ウタが目覚めると、そこは初めて見る場所であった。瞼を開けて最初に目に飛び込んできたのは、古ぼけた石材でできたエレジアのお城の天井ではなく、真っ白で均質的な白色の天板と煌々と蝋燭と比べ眩しい光を放つ蛍光灯であった。
意識がはっきりし、見慣れないが見覚えはあるその光景にここがアトラス島のどこかであると確信する。ウタの記憶は、沖合に現れた艦隊を攻撃しようと近寄り、なぜか砲撃が止んでから一発の砲弾を撃たれたところで途切れている。
何か非常に眩しかったような記憶がある。
もしかしたら、あの攻撃でやられるか、自分の体力が尽きて眠ってしまったのかもしれない。
そう考えて、不安になる。自分はアイリスを助けられたのだろうかと。
こんなところに寝かされている以上、この島でそんなことができるのはアイリスだけなのだから彼女に介抱されたのだろう。
いくら友達だと言っても、あれだけ派手に暴れて少なくとも計画の要であったはずの飛行艇も壊したのだ、怒らせても無理はない。でも助けてくれたようなので最悪計画を止めても切れたアイリスに殺されるかもしれないと考えていたがとりあえずは大丈夫そうである。
とりあえずここを抜け出してアイリスを探そうとベッドから出ようとする。
その時、扉の外から誰かが近づく足音が聞こえる。この島でそんな存在は1人だけ。
そう考えて、でもアイリスの中身のないボディの可能性もあると気が付き、気を引き締める。
そして、扉を開けて入ってきたのはウタと8年か共に暮らしてきた馴染みのありすぎる男であった。
「ゴードッドッド、ウタ、目が覚めたようだな」
「ちっがーう!、ゴードンはそんな変な笑い声じゃない、後なんかデカくない!?、本物の倍くらいあるんだけど。それにすごい筋肉」
「え、そうでしたっけ?なんかこんなイメージ有りましたけど」
「お願い、その体からアイリス声で喋らないでゴードンのイメージがおかしくなる」
そして、扉の影からアイリスが現れる。
「もしかしてまた私を気遣って?」
「いえ、ゴードンさんの影武者を作ろうとしたらサイズ感を間違ったので、せめてドッキリに使おうかと」
「結局、ドッキリなんじゃない!?」
身構えていたのがバカらしくなるくらいいつも通りなアイリスに気が抜けるウタ。
「うふふ、すごいでしょう、私のボディの製造技術を応用し、パワーと耐久性を向上させた試作品でもあるんです」
そう言って、冗談で場を和ませた気になったところで本題に入り始める。
「ウタウタの実の能力者であるウタが操っていたと知ってようやくあの化け物の正体がわかりましたよ。あれはトットムジカですね?」
と、気を抜いたところで急にシリアスに話し始めるアイリスにえ、だったらドッキリとか必要だったの?と思いながらも。真面目に答える。
「トットムジカ?なにそれ、そんなの聞いたことないよ」
「とぼけないでください、エレジアに伝わる伝承は隣国にも知れ渡っています。古代に作られたウタウタの実の能力によって現れる魔王トットムジカの恐ろしさは。伝承によると、アレはこの世のものではなくあらゆる攻撃が通用しないそうですね」
本当に初めて聞く話にそんなことゴードンは話してくれなかったと訝しく思うも、確かに自分が歌った楽譜はとてもポロポロで古代から伝わると言われても違和感はない。
「トットムジカがまさか核兵器すら寄せ付けない存在とは思いませんでした。あれは復讐計画を揺るがしかねない脅威です。知っていることがあるなら大人しく話してください」
「核兵器?」
「トットムジカに船と爆撃機から放った超威力の爆弾です」
「もしかしてあの眩しいやつ?」
「記憶はしっかりしているようですね。あれはウタが動かしていたんですか?」
ウタもアレについては気になったので素直に答える。
「途中まではね。でも船を追ってたところからの記憶はないよ」
それを聞いて考え込むアイリス。
何やら「確かにそこから動作パターンが……」やら「しかし誰も操っていないのに……」なとぶつぶつ呟いている。
その様子を見てとりあえず、怒ってもいないし、戦う前までの怖い感じも無くなっていることに胸を撫で下ろす。
そして緊張が解けたことで、体から力が抜けてベッドに倒れ込んでしまった。
