佐野真一郎はその生き様により、何人もの人々を惹きつけた。中には本当に救われた人間もいただろう。少なくとも乾青宗などはその筆頭だった。
この夢物語においては、たとえば、純丘榎もそうだった。
同時に、佐野真一郎は人間だった。善人だったが、それだけではなかった。
たとえば、倫理や法律に反した行動を取ることもあった。無免許でバイクを駆り、コミュニケーションと称して殴り合った。
たとえば、ある選択の果てには。
弟の治療のため、介護のため、バイク屋の夢を捨て、希望が見えればなにをもつぎ込んだ。自分の身だけではなく、家の金まで使い込んだ。
彼の祖父は様々な要因により、命を落とした。治療さえできていればあるいは生きていたのかもしれない。彼の妹は家出をした。行方はわからなかった。すくなくとも彼自身は知らなかった。
佐野真一郎は人を殺した。
そういう選択を取ることも、あった。
たとえば。
たとえばかつての話だ。
〝オマエは俺たちをナメている〟
〝嘗めてるとか、関係あるか?〟
〝あるな。殺しが好きかどうかは、人を殺せるかどうかに関係ない〟
あるいはいつかの話だ。
〝
〝わかってる〟
〝オマエにとっちゃあいつは恩人なのかもしれねえが、あいつはどうせ深いことなんざ考えてねえよ。オマエがなにしたところで責任も取らねえ。もう死んでるしな〟
人の本性とはなんだろうか。日頃から〝皆〟に取る態度を指すだろうか。
それでは、日常的には周囲に愛想よく振る舞いながら、家庭内で暴力を振るう人間は、善人と定義されるのだろうか。
人の本性とはなんだろうか。追い詰められたときに露呈するものだろうか。
それでは、日頃から心無い言葉を投げつけられ、暴力を振るわれ、優しさを搾取されてきた人間が、他人に手を差し伸べられなくなった場合、悪人と定義されるのだろうか。
人の本性とはなんだろうか。
〝ただの一側面だけでは断言できない〟が答えだろうか。
しかし誰もが誰もに自己を開示するだろうか。詳らかになにもかもを提示するだろうか。
あなたの年齢は? ご出身は? 生い立ちは? 好き嫌いは? ご趣味はなにを? 普段はなにをされていますか? 友人は何人いらっしゃいますか? 昨日はなにをされましたか? 無人島にはなにを持っていきますか? あなたの人生でもっとも幸せだった瞬間は? トラウマはありますか? 具体的にはどのような?
殺したいほど憎らしい人はいますか?
すべてを擲ってでも救いたい人はいますか?
とうに紡がれた夢物語
【クリスマスの俺へ】
二〇〇五年のことである。
具体的には、十二月二十五日。タイムリープによる改変の果て、純丘が命を落とさなかった日のことだ。過去が分岐して、ある未来が破棄された日のことだ。
「なんだこれ」
純丘榎はアドレス帳を開いて、テレビ局の伝手、もとい以前依頼を受けた何某に連絡を取ろうとしていたところだった。
彼は日頃の行いに加えて、小金稼ぎがてら便利屋もどきを行なっていたため、恩を売って顔を広めた範囲が幅広い。うち必要な人員を何人か押さえて、然るべき内容を伝達する。あとは勝手に広まるだけ——
つまり、実弟の目論見を丸ごと打ち砕こうとしていた。
そんな折である。
該当のアドレスの備考欄には奇妙な文章が記されていた。普段の純丘ならばこの欄には、登録相手に対して、気をつかうべき細かな点が記載されている。
例を挙げるなら竜胆の備考欄にはシャキシャキの玉ねぎを避けるように書いてあり、蘭であれば煮込まれすぎたにんじんは用いないようにと書いてある。
連絡前に一応目を通そうとして、純丘は眉をひそめた。
本来最終行であるべき文のすぐ下、妙な文章が続いていた。
【
クリスマスの俺へ
なお、このメモを閲覧したタイミングがクリスマスでなければ、読まなくともよい。
】
「クリスマスだが……」
純丘は、細かいところは抜けがちだが、記憶力が良い方に分類される。しかし彼にはこのようなメモを書いた記憶はなかった。
加えて彼は、ケータイには普段からパスワードをかけている。アドレス帳に登録された相手がとんでもない素性だったりしたりしなかったりするため、登録名をぱっと見わからないものにすることはもちろん、そもそも流出しないように気をつかう。
寝ぼけた際に打ったにしては文章がしっかりしている。
灰谷兄弟の悪戯かとも勘繰ったが、彼らは天竺が創立したのち、純丘と面と向かって会うどころか、連絡を取ることもなかった。悪戯を仕込むタイミングがない。
【
寺野南の打診は受けても受けなくても良い。
日本を出るならば、明司武臣、今牛若狭、荒師慶三のうち誰か1人は巻き込むこと。
2008年の間は、天竺との連絡を途切れさせないこと。
2008年の日本には特に気を配ること。
手帳を持ち歩くこと。日々の動向を詳らかに書いておくこと。
花垣武道を殺すか、あるいは、握手をすること。
すべてを理解した暁には墓参りに行くこと。
弔いをすること。
罰を受けること。
】
覚えのない文章はそこで終わっていた。
備考欄の制限文字数は三百文字程度であり、そのほとんどを使い切っていた。
——……怪文書?
