己を律することはできても
獣は人になれはしない
『領域すら斬るとは……ですが勝負は着きましたね』
次元斬・絶。
斬撃を空間に伝播させる次元斬とは違い、空間そのものを斬り裂く。
本来破壊不可能の領域すらも。
しかしそれほどの力をノーリスクで振るえるわけがなかった。
特級禍呪具閻魔刀は使用者の呪力を強制的に徴収する。
最高のパフォーマンスを常に維持するために尋常ではない呪力を奪っていく。
一級呪術師であったとしても平均して1分が使用限界だと言われている。
大技を使えばいくら五条といえど呪力を吸いつくされてしまう。
「あ……ぐッ」
右手から力が抜け、閻魔刀は地面へと落ちた。
同時に五条は地面に膝を着く。
不規則で粗い息を吐きながら、額に汗がにじむ。
「俺はまだッ……」
『指一本、いや、舌を動かすことすら困難な今の状態で本当に私に勝てるとでも?』
領域展開で大半の呪力が消費されてしまったとはいえ、まだ術式を振るう力を残す呪霊と動くことすらできない五条。
どちらが有利であるかなど火を見るよりも明らかだ。
『今の貴方を殺すことは赤子を殺すことと同等に容易い』
「……」
五条はもう喋ることすらできなくなった。
徐々に体が傾いていく。
しかし抗うことはできず、重力に従い、倒れた。
『……これに懲りたら二度とここへは来ないことです』
「な、にを……」
次に瞬間、五条は横へと落ちていった。
そして目に映るのは、例えるなら飛行機の窓から見える景色。
離陸して地上から離れつつ移動するあの景色。
今の状況と異なるのは命の危険性の大きさ。
(や、ヤバい…マジでヤバいぞ、このまま落ちたら……)
死。
その一文字が重くのしかかってきた。
このままでは海に落下することは免れないのだが現在の五条は指先すら動かせない。溺死してしまう。
(あれって……)
放物線を描きながら落ちていく。そこで黒い影が見えた。
近づいていくとだんだんその影は鮮明になっていき、その正体を現していった。
(船か!助かった!)
だが五条はそこで気が付いた。
先程まで落下地点にあったはずの船はそこから若干ズレていたことに。
(俺はバカか!船だから動くに決まってる……!頼むから気が付いてくれよ!)
「……あ、よく考えたらこの高さから水面に叩きつけられたら普通に死――」
高速で高い場所から水面に落下した場合の衝撃は計り知れない。
そのことに気が付いた五条だが時すでに遅し。
大人3人分ほどの水柱をあげながら五条は海へと沈んでいった。
◇◇◇
「……?」
ゆっくりと上体を起こした。
所々に走る鈍痛に顔を歪めながら体を視ると全身に包帯が巻かれていた。
(いや、包帯巻きすぎだろ、これじゃあミイラじゃあねぇか)
とはいえ、手当をしてもらったのは事実なのでまだ見ぬ命の恩人に心の中で感謝する。
「てか俺、生きてる……マジか」
あの時、五条は確実に死んだと思っていた。
事実、呪力での防御が間に合わなかったら死んでいただろう。
「ッ、あばらが折れてんな……」
包帯の下にある肌はきっと腫れているのだろう。
反転術式が使えればこんなものすぐに治るのだろうが……
(反転術式か……)
負のエネルギーである呪力を掛け合わせることで正のエネルギーを生み出す技術。この正のエネルギーによって人間を治癒することができる。数学における「(-)×(-)=(+)」の式をイメージするとわかりやすい。正のエネルギーは退魔の力ともいわれている。
また正のエネルギーは体の治癒にも使える。
しかし言うは容易し。
この技術を会得しているものは少ない。
習得が非常に困難かつ呪力消費量も激しいので使い手を選ぶのだ。
六眼を持つ五条を以てしてもその技術の習得は難しい。
