手紙を開いただけで問答無用の召喚とは一体どういう事なのか。
この手紙を書いた人間と、この手紙を使って召喚した人間には相手を気遣う心も無いのかと、青年は小一時間ほど話を聞きたくなっていた。
そんなことを思いながらも青年は、自分と同じように落下している男女三人組と共に、上空二万メートルからの落下を体験していた。
急な視界の変化かと思えば落下と、少しも冷静になる時間を与えないシステムはお化け屋敷でお客さんを驚かせることにも似ているだろう。
命の危険度でいえばまさしく段違いであるが。
それはともかくとして、こんな高所からの落下は普通の人間ならば突然の出来事にパニックになるか、落下の最中に耐えきれずに意識を失うか、それとも落下のショックで死ぬか。
だがキーブレード使いである青年は普通ではない。
急な出来事であるが青年の心中は至って冷静である。
具体的に言えば、こんな召喚方法を実行した相手を見つけた時に言うであろう幾つもの嫌みを頭の中で案を出しては、それを言い返されたときの対抗策も考えるほど。
確かにこの上空2万メートルからの高さの落下を、一瞬で行われたのは初めての経験であるが、似たような経験ならこれまでに何度も体験していたし、ただの落下程度ならば寧ろ経験上でいえば優しい方である。
他の無抵抗に落下していく男女三人組とは異なり、すぐさま意識を切り替えた青年はこの状況を打開するための行動へと移す。
体勢を立て直すために両手両足を広げ、下からの風を全身で受け止めながら速度を少し緩めるが、それでも体に降り注ぐ重力による加速を抑えるには及ばない。
故に青年は別の方法を使うことにした。
「エアロ」
本当に僅か、数秒経てば自然に回復する程度ではあるが体から魔力が無くなる代わりに、フワリと落下していくはずの体が下から持ち上げられる。
青年の体を下から体を持ち上げるのは風。
それはシャドウを相手にしていたときに発生させた凶暴な竜巻と比べれば、あまりにも貧弱で小規模な風であるが、人間一人を持ち上げるには十分な威力であった。
しかしそれは周りの、青年と同じように落下していく三人を無視してということを付け加えるが。
吹き続ける風で落下が完全に止まった青年は空中で立つような体勢へと変えると、エアロの魔法は既に消えているにもかかわらず完全に空中で制止していた。
それは飛んでいるというよりも立っているというような。その場で、空中に足場があるかのように悠々としていた。
「良い景色だ。こんな風景を見るのは悪くないな」
青年は何をするでもなくグルリと辺りを見渡していた。
先程までの青年のいた、闇だけの世界とは比べることすら烏滸がましい程に遥かに自然豊かな土地。遠くに見える巨大な滝や広大な森、その他様々であるが、他の世界も回ったことのある経験からしてみても、この世界、箱庭の素晴らしさを青年は一身に受けていた。
久しぶりの、吸い込むだけで全身が喜ぶような澄んだ空気を肺一杯に取り込みながら深呼吸。
別段体に変化があるわけでもないが、精神的には良い効果があるのは間違いない。それだけでもこの世界に来て良かったと、青年は断言することが出来るだろう。
「そういえば他の奴等がいたんだったな。けど別にいいか」
ドボーン!!!と下で大きな水飛沫の音と水の柱。それは眼下へと広がる箱庭の世界へと向けられていた青年の意識を現実へと引き戻すには十分なもの。
だがそれは二万メートルの落下というエネルギーがあったにしては威力が弱すぎた。
落下していった三人の内、二人は生き残れそうであったが、少なくともあと一人の少女の肉体レベルでは、湖に打ち付けられた時の落下の衝撃で肉体はバラバラになっていたはずである。
湖が血で染まっていないためきっと少女は生きているのだろう。そのことに興味を牽かれた青年は、飛行に使っていた魔法を解除すると、三人に遅れて下へと向かって落下する。
「濡れるのはヤダな。地面に着地するか」
だが途中でまっすぐ湖へと向かっていた青年の落下の軌道が変化する。
急にではなく緩やかに、カーブを描いて軌道を変えた青年は、さらに空中で体を半回転させると足と頭の位置を逆転させる。
エアロの魔法で足の裏から風を噴射させることで落下の速度も急激に緩めながら。
「よっと」
そのため先に落下していった他の三人とは違い、青年は湖ではなく地面へと静かに着地する。
意識は既に湖へと向いているが、それは落下していった三人組を助けるためではない。視線は落下していった湖そのものではなく、それよりも上に向けられている。
「成る程な。この世界の魔法ってことか」
透明なため見えずらいが、青年が少し目を凝らせばハッキリと確認できる。湖から空へと向けて、幾つかの層が重なりあうようにしてドーム状に形を成している魔法の集合体が。
それは青年の使っている魔法体型とはまた異なる理論、術式によって発現されている。
役割としては、落下してくるものへの衝撃の緩和という至ってシンプルなもの。ただし一つ一つの層を潜っていく度に少しずつ落下の衝撃を緩和するように調節されている。それはさながら水の蒸留を砂や石などを使ってしていくときに、少しずつ蒸留の為の層を繊細にしていくのと同じよう。
