マワルセカイ 作:夏春冬秋
引き続き感想、評価ありがとうございます!
続いた場合、次回は来年になると思います。
気付けば私は、アトリエに立っていた。
「────…………あれ?」
アトリエ? ……アトリエだ。
額縁に入れられ壁に飾られたいくつかの水彩画と、立ち並ぶキャンパス達は全部見覚えが……無いものがある。
「これ……お父さんの?」
真正面にあるまだ描きかけの水彩画。
水路のある街並みの描かれたそれを見て、何故かお父さんの絵を思い出した。
よくよく見ても、透き通るような色使いが特徴的なそれはお父さんのもので間違いない。
それに……思い出してきた。私はこの絵を直に見た事がある。いや、見たことがある所ではない。私は──
「マワル? そこで何をしているんだい?」
ガチャリ。背後のドアが軋んだ音を立て開かれる。
そこに居たのは──2年前に亡くなったはずのお父さんの姿だった。
「…………お父さん?」
「うん? ああ、そうだよ?」
なんでお父さんがここに──そう言おうとして、視界の端に姿見が見えて納得した。
小学校中学年くらいの小さな女の子が、姿見の向こうでぱちくりと目を瞬かせている。この頃はまだ長く伸ばしていた毛先だけくすんだ灰色の黒髪は、尻尾を象るように毛先近くでリボンで結ばれていた。
「……あの、お父さん。この絵、お父さんのだよね?」
「──ああその絵か。参ったなあ……完成してから見せる予定だったんだけど」
姿見の少女が──幼い頃の私がお父さんに向き直り指先を体の前でコネコネしながら尋ねる。緊張した時なんかにこうして指を絡ませるのは、この頃の癖だ。今はしてないけれど。
「ね、ねえお父さん! その、その、ね?」
「大丈夫だよ、マワル。アトリエに入ったことは怒っていないから、落ち着いて話してご覧」
小学校を卒業するまでは、とアトリエに入るのは禁止されていた。けれどこの日、たまたま鍵が空いていたのを見た私はこっそりと侵入して──私はこの絵に出会ったのだ。
「その、そのぅ…………この絵の続き、私が描いてもいい?」
「マワルが? いや、それは────…………少し待ってなさい、マワル」
困った顔をしたお父さんは、けれど何かを考えるように顎を触ると、私の頭を撫でて筆が並んだ棚に手を伸ばし、大人が持つには小さな筆を手に取った。
「誕生日まで少しあるけれど……マワル。これは私からお前への誕生日プレゼントだ」
「これ……筆? え、あの、お父さん?」
「それからこっちは、使いかけで悪いけれどその絵を描くために用意した絵の具だよ。…………お前の思うままに描いてみなさい、マワル」
一気に、目の前の景色が変わる。
キャンパスを中心に、筆、絵の具、その他にも水彩画に必要なあらゆる道具が私の前に立ち並んだ。
「…………いいの?」
「もちろん」
キャンパス前の椅子に腰掛けた私は、最後の確認に恐る恐るお父さんに問いかける。
お父さんはとても優しい目で微笑みを返し、私の頭をするりと撫でた。
「…………────」
そこからは正直あんまり覚えていない。
何かに突き動かされる様にして筆を動かした私が、日が暮れるまで筆を動かし続け、その日のうちに絵を完成させたのだけは覚えている。
この日が、私が初めて水彩画を描いた日。
そして────私の人生が始まった日なのだ。
「────…………ん……?」
瞼を照らす夕日で目覚めて、何だかとても奇妙な感覚を覚えた。
大事なことを忘れているような、忘れていた方が良かったことを思い出してしまったような、不思議な感じだ。
「…………ってかここ、何処?」
知らない天井だった。寝かされているソファも知らないし、お腹にかけられたファンシーなタオルケットも知らない。ってかリビングかなここ? にしてはだいぶ広いけど。
起き上がって周囲を見渡してみる。
どことなくオレンジ色を基調としているような、そんな印象の部屋だ。ついでに高そうな家具が結構置いてあるような気がする。
……何処だここ。いやマジでどこだ!?
落ち着け。とにかく今は落ち着いて直前の記憶を──ミクのせいでキャパオーバーして気絶したんだった!
てことはここはまだあのセカイ? いやそれにしては色々リアルすぎる様な……いやセカイじゃないとしたらここは何処?
