外伝作品は改めてこの話からスタートさせていただきます!
ツシマさん主役のお話は、また必ず投稿しますので、しばしお待ちを……!
トウカジム。第一修練場——。
艶やかに磨き上げられた木製コートがあるこの場所で、僕——ミツルは、多くの時間を過ごした。
過ごした時間の中で、大切なものををいくつも教えてくださったのは、敬愛するジムリーダー——センリ。
彼の教えは、僕にとって究極の道標となり、絶対的な真理のように輝いていた。
その教えを受けて……僕は今日、旅に出る。
「ミツルくん。今日までご苦労だったね」
コートの中ほどで僕は目の前に立つ師から労いの言葉を受ける。その顔は本当に優しさに満ちていて……僕は自然と笑みが溢れた。
「いいえ。僕の道はこれからです。今日までのことを無駄にしない為に……行ってきます」
僕は——今までその選択だけはできなかった。『旅に出る』などと大きな決断を、今まで保留にして生きてきた。
自分が強くなれるようにずっとこの場所で囲ってくれた師匠には感謝している。でも、僕はどこかでそれに依存して、トレーナーの本分を全うするために出かけていくことをずっと恐れていた。
その事について自覚した。その折に、僕は出会ったから——。
我が師の実子にして、僕の友人となってくれた……ユウキさんに。
「——旅の間、どんな時間も大切に生きるんだ。キミの前途に幸福を」
師匠は多くを言わない。でも、それでよかった。
僕らはもう、充分すぎるほど言葉を交わしてきた。この先は自立する旅でもある。師匠もそれがわかっているのか、もう多くの言葉で励まそうとしたりはしないようだ。
やや込み上げる寂しさと、それを上回る信頼されている喜びとが混ざると、やっぱり僕は少し泣いてしまう。
目尻に溜めた涙を、溢さないように耐えながら、改めて僕はセンリ師匠に言うのだ。
——行ってきますと。
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ムロでのジム戦を終え、その後色々ありながらも、ユウキさんのジム戦を見届けた後……すぐにカナズミへと赴いていた。
理由はもちろんカナズミジムにある。そこにはユウキさんを破ったジムリーダー、ツツジさんがいるからだ。
——そして、その決着はついた。
相棒の
熱いバトル——その熱気が、バトルの終わり際から徐々に低下していくのを感じていた。
「——おめでとうございます。ミツルさん、よく出来ました♪」
直前まで冷静に、それでも鬼気迫る勢いで戦っていたツツジさんは、いつの間にかどこかのご令嬢のような表情に戻っていた。
僕はその称賛を受けて、ようやく自分がジム挑戦を乗り越えたことに気が付いた。
「〜〜〜っぷはぁ‼︎ つ、強かったぁ〜〜〜ッ‼︎」
どうやら集中のし過ぎで、僕は呼吸も忘れていたらしく、ツツジさんの声を皮切りにその堰を切った。
「お見事でしたわ。やはりトウカジム生は手応えがありますの。取り分け“
「や、やめてください!その二つ名、本当誰が考えたんですかぁ⁉︎」
ジム生として色んなオープントーナメントやジム対抗戦をしていく内に勝手につけられたそのむず痒さを発生させる二つ名に、僕は反射的にツツジさんに食ってかかる。
それを面白そうに見ているのか、彼女はクスクスと笑うのだった。
「プロになる前から二つ名で呼ばれるトレーナーなどそうは居ませんわ。せっかく頂いた名ですし、大切にしてあげませんと」
「うぅ〜。もうちょっと大人しめの名前が良かったんですが……」
それでも確かに……その名は僕の戦いを“外から見守ってきた人達”が付けてくれた、謂わば贈り物だ。
その様に心打たれた——というのは言い過ぎかもしれないけど、事実、
歴代に名を残してきた尊敬すべきトレーナーたちの多くがこの俗称で呼ばれる内に、いつしか通例ともなったファンの楽しみを、僕が気に入らないという理由だけで否定するのは間違っている——ということだろう。まぁそれはそれとして、“
「……名前にご不満があるから、スポンサー契約も断ってるんですの?」
そこで不意に、ツツジさんは僕をどきりとさせる質問をしてきた。
確かに彼女が言うように、僕は時折、バトル興行に尽力する企業からのお誘いが来ることがある。当然それはアマチュア時代、僕が出した『結果』に基づいての事だとわかってはいるのだが……。
「あはは。なんか苦手でして……」
「苦手——そんな理由であしらえる程、その恩恵は軽くはありませんわよ?一体どれほどのプロトレーナーが、その“特権”に預かりたくて必死に汗水垂らしているのか……知らないあなたではないでしょう?」
知らない筈はない——僕のいたトウカジムでも、プロになった後もまだ所属し続けるトレーナーもいる——というより大半がそうだ。
