朝の目覚めは本当に心地良いものだった。故郷の空気がそうさせたのか、戦いから解放されて気が緩んでいたからなのか、ぐっすりと眠ることができた。瞳をゆっくり開けば見慣れた天井や壁、家具が目に入って、本当に帰ってきたんだと何度も実感する。時間が経っても変わらないものがあることに温かさを覚え、ぬくもりのなかでうとうとと微睡んでいると、朝食のにおいが鼻腔を刺激し、お腹がきゅるると鳴る。そうだ、今日は木こりのおじさんに会って話を聞かないと。起きて自分の部屋から出ると、お母さんとお父さんが揃って待っていた。
「おはよう、シア」
「よく眠れたかしら? 布団にほこりとか付いてなかった?」
「うん、大丈夫だよ。久しぶりに気持ち良く眠れた」
テーブルの上には野菜のスープが湯気を立てていて、パンも焼きたてだ。テーブルに座っていただきますと手を合わせると、スプーンを片手に取り、一口食べると、ぼやけてた五感が鮮明に目覚めて、身体の隅々にまで染み渡る。やっぱりお母さんの料理が一番好き。両親も食べ始めていて、食器を動かしながら話をした。
「今日は木こりのおじさんに話を聞いてみようと思う」
「そうね、彼は今日村で力仕事をする予定だから、すぐに見つかるはずよ」お母さんはそう言って微笑んだ。
食事を終えると、自分の部屋で身支度を行う。肩が見えるくらいの丈のシャツに冒険向けのズボンを履いて、腰にポーチを付ける。ポーチの中には薬と保存食を少量入れて、次に鎖帷子のシャツを着てその上にもう一枚上着を羽織って、ベルト。ブーツを履き、最後に背中に剣を背負って準備完了。本当はさらに鎧を身に着けるけど、今回は危険な場所に行かないし、動きにくいから着けないでおく。
「行ってきまーす!」最近は言うことがなかった出発の言葉を元気に告げて家を飛び出した。背に置いていった両親の声を聴きながら。
村を歩いていると、あちこちで声を掛けられ、みんなと挨拶を交わしながら、目的の人物を探す。どうやらこの村に子どもは居ないらしく、私達の世代以降、生まれていないらしい。同じくらいの年だった人たちも十五を過ぎたら町へ出て仕事に就いてしまうため、自然と大人ばかりになる。村が先細りしていくという問題もあるけど、この地域の小さな集落は消えてはまた現れるというのを繰り返してきたから、ここが消えても人々が生きていればそのうち村ができるはずだ。
朝のロックソング村はとても賑わっていて、みんな忙しそうに働いている。木こりのおじさんを見つけようと歩き回っていると、丸太を一本担いだおじさんが歩いているのを見つけた。しかし重さが響いたのか、突然痛そうにして立ち止まってしまう。咄嗟に木こりのおじさんのところへ駆け寄って丸太を代わりに持ってあげた。木こりのおじさんはドワーフで、身長は私よりはるかに低かったから、丸太はおじさんより高く持ち上げられ、全負荷がこの身体に掛かったけど軽々と持ち上げられた。
「ありがとうな、シアちゃん。やれやれ、二百年生きれば身体にもガタが来るってもんさ」
「大丈夫? もし良かったら私が代わりにどう?」
「悪いな、ここは若い者に任すか」木こりのおじさんに指示されながら丸太を運んでいく。家の裏に運ぶとおじさんは木を斧で切り始めた。私はその傍らで薪割りを始めた。
「冬が来そうだな、日に日に寒くなっていく」だから暖をとるための薪が必要なんだ。丸太を台の上に乗せて、斧を両手で持ち、構えたら少しだけを目を閉じて集中する。はっと声を漏らして勢いよく振り下ろす。
小気味の良い木が割れおとが響き、うり二つの薪が出来た。再び丸太を台に乗せながら、異変について聞いてみる。