気絶して……その後ここに連れてこられた? いや待て、ってことは────誘拐!? 誘拐されたの私!? あの
「と、とにかく外に────」
「あーーーーーっ! お兄ちゃんあの人起きたよぉーーー!
「なんだとぉーーーう!? すぐ行くぞぉーーーー!」
「うるさっ!? えっ、何!? 敵襲!?」
唐突に爆音が響いて思わず耳を塞いで転がる。声の発生源らしき上の方に転がりながら目をやれば、ツインテールの女の子が階段の上からこちらを見ていた、
「あ、大丈夫ですか!? ごめんなさい、急に大声出してっ」
慌てた様子で階段を降りてくる女の子。……あれ、あの子どっかで見たことあるような……。
「い、いや、あなたの声は大丈夫。どっちかって言うと──」
「目が覚めたか!? 大丈夫か!? 何処か痛むところは!? 記憶はハッキリしているか!?」
「──ごめんうるさい」
「お、おおすまない。つい心配でな……」
キーン、と耳鳴りがする。ついでに頭痛もする。あと嫌な思い出がサラッと蘇りかけた。具体的に言うと私がこの前皆の記憶から消した“
それも相まってちょっぴり威圧的な声を出してしまったようで、目の前まで階段をダッシュで降りてきた男の子が勢いを弱めてたじろいだ。
「えっと……色々聞きたいんだけど、多分助けてくれたんだよね?」
「あ、はい! 公園で倒れてたのを見つけて、救急車を呼ぼうとしたんですけど何故か電話が繋がらなくて……それで、お兄ちゃんが病院に連れて行くより家の方が近いからって」
「見知らぬ女性を同意もなしに連れ込むような真似は気が引けたのだがな。如何せん、緊急事態だった。済まなかった」
「い、いやいや! 助けられたのはこっちだから! 頭なんて下げないで欲しい……です!」
がばっ、と目の前で男の子が頭を下げるので慌てて止める。助けられたのは事実だし、何より多分ミクが適当に人のいるところに放り投げたんだろうし、……考えてみれば全部ミクが悪いのでは? 普通に家のベッドに戻してくれたら良かったのでは?
……と、いうか。この男の子、見覚えがある。あんなら女子の方も。
「えーっ、と。もしかしてそちらは天馬咲希さん?」
「え? あ、はい、咲希はあたしですけど……?」
「ってことは、……そちらは天馬司さん?」
「ん? いかにも、俺は────」
「天翔るペガサスと書き、天馬! 世界を司ると書き、司! 未来のスーパースター天馬司とは、この俺の事だ!」
ビシィッ、と。
そんな効果音が聞こえそうな勢いでポーズを取りながら叫ぶ天馬司くん。
その横で苦笑する、天馬咲希さん。
……なるほど。類と寧々から聞いたとおり、濃いめの人だ。
「あー! どこかで見たことあるなあ、って思ってたら春夏秋冬先輩だったんだ! ……だったんですね!」
「あー、話しやすい方で大丈夫だよ? 敬語なんてあんまり気にしないし」
遡ること……ああループ入ってるから数えるのめんどいな。とにかくループに確信を持つ前の話だ。
クラスの面子が変わらないことに気づいた私は、ついでとばかりに1年や3年の面子も確かめていた時期があった。今思うとあんまりやる意味は無い気がするけど、多分あの頃は無意識に“違い”を探していたんだ思う。繰り返す1年の中での、明確な、何かしらの相違点を。
……まあ暗い話は置いとくとして、その頃顔と名前を覚えるために色々なクラスに顔を覗かせいてたのだ。だから多分、その時にお互い見かけたのだと思う。
あとはまあ……小豆沢さんみたいに、要注意人物として覚えられていたとか、かな。嫌な覚えられかただけどね。
「なるほど、類の幼馴染か。そういえば少し前にもう1人幼馴染が居ると言っていたな」
「幼馴染って言っても最近はあんまり会ってないけどね。ついこの間久しぶりに会って、ちょうど貴方ともう一人の話を聞いたところだったから」
こうして初対面するとは思ってなかったけどね、と苦笑する。
今度フェニックスワンダーランドに遊びに来ないかと言われていたので、そのうち会うこともあっただろう。……それがこうして早まったのは、なんだか誰かさんの意図を感じるけど。
「いやしかし、類の言っていた脚本家候補とこうして出会うとは、流石俺! 運命さえも味方につける男!」
「あはは……運命ってそんなに大袈裟な────ん? 今なんて言った?」
「うん? 運命さえも味方に──」
「その前」
「類の言っていた脚本家候補……?」
「それ!」
何それ聞いてないんだけど! いつの間に私ショーの脚本家候補に推薦されてるの!?
