「そういや君ら……前から思ってたんだが」
時は二〇〇二年。
冬。
かの騒動の発端そのものは、純丘がうっかり投げた言葉にある。
「俺が帰ってくるのわざわざ待ってないで、フツーに飯作ったらどうだ? キッチン開いてるし、君ら金はあるだろ」
「どうやって?」
我が物顔でベッドを陣取る竜胆に、至って平然と問い返されて、純丘は一瞬沈黙した。
……どうやって……?
犯人隠避罪
怪訝に——そしてどこかおそるおそる——尋ねる。
「家庭科って必修だよな?」
「必修とか関係ないだろ」
なにをか言わんや、そんな口ぶりで、竜胆はベッドから上体を起こした。
ベッドに肘をついた純丘の顔は既に〝ええ……〟と言わんばかり。彼はわりと顔に出る。
「どうせ給食以外わざわざ出ねえし」
「……毎度君らが律儀に教室にいて、俺が捕獲できてた理由、そこか……」
そして彼ら兄弟が、校内では四限の最中、校外ではテスト期間によく問題を起こしていた理由も察した。
目的がもうあからさま。
「むしろよくそれで給食は顔出してたな……というかよくそこまで執着したな」
「外食は不味くねえじゃん」
「君ら、一応は自宅で何かしら出てたと記憶しているんだが……? スーパーの惣菜も文句言わずに食べる舌で、そこまでぼろくそにこき下ろされるご家庭の味、なに?」
「……ゴム?」
「……へえ」
……という部分は純丘は突っ込まなかった。
論じたところで無意味だし、この場合の好奇心はおそらくろくなものを生まない。
なんなら既にろくでもない。
「確認したいんだが猫の手って知ってる?」
「こういうやつ?」
指を——拳を握る意味ではなく——くいと折り畳んでみせる竜胆。
「そこは知ってんのな」
「ああ、合ってんだこれ」
「重症の方向性で予想通りだったわ」
もはや台詞には感心すら籠もっていた。つまり嫌味とほぼ等価。
竜胆はちょっと眉を寄せて、広げた掌をひらひらと振った。
「男ならフツーじゃね?
「俺は親の世話になりたくなくて料理覚えたクチだから平均は知らねえ」
「あ〜ね」
「でも君ら、手料理食べたかったら毎回女のコのとこでタカんの? 深夜に食べたきゃインスタント一択? ダサくね?」
「ア゛?」
煽り方をよく知っている。
純丘は実のところ特にダサいとは思っていないが、選択肢は多い方がマシだろ、が彼の持論。技術も道具も人脈も、正しくなくてもいいから賢く使うべし。あと手間が省けるなら省きたい。
ところで竜胆は(純丘にとって)少々気になる発言をしていた。
ちょっと巻き戻ってもう一度。
〝
ちなみに灰谷兄弟に限っていえば、競争相手がいた方がいつもよりちょこっとやる気出す、というのを純丘は経験則から知っている。
━━━━━━━━━━━━━━
From︰not-stomach_29b@…
To︰肉食ったやつら
Title︰フクブより
━━━━━━━━━━━━━━
タダメシの会開きます
どこぞの兄弟だけと
ほぼ毎日顔合わせて
めし食うの さすがにあきる
ので
兄弟以外の人がほしい
12月31日にやる
来る気あるならメールよこせ
メルアドこれ
not-stomach_29b@…
バイクで来るやつは
どんなバイクかメールに書け
置く場所どうにかする
メンバー増やしたいやつは
メールよこせ
たぶんどうにかする
-End-
━━━━━━━━━━━━━━
「どうにかするしか書いてねえ」
上方からケータイの画面を覗き込んだ竜胆の一言。
「うるせ」
純丘は悪態を返した。カチカチ矢印キーを連打して、上から下まで誤字脱字を確認している。
「てかタダメシの会って半分も合ってねえだろ、要は料理教室の会じゃん」
「うるせ〜だまれ〜」
「罵倒の種類が少ねえな」
「……なんかその罵り方聞いたことあるな……」
ヒントは真夏の夜の看病。ワンシーズン挟んで返ってきたブーメラン。
作成したメーリングリストにはとりあえず、身柄請書に署名した以上最低限の連絡先ぐらいは、と初対面の日に電車内で聞いたアドレスをぶち込んでいる。使ったことないけどたぶん合ってる。灰谷どもあの時なんも言ってなかったし。
概ねそんな感じ。
「てか漢字あんまないけど、また無駄に気ぃ回してね?」
「無駄て……君らは教養自体はあるよな」
「物だけは腐るほどあったから」
「反応に困らァ」
大して困った様子もなく言ちて、純丘はぱちんとケータイを閉じた。送信完了。ついでのように床から立ち上がる。
その拍子、純丘の肩に乗ったボウリング玉ほどの重量がずり落ちた。
ゴン!