「……あー!駄目だ!全然うまくいかねぇ!」
起こしていた上体を倒し、ベッドに体を沈めた。
「やっぱムズイなぁ……」
上に伸ばした手を握ったり開いたりしながら脱力する。
「……そういえば今何時だ?」
五条は飛び起きてキョロキョロと周りを見る。
壁にかかった時計を見つけた。
「やっば!?」
母と別れてから既に二時間が経過している。
早く帰らないと確実に叱られる。
(てかもう怒られんの確定じゃん……)
普段怒らない人間が怒ることほど怖いものはないのだ。
五条が母親に怒られることが確定していることに気づき、頭を抱えていると扉が開いた。
開けた扉から風が入り、少し籠っていた空気が新しくなっていく。
それと同時に靡く黒い髪が目に入った。
「起きたんですね!」
「え、深雪?なんでお前が……」
扉から現れたのは昨日出会った少女だった。
まさかの再会に驚きの隠せない五条は目を見開いていた。
「……と、誰だ?」
深雪の後ろにいる見知らぬ人。
短く切り揃えられた髪の毛、女性にしては高い身長。
引き締まった体型をしている。深雪ほどではないが綺麗な顔立ちだ。
「初めまして、五条くん。私は桜井穂波と言います」
愛想のいい笑みを浮かべながら挨拶をする。
「俺は五条悟」
「えぇ、よろしくね。それで…体調は大丈夫?」
心配そうな声色で聞いてくる穂波。
しかし日頃から呪霊と戦っている五条にとってこの程度の傷は日常茶飯事に過ぎない。
心配など無用と言わんばかり手を振った。
「全然平気だよ。アンタも助けてくれたんだろ?ありがとう」
不器用なお礼の仕方が少しおかしくて笑ってしまいそうになった。
生意気なところはあるけど根はいい子なんだと見抜いた穂波は微笑ましいものを見る目で五条を見ていた。
「どういたしまして。早速で悪いんだけど、会って欲しい人がいるの」
「俺に?」
もしかして母だろうかと考えたがそれは違った。
「私のお母様です」
深雪が答えた。
「今?」
深雪に聞くと頷いたのでどうやら本当に今すぐ会いたいらしい。
正直な話、今すぐにでも帰りたかったが治療してもらった恩もあったため、断るのは憚られた。
「わかったよ。でも急いでるから早めに話終わらせてくれよな」
五条はベッドから飛び起きる。
「あ、服は?」
今の五条は寝間着のような恰好をしてた。
「服は汚れてたから洗濯してるよ。乾くまだかかっちゃうかな」
「え、洗濯までしてくれてんの!?マジでありがとう!」
まさか服の世話までしてくれているとは思っていなかった。
しかしそれはそれとして今の恰好で誰かの前に出たくはない。
「ま、しょうがねぇか。来い『蔵』」
蔵から私服を一式取り出した。
「え?」
「な、今どこから……」
なにやら二人が驚いたような声を出していたので首を傾げた。
(いや、まぁ蔵みたいな呪霊はレアものだけどそんなに驚くことか?)
五条にはなぜ二人がこんな反応をしているのかわからなかった。
「確かに珍しいけど、そんな驚くようなことか?」
まさか格納呪霊を知らないのだろうか。
五条は着替えつつ疑問を口にするが二人は答えない。
「その服はどこから取り出したんですか?」
五条はまさかの言葉に困惑した。
(呪霊が見えてないのか?いや、そんな馬鹿な……)
二人の呪力量で考えれば非術師とは考えがたい。
だが二人には術師として最も大切なものがないことに気がついた。
術式だ。
この二人には術式がない。
術式を持たない呪術師も稀にいる。
体術や呪具を駆使して戦う者たちもいるが筋肉の付き方から二人はそれらに当てはまらないと思われる。
「もしかして五条君は古式魔法の使い手なんですか?」
「は?」
(まさか呪術師じゃなくて魔法師なのか?)