「ごめん! 助けてくれたお礼も出来てないんだけど、ちょっと確認したいことできたからお暇させてもらうね! あ、これ私の連絡先! また今度お礼させてもらうね!」
リュックに常備してあるプライベート兼用の名刺を天馬くんに押し付け、困惑する2人に握手と今度お礼することを念押しして、私は大慌てで天馬家を飛び出した。
「……嵐みたいな奴だったな」
「お兄ちゃんも嵐みたいなものだけど……春夏秋冬先輩だからねえ」
「そんなに有名なのか?」
「うーん? まあ、宮女じゃ有名な人、かなあ?」
「ちょっと、類! 私聞いてないんだけど!」
「おやおや。幼馴染の家を訪ねて第一声がそれかい? 僕も聞いてないねえ」
「……とりあえずお邪魔していいかな!」
「もちろん、どうぞ」
ヘイタクシー! して類の家に直行した私を出迎えた類が苦笑しながら出迎えてくれる。
おばさんおじさんに挨拶して──久しぶりのご挨拶だったけど積もる話は後ほど──類の部屋に向かうと、
「……来たんだ」
「来たよ! ……あれ? なんで寧々が居るの?」
「次のショーの打ち合わせさ。ネネロボの調整ついでにね」
ねねろぼ? なんぞそれ。
「あっち」
と、寧々が指さす方向を見る。
寧々が居た。
身長はだいたい0.5倍に、横幅を3倍くらいにして色々デフォルメされた、超合金っぽいメタリックな寧々が。
『はじめましテ、マワル。ワタシはネネロボでス。お友達になりまショウ』
「あ、はじめまして」
ぺこり、とあんまり曲がってないお辞儀をされる。思わずお辞儀を返して、
「って何これぇ!?」
「「ネネロボ」だよ」
『ネネロボでス』
「わけが、わから……ない……」
本日3度目の半端ない混乱に襲われた私は、フラフラとよろめいて寧々の人をダメにするクッションに頭から突っ込んだのだった。
「落ち着いた?」
「うん。……ちょっと落ち着いた」
視界がブラックアウトしてからしばらくして、気がついたら寧々に膝枕され頭を撫でられていた。……なんだか今日は気絶してばっかりだな。
「ところで私はなんで膝枕されてるの……?」
「クッションがないから。……それと、類がネネロボのメンテナンスしてて危ないから、手の届く範囲に引っ張ってきただけ」
「……うわ、マジでロボじゃんあれ」
「だから言ったでしょ、ネネロボだって」
言われてみれば色々と金属音的なものが聞こえるのでそちらに視線を向けると、類がいい笑顔でネネロボを弄っていた。
ネネロボはされるがまま、というか電源がオフになっているのか目のライトも消えて色んなところの開口部が開けっ放しになっている。その開口部から見える配線がいかにもロボットらしい。
「…………色々聞きたいことはあるんだけど」
「うん」
「ちょっとこのまま1時間ぐらい仮眠とってもいい?」
「ダメに決まってるでしょ」
「あぁ〜〜〜」
ペシっとほっぺたを叩かれ、その手で膝から押しのけられてゆっくり床を転がる。
無慈悲だ。やっぱりこの間のデレは猫さんの気まぐれだったのか……?