「あ」
「ゔっ……!?」
「ごめん」
うたた寝していた蘭は、現在、額の少し上を抑えて目を白黒させていた。ベッドの土台の縁にすこんとぶつけたようだ。
てか、え? こいつやけに静かとは思ってたけどマジで寝てたの? 反射で謝っておきながら、違う意味で純丘は目を丸くする。
驚くより先にやることあるだろ。
「というか、大丈夫か? 吐き気は?」
「……枕が勝手に動くなよな……」
「……どうしよう、このあと君が脳挫傷によるクモ膜下出血とか起こしても、今ならなんの憂いもなく見殺しにできるかもしれん」
もはや単なる脅迫である。
「人殺しじゃん……」
そう言うお前こそ人殺し。
「まさか本物の人殺しに言われるとは……よく見たら涎垂れてんじゃんマジで見殺しにするぞ」
「ア? 被害者二人目になりたいって?」
「やめろよしょうもねえ」
とんだブラックジョークの応酬は、もう片方の人殺しが水を差して終わった。
膝の上で頬杖をついた竜胆は、つまらなそうな顔で、兄と純丘のくだらない会話を眺めていた。
「つかフクブ、出かけんじゃねえの」
「知り合いのとこに……ちなみにタダメシの会の開催地、渋谷でいいか?」
「良くねえけどなんで?」
「……前提として良くねえのかあ」
不良の世界はよく知らないのでシマとかそういう概念もよく知らない純丘、なんとも言えない顔でつぶやいた。
知っていても〝獣の縄張り争いか?〟とか言い出しかねないので、知らないし聞かないし言わないが吉。沈黙は金なり。
「近所迷惑以前に物理的に場所がない。君ら俺がいつも一人で飯作ってるの、キッチンが狭い以外のなにが理由だと思ってたわけ?」
「変な趣味の一環」
「そういう変人」
「口の減らねえや〜つら」
己の意思ではない理由で専業主婦ないし主夫を勤める方々に向けて、この言葉が放たれていたら、諸々問題になっているところだ。
なら元先輩の男子高校生に対してであれば許されるのか——たぶん、また、ちょっと違う。
「第一さすがにここ学校近すぎて、君らとその周辺の子ら集めると噂立ちそう。具体的には俺に授業料が科されそう。対して渋谷なら最低でもバイクの駐輪場は確保するアテがある」
「言いたいことはわかンだけど……?」
ふときゅっと眉を寄せた竜胆が「兄ちゃん」ベッドの上から蘭を呼んだ。
「あー……?」
蘭の声はいつもより幾分間延びしている。しぱしぱと目を瞬かせているあたり、眠気を飛ばそうという努力は見受けられた。
「確か
「入ってっけど……そもそもなんの話?」
「嘘だろ兄ちゃんあの体勢で本気でガチ寝してたワケ……?」
「……なんか悪ィ?」
「ヤ特に……」
寝起きだからか負傷直後ゆえか、謎の機嫌の悪さを発揮する男はさておき。
聞き覚えあるなと首を傾げたのは純丘だ。
「ブラック……あ、黒川くんとこの」
「そうそう」
「老舗旅館暴走族」
「……なんて? ヤいいわ、それイザナには言うなよ」
「そんぐらいの良識はあるが」
口に出してる時点で信用度薄いんだよ、が竜胆の所感だ。
ともあれ彼はケータイの画面を点けてメールを開いて、ちみちみと打ち始める。宛先はイザナ個人。
「さすがに渋谷全域じゃねえから、場所次第だけど。八割方話通せると思うぜ」
「あンがと。……いつもこういうのやんの?」
「毎回はしねーけど、うっかり騒ぎ起こすと後々めんどくせえときとかは」
「へえ」
「興味なさそー」
「うん」
「聞いといてよォ」
不良の世界に詳しくないし詳しくなる気もない純丘は、そのへん丸々竜胆に任せて「なんの話?」「足首を掴むな、引きずろうとするな、地縛霊でももう少し悪霊力低めだろ」「褒めンなよ」「褒めてないが?」眠気と不機嫌が抜けていない蘭と、攻防戦を繰り広げ始めた。
「フクブ〜そういや場所どこ?」
「ちょい待ち」
埒が明かないと判断した純丘、とりあえず座り込んで転倒の危険を回避。足首に絡みつく指を一本ずつ引き剥がしにかかる。
「駐車場候補伝えた方が早いか。住所と店名どっちのがいい?」
「店名? なんかの店?」
「知り合いのバイク屋……渋谷の三階建てビル、クソボロ廃墟わかる?」
三本ほど剥がしたところで、飽きたのか、蘭はあっさり手を離してあくびをこぼした。くしゃみもこぼすその鼻面にティッシュの箱がヒット。
「ッテ……っくしゅ、」
「絞り込めねーよさすがに」
