「ふぅ」
ベッドに体を投げ、深雪は小さく溜息をついた。
そして今日のことを思い返していた。
(五条君……)
五条悟。
彼は深雪が今まで出会ったことのないような人間だった。
まず五条の容姿は今までに見たことがないほど美しく、神秘的だ。
深雪自身、容姿について褒められる機会は多々あるが自分とは比べ物にならないと感じた。
真っ白で、それでいて血色のいい肌。
艶のある白髪。
空を閉じ込めたかのような瞳。
人の容姿で見惚れるという経験をしたことがなかった深雪だが、その深雪ですら魅せられてしまった。
次に五条は同い年とは思えない程に強い。
自分よりも体格の勝る軍人三人を瞬殺してしまった。
しかも驚くことに五条が魔法を使った形跡は一切なかった。
これは五条の魔法隠蔽技術が優れているか、近接格闘技術が優れているか、どちらにせよ戦闘技術が高いことを表している。
しかし、意外なことに人格面では年相応だ。
むしろ幼いかもしれない。
五条は年上だろうと初対面だろうと絶対に敬語を使わない。
礼儀作法が成っていないというよりはわざとやらないことにしているように見える。
ただ五条は優しかった。
少なくとも見ず知らずの深雪と達也を助けてくれた。
「ハァ……」
そんな五条とは先程気まずい別れ方をした。
原因は兄の司波達也のことだ。
『深雪の兄貴だろ?なら深雪って呼べばいいのに、あれじゃあまるで召使みたいだ』
その通りだと思う。
兄が不当な扱いを受けていることはわかっているし、それを疑問にも思っている。
別に兄が嫌いというわけではない、苦手なだけだ。
何を考えているかわからない上に何も知らないから。
(わからない。私は……)
兄をどうしたいのか、兄とどう関わっていきたのか。
いくら考えても答えは出なかった。
「――深雪」
誰かが自分を呼んだ声が聞こえた気がした。
「え?」
体を起こし周りをみるが誰もいない。
聞き間違いだろうか、少し疲れているのかもしれない。
「おい、無視か?流石に傷つくんだけど」
「ひゃあ!」
あまりの驚きにベッドから落ちてしまった。
声の方向を向くとそこには――
「うお、そんな驚くなよ。皆起きちゃうぞ」
――人差し指を顔の前に立てる五条の姿があった。
「な、なんでここにいるんですか!?」
至極当然の疑問だがそんなことどうでもいいと言わんばかりに簡潔に答えた。
「深雪に会いに来た」
短く、それだけを言った。
月の光が逆行となり顔はよく見えなかったがその声色はひどく優しかった。
「そもそもどうやってここに!?」
この屋敷には特殊な魔法による防犯装置がある。
それを搔い潜り、誰にも気が付かれずに四葉家次期当主の部屋に忍び込むなどこの世界にいるどんな魔法師を以てしても難しいと言わざるを得ない。
それを数か月前まで小学生だった少年が成し遂げたなど信じられなかった。
「ん~跳んだの」
だた、これを引き起こした当人は全く答える気がなかった。
秘匿しているわけではなく、面倒だから。
「それよりさ、深雪。外に行こう」
自分のやったことなど心底どうでもいいと言わんばかりに本題を切り出した。
「え、今からですか?」
時刻は既に夜遅い。
いつもならとっくに寝ている時間だ。
そんな時間の外出を母が許すとは到底思えなかった。
「そうだよ」
「そんなことできません!」
「なんでだよ?嫌なのか?」
首を傾げながら聞く。
嫌というなら素直に諦めるつもりだ。
ただそれ以外の理由なら連れ出すつもりだった。
「嫌……ではないですけど、でもバレたらお母様に……」
「大丈夫、絶対にバレないから」
雲に隠れた月が現れ始めた。
窓から少し離れたところに移動していた五条の顔を月光が照らす。
「あ……」
笑っていた。
自信と優しさを合わせた傲慢な笑みだ。
その笑顔をみて深雪はわかった。