魔法師とは文字通り魔法を扱う者。
呪術と魔法は超常的な現象を引き起こすという点で呪術と似ているが技術体系が根本的に違う。
そして呪術師は魔法師を見下している傾向にある。
なぜなら、呪術師は例外なく魔法も使えるが魔法師は呪術を扱えないからだ。
これは呪術師の脳と身体の構造が魔法師に最も適したものだからである。
逆に魔法師の脳や体の構造は魔法を使うことだけにしか適していないため、呪術を扱えない。
(ってことは今見えてるのも呪力じゃなくて想子…だったっけ?それなのか…?確かにいつも見てる呪力に比べたら大分異質だとは思ってたけど)
五条は話が妙にかみ合わないことに納得しつつ、この状況をどうしようか考えた。
「そうだよ、俺は古式魔法『無下限』の使い手なんだ」
とりあえず話を合わせることにした。
「無下限?」
「そうそう、説明してもいいけど深雪の母さんが待ってるんだろ?」
深雪が無下限について興味を示していたが早く用事を済ませて帰らなくてはいけない五条は穂波にアイコンタクトで早く用事を済ませたいと伝えた。
それを汲み取った穂波は小さく頷いた。
「じゃあ今から呼んでくるからちょっと待っててね」
「え、俺が行くんじゃないの?」
「五条君は怪我人でしょ?そんな人を歩かせられないよ」
穂波はそういうと深雪と共に部屋を後にした。
たった一人、部屋に残された五条はベッドに寝っ転がった。
しばらくすると扉がノックされた。
五条が起き上がると同時に扉が静かに開かれた。
扉の向こうには一人の女性が立っていた。
五条が初めて抱いた印象は雪。
まるで触れれば溶けて消えてしまいそうな、儚い雰囲気があった。
グラマラスな体型でとても二児の母とは思えない程、若々しい外見だ。
「あーえーっと、深雪のお母さんでいいんだよな?」
「えぇ初めまして司波深夜です。よろしくね、五条さん」
深夜の仕草は上品だった。
一つ一つの動きが流水のように滑らかだ。
あまりそういったことに感心のない五条でさえも見惚れてしまった。
「助けてくれてありがとうな、おかげでこうしてまだ生きてる」
「気にしなくていいわ。貴方は深雪さんの友人、助けるのは当然です」
微笑を浮かべながらそう言う深夜は少女のようだった。
その光景が一瞬深雪と被った。
あぁ、この二人は親子なんだと改めて認識した。
もし深雪が大きくなったらこんな風になるのだろうか。
「さて、五条さん。貴方にはいくつか聞きたいことがあります」
「あーまぁそりゃそうだよな。俺に答えられることだったら何でも答えるよ」
いきなり空から降ってきたのだ。
聞きたいことの一つや二つ、あって当然だ。
一方の深夜はこの五条悟という少年が一体何者なのかについて思考を巡らせていた。
深雪と達也から聞いた五条悟という少年はあまりにも異常だ。
達也をも超える想子保有量、自分よりも体格の勝る相手をも圧倒する近接格闘術。
四葉の技術を結集させて作った完全調整体の深雪よりも整った顔立ち。
今まで一度耳にしたことがない古式魔法【無下限】の使い手。
漢数字を含む苗字。
そんな少年が偶然自分たちの乗る船の近くに空から降ってきた。
逆に怪しくない点を見つけるのが困難なほどだ。
「まず一つ目、どうして空から降ってきたのか、お聞かせ願えますか?」
「あ~…それは」
呪霊と戦っていて吹っ飛ばされたなど言えない。
呪術師以外に呪いに関する情報を喋ることは御法度。
例外はあるがこの場合は例外には含まれないだろう。
(たく、パンピーに気使うのってホント面倒だよ…)
これにはキチンとした理由がある。
故に五条だってそう簡単に破るわけにはいかない。
それに呪いなど知らなくて済むならそれに越したことはないのだ。
「あー実は魔法の練習中に制御をミスっちゃってさ…」
故に適当なことを言うことにした。
(深雪と話している時と同じことを言いましたね……嘘は言っていないのかしら?)
