【完結】罪状記録   作:初弦

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ゆりかごから墓場まで

「とりあえずこれを持て」

「なんだこの……シャベル?」

「水撒くやつ」

「柄杓ってンだよ」

「そっちは」

「バケツみたいなものだな」

「そんなもんどうすんだ。……なんだ、その顔」

 

 既視感のあるやり取りだった。

 もっとも、お盆の時期とは違って今は冬、同行者は一人ではなく二人。

 

「黒川くんと寺野くんって、案外似てるよな」

「どこが……?」

 

 明司は訝しんだ。

 寺野は首をひねったのち「それはイザナの前では言わねえ方が良いな」と述べた。

 

「言わねえよ。そこまで迂闊じゃないんで」

「つってもオマエは端々迂闊だろ」

「七割わざとな迂闊だな」

「隙があった方が親しみが湧くだろ」

 

 明司に静かにドン引きされながらも、アラサーとアラフォーの三人組は霊園へと足を踏み入れた。

 

 住職はいなかった。

 最近は加齢に伴い、足腰が悪くなり、あまり表に出てこないことはもう調べ済みだった。

 

「……若干砂埃が……」

「十五年も経ちゃ、こんなもんだろ。爺さんも入院中で、そもそもこんな真冬に墓参りなんざそうはいねえ」

 

 【佐野家之墓】

 

「花とかもなしか? 風情がねえ」

「生花は掃除の手間があるからな。そういや、道中で購入しそびれたな……」

「指名手配犯が雁首揃えて仲良く花屋かよ、勘弁しろ」

「通報で済めばいいな〜」

 

 いけしゃあしゃあと言って、純丘は墓の前に膝を畳んでしゃがみ込んだ。

 寺野のように実質二mとは言わないが、一八〇㎝近くあるので、日本の成人男性の平均身長と比較するなら高い方である。

 

「というか、そうだ、線香もねえな。買う暇もなかったが。……明司」

「ア?」

「煙草、一本。ライターも」

 

 はよ、と手のひらで催促する非喫煙者に、明司は呆れた顔をした。

 

「都合の良いときだけだな、本当に」

「お互い様だろ」

「そりゃそうだ。代金は要らねえよ、釣銭なんざ財布の邪魔だ」

「数百円の小銭大切そうに抱えてた時代からよくもまぁ……」

「過去のやらかしを思い出話のようにこすってくんのは近所の面倒なジジイだけで充分だろ」

 

 一本渡されたセブンスターの先でジッポーの火が揺れた。

 

「……なかなか点かない」

「おまえマジで煙草慣れてねえな」

「なんだかんだで吸う機会がなくてな」

「火に近づけたまま吸え。肺まで入れるなよ、初心者は毎回それで咳き込む」

「なるほど」

 

 寺野の指示に純丘は素直に従った。煙草の先が赤く灯る。かすかに煙を立ち上らせ始めた。

 

 純丘はそれを香炉に入れようとして、ふと腕をの動きを止めた。思い直したように手を引く。

 

「ポイ捨てはよくないな」

「俺は時々テメエの倫理観の良し悪しの基準が知りたくなる。脅迫は良くてポイ捨てはダメってなんだ?」

「そう考えると……なんだろうな」

「適当だな……」

「線香が煙草な時点で今更じゃねえか?」

「それはそうだ」

「いーや? (シン)ならむしろ、線香より喜ぶだろ」

「……どうだかね」

 

 案外十五年近くの禁煙生活の結果、吸った直後に噎せるかもしれない。

 とは、純丘は言わなかった。

 

 眼前にあるのは真四角の石だ。冬の外気に晒されて、きんと凍るような温度を保っている。

 決して人間ではない。

 

 純丘は、火がついたままの煙草を指で挟んだまま、墓石を眺めた。片手が塞がっているので手は合わせていない。目を閉じることもしなかった。

 

「佐野真一郎、俺が知ったときには死んでたんだよな。一度実物を見たかったんだが」

「……君、いつ頃日本に亡命したんだったか?」

 