五条は本気でバレないと思っているし、本気で行こうと言っていると。
【闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え】
「これは……」
「まるでこの部屋が夜になっていくみたいだろ?これは帳って言って隠すことに特化した結界なんだ」
「こんな魔法みたことないです……」
魔法ではないのだが、そう考えてしまうのも仕方がない。
五条はその間違いを特に指摘はしなかった。
「ほら行こう、深雪」
「……」
右手の掌を深雪の方に向け、差し出した。
深雪は数秒迷った後、ゆっくりとその手を取った。
「きゃ!」
五条はその手を思い切り引き寄せると深雪を横抱きに――所謂お姫様だっこ――するとその場から跳んだ。
◇◇◇◇
「よっと」
「え、さっきまで部屋にいたのに……」
いきなり変わった景色に驚きを隠せない様子の深雪。
「ま、これも【無下限】の力かな」
五条はそういうとゆっくりと深雪を下ろした。
「あの、ここはどこですか?」
「ん、ここはね……もうすぐわかるよ」
濁すような回答をする五条。
だがその意味はすぐにわかった。
「――」
薄暗い暗闇の中、ポツポツと光が徐々に表れた。
炎とも電気とも星や月や太陽ともちがう、これまで見たことのない色と質感の光だった。輪郭があやふやで、触れたときの温度を想像しにくい。冷たいようでも、火傷しそうでもある。そういう光が、ふわふわ漂ったり静止したりしながら、一本の大きな木に群がっていく。
見渡す限り平原が広がる原っぱの中央に位置する巨大な木。それを照らす蛍群。
その光景はまるで御伽噺の世界に入り込んだと錯覚させてしまうほど、息をすることを忘れてしまうほど美しかった。
「ここは隠れた観光地なんだ。パンフレットにもインターネットにも載らない秘密のね」
五条はその場に腰を下ろした。
「綺麗だろ?」
「――はい、綺麗です。とっても」
あまりの光景に呆気を取られてしまった。
開発の進んだ日本でこのような自然の美を観られるとは思ってもいなかった。
「どうして私をここに?」
深雪にはなぜ五条がここに連れてきたのかがわからなかった。
ただ、自分にこの景色を見せたかったから屋敷に忍び込むという危険を冒したとは考えられなかった。
「見せたかっただけだよ。(暇だったから…は言わなくていいか)」
「それだけなんですか!?」
信じられなかった。
まさか本当にただ単純にここに連れていきたかっただけなんて。
やはりこの少年はよくわからないと深雪はそう思った。
「お前さ、達也との関係で悩んでただろ?」
「!!」
「ここに来れば少しは気が晴れるかなって」
ここに来ればいい気晴らしになると考えたときには五条の足は動いていた。
「アイツはお前のこと愛していると思うよ」
「……え?」
「アイツの目を見ればわかる。アイツはきっと自分の命なんかより深雪のこと大切に思ってる」
「そんなわけありません!私はあの人に酷い扱いを――」
「でも兄だ」
五条は言い切った。
「アイツにとってお前は妹なんだよ。たとえ深雪からどんな扱いを受けようとな、だからさ――」
五条は立ち上がった。
そして深雪の目をみた。
「――歩み寄ってやれよ。お前ら兄妹だろ?」
「……」
はいと言いたかった。
でも言えなかった。
嫌だとは言いたくなかった。
だから言わなかった。
否定も肯定もできずに黙る深雪に五条は何も言えなかった。
「ま、俺も母さんと喧嘩中なんだけどな!」
自分も同じムジナの穴だからだ。
「そうなんですか!?」
シリアスな雰囲気をぶち壊す五条の発言に驚きを隠せなかった。
「だって口うるせぇんだもん。しかも事あるごとに父さんを引き合いに出して…いい加減うざいっての」
「えぇ~……?」
自分を諭した人間がまさか親子喧嘩中だとは夢にも思わなかった。
呆れてしまうのも無理はない。