「魔法のですか?」
「うん」
首肯する五条に深夜は僅かに眉を歪めた。
魔法の制御を誤った、と言っているが何の魔法であれば空から降ってくるという形で失敗するのか見当もつかなかった。
もし五条が言っていることが万が一にでも真実であった場合、五条は深夜すら知らない魔法を知っている可能性がある。
十師族である深夜すら聞き覚えのない魔法を中学生の少年が知っているなど普通ではない。
「そう…わかりました。もしよろしければその魔法について詳しくお聞きしてもいいですか?」
魔法の詮索は御法度。
しかし深夜は五条の命を助けた。
その借りがあるならば、あるいは答えるはず。
そう思っていた。
「うん、いいよ」
五条はあっさりと許可を出した。
五条としても聞いてくることは予想していたため、特に躊躇うことはなかった。
「説明むずいから実際に見せるよ」
「え?」
次の瞬間、五条が目の前から消えた。
深夜の眼が見開かれる前に五条は深夜の背中を指で突いた。
「ま、こんな感じかな」
「今のは……」
「瞬間移動ってやつ、詳しい原理は教えられないんだけど」
瞬間移動を現実で可能にする魔法など聞いたこともなかった。四葉の耳を以てしてもだ。
(五条悟…この子は得体が知れな過ぎる。一体何者でしょうか…)
「もう一つあります。その服はどこから取り出したのですか?」
「え?あーこれ?」
五条は自分の着ている服を摘んで見せる。
「これも瞬間移動と原理は一緒だよ。ただ両方とも同じ魔法の応用だけどね」
(まぁ嘘は言ってないよな)
両方とも呪術の応用。
相手が求めているような答えではないことは容易に想像できるがわざわざご丁寧に解説する気はなかった。
必要ならば呪術規定を破るが必要もないのに呪術規定を破るほど愚かではないのだ。
「質問は以上です。時間を取ってしまってごめんなさいね」
「平気平気……そろそろ帰ってもいい?」
「出口は廊下に出て右側にあります」
五条は立ち上がると深夜の横を通りそのまま部屋を後にした。
深夜はそれを見送るとすぐに携帯を取り出した。
「――調査して欲しいことがあります」
◇◇◇◇
「あ、そういえば服……」
五条は帰り道、洗濯中の服の存在を思い出した。
「ま、いっか」
今度会ったときに返してもらう。
呑気なことを考えながら帰路に着く。
「ん?」
その途中で先程まで五条がいた屋敷に向っていく黒いセダン数台とすれ違った。
(……あっちってあの屋敷以外になんかあったっけ?)
物々しい雰囲気の集団車だったため妙に印象に残ったが考えてもそれがなんであるかはわからなかったため考えるのを止めた。
「てか二日連続で説教とかツイてねぇな……」
確実に来る負の未来を想像すると足を運ぶことに気が引けた。
(そういえば達也に会わなかったけど……アイツもあそこにいたのかな)
ふと鷹の目を持つ少年のことが頭に浮かんだ。
分解と再生という驚異的な魔法を有する少年――司波達也。
それだけではない。達也は自分同様に特別な眼を有している。
(もし、俺と達也が戦ったらどうなるんだろう…)
正直な話、十中八九勝つだろう。
呪いを用いた攻撃は魔法では防げない。
しかし魔法による攻撃は五条には届かない。
再生は厄介な能力だが呪具を使った攻撃ならば――
五条はそこまで思考して立ち止まった。
「ハァ、何考えてんだ俺は……」
達也は敵ではない。
そもそも達也は魔法師であると同時に非術師だ。
達也を守ることはあれど攻撃することはない。
ならばこの考えに意味などない。
にも関わらず、なぜ自分はこんなことを考えてしまったのか、自分でもわからなかった。
常に戦いと隣り合わせの環境にいたせいなのか、はたまた達也から感じ取った違和感のせいなのか、あるいは両方か。
どちらにせよ、五条の本能は気が付いているのかもしれない。
いずれ司波達也と戦う日がくると。
話の展開的におかしなところがあったので一度消して修正しました。