わざわざ旅に出なくても、慣れ親しんだ場所でも研鑽は積める。遠方のトーナメント参加は億劫になるかもしれないが、それさえ目を瞑れば、ジム所属のままプロ活動に勤しむ事も悪くない。
だから、その先輩たちの話はよく聞かされる。みんな企業からのスカウトの目に留まれるようになりたい旨を話し合っていた。それを僕は——
「事情なら……大体察しはついてますわ」
「え……?」
「何を驚いてますの。理由なんて、明白ではありませんか」
事もなげにそう言うツツジさんだが、僕には信じられない。だって僕とこの人は、ムロで少し話したくらいで、あとはジムの所用の時に見かける程度。そんな関係性の僕のことを推察するには、あまりにも情報が少ないはずなのに。
「ジムを出て、旅に慣れるまであちこちに行くわけでもなく、即座にムロジムの戸を叩き、好条件の企業スカウトも断る……まるでどこかの誰かさんと同じ道筋ではありませんか……」
「あ……」
そこまで言われたら、流石に僕でもわかる。そうだった。この人はユウキさんに教えを説いたこともある人だった。当然その生い立ちやこれまでの経緯にも思い当たることがあるのだろう。いやはや恐れ入ります。
「彼をライバル視……もしくは親近感でもあるのでしょう?彼が頑張るなら自分も——素敵な友情ですわ」
僕は……確かにそういう気負いもある。
僕よりも後に出発し、僕よりも先に旅立ったユウキさん。彼の足跡は、僕の進路を決定づける上で大きな影響を与えている。
彼は信じられない速度で強くなる——僕が築いてきた5年間というアドバンテージは、ムロジム戦を見る限り、消し飛んだと見ていい。それは友達として嬉しくもあるけど、同時に置いていかれる危機感も生まれた。
それほど鮮烈なデビュー戦だった。そしてそんな風に強くなれたのは、彼が自分で選んだ道を歩んだから……有体に言えば、自分を敢えて追い込むように過酷な環境にいるからだとも思った。
だから僕も——そう思っていたこともあったっけ。
「……確かにそんな風に考えていた時期もありました。あの人の後ろ姿を見ていると、自分もそんな甘い話に乗っかっていいのか——って」
僕はその旨を正直に話す。ツツジさんは「それでしたら……」と僕に物申す為に口を開くが、それを僕は遮るように続ける。
「でも、この旅に出る時に言われたんです……師匠——センリさんに」
——どんな時間も大切に……
「——確かにスポンサー契約は僕にたくさんのメリットをもたらすかもしれない。僕の成長の助けにもきっとなる。でも、デメリットだってあるんですよ」
「デメリット……?」
僕は思う。魅力的な提案ではある契約も、一定のものと引き換えになっているだろう事を。向こうも慈善事業でやってる訳じゃない。ビジネスとして、僕が有益だと感じたから——そう持ちかけているのだ。
「……きっと契約後は忙しくなる。スポンサーたちの意向にも沿った進路選びもしなきゃいけなくなる。そうなると、もう自由に旅を——って訳にもいかなくなるんじゃないかって」
憶測ではあるけど、僕にはそうなる未来が想像できてしまった。そして、その中で僕は、日々を大切に過ごせるかという自問に至る。
——忙しさに奔走するあまり、余裕がなくなる姿が目に浮かんだ。
「勿論、いつかどこかで支援が必要になるかもしれないし、その時になってもまだ契約してくれる企業があるのかはわからない。保証なんてないかもしれないけど……」
僕はここしばらく考えていたことを口にしながら、やはり……あの人が戦う姿を捉えていた。
保証はない——されど、歩みがいよある道を行く、僕の友達を……。
「——僕は色んな景色を見ながらの旅の方が必要だと、結論付けました。だからもうしばらくはこの足で……」
「……そうでしたか」
まだまだヒヨッコの僕なんかの言葉を、黙って、穏やかに受け止めてくれたツツジさんは、満足したように頷いてくれた。
「それでしたら、どうぞ胸を張ってくださいまし。やましいことがないなら、例え一般的に受け入れ難い主張だとしても、自信をお持ちください……今のあなたを見て思いますもの——」
結果は後からついてくる——そう、ツツジさんは言って、背中を押してくれた。僕の願いは、決してユウキさんの模倣ではないと認めてくれたみたいで、嬉しかった。
「ありがとうございます……いやぁ。ホントにジムリーダーはすごいや。なんでもお見通しなんですね」
僕がそう言うと、ツツジさんは視線を逸らしていた。あれ?なんでそんな惚けたみたいな顔をするんです——と、僕が疑問に感じていたら、ツツジさんは急にこんなことを聞いてきた。
「——時にあなた。『シダケ』の生まれですの?」
「へ……?」
そんなことを聞かれるとは——僕は間抜けな返事をしてしまう。な、なんですか急に?
