばし、距離を取った。怪物は爪を鋭く伸ばし、少女の喉笛を狙った。少女は枕元から銀のナイフを素早く取り出し、鞘から引き抜いた。サキュバスの爪が少女の首に触れる寸前、刃が煌めく。サキュバスの右腕は宙を舞い、床に落ちた。サキュバスは痛みに悶えながら叫んだ。
「貴様……!」
左腕で少女を殴りつけようとするが、少女はそれを難なくかわし、サキュバスの首に銀を刺し込んだ。耳をつんざく断末魔の叫び声が部屋の中に響き渡った。時間が経つと、怪物は力なく倒れた。倒した事を確認したアイラは急いで身支度を整え、サキュバスの生首を切り取った。下の方から登ってくる音が聞こえる。恐らく騒ぎを聞きつけたのだろう。アイラはサキュバスの生首を手に持ったら、窓ガラスを破り、外へと飛び出した。
部屋に残されたのは生首の無い怪物の死体だけだった。
――
次の日、少女は衛兵に怪物の生首を見せた。
「こいつが殺人犯だったのか?」
「間違いない。人の中に溶け込み、ひっそりと獲物を狙っていたでしょうね」
「昨日、歓楽街の方で生首の無い怪物の死体が発見されたらしいが」
「ああ、それなら私がやった」
「お前がか!?」
男達は驚いていたが、アイラは特に気にしていない様子だ。
「それで、怪物を匿っていたあの店をどうするつもりなの?」
「勿論潰す。連中は裏に葬ろうとするだろうけど、お前が持ってきた生首が証拠になるはずだ」
「そう、頑張ってね」
「ああ、これが報酬だ」
金貨の入った袋を受け取る。中身を確認すると、良い感じの枚数が入っていた。
「あんたが来ると助かるよ。冒険者ギルドに頼むともっと金かかるし、時間がかかる。下手すれば素人が来ることもあるからな」
「まあ、私はお金さえ貰えたら何でもするからね」
「ああ、良き旅を、放浪者」
少女は黒い外套のフードを被り、またどこかへ消えていった。