 しゃがみ込んだままの純丘が寺野を振り仰ぐ。

 寺野は純丘を見下ろして、指折り数えた。

 

「……十四、五の頃だ。取り急ぎの療養と葬儀と亡命手段で手間取った覚えがある」

 

 間に挟まった葬儀とやらは、少なくとも寺野の実の母親の件だろうとは、純丘も明司も見当がついた。寺野はごくまれに、己の母親と、調子外れのピアノについて、言葉少なに述べることがある。

 かつての抗争では、寺野の部下も多くが死に、あるいは再起不能となったらしい。当時十四歳、亡命寸前の寺野が、彼らの葬儀の手配もできたのか——までは、不明だ。

 リオ・デ・ジャネイロの生活で、ときたま、カシャッサを一瓶、どこぞへと持っていくことがあるぐらい。

 

「となると二〇〇二年から四年か」

「まァタイミングによっちゃ来日時点で死んでんな。そうじゃなくとも俺らはとっくに引退済みだ」

 

 とっくに引退していた初代幹部の中で、OBとして唯一、長々と権威を振るっていた人間の言葉。なんとも含蓄深いことですね。

 というのは突っ込むのも野暮なので置いといて。

 

「……真一郎さんなァ」

 

 純丘の指がかすかに振れた。

 煙草の先から灰が地面に落ちた。

 

 都内の霊園なだけあって、所狭しと並ぶ墓石はもちろん、通路にも石畳で舗装がされており、火事の心配はなさそうだ。

 

「間違いなくすごい人だった、が。寺野くんが期待するような方向ではなかったと思うぜ」

「ああ、(シン)はまァ喧嘩も……弱くもなかったけどな」

 

 明司も同意を示した。彼の視線はぼうと空を向いていた。

 青空を時折、たなびく雲が横切る。なんとも長閑な日であった。

 

「あいつの喧嘩の強さの根源ってのは、要するに根性だった。短期戦やら頭脳戦なら俺のがギリ勝ってたな」

「……本当か……?」

「疑いやがるな本当だよ。……これは」

「……ン? よくわからん。殺し合いに根性はつきものだろ」

 

 それ以前に喧嘩は殺し合いと等号ではないのだが。

 

「なあなあにやるつもりのやつなんざ、ハーモニーもソロもまともに吹けやしねえ」

「……俺は音楽はよくわからんが」

 

 元軽音楽部副部長のくせしてやはり音楽に疎い純丘、とりあえず、前置きを入れた。

 

「君がよく言う〝フォルテ〟ぐらいで殴ったらよろめく相手、どう思う?」

「フォルテッシモでもなくか! そりゃ弱ェだろ、体幹からなってねえ、メロディを奏でるのにリズム感が死んでんのは最悪だ」

 

 純丘は音楽用語には一般的な知識程度しか持ち合わせていないが、さすがに寺野の用法について、なにかが致命的に違うことぐらい理解はできる。

 

「……なら、よろめくけど倒れねえし倒れても延々立ち上がってくるやつ、どう思う?」

「気色悪ィな。……ナルホド」

 

 寺野は深く納得した。

 何度でも起き上がって立ち向かってくる。タフネスと言えば聞こえは良いが、はたからみればさながら起き上がりこぼし。

 若狭や慶三は真一郎の根性を称えた一方で、しつこい汚れを落とすのが面倒なように、寺野はそういう相手との喧嘩は楽しめない方だ。どちらかの良し悪しというよりは性質の問題である。

 

「それでも一時は日本で最大のギャングのカシラか」

「ギャングと暴走族は違うだろ……違うよな?」

「天竺どもは大概だが、(シン)が作った黒龍(ブラックドラゴン)は違ェな」

 

 明司はぼんやりとつぶやいた。

 純丘の手元からはまた灰が落ちる。

 

「……あれが俺らにとっての宝だった」

 

 あいにく純丘は、寺野と同じように、彼らの宝とも言える時間を知らない。その当時の輝きを知らない。

 

 思い出したようにその手元の煙草を石畳の隙間に押し付けた。ぐりぐりと潰すように火をもみ消したのち、純丘はふとつぶやいた。

 

