「ん? なんだこれ? 見たことない電伝虫だな?」
ウソップがそれを見つけたのは、単なる偶然だった。
次の島への航海の途中、休憩のために上陸した小さな無人島。その海岸近くの林で見つけたのは数匹の電伝虫。
改造することで相互通信に使用できるこの生物は用途に合わせて複数の種類が存在するが、ウソップの知識にこの電伝虫は存在しない。
「この巻き貝……自前じゃねえな。どっかの研究所で作られたものか?」
形状こそ巻き貝だが、材質が明らかに違うそれは、頭頂部がアンテナのようになっている。少し引っ張ってみると、どうやら伸ばすこともできそうだ。海難事故かなにかで流れ着いたものが、擬似的に野生化したものだろう。
擬似的、というのはその動きが緩慢で、誰が見ても衰弱していることがわかるほどだからだ。放っておけば、近いうちに死んでしまうことだろう。
「ま、なにか使いようがあるかもしれねえし、保護ついでにフランキーに見てもらうか」
どの道好奇心の強い一味のことだ。話をすれば一も二もなく興味を示すことだろう。
――お宝大好きな航海士様が金に変えたがるかもしれない。いや、さすがのナミでも目先の金のためにこんな珍しいものを手放すなんて……うん、多分大丈夫だ。
なんとなく浮かんだ嫌な予感を拭い去りつつ、ウソップはそっと電伝虫たちを抱え込むと、意気揚々と“四皇”麦わらの一味の船、サウザンド・サニー号へと踵を返した。
「こいつぁすげえ! この電伝虫、不特定多数と音声・映像を交信することができるみてえだぜ!」
「それってどうすごいの?」
ウソップが持ち帰った電伝虫を弄り回していたフランキーに首を傾げるのはナミだ。訝しげな文言とは反対に、その目はギラギラと怪しい光を帯びながら件の電伝虫を凝視している。
端的に言えば、金を見る目である。ウソップの頬を汗が流れ落ちたが、気づくものはいない。
しかし、ナミの心中は見た目より冷静であった。実際問題、この電伝虫がどれほどすごいものなのか理解ができていないのだ。
なにせ電伝虫は現状実用化されているものが遠距離複数端末通信を可能としている。個体によっては通信傍受や逆に傍受対策ができるものだってある。そこに来てこの個体はどういう利点があるのか。イマイチピンとこない。それはナミだけでなく、その場に居合わせた一味の大半の感想であった。
「まあ実際、普通に生活する分にはあんまり関係ねえが、例えばマスコミがこいつを使えばインタビューとかビッグニュースの映像を一気にリアルタイムに広めることができるだろうし、救難信号なんかにも使えると思うぞ」
「救難信号! 事故や事件で助かるヤツが増えるってことだな!」
人命を助けることにも繋がりそうだとチョッパーが小さい手足をばたつかせて興奮を露わにする。そんなチョッパーを微笑ましく眺めていたロビンは小さく息をつくと、「けど……」と声を漏らした。
「色々と使い道はありそうだけど、実用化はされなさそうね」
「え、なんでだ?」
「製造元的にはデメリットの方が大きいからよ」
千ベリーの首をかしげるチョッパーに苦笑しながら、麦わらの一味の考古学者は電伝虫の一部を指差す。
人工的に製造された貝殻、その側面には「SSG」の文字が刻まれていた。
SSG――SpecialScienceGroup――、特殊科学班は海軍本部に存在する兵器の開発組織のことである。世界的に有名なドクターベガパンクが所属していると言われているそこは、突き詰めていけば世界政府のための組織とも言える。
「なるほどのう。世界政府にとっては百害あって一理なしじゃのう」
「どういうことだよジンベエ」
「これまでを思い返してみい。世界政府には事実を捻じ曲げたいことがいくつもあった。奴らにとっては不都合な事実をな。それを揉み消す前、世界政府が事を知る前に世界に発信されてみい」
「あー、革命軍みたいな反乱分子をこれ以上に増やしちまうわけか」
「なるほどな。ってことは、こいつらは試作品止まりってことか」
ジンベエとウソップのやり取りを聞いて、ゾロやルフィといった頭をあまり使わないメンバーも納得し始める。どうでもいいが、船長副船長が頭を使わない海賊とは一体……全然どうでも良くない。
「しかし、試作品とは言ってもさすがは海軍製だ。こりゃバッチリ動くぜ」
「なんかますますもったいないわね。適当なところに渡してもすぐ壊されちゃいそうだし」
一番有効活用できそうなのはモルガンズを含めたマスコミや各国首脳だが、一度使ってしまえばすぐさま海軍に潰されてしまうことは想像に難くない。秘密兵器と考えればなくもないが、壊されてしまう前提の運用はあまり考えたくない、というのは一味の総意だった。
「じゃあよ!」
廃棄はしたくない、下手に売るのももったいない。ではどうしようかと各々悩んでいると、それまで床にあぐらをかいてぼーっと話を聞いていた船長が跳ねるように――ゴムだから実際に跳ねたのだが――立ち上がって声を挙げた。
