元東京卍會内限定の純丘榎指名手配は、事実であり、消息不明から十数年経った今でも有効だった。
純丘の名刺に記載された電話番号には迅速に一本の電話が入った。
彼にとってずいぶんご無沙汰な番号だったが、しかし記憶には残っていた。
「……。もしもし」
仔細と詳細は省略する。
たっぷりと叱られた純丘は、日を改めて知人夫妻とビデオ通話をする運びとなった。
何故ビデオ通話なのか。まァ当然ご時世由来だとして、だ。
『ねママおかおうつってる! ママ! パパ、パパもみてみて! ママとおじちゃん! ……おじちゃんだれ?』
『部長おじちゃんだよ〜』
『ぷっちょおじちゃん? ぷっちょ! ぷっちょわかるよ、まーくんたべてた! おじちゃんぷっちょくれるの?』
『ぷっちょはもうちょっと大きくなってからかな』
『おじちゃんけちなんだ』
『そういうことは人に言っちゃいけません!』
『だぁってえ!』
『うあ。んま。まーぅ』
『ヤバいエマ逃がした』
『ちょっちょっ待ってあっパソコンは触らないの! 部長ごめん待ってて!?』
「……二児の親はたいへんだな……」
ビデオ通話に入った瞬間コレ。
挨拶とか祝福の先に労りが出た。
乳幼児をそれも複数名も抱えていれば、感染リスクには人一倍敏感にもなるだろう。出先で会うにも自宅に残していくには心許ない年齢で、どちらにせよ帰宅時に菌を持ち込む可能性は残っている。
……ところで俺は二代にわたって部長扱いなわけ?
『おむつ……履かせた……!』
『っし……!』
夫婦のハイタッチがディスプレイ越しに純丘にお届けされている。
見ているだけなのもなんなので拍手を贈っておいた。
『ちょっと落ち着かせてくる』
側頭部の龍の入墨は健在で、気の利かせ方も健在のようだ。加えて、親らしさも身についたと言うべきか。体格を活かして幼児と乳児二人を軽々と抱えて退出した。
純丘は退室する背中をしばらく眺めたのち「とりあえず……」ひらひらと手を振るエマに眼差しを戻す。
「結婚祝いと出産祝い、贈りたいんだが、なにがいい?」
ちなみに彼が後輩から祝儀をねだられたのが先週のことである。
『今更要らない』
エマは首を横に振った。彼女生来の、色素の薄い髪の毛も一緒に横に振れた。
『三年前にくれなかったもの』
「ごめんなさい……」
『今更言ってもしゃーないのはわかってるけど』
鼻を鳴らしたエマ。彼女のてのひらがおもむろに、カメラの前を横切った。パソコンの前で冊子を開いたようだ。
冊子の表紙は一瞬しか映らなかったが、純丘の観察が正しければ、革装丁。厚みはそこまでないが、なかなか大きい冊子で、A3サイズ程度はある。
『遠慮でも意地悪でもなくて、ホントに要らないの。友達からも職場の人からも元
「そんなに? ……現金とかの方が良いか?」
『やめて』
真顔だった。
純丘が気圧されるレベルの真顔だった。
『それより結婚式の写真見てよ! ケンちゃん最初から最後までお色直しもビシッと決まってマジでサイコーなんだから。これ誰だと思う? ウチの夫』
どうやら先ほど開かれた冊子はアルバムだったらしい。ノドのところを指で抑えてエマは写真を指差した。ウェディングドレスとタキシードのふたりがケーキに入刀している。
「おお……むしろそれは見ていいのか?」
『みんなに飽きたって言われて子育てもあるし長いこと自慢できてなくて……あねねね生まれたばっかの写真とかもめーちゃめちゃ撮ってるの、こっちはクラウドの容量爆速で埋まったから専用アカウントってことで課金して今こんなかんじホントウチのコマジかわいー』
それからは口を挟む余裕もなく、とはいえわざわざ口を挟もうとも思わなかった。
純丘はノートパソコンのディスプレイ越しに、エマの怒涛のおしゃべりの間に相槌を打っていた。
彼女は、自らの結婚や、夫について、子供について、また子育てについて、詳らかに語った。やがてその話題は、今の職場や友人たち、学生生活など、各方面へ拡散していった。
まるで十四年の日々を、ひとつひとつ、訴えているようだった。些細なものからとんでもない大事まで、エマが抱えてきた大切なことを、ひとつひとつ。
あった出来事を嬉々として話すのはまるで昔のままのようで、しかし、その質量ともに間違いなく十四年の歳月がうかがえた。
『やあっとチビたち寝たよ、今日は時計のじいさんが十一回死ん——おい、エマ? その動画消したんじゃなかったのか』
『あっバレた』
『バレたじゃねえだろバレたじゃ』
ずかずかと大股で歩み寄り、妻の手からスマートフォンをかっさらう。
画面の中、ぐでんぐでんに酔っ払った赤ら顔での熱唱がぷつりと途絶えた。
「俺には音楽の良し悪しはわからんが、いやはや、酔っぱらいの歌にしちゃずいぶん上手いじゃないか」
『アンタはアンタで露骨にニヤニヤしてんじゃねえ』
「おっと、カメラを切っとくべきだったな」
『コノヤロウ……』
「実際、ドラケンくんの声でバラードを歌わせるといい子守唄になりそうだよな」
『寝かしつけるのはまじでウチよりケンちゃんのが上手いんだよね。でも叱るのはダメ。ゲロッゲロの大甘かガチの本職かの二択みたいになる』
「へえ、意外……でもないか? ある意味、らしいな」
『勘弁してくれ』
エマの姿が少し画面右端に寄った。開いた空間に彼女の夫が腰を据えた。こんこん、と画面越しに缶やペットボトル、空のコップが並べられる。
この隙に、と純丘はウィークリーマンションの小さな冷蔵庫を開けて(長期滞在するなら、ウィークリーマンションの方がホテルよりは安上がりだ。実家に泊まる選択肢はなかった)炭酸水のペットボトルを取り出したところだった。
キャップを手のひらで回そうとして、ふと視線を画面に戻した。
「……そういえば今はもうドラケンくんとは言い難いのか? 堅くんとかにしとくか?」
『ドラケンくんのままでお願いします』
龍宮寺——旧姓——が深々と頭を下げる。
純丘は怪訝に彼を眺める。片手は開けた炭酸水をグラスにそそいでいる。
「なんでそんな畏まった礼を……」
『堅くんは……やめてほしいからッスかね……』
「堅さん?」
『本気でやめてください』
『ウチは面白いけど』
『ホントにやめてほしい』
「これもうほぼ懇願だろ。まァドラケンと佐野堅は文字数的には大差ないか……」
『部長って相変わらずたまに言ってること意味わかんないんだね。変わんなくて安心~』
「安心……?」
炭酸水が入ったグラスに、シロップと、氷を投入。さくらんぼを乗せて、見た目だけはカクテルである。
授乳期間中にアルコールは、禁止でこそないが、推奨はされない。旧姓龍宮寺こと現在のあだ名もドラケンな彼は、まあエマが飲まねえのに俺だけ飲んでも楽しくねえしな、とのこと。
純丘は別に禁酒をする理由もないが、一人だけ酒を飲むのもなにかが違う。
というわけでアルコールの気分を味わうために炭酸で乾杯。
リモート飲み会である。炭酸水の。
「さっき聞いたが、ドラケンくんはバイク屋開いたんだって?」
『あーそれも知らねンでしたっけ』
『ウチが言ったとき驚いてたよ』
「驚くだろ。繁盛しているようで、なによりだ」
D.MOTORの名で、渋谷では有名なバイク屋らしい。バイクの修理をメインに、中古車専門でバイクの販売も展開している。
修理の腕はもちろん重要だとして、根強い人気を誇った車種であろうと、時が経てば、多くの工場でパーツを取り扱わなくなる。D.MOTORの場合は、店主直々に、地道に伝手を辿り、工場に交渉し、客の需要に対応している。丁寧な仕事をすると評判のバイク屋だそうだ。
エマから見せられた店舗の写真は、十何年前の記憶からはずいぶん様変わりしていたが、周辺の光景には既視感があった。
ちょうど真一郎の店があった位置だと純丘にはすぐに見当がついた。
『店自体は、真一郎くんの店をリフォームしてあとちっと改修した程度ッスからね』
ドラケンの言葉が既視感を裏付ける。
『元手はそんなに要らなかったし、族時代の仲間もちょくちょく客に来たり紹介してくれてスタートから仕事に困らなかったんで、運とか人とかにめちゃくちゃ助けられた感じっす』
「謙虚なこったな。俺は純粋に君の人徳や実力であろうと思うが?」
『まじで褒めてんだろうけど、部長くんがやってたことのほうがおかしいからいまいち素直に受け取りづれェんだよな……』
純丘は無言で目を泳がせた。
真一郎に唆された(語弊)とはいえ、よくよく考えなくとも、純丘榎が辿った遍歴はまあまあおかしい。たぶん彼を題材に小説を一本書こうと思えばできるだろう。
『っつか、そういやアンタは今までなにしてたんですか? 弁護士ンなったのはなんか別に意外じゃねえけど、その前とか』
『あそれウチも気になる』
「ん? ん~……当ててみ?」
『塾講?』
『土工!』
『土工はねえだろ、この人根っからのホワイトカラーだし。俺は塾講と見たな、時給も高ェしノウハウもある』
『でも部長身体動かすの得意じゃん。道場手伝って塾で教えてたまにカテキョやってフツーにガッコもサボらず行くとか意味わかんないことやってたんだから、よっぽどシフト詰め込まなきゃむしろ体力有り余るでしょ』
『それだったらあの便利屋もどきのほうが可能性ねえか?』
『有り得そうだけど違法行為で稼いだお金で弁護士になるとか部長、自分で自分を許せなそう』
『それは、たしかにな……』
「わはは。助けてくれ」
ちなみにエマの予想がだいたい正解。
体力仕事には純丘はもともと抵抗がない。加えていくつかの資格を取っていたのが幸いした。
日商簿記の資格は現在の税理士としての活動に転用されているとして、まずは運転免許。普通四輪もMTの免許持ちは昨今意外と珍しい。
なんなら勤務中には電気工事士の資格も取得していた。家電を自力で直す貧乏性から派生した興味と実益のためだ。これが予想以上に重宝された。
五年近く勤めながら、並行して放送大学の学費を払い、コツコツと貯金と株運用をしていた。これだけならまァいるのだが受かった先が京大の院なのでなにもかもおかしい。
世間話はとりとめもなく続く。
つまみに開けた柿ピーが底を尽き、純丘はスライスしたモッツァレラチーズに、バジルソースをかけた。ドラケンが不意に画面から消えたかと思えば塩ゆでした枝豆をボウルで持ってきた。
『会社の弁護士ってどういうことするの? 訴えられなかったら出番なさそうだけど、めっちゃ出番あるとかそんなかんじ?』
「その誤解放置してると俺が大寿くんに名誉毀損で訴えられそうだな」
純丘の笑みが若干引き攣った。
もちろんさすがに冗談半分だろうが、その認識で仕事を言いふらされるとちょっと洒落にならない。
「ざっくりした説明になるけど、企業の財産管理だとか、運用するにあたっての戦略計画だとか、あとは企画時やリリース前のリーガルチェック……法律や世情と照らし合わせて問題ないかの確認もしてるかな。有事の際は訴訟の代理人も行なうが、有事でなければそうはない」
『ふーん。なんかすごそう』
「いきなり興味なくしたな」
『すごそうだけどウチぜんぜんそういうのわかんない。倍返しだ! とか決め台詞ないの?』
「半沢直樹由来の銀行員が混じってないか?」
弁護士と銀行員はだいぶ違うし、税理士と銀行員もわりと違う。かの銀行を舞台とした実写ドラマはそもそもフィクションなので銀行員の実態ともだいぶ違う。
ついでに言えば銀行員はもとより、裁判で決め台詞が飛び出すことはまずないと言ってよく、裁判自体も劇的な出来事はほとんどないまま進んでいく。
控除を申請するために役所で書類を書いて簡単な応答をするような、事務手続きの一種である。あるいは、医師の診察と問診を受けて、診断書を書いてもらうような、と表現してもそう大きく的外れではない。
「個人単位の依頼も受けているが、基本的に家裁レベルだからな……」
『離婚の裁判とか?』
『親権争いとか仲裁大変そうスよね』
「君らの前で言うとそこはかとなく縁起でもねえがそうだな」
『保育園のママ友、シンママのコが今それで揉めてんだって。部長手伝ってあげてくれたりする?』
「実経験を踏まえてご事情お察ししますが、俺も仕事なので受けるなら相応の金は取るぞ」
『マそりゃそでしょ。伝えてみよ〜っと。そういう捜査とかはしないの?』
「弁護士の領分ではないな」
『部長は弁護士の領分じゃないとこでしてたりする?』
「……。税理士の領分でもないな」
『部長くん、たまにマジでわかりやすいの変わってねえのな』
普通に冷静に評価されて、純丘は居た堪れなくなってきた。
家裁や民事では、しばしば家庭内暴力やストーカーといった案件も取り上げられるわけだが、その証拠集めだのはごくまれに手を出していなくもない。
ごくまれである。あしからず。
加えて接見禁止令や賠償の支払いなど、裁判所から言い渡された沙汰を守らない人間だとかもいるので、そういうときにごくごくまれにいろいろ動いたりしなくもない。
ごくごくまれである。あしからず。
「……よほどのことがなければやらねえよ」
『よほどならやるんだ。ふーん』
「……やるにしても依頼人が不利になるような動き方はしないよ、弁護士として」
『ヤそこは聞いてないけど……え? ちょっと待って弁護士ってフツーにそういうかんじなの?』
「なんで誤解って拡大するんだろうな」
『部長くんマジでエマに弱いな』
「哀れみの目で見られている」
ドラケンのご指摘はその通り、旧友に対してもここまで口は滑らせてなかったはずだが。純丘は頭を抱えたくなった。
純丘にとってはタイミングよく——渡りに船、九死に一生、気分としてはそんなかんじ——イヤホンの向こうから『ままぁ? ぱぱぁ?』と寝ぼけた呼び声が聞こえてきた。
『っと、起きたなこれは……』
『パパにはさっき任せちゃったし、ウチ行ってくる。はーいはいママですよ~』
立ち上がりかけたドラケンを制して、エマが画面を横切っていなくなった。
声は遠ざかっていき、ドラケンは立膝をあぐらに直す。
「……普通の弁護士はそういう労働はしません」
『俺もエマもンなこと本気で思っちゃねえよ』
一応訂正を述べた純丘に、ドラケンは明らかに呆れ顔で切り返した。
『……エマは、探してるやつがいるからああいう聞き方したんだろ。俺が聞いてない間に出たかもしれねえけど』
「万次郎か?」
『ホントに出たンすか?』
「いや? 当てずっぽうだが」
当てずっぽうだが、エマが純丘の他にも探しているとなれば、彼の心当たりはかなり絞られる。
旧東京卍會内に指名手配もかくやのお触れが出ているのは、純丘榎だけだったらしい。
であれば探し人は彼らには頼めないような間柄だ。探している事情を話せないか、話しても理解されない対象。
佐野万次郎。黒川イザナ。黒川カレン。
順に挙げていくとして、まず挙げるならば彼だった。
「……俺が把握している情報もそうはない。十二年前、二〇〇八年ごろに大きな抗争があったこと、人を殺したこと、今は行方不明なこと、この三つ」
モッツァレラチーズをもう一つ箸でつまむ。
無表情に咀嚼する男に、ドラケンは深々とため息を吐いた。
『……変わってんだか、変わってねえんだか。俺にはつくづくアンタがわかんねえよ』
「見るからに最初っからずいぶん警戒してたよな~君。それでもサシで話せるように気遣って席を外すなんて、良い夫だな」
『……どう考えても警戒に値するとこは本ッ当に変わってねえな』
「ハハハ」
それでも龍宮寺堅は昔はもう少し無防備だった。約三年の歳月が培った信頼ゆえだ。
あれから十数年が経った。こどもの一年は大人の一年とは重みが異なるが、しかしたかだか三年の信頼よりは、全く知らない十数年間への警戒が優先される。
「てっきり俺は、エマが龍宮寺姓になるものだと思っていた。けれどそうだな、真一郎さんが死んで、万次郎がいなくなって、とくればあの家の後継者は一人に絞られる」
純丘榎は生まれ持った苗字を放棄し、相続権を放棄した。それは彼が、血縁者と、彼らに由来する家を嫌ったからだ。
エマはそうではない。家自体に固執してはいないだろうが、万作は彼の家族を、家というくくりも含めて大切にしていた。適任者がひとりなら彼女は立候補する。
ディスプレイ越しの背景、夫妻が暮らす部屋の内装には見覚えがあった。
佐野家の邸宅である。
『だいたい当たってますけど俺としちゃ一個』
残り少なくなった枝豆をひとさやつまむ。
『エマはもう後継者じゃなくて、継いだあとだ。じいさんはとっくに死んじまったんで』
「お悔やみを申し上げる」
純丘に動揺はない。彼としても予想はしていた。
話題に出されなかったので、今まで口にしなかっただけだ。
『だいぶ前の話スけどね。マイキーがいなくなって、一、二年したころか』
ドラケンはちみちみと枝豆を鞘から取り出している。
時系列を計算すれば、亡くなっておよそ十年は経っているようだ。わざわざ引き合いに出された基準を考えると、天寿のほかに、万次郎の失踪で心身が弱ったことも考えられる。
無粋な推測でもある。
『それに、お悔やみならそれこそアンタの方だろ。今更戻ってきた理由』
「よくご存知で」
『稀咲……アイツとっくに稀咲じゃねえな。とにかく、未だに有名ッスからね。このへんだと聞く気なくても耳に入ってくる』
純丘はカクテルもどきを舐めた。会話のさなかに炭酸はほとんど抜けており、ただただ甘いだけのジュースである。もう少しハイペースで飲むべきだったかもしれない。
「とはいえ、俺にとっちゃとっくに縁を切った家だ。やることも思うことも普段の仕事とそう変わりない」
『弁護士や税理士の領分じゃない、根回しや証拠集めも含めて?』
「君は相変わらず、時たまびっくりするほど意地が悪いな~」
『部長くんには負けるけどな』
純丘の軽口に、ドラケンは口元だけで笑った。
『ただ……アンタが未だにそういうことが得意なら、ひとつ聞いてみようかと思ってたことは、あるな』
「内容による。少なくとも、万次郎の行方はそう簡単に割れるとは思えない」
『マイキーは。……あいつのことじゃない』
飲み干したグラスの裏側に、シロップの色がまだこびりついている。
純丘はグラスにふたたび、残っていた炭酸水をそそいだ。氷をふたつ入れた。
「なら誰を?」
『花垣武道。タケミッチ』
Wanted!
十二年前、三天戦争および
彼の側、関東卍會に付き従った者たち、あるいは敗北によりその傘下となった人々も、何人かはいなくなった。
そして二代目東京卍會側では、花垣武道こそがそうだった。
タイムリープの存在が明らかになり、しかし皆、タイムリープに躊躇した。目の前の惨事と惨劇。誰もトリガーにはなり得なかった。
日向とは、ふたたび別れることになった。
花垣武道、正しき主人公、正しき結末に辿り着くはずだった男——彼もまた、そうして、姿を消した。
〝タケミッチ——あいつの目的には到底賛同できねえ。今でも、まったく、正直あいつの正気を疑う〟
ドラケンはきっぱり言い切った。
〝俺たちは失ったものが多かった。今更取り返すにはあんまりに多すぎた。けど……あいつは俺ら
〝……これをあえて言うのは酷だが、タケミッチくんが君たちに会いたくない可能性は十二分にある〟
〝それは俺だって考えた。別に無理に探し当てたいわけでもねえ。今でもダチだとしても、中坊のころから、たった二年ぽっちしか知らねえやつだ〟
ドラケンの冷静さ、自らをも客観的に俯瞰した評価は、今に至っても健在だった。
〝ただ……俺はアンタにも似たようなことを思ってた。それで、アンタはまた、俺たちの前に現れた〟
〝……〟
〝アンタは元気だと答えてくれた。今までなにをしているのか、今はなにをしているのか、答えてくれた。アンタはエマや俺の話を聞いてくれた。聞いてくれている。今までなにをしているのか、なにをしていたのか、なにを、したいのか〟
〝万次郎は諦めて、タケミッチくんは諦めないのか?〟
〝本当に、俺よりアンタの方が意地が悪いだろ〟
ディスプレイ越しに笑った男が目を伏せた。
そのさまを純丘は見ていた。
〝俺は、十二年前の抗争、関東卍會との決戦には参加しなかった。それを後悔したわけじゃねえが。……間に合うかもしれねえものと、もうどうしたって間に合わねえものが、ある〟
ふたたび目を上げる。
〝元気なのか、そうじゃねえのか、なにしてるのか。……今でも、マイキーを救うことを、諦めちゃねえのか〟
なお。
二〇二〇年の純丘榎に語られた話の中には、今のところタイムリープのタの字もない。
マこの人は信じねえわなと、人探しを依頼したドラケンも思ったので、話の中でもサクッと省かれた。彼は未だ、フィクションのような超能力、冗談じみた真実を知らない。
いろいろなことを考える。さまざまなことを思う。すべては常に少しずつ変化していて、変化する流れに必死に抗って、あるいは上手く流される。
三十とちょっと生きてきて、純丘榎は未だに、同じことを繰り返している。
変化の中でもなにかを抱えて、すがって、時折力加減を誤って、取りこぼしたり、握りつぶしたり。
どうしようもない事柄、取り戻せない後悔たちのはざまで、そういうふうに生きている。
「……とりあえず、」
ビデオ通話でのやり取りを思い返して、そうして、純丘はつぶやいた。たわむれに、自らの横髪を指で引く。
最後にきちんと髪型を整えたのは三月上旬のことで、前髪を切り揃えるぐらいは行なっているが、とはいえ所詮は素人の手による調整だ。
「髪切りたいよな」
時は二〇二〇年。
純丘が東京を訪れてからは、すでに数週間が経過し、五月に入っていた。
すなわち初夏である。
東京の初夏となると、アスファルトの照り返しで実はそこそこ暑い。日本の平均気温は年々高くなり、温暖化の影響を感じないでもない。
「こんちは、ご予約の方ですか?」
人好きのする笑顔と、わりとフランクな敬語で挨拶する赤髪の美容師(リアルに髪を赤茶に染めている)に「純丘です、ホットペーパーで予約した……」純丘は言いかけて、言葉を止めた。
首を傾げる。
目の前の美容師が笑みを崩さないままこちらもちょっと首を傾げる。どうしたお客さん、来店早々。なにか違和感が生じたにしたってまだ挨拶しかしていない。
「……たしか、千堂くん?」
「はい? 俺は千堂ですけど」
「命の恩人の一人の」
「いのちのおんじッ。……あ、榎くん!? マジで!?」
目の前で出血多量で死にかけた男はさすがに記憶に残る。千堂は類似の経験が人よりちょっぴり多かったが、命の恩人とまで言われる機会はそれでもそうはない。
「元気してましたか!? てか東京来てたんスね!?」
「おかげさまでな。君こそ美容院は上手く行っているようで」
ところで純丘は人より記憶力が良く、命の恩人ということもあり、千堂敦の名前は字面まで正確に覚えていた。
ホットペーパービューティーは美容師の名前まできっちり記載するので、もちろん千堂敦の名前は彼の美容院を紹介するページにセットで記されている。
つまり純丘はわかっていて予約したしわかっていたのにさも今知ったふうな振る舞いをしている。偶然の再会すらマッチポンプってワケ。
……本当にそういうところである。柴大寿の警戒はきわめて正しい。
「会えてよかったよ、あのときは君たちとはけっきょく面と向かって礼を言う機会がなかったから……先日は命を助けていただき誠にありがとうございました」
十数年前の件を先日と呼ぶべきかはさておき、純丘は深々と頭を下げた。
コロナ禍ゆえに、店内がまたも実質貸切状態だからこそできる暴挙だった。
「いやいやいやいやちょっ顔上げて!」
当然千堂は慌てた。可哀想である。
「て、てか確かあんとき、お礼こそ言われなかったけど蟹はいただいたッスよ」
「お、蟹よかっただろ。カタログ選んでるとき俺が蟹食いてえな~とか思ってたから。あと肉」
「肉! それ! アレ貰ったメンバーで焼肉したんすよ。まぁじで美味かったのは今でも覚えてます」
「いいな~焼肉。量があると調味料もいろいろ試せていいよな、なにつける派? 俺は醤油メインだが最近はタレにもバリエーションあるだろ」
「は? 良い肉は塩一択っしょ」
「実はかなりの通だな?」
彼らは互いに実質初対面だが、どちらもフレンドリーで、元
卵焼きの味付けについて白熱しかけたところで千堂が我に返る。
「って、そうだ仕事。髪型はどうします?」
「目的そうだったな」
「アンタ客だろ!」
客ではあるが本命はそこではなかったので。
とは言わずに純丘は笑顔でツッコミを流す。
「スマホからですまない、こういうふうにしてもらいたいんだが」
「ああ、ツーブロック。了解ッした! こちらにどうぞ〜」
洗面台脇の席に案内されて、まず頭をしゃかしゃかと洗われる。髪をさっぱり洗ってクロスを被せられたのち、濡れた髪にハサミが入れられていく。
「河田くんたちはラーメン屋を開いていたようだし、ドラケンくんはバイク屋、君は美容院か。元
「独立組でいうと、千冬らへんはペットショップ開いてますよ。出所からしばらくバイト扱いだった一虎くんとかも、最近正社員雇用ンなったとか」
「おお。……松野くんが? 彼、パイロットになるのが夢だとか言ってたような気もするが」
「そこはフツーに落ちたらしっす」
「世知辛いな」
アイスブレイクは重要だ。脈絡なく、唐突に私的な話を聞かれたところで、相手は困惑し身構えるのがオチである。
しかし時間も無限ではない。パンデミック宣言がなされた世の中であろうと、美容院にも他にも客は来る。プライベートな話題は、他人に聞かれないうちに済ませておくべし。
頃合いを見計らって「そういえば」と純丘は切り出した。
「タケミッチくんは今はなにしてるんだ?」
「……。タケミチすか?」
「彼も命の恩人なので、改めて、挨拶とお礼をしておきたいんだが、今のところドラケンくんだとかはいまいち知らんようで。より親しい人の方が知ってるかなと」
ここまでなにも嘘はついてないあたりが詐欺師に向いてると評価される所以である。よくもまあ口が回るな。
「タケミチは、あー、うーん。……ウーン」
髪に鋏を入れる手は止めぬまま——プロである——千堂は明らかに言い淀んだ。
「……榎くんって口固ェすか?」
「そこそこ」
「そこそこかあ。もうちょい上がったりは?」
「まるで値切りの如く」
表現が珍妙極まりない。
純丘は若干笑って、それから、一瞬考えた。
どうやら花垣の行方、あるいはそれに準ずる手掛かりを、少なくとも千堂は把握しているようだ。しかしドラケンは知らなかった。
千堂および一部の人間だけが知っているのか、敢えてドラケンだけに伏せるわけがあるのか、どちらにせよそれは如何なる理屈に基づくものか?
「……他人の秘密を言いふらす趣味は、ないな。俺の個人的な信条としても、職業柄としても、そういう意味で信用が落ちることは好ましくない」
純丘が常々信用ならないと言われる理由は……いろいろあるが(それこそ今しがたの偶然の再会マッチポンプとか)個人と向き合う際は比較的誠実な振る舞いをする。
蘭には養殖のクズと呼ばれ、三途には卑怯と誠実が表裏一体と内心腐され、イザナにはクソ頑固と評された特徴だ。
そういう意味では——重要な注釈である——信用が上がることはあれど、落ちることはそうはない。
「職業? ……差し支えなければお聞きしたいんすけど今なにしてらっしゃる方?」
「なんか改まったな。……弁護士」
「ウヮ……」
敢えて相手が気に留めそうな言葉を並べて、質問を誘導、自らが望む情報だけを開示する。
純丘榎の〝信用ならない〟部分はこういうところだ。
「……他言無用で頼ンますよ」
「わかった」
「あとタケミチに会っても怒らないでやってほしっす」
「……怒りかねないような理由なのか?」
「怒らないでやってほしっす」
混ぜっ返した純丘を相手にせず、千堂はただ繰り返した。
「承知しました」
お手本のように従順な回答。気分は〝Yes, Sir.〟だ。
「武道は今、稀咲の研究に協力してるんで、榎くんなら御実家張ってりゃ会えると思」
「鉄太あの野郎」
「怒らねえでって、いや稀咲の方ならいっか……」
純丘は激怒した!
嘘である、怒ってはいない。またかよあいつとは思った。
そして道理でドラケンには伏せられるわけだ。
実弟が初代東京卍會に為した所業を、純丘はもちろん、よく覚えている。
ビデオ通話
:Zoomが急速的に広まったのがこの時期だった覚え
Google HangoutsがGoogle meetとして無料開放されたのもこの時期
ノド
:ページとページの間のところ
隠れやすいので印刷されないか、見開きを活かした演出を用いるため、左右で重なるように印刷する場合もある
時計のじいさん
:大きなのっぽの古時計
半沢直樹
:原作は池井戸潤氏の小説
二〇一三年七月にテレビドラマシリーズ(第一期)放映
二〇二〇年一月にスピンオフドラマ放映
二〇二〇年七月にテレビドラマシリーズ(第二期)放映
龍宮寺姓
:なお「過去を悔いている」で描写した世界だとエマは龍宮寺姓
アスファルトの照り返し
:いわゆるヒートアイランド現象の一端を担っている