純丘のはじめの感想はそれだった。
順当な感想である。なんなら脅迫や犯行予告を含んでいる気がする。気がするどころではなく殺害だの罰を受けるだのと不穏な情報が並んでいる。
インターネットミームに脳を冒されていれば厨二病という単語も思い浮かんだかもしれないが、純丘は家電を直すことはできても高機能コンピュータには疎かった。ましてや電子の海なんぞにはほとんど触れたことがない。触れたこと自体はあったが、よくわからないイルカが全く見当違いの答えを返してくるので諦めた。お前を消す方法だけは知っていたのはそういうわけである。
しかしただ怪文書と呼ぶにはあまりに奇妙な内容で、奇妙な状況だった。
少なくとも、二〇〇八年よりは前に読むことを想定しているだろう。加えて【クリスマスの俺へ】——クリスマスに読む可能性が高いと想定している。
純丘がアドレス帳のこの項目を開いたのは〝稀咲鉄太〟がしでかした事態に収拾をつけるためだ。勝手にケリをつけてしまうためだ。誤った情報を広めて、弟が為した実績と悪事を丸ごと貶めてしまうためだ。
普通の、ただの年中行事としてのクリスマスに、あえて開く連絡先ではない。
しばらく彼は眉をひそめて、考えていた。
やがて首を横に振った。心当たりも思い当たることもなかったからだ。
アドレス帳の相手に連絡を取った。昔馴染や場地にも連絡を入れた。
文章自体は削除しなかった。奇妙なストーカー等であれば証拠として保全するべきだと考えた。
そのおよそ三十分後。
「よォ、純丘。ダチが来てやったぜ」
「なんでだ」
寺野の申し出を請けたのち。
寺野が病室から退去したのち。
純丘は、もう一度ケータイを開いた。アドレス帳の該当の項目を確認して、すべて暗記、加えて、同じ文をノートに書き写した。それからアドレス帳の内容を破棄した。
同じ文は、何度か書き写され、今は手帳に眠っている。
問。
純丘榎は何故タイムリープを信じたのか?
何故、現実から程遠い事柄、概念、夢物語じみたその真偽を検証する必要があると考えたのか?
明司武臣が又聞きした与太話は、所詮はただの与太話だ。直接聞いたわけでもなく、きわめてあやふやなものだった。
花垣武道の言動は確かに怪しかったが、怪しさに加えて実績がある稀咲鉄太ほどでもない。会話が噛み合わないことはあっても決定打には乏しかった。
……稀咲ではなくなった男、鉄太が行なった推測は、正解に近しいところに迫っていた。
この未来は、現在は、既に手入れされている。
もちろん佐野真一郎の原罪と救済があり、花垣武道や彼の周囲の奮闘があった。
その上で行われたタイムリープがあった。
「——経緯としては、この通り」
前提条件となる出来事、個人的に気づいたいくつかの事実、そこから立てた推測。
すべて長々と語ったのち「最終的な目的は、万次郎にとりついた〝呪い〟の解決だ」純丘は結論を述べた。
「ただ、タイムリープの存在を認めて引き継いだ現状でも、俺には疑問が複数残っている」
説明の間に彼らは場所を移していた。ギャングが使うにしては正直似つかわしくない、普遍的なワンボックスカーだ。トヨタ製。
運転手は純丘、助手席には明司、後部座席は寺野ひとりで占領している……それでも彼は狭いと不満げだった。生まれる体格は選べない。大は小を兼ねるとは言うがスペースが限られているとそうもいかない。
「といっても、これらはタイムリープが終われば自ずと明かされるかもしれないが。とりあえず、現状解決困難な疑問三点に絞ろうか」
「……ぎ、疑問どころじゃねえだろ」
「ひとつめ。タイムリープの時期だ」
「薄々思ってたけどよ。話聞く気、ないな?」
純丘のハンドル捌きはよどみなく、口調もよどみない。
ちなみに彼はかつては確かに普通車免許を持っていたが、十二年の海外生活の間に失効しており、現在無免許である。
もちろんのこと、無免許運転は犯罪です。悪しからず。
銃刀法を冒している時点で今更だが。
「花垣くんや真一郎さんのタイムリープ例は、数年から十数年といった間隔の差異はあるが、いずれも月日はキッカリ、同じ日付に飛んでいる」
「マジで聞く気ねえな?」
「諦めろよアカシ」