「父さんは立派だった、父さんには信念があった、父さんならこんなことはしない、父さんなら、父さんなら~って、うるさいのなんの」
きっと母は無意識の内に息子と自分の旦那を重ねてしまっているのだ。
五条悟という生き写しに自分の愛した男の影を視ている。
母は愛した男の消失で自分を呪ってしまった。
だがそれは仕方のないことなのかもしれない。
愛ほど歪んだ呪いはないのだから。
「ま、後は深雪の好きにしなよ」
「私の好きにですか?」
「これ以上俺が何を言ったって変わんねぇよ。変わるとしたら今だ。そしてそれは深雪、お前次第だぞ」
「……そう、ですね」
五条から蛍の景色に目を移す。
この景色を見ると自分がちっぽけな存在に思えてしまう。
自分の悩みも、本当はもっとずっと小さいのではないのかと。
深雪はなにか決心したような顔付きに変わった。
「私、兄と話してみます。話して、向き合ってみます。兄妹として」
その覚悟の言葉は五条に揺るぎない意志として伝わった。
「あぁ、頑張れ」
心の底から出た言葉だった。
このきっかけが二人を結びつけるのか、破綻させるかはわからないがせめて祈ろう。
どうかこの二人に絆を。
「はい!五条君、今日はありがとうございました」
晴れ晴れとした笑みだ。
憑き物が取れたような、呪いを解呪できたときのような、そんな清々しさだ。
その笑顔に、五条は少し見惚れてしまった。
だが五条自身はなぜこんなにも自分は深雪の笑みに惹きつけられるのか、わからなかった。
妙にもやッとした感情を振り払うように話題を変えた。
「っと、そろそろいい時間だな。帰ろうぜ」
その言葉を聴いた深雪は固まった。
そして顔を赤らめた。
「……もしかしてまた掴まらなかきゃ駄目ですか?」
今まで忘れていたが深雪は行きに五条にお姫様だっこをしてもらってここに来た。
帰りも同じことをしなくてはいけないのか、そう訊いているのだろう。
「当たり前だろ。さっさと行くぞ」
即答だった。
「待ってください!」
深雪は必死に抵抗する。
羞恥心が顔を真っ赤に染め上げる。
「なんだよ?」
「そのッどうしても掴まらなきゃダメですか?」
深雪はそもそもお姫様だっこに必要性はあるのか、本当は必要ないのではないか、そう思った。
「なんだ、もしかして深雪、お姫様だっこのこと恥ずかしがってるのか?」
その様子を見た五条は深雪を茶化した。
「!!」
「そんなに嫌がられると流石に傷つくんだけど」
顔から火が出るほど恥ずかしさだ。
しかし五条はなんの勘違いか嫌がっているのかと思った。
出会って2日しか経っていない異性に触れることに抵抗感や嫌悪感を抱くのは普通のことだ。
「その、嫌というわけでは……!」
しかしその懸念も深雪の一言で解消された。
「だったら、ほら」
安心した五条は手を差し出した。
「……」
深雪は無言でその手を取った。
五条はそのまま横抱きに移行した。
深雪は黙ったまま、五条の首に手を回した。
「ん、よし、行くぞ。しっかり掴まっとけよ」
深雪は抱きしめる力を少しだけ強めた。
そのことを確認した五条はその場から跳んだ。
◇◇◇◇
「着いたぞ」
深雪を家に無事送り届けた五条はそのまま去ろうとした。
「あ、待って下さい」
「ん?」
五条の手を取り、引き留めた。
「私も兄と向き合うんです。貴方も母と向き合って下さい」
「……は?」
意味が分からなかった。
「まさか私にだけとは言いませんよね?」
意地の悪い笑みを浮かべる深雪を見て漸く意図に気が付いた。
「おまッ、マジ?」
「マジです」
マジなんて言葉を普段使わないお嬢様は案外ノリノリだった。
「……」
「黙っても駄目です!やるって宣言するまで離しませんから!」
手を握る力を強めた。
「ハァ!?ちょ、離せ!」
本気だとわかった五条は振り解こうとするが中々離れない。
「嫌です!」
「このッ、離せ!」
五条は必死に深雪を剥がそうとするが、深雪は手を離すどころか腕に抱きついてきた。
深雪という少女は正統派なお嬢様に見えて意外とアグレッシブなのだ。
「絶対離しません!私だけなんてズルいです!」
五条はしばらく抵抗したがやがて諦めた。
「……わかった、わかったよ」
脱力しながら、心底嫌そうにそう言った。
「本当ですか?」
上目遣いでそう訊いてくる深雪はまさに誰もが見惚れる美少女だったが今の五条には悪魔にしか見えない。
「本当だって。だから離せ。暑いんだよ」
その言葉にカチンときたのか、深雪は黒い笑みを浮かべた。
ちなみに目は笑っていない。
「……失礼じゃないですか?乙女に向かって暑いなんて」
「お前乙女っていうほど女じゃないだろ」
「な!?」
あまりにもデリカシーのない発言だ。
しかし五条は中一のくせに乙女とかバカじゃねぇの?と割と本気で思っていた。
「あれ……なんか寒くね?」
寒気がした……というより寒かった。
「……」
「深雪から冷気出てるんだけど、めっちゃ寒いんだけど」
六眼持ちの五条はすぐにその原因がわかった。
「……ッ」
「離せ、凍え死ぬ」
しかし右腕はガッチリと固定されていたままだった。
「……!」
「このッ、離せよ!」
無言で部屋の温度を下げていく雪女に、五条は戦慄した。
「……!!」
「わかったから!俺が悪かったから!だからもう魔法使うなって!」
頬を膨らませながら全力で凍らせにかかる深雪に五条悟、人生初の敗北宣言である。
◇◇◇◇
「ったく、酷い目にあった」
やっと解放された右腕を振りながら、五条は溜息をついた。
「五条君が意地悪なこと言うからです!」
しかし深雪はその態度に納得がいかなかった。
「俺のせいかよ!?」
「五条君のせいです!」
言い切る深雪に反論したかったが、疲れた五条はもう反論するのも面倒くさかった。
「ハァ…もう、わかった。わかったよ。俺が悪かったから、そんな怒るなよ」
ハイハイとしょうがないなと言わんばかりの態度に深雪はブチギレた。
「なんですか、その態度ッ!そもそもの原因は五条君に――」
「わかったって!!!」
ハァ、ハァと息を切らしながらお互いに言い合う。
「お嬢様かと思えば、意外とアグレッシブだな……深雪はさ」
「……確かに、少しはしたなかったかもしれません」
深雪は五条の言葉にバツが悪そうに口をどもらせた。
そしていつもならしない自分の行動に戸惑いを感じていた。
「はしたないって大げさでしょ」
クスクスと口から笑いが零れた。
深雪は五条の態度が酷く気に障った。
ムスッとした顔が作られた。
「もう!知りません!」
深雪はそのまま五条に背を向けてしまった。
もう口は利かない、もう顔も見たくない、そういわんばかりの態度だ。
ただ五条は深雪の言葉は無視してそのまま話始めた。
「俺は好きだけどな」
「……え?」
「そっちの深雪のほうが」
屈託のない笑顔でそう言い切った五条の顔は普段とは違う柔らかい雰囲気を纏っていた。
深雪は五条のセリフに対する嬉しさと羞恥で顔を真っ赤に染めていた。
そんな顔を見られたくなかった深雪は枕を抱きしめるとそこに顔を埋めてしまった。
(深雪はなにしてんだ?)
しかしそんな乙女の心情など知る由もない五条は深雪の寄行に首を傾げた。
「ま、いっか。じゃあ俺帰るわ」
窓を開け、足をかける。
「え、あ、はい。気をつけて下さいね」
深雪はベッドに座り、顔を俯かせながら、五条を見送った。
「あ、そうだ」
ふと、思い出したかのように五条は深雪の方を見た。
深雪はゆっくりと顔を上げるのを確認した五条は顔の前に人差し指を立てる。
「今日のことは二人だけの秘密だぞ」
「――えぇ、秘密です」
深雪は可憐な笑顔の前に人差し指を立てた。
高評価してくれた方々に感謝します