「来ねえかなこれは」

「……あ? なにが」

「なんでも。独り言だ」

 

 純丘は勢いをつけて立ち上がる。

 

「さて、しかし収穫はなしと……これは長丁場に、」

 

 彼の耳が足音を聞き取った。石畳を叩く複数の足音。

 純丘が駄目元で呼び寄せた誰かさんたちは、計二名、足音の種別からして数が合わない。住職や一般人ならば、持ち前の口八丁で丸め込む必要があるだろう。

 

 そんなことを考えながら純丘は霊園の通路を振り返った。

 そのまま止まった。

 

 煙草を咥えた明司(ニコチン中毒はなるべく煙を切らしたくない)突然停止した同僚に怪訝な顔をして、純丘と同じ方を見た。

 咥えていた煙草が落ちた。

 

「……本当にいんのかよ」

「……うわー。……ホントに(タケ)兄だ」

 

 もはや呆れの勝った様子の、若狭と千壽。

 

「エマ、」

 

 慶三の呼び止めを無視して、エマはつかつかと石畳を歩いた。普段よりヒールの低い靴がそれでもリズミカルに音を立てた。

 

「タバコ」

「あ」

 

 

  ゆりかごから墓場まで

 

 

「しんっじらんない」

 

 エマは怒りも露わに吐き捨てた。明司の足元に落ちた煙草を拾い上げ、純丘の指先からもセブンスターを奪い取る。

 

「吸うのはさぁ、わかるよ、知らないけど、喫煙者ってみんなそうだもんね。でも(シン)兄のお墓の前でポイ捨てとか、ありえない!」

「ごめんなさい」

 

 純丘はきわめて素直に謝った。ほとんど反射だった。

 ポイ捨てはしていないのだが、地面に擦り付けて消したのは事実だった。間違いなくマナーは悪い。

 

「武臣も!」

「ポイ捨ては、俺ァしてねえよ」

 

 明司は弁明した。実際ポイ捨てではなかった。

 

「間違えて落としただけだ、ちゃんと見とけ」

(タケ)兄ここで言い訳はマジでダセェからやめて」

「だッ……」

 

 事実を弁明しただけだが、しかし態度がよろしくなかった。

 スパッと切り捨てた千壽が、エマのもとまでスタスタと歩み寄って、武臣を眺める。

 

「それよかマジで顔変わってねえのな、すぐわかったわ。さっきテレビ観てたのもあるけど」

「テメエもみてんのかよ、あの手配写真……」

(タケ)兄って写真写りの方が良いよな」

()()()?」

「てかなに部長、視力悪くなったの? なにしてるのいつも、パソコン触れるようになったとか?」

「いや……精密機器は変わらず無理だが。事故でちょっと」

「マジでなにしてんの?」

 

 あまりにも分が悪い。

 

「……俺が招待したのは今牛さんと荒師さんだったはずですが?」

 

 純丘は露骨に話をすり替えた。眼鏡のブリッジを押し上げるようにして位置を戻し、男たちをそれぞれ、見比べる。

 

 慶三は肩をすくめたのち、相方に一瞥をやった。同意した時点で同罪とはいえ、実質若狭の独断だ。

 若狭はこきりと首を鳴らした。

 

「俺たちだけ、とは指定されてねえだろ」

「屁理屈を」

 

 純丘は舌打ちをかろうじてこらえた。

 

「それに……だとしても、よりによって何故彼女たちを。あなたがたがそういう行動に出るとは思っていませんでしたが」

「よりによってとか部長そういうこと言うわけ」

 

 言葉尻を聞き咎め、エマの声がさらに低くなる。

 

「……邪険にしているわけじゃない。ただ君には関係ない話で、」

「関係ない話? 関係ない話だって言うの、おじいちゃんに(シン)兄のこといろいろ問い詰めといて、ワカくんとベンケイまで呼び出して、おじいちゃんの孫で(シン)兄の妹のウチには関係ない話?」

 

 がんと石畳を蹴るようにまた足が一歩詰め寄った。純丘は思わず踵を引いた。

 