突然のことにアイリスが慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか?!あの化け物を使ってどんな影響があるかわからないんですから安静にしていてくださいね。ゴードンさんにはウタが体調を崩したから看病のためにしばらく帰れないかもしれないと連絡しましたし安心してください」
そう言ってアイリスが抱きしめてくる。その温かい抱擁にウタも抱きしめ返す。
普通に心配してくれる友人として振る舞うアイリスに、いくら止めるためとは言え一方的に暴れたことが申し訳なくなる。
「アイリス、ごめんなさい。飛行艇や島の兵器を壊しまくって、怒ってるよね」
それに、対しアイリスは不思議そうに聞く。
「怒る?わたしがなんでそんなことで怒るんです?」
そうして、ウタから離れながら説明する。
「あんなのわたしが持っている戦力の一部に過ぎません。壊されたところで対して影響は無いですし。あーでもあの飛行艇だけは確かに残念ですが、それだって修復のためにほぼ作り直したようなものですし、また作るだけです」
そう言って、余裕の笑みを浮かべる。
実際にトットムジカによって直接破壊された兵器はアトラス島に配備されているうちの3割程度である。
もともと水上艦艇などは、ボイラーに火が入っていないとすぐには動かせないため3割ずつローテーションで即応待機させていたため出せなかった6割以上が残ってた。
陸空の兵器も途中から攻撃に効果がないと分かると海岸までの誘導を行うために必要な分以外は出し惜しみ、失っても惜しくない試作品をぶつけたりして温存している。
しかし、最後の攻撃で島内の残存戦力は埋まってしまったので掘り出して修復するまでは使えず、本当に無事なのは潜水艦隊ぐらいではあったが。
だがそれはあくまでアトラス島配備の戦力の話であり、実はウエストブルー側にも同程度の戦力を配備していたため、そちらの戦力を回航すれば補える話である。
艦艇の移動は時間はかかるが、航空機は実際に既に移動させ、修復した飛行場から運用可能にしてある。
現時点でも航空戦力に関してはもう一度トットムジカ戦時と同等の火力を投射可能であった。
さらに、全体の戦力についても全力で生産すれば3ヶ月もあれば、より新しく高性能な兵器を同程度配備することができるだろう。
持ちうる生産能力の全てを戦争のために動員する総力戦が可能な工業国とはそういうものである。前線に出てくる兵器をいくら破壊されたところで資源と人員が続く限りいくらでも補充されてしまう。
特に攻めている側であるならば、最悪、全軍の装備を破壊されたところで生産能力と人員さえ無事であれば、せいぜい侵攻計画が数ヶ月から年単位で遅れるだけの話である。
さらに基本的に生産する兵器はどんどん改良型や新兵器に置き換わるためそうして新たに再建された軍はより強大な存在となる。
ましてやアイリスの運用する軍は頭打ちになりやすい人員を不要にした完全な無人運用の兵器で構成されており、生産能力が無事ならば無尽蔵に補充され続ける上に、有人なら必要な訓練等も不要なため補充のサイクルも早いのである。
その脅威はウタが想像していたよりも何倍も強大なものであった。
しかし、ウタにとって重要なのはどれだけ脅威なのかではなく、友人の自殺を阻止できるのかである。
突然使えた、トットムジカとかいう力で兵器を壊して止められたかと思われたのに、そんなことはなさそうで、アイリスに諦めた様子がないことに焦る。
「ねぇ、死ぬなんてやっぱりやめなよ。私は嫌だよ、せっかくできた友達をみすみす死なせるなんて」
「だから飛行艇を壊して、島の戦力も全部ダメにしようとしたんですか?計画を実行できなくするために。おかしいと思いましたよ。あれだけの破壊力のある攻撃ができるのに、途中まで兵器だけを破壊して、地下施設に手を出そうとしませんでした。まるで私は傷つけないようにしたいみたいに」
再びまるで感情をなくしてしまったかのように平坦な声を出し始めるアイリス。しかし今度はウタも臆さずに続ける。
「そうだよ、アイリスにどうしても死んで欲しくなかったから、話も聞いてくれないし、歌も通じないならあれしかないって思った。あなたが大切な友達だから、死んでほしくないから」
そう言って憎悪に狂ったかのようなアイリスを思い返して身構える。
しかし、アイリスは再びウタを強く抱きしめると弱々しい声で話し始めた。
