【完結】罪状記録   作:初弦

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※しばらくコロナ禍時代の描写が続きます。ご了承の上で先にお進みください。


誰かが明日を知っている
かくして梵天は実現した


『——WHO世界保健機関は、一月三十日には既に〝国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態〟とする見方を示していましたが、先月十一日には——』

 

 ニュースキャスターが原稿を朗読している。

 渋谷の一角、ある家電量販店のショーウィンドウ内に並べられたディスプレイは、今日も疎らな聴衆に淡々と映像を届けていた。

 

 

  かくして梵天は実現した

 

 

 前提として、この物語は夢物語である。

 奇跡は起きない。理想にはなりえない。どこまでいっても夢は夢、現実の代替には程遠い。

 

 しかし、この夢物語は〝もしも〟の話。

 あり得ざるが、あり得たかもしれないifの話であることは、事実だ。

 

 もしも関東事変で佐野エマが殺されなかったとしたら。

 もしも聖夜決戦が起きなかったとしたら。

 もしも血のハロウィンで場地圭介が刺されども死ななかったとしたら。

 もしも黒川イザナが佐野真一郎の通夜に間に合っていたとしたら。

 

 もしも灰谷兄弟に、不良仲間以外に一目置く相手がいたとしたら。

 

 たらればを繰り返そう。

 あるいはと唱えよう。

 

 たとえば。

 たとえば純丘が寺野の提案に乗らなかったとして。たとえば明司を半ば騙すように連れて行かなかったとして。

 

 純丘榎はそれなりに器用な人間であるからして、ブラジルでなくともやっていけた。寺野に述べたとおりだ。

 できるだけ実弟や事件関係者と顔を合わせないよう、都外がいいな、とそう思っていた程度である。ケータイの備考欄に残されたメッセージでもない限り、考慮もしなかっただろう。

 

 では、ここでは純丘が寺野の提案に乗らなかった場合。彼らはどのような変遷を辿ったのか。

 

「行きたくないものは行きたくない」

「仕方ねえな」

 

 寺野はわりとあっさり諦めた。

 

 もともと寺野の提案は、純丘という謎の人材が目の前にポップアップしたからこその思いつきだ。そうでなければ彼はまだ日本で遊ぶつもり満々だった。東京卍會への興味もあるが、なにより、黒川イザナおよび彼が率いる天竺に売った喧嘩の決着が未だついていなかった。

 純丘榎は都外へ移住した。荷物は簡便に取りまとめて、こじんまりとした賃貸マンションも引き払った。友人知人とは時たま連絡を取っていたが、東京卍會や稀咲鉄太にまつわる一連の騒動に関わった人々とはほとんど縁を断っていた。

 

 そこから十数年間純丘は東京には戻らなかった。ゆえに、その間に起きた出来事は、純丘にとっても知らない話である。

 

 この間の出来事を簡潔に要約しよう。

 

 まず、佐野万次郎が抱える〝黒い衝動〟が暴発した。

 規定通り、元東京卍會の面々を傷つけ、かつて慕われたマイキーは多くの友人たちに見限られた。三途は付き従った。

 このとき黒龍(ブラックドラゴン)は既に解散しており、九井は黒龍(ブラックドラゴン)の残党とともに合流した。

 

 関東卍會が作られた。

 

 明司千壽は、兄の旧友たちや、ブラジルには行かなかった兄を連れて、(ブラフマン)を創り上げた。

 無敵のマイキーの実力を確かめるため、そして、万次郎を止めるために。

 

 ブラジルへ帰らなかった寺野南は、北関東で作り上げた派閥を率いて、南朝天竺と衝突した。抗争の最中、寺野から隊員を庇った鶴蝶が重傷を負い、黒川イザナが激怒。

 怒りに任せて寺野の手下を数人半死半生にし、うち一人が死んだことにより、傷害致死で少年刑務所に収容される。

 

 天竺は一時的に頭を失った。彼らを取り込む形で、六波羅単代が結成される。

 

 関東圏の不良界隈の三大勢力が揃った。

 三天戦争が起きた。

 

 二〇〇八年のことだった。

 

 ——タイムトラベル、タイムリープ、日本語訳では時間旅行とも呼ばれるが、これらを考えるにあたり、有名な命題が存在する。

 俗に〝親殺しのパラドックス〟と呼ばれるものだ。

 