「そういえばおじさん、異変が起きてるって手紙で読んだんだけど……」木こりのおじさんも斧を振り下ろして丸太を割る。二度三度振り下ろしてようやく二つの薪が出来上がる、おじさんは割るたびに息を吐いていた。
「ああ、聞いたか。賢者リサンダスが残してくれた守りの礎という石の力が弱まっているんだ。まだ影響は出てないが、時間が経てば魔物が村近くに現れてしまうかもしれない。直し方がわからんからシアちゃんなら分かるかと思ったが、どうだか」守りの礎というのは、リサンダスおじさんが作った村の命綱。置いておくことでかなりの範囲、異界からのポータルが開くこと、邪悪な生き物が入ってこれなくなる。でも数十年経つと礎の効力が薄れてしまう。礎は村のはずれの森に四方四つ置かれていて、そのうち一つが効力薄れているみたい。
「分かった、私の力で浄化できないか試してみるよ」
「頼んだ」最後に台に乗せた丸太を今度は違う方法で割ってみた。魔力を微力だけ使って、指先から光線のように放つ。ゆっくり指を上から下に動かして、丸太を真っ二つにすると綺麗な断面図が見えた。木こりのおじさんは、なにをやっているんだと言いたそうな顔をしていたけど気にしない。
「見てくるね」と一言言って、村の外に飛び出した。
外は森に囲まれていて、木々が生い茂り、太陽の光が隙間から鮮やかな緑を照らし出している。地面も土に覆われて、植物のじゅうたんが敷き詰められていた。静寂に包まれる森の中で鳥のさえずりと風が吹く音だけが聴こえるなか、礎の浄化ついでに行きたい場所があった。それは森の中にある一つの穴、この洞窟を私はオオカミ穴とよんでいる。思い出の場所のひとつで、穴の向こうは暗闇で何も見えない。だけど不思議と怖くはなかった。魔力を少し使って発光する玉を頭の上にふわりと浮かせると、暗闇が白を帯びて詳細を映し出す。中に踏み入れて、ゆっくりと進みだし、洞窟は浅くてすぐに行き止まりに。でもそこには確かに思い出の場所が残っていた。壁には石で削って描かれた絵があって、出来はよくないけれど二人で描いた絵である。指先を壁に触れて撫でると、凹凸を感じて、それが脳裏に描かれた思い出を呼び起こさせた。
アイラと出会ったのは九歳のとき、太陽の光が差し込む森の中。その頃は毎日村の外に飛び出しては、植物を探したり、動物を観察する日々を送っていた。ある日、いつも通り外に出て、ウサギを追いかけていると、急に目の前が暗くなって、何か大きなものにぶつかったような衝撃を受けた。
きゃっ、と声あげて尻餅をついて倒れ痛みに耐えながら顔を上げると、そこには見たこともないくらい大きい獣が。その獣の体毛は長くて、顔がふくろうみたいに、鋭い牙と爪、そして邪悪な知性が感じられる瞳。恐怖で体が動かず、ただ震えていると獣は敵意を、いや狩人が持つ獲物を狙う目つきで見つめ、口を大きく開けて襲ってきた。咆哮と風を切る音、もうだめと諦め目を閉じたが、少し時間が経っても私はまだケガもなく生きている。恐る恐る目を開けたら、そこに居たのはさっきの巨大な姿ではなく、小さな少女。くまの大きさにふくろうの顔をした獣は少女の近くに横たわっていて、獣は傷だらけで、ひとつの動きもしない。少女の手には、小さな体に見合わない長さの剣、ロングソードを片手に持っていた。刃は血に染まっていて、切先からは赤い滴が垂れ落ち地面に染みを作っていた。視線を剣から少女のほうに移す。白い髪色に空のような青い瞳、肌の色は白く、華奢な身体をしていた。ぼろぼろの恰好をしていて、破けた布をつぎはぎして作った服と、所々ほつれたズボンを着ている。靴と言っていいのか分からないけど、履いているのは動物の皮で作った靴下と言えるものだった。その格好に新鮮な返り血が加わっていて、とても不気味に思えたが、幼い私は彼女を不思議な人だとしか認識できなかった。白い髪の少女は瞳を私の身体に向ける。無事だと分かったのか、何も言わずに踵を返してこの場を去ろうとしたが、立ち上がって呼び止めた。