「あぁごめんなさい——ネタバラシをしますと、少し前の道路管理委員会でセンリさんとあなたの話になったんですの。その折に、あなたがシダケに縁があるとおっしゃっていたものですから」
少し困ったように笑うツツジさんが言った。でもそれを聞いて合点がいく——つまり、僕の事情を知っていたのは、意外なことに師匠伝いで聞いていたからなのだ。
師匠が裏でそんなに僕のことを——そう考えて顔が紅潮してしまう。恥ずかしい……。
「それで、どうですの?今もあそこにご親戚はいらっしゃいますか?」
「え、あ、はい……でも生まれってわけじゃないんです。父の生家がそこにあって、今は叔父の一家が暮らしてます」
ざっくりと省いて説明したが、ジムにお世話になる直前で、僕は危うくその親戚の家に預けられそうになった事もあった。
父も母も、仕事の都合でトウカに住んでいたが、心臓が悪い僕にとって都会の喧騒は更なる悪影響を及ぼしていると両親は考えていた。だから。しばらく田舎のシダケに預ける話が持ち上がっていた。
センリ師匠に直談判して、ジム生としてやっていけないか——と日夜頼み込んでいた僕にとっては凶報だった。
その事で父とは少し言い合いになったこともあって、少しギクシャクすることになってしまったが、今は少しでもジムに通わせてくれた恩返しをしたいとも思っている。もちろんいつも僕らの為に世話を焼いてくれた叔父一家にもだ。
「でも、それが何か?」
「いえ……シダケは田舎ですから、プロになったあなたが理由もなく行くこともないと思っていたので……では、近々行かれる用事ありませんか?」
「え……そ、そうですね……」
そんな風に聞かれて、僕はどうだったかと考えながら、ツツジさんの意図が気になった。どうしてそんな事を聞くのだろう?
「——行きますよ。丁度プロ入りしたことを叔父たちにも直にあって報告したかったですし、その先のキンセツにもジムがありますから……でもそれが一体——」
質問に素直に答えると、ツツジさんは「そうですか……」とまた意味深な表情をする。なんだろう?何かまずいのだろうか?
思いつくことがあるとしたら、カナズミとシダケを繋ぐトンネル——『カナシダトンネル』が少し前まで通行不能だった事だ。でも崩落箇所の修復はもう終わったと聞いているし、運行バスも今は復旧しているはず……。
「いえ、少し頼み——あなたに“依頼”をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「“依頼”——⁉︎」
『依頼』——HLC所属のプロトレーナーに、直に仕事を頼む場合に発生する契約の呼び名……とでも言うのか。とにかく、今目の前のジムリーダーから、直々に僕を指名しての仕事の依頼が舞い込んできたというわけだ。一体何故——⁉︎
「これはジムリーダーとしてではなく、一個人、ツツジとしての頼み事です。相応の報酬は約束致しますが、あなたの道のりの邪魔になるというのなら、断ってくださって結構です」
「え、えーっと……?」
流石に天下のジムリーダーに頭を下げられても、いくら個人的にとはいえ断りづらいものがある。何より友達を助けてくれた人だし、今も交友のあるお隣のジム同士の関係だったり……あー!なんでまたそんな大事そうな話を僕に持ちかけてくるんですか⁉︎
「すみません。お話だけでも伺う訳にはいきませんか……?」
とにかく話を聞いてみない事には、引き受けられるかどうかもわからない。ある程度僕の力量を見た上での依頼だとは思うけど、それはあくまで客観的な評価だ。話次第では、期待はずれになる可能性もある。
ツツジさんは良い人だし、できれば協力してあげたい。でもだからこそ、誠意を見せる為には安請け合いをすべきじゃないと思う僕だ。
「ありがとうミツルさん。依頼の内容は何も難しいことではありませんわ。ただ——」
少し歯切れの悪い感じで、ツツジさんはその先を言うのを少し躊躇っているように見えた。
そして、意を決したように続けた。
「——ある少年の様子を見てきて欲しいのです」
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
シダケタウン——。
えんとつ山に続く岩肌の山岳地帯と豊かな森の中間に位置する穏やかな集落が集まってできた田舎町だ。
山から吹き下ろす強風は、手前の山々が受け止めて穏やかな風となって吹き抜けるこの町は、長年ホウエンにいる人間が終の住処として選ぶこともあるんだとか。
父や叔父のお父さん——僕で言うおじいちゃんはそういう理由でシダケに骨を埋め、その生涯を僕が生まれる前に終えたらしい。