「金網裂けててシャッター割れてて心霊スポット扱いされてるやつ」
「……オレオレ詐欺やってる半グレの拠点の?」
「初耳過ぎて判断できねえ……」
「くしっ……アレもう夜逃げしたぜ」
「アそうなんだ」
「……同一の建物ならその斜向かい」
言いながら純丘は、鞄をひっくり返して筆箱を取り出し、ティッシュの箱にボールペンを走らせた。
手近な紙を引っ張り出す手間を毎回惜しむので、ティッシュを使い切って箱ごと捨てる頃には、その外壁は毎回字で埋め尽くされている。
「店名は〝S.S.Motor〟綴りこれな」
「ふェ、っくしょん!」
「君さっきからいつにも増して様子おかしいけど実は風邪ひいてたりしねえ?」
「兄ちゃんがいつも様子おかしいとか事実言うのやめろよ」
「どっちも殺すぞ」
脅し文句も直後に「っくえっしょん!」とくしゃみが響けばさすがに締まらない。
「良いから早く鼻かめよ兄貴」
「知り合いに鼻かむのめちゃくちゃ下手なのいるけど、蘭もその類か?」
「それは竜胆」
「まじか」
「嘘つくな」
「ハハハ」
「しょうもない嘘だな。……そういや蘭は料理スキルどんぐらい?」
ふと振られた問いに、ティッシュで丁寧に鼻をかんでから、蘭も答えた。
「包丁は持てっけど」
「……順手?」
「逆手」
「殺人スキルの話は今してないからな」
「順手かどうか聞いてきた時点で期待してたろ〜?」
「……このボールペン包丁持つみたいに持ってみ?」
差し出されたボールペンをしばらく見つめて、蘭はにっこり笑んだ。
「信じることって良いことだよな」
「君俺のこと信じたことある? ……ア〜その手を下ろせ、さっきから話してたのはな、どうせなら料理できるようになっとこうなってことで——聞いてきたの君の方だろ」
「そンで答えなかったのお前の方だろ、時間切れでーす」
ぐりぐりとこめかみを抉ってくる蘭を、躍起になって引き剥がそうとする純丘。
さっきもそンなンやってなかった? そんな顔つきで眺めていた竜胆の掌中、ケータイが受信音を立てた。
指先だけで器用にぱちりと開けたところで、彼は「アレ」目を瞬かせた。
「メール、もう返ってきた……?」
「鶴蝶に送ったのか?」
思わず、といったふうに蘭が問い返す。その際うっかり力が抜けたので、純丘は蘭の手首をまとめて片腕でローテーブルに押し付けた。
「わざわざアド入れねーよ、どうせイザナとセットだし……まず鶴蝶、あいつケータイ持ってた?」
「知らね」
答えると同時、鳩尾を狙って爪先を蹴り上げる蘭。キックは防御されたものの、緩んだ拘束からは抜け出した。
「我らが大将の返信が一週間どころか十分も経ってないとか、槍でも降るかもな」
「真夏日かも」
「メール一週間溜め込むのはそこそこキツくね」
蹴りをガードした腕を、純丘はぷらぷらと揺らしている。無理な体勢から防御したせいで若干痺れたようだ。
「最短な。いつもは半月」
「読むのは届いてすぐっぽいんだけどなー」
「……もはや直に会った方が早そうだな」
イザナが筆無精なことがよくわかる一幕だ。……あるいは灰谷兄弟限定の対応かもしれない。
「で、天変地異の前触れはなんて?」
「あー……」
本文をすでに確認していた竜胆は、妙な顔をして首をひねる。あぐらを崩して伸ばした足が純丘の背中を突いた。
「蹴んな」
「なあフクブ、佐野真一郎って知らねえよな?」
当然、純丘は少し首を傾げた。
「知ってるけど」
全然知り合い以前に、なんならさっきまで話題の渦中にあったS.S.Motorの店主こそが佐野真一郎だ。
「エなんで知ってんの」
なんでとはなんだ。眉を寄せる純丘。
「……俺が知ってる事実だけで〝なんで〟とか言われる相手ではないと思うから、別人かも」
「確かに、そんな珍しい名前じゃないしな……」
「……フクブの知ってる佐野真一郎って今何歳?」
「今……二十二だか二十三? 成人はしてる」
「……そいつ渋谷住んでたことあるとか、あとグレたことあるとか、聞いたことねえ?」
竜胆からバトンタッチ、蘭が投げた問いかけ二つに、純丘はしばし沈黙した。
今も昔も渋谷住まいかつ不良の過去があるタイプの佐野真一郎を純丘はよくよく知っている。
そして佐野真一郎と知己だと告げた純丘に〝なんで〟と問うた——あの灰谷兄弟が。
「……心当たりがありすぎて詳細を聞きたくないんだが」
「俺らの世界で佐野真一郎って言えば