「待って!」声に反応したのか、少女は足を一瞬止めて振り返った。
「助けてくれてありがとう、名前を教えてくれる?」私はその少女に強く惹かれていた。理由ははっきりできないけど、好奇心や興味に近い感情を抱いていたと思う。質問に少女は色のない声で答えた。
「危ないからかえりなさい」それだけ言うと、再び背を向けて歩き出した。慌てて追いかけて、腕を掴んで引き留める。
「名前は、なんていうの!?」もう一度問いかけるが返事はない。彼女は感情が表に出ることがなく、無表情のまま一筋の光もない冷たい眼を向けた。少女は何も喋らない。気を引きたいと考えて、ずる賢い考えが頭をよぎり、こう言った。
「迷子になったの、村に帰りたいけど道が分からなくて……。早く帰らないとお母さんに怒られちゃう」嘘泣きをして、困っている演技をする。すると彼女は私のもとに近づいてきた。村という言葉に一瞬、目が毛嫌いの色を帯びたけど、すぐにいつもの冷たい目に戻る。
「ついてきて」そう言って、行ってきた道を戻って行く彼女について行った。帰る途中に好奇心でたくさんの言葉を彼女にかけたが、反応は薄くて。でも唯一得られたのが、この子はアイラという名前だということ。名前の響きと白い髪から、雪のような女の子だと思った。あともう少しで村に辿り着くというところで、アイラは突然歩みを止めて、後ろを振り向いた。どうしたの、と聞くと彼女は「ここまで」と短く告げた。村の中に入りたくないような素振りを見せる。
「おねがい」と、アイラはしぶしぶ了承してくれた。でもその判断は間違っていて、すぐに後悔することになる。
村にたどり着くと、ただいまと元気よく挨拶した。村の人達は答えてくれるけど、アイラの姿を見た瞬間にみんな顔を青ざめさせて、私と彼女の間に割って入って来た。
「化け物は帰れ!」と大人が鍬を少女に向けて叫んだり、同じくらいの子ども達は「お母さんを返せ」と叫んで石を彼女に投げつけた。アイラは表情を一切変えず、すぐに背中を見せて走り出して森の奥へと姿を消してしまう。私は驚いて、どうしてこんなことをするのと問い詰めると騒ぎを聞きつけて止めに入ったリサンダスおじさんがゆっくり話し始めた。
アイラは敵の国、帝国側の人間で、村の北の方にある砦からやってきたということ。砦は廃墟となっているが、帝国が密かに兵士を送り込んで駐屯している可能性があるらしい。そして、砦からやってきた子ども達はなにかを施されていて、普通の人より身体能力が高く、魔法が使えると。村の人達は不気味に思い、恐れて、子ども相手でも怪物かのように接し、長物を向け、石を投げたりしていた。でも砦の人たちが村を襲うことはないし、言葉も通じる。同じ種族なのにどうして忌み嫌うのか、理解できなかった。リサンダスおじさんは長いひげを触りながら、悲しげな顔で説く。違うだけで刃を向ける動機になる、それが自分よりも強いものだったらなおさらだと。リサンダスおじさんはアイラに対して悪く言わず、中立の立場でいてくれた。続いて忠告をされた。彼女がいる砦に近づいてはいけないと。守りの礎から離れることになるし、捕まったら何されるか分からないと。おじさんは心配するように見つめた。