そして、今はその長男である叔父の持ち家になっている。
「——ミッちゃ〜ん!プロ入りおめでとぉ〜‼︎」
「わっ!ミチル姉さん‼︎——急に飛び込んできたら危ないよ⁉︎」
僕の久々の来訪に、叔父の一人娘である『ミチル姉さん』が熱い抱擁を交わしてきた。僕が来ることは事前に伝えていたとはいえ、叔父邸の扉に手をかけた次の瞬間には飛び出していた事を考えると……とんでもない嗅覚だ。
「ん〜!ミっちゃんが悪いんだよ⁉︎ジムトレーナーになるって言ったっきり、シダケに全然来てくれなくなったんだもん。はぁー、昔はこーんなに小さかったのに、大きくなったらお姉ちゃんのことなんか忘れちゃうんだ〜」
「あはは、ごめんよ姉さん。でもこうして報告に来たんだから許してよ。みんなのお陰で僕、とっても強く慣れたから♪」
従姉妹であるミチル姉さんは、僕の物心ついた時から可愛がってくれた。体の弱さを考えてくれて、遊びたい盛りでも僕に合わせておとなしい遊びをたくさん教えてくれたのをよく覚えている。
そんな姉同然の彼女には、他にも言わなきゃいけないことがあった。
「あ——聞いたよ!近々結婚するって!おめでとー♪」
それは母伝いに聞いた朗報。ミチル姉さんはしばらく交際関係にあった男性と結ばれることが決まったらしい。
相手はカナシダトンネルの復旧作業に来ていた工場員で、作業の合間に差し入れを姉さんがしていた時に知り合い、関係を深めていったそうだ。
「やーんありがとぉ〜♡ 丁度、その彼が来てるのよ。今お父さんと話してるから——ほらほら、ミっちゃんも早く上がって上がって♪」
そうやって半ば強引に腕を引かれながら、僕は姉さんに連れられて叔父宅の敷居を跨ぐ。こんな感じで、いつも迎えられていたのを思い出しつつ、変わってない雰囲気にホッとする僕だった……。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「——そうかぁ。ミツルくんももう15歳かぁ」
幼い頃に見ていたあのままの茶の間に通された僕は、叔父さんと叔母さん、ミチル姉さんとその婚約者のお兄さんと共に歓談を楽しんでいた。
一通り話し終えたその節目に、叔父さんはそう言って僕の方を見る。
「はい……なんとか適齢のうちに旅に出られてよかったです」
「ハハハ。5年くらい前は、まさか君がここまで期待されるトレーナーになるだなんて思いもしなかったよ——“
その名前が出て、僕は頂いていたお菓子を喉に詰まらせる。
「ゲホゴホッ!ちょ、なんで叔父さんまで知ってるんですか⁉︎」
「何を言ってるんだ。可愛い甥の活躍を見逃すはずがないだろ?」
「嘘ばっかり〜。お父さん、こないだたまたまネットニュースで見かけてひっくり返ってたじゃない。あ、ちなみに私はちゃんとカナズミのオープンリーグに応援行ったから知ってたもんねー」
「そ、そうだったかぁ〜?あ、アハハ!」
「うぅ〜……お願いだからその名前で呼ばないでよー」
叔父さんがミチル姉さんに突っ込まれているのを他所に、僕は紅潮する顔と感情の処理に手一杯になる。でもツツジさんに言われた手前、早くこの呼び名にも慣れないとなぁ。
そんな事を考えていると、台所で昼に食べたであろう食器の片付けを終えた叔母さんから話を振られた。
「——にしても今日はいきなりだったわね。そんなに急ぐ用事でもあったの?」
「あ、うん。ちょっと今回は仕事の用事がありまして。一度顔出しをしとこうと思って立ち寄らせてもらいました」
「えー?じゃあミっちゃん、すぐ行っちゃうの〜?」
僕の話から不満を漏らすミチル姉さん。うーん、確かにそんなに長居するつもりはないけれど……。
「……実はちょっとそれ関係で聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと?」
それは、ツツジさんから頼まれた——少年についてだった。
彼——『シュウ』という名前の10歳の男の子は、ここシダケに片親の母と住んでいるらしい。だけど、その先の情報はあまり教えてもらえなくて、ツツジさんもどこかこの話をするのを渋っているようにも感じた。
その理由はわからないけど、その彼が今どうしているのか——向こうのお母さんには話が通っているというのだが……。
「——という具合で、ツツジさんからは周囲の人の反応も見てきて欲しいって言われてるんです。ご存知ありませんか?」
事の顛末をかいつまんで話すと、皆一同に口を重く閉ざしてしまった。やはり、その男の子には何かあるのだろうか……?