 ある人物Aが、自分が生まれるより過去に遡って、A自身の母を殺したとする。Aが生まれる前にその母が死んでしまえば、当然Aは生まれなくなる。

 すると〝Aが過去に遡り、母を殺す〟という事象も成立しなくなるため、Aの母は無事に生き延びて、Aが生まれ、このAは過去を遡り——矛盾の故事の如く、現象は並立しない。

 

 たとえばこれをもとに〝ゆえに、タイムリープは永劫に実現しない〟と主張する人間がいる。時間は決して操れるものではなく、不動であり不変の法則なのだと。

 あるいは〝過去を改変した時点で世界は分岐しているのだ〟と主張する人間がいる。先の例で言えば、Aが過去でAの母を殺した時点で〝Aの母が生き延びた世界〟と〝Aの母が死んだ世界〟に分岐する。Aは〝Aの母が生き延びた世界〟の出身であるため、その存在と行いはなかったことにはならない。しかし〝Aの母が死んだ世界〟ではAに当たる存在は生まれない。

 あるいは〝過去はどう足掻いても変えられないものである〟と主張する人間がいる。時間の行き来自体はいずれ可能になるやもしれないが、過去の改変は不可能だ。必ず、なんらかの障害により達成できない。もしくは過去改変も含めて〝規定された物事〟でしかない。Aは過去にいる間は、Aの母を殺せない。

 あるいは〝改変自体は可能だが、最終的にはすべて辻褄が合うようになっている〟と主張する人間がいる。Aが過去でAの母を殺したとしても、別の誰かとAの父が出会い、いずれAに該当する存在が生まれる。

 

 花垣武道のタイムリープはうちどれかに当てはまるのか、全く異なる埒外の法則をもとにしているのか。

 少なくとも、この夢物語は、多少の路線変更はあれど〝あるべきだった道筋〟へ収束していった。

 

 すなわち——花垣武道のタイムリープの果てに、この夢物語は、梵天に辿り着いていた。

 

 辿り着いて()()との言葉通りだ。

 梵天の存在は過去形である。

 

 実際、ブラジルギャングたちが元気に日本で逃避行している世界では、影も形も存在しない。

 最高の未来のために自らを人柱とした不幸な男はいない。佐野万次郎はオートレーサーになったが反社会的勢力の首領ではない。ある意味では黒川イザナが該当するかもしれないが、現在も天竺の王として君臨する彼は、梵天軸の万次郎のような弱り方をする気配もない。

 

 梵天が在った未来では。

 タイムリープを繰り返した主人公、花垣武道は、もちろん佐野万次郎が不幸になる世界を良しとしなかった。すべてを助ける、それはもちろん、親愛なる友人も——ビルからの落下、その果てに二〇〇八年へとタイムリープを行った。

 それはこの夢物語であっても変わらない、収束した未来である。

 

 ところで、この夢物語において。

 

 花垣武道は、喧嘩賭博に耐え、東京卍會の分裂を防ぎ、龍宮寺を助けた。場地を救い、大寿の殺害を阻止し、エマと万作、イザナ、純丘が生きる未来を実現させた。稀咲鉄太の目論見は打ち砕かれた。

 この夢物語における花垣武道は、本来あるべきだった経緯とは異なり、タイムリープした先、過去改変のミッションでは、いずれもほとんど成功を収めている。

 

 その自信は過信とも言い換えられる。

 薄氷をスキップで歩む方がまだリスクが低い。

 

 大筋は変わらずとも、物語は、少しずつ変遷していた。

 

 場地圭介は死ななかった。場地は佐野万次郎を止めるため、三途の思惑を探るため、(ブラフマン)に加入した。

 乾青宗の独白を花垣が聞く機会はなく、黒龍(ブラックドラゴン)十一代目は実現しなかった。乾は己が親友のため、一人で六波羅単代へ加入した。

 佐野エマが生きており、乾青宗は同僚ではない。龍宮寺堅はひとりでD.MOTORを維持する必要があった。龍宮寺に(ブラフマン)に加入する機会はなかった。

 天竺の王は死ななかった。鶴蝶は己の迂闊さを気に病んだが、その心の焔は消えなかった。寺野に表面上従いながらも反逆の機会を覗っていた。

 武藤泰宏は人知れず殺されなかった。彼もまた六波羅単代に生きて加入し、天竺の者共と、下克上の策を練っていた。

 

 本来いるはずのなかった人々、本来いたはずだった人々、 歯車はわずかにたしかに噛み合わず、そのまま回りめぐり続けて、罅は蓄積される。

 無理の果て、いつの日か、ぱきんとひび割れる。

 

 この夢物語はあるべきハッピーエンドには辿り着けない。

 一九九九年へのタイムリープは実現しなかった。

 

 関東卍會と二代目東京卍會の決戦の果て——花垣は、生き延びてしまった。

 

 深手を負った花垣がそれでも目覚めたとき、万次郎は、既に姿を消していた。その行方は誰も知らなかった。

 何度も何度も諦めずに足掻いて、しかし最後に失敗した花垣を、このときは、誰も責めなかった。花垣が全力を尽くしていたことは誰にも痛いほどにわかったからだ。

 

 しかし誰もトリガーにはなり得なかった。

 責めなかったが、やり直すつもりもないと拒まれた。

 

 二〇〇八年の出来事は、このとき、覆されなかった。

 

 花垣武道は過去には行けず、しかし未来には戻れなかった。花垣武道はタイムリーパーではあったが、もとより、能力とは発揮されなければないも同然である。かつての彼が、うだつの上がらぬフリーターとして一生を終えかけていたように。

 この分岐では、今を生きる道しか、残されなかった。

 

 人々は今を生きている。

 時はただ流れゆく。

 

 二〇二〇年、あるいは令和二年。

 四月。

 

『榎さん。お久しぶりです』

 

 正しくない主人公、純丘榎の物語はここから再び始まった。

 

 軽快な口ぶりは、若いながらも落ち着いた女性を連想させた。

 二つ折りケータイのディスプレイに表示された電話番号、十一桁の数字をしばし見つめて、やがて純丘はつぶやいた。

 

「……俺、この電話番号を君に教えた覚えないんだけどな」

『誰だかわかるんですか?』

「橘ちゃんだろ」

『……ほ、本当にわかるんですね』

「今ちょっと引いたな?」

 

 橘日向は誤魔化すように何度か咳払いした。

 純丘は電話越しで伝わらないのをいいことに、やれやれと首を横に振った。全く以て。

 

 純丘自身の記憶力の良さもあるが、単に日向が同じ番号を使っているせいもある。

 声を覚えていることと、十数年も前に念の為にと覚えた番号を未だに記憶していることと、どちらが大概かはここでは議論しない。

 

「ちなみに電話番号は誰から聞いた?」

『あかりさんならご存じかと思ったんですけど』

「あいつにも教えてないぞ」

『とは仰ってましたね。なんなら私の知り合い誰も知らなくて』

「だろうな」

『そうやっていろんな人に聞いてたら、探してるの知ったみたいで、アオサギ? さんが教えてくれて』

「……ああ、師匠か……」

 

 万感こもった声がうっかり出てしまった。

 

『よかった、心当たりあったんですね! 教えていただけたのはいいんですけど、なんだかみんな歯切れ悪くて、このひと榎さんのストーカーとかだったらホントにどうしようかなって』

「いや……まァ心当たりはある」

『……榎さんも歯切れ悪くないですか?』

「気にするな」

 

 心当たりはあるが実は純丘は彼の師匠にも現在の電話番号を教えていない。

 あの人ホントになんなんだ。彼の眼差しが虚空を眺めた。

 

「まァともかく。それだけ捜されるほどの要件があったのか?」

『ええと、それが。榎さん、あなたのお爺さまが亡くなったのはご存知……ですか?』

「いや? 今知った」

 

 どう考えても今知った反応にしては無味乾燥極まりないが、本当に純丘は今知った。

 

『お悔やみを……』

「本題はそれか?」

『え。……いえ。ただ、なら、榎さんのお母様もお亡くなりになったことは……?』

「見ないうちによくもまぁ。この調子じゃ父も死んだか?」

『……実はご存知だったりしました?』

「いや? 本当に死んだのか」

 

 二親等内の親族の立て続けの訃報に、しかし全く気にしてなさそうな純丘。無味乾燥を通り越して明日の天気晴れなんだねぐらいの感想に、一周回って日向の方が途方に暮れている。

 純丘は実際気にしていない。血縁に対する情が限りなく薄いので〝へえ死んだんだ〟ぐらいの心持ちである。日向の反応は健全なので、そのままでいてほしいところでもある。

 

「死因は? 誰かに殺されたとか?」

『……お爺さんは、数年前に、老衰でお亡くなりになりました』

「そういや歳だったな、あのひと」

『お母様とお父様は……新型コロナで』

「……ああ〜……」

 

 現在の年月をもう一度繰り返そう。

 二〇二〇年の四月だ。

 

 COVID-19、いわゆる〝新型コロナウイルス感染症〟は、二〇一九年の十二月に初めて感染が報告され、その後世界中に広まった。感染力と致死性がきわめて高いウイルスであり、特に呼吸器に重篤な後遺症をもたらす例が多数報告されている。

 日本では二〇二〇年一月には初めての感染例が報告され、二月のダイヤモンド・プリンセス号の例も続き、首都圏を中心に全国各地で猛威をふるった。単純な生命の危機だけに限らず、社会的にも大きな影響を及ぼした。

 

「通夜も葬式も、執り行う場合は俺は不参加でいいよ。相続放棄の手続きはこちらで済ませておく。単独の手続きに兄弟の手を煩わせる必要もないだろう。遺品整理も同様だ。処分に困る不用品があるというならこちらに押し付けてもらっても構わないが」

 

 指折り数えて、純丘はふとつぶやいた。

 

「鉄太にはお悔やみを申し上げておくべきか?」

『それが』

「まだなにかあったかな?」

『ご親戚の方々が稀咲くん……と揉めてるみたいで』

「稀咲で伝わるから、言い慣れているならそっちでいいよ」

 

 言い淀んだ気配に敢えて混ぜっ返して、純丘の眼差しが天井を向いた。

 親戚。なるほど。

 いわゆる三親等外の親族となると、純丘が顔を合わせたのでさえも、もう二十年以上は前だ。記憶力が良い彼ですら、細部は曖昧になる。

 

 ただその曖昧な記憶にもろくでもなさがしっかりこびりついている。

 

『稀咲くん、一人で処理するとは言っていたんですけど……彼、ノーベル賞取ってからまだ二年ですよ? 本当に忙しそうで』

「まァ、だろうが」

 

 純丘は意味もなくケータイのストラップを指先で弄んだ。木製のビーズのようなものを連ねたストラップだ。どこだかの観光土産で頂戴した。

 実弟の仏頂面の顔写真が、二年半前、複数の新聞の一面を飾ったことは純丘も知っている。ニュースは連日大騒ぎだった。今でも時折特集を組まれており、あちこちで引っ張りだこのはずだ。

 

『そうしたら堤さんが、榎さんを探し出そうって』

「堤のやつは具体的にはどんな罵詈雑言を吐いたんだ?」

『……。私の方からはちょっと』

「ははは」

 

 純丘は乾いた笑いをこぼした。暴言は口にしないが嘘もつかないご様子だ。

 やっぱり悪口言ってたなあいつ。

 

「わかったよ。橘ちゃん、君を伝言役にするのは悪いが、鉄太に俺の言葉を届けてくれると嬉しい。そうだな……明日には東京につくだろうから、タスクの半分を引き渡す準備をしておけと」

『……本当に?』

「疑われるものだな。君とてこの言葉を期待していたんだろう?」

『それは、』

 

 そこで日向は言葉を止めた。

 

 数秒待っても続く台詞はなく、純丘は木製ビーズのうち一個を爪で弾いていた。

 それから彼の方から口を開いた。

 

「……俺はむしろ、君が俺に電話をかけてきたことのほうが不思議だった。鉄太本人でもなく、堤にでもなく」

『稀咲くんは……すみません、榎さんには、できるだけ頼りたくないみたいで』

「そうだろうとも」

 

 純丘の相槌は素っ気なかった。

 日向からの電話よりは予想できたことだ。

 

『堤さんは……私には、よくわかりません。怒っているし、呆れてるのは、思います』

「容易に想像がつくな」

『心配もしてるんだとは思います』

「あいつがねえ?」

『それで、私は……』

 

 そこで再び沈黙が下りる。

 

「……鉄太とは今でも交流があるのか?」

『……幼馴染ですから』

「昨今の幼馴染には遺産相続の揉め事も打ち明けられるのか。あいつは良い縁を持ったな」

 

 半分は皮肉であり、もう半分はカマかけだった。

 

『榎さん、意地悪になりましたね』

「よく言われる。実は元からだ」

『……本当に、ただの幼馴染ですよ』

 

 日向はそう言った。口調は淡々としている。

 

『彼は、もしかしたら、それ以外のものも望んでいたのかもしれません。それでも私は……馬鹿な女だし、ちょっとだけ、馬鹿じゃないところもあるんです』

「……俺は君を馬鹿だと思ったことはないけどな」

『そうですか? でも、榎さんはあのとき、榎さんが黒幕なんて言えば、私もみんなも騙せると思ったんですよね?』

 

 純丘はさすがに言葉に詰まった。

 

『これは私が意地悪でしたね』

「……悪かったよ」

『ふふ。反省はしてください』

 

 日向はころころと笑いながらもしっかり釘を刺した。

 

「はい」

 

 純丘は従順に頷いた。

 

『とにかく、だから……そんな感じです。稀咲くんとは、幼馴染で、幼馴染のままです。彼はなにも言わないので。私も、何も言わないことにしています』

「……それはそれで、今でも幼馴染ではいてくれているのは意外だが」

『……あのとき、本当なら私も、東京卍會のひとたちも、考えること、やるべきこと、やりたいこと、たくさんあったかもしれないのに、全部()()()()()()で片付けたのはどこのどなたか覚えていますか?』

「はい」

 

 墓穴を二連続で掘る男である。

 

 日向は温厚だが、この件に関してはさすがに思うところのひとつやふたつはある。庇った相手が刺されておいて、その人が黒幕だと明らかに事実無根の説が流布して、なにも思わない方が奇妙なことであろう。少なくとも日向はそのように思う人間だった。

 

 軽い擦り合せをして経て、純丘は通話を切った。ケータイを閉じて、その外装を無意味に指先が撫でた。

 もう数年もしないうちに3Gの提供が終わる。このケータイは4G対応ではないため、慣れ親しんだ端末もそろそろスマホに切り替えなければならないか、と少し憂鬱を覚えた。

 

「……」

 

 目をつむる。

 頭の中で、今後の算段を立てる。

 

 軽い旅支度を整えたのち、新幹線の特急券購入。当座はホテル暮らしでもいいとして、長引くようであればウィークリーマンションでも確保する必要があるだろう。

 彼が現在勤めている職場は、もともと、コロナ禍の影響もあって在宅勤務を余儀なくされていた。電話に即座に出られた一因でもある。場所を変えようが勤務に支障はない。

 就職にあたり、コンピューターの操作を覚えるのにはきわめて苦労したが、おかげで純丘はかつて心底馬鹿にされたような機械音痴ではなくなっていた。

 

「腹減ったな」

 

 時刻は昼時だった。

 

 純丘は目を開けて、キッチンへと足を向けた。

 料理は、純丘にとって苦ではない行いだった。ある種の写経に似ている。繰り返し繰り返し、反復して身に馴染んだ作業は、程々に雑音を吹き飛ばし、頭を活性化させる。

 

 純丘は基本的に、余計なことは口にしない——わざとか、本当に迂闊なときを除く——主義だ。灰谷兄弟などには臆病と呼ばれた性であり、純丘の人間性や観察眼、頭の回転などが複合的に寄与して為せる技でもある。

 

 ——鉄太をあれだけ警戒していたタケミッチくんが、果たして、橘ちゃんとのプライベートな接近をああまで許容しているのは。……不思議な話だな。

 

 とは、思ったのだ。確かに。




親殺しのパラドックス
:grandfather paradoxとも

3G
:二〇二四年六月現在生き残ってるのはdocomoくらい?

ダイヤモンド・プリンセス号
:入港許可が降りず、横浜港で数日差し止めを食らっていた
 その間船内で感染が拡大した
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