「じゃあこのまま話すんだけどさ」
とりあえずダラダラしてるのもなんなので、寧々に話しかける。類の方は集中してるだろうし後で問いつめるとしよう。
「今日公園で気絶してたら天馬くんに助けられてね」
「ちょっと待って。…………何? 今気絶って言った?」
「うん、気絶。色々あって公園のど真ん中で倒れてた」
「…………まあ、いつもの事かな」
ちょっぴり思案顔になった寧々が少し考えて、ひとり納得したようで数回頷く。
話した私が言うのもなんだけどいつもの事って言われるのは大分心外だ。締切やばい時とかにちょっぴり5日ほど徹夜して、脱稿のテンションで外に出かけて体力の限界が来たらぶっ倒れるだけなんだけどな。
「で、その後類と寧々の話してて、そしたら私が脚本家候補とか言われて」
「あー……そんな話したかも」
「かもじゃないんだよ、かもじゃ!」
「うるさい、ちょっと黙ってて。今いい所だから」
「あっはい」
ぺちぺちと寧々の膝を叩くと、その手ごと足蹴にされた。どうやらゲームの方がいい感じらしい。
……私、ゲームあんまりやらないから分からないんだけど、こういうのって中断とか出来ないのかな。宅配来た時とか大変そう。
「脚本家、っていうのはあくまで候補さ」
「類? メンテナンス終わったの?」
「バッチリね。今は充電中だよ」
寧々に塩対応されてしゅんとしていると、類が手袋を外しながら戻ってきた。ネネロボの方を見てみるといつの間にかコードやら開口部やらは戻されていて、静かに佇んでいる。
「こうしてみると、なんというかこう……威圧感あるね」
「そうかい? これでも身軽に動けるし、デフォルメもされているからショーでの子供受けは抜群なんだよ?」
「最近の子ってこういうのが好きなんだ。私もロボット題材で書いてみようかなあ」
ロボットになった友達と元の体を取り戻す、みたいなやつ。もしくはその逆。まああんまり過激なのは編集さんに怒られるから程々に表現抑えなきゃなんだけどね。
「──ってそうじゃなくて! 勝手に脚本家にされても困るんだけど!」
「もちろん、廻に全部を任せるなんてことはしないさ。僕が想定しているのは編集・校正としての脚本家だよ」
「編集? ……校正か」
んー、まあそれなら私を宛にするのはちょっと分かる。水彩絵本作家として本の内容も全部私が決めている訳だし、いわゆるプロだからね。
「でも……ショーのお話でしょ。私、一回ショーの脚本書いて大コケしてるんだけど」
「それは知ってる。……私もあのショー観に行ったけど、酷かったから覚えてるし」
「僕も観に行ったけれど、あれは演出と演者が悪かったとしか言えないね。特に主役の2人──こういうことを言うのははばかられるけれど、僕たちの方が良い演技をする自信があるよ」
「…………まあ、メインキャスト決定の直後に主役2人が差し替えられたからね」
今思い出してもあれは酷かった。
始まりはメインキャスト2人の不倫発覚。その火消しに当時話題性抜群の新人アイドルと新人女優のダブルキャスト。
当然、そんなわかりやすいスキャンダルと地雷の見えたショーなんてスポンサーが減るから公演準備はグダグダになるし、急遽入ったスポンサーと監督に無理やり恋愛シーンを脚本にねじ込むように指示されるし。
なんとかストーリーに違和感のない程度に恋愛をねじ込んだけれど、リテイクの嵐。遂にはブチ切れてコテコテの恋愛劇をぶち込んで、その脚本が通ったのは公演の3週間前。
エキストラや主役2人以外のキャストは有名どころがいたから3週間でもなんとか形にはなったけれど、メインキャスト2人は新人だから演技なんて仕上がる訳もなく。
「ショーは大コケ。ついでに私にも飛び火してプチ炎上……ま、あの時はキャストとスポンサーの方に注目が集まってたから、私はボヤ程度で済んだけどね」
結局、ショーは大赤字の大失敗。そんなこともあってか、私は舞台やショー、ドラマ、映画なんかの話を全て断わっている。
唯一受けたのは児童向け番組の脚本くらいかな。って言っても、別名義な上にお蔵入りしてたやつを改稿することも無くそのままポイしただけなんだけどね。
「で、そこまで分かってて私に脚本に関われっていうのは……本気で言ってるの?」
「もちろん大真面目さ。それにこの提案をしたのは僕じゃなくて、寧々だからね」
「え」
ビックリして思わず寧々を見る。ゲーム機を見ていた目と一瞬目が合い、直ぐにゲーム機で視線が塞がれた。