黒龍(ブラックドラゴン)のこと? だったらおじいちゃんには聞かないよね。ヤクザとかギャングのこと? マイキーだとかニィだとかが駆り出されてんのもソレ?」

「……駆り出されてるのか?」

 

 純丘は刹那思考を巡らせた。

 

 天竺と元東卍(トーマン)が手を組んだとして、問題になるのは花垣と三途、そして灰谷兄弟が出揃うことだ。前者はタイムリープに深く関わっており、後者は純丘の思考回路を限りなく正確に読む。

 灰谷兄弟に限って言えば、過去の己が対策を打っていれば、あるいは協力者としての助力を望めるかもしれない。しかし彼らの忠誠心がイザナにあることは間違いない。タイムリープをした己は果たしてどこまで——

 

「……最初に気にするの、そこ?」

 

 ぽつりとつぶやきが落ちる。

 

 エマの腕が伸ばされた。てのひらが純丘のジャケットを掴んで、引き寄せる。

 引いたはずの踵ごと一歩ぶん、純丘はエマに歩み寄る形になった。

 

「ねえ、本当に関係ないの? ホントにウチは無関係だっていうわけ? 今更、今になっても?」

 

 タイムリープに佐野エマが関わった気配はない。

 

 彼女は確かに、分岐によっては死の運命をも用意されていたようだが、とうに覆された。

 タイムリープの能力を直接利用したのは、名も知らぬホームレス、佐野真一郎と三途春千夜、花垣武道と橘直人だ。今は純丘榎に渡され、トリガーは未だ不明だとしても、佐野エマは一連のタイムリープの能力の受渡に関わっていない。

 〝黒い衝動〟および〝呪い〟が取り憑いているのは佐野万次郎である。佐野エマは兄の箍を外す一因であり、最大の要因でこそあれど、タイムリープの能力に直接作用し、運命を左右するわけではない。

 

 純丘は言葉を飲んだ。

 タイムリープの件をエマには説明していないから、だけではなく。

 

 彼女の声は静かだった。 

 

(シン)兄のこと嗅ぎ回っておいて? おじいちゃんに詰め寄っておいて? ドラケンも、マイキーも、三ツ谷どころか場地やぱーちんだって難しい顔してるんだけど。一虎が今になってマイキーと顔合わせるようになったんだけど。それぜんぶ、ぜんぶ関係ないって言うわけ?」

 

 力を込めたてのひらは白く染まっていた。純丘は振りほどけなかった。

 エマの瞳に涙はなく、笑みもない。

 

「部長までそういうこと言うわけ?」

 

 十二年前に起きた、東京卍會を中心に起きた一連の事件。

 純丘も、エマも、彼らは等しく関係者で、等しく部外者だった。限りなく近しい立ち位置にありながら、関わるべきではない人員として、線引きをされた。

 

 ある種、それは守るためでもあっただろう。

 現にエマは取り囲まれてリンチされかけた。純丘は刺されて死にかけた。彼らの近しい関係者の因縁により、彼ら本人には非のないかたちで。

 

 線を引かれた。踏み込んでくれるなと厳命された。

 わからないのだからと突き放された。わかってくれるだろうと理解を請われた。

 

「十五年前は場地と一虎のことだった。十二年前はニィのことだった。部長のこととか言って、部長の弟のことだった。今度はなに? 誰のことなの? 今度こそ部長のことなの?」

 

 そのてのひらを純丘はほどこうと思えば振りほどける。彼はもとより体格は悪くない方で、武術の心得もあり、ギャング生活で荒事にも慣れざるを得なかった。

 エマはもうかつての少女ではない。純丘が目をかけていた勤め先の孫娘ではない。十二年が経過して、なにひとつ変わらないまま、なにもかもが様変わりした。

 

「それとも(シン)兄のことなの?」

 

 そのてのひらを純丘は振りほどけない。

 

 エマのお腹には子供がいる。妊婦はときどき、些細な刺激でさえ命取りになると、純丘は知っている。

 些か過剰な気遣いだ。その気遣いは、純丘が日本にいた二十年ほど、己に強いてきた習慣だ。

 

