五条悟の沖縄旅行
「…やば、もうこんな時間だ!」
焦る声と共に悟はベッドから飛び起きた。
素足で踏む無機質な床に痛みすらある冷たさを感じながらも家を駆け回る。
「母さん!時間やばい!!」
階段を駆け上がり二階にある母親の部屋に入った。
「なに呑気に寝てんだ!早く行かないと飛行機に遅れるって!?」
今日は 人生初の沖縄旅行に行く日だった。
血管の中を巡る血がいつもと違うのがわかる。
心臓の鼓動も早くなって背中から羽が生えるような高揚感が身を包んでいた。
「ん、おはよう悟ちゃん」
ゆっくりと目を開けるのは妙齢の美女。
いま咲いたばかりの白百合のような清楚と艶があった。
長く艶のある漆黒の髪を伴いながら上体を起こした。
「ほら、早く!」
母が起きたのを確認した悟は素早く部屋から出ていった。
「ん」
少し伸びをしつつベッドから出る。
昨日の夜ベッドの横に用意していた服に目を移すとそれを手に取った。
◇◇◇
「メンソーレ!」
「あら。悟ちゃん、そんなに楽しみだったのね」
悟は人生初の沖縄に胸を躍らせていた。
美味しい料理を食べたりや綺麗な海を見てみたりなどやりたいことがたくさんあった。
それらがこれからできるのだと思うと楽しみで仕方がなかった。
「まずは荷物を預けに行きましょうか」
「オッケー!」
両手に持った。
「じゃあ出発!」
「もう、時間は十分あるんだからそんなに急がないの!」
走って先に行く悟を注意しながらも母の顔は笑顔だった。
しばらく走った後、自分の後ろにいる母のことを見た。
「悟ちゃん?」
母の心に染み込むかのような優しい顔に少し固まってしまった。
母の心配するような声色に悟はすぐに復活していつも通りに戻る。
一瞬で何回も変化する息子の表情がおかしくて母は花が咲くかのように破顔した。
◇◆◇◆
「母さん!歩くの遅いって!早く!」
「はいはい、わかりましたよ」
息子の年相応の無邪気さに思わず私は笑みを浮かべてしまった。
悟ちゃんは昔から何でもできた。
学校のテストは常に満点。
運動だってそうだ。
徒競走ではごぼう抜きは当たり前。
サッカーでは一人で無双。
野球では打率10割のホームランバッター。
格闘技、陸上、球技、体操、ダンスなど文字通りどんなスポーツでも人並み以上の結果を出してきた。
それだけではない。
悟ちゃんは容姿にも恵まれていた。
父に似た神秘的な美貌。
モデルのようなスタイル。
小顔で身長も高く、挙げればキリがないがおおよそ人が羨むであろうボディスペックを悟ちゃんは持っていた。
何をしても常に一番を、満点を取ってきた。
美しく、強く、聡い。
人が望むモノをほぼ全て持って生まれた悟ちゃんだがいつもどこか寂しそうにしていた。
悟ちゃんはあまりにも何でもできるせいで友達が出来なかったからだ。
皆感じるのだろう。
悟ちゃんは自分たちと住む世界が違うと。
高嶺の花という言葉が最適だろうか。
あまりにも優秀過ぎる悟ちゃんは畏怖の目で見られることはあっても喋りかけられることはなかった。
だからだろう。
最近の悟ちゃんは学校に行かなくてなってしまった。
友人のいない学校など子供にとって苦痛な場所でしかない。
「母さん?どうした?」
「ふふふ、なんでもないわよ」
前を歩いていた悟ちゃんはあまりにも遅い私を見て首を傾げていた。
「??…まぁいいや。それより早くあっち行こうぜ!」
「はいはい」
(いつの間にかあんなに大きくなっちゃって)
小さかった我が子は気づけば自分と同じくらいの身長にまで成長していた。
きっとこれからもっと伸びていくだろう。
だって『あの人』の血を継いでいるんだから。
『なぁ、カサネ!あっちに綺麗な海があるんだ!!早く行こうぜ!!』
15年前の今日、私の手を引いてくれた彼。
彼は私に新しい世界を教えてくれた。
「ほら、はやく!」
『ほら、はやく!』
あぁ、やっぱり……悟ちゃんは『あの人』に似てきた。
そういえば最近『あの人』が残した倉庫に入り浸っているけどなにしてるのかしら?