全員の視線が集中する中、いつも通り楽しそうに笑うルフィは宣言するように言葉の続きを言い放った。
「俺たちで使おう!」
…………。
………………。
「はあ? 使おうってどういう……」
一瞬場がしーんっと静まり返ったが、一番に言葉の意味を理解したサンジが聞き返す。しかしそれでもだいぶ混乱しているらしい。口端に加えたタバコが今にも落ちてしまいそうだ。
「それ使えば、知らねえやつと話したりできるんだろ? 面白そうじゃねえか!」
「「「「待て待て待て待て!」」」」
遅れて再起動を果たした面々からも仲の良いツッコミが入る。ゾロも口には出さないまでも顔には呆れがありありと浮かび、ロビンは――いつも通り面白そうにニコニコと笑みを浮かべていた。やだ、この三十歳余裕がありすぎる。
まあ、彼らの反応も当然と言えば当然だ。彼らは海賊、それも今やその頂点の一角とも言える四皇だ。更に掘り下げるなら子分が集結すれば総勢五七〇〇人七〇隻の大船団となり、船長であるモンキー・D・ルフィは世界最悪の犯罪者、モンキー・D・ドラゴンの実子。一味の中にもえげつない肩書、経歴を持つ面々が揃っている。
端的に言えば、一般人からすれば恐怖の象徴、それが彼らなのだ。
そんな海賊からいきなり無差別通信が届くとどうなるか。一瞬でその場は地獄と化すだろう。強襲の予告かと勘違いされるかもしれない。
この海賊王になる男、海賊は悪だと認識している割にその辺の理解が何故か及ばないのだ。まあ、海軍や各国要人にまで友人がいる状況なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
そしてクルーたちは知っている。この船長、一度言い出したら全く聞かないということを。
「……ま、なるようになるだろ」
「ふふふ、ルフィがそう言うならしかたないわ」
次々と説得を諦めていく。
「一体何話せばいいんだ? 薬のこととかすればいいのかなぁ」
「これは美女にお近づきになるチャンスでは……!?」
「美女! いいですねぇ! パンツ見せてもらえるでしょうか」
というよりも、ぶっちゃけクルーたちも興味津々である。むしろルフィからの提案という大義名分が欲しかったのではと思うほどだ。
ここまで来ると一味の良心、元は自身も海賊団の頭であったジンベエは――
「………………ほどほどにするんじゃぞ」
やんわりと苦言を呈することしかできなかった。
こうして、突如として“四皇”麦わらの一味のストリーミング配信活動が始まったのであった。
***
その日、少年はいつものように朝の畑仕事を終え、自室でくつろいでいた。この時間は窓から入り込んでくる風が心地よく、絶好のリラックスタイムだ。仕事の後にこの風に当たりながら読書や親から譲り受けた旧型の電伝虫で友人との会話に華を咲かせるのが、少年にとって密かな楽しみだった。
隣町に住んでいる友人は今日は収穫物を卸に行く日なのでまだ仕事は終わっていないだろう。帰ってくれば向こうからかけてくるだろうなと読みかけの本に手を伸ばし、栞を挟んだページを開く。
「プルプルプルプル…………」
「ん?」
昨日読んだ内容を思い出しつつ文字に目を落とそうとした時――机に置いていた電伝虫が着信音を鳴らし、少年は首を傾げた。
少年にわざわざ通信をかけてくるのは件の友人くらいのものだ。時計を見て、やはり予想した時間よりだいぶ早い。
仕事が思いの外早く終わったのだろうか。それとも何かトラブルで仕事どころじゃなかったとか? 色々な可能性を巡らせながら、そっと巻き貝から受話器を取る。電伝虫の双眸が青白い光を帯びるのを見て、少年は再び首を傾げた。
友人の電伝虫は音声通信しかできないオーソドックスなタイプだったはず。売上で映像電伝虫を購入したのだろうか。
「こないだ金がないって言ってたはずだけど……」
もう少年の頭の中にはクエスチョンマークが溢れかえっていた。しかし、映像が流されている以上、無視するわけにもいかないと無地の壁に映像が映るように調整する。
そうして映ったものを見て――
『えーっと、ウソップ! これ映ってんのか? よ! 俺モンキー・D・ルフィ! 海賊王になる男だ!』
「えええええええええええ!!!」
『『『『ええええええええええ!!!』』』』
疑問符が大爆発を起こした。麦わら帽子に左目の下と胸元のキズ。この二年、何度も目にした姿だ。見間違いなどありえない。
“四皇”麦わら海賊団船長、麦わらのルフィがそこにいた。
『うまく通信できてるみたいだな。……まあ、反応は予想通りだったけど』
『ニッシシ! みんな楽しそうだなぁ!』
『いや、楽しんでるわけじゃねえよ!』
なおも混乱している少年をよそに、画面の外から声と海の皇帝の一角が会話している。背景を見るに船の上、ということは会話相手も海賊団の一員だろう。麦わら海賊団は全員が懸賞金三億超えの化け物たちだ。誰の声であろうと恐ろしい存在に違いない。