「シュウくん……か。まさかツツジさんとも面識があったとは」
「意外でもないんじゃない?ほら、あの子って……」
「あーそっか。少しのカナズミにいたんだっけ?あの病気にかかってシダケに療養にきたんでしょ?」
叔父さんと叔母さん、ミチル姉さんがそれぞれ話し合っている。そして『病気』という単語が出てきた事で、僕も気が気でなくなってきた。
「あの。その子、どこか悪いんですか?」
「悪いっていうか……うーん」
その質問には歯切れの悪い返答でしか帰ってこなかった。その不自然なほど言い淀むみんなを見ていると、ずっと落ち着いて聞いていたお兄さんが口を開いた。
「ミツルくん。多分そのジムリーダーも、あんまり前情報を言わなかったから俺らに聞いてるんだろ?だったら、やっぱり直接会って話してみた方がいいと思う」
「お兄さん……?」
その瞳は真剣そのものだった。
直に見ればわかる——そんな風にも捉えられる言い草だった。
「大丈夫。そんなに心配しなくても、シュウくんはとても良い子だよ。会って話す分には問題ない。
「……?わ、わかりました」
僕の疑問に答える代わりに、優しく励ましてくれているようで、助けにはなってくれている。でも、やはりどこか含みのある物言いに、引っかかってしまう僕だった。
「——とりあえず!ミツルもお茶したらその子のところに行ったらいいよ!今ならその子は
重苦しい空気を晴らすように、ミチル姉さんが両手を叩いて薦めてくれた。
そこにいる——居場所がわかるってことかな?
「あの、その子って今どこに……?」
その質問には、すぐに返答が返ってきた。
今日がそこが解放される日でもあるからだと、みんなは言う。
「『ポケモンコンテスト』だよ。あの子はコンテストが大好きだからねー♪」
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
ホウエン地方はポケモンコンテスト発祥の地として知られている。その歴史は古く、今もなおこの地方ではバトルに匹敵する人気を誇る興行だ。
シダケはそんなコンテストを行うための会場があり、定期的に行われるポケモンコーディネイターたちの熱い演目が披露されている。
それを見ようと、件のシュウくんはそこに齧り付いているらしい。
「——わぁ!見てよお母さん!あのながぁーいポケモン!すっごく綺麗♪」
「はいはい。あれはミロカロスって言ってね——あっ」
そのイベントが始まる直前、今日のイベントで立ち回るポケモンたちの紹介を興奮気味に見ている少年が、僕の目に映った。そしてその視線が、傍にいたお母さんらしき人と重なった。
「ど、どうも!ジムリーダーツツジさんに依頼されて、この度はお、お世話になるミツルです‼︎」
僕は思いの外早くに出会ってしまった依頼対象のご家族に向かって、緊張気味に挨拶をする。もう少し探すもんだと思っていたので、心の準備ができていなかった。
「どうも……母の『ミユキ』です。こっちが『シュウ』——ほら、ご挨拶なさい」
「お母さんお母さん!今度はおっきくて黒い羽のポケモンが出てきたよ‼︎」
「こらシュウ!ちゃんと挨拶を——」
どうやら僕が来たことなんてどうでもいい——というか眼中にすら入っていないだろうシュウくんは、お母さんの手を引っ張っている。
それは、とても病気の子には見えなかった。
「——あれはオオスバメってポケモンだよ」
「……?お兄ちゃん、誰?」
僕がそっと近付いて、シュウくんに今舞台でその身を見せつけている誇り高いポケモンの名前を教える。すると、シュウくんはやっと僕の存在に気付いてくれた。
「僕はミツル——あ。オオスバメが飛ぶよ」
その黒鳥が羽ばたくと、屋内の会場が湧いた。そして力強く羽ばたいたことで発生した風が、僕とシュウくんのいるところまで届く。
「わぁー!すごいすごぉーい‼︎」
「アハハ!流石オオスバメ。でもこんなもんじゃないんだよー?」
「えぇ……?」
