「温まってるのもいいけど、そろそろ自己紹介をしましょうか」
湖に落ちた三人の服もようやく乾いてきた頃に、お嬢様のような少女が話し始めた。
それに猫を撫でていた少女と、青年の魔法について何個もの質問をしていた金髪の青年も会話を止めて、お嬢様のような少女へと視線を向ける。
自分を除いて人数は三人と猫一匹とはいえ、ほぼほぼ初対面の人間達という、仮に人見知りであったならば中々に地獄といえる場面であるが、お嬢様のような少女は一切気にしていない様子。
単純に人の視線に慣れているのか、注目されることが日常だったのか。客観的に可愛らしいといえる容姿と気品漂うお嬢様の雰囲気もあって、そのことについて青年は一人で考えて勝手に納得していた。
他の面子もそうだがまず派手な見た目と、初対面の集まりで自由気ままに振る舞っていることから、まず他人の存在に萎縮するような質ではないだろう。
あまり積極的に関わり合いになりたくないというのが青年の本音である。
しかし自分の力を介さない、他者による別世界への召喚という今回のイレギュラーな出来事は、青年にはそこまで都合がいいものではない。
仮に普段通り、青年が自身の力で世界間を移動する場合はそれぞれの世界の座標を観測しているため、移動先や元いた場所へと帰ることは難しくない。
しかし今回の召喚では、青年は元いた世界の座標は知っているが、今いる世界の座標は全くもって理解していない。
無理矢理にでも回廊を開けば世界間の移動も可能であるが、それは帰り道も分からずに何となくで進んでいくことであるため、元いた闇の世界へと着くのが何時かなど検討もつかない。
そのため自分と同じ境遇という、この状況を変えられるピースである以上、面倒だからと切り捨てる訳にはいかない。
魔力の流れを止めてファイアの火を消すことで、青年もお嬢様の話を聞くことを促した。
「まず間違いないだろうけど一応確認しとくぞ。もしかしてお前達にも変な手紙が?」
「そうだけど、まずはそのオマエって呼び方を訂正して。私は久遠飛鳥よ。以後は気を付けて」
蚊帳の外に徹しているつもりであったが、何故か口の悪い金髪の青年と、若干の苛立ちを見せるお嬢様、飛鳥を見て、青年の気分は更に盛り下がった。
このまま話を聞き続けても、激流川下りの如く青年のテンションは下がっていきそうだが、物事の捉え方は自分次第だと、心を無理矢理に上向きにするため話へと耳を傾ける。
「それで、そこの猫を抱きかかえている貴方は?」
「……春日部耀。以下同文」
「そう。よろしく春日部さん。それで野蛮で凶暴そうなそこの貴方は?」
「高圧的な自己紹介をありがとよ。見たまんま野蛮で凶暴な逆廻十六夜です。粗野で凶悪で快楽主義と三拍子そろった駄目人間なので、用法と用量を守った上で適切な態度で接してくれお嬢様」
「そう。取扱説明書をくれたら考えてあげるわ、十六夜君」
「ハハ、マジかよ。今度作っとくから覚悟しとけ、お嬢様」
最初は面白いかもしれないと心の舵を切ろうと思ったが、やはり面倒だという気持ちが奥底から沸き上がってきていた。
ただの自己紹介で何故そこまで激しい自己主張が必要なのか、名前以外にもっと話せよと、彼等彼女等の感性は青年には理解できないが、突っ込んだらそれはそれで面倒な気がしたので口には出さない。
「それで、さっきの火を出してくれた貴方は?」
この場から立ち上がって逃げ出そうかという考えも浮かんだが、どうやら一手遅かったらしい。
飛鳥の声と共に、周りの視線が自分へと向いていることを肌で感じた青年は、引き釣り気味であった表情筋を稼働させ、いたって普通の表情を装う。
笑顔のポーカーフェイスは得意ではないが、無表情にするのは割と得意という密かな特技のひとつを発揮させながら、青年も自己紹介を行った。
「……俺はグラード、別に呼ばれ方に拘りは無い」
内心で散々言っているくせに、自己紹介は耀と同レベルの簡素なもの。もし先程までの青年の内心を聞いていた者がいれば爆笑間違いなしだろう。
だがそもそも人との関わりなどここ最近無かったため、声がちゃんと出たことに安心しており、グラードは先程までの内容のことなど微塵も考えていなかった。