 身体に染み付いた癖はなかなか取り払えない。

 未だ捨てられないまま、半端に抱え込んだまま。

 

「そんなことすら言う気もないわけ? ウチはまた——今度も——なにも、なにもわかんないままでいろってこと?」

 

 正しい回答は〝その通り〟である。

 

 事実としてエマは無関係だ。一部始終を共有する必要もない。厄介事にわざわざ関わらせる意味はない。

 まして平穏に生きている人間を、修羅の道に引きずり込む必要はない。

 

 純丘はそのてのひらを振りほどけなかった。

 

 厄介事から丁寧に遠ざけられ、守るために距離を取られ、その結果、知らぬうちに巻き込まれて、惨事の一歩手前にまで肉薄した。

 純丘は死にかけた。エマはリンチされかけた。

 

 かつての彼らは部外者で無関係で、しかし、関係者ではあったのだ。

 だからこそ、傷ついた。傷つけられた。刃を向けられ、謂れのない理不尽に晒された。

 

 あのときは。

 

 ——あのときも。

 

「あんまりイジメてやるなよ」

 

 事の推移を見ていた寺野がここで動く。片手は無造作に純丘の襟首を引いた。たたらを踏むように純丘は何歩か後退ることになった。

 エマの手は寺野が同様に剥がした。手つきは彼にしては乱暴ではなかったが、有無を言わせぬものだった。

 うつくしくネイルの施された指はシャツを捉えきれずにすり抜けた。

 

「俺の親友(parça)はつくづく信用ならねえ男だが、ナイーヴなんだ。どんな他人に脅されようが眉一つ動かさねえくせに、知り合いのお嬢ちゃんに責め立てられるぐらいで狼狽えちまう」

()()()()()?」

「違ったか? つくづくアジアの年齢はわかりづれえな」

 

 とぼけたように肩をすくめてみせる——わざとだ。

 寺野南はなりも態度も大雑把で短絡的なくせをして、時折、驚くほどに繊細な観察力と立ち回りを垣間見せる。

 

「千壽。もう戻れ。エマも」

 

 慶三がいい加減、再度呼びかける。同時に一歩足を踏み出す。

 これ以上聞き入れないようなら連れ戻すつもりだ。

 

「でも」

 

 千壽は首だけで慶三の方を振り返る。兄代わりのような兄の旧友たちは、揃って首を横に振った。

 

 彼女はもう一度、実の長兄を見たのち——明司は、苦虫を噛み潰したような顔をしている——嘆息して「……エマ」手を引いた。

 エマは純丘を見つめていた。見据えていた。睨むというよりは、見逃さないよう、縫い留めるような眼差しだった。

 

 純丘は彼女を黙って見返していた。しかし小さく一呼吸置いて、視線の矛先を変えた。

 

「……荒師さん、今牛さん、俺はあなたたちに伝言を託したことはありますか?」

「伝言……?」

 

 ふたたび口を開いた純丘に、慶三も若狭も各々怪訝な表情を見せた。

 

「あるいは代役」

「……意味がわかんねえけど。テメエが武臣を連れてったこととなんか関係あんのか?」

 

 純丘は横目に明司の様子を窺う。明司は純丘の視線に気づくと、かすかに眉をひそめてみせた。

 

 ——俺から見て誤魔化している様子はないが、明司も違和感は嗅ぎ取ってないな。

 ——……となると、この反応、本当に違うのか?