「無視か……え、老舗旅館暴走族創設者?」
「それマジでマジに他ンとこで言うなよ。初代でも佐野真一郎は特に、あちこちにまだ現役の信者いるから下手すると殺されんぞ」
「彼、今普通のバイク屋だぜ……?」
「……まさか駐車場のアテの? 駐車場のアテに使われる
そう言われるとまるで大惨事のようだ。
そして大惨事のようだもなにも、実際大惨事だ。
「そも、黒川くんはどういう用件なんだ?」
自分だけ言われるのもなんなので、純丘は矛先をすり替えてみた。
気になっていたのも間違いない。
「普通に、初代と知り合いなのかって、ただの確認?」
「……あいつそんなキャラじゃないと思う」
「……じゃあなんだよ」
そのタイミングで竜胆のケータイが再びメールの受信音を鳴らしたので全員が黙った。
心底嫌そうな顔をした竜胆が、渋々メールを開く。
「……真一郎に頼まれたのかって聞かれてんだけど」
「……君らの世界詳しくないけど、目上呼び捨てって許されなかった気がするの気のせいか? これチーム以外に確実になんかあるよな?」
「ちなみに頼まれた?」
「ンなわけ、第一あっちは俺と黒川くんが知人だとも知らないが。え、駐車場別ンとこにした方がいい……?」
「そこではねえだろ」
この期に及んで料理教室自体は開催する気満々なのが、そういうところ。
プルル、ガチャッ
「もしも」
『部長なんかあった?』
「し……部長ではねえんよ。君は佐野家次男さんかね」
『合ってるけどなにその言い方』
「たまには変えてみようと思った。……まだ名乗ってもないのに、よく俺だってわかったな」
『バンゴーそうじゃん?』
「電話取るまでワンコールだったのに、本当によくわかったな……真一郎さんいるか? いたら呼んでほしいんだけど」
『ちょっと待って〜』
シンイチロー! 部長から電話ァ!
「だから部長ではねえんよ」
りょーかーい!
「浸透してやがる……」
『よお榎』
「真一郎さんで合ってますよね?」
『合ってる合ってる。かけてくんのは珍しいよな? どうした? ……俺また月謝払い忘れた!?』
「ヤ、月謝はまだです、正直世話になりすぎてるんで払い忘れてもいいです。まず仕事関連ではないです。別件」
『な、ならよかった……? ……別件?」
「……あー、なんて言えばいいすかね……」
『おー……?』
「……心当たりなかったらいいんですけど」
『ん』
「真一郎さんて、黒川イザナって名前に心当たりあります?」
『っは、おま、イザナと会ったのか!? あいつ今どこ、いやまず榎はなんで』
「知ってんすね。あざっす。とりあえず切りまーす」
『オイちょっ』
ピッ パタン
「……裏取りが取れてしまったナ」
「フクブですら佐野真一郎に世話になってんの? マジ?」
「つか佐野真一郎って次男いるんだ。息子? 弟? 名前は? 明らかに俺らに伏せたろさっき」
「そもどんな関係? 月謝って言ってたよな」
「自分で調べれ」
「ケチくせ」
「というかそれこそ黒川くんに聞け」
「教えてくれるわけ……」
「てか
「聞いてる感じ明らかにそうだな。やらないが」
「フクブ、ケータイ貸してみ?」
「この流れで素直に貸すのはさすがに危機感が死んでるだろッ言ったそばから……!」
「と〜りっ」
「兄ちゃんこっちパス」
「二人とも、怒るぞ」
「怖ァ〜——……」
「……あー……」
「一度だけ言うが」
「……。なに?」
「返してくれないか」
「……」
「ご返却ありがとう」
「……べつに……」
「どーもォ……」
「飯食べようか。今日は作り置きだからレンチンしてくるわ」
「ウン……」
家庭科
:一九九四年から小中高一律男女共修
ゴム
:ジョーク
アドレス
:Q・なんでケータイ持ってんの?
A・「「オヤ」」
「正直君らは知ってた」
A・「パクった」「俺もス」
「ヨシ、聞かなかったことにする」
A・「バイト」
「(……新聞配達だと思っとくか)えらいな」
A・「俺は持ってないです」
「まあ、小学生はそんなもんだろ」
A・「し……人、から、貰っ……た」
「(渋い顔……)」
ボウリング玉
:十二ポンドぐらい?
老舗旅館暴走族
:前作参照
もう夜逃げしたぜ
:初代総長の周りにそんな集団を置いてると安心できない誰かの(誰かの!)仕業
月謝
:払い忘れ、意外と、ある
:まだ通じるかな
家にある固定電話の番号