「先程の拳銃の件で、俺のタイムリープの起点は今日だと確信したが、だとすれば実弾を入れ替えた日とは日付が合わない。俺が十二年近くタイムリープを繰り返している可能性や、未だ解明できていない法則がある可能性も否めないが、だとすればぞっとしない話だ」
明司は嘆息して、背もたれに寄りかかった。この調子では本当に聞く気がない。
わかりやすいな、内心彼はぼやいた。
純丘が饒舌になるのは、疲れているときや、不安をねじ伏せるときだ。
「ふたつめはトリガーだ」
純丘は言葉を続けた。
「俺の記憶にない〝弾丸を入れ替えていた俺〟を踏まえれば、俺は既に一度以上のタイムリープを繰り返している、と推測できる。片道切符ならばまだしも……今この場にいる俺は、タイムリープを経験した記憶はまだない。つまり、過去と未来を行き来する手段を持ち合わせている。トリガーとやらが、いる」
ドッペルゲンガーは互いを認識すると七日以内に死ぬ、などという都市伝説がふと明司の頭を過ぎった。
明司は横目で純丘を見遣り、そして鼻を鳴らした。
タイムトラベルが立証され、タイムリープなんぞが本当に実在するとわかった以上、ドッペルゲンガーがいてもおかしくはないが。
少なくともこの男は全く死にそうにない。
「花垣くんでいう橘直人くん、真一郎さんでいう三途くん、その以前のタイムリーパーが失った誰か、そういった対象がいたか、いるはずだ。とはいえ今しがたの反応だのを考えると、少なくとも君らではないご様子だ」
「ッたりめェだ」
「俺も心当たりはねえな。そんなん楽しくてしゃあねえに決まってんのに」
「オマエは本当にな……」
「だったら誰だ?」
疑問形でありながら、純丘はべつに答えを期待しているわけではない。話してアウトプットすることで思考を整理しているふしがある。
つまり説明すると言いながらやっていることはただの壁打ちである。
コイツホントこういうところだよな、とは明司と寺野の総意だ。寺野は面白がっていて明司は普通に辟易しているあたりが彼らの性格の違いでもある。
「現状、確実にタイムリープ中の俺だった、と断言できるポイントが〝弾丸を入れ替えた〟というタイミングなのが問題だ。日本じゃなくブラジルだぞ。言うのもなんだが、ブラジルに滞在してるか住んでる知り合いでタイムリープを信じてくれそうなやつなんぞ、俺にはいない。目的が共有できる相手なんぞ尚更だ」
「あのバケモノは? オマエの上位互換の」
「師匠のことか? あの人にそんなもん持ちかけてみろ、ギャングチームごと叩きのめされるのがオチだ。根拠さえあれば超能力を信じるだけの柔軟さはあっても、それで自らをコントロールされることは嫌う」
「怖すぎるだろあいつなんなんだよマジで」
言いながらも明司はなんとなく思考を巡らせてみた。
たしかに純丘は取引先はおろか、所属しているギャング組織内でも、誰かに深入りしないよう、気を配る素振りを見せている。幹部三人はさすがに多少の気心は知れているが——そうでもなければタイムリープのことすら話すことはなかっただろう——明司から見て、天竺の方がよほど心を許されている。
親しい人間に情を移しやすい人間なのは端々から察せられる。リスク管理の一環だろう。
全く馬鹿だなとは思うが、明司が言ったところで苛烈に百倍返しされて終わる。深入りするしない以前に純丘は明司にはシンプルに当たりが強い。なんでだよ。
……なんでだよとは思うが、明司としても心当たりはいろいろある。
「みっつめ。タイムリープしたと思われる俺が書いた文章、その最後だ。罰はまァ、犯罪行為を生業にしてしまった身として潔く受けよう。もとより俺は善良な一般市民なんでな」
「大法螺こいてんじゃねえぞ」
「けど、墓参りってのはどういうことだ?」
さすがに突っ込んだもののやはりこれもスルーされた。
「弔いってなんだ? 真一郎さんのことか? それとも他の誰かか? 誰かだとして、誰だ? 俺はてっきり万作さんかと勘繰っていたモンだが、これは外れだった。万作さんがまだ死にそうにないこと自体は喜ばしいけどな。今現在、心当たりがてんでない」
赤信号である。
二、三台の車が並んでいるその最後尾に、彼らが乗車するワンボックスカーもついた。