 

 純丘のタイムリープにもトリガーがいるとして。いたとして。

 

 まず、東京卍會の面々ではないだろう。

 純丘は不良ごとを行う彼らとは一線を引いていた。なにより世話を焼いていた子どもたちだ。今はさておき二〇〇五年以前は彼らはもちろん子どもだ。意図しては巻き込まない。無自覚なタイムリーパーたちならばさておき、自身は突然過去に飛んだとしても前例から類推できると純丘は確信していた。リスクのある行動は取らない。

 

 天竺の面々でもないだろう。

 さらに極悪な悪事をしでかしていた経歴や、灰谷兄弟の関係者、というのもあるが。それ以前に天竺と共通の目的を持てるとは純丘には到底思えない。彼らの組織はイザナを頂点として成り立っており、そのイザナは頑なであるからして、やり直しには興味がない。〝皆が幸せなハッピーエンド〟にはもっと興味がない。

 

 黒龍(ブラックドラゴン)十代目でもないはずだ。

 彼らは純丘にとって世話を焼いていた相手ではなく、取引関係や利害の一致と評するのが相応しかった。だからこそ、センシティブな話題を共有するほどの仲でもない。それでいて、わざわざ言いくるめてまで巻き込もうとも思わないだろう。巻き込めるほど親しくはないが、一方的な利用には躊躇する。

 

 かといって、当時から成人しており、真一郎の件で共通の目的意識を持ちやすい、黒龍(ブラックドラゴン)初代——でも、ないと。

 

「エマ!」

 

 思考を遮るかの如く、声が響き渡る。

 斑目に連絡された天竺一同、そして、いよいよ東京卍會の登場だ。

 

 ヒーローは遅れてやってくるとはよく言ったものだが、悪役とラスボスも揃ってしまった。

 

「千ッ壽なにしてんだこのバカ!」

(ハル)兄その言い草なくねえ!?」

 

 次兄に怒鳴り返す千壽の横を駆け抜けて、万次郎がエマの前に立ち、龍宮寺がエマの身体を抱き寄せる。

 

「やめてケンちゃん!」

 

 未だ純丘を睨んでいたエマがその手を振り払おうとした。龍宮寺はさすがに場数が違うのでいなして捕獲した。

 

「まだ話が、終わってない!」

「言ってる場合か! お前があの人と顔合わせてるかもしれねえって聞いて、俺もマイキーもどれだけ心配したと……!」

 

 義妹夫婦の諍いを無視して、天竺の王は歩を進める。

 

「一昨日ぶりだな、逃亡劇は順調か?」

「そう見えるか?」

「全く?」

 

 イザナはとてつもなくいい笑顔だ。

 これでも彼、自分と下僕をダシにして警察から情報を引き出されたことには正直苛ついていたので、いい気味〜と上機嫌。

 

「だろうな」

 

 純丘は半目でつぶやいた。

 

 元暴走族の東京卍會も現反社会的勢力の天竺が手を組むなど、さすがに純丘の予想の中でも最悪に分類される……エマの登場で薄々危惧していたことではあったが。

 これで黒龍(ブラックドラゴン)まで並べられれば、いよいよ十二年前の再来だ。

 

「しかし、墓参りにしちゃずいぶんな大所帯だな……十二年前も実は日程をずらす必要はなかったんじゃないか?」

「その皮膚卸金で擦り下ろされてえのか」

「痛い腹だということがわかりやすいな」

「親切だろ? 先んじて警告してやってんだぜ」

「脅迫と警告は同義ではないだろ」

 

 彼らの軽口は腹の探り合いと同義だ。軽快に飛び交う物騒な文句の最中、お互いの出方を窺っている。

 

「兄貴」

 

 現場にいる中で最も、純丘が会うつもりもなかった人物——鉄太が口を開く。

 一瞥して「なんだ」純丘は気のない調子でつぶやいた。

 

「君らって案外、なりふり構わないな」

 

 その主語は鉄太にはない。

 純丘は、実弟を間違いなく視界に捉えていながら、彼を見るつもりがない。

 

「ああフクブの弟クン? 提案者俺よ、感謝してくれて構わねえぜ」

「……クソ野郎ども……」

「ナチュラルに俺を巻き込むなよ」

 

 軽微な諍いで煙に巻かれかけ、鉄太は息をついた。——やはり、灰谷兄弟の動きは傍から見ても奇妙だ。

 

 天竺に味方する姿勢は崩さず、実際彼らの提案は着実に純丘を追い詰めている。

 とはいえ打つ手すべてに奇妙な特徴がある。わざとらしく、最善手の一歩手前の選択肢を提示する。急がば回れとは言うが、これではただの回り道だ。

 

 ……なにかを待っている?