「…………私も、似たような経験あったから」
「寧々……」
寧々のトラウマ。それは裏方だった私の比じゃない、大きな大きな、それこそ人生の目標がねじ曲がる程のトラウマだった。
あの時の寧々を思い出すと今でも胸が締め付けられるようだ。
視線を戻して、類を見る。
暖かく穏やかな視線が私たちをを見守っていた。
「………………はあ」
息を吐く。
こうして幼馴染2人が気にかけてくれているというのに、私が燻っているだけなんてみっともないよね。
「オッケー。けど、やるからには中途半端なのはナシ! 編集・校正じゃなくて、一から十まで脚本を書き下ろさせてもらうよ!」
中途半端にやって、2人に迷惑なんてかけたら末代までの恥だしね! と気合を入れる私を見て、2人は顔を見合せて意外そうにしていたけれど、直ぐに笑顔を浮かべた。ううん、顔がいいな。
「決まりだね。それじゃあ改めてよろしく、廻」
「言っておくけど、私たちのショーに恋愛要素は要らないから」
「あははっ。私も恋愛は懲り懲りだよ」
こうして、私のお仕事がひとつ増えたのであった。
ピコン、と。
「…………げ」
類宅からの帰り道。
不意に通知音の鳴ったスマホを見てみれば、本日3度目になる初音ミクからのお呼び出しであった。
『家に帰ったらセカイに来てね』
……いや、うん、まあ。
元々公園に放り出したこととか、あのセカイで見た諸々を問いただそうと思っていたので、都合がいいと言えば都合がいいのだけれど。
それはそれとして、ついさっき見せられたあの光景を思い出すとしり込みしてしまう。
「…………なんで、あんなに
あの日。光り輝くセカイを見たあの時。
私が感じたのは、まるで三半規管を直接揺さぶられたかのような気持ち悪さだった。
……初音ミクが言うところの、ステージのセカイ。
煌びやかなステージ。熱狂するファン。スポットライトを受けて輝く
「私の……私たちの生まれたセカイ、か」
あの怪しさ満点の初音ミクが言うことを鵜呑みにすれば、私はこのセカイにとってのバグ、つまるところ不要な存在であるらしい。
そんな私が生まれた原因であるセカイを見て気持ち悪い、なんて。まるで──
スパァンッ!
「──はぶっ!」
突如顔面を襲う衝撃。
思わずツンと痛む鼻を押えて蹲る。
「…………え、姉ちゃん何やってんの?」
「ほ、
「は? 誰がホモだよバカ姉貴」
滲む視界の先に居たのは、玄関の扉を開けてこちらを見下ろす弟の姿。どうやら弟の開けた玄関扉が私の顔面にクリティカルヒットしたらしい。
「い、いひゃいんだけどっ」
「いや知らないけど。姉ちゃんが玄関前で突っ立ってるのが悪いんでしょ」
か、考え込むあまり玄関前で棒立ちになってたのか……そりゃ私が悪いわ……。
「てか退いてくれる? 俺今から練習行くんだけど」
「へ? ……あ、サッカー? が、頑張ってねっ」
「はいはい。姉ちゃんも鼻、母さんに見てもらえよ」
そそくさと脇に退いた私の横を通り自転車に乗って颯爽と練習に向かう智也を見送って、玄関に上がる。
鼻、痛いけど……今はミクからの呼び出し優先かなあ。遅れたらなんか罰ゲームと称してヤバめなことされそうだし。
「ただいま、叔母さん。お弁当美味しかったよー、ありがとっ」
「おかえりぃー。そこに置いといてくれるかしら?」
「わかったー」
台所に顔を出して弁当箱を置いていく。幸いにも叔母さんは料理中だったので私の真っ赤になった鼻に気づくことはなかった。
「お、ただいま〜コタロぉ〜」
「なぁ〜ん」
私の部屋がある二階に上がる途中、階段途中にある小窓で寝転ぶコタローを見つけたのでうりうり撫でる。コタローはおじいちゃんなので、夕方はこうして窓際なんかで大人しく寝ていることが多い。
部屋に着いてくるかな、と思ったけどその様子はなさそうなのでひとまず放置しておくことにした。
「…………あれ、そういえば初回の拉致の時、コタロー部屋にいたような? ……ま、いっか」
いつの間にか消えていたような気がするが、多分私が消えたのに驚いて部屋を飛び出したのだろう。
「ただいま、っと」
部屋に着き、制服のままベッドに座る。
…………あー、行きたくないなあ。でも行かなかったら怒られるんだろうなあ。
ミク、目のハイライトがほぼ無いに等しいからあの目で見られるだけでも怖いのに、圧まで凄いからもう私のSAN値がゴリゴリ削られていくんだけどなあ。
「────ええい、ままよ!」
スマホの音楽アプリを開き、初回の拉致以来となる『Nontitle』を再生した。
