目を覚ましたのはいつもの時間。
だが今朝はいつもより、寝起きが悪い気がした。
頭が少し、ぼんやりしている。
家の中に兄の気配はない。
朝の修行に行ったのだろう。
これも、いつものことだ。
兄は毎晩私よりも遅くまで起きていて、毎朝私よりも早く目を覚ます。
一昨日のように、私の方が先に起きるのは本当にまれなことだ。
以前は身体を壊さないかと、心配したことがある。
今ではそれが取り越し苦労であることが分かっている。
私の兄は特別なのだ。
世間の人たちは自分のことを天才だという。
自分たちとは違う、特別な人間だと称賛する。
――何もわかっていない。
本当に凄いのは、特別なのは、天才なのは、兄だ。
あの人は次元が違う。
ただその考えに最近影が差し込んでいた。
五条悟というクラスメイトの存在が原因だ。
今まで最強は兄である司波達也、という考えに揺るぎはなかった。
しかし五条君に初めて会った時からその考えは揺るぎ始めた。
自分以上の魔法力、兄以上の筆記試験の評価、絶対防御の無下限。
正直、兄の力を以てしても勝つヴィジョンが見えない。
そのことがとても不快であると同時に自然と受け入れている私がいた。
まるで昔から、自分の中でそうであったかのように。
「ふぅ…」
思考がコントロールできない。
意識が、完全に覚醒していない、気がする。
眠りが、足りないのだろうか。
「朝ごはん、作らないと」
そろそろ兄が戻ってくる時間だ。
深雪は勢いをつけて立ち上がり、一つ、大きく、伸びをした。
◇◇
深雪の思う通り、五条悟よりも強い存在はいない。つまり最強。
これは五条すらも知らないことだが、五条と魔法師の脳は構造から異なる。
それは五条が魔法師であると同時に呪術師だからである。
呪術師には呪術を扱うに適した脳構造がある。
そしてそれは魔法を扱う上で最も適している形でもある。
呪術師としても間違いなく別格の五条は魔法演算領域、干渉能力、多数変化、魔法に関わる全ての能力が理論値。
例え医学が数千年の進化を遂げ、その間に調整体のレベルが上がっていったとしても五条の肉体を越える魔法適正は得られないだろう。
魔法師として頂点を極めるにふさわしい才能と未だ完成しない大器を持つ。
しかしそれが五条の真骨頂ではない。
例え魔法だけでも五条に及ぶ者などいないが真の力を発揮できるのはやはり『無下限呪術』
無下限呪術を使った本気の五条は誰にも止めることはできない。
たった一人で世界の文明を壊滅させることができる『特級呪術師』だ。
そんな化け物は今、鏡の前で呑気に鼻歌を歌っていた。
「……あ、そっか」
五条はいつもの癖で包帯を巻いてしまった。
今日からは着けてはいけないというのに、癖というのは身に着くと中々抜けない。
とはいえ、何も着けないという考えはなかった。
包帯がダメならダークレザーの目隠し、あるいは――
「ん~これでいくか」
五条が手に取ったのはサングラス。
丸縁で真っ黒で無骨なタイプだった。
「うん、悪くないね」
鏡の前に立ち、自分のサングラス姿を確認する。
それは意外にもしっくり来た、あるべき場所に収まったパズルのピースのように。
そして五条は気が付かなかったがこのサングラスのテンプル(智から先の耳に掛かる部分)には文字が彫られていた。
『You brighten my life』【貴方は私の人生に光をもたらした】
その文字に気が付くこともなく、五条は学校へ向かう。
「そろそろ行くか」
いつも通りの通学路だ。
しかし、思えば普通に通学できたことは一度もなかった。
五条の朝にはなにかしらのトラブルがつきものだった。
「ま、何もないってのも存外退屈だよね」
退屈を嫌うこの少年は平和よりも刺激を求める。
平和で平穏な青春など望んでいないのだ。
「悟?」
「ん?雫、それにほのかも」
「おはよう、悟君」
後ろから声をかけてきたのは雫とほのかだった。
「おはよ」
「悟がこんな時間に来るなんて珍しい」
「いや、俺だっていつも遅刻してるわけじゃないから」
「え、そうなの?」
ほのかが純粋に驚いていたので即否定しようとしたが――否定できなかった。
「あー今んとこ遅刻しないで登校できた日はないか」
家に出た時間は問題ないはずなのに、問題なく登校できたことはなかった。
足の悪いおばあちゃんを助け、足の悪いおばあちゃんを家までおぶり…おばあちゃんを助けてばかりな気がしてきた。
「えぇ!?一回もないの!?」
「いや、別に寝坊とかじゃないよ。ただいつもトラブルに巻き込まれるというか」
言い訳をする五条に雫が一言。
「……トラブルメーカー?」
「巻き込まれてるだけな。別に問題は起こしてねぇから」
少し辛辣ではないだろうか。
事実、五条が原因で起こったトラブルは一つもない。
なぜか毎回トラブルに巻き込まれてしまうのだ。
それを自分が原因だと言われるのは些か心外だった。
とはいえ、出会って数日でここまで軽いやり取りができる友人というのはありがたい存在だ。
五条にとって友人とは青春の証なのだ。
「そういえば、今日はサングラスかけてるんだね」
「あ、気が付いた?このGLGのイメチェン」
どや顔をする五条だったが二人はGLGの意味がわからず困惑していた。
「なにGLGって?」
「Good Looking Guy」
「…うわ」
「……」
二人は間髪入れずに答えた五条から距離を取った。
「そんなガチで引くなよ。冗談だって」
割と本気で自分のことをGLGだと思っていた五条だったが二人のドン引きする姿に作戦変更。
あくまでもギャグであるという線に持って行った。
「昨日、小悪魔生徒会長に『包帯は怖いから着けるな』って言われちゃってさ、それで代わりのグラサン着けてるってわけ」
「なるほど」
「でも、怖いっていう意見は少しわかる気がする」
ほのかは真由美の言わんとしていることが理解できた。
「やっぱ怖い?」
「怖いっていうより、怪しい」
「私たちは怖くないけど、初めて五条くんを見る人は怖く感じちゃうかも」
五条は長身だ。
その身長は190cmに近い。
それだけで威圧感は大きい。
それに加えて目元を包帯で隠しているため、怪しさ満載。
『怪』という言葉が服着て歩いているようなものだ。
「ハァ、パンピーに気遣うのって疲れるよ、ホント」
「あ、あはは」
「我慢して」
ほのかは苦笑、雫はなにを当たり前なことをと思った。
「あ、もう着いたのか」
「よかったね。今日は遅刻しなかった」
「じゃあ今日は記念すべき初時間通り登校の日か」
「別に記念にするようなことでは……」
「それもそうだな」
いかにも学生らしいやり取りをしながら教室まで歩いていく。
「……ん?」
教室に行く途中、すれ違った女生徒に五条は視線を奪われた。
別に一目惚れをしたわけではない。
(あれは催眠魔法か?……そんなに強力な代物じゃあないけど、かなり悪質な魔法を掛けられてるな)
「ごめん、二人とも。先に教室行ってて」
「え?」
二人が振り返ると、そこには既に五条の姿はなかった。
まるで蜃気楼のように消えてしまった五条。
二人は突然いなくなってしまった五条に困惑しつつも教室へ向かった。
「悟君、一体どうしたんだろうね?」
「もしかして、ナンパ?」
「えぇ~!?」
ほのかはしまったと口を塞ぐ。
しかし遅かったようで、突然大きな声を出したほのかに教室中の視線を寄せてしまった。
「私たちとすれ違った二科生の女の子のこと、悟は見てた」
「え、じゃあその人を狙って!?」
「かもしれない」
二人が声を小さくしながら話している後ろから、近づく影が一つ。
「おはよう、二人とも」
「おはよう」
「おはよう、深雪」
華のような微笑みを見せる深雪に、二人は自然と笑顔になる。
入試次席にして新入生総代である深雪の友人であるということは二人にとって誇らしいことだった。
「何か嬉しそう。何かあったの?」
雫の問いを待っていましたと言わんばかりに深雪は笑顔で答えた。
「実は昨日お兄様が――」
深雪が自慢の兄について語ろうとした時だった。
黒板に近い扉が開かれた。
そこから教室へ入ってきたのは先日達也たちと揉め事を起こした森崎を筆頭とした男子生徒たちだった。
「僕が風紀委員に選ばれるのは当然だが、目障りなのはあの二科生さ」
森崎の言葉に雫とほのかは顔を顰めた。
しかしそんなことは知る由もない森崎は話を続けていく。
「二科生が僕ら一科生を取り締まるなんて、失礼極まりない話だよ」
「全くだ。僕の足を引っ張らないで貰いたいね」
「落ちこぼれのウィードが」
その言葉には流石に我慢ができなかった二人は立ち上がった。
だが我慢ができなかったのは二人だけではなく、深雪も同じだったようだ。
深雪の感情が暴走したことによって周囲は凍る――ことはなかった。
「落ち着けよ、深雪」
「ご、五条君」
干渉能力が高い深雪だが、五条はさらに高い。
深雪の暴走を止めることは容易かった。
ちなみにもしも止めなかった場合、Aクラスには大寒波が訪れていただろう。
「悟、いつ戻ったの?」
「ついさっきだよ」
五条はバレないように女生徒の魔法を解き、戻ってきた。
本当なら誰が魔法をかけたのか調べたかったがもうすぐチャイムが鳴るため、一旦中断したのだ。
「深雪、いちいち雑魚の言葉に心揺さぶられんなって」
「……申し訳ありません、ご迷惑をお掛けしました」
深雪が本当に申し訳なさそうな表情をしていたため、居た堪れなくなった。
「平気、平気。だって俺、最強だから」
深雪の暴走など、本当に大したことはない。
もしも深雪が本気で暴れようと、五条ならコンマ1秒で制圧できる。
達也であろうと同様だ。
故になぜそんなに申し訳なさそうにしているかわからなかった。
五条からしたらアリに噛みつかれたくらいのハプニングに過ぎない。
「確かに悟が首席だけど、流石に最強は言い過ぎ」
あまりに傲慢な発言に雫が突っ込んだ。
これが後に事実であったと知るとは彼女はこの時点では知る由もなかった。
◇◇
色々と特殊な制度がある魔法科高校だが、基本的な制度は普通の学校と変わらない。
一高にも部活動はある。
同好会ではなく、部活として学校に認められる為には、ある程度の人員が必要である点も同じだ。
ただ魔法科高校には一般高校にはない魔法競技の部活がある。
メジャーな魔法競技では、一から九まである国立魔法大学の付属高校の間で対抗戦も行われている。
その成績は各校の評価にも繋がるため、学校側も魔法競技の部活には力を入れている。
優秀な成績を収めた部活には予算が、個人には評価の便宜が与えられる。
有力な新入部員の獲得競争は各部の最重要課題であり、学校側もそれを後押ししている。
故に新入生の争奪合戦は熾烈を極める。殴り合いや、魔法の撃ち合いになることも珍しくない。
「――という訳で、この時期は各部間のトラブルが多発するんだよ」
場所は生徒会室。
五条は用事を済ませるつもりだったが成り行きで生徒会室で食事をすることになった。
(……俺は一体何を聞かされてるんだ?)
五条は生徒会役員でもなければ風紀委員でもない。
こんな業務連絡を聞く意味はない。
「勧誘が激しすぎて授業に支障を来すことも。それで、新入生勧誘活動には一定期間、具体的には今日から一週間という制限を設けてあるの」
これは摩利の隣に座った真由美のセリフだ。
ちなみに達也の隣には深雪が寄り添っていた。
鈴音とあずさはいない。
なお、摩利や司波兄妹は弁当を持参していた。
一人だけダイニングサーバーの機械調理メニューを食べることになった真由美はかなりへそを曲げていたが、ようやく機嫌が直ったらしい。
明日から自分もお弁当を作る、と張り切っていた。
「料理できんの?」
「え、できるけど」
真由美の答えを聞いた五条は心底驚いた様子でこう言った。
「意外だわ」
「そ、そんなことないわ」
かなり辛辣な後輩の意見に真由美の眉が引きつった。
しかし五条の攻撃は終わらない。
「でも作れたとしてもゲロマズそう」
本気で言っていた。
お嬢様な真由美は料理経験など皆無で作ったとしても暗黒物質がいいところだろうと思っている。
絶対に口に入れたくない代物だ。
「プッ」
摩利は我慢できなくなり、吹き出してしまった。
「摩利!」
「いや……クク…すまん、フッ」
謝意がないことは明らかだ。現に今も我慢できずにいる。
「悟君?何か言うことは?」
真由美の表情は笑顔だが、雰囲気は般若のそれだ。
気迫でそこまでものを見せるとは、やはり十師族の名は伊達ではない。
「は?ないね」
だが五条が引くことはない。
日頃弄られているのだからこれくらいは許して欲しいというのが本音だ。
それに嘘は言っていない。
本気でまずいだろうと思っているし、絶対にグロイものが出来上がると思っている。
「もう!そういうこと言う人との約束は守りません!」
「は?」
「お話しを聞くという約束はなしです!」
「は、はぁ!?」
五条は勢いよく立ち上がった。
「俺はお前に用があって来たんだよ!」
「えぇ、勿論わかっているわ」
「じゃあ!」
「でも失礼な後輩の言うことは聞きませ~ん」
プイっと顔を背ける真由美の意志は固そうだ。
だが、五条としても死活問題。
特別閲覧室でどうしても確認したい魔法がある。
その魔法があれば五条の記憶は戻るかもしれないのだ。
「謝れば、考えてあげないこともないけど~」
(絶対に謝りたくねぇ!!)
謝るくらいなら諦めたほうがマシとさえ思えた。
「絶対に謝んねーよ!このダークマター製造機!」
「なによ、ダークマターって!」
二人のやり取りは加速していく。
まるで子供の喧嘩だ。
それを摩利は含み笑いで見物。
達也は無表情で食事。
そして深雪は――していた。
その思いに呼応し、周囲のものは少しずつ凍っていく。
「深雪っ」
「あ……」
達也は深雪の手に自身の手を重ねた。
そこで自分が暴走している事に気が付いた深雪は静かに心を静めていく。
一方の五条と真由美だが、未だに言い争っていた。
毎回誤字報告ありがとうございます。