 

「タイムリープはもう試したか?」

 

 思考と行動は並行に。投げられた問いかけに純丘が小首をかしげた。

 

「試した、とでも思っているのか?」

「試してねえのか? もう使ったあとだとわかってたから? それとも試そうとして確信したか」

 

 鉄太の矢継ぎ早の質問は、実兄が揺さぶりをかけるときの物言いによく似ていた。

 原理を理解しているからといって、無意識の反応までは完璧には抑制できない。

 

 現に、純丘はかすかに眉を動かしてしまった。

 鉄太はそのわずかな動きだけで確信を得た。

 

「本当に、使ったあとかよ」

 

 非現実的でファンタジックな能力は純丘榎に渡った。稀咲と名乗らなくなった、鉄太の兄に渡った。

 そしておそらく、一度は既に行使された。

 

 今はすでに変化した果ての未来だ。

 

「タイムリ……な、なにそれ、なにかの用語? 暗号とか?」

 

 蚊帳の外に置かれたからこそ、話の流れを全く知らないエマが尋ねる。

 

「……過去と未来を行ったり来たりできる、とかいう能力らしンだよな」

 

 答えたのは万次郎だ。彼自身、あまりに馴染みのない概念に、若干自信なさそうではある。

 

「詳しくは知らねえけど」

「……漫画かなにかのごっこ遊び? ウチ本気で聞いてるんだけど」

「俺も耳疑ったけど、冗談じゃねえよ。どうもシンイチローが持ってたのが、タケミッチに渡って、今部長が持ってるとか」

「確かにマイキーからしてみればウチはいつまでも妹かもしんないけど、にしたってウチはまだガキだとでも思われてんの?」

「冗談じゃねえんだって。……ホントに、」

 

 万次郎を救うため、真一郎はなにもかもを投げ捨てた。投げ捨てた結果、努力は報われなかった。果てに人を殺して過去を変えた。

 真一郎の献身の果て、万次郎は救われた。生き延びた。今に至るまで五体満足に健康だ。

 代償として、三途には生涯消えぬ傷が残った。真一郎は死んだ。黒い衝動が万次郎を介して厄災を振りまいた。

 

 冗談ならばそうであってほしかった。最もそう願っているのは万次郎その人である。

 

 親代わりとすら思う兄が、弟のために自分の身すら犠牲にしたというのか?

 将来の夢も、家財も、信用も、友人知人との関係も、妹や祖父といった家族も?

 

「……ア?」

 

 と、ここで気づいたのは慶三だった。

 

「つまりオマエ、さっきの俺らへの質問は……トリガーかどうかの確認か?」

「質問ってのは」

「伝言や代役を託されたかとかいう。自分で託したとかほざいておいて、なんで曖昧なんだよと思ったが……」

 

 情報が次々に出揃っていく。

 パズルのピースが組み合わさり、まだ埋まらない空白が剥き出しになる。

 

 トリガーは誰か。

 タイムリープしたとされる純丘榎は、果たしてなにを変えたのか。

 

「……灰谷か?」

「ねえだろうな」

 

 三途のつぶやきは武藤が迅速に否定した。

 

「純丘が試すぐらいはするかもしれねえが、こいつらはどっちも、イザナは裏切らねえ」

「お、案外信用してくれんじゃん? 武藤(ムーチョ)ってばやっさし〜」

「まァ極悪一番の漢だしなぁ?」

 

 露骨に茶化す兄弟を横目に「それに」と武藤は言葉を続けた。

 

「マジでそこまで深く関わってんなら俺が擁護した時点で茶化すんじゃなく〝ほら見ろ俺らなわけねえだろ〟とかほざき始める。こいつらと純丘のタッグは、イザナを裏切らねえ程度に適当ほざいて撹乱するのが典型だからな。足引っ張ってると見せかけて協力するが真相はろくに知らねえのが通例だ」

「……。知ったかやめろよな〜」

 