「……だからあいつの墓に行くとか言い出したわけか?」
横断歩道を渡る人々をなんとはなしに眺めて——なんか犬五頭ぐらいリードつけて連れ歩いてるやついるな、ブリーダーか?——明司は尋ねた。
とはいえ彼もまた、問いかけのかたちこそしていたが、どうせ耳に入らないだろうと思ったうえでの発言だった。
明司の予想に反して、純丘は刹那沈黙した。
答えを一瞬思案したからだ。
「……その意図もあるが、別件でもある」
信号は未だ赤く、ワンボックスカーの後ろにも車が列を為していく。
「今更だが」
純丘は努めて明るい口調を心がけて、言った。
「べつに君たちが付き添う必要はないんだぜ?」
「誰のせいでセーフハウスがゼンブ警察に張られてセーフじゃなくなったと思ってんだ……?」
「俺かな」
「俺もだな」
「チクショウ寺野はまだしも絶対ェ俺が手配されてんのは不条理だろ。どうかしてる。主犯が免れてんのもマジでどうかしてる」
呑気な最年少と悪びれない最大の主犯、ブラジルギャング幹部最年長は頭を抱えた。首脳陣ってこんなんでいいんだ。
ごめんなと純丘もちょっとぐらいは思った。ちょっとちょっと、ほんのちょっと。三ミリくらいだな。
「あークソ……まァ、予想はできる。純丘、オマエは本当に極端だからな」
ともあれ、長らく付き合いを続けてきただけはある。明司はすぐに開き直った。
ジャケットの内側に手を差し込んで、煙草とライターを取り出した。同乗者に無許可で煙草に火を点ける。明司武臣そういうところ。
そういやマリファナ忘れてきたな……と寺野は残念に思った。喫煙感覚でマリファナを吸われてたまるか。
「いろいろとつらつらと、御託と疑問を並べたけどな。俺がイチバン疑問なのはオマエのご大層な理屈じゃねえぜ——オマエがタイムリープをしてる、っつうわりには、この未来はずいぶん
明司が息を吐き出せば、紫煙が車内に充満した。
純丘は顔をしかめたが、拒絶はしなかった。
「オマエは頭が良い。本当にな。十二年見てきて、特に、人間の心まで計算して、算段を立てる能力は間違いなく本物だ。身に沁みたぜ。呪いとやらを抑え込んだんだか消し去ったんだか知らねえが、オマエの推理とやらが当たってんなら、無力化には成功してんだろ」
純丘榎より頭が良い人間などいくらでもいる。
純丘榎より秀でた人間も、もちろんいくらでもいる。
とはいえそれでも、彼自身が人間の平均値より秀でているのは間違いなかった。
かつての大学受験の戦歴が示していたように。彼の弟が——いつかの未来では、日本の巨悪として君臨するはずだった男が——用意周到に計略を張り巡らせたように。その用意周到な計略すら、根っこからひっくり返して粉微塵にしたように。
実績が証明している。
「だったら、テメエの弟がやらかした件をそっくりそのままなかったことにして……どころか、場合によっちゃ、
信号が青に変わった。
車たちが続々と走り出すのを見ながら、純丘もまたアクセルを踏む。返すべき言葉を脳内でいろいろと並べ立てて——どれもしっくりくることはなく、まずは溜息をついた。
「……明司、君さぁ〜性格悪いとか言われたことねえか?」
「おおー言われるぜ? 主にテメエに」
「うん俺はよく言うな……」
「ンでもって、最近のテメエのやらかし、イチから挙げてみろ」
「あァそう、とんだ自業自得ってワケ……」
確かに明司の指摘は、純丘自身も納得が行っていない箇所だ。
なにもかもを改変できる能力を手に入れて、その代償さえも制御できるというなら——べつに殺さずとも、人の心を操作し、誘導する手段は、いくらでもある。
かつての己ならば忌避した手段だった。そうする理由も意味もないからだ。
かつての稀咲鉄太ならば用いた手段だった。そうしない理由も意味もなかったからだ。
今の純丘にとっては既に、理由も意味も揃ったあとだ。
そしてもうひとつ。
佐野真一郎が生存する未来を選択しなかったならば——その理由自体には、実のところ、見当がつく。
寺野曰く、ナメてる。明司曰く、極端。純丘榎には、口では賢しいことを言いながらも、身近な人間が罪を冒すさまを受け止められず、反射的に目を逸らす悪癖がある。
S.S.MOTOR強盗事件と灰谷竜胆との大喧嘩。ハロウィンの抗争直後に寺野から指摘されたこと。実弟に突きつけた決別。主要なものを並べるだけでもこれだけある。
利己的な目的のため、己のエゴのため、手を汚した男を。
果たして自分は許せるだろうか。許せないだろうか。
命の恩人だとしても。
命の恩人、だからこそ。
だとすれば。
過去であり未来の己は、何故、タイムリープを繰り返したのか。真一郎が遺した罪の代償を、何故尻拭いしたのか。
——ああ確かに、万次郎やその周囲は、黒い衝動が解決できなければ不幸せになったのかもしれない。
しかし、知人とはいえ所詮は他人の不幸である。万次郎が今生きていることすら、名も知らぬ誰かの死を礎に成り立っている。
花垣武道は、正しき主人公には、そのために必死になる未来があった。過去があった。Ifがあった。
純丘榎は——周りが期待しているほどには、正しくない。
正しく在れない。
「なんだ、そんなことか?」
寺野がぽんと言葉を投げる。
「……そんなこと?」
純丘は思わず復唱した。
「
そこで一度寺野は言葉を切った。
「……先に、センスのねえ盗み聞きは切っとくか』
「あっ」
斑目はつぶやいた。
イヤホンからは完全に雑音しか聞こえない。スマートフォンの画面も、無情にも、シグナルの喪失を示している。
彼はうんざりとした様子で嘆息して、スマートフォン(二台目)を取り出した。Bluetoothイヤホンの接続端末を切り替えて、マイクのミュートを解除し「おーい、イザナァ〜?」声を掛けた。
『ア?』
返答はすぐにあった。
すかさず言葉が重ねられる。
『ンだよテメェ、まさかヘマした?』
「ゲッ」
斑目獅音は嘘はつけるが、端々が迂闊なのですごくわかやすい。
『まさか気づかれたか?』
「ヤ……」
『……気づかれたな?』
疑問形こそ取っているが、通信向こうの声はほぼ確信していた。
「……も、目的地はわかってっから。
『……へェー』
低い相槌の向こうでは、なにやらざわざわとさざめきが聞こえる。先程まで耳を傾けていた会話と異なり、向こうには何人だか十何人もの人間がいるらしい。
らしいとは言うが、斑目も人員の内訳はおおよそ把握している。
イザナから突然指示をくだされたときはすわ何事かと思ったが、どうも天竺の王様が呼びつけられるだけに足るトンデモ展開が繰り広げられている。銃声が響いたときは耳がお釈迦になるかと思ったものだ。
てかブラジルギャングの外套に盗聴器つけろとかいくら俺のこと信頼してるっつってもアイツなかなか無茶言うよな〜。実現できてる俺すげ〜。
……バレたけど。
『それがブラフって可能性は? 腹の野郎の深謀遠慮は俺としちゃ飽き飽きしてんだ』
「シンボー……? あー、あるかもしんねーけど。でも薄いんじゃね?」
『根拠は?』
「マイキーの妹いたろ」
『……エマがなんだよ』
「ああそうそうエマエマ」
斑目はあまり賢い方ではないが、極悪や天竺時代の仲間のことは彼なりに慮っている。
イザナのかつての妹がエマだったことも(今は、さておき)忘れてはいない。
「今日は明司の末っ子と遊びに行ってるっぽいからいちおー部下つけて、行き先定期的に報告しろって言いつけといたんだけど」
『……。ストーカーか?』
「身辺警護って言えや!」
『それで?』
「双璧と合流して初代の墓参りに行くって話してるっぽくてよォ。偶然にしちゃ出来過ぎ」
イザナの沈黙は一瞬だった。
『バカどもの車の位置は?』
「GPSはさっき破壊されたし、純丘くんの運転、道の監視カメラまで回避しまくるんだよな……っつってもルートはだいたい抑えてっから時速とかで割り出してる」
『オマエが?』
「AIってべんりだよな〜」
『そのまま追っておけ。ルートはこっちに共有しろ』
「うーい」
了承の返答と通話の切断、どちらが早かったのか定かではない。
斑目はぐっと伸びをして「人遣い荒ェ〜」ついでのようにぼやいた。
ある選択の果て
:31巻270話
オマエは俺たちをナメている
:保証にはできない「異国の異聞と共通点」より
お前を消す方法
:許しきれない「1 month ago」より