転生者から死にゆく人々へ、どうか貴方の転生がより善きものでありますように 作:アりーふ
場面ごとに区切っているので文字数がバラバラですが、ご了承ください。
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人は死んだらどこへ行くのか。
俺はその答えを知っている。人は死んだら転生するのだ。なにせ俺がそうだったから。
俺は転生者だ。前世で流行っていた異世界モノによくあるやつで、例に漏れず前世では俺も社畜オタクだった。多分ブラック労働が原因で死んだのだろう。正直、オタクコンテンツに関わること以外で前世にはあまりいい思い出がない。
――が、転生して幸福になったかといえば、残念ながらそうではなかった。
俺が気がついた時に目の前にあったのが、
転生には赤ん坊の頃から前世の記憶があるものや、ある程度年を取ってから思い出すものなど、色々種類があるが俺の場合は後者だった。
当時十にも満たないほどだった俺が記憶を取り戻した時、同時に俺にはそれまでのこの世界における“俺”の記憶があった。
しかし、自意識は間違いなく前世の俺にある状態で、それはもしかしたら、現世の俺の意識は、俺が目覚めた時に死んでしまったからではないかとも思う。
何故そう言えるのかは、そもそも前世の俺の記憶が目覚めた理由にも関わってくるわけだが、今は省く。込み入った話……というか、俺が転生した世界に関わる話なので、いきなり話しても何がなにやらだろう。
ファルシのルシがなんとかとか、そういう話になるぞ。聞いててわかりにくいったらありゃしない。
ともかく俺は、そんな最悪な状況で目覚めた。
どうして故郷の村がそうなっていたかについては難しいこともない。魔物に襲われたからだ。
俺が転生した世界は、魔物が非常に脅威とされていた。村一つが魔物の襲撃でやられるなんてことは日常茶飯事、俺の村の惨劇は、この世界では日常でしかなかったというわけだ。
正直、不思議な気分だった。
俺の中には、たしかにこの村で育った記憶があって、両親や周りの人達、同年代の友人たちと楽しく暮らしていた記憶がある。だけれども、俺の意識は前世の俺だ。そんな故郷の記憶を持っている“俺”ではない。
どこか他人事で、けれども絶対に目をそらせないくらい、そこは俺にとっての現実だった。
そんな村が魔物の襲撃によって全滅して、俺だけが生き残った。
気がつけば魔物はどこにもいなくなっていて、焼け焦げた人の匂いだけが漂う村を、俺は一人あるき回ったんだ。全員の顔を確認することはできなかった。半数はそもそも原型をとどめてすらいなかったし、何度数えても記憶の中の数と死体の数が合わなかった。
どこかへ逃げ延びているのではないかという希望もあるが、当時の俺にそんなことを考える余裕はなかったんだ。
それまでほとんど見てこなかった“人の死”というやつをむざむざと見せつけられて、しかもその殆どが目も当てられないような無惨な死体と来る。
現代の一般人だった俺が、発狂しなかったのは奇跡だろう。いや、その光景をどこか他人事のように見ていた俺は、その時すでに、どこか壊れてしまっていたのかもしれないな。
それから俺は、異世界で無数の死を目の当たりにしてきた。魔物による死だけではない、その世界では人すら容易に人を殺す。前世ではテレビの向こうの話だと思っていた殺人という非日常が、日常のような顔をして隣人として暮らしているのだ。
その中で何度か俺も死ぬような目に空いながら、殺した。
いろいろなものを殺した。魔物は積極的に殺したし、人だって殺したくはないけれど手にかけた。魔物の討伐で昨日一緒に飯を食った仲間が死んだこともあった。
一番キツかったのは、毒を食らって助からない仲間を、楽にするために介錯したことだろうか。苦しそうに死にたくないと顔を歪めるそいつに剣を突き立てて、恨み言すら聞けずに命を奪った感触を、俺は今も忘れられない。
そういう世界だったのだ。
明日生き残るために、今日誰かを殺さなくては生きれない世界。俺には前世の記憶と、それにまつわるある“力”があったから、今の今まで生き延びることができた。
他人より特別だという自覚はある。周囲にだって恵まれているし、今ではそこそこに安定した生活基盤を築けているつもりだ。
しかし、そうやって過去を顧みれるくらい余裕を持てた時、ふと思うのだ。
転生。
それが答えだ。死んだ人間は、どこか別の世界へ知らない誰かとして転生する。前世と来世に連続性はなく、同じ人間でありながら別の人生を歩む。
俺のように、前世の記憶を思い出すなんてのは間違いなくイレギュラー。でも、そうして転生という事実を知って、前世というイレギュラーを手にしているからこそわかる。
だが、だとしても死んだ人間がそのなにかへ転生したという事実は変わらない。
前世の俺と、来世の俺は生まれや環境は何もかも違うのに、俺はそれが俺だと認識できる。来世の記憶を持った前世の意識の俺が、来世の俺を「これは俺だ」と自認できるのだ。
だからきっと、記憶がなくたって、連続性はなくたってその人は生まれ変わり生きていく。
そんな、言ってしまえば当たり前のようなことが、言葉にすればとても単純な事実が――
――とても幸福なことではないかと、俺は思うのだ。
どれだけつらい過去があったとしても、それを忘れて一から新しい人生を歩む。もしかしたら、来世はもっと悪い人生かもしれない。少なくとも俺に、前世と来世のどちらが恵まれているかを選ぶことはできない。だとしても、その次の人生では今度こそ幸せになれるかもしれない。
それは救いだ。今が悪かったって、未来には良いことがまっているかもしれない。
そういう希望は、どこかにあってもいいと俺は思うのだ。
……ある意味でそれは言い訳だ。
来世にいいことが待っていたって、今の自分がそれを認識できるわけじゃない。どころか、少なくとも俺は転生したことを幸福だとは言い切れない。
だからそれは、今を生きる人間の言い訳なのだ、とも思う。
言い訳でもいい、構わない。それでも俺は知っている。純然たる事実として、来世はたしかにあるのだということを。
この死が隣り合わせの異世界で、俺は常に思うのだ。俺たち今を生きる人間が、死んでいった者たちの分だけ前を向くための言い訳として。
転生者から死にゆく人々へ、どうか貴方の転生がより善きものでありますように。
そう願う人間が、世界の何処かに至って悪いことは何一つないんじゃないかと、俺は思うのだ。