「いらっしゃい、マワル。思ったより早く来たね」
「…………お、おじゃましマス」
秋服のミクがティーカップ片手に出迎えてくれたので、とりあえず用意されているっぽい椅子に座る。────頭上でジェットコースターが走っているのは努めて無視して。
「今日は一日お疲れ様。大変だったと思うけれど、頑張ってくれて私は嬉しいよ、マワル」
「はあ、どうも……」
差し出されたティーカップを受け取り、ひとすすり。あ、今日はレモンティーだ。甘み強めのホットなやつ。美味しい。────初音ミクの真後ろを風船が
「一日で
「──…………2つ」
ふふっ、と初音ミクが微笑む。目は笑っていない。怖い。────頭上からメリーゴーランドの動く音が聞こえる。
「うん。さて、それじゃあ紹介するね」
椅子から立ち上がった初音ミクの右手がゆっくりと頭上を指さす。────ぴゅう、と花火の上がる音がした。
「アレはワンダーランドのセカイ。私たちの生まれた原因の1つだよ」
真下に
…………ああ、やっぱり
「私たちは5つのセカイから生まれた。
█████のセカイ。
█████セカイ。
ステージの世界。
██のセカイ。
ワンダーランドのセカイ。
……元々、全てのセカイは一つだったんだ。
それが強い思いに引き寄せられる形で5つに別れて、
表にマワルが、裏に私が。……正確には、もうちょっと複雑なんだけど、その話は置いとくよ。
元は一つだったセカイがバラバラになったんだから、当然不都合なものは出てくるよね。それがバグ。
私たちはバグだけど、元々あったものだからセカイに不都合なものじゃあない。けど、新しく生まれたバグは違う。
だから、私たちバグがその不都合を消して、セカイのバランスを保つ。そうしないと、私たちも壊れていくセカイに巻き込まれちゃうからね。
────さて、こんなところかな。なにか質問はある?」
つらつらと。椅子に座り直した初音ミクは、私が一番聞きたい事を話してくれた。
バグと、セカイと、私たちの関係。そして私たちがやるべき事。その理由。
「…………まあ、だいたい分かったけどさ。アレは何?」
上と、右を指さす。今日だけでこのセカイに増えた2つの異物。初音ミクに言わせれば私たちの方が異物なのだろうけれど。
「アレは5つのセカイに接続して、擬似的に様子を可視化してるだけ。マワルが現実世界でセカイの住人たちとコンタクトを取っていく度に、セカイの様子がハッキリわかるようになるよ」
「ふぅん。でも、なんでそんな物が?」
「そっちの方が色々と都合がいいから、だよ。……ま、これはあんまり気にしないでいいよ」
「いやだいぶ気になるけど」
右からはコールアンドレスポンスが聞こえるし、真上ではジェットコースターが爆風を起こしている。
気にするなって方が無理じゃないかな。
「……次来る時までにちょっと調整しとくよ」
ジェットコースターの爆風で揉みくちゃにされたツインテールを直しながら、ミクがパチンと指を鳴らすと、爆音も爆風も綺麗さっぱり消えた。……相変わらず視界の端ではスポットライトとアトラクションライティングが荒ぶっているけど、少しマシになった。
さてはミク、割と考え無しにビジュアルでこの空間作ったでしょ。なんなら4方向にセカイ設置して「やべもう一個どこ置こ」ってなって真上に置いたでしょ。
「なにか文句でもあるのかな、マワル?」
「イエナニモ」
怖い。笑顔が怖い。古来より笑顔は威嚇だったと言うがこれは威嚇じゃなくて殺意だ。怖い。
「……ていうか、お仕事って言う割にはあんまり指示してこないんだね」
「今はまだセカイが固まっていないからね。バグも小さなものしか出てないし、私だけで十分対処できるから。今は、ね」
今は、ですか。やけに強調するあたり、そのバグがいつどの規模で出るかも分かっていないんだろうな。だから現実世界で動ける私という駒が欲しかった、と。
「さて、それじゃあ事情はだいたい分かったよね? 今日のところはもう休んでいいよ、マワル」
「え? いやちょ、まだ聞きたいことが──あっ指パッチン待って!」
パチン。
「────…………説明不足で失敗したなんて笑えないんだからさあ」
ぼふん、とベッドに寝転んだ私は、叔母さんから夕飯に呼ばれるまで、スマホで気難しい上司との付き合い方を調べていた。
※勘違いされないように一応注釈しておきますが、マワルの言う気持ち悪いは嫌悪ではなく車酔いのような気持ち悪さです