もしこれが一つの層で落下の衝撃を緩和しようとすれば、水に直接叩き付けられるよりはマシかもしれないが、それでも普通の人間程度ならば耐えきれない衝撃がその身に襲い掛かることになる。
「偽装とかは掛かってないけど、知らないものは理解しようがないな」
長々と説明しているが、魔法の効果は予想にしか過ぎない。
自分の知識には無い術式の構造であるため、早々と理解を諦めた青年は、自分の持つ魔法に応用することができるかを考えていた。
人に使うなり何かを受け止めるならば、ただエアロの魔法を使って勢いを弱めるよりも、このように風の層を何回かに分けて使うのが有効そうである。
早い話がエアロの応用である。
術式自体をコピーすることは、青年の学んでいる魔法の術式とは根本的に違うため難しいが、仕組み自体は防御系統の魔法やエアロなど、青年の魔法にも応用しようと思えばできそうである。
そんな風に考えていれば、青年よりも先に落下して湖の中に落ちていった人達が水の中から続々と上がってきた。
「し、信じられないわ! まさか問答無用で引き摺りこんだ挙句、空に放り出すなんて!」
「右に同じだクソッタレ。場合によっちゃその場でゲームオーバーだぜコレ。石の中に呼び出された方がまだ親切だな」
「………いえ、石の中に呼び出されては動けないでしょう?」
「俺は問題ない」
「そう。身勝手ね」
上がってきた男女は各々が思い思いの言葉を話して行動を取っているが、どこかコントのような見てるだけなのに面白さがある。
少なくとも蚊帳の外である青年の目から見てみれば、以前からの知り合いでないことだけは理解できた。かなりコミュニケーション能力が高そうという注力は着くが。
「そこの貴方も、自分一人だけじゃなくて私達のことを助けてくれてもよかったのよ」
先程まで金髪の青年と話していた、お嬢様のような少女は会話のターゲットを青年へと変えた。
ボーッと上がってきた男女三人組を見ていた青年としては、急に自分に矛先が向けられたことに驚いていたが、一人だけ助かった人間がいるならば他の者も助けられたのではないかと考えるのは、そんな不思議なことではない。
黙って自分と猫の水を払っている少女と、もう自分は関係ないと学ランの上を脱いでシャツ一枚になっている金髪の青年。
だが青年からしてみれば、お嬢様的な少女の言葉は不意打ち気味のことであった。
「それは悪かったな。あの程度なら何とかできると思ってたんだが、今度は助けるように覚えておくさ。
代わりとなるかは知らないが、取りあえず体を温める程度はしてやるよ」
少女の言葉には少々刺の含まれるものではあったが、青年はまるっきり気にしていない。
しかし返す言葉に多少の嫌みが混ざっているのは無意識の内。
出会った瞬間殺しに来るような人や、大量の生物に捕食の対象として見られることと比べれば、多少の嫌みを言われることなど可愛いものだ。
「ファイア」
火種も何もない場所に、青年が手をかざすとそこに小さな炎が現れる。
先程のエアロよりも少ない魔力ではあるが、炎が消えないように一定の出力を流し続けることで、炎を継続的に灯す燃料としている。
その炎は不思議なことに地面から五十センチほど浮かんでおり、地面に生えている短めの草には何の影響も及ぼしていない。
もちろん草木を燃料にしても召喚した炎を維持することはできるが、世界を守るために生きるキーブレード使いの青年としては、不必要な犠牲はしたくないという心の現れ。
何よりこの美しい世界を例え一部分、極僅かな草木であったとしても傷付けるのは青年の主義には合わないし、気分も悪い。
「へー、お前は魔法使いか何かってところか」
「当たらずとも遠からず、似たようなものだな」
金髪の青年からの問い掛けに、明確に答えるようなことはせずに返答を返す。
それに対して深く聞いてはこないのか、金髪の青年は何も言うことなく燃え上がる火に手を向けて腰を下ろすと、びしょ濡れになっている服を搾りながら暖を取る。
金髪の青年の言葉もあながち間違いではない。
青年の本来の役目はキーブレード使いであるが、だからといってキーブレードを振り回すことしかできない訳ではない。
先程も使ったように様々な魔法を習得しているし、各世界を回る過程で手に入れたアイテムも自在に扱えるし、様々な武術も習得している。
かつて訪れた世界の一部では、青年はキーブレード使いではなく魔法使いと呼ばれたこともあったため、敢えて否定はしなかったのだ。
「お前、けっこう面白そうな奴だな」
「そうでもないぞ。俺なんて大した取り柄もないような存在さ。この世界の方がよっぽど面白いことはあるだろうよ」
だがそんな青年の横顔を、金髪の青年は心の底から愉しそうにヤハハ!と笑いながら眺めている。
今までの退屈な日常が終わりを告げて、自分が本心で愉しいと思えるものが、この箱庭にはわんさかいるということを本能的に理解しているからなのか。
ともかくその真実は本人にしか分からないこと。
「お前の意見は別にどうでもいいから、今度別の魔法も見してくれよ」
「なんだそりゃ。機会があったらな」
少女二人を置き去りにしながらも、そんな二人の青年の並んで座って話す後ろ姿は、会ったのがこの短い時間とは思えないほどに友人のようにも見えるのであった。