僕が追加して話す内容に、シュウくんは興味津々だった。その輝かせた目に、僕はなるべくわかりやすい言葉を選んで綴る。
「——オオスバメは、どんなに飛んでもなかなか疲れない。真っ直ぐに飛べば、音よりも速く飛べるし、何より目もいいから、きっとあそこからでもシュウくんを見つけられると思うよ」
「えぇー!オオスバメってそんなにすごいのぉー⁉︎」
「うん!あ、また次のポケモンが出てきたよ!」
「わぁー!お兄ちゃん!あれは?あれは⁉︎」
そうして、ロクな説明やら何やらがないまま、僕はそのままシュウくんに出てきたポケモンを解説する。その間、お母さんも何も言わず、ただただ僕らを後ろから見守ってくれていたようだ。
そして……その日はコンテストの一部始終を見る事になった——
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
この日のコンテストも大盛況だった——らしい。
最も僕は今回が初めてのコンテストだったし、都会のもっと上級コンテストともなればもっと凄いのかもしれないけれど……シダケにもこんな熱い場所があったなんて知らなかった。
そして、やはりその熱に当てられた少年が、今もその話で大盛り上がりしている。
「——あの時のミロカロスがねぇ!こうビーーーー!ってビーム出したら、お花みたいな氷が咲いてねー!」
「こらシュウ!いい加減落ち着きなさい!」
コンテストイベントも終わり、僕たちは会場の外、ポケモンたちを遊ばせられるくらいの広場に出ていた。
今し方見てきた事を、1から10まで全部そのまま話すシュウくんを諌めるお母さん。それに不服そうに膨れる頬を見せるシュウくんは、それでも静かになった。
「すみません。この子ったらコンテストになると本当に落ち着きがなくて」
「僕はいいですよ。ポケモンのこと、大好きなんだねー♪」
「うん‼︎」
返事するシュウくんは、本当に元気そうだった。いずれはポケモンコンテストを主軸に活躍する“コーディネイター”でも目指しそうな少年を見て、僕は少し安堵する。
病気だという言葉に、少しだけ過敏になり過ぎていたのかもしれない。当時は酷かったのかもしれないが、今はこのシダケでの生活を経て、少しずつ改善に向かっている途中なのかも。ツツジさんが彼とどういう関係なのかはまだわからないが、あの面倒見のいい人の事だ。きっとその経過を、これまで何度も見にきていたのだろう。
今回僕が来る事になったのは、やはりたまたまという事だ。
「にしても、月に一度の様子見を……なぜ今回はあなたを寄越したんでしょう?」
お母さんはおずおずと僕の方を見て問う。その辺りの説明はされていないようなので、代わりに僕の方から伝える事になった。
「あ。すみません……今回はかなりツツジさんのお仕事関係が多忙を極めているらしく、今月は出向けそうにないとの事で僕が——僕もこのシダケには親戚が居ましたので、久々の里帰りついでに引き受けさせていただきました」
「そうでしたか……ありがとうございます」
お母さんはその説明で納得してくれたのか、静かにその感謝の意を述べる。こう言ってはなんだけど、息子さんと比べるとホントに静かな人だな。
「ねぇねぇ!お兄ちゃんはポケモントレーナーなの⁉︎」
「え!うん。そうだよ♪」
落ち着けと言われたばかりのシュウくんは、もう我慢できなかったのか、今度は興味を僕に向けて話す。それに応じて、僕は手持ちからひとつのボールを取り出して見せた。
「よかったら……見るかい?」
「え!いいのー⁉︎」
またも宝物を見つけたような瞳で見つめてくる彼に応じ、僕はボールから
——ルル〜♪
「わぁ〜!こ、この緑色の子は、なんてお名前なの⁉︎」
「キルリアっていうんだよ。ニックネームはアグロ。よろしくね♪」
アグロに対して興味津々のシュウくんに、今度は触ってみるかと聞くと、既にうずうずしていた彼が、弾けたように頷いた。
そして、恐る恐る……アグロに向かって手を伸ばすと——
——ルルゥ♪