◇◇◇
「……母さん?」
悟は現在迷子だった。
初めて来る沖縄で土地勘がないにも関わらず駆け回った結果母と逸れてしまった。
五条は別に迷子になったからといって不安に襲われることなどない。
だがこの広い沖縄で母を普通に探そうとすると時間が掛かり過ぎる。
「よっと」
考えた末に五条はその場から『跳んで』上空に上がった。
上から探せばすぐに見つかると考えたのだ。
事実、上空から探した場合邪魔になるような遮蔽物は少なくなる、なにより上からの方が見える範囲が大きい。
「うーん……どこかな?」
無論これは五条悟だからできることだ。
五条の扱う『無下限呪術』
それが五条を空中に留まらせることを可能にする。
『無下限呪術』は自身を中心に0へと収束する無限級数を現実にする力。
つまり現在の五条は空中で止まっているというよりは限りなく0に近い速度で落ちているのだ。
「……ダメだな」
五条の目は特別。
繊細な呪力操作を可能にし、相手の術式を看破する最強の瞳、『六眼』。
それは単純に『視る』という行為においても大きな効果を発揮する。
しかしそれでも五条は自身の母を見つけることができなかった。
「ったく、仕方ねぇな……」
ここまでして見つけられないとなると見つけるのは困難だ。
「ん~」
ここで母を探すのが正解だろう。
しかしせっかく沖縄まで来たのだ。
一人で歩いてみたいという気持ちがある。
五条はまだ中一。
少し親離れしたい年頃なのだ。
「じゃあ行っちゃいますか!石垣島サンセットビーチ!」
石垣島サンセットビーチ。
自然残る天然の美しさを持つビーチ。
手付かずの自然の中に佇む西海岸のビーチ。青い海と真っ白な砂浜がどこまでも続き、その美しさは映画やテレビのロケなどにも多く使用されるほどのものだ。
そして沖縄に着いたら最初に行こうと思っていた場所である。
五条は跳ぶために石垣島サンセットビーチを探した。
『無下限呪術』はかなり応用の利く術式だ。
目的地が直線上にあり、そこに障害物が全くなければ五条はそこに跳ぶことができる。
「……よく考えたら俺、石垣島サンセットビーチの場所わかんねー」
名前は知っているが具体的にどこにあるかは把握していなかった。
そういったことについては全て母がやってくれたこともあって五条はどこになにがあるのか全くわからないのだ。
「……ん?」
ふと五条が左の方を見ると白く開けた場所に誰もいない綺麗なビーチがあった。
誰にも邪魔されずガラスよりも透き通った海を独り占めできる。
五条にとってそれはこれ以上なく魅力的に感じた。
「そうと決まれば、レッツゴー!!」
五条はその場から跳んだ。
◇◇◇
「うおおおお!!すっげぇ!!」
真っ白い砂と青い海のコントラストが美しかった。
開けた場所かつそこを独り占めしているときの解放感は五条をこの上なく興奮させた。
頭の先から足のつま先まで、熱のようなものが走り、それが走る度に体が動きたがった。
美しさに年齢は関係ないのだ。
ただそこにあるだけで人の心を動かす。
「ダーイブ!!」
五条は服を脱ぎもせずにそのまま海に突っ込んだ。
その際、あまりにも勢いよく飛び込んだせいで大量の海水が鼻の中に入り噎せ返るのだが自業自得だろう。
「げっほ!?ゴホッゴホッ」
閑話休題
「……海水ってまじい……こんな綺麗なのに」
砂浜で横になりながらそう呟いた。
透明度が高く、美しい海でも海であるという事実は変わらない。
その味は人が摂取するには些か塩分濃度が高すぎた。
「ハァ……ん?」
視線の先に巨大な男が三人映った。
「あれは……」
取り残された血統(レフト・ブラッド)。
沖縄旅行に行く際に母から何度も注意するように言われていたので覚えている。
レフト・ブラッドは沖縄に駐留していた米軍が引き揚げた際に取り残された子供たち、およびその子孫を指す。
現在の沖縄はレフト・ブラッド問題が大きくなっており、年々治安が悪化しているらしい。
(しかし最初聞いたときは驚いたなぁ……まさか米軍が撤退してるなんて)
「……なんか、様子が変だな」
五条は目線の先にいるレフト・ブラッド。
普通に談笑している、というわけではなさそうだ。
「う~ん、よっと」
五条は素早く体を起こすとレフト・ブラッドたちの真上に跳んだ。
「さぁて、何を企んでるんだ?」
無論、見つからないようにかなり上の方へと跳んだ。
「ん?」
レフト・ブラッドたちの視線が一か所に集まっているのが見えた。
その方向には二つの影が見える。
それは奇妙な2人組だった。
(なんだ?あの2人……繋がってる?)