そんな青年ことグラードの興味の中に、三人の存在は既に無かった。
他への目移りが激しすぎるかもしれないが、それもグラードなキーブレード使いということを加味すれば仕方がないとも思えてしまう。
どうせそう長いこと関わることもないだろうという考えもあるが、それ以上にこの世界、箱庭を色々見てみたいというのが本音だ。
空から落下しているときにも見た豊かな自然、そしてこうして座っている今でも、グラードはこの世界に存在している様々な生命と心を感じることが出来る。
一日、二日歩き回った程度では到底尽きないであろう面白さを秘めた未知なる世界は、キーブレード使いとして数多の世界を渡り歩くグラードの琴線に触れるには十分以上であった。
「で、呼び出されたはいいけどなんで誰もいねぇんだよ。この状況だと、招待状に書かれていた箱庭とかいうものの説明をする人間が現れるもんじゃねぇのか?」
「そうね。何の説明も無ければ、動きようが無いもの」
「……この状況に対して落ち着き過ぎているのもどうかと思うけど」
それはお前もだと、最早息があっている三人の会話のリレーに上手く入り込めなかったグラードは内心で突っ込みを入れる。
右も左もよく分かっていない異世界に、一人ではないとはいえ放り出されたのが現在の状況なのだ。
そこに案内人もいなければ、どう行動すればいいかなど皆目検討も付かない。
と、普通の人間ならば思っていただろう。
「はぁ……仕方ねぇな。こうなったらそこに隠れている奴にでも話を聞くか?」
十六夜は視線を向けずとも、その隠れていると言った方向へと意識を向けているのは、ここにいる他の三人にも明確に伝わった。
「あら? 貴方も気付いていたの?」
「当然、かくれんぼじゃ負け無しだぜ? そっちの猫を抱えている奴も、魔法使いも気付いてたんだろ?」
「風上に立たれたら嫌でもわかる」
「逆に気付かない奴がいるのか、あんな分かりやすい奴を」
「へぇ。やっぱり面白ぇ奴だな、お前ら」
今回は上手く流れに乗れたグラードの言葉もしっかり聞こえたのか、茂みの中で傷ついたかのようにビクリ!と動くウサ耳。
残念ながら十六夜の視線はウサ耳ではなく、お前も同じく獲物であると、暗に示すように獣のような獰猛な眼差しはグラードにも向けられる。
しかしグラードの心は十六夜には向いていない。
「……久しぶりに会ったな。こんな心の奴には」
それは誰にも聞こえないほど小さな声で呟かれた。
散々な言い方をするグラードであるが、気付けたのは長年に渡り戦い続けてきた者として当然であるが、それ以上にウサ耳の少女の心の存在を強く感じていたからだ。
この場にいる他の者には理解できないだろうし、感じることも出来ないであろうため、態々口に出すことはしない。
だがウサ耳の少女の心はある意味で言えば懐かしく、それと同時にグラードの心をキツく締め上げるような痛みを与える優しい光。
何なら地面に着地した時から分かっていた。
かつての仲間達の持っていた光の心と、その少女の心が限りなく似通っているのが、逆にグラードの心に棘を刺す。
一人センチメンタルな気分となっていたが、そんな様子を気にするどころか気付いてすらいない問題児達の行動は、グラードの意識の範疇で勝手に進んでいた。
茂みへと跳び蹴りをかました十六夜に、そこから飛び出したウサ耳の少女を軽やかな身動きで追う耀、そしてカラスの群れを従えた飛鳥。
「ふぎゃあっ!?、お、お三方、お止めくださーい!!」
少女の声でハッとしたのか、グラードはようやく現実へと戻ってきた。
少しの間、感傷的な気分ですっかり自分の内側へと意識を向けてしまったらしく、グラードは周囲の変化についていけていなかった。
少なくとも先程までは、この問題児三人がウサ耳少女の耳を引っ張っているという、中々にカオスな場面ではなかったことだけは間違いない。
「……早く終わってくんねぇか」
懐かしい心の持ち主が目の前で滅茶苦茶に遊ばれているが、どうやらその中に飛び込む勇気は無かったらしい。
密かにウサ耳に多少興味は惹かれたものの、グラードは傍観者として徹することにしたのだった。