アグロも小さくて細い手を伸ばして、少年の指先に触れた。その瞬間、満開の桜とような笑顔を見せるシュウくん。
「わぁー‼︎本物だぁ‼︎本物のポケモン!!!」
「アハハ。触るのは初めてだったんだね♪ 他にも見るかい?」
「え、他にもいるの⁉︎」
うん——僕は頷いて他のポケモンも見せる。そして、一気に残り3匹のポケモンを出してみせた。
——ロゼッ!——ピュィ〜♪——ニャーン♫
「わ、わぁー!わぁーーー‼︎」
「シュウ、あんまりはしゃぎ過ぎないで——」
「ね、ねぇ!このポケモンは——」
お母さんが少し不安そうにシュウくんに声をかけるが、初めて近くで見るような反応を見せるシュウくんは既にそのうちの1匹であるオペラに近付いていた。
そして——
「ダメ——!!!」
お母さんの、悲痛な叫びがこだました。
それにより、シュウくんは一瞬ビクッとなって、伸ばした腕を引っ込めた。当然僕もポケモンたちも同じように驚いて、お母さんを見る。
お母さんは……どこかしまったという風にハッとして、狼狽えていた。
「……ご、ごめんなさい。いきなり大声を出して」
「い、いえ……もしかして、ポケモンは苦手ですか?」
真っ先に思い浮かんだことを聞いてみる。お母さんは冷静になろうとしているのか、少し間を置いて話してくれた。
「そういう訳じゃないの……ただ、そのロゼリアの——毒が気になって」
「毒……?」
それを聞いて、遅れて僕も気付いた。
確かにロゼリアには毒がある。バトルの上では大活躍する“毒のトゲ”という特性が、我が子に危害を加えないかと危惧したようだ。
これは僕の気配りの足りなさが招いたことだ。せっかくシュウくんのために来たのに、その親御さんにいらない心配をさせてしまった。
「すみません。この子は確かに毒持ちですが、触れ合ったくらいで相手を傷つけないように躾けてあります。でも、怖い……ですよね?本当、申し訳ありませんでした!」
「あぁ……そんな、謝らないで……私も少し、過敏に反応して、ごめんなさい」
僕が深く頭を下げると、お母さんも謝って……なんだか変な空気になってしまった。
いや、それよりも気にしなきゃいけないことがある。
「おかぁ……さん……?」
「あ……」
さっきので驚いてしまったシュウくんが、今にも泣きそうで、消え入りそうな声で母に問いかける。
僕も幼い頃、自分のした事の成否がわからないままに怒られて、涙が込み上げてきたのを覚えている。あれは……悲しいんだよな。
「おかぁ……さん……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「ち、ちがうの!シュウは悪くないの!シュウは……悪く……ッ!」
そう言っているお母さんの方が、今にも泣きそうだった。その様子は少し——いやかなり異常に思えた。
僕は、こんなにも自信がない母親を見たことがなかった。だからか、動揺して……声が出なかった。
シュウくんは大声こそあげなかったが、啜り泣きながらお母さんの胸の中で泣く。その様子を見る限り、本当にお母さんのことが大好きなんだということはわかる。本当に……——
——ル〜ロルラァ〜♪
その歌声は、知らないうちにシュウくんに近付き、彼の頭を撫でているアグロから発せられていた。
あの歌は——彼が僕によく聞かせてくれるものだった。
「……あぐ……ろ……?」
シュウくんはそれに最初は驚いたが、すぐにその音色に耳を傾けていた。優しく……穏やかなその歌は、ストレスで眠れなかったかつての僕を救ってくれた素敵な曲だ。
今回もまた、一人の少年を落ち着けるために一役買っていた。それを僕らは、アグロが歌い終えるまで聞き耳を立てる。それが終わる頃、もうシュウくんもお母さんも……落ち着きを取り戻していた。
「——ありがとうアグロ。今日も素敵だったよ」
——パチパチパチパチ……。
それは、アグロの歌を聴いていたシュウくんとお母さんの、賞賛の拍手だった。
「アグロお歌上手〜♪ねぇ!他にはどんなお歌歌えるの〜?」
——ルルゥ?
「アハハ。アグロ、アンコールだってさ♪」
それきり、もうシュウくんは泣いていたことをまるで忘れたかのようにアグロに歌をせがんでいた。それに僕もお母さんもホッとしたのか、変なため息を同時にする。
「ごめんなさい。本当に……」
「いえいえ!僕の方こそ……いつもポケモンには助けられます」
「そう……ですか……そうですよね」
お母さんはそれでも何か気になる事があるのか、僕にもどこか遠慮しているようだった。でも、その先を聞くことは、今日のところは叶わないらしい。
「——今日はありがとうミツルさん。お陰で息子も楽しめたみたい」
「え、あ、いや……お役に立てたならよかったです♪」
「ええ。今日はもう夕飯ですので……これで」
その言葉で、もうだいぶ暮れてきていることに気付いた僕。そうか、もうそんなに経っていたのか……。
「そうですか……一応、明日も様子を見てくるように言われているので、またこの会場に来ますか?」
「ええ。明日はまたコンテストに観にくると思います。よろしくお願いします」
ツツジさんに言われていたのは、今日と明日の2日間。とりあえず帰ったら今日会ったことを連絡しなければ——そう思っていると、シュウくんはお母さんに腕を引かれていた。
「えー!アグロともっとお話したいよー!」
「ごめんねシュウ。でも、もう時間だから——」
「うー……」
「安心してシュウくん。明日また会えるから」
——ルルゥ♪
そう言って、僕は名残惜しそうにするシュウくんの頭を撫でる。アグロも同じように、彼の背中をさすってくれた。
「……うん。わかった——絶対、明日も遊ぼーね!」
「うん。約束するよ」
——ルルゥ〜♪
こうして、その日の依頼は終わった。
僕にしてみれば、ポケモンが大好きな可愛らしい子供との触れ合いで楽しかったから、これでお金を貰うのはどこか気が引けるんだけど……まぁいいか。
「さて。帰るまではランニングにしようか。みんな行ける?」
その声に、手持ちの4匹共が気合の入った返事で応えてくれた。
今日はロクにトレーニングもできなかったので、叔父の家まで流す事にしたのだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
翌日——。
昨晩はツツジさんに今日のことを連絡しようと思ったが、電話に出られなかったようなので、報告書のような文面を送信しておいた。忙しいというのは、やはり本当のようだ。
「できたら、あの子の具体的な病状とかも教えてもらいたかったんだけどなぁ」
それはきっと叔父さんたちに聞けば、何か話してはくれるんだろう。でも、結局昨日はその事を聞けなかった。
あの子の話題となると、どこか沈んでしまうようで、僕としても楽しい団欒を乱すような話はし辛い。
とはいえ、病気など感じさせないほどの明るさを持つ彼が、どうしてこうも腫れ物扱いにされているのかもわからなかった。その矛盾に違和感を覚えたのは、昨日床に着く前のことだった。
「……やっぱりちゃんと聞いとけばよかったかな。とりあえず、今日も頼まれたようにシュウくんの様子を見ないとな」
——ルルゥ〜♪
そのため息とは対象的に、アグロは楽しそうにしていた。どうやらシュウくんの事がよほどお気に召したらしい。
「歌を褒められたのがそんなに嬉しかったのかい?じゃあ今日も聴いてもらわないとな——あっ!」
そんなやりとりをしながら、コンテスト会場まで足を運ぶ途中で、早くも昨日の少年を僕は見つけた。
お母さんに連れられながら、今日も楽しそうに足を運んでいる。
「おーいシュウくーん!」
僕は少し遠くから呼びかけ、彼の方に駆け足で寄る。
呼ばれたシュウくんが振り返り、こちらを見つめていた。そして、アグロを見つけてパァとまた、あの花咲く笑顔を見せてくれた。
「——わぁー!ポケモンだぁ‼︎」
今思えば……どうして今日も昨日と同じだと思ったのだろう。
どうして今日は何もないと信じたのだろうか。
違和感はそこかしこにあったのに……僕は、彼の言葉を聞いて、その思考を凍てつかせる。
「——お兄ちゃん、誰?」
まるで——初めて会う人のように、少年は僕に語りかけてきた。
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『シュウメイギク』……花言葉は“薄れゆく愛”——。
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