【完結】罪状記録   作:初弦

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呉越同舟よりむごい

 稀咲ではなくなった鉄太。一部では未だ稀咲と呼ばれる鉄太。今はノーベル賞受賞者。

 

 受賞理由は〝タイムトラベルの実現〟である。塵程度の物体を一秒先へと送った——規模はたいへんささやかだが、人類が今の今まで成し遂げられなかった技術であることは確かだ。実証まで至るのは夢の夢だったはずだ。

 もっとも、塵以上の大きさとなるとこれがなかなか難しい。エネルギーの法則とはちょっと違うが、物体が大きければ大きいほど、構造が複雑であればあるほど、移動には複雑な手順が増える。

 石やペンなら、申請書をいくらか書く程度の手間で実験に用いることはできるだろう。

 

 ではヒトは?

 

 動物実験でさえ昨今では厳しい倫理審査が必須だ。仮にも人々が言う()()()とは人間社会を指すからして、対象がヒトならばなおさら。

 確立されていない技術に検体として手を挙げるのは、きわめて切実な理由があるのか、希死念慮持ちか、事態を深刻に捉えていない物見遊山か、成功体験を積んでいるか。

 

 花垣武道は最初と最後の二つを併せ持っていた。

 

 二〇〇八年、彼は失敗した。

 今まで成功し続けて、運悪く、上手に失敗できなかったからこそ、致命的に失敗した。

 

 日向とは別れることになった。万次郎は救えなかった。三天戦争とは異なり、卍會同士の決戦はやはり奇跡的にも誰も死ななかったが、勝敗はつかなかった。つけられなかった。

 その場の誰もが真実を知り、誰もタイムリープを望まなかった。残された爪痕はあまりにも深かった。

 

 それでも彼は諦めなかった。

 諦められなかった。

 

 諦めきれないまま、彼は生きていた。

 高校は中退することになり、彼にとっての一度目のように、フリーターのような人生を送った。レンタルビデオ店でアルバイト、店長には毎日のようにその手際の悪さを怒られる日々。

 

 二〇一七年の七月のことだった。

 

 そのとき彼は、すべてのはじまりと同じように、寝そべってテレビを観ていた。指先はポテチをつまんでいた。

 

『そしてこちら、ノーベル物理学賞最有力候補の教授——』

「——稀咲じゃん!?」

 

 食ってたポテチが叫び声の風圧で吹っ飛んだ。

 

 なんかまあそういうワケ。

 

 花垣武道はやる気がないことにはとことんやる気がないが、やる気があることには熱心だ。ちょうど放送されていた特集をじっくり眺めて、Wikipediaをあさり、所属大学を突き止めた。

 五回は門前払いされ、十回目で警察を呼ばれかけ、迷惑そうな〝ノーベル物理学賞受賞教授〟当人がさて付き纏うストーカーは何奴と研究室から出てきて——花垣を二度見して事なきを得た。

 

「……今更何の用だ。金の無心には応じねえぞ」

「金はいらねえ。……いやほしいけど生活費ぐらいあっから! そうじゃなくて、オマエの研究に協力したい」

 

 花垣はなりふり構わなかった。

 

 鉄太はたいそう胡乱そうな目で眺めた。彼の脳裏に不意にある冬の日が思い起こされた。カラオケの帰りに停戦協定を結んだ日。一瞬で有耶無耶になったハンマーズ。

 

「まだ人体どころか有機生命体じゃ、実験もできてねえ。そもそも人間が時空間移動に耐えられるかわかってない。命知らずも大概にしとけよ」

「じく……とにかく、オカルトはよくわかんねえけど、オマエが研究してることはタイムリープなんだろ」

「オカルトじゃねえ科学だふざけんな」

 

 声を荒げる鉄太。これだから馬鹿はとでも言い出しそうなほど語気荒かった。

 

「それに俺が学会に提出した内容は正しくは〝タイムトラベル〟だ。用語は正確に使えよ」

「俺はタイムリープしたことがある」

「頭湧いてんのか、」

 

 と言いかけて。

 

 鉄太は半端に口を閉ざした。開きかけた。

 とにかく半ばで彼の動きは止まった。

 

 何度も打ち砕かれた計画。まるですべてわかりきったように打たれる対策。

 かつてのあの日、公園に現れたヒーロー。

 

 まさかまさかと鼻で笑い、ついに不良界から追放されたとき、鉄太は自らの進路の選択を迫られた。

 

 理系を選んだのは彼の適性であったからで、物理学部の受験も同様だが、研究の題材はいつも頭の片隅にこびりついた記憶から取った——わけでは。

 ない。はずで。

 

 だってまさかそんなことがあるわけ。

 

 ……あるわけない、は既に通用しない。

 自らの手で証明してしまった。

 

「一回かなってンなら二度目三度目っていけっかもしれねえじゃん。俺たぶん十回ぐらいやってるし、オマエのやってることは訳わかんなくてもいけるかもしんねえよ。経験者的な」

「……は、目的のためには敵でも使うってのかよ。とんだ野郎だ」

「元、敵な」

 

 花垣は付け加えた。

 

「本当に馬鹿だな」

 

 鉄太はいよいよ笑いを抑えきれなかった。嘲笑だ。

 

「一度負けたぐらいで俺が改心するとでも? ご都合主義にも程があるぜ、ヒーローさんよぉ」

「ヤそれは全く思ってねえけど」

 

 それはそれで鉄太にとっては癪に障る話である。

 

「それでも俺は、もう一度、過去に戻らなきゃならねえ。戻って——オマエだって、わざわざ研究してんのには理由があるんだろ」

 

 関東事変はすべての盤面がひっくり返された。

 12・1宣言は第三プランまで使い切る羽目になった。

 ハロウィンでは誰も死ななかった。

 8・3抗争では不和の芽が摘まれた。

 

 あの夏の日、稀咲鉄太はヒーローにはなれなかった。

 

 橘日向と好き合ったはずの人間は——しかし彼女とは添い遂げなかった。

 

「……俺の理由が、オマエに都合のいい内容だとでも?」

「俺に都合がいいのはタイムリープのとこだけだよ。テメエについてはあくどいやり口ならゼッテェ阻止する」

「はは、あーあー、オマエのそういうところが本ッ当に虫が好かねえクソ野郎」

 

 このときの日付が、二〇一七年十一月末日。

 元ヒーロー(他称)のさえないフリーターと、元ダークヒーロー(自称)の悪の科学者は、十