混乱しつつも少しずつ溢れ出した恐怖に、彼の身体は震えてきた。
これは一体なんだろうか。今からこの町を襲うぞという犯行声明? それならばなぜ自分のような一町民に? 意味がわからない。なにもわからない。
あり得ない事態に、理解できない事態に震えはどんどん強くなっていく。気を抜けば次の瞬間には涙が溢れ出してしまいそうになっていた。
やがて少年の思考はコレを切るべきか否かに移っていく。こちらから勝手に切れば間違いなく反感を買うだろう。一介の海賊ですら、逆鱗に触れれば町一つ容易に焼け野原にしてしまうのだ。それが四皇、三十億ベリーの男ともなれば島一つ皆殺しにされるかもしれない。
しかし、このまま通信を続ければ少年の心臓が持たないのは自明の理。
切るも地獄、切らぬも地獄。意志薄弱と言うなかれ。一般人が皇の前に意志を示すことなどできないのだ。むしろ決断する前に過呼吸で倒れる方が早そうまである。
『麦わらさん! 麦わらさんじゃないですか!』
今にも意識を失いそうになる中、聞こえてきたのは興奮をまとった声だった。麦わらの画面ではない。ここに来て少年は自分の叫び声に複数の声が被っていたことに思い至った。この通信は自分とのサシではなく、複数の通信相手がいるということらしい。
しかし、あの四皇に「麦わらさん」などと気軽に話しかけるとは一体どんな胆力をしているのだろうか。大海賊だぞ? 皇だぞ? そんなことをすれば、殺されても文句も言えまい。
『お、お前は?』
『サクラ王国の国民です! 二年前はありがとうございました!』
『おー! チョッパーの島の! どんぐりのおっさんと医者のばあさん元気か?』
おや、と。ここでようやく少年の疑問符の海に別の毛色のものが混ざった。
声を挙げたのはサクラ王国の人間。記憶が正しければ二年前まではドラム王国と呼ばれていた冬島にある国のはずだ。その国民が海賊に感謝の言葉を述べ、麦わらのルフィも不快さなどまるで感じさせない笑みで返している。
サクラ王国が麦わら海賊団のナワバリという話を少年は寡聞にして聞いたことがない。そもそもサクラ王国は世界政府加盟国だ。世界政府に守られている以上、海賊に守ってもらうメリットは皆無に等しい。
そのサクラ王国がなぜ感謝をしているのか、少年にはわからない。いや、少年だけでなく、他の通信を受信している人間もわかっていないだろう。
そう、少年が考えていると、別の声も聞こえてきた。
『私はドレスローザ国民です! ちょっと待っててください! 国王に連絡を!』
『ルフィさん! 魚人島にも届いてますよ!』
『ンマー! 突然何かと思ったら、面白そうなことしてるじゃないか』
『ゲェ! アイスバーグのとこに繋がってやがるぜ!?』
次々と四皇へかけられる好意的な言葉。当の本人は手配書で見たまんまの笑顔でそれに反応している。
おいおいおい。少年は流れのおかしさに思わず出そうになった声を舌の上で転がした。
相手は四皇だぞ? 悪人である大海賊だぞ?
それが数は少ないながら複数にこの反応……いやそもそも一つ存在することすら「ありえない」のだ。
なにか裏があるのでは。そうも考えて、少年は頭を振った。
どこにでもいる小僧を騙してなんになるというのか。なんの意味があるというのか。
未だ恐怖はある。疑念だって完全には消えていない。
『シシシ。なんか変な電伝虫見つけてよ。面白そうだから使ってみてんだ。すげえな! 本当に知らないやつにも届いてるみたいだ!』
けれど、この楽しそうな笑顔に惹きつけられる。周りの反応に興味を引かれる。たった二年で四皇という海賊の頂点に食い込んだ男がどんな人間なのか、知りたくなる。
一度溢れ出した好奇心を抑えることは難しい。彼がここ数年でこんなにも興味を持ったことはこれを合わせても“二回”しかない。
そんな稀有な機会を逃すほど、少年の理性は異次元の存在ではなかった。
既に少年はこの“配信”の虜になっていた。
『いやー、コレ面白えな! ……お? わりぃみんな、これから嵐になりそうだからまた今度話そう!』
突然画面から視線を外した麦わらのルフィがそう締めくくると、画面が移動した。映し出されたのは船首側から見た海のようで、遠くに分厚く仄暗い雲が浮かんでいた。嵐とはあれのことなのだろう。
じゃあな、の声を最後に通信が切れる。しばらく間を置いて、彼は大きく息を吐いた。
背中が汗でびっしょりと濡れていて気持ちが悪いのを感じつつ、慌てて電伝虫を操作して呼び出しを行う。
『どうしたんだよ。今丁度帰ってきたところでまだ着替えも――』
「すげえもん見た! すげえよ! UTAと同じことを海賊がやってんだ!」
十数コール後に驚いたように電話に出た友人に、今までずっと抑えてきた興奮を乗せてなんとか言葉を紡いだ。
***
この日を境に、世界は一変する。あり方が変わっていく。止まっていたうねりが動き出す。
そして、彼と彼女の物語も――