それからしばらく経った頃、私はいつものように村近くの森を走り回っていた。木に登ったり、食べれる実を採取したり、動物を追いかけまわしたり。そんなとき、地面を埋め尽くす緑に赤いしずくが線のように垂れているのを見つけた。不思議に思って近づき、しゃがんでじっと眺める。血痕は点々と奥まで続いていていて好奇心から血の跡を追っていくと、洞窟へ続いていた。引きずるような跡と獣の体毛が付着していて、誰かがなにかを引きずりながら穴の中に入っていったことが分かる。
「中にだれかいるの?」入り口近く声をかけるも返事はなく。恐ろしさを感じながらも好奇心に負けて、中に入っていく。薄暗い空間に、嫌悪感と危機感を煽る肉と刃物の音が聞こえ、背筋が冷たくなる。息を殺して、音を立てないように慎重に進むと、一番奥にアイラがいた。倒した獣をナイフで解体して、皮を剥いで、内臓を取り出している最中のよう、そのしぐさは本のある不条理な殺人鬼みたいだと思ったけど、視覚野がアイラを認識した瞬間、緊張の線は一気に緩んで、口を開いた。
「アイラだよね? 久しぶり!」声に反応して彼女は首を少しだけ動かして私を見上げたけどすぐに作業に戻る。相変わらずの無表情だけど、彼女の近くで勝手に話を進めた。
「なにしてるの?」彼女の左手にもつナイフ捌きを興味深く見て聞くと、アイラは淡々と答えた。
「たべもの」洞窟の中は光が遠くまでは届かず、暗くてよく見えないのに彼女は見えているようで、迷いなく作業をしている。彼女の目を凝らして見てみると、猫みたいに瞳孔を縦に細くさせていた。ときどき夜でも目が見えるという人がいたけど、そういうことなのだろうか。解体作業は次の段階に入って、肉の塊をナイフで小さめに切り分けて、麻袋の中に入れていく。残ったちいさなものを生のまま口に運んで咀しゃくしていく。
「そのまま食べちゃうの、毒とかあるかもよ」と言ったが、彼女は気にせず口にする。無表情のまま頬を膨らませて飲み込んで、おいしいとかまずいといった感想は出なかった。
「毒とは、どういう毒のことを言っているの」アイラはそう言いながらまた手を動かした。
「えっと……体に悪いものが入っていて、おなかが痛くなったり、熱が出たりするやつ」そう説明したけど、アイラは愚者を見るような目をした。
「それは自然がもたらした毒。その程度の毒は効かない」と彼女は言って動物の死骸から血だまりを手ですくって、口に流し込んだ。さすがにそれは背筋が凍って引いてしまい、うわ、と声が漏れてしまう。彼女の口元には血がつき、その姿はまるで獲物をほふる白い狼のようだった。小さくも獰猛で、残忍で、美しい。
「どうしてこの洞窟にいるの?」
「一時的に住んでいる。魔物の首を持って帰るまでは砦に入れない」ボロボロのズボンをまくり上げると、太腿の内側に傷があり出血していた。声を出そうとしたけど、彼女は冷静に袋から植物を取り出し、千切って傷口に無理やり押し当てた。私と同じくらいの女の子なのに、戦いに関する知識と経験が豊富で、それでいてとてもたくましい。彼女を見て、いつかあのくらい強くなりたいと願った。
「私も一緒にいていい?」訊くとアイラはしばらく黙り込んで、こくりと静かにうなずいた。
洞窟の壁を指先でなぞり終えると同時に思い出は消えさった。彼女との、まだ無垢だった頃の記憶。あの時、アイラは私にとって憧れの存在であり、友だちの一人でもあった。今は違う。望みがあるなら、世界のどこかで密かに生きていると信じたい。でも、もう会えない可能性のほうが高かった。刃で彼女を貫いたときから、私とアイラの繋がりは断ち切り、糸は二度と元にもどらない。ゆるした相手を斬ってしまうことを聖剣は許すのだろうか。
頭上に浮かぶ光が消えゆくのに気づき、暗闇から光指す場所へ歩き出す。木こりのおじさんに言われたことをやらなければ、今日は始まったばかりなのだ。