 これは図星だ。皆が思った。

 やれやれとイザナは肩をすくめた。わかりやすい部下を持って俺は苦労していますの顔。

 

「……なら、誰だ? 稀咲か?」

「俺なら良かったんだがなァ?」

黒龍(ブラックドラゴン)十代目のやつら? 大寿とか幹部は知り合いだろ」

「俺らも考えたんだけど、ねえな。柴は知らねえけどワンニャンどもはゼッテェ変えたそうな件がある」

「てか変わってコレならフクブ殺されててもおかしかねえだろ。あいつら全員苛烈だし」

「バレた途端露骨に部外者の顔し始めるな……」

「解説役か?」

「榎さん、昔馴染みのお友達いましたよね? 堤さん……」

「もっとない。フクブにあいつ巻き込む度胸ねえよ」

「散々な言いようだな」

「林のダチは……」

「アそいつも違うっつったのはフツーに撹乱とかじゃなくマジ。フクブは本気で繊細チャンだから半径十m距離取ってたとしても弱るぜ」

「本当にボロクソ言いやがるな……」

 

 純丘は苦々しく顔を歪めたが、しかし、灰谷兄弟の評価を否定はしなかった。

 彼らのこき下ろしようはそれはもう酷いものだが、たしかに真髄をついていた。純丘自身の思考とほぼほぼ一致しており——

 

 ……ふと、違和感を捉える。

 

 タイムリープをした過去の己(ややこしい)かつての、そして未来の純丘榎は、灰谷兄弟をトリガーとせずとも、なんらかの指示かそれに類似する発言をしたのは確かだろう。

 純丘の後輩たちは、享楽的で刹那主義、イザナにきわめて忠実だが、元副部長にもたしかに気を配っていることも事実だ。

 

 開き直り、自棄っぱちにしては正直すぎる。

 

 兄とほとんど同じことを鉄太も考えていた。違和感から思考が派生し、思考は推察に変化する。

 

 灰谷兄弟は時間稼ぎをすっぱりやめた。どころか、丁寧な解説まで加え始めた。

 まるで今後の展開のお膳立てをするかのように。

 

 

  Refrain

 

 

 悔やんだ過去は、足音を立てて、追いすがる。

 追いつかんと追い越さんと人々を責め立てる。

 

 追い立てられるように駆け足に、人々は今を生きる。今から先へと走りゆく。

 

「正直……タイムリープとか、人が生きるだとか死ぬだとか、俺としちゃどーでもいーんだよな。いろいろ楽しいもん見れりゃそれで」

 

 振り返る余地が生まれるとして。それはいつであるか。

 顧みる余裕があるとして。それはどこであるか。

 

 己の未練を見つめ直すとして。

 

「だからひとつ言うんだったら、そーだな、やっぱ——墓守はテメエの方じゃね?」

 

 それは死の間際ではないかと、一説には言うかもしれない。

 

 死神に刈り取られる直前に、ある種の人々は、走馬灯を見るという。

 過去の軌跡を視るという。

 

「……半間?」

 

 鉄太がつぶやいた。

 

 歩み出て、振り返った半間がヒラヒラと手を振った。

 

 鉄太について現れた際〝なんでついてきた〟と、ツッコミを入れられた男。

 ブラジルギャング組を除いて唯一、つい先日まで、リオ・デ・ジャネイロに滞在していたことが確定している男。

 

 ——言うのもなんだが、ブラジルに滞在してるか住んでる知り合いでタイムリープを信じてくれそうなやつなんぞ、

 

「証明するか? 次の年号のネタバレとかでどーよ」

 

 

 これは梵天に至るまでの過程

  あるいは、いずれ天竺に辿り着く旅路

 

 

 話は二〇二〇年に()()




既視感のあるやり取り
:贖いの意味「on8.13」参照

寺野の実の母親の件
:26巻226話

事故でちょっと
:ギャングとしての抗争の最中に頭部損傷の大怪我を負って視力も低下した
 特に書く予定はない小ネタ

日程をずらす必要
:贖いの意味「on8.13」参照

極悪一番の漢
:19巻164話
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