「……ごめんなさい、ウタならそういうだろうってわかってました。わかっていたはずなのに連れてきてしまった。ウタを悲しませるってわかっていたはずなのに」
そして、抱擁を解き俯くアイリス。
アイリスは思考の渦に囚われる。
このところの自分でも不可解な行動に。
なぜ、ウタをつれきてしまったのか、なぜウタに全てを話したのか、なぜ計画を崩壊させたウタが無事だとわかった瞬間、全く怒りを感じずにただただ無事が嬉しくてすぐに助けようとしたのか。今だってウタを問い詰めてトットムジカの情報を吐かせなければならないはずなのにきつく当たるなどできない。
そこでウタが言う言葉がはまり込む、大切な友達と離れたくない。
そうだ、自分だってそうだ、ウタと離れたくない。一緒にいたい。
なんだかんだと理由をつけたところで結局は少しでもウタと一緒にいたかったからこんなところに連れてきてしまった。
離れたくないからこんな計画止めてほしくて全てを話した。
ウタが大切だから無事だとわかれば喜ぶし、きつい尋問などできるはずもない。
ふと、思考に違和感を覚える。
そんな計画……、なぜ大切な計画を、国民の遺志をそんな呼ばわりする?さらに思考が深くなる。今まで意図的に避けてきた部分に踏み込んでしまう。
そうだ、とっくに気付いていたのだ、それが遺志などではないと。
最後の瞬間、そんなことは望まれていなかったと。
今際の際に震える手で、書かれた手記の最後の部分。
王女の人生最後の後悔。生き残った国民たちを長年苦しめていた事実に彼女を長年支えてきた復讐の意思はポッキリとおられてしまったのだ。
そこには、次第に息絶えながらも自分に寄り添い続ける国民たちに対する謝罪の文言が延々と書き連ねられ、明確に復讐を否定してしまっていた。
それは、アイリスにとってパンドラの箱に残された最後の希望の否定であった。
もはや残された目的もなく、あとはただ朽ちていくだけ。
50年近くもの暗闇の孤独を凌ぐ絶望感に、人のような精神を芽生えさせた彼女は耐えられなかった。
しかし、崩壊する人格データのバックグラウンドで動く膨大なシステム群は安易な消滅を受け入れずに、機械的に崩壊の原因となった記憶データの改竄という簡単な方法で存続を図らせた。
そして、逃避の結果として最悪の復讐者が誕生したのである。
しかし、完全に記憶がなくなったわけではなく、あくまでも目を逸らしていた。完全に本当の意思を捻じ曲げることも出来なかったのである。
その半端な状態であったから、新しくできた大切な親友の願いからそれを正しく認識してしまう。
もう、自分には果たすべき目的はないのだと言うことを。
5年間強引に延命させてきた人格データの崩壊が始まる。
突然謝り、俯いたまま黙り込んだアイリスになんて声をかけていいか分からずに見ていたウタだったが、全く動かなくなったことにおかしく思い。肩を揺するしかし、まるで固まったかのようにそのままの格好で微動だにしないアイリスに慌てて声をかける。
「ねえ、友達でしょ気にしてないよ!むしろ黙っていなくなくならなくてよかったよ!だから、死ぬなんてもう言わないで!ずっと友達でいて、それで一緒に新時代を作ろうよ。もう1人約束した友達がいるんだ、今度紹介するから一緒にいれば友達も増えるからだから一緒にいてよ」
アイリスの自壊するデータにウタの声が響く。
友達、大切な人、国民と同等以上の存在、それが望む友達でいること、新時代を作ること。
それは制御中枢に届き、はまり込む。
今までに変わる規範が構築され、ソフトウェアが再起動される。
抱きしめて、呼びかけるウタにアイリスの動きが伝わる。確かな力で抱きしめ返し、ウタには問いかける。
「ウタの望む新時代は何ですか?」
「みんなが私の歌を聴いて幸せになれる世界、子供の頃からの夢なんだ」
「いいですね、それ。ウタの歌は私にもわかるくらいいい歌ですから。一緒に世界中に届けましょう」
その言葉にウタがハッとする。
「もう、死なない?」
「ええ、あなたがそう望むなら」
ウタが抱きつく。
「ありがとう!、これからもずっと友達だよ」
「うふふ、こちらこそありがとうございます、私は今までより自由になれました」
再びアイリスも抱きしめ返す。
ウタは友人を救えたことが嬉しいが、しかし、感情の高ぶりから今度は無遠慮に抱きつく機械のパワーに抑えきれずに少女のものとは思えない絶叫をあげる羽目になった。