現時点で『魔法』という技術について深く知らない五条は気がついていないがこの六眼は想子の流れや保有量、残穢だけでなく、魔法式や古式魔法の正体の看破、及びその人の体に刻まれている魔法式も読み取れる。
つまり五条は相手が呪術師、および魔法師であるならば相手の持つ手札をほぼ看破することが可能だ。
そして五条が見た2人組。
帽子を被った少女と庇うように前に立つポロシャツを着た少年。
見た目から判断すると恐らく同年代だ。
その2人は青い糸のようなもので繋がっていた。
(これは……制限か?)
少女が自身の脳領域を用いて少年の脳領域のある部分を制限していた。
それが一体どういう効果を発揮するのか、そもそもなぜそんなことを行っているのかはわからなかった。
「てか、もしかしてピンチ?」
レフト・ブラッドたちの様子を見る限り確実にあの二人に対してなにかするつもりだ。
それも悪質な形で。
「ったく仕方ねぇな」
口調とは裏腹に、五条はニヤリと笑っていた。
◇◇◇
「ビビって声も出せねぇのか?オイ!」
「チキン野郎が!!」
「ヒュゥ~!」
達也は深雪を庇うようにレフト・ブラッドたちの前に立った。
司波深雪のガーディアンとして。
なによりも自分の妹を守る兄として。
(戦闘は免れないか……仕方ない)
しかし達也の予想している未来は訪れることはなかった。
「オイオイ、子供相手に大人三人掛りか?だっせーなぁ」
「は?いまどっから__」
「後ろだよ」
「__ベゲッ!?」
その言葉を聞くと同時にレフト・ブラッドの一人が吹き飛んでいった。
「な!?」
「遅い!」
吹き飛んだ仲間を目で追う二人のうちの一人に掌底を叩き込む。
「このッ!?」
激情に任せて殴りかかるが五条によってその拳はピッチャーフライを取るみたいに簡単に受け止められてしまう。
「よっと」
五条はその拳を離さずに腹に一発。
「ゴッヘ!!」
男は体の中にある空気を出し切る。
だが五条の攻撃はそれだけでは終わらなかった。
「まだまだぁ!」
剃刀のように鋭い右ストレート。刹那に続く右ストレート二閃。
「__ガッハ、グハッ、はぐっーッ!?」
「ま、これくらいで勘弁してやるよ」
男は白目を剥き、五条が手を離すとゆっくりと倒れ伏した。
「さて、と」
五条は振り返り自分の後ろにいた達也と深雪に目を向けた。
達也は五条のことを警戒しているのか妹を隠す立ち位置に立っていた。
しかし五条には彼らを害するという気はさらさらなかった。
「お前ら、怪我無いか?」
二人の目を見ながら聞いた。
本格的に絡まれる前に介入したので特に怪我はないだろうが一応心配だったので聞いた。
「……あぁ、問題ない」
しばらくの沈黙の末、兄である達也が答えた。
「そっちは?」
「あ、えっと、大丈夫です」
「そっか!よかった!」
安心したように笑う自分たちを助けてくれた少年。
その笑顔に深雪は目を奪われてしまった。
「俺、五条悟!そっちは?」
「司波、達也だ」
「わ、私は司波深雪です。助けていただきありがとうございました」
あの後、三人は砂浜に移動して互いに自己紹介を行っていた。
「……??」
(あれ、なんか……どっかで聞いたような)
五条は二人の名前に聞き覚えがあった。
だがこの二人とは間違いなく初対面だ。
それは五条の六眼が教えてくれた。
二人を初めて見たとき、六眼は二人の持っている『力』を看破した。
特に少年、司波達也が持つ『分解・再生』は強力過ぎる。
そんな力を持つ少年を忘れるとは到底思えなかった。
「五条君?どうかしました?」
「いや、ちょっとボーっとしてた」
後頭部を搔きながら誤魔化した。
一方達也は五条を警戒の目で見ていた。
確かに五条は自分たちのことを助けてくれた。
話してみた感じも好意的でいい奴だ。
だが目の前にいる少年は普通ではなさ過ぎた。
まず、自分よりも体格で勝る相手を三人、魔法なしの徒手空拳のみで倒してしまった。
無論、それは達也にもできることだ。
だがそれは達也が厳しい訓練を受けているからであり、一般人のしかも子供にできるはずがない。
戦闘は一瞬で終わってしまった為、断言はできないが近接格闘術において五条は自分を上回っていると感じた。
さらに気になるのはその容姿だ。
この世界では魔法資質の高い人間ほど骨格が左右対称的になる。
つまり能力の高い魔法師は相対的に見て容姿端麗の者が多いのだ。
その前提を踏まえた上で五条を視る。
白髪に碧眼という、日本人離れした美形だ。
しかも単に顔が整っているとかそういうレベルではない。
神に愛されているのか、はたまた悪魔と取引したのか。
現実にここまで美しい人間がいるのか疑いたくなるレベルだ。
達也の妹である深雪も十分容姿端麗だ。
しかし五条は深雪のそれを上回っている。
四葉の力を集結させて産み出した完全調整体である深雪を、だ。
普通ではない。
「ん?どうした達也、そんなに俺の顔見て。なんかゴミついてる?」
顔をこすりながらついてないゴミを必死に取ろうとする五条。
こうしてみると毒気を抜かれそうになるが達也は気が抜けなかった。
「どう、とれた?」
「あぁ、もう大丈夫だ」
その言葉に笑顔を浮かべると五条は立ち上がった。
「じゃ、俺そろそろ帰るかな!」
五条は突然そう言いだした。
五条は迷子になってそろそろ一時間経つ。
いい加減に母の元に帰らないと数時間正座で説教コースだ。
折角の旅行なのにそれはあまりにも残念過ぎる。
「帰っちゃうんですか?」
「そろそろ帰らないと母さんが怒るし、俺の母さん怒るとうるせーから」
深雪は少し名残惜しそうな顔をしていた。
ここで五条が帰ればもう二度と会うことはないだろう。
自分たちはあくまでも東京から観光に来ているだけで沖縄に住んでいるわけではない。
五条が沖縄に住んでいるのか、それとも観光できているのかは分からないがこの広い世界でまた偶然会えるとは思えなかった。
「じゃあな~、達也~深雪~」
手を振りながら笑顔で走り去っていく五条は深雪の表情には、気が付かず、そのまま行ってしまった。
◇◇◇◇
「あ、かあさん!」
悟は手を振りながら母親の元に走った。
「悟ちゃん!?もう、いきなりいなくなっちゃダメでしょ?」
「いやーごめんごめん」
母は突然いなくなった悟に怒っていたが五条はニコニコしていた。
「ずっとニコニコしてるけどなにかいいことでもあったの?」
「うん!俺、友達ができたんだ!」
五条には同年代の友人はいなかった。
だが今日同年代の、それも自分と同じ呪術師の友人ができて五条は心の底から嬉しかった。
これは五条の勘違いだが二人は呪術師ではない。魔法師だ。
しかし魔法師という存在をまだ見たことがなかった五条は二人のことを自分と同じ呪術師だと思っていた。
呪力とサイオンの相違点を見抜けてもそもそもサイオンという存在を知識として知らない五条はそれを呪力の一種だと思い込んでいた。
この事実に五条が気付くのはもう少し先の話だ。
もしも五条悟に母親がいたらまだ数か月前まで小学生だった五条はこんな性格なんじゃないかと想像して今の五条はできました。
呪術廻戦の五条悟とは性格や言動が微妙に違うんですよね。
その違いを浮き彫りにするために後々五条同士の対話の場面とかもあるんですが、そこは作者のお気に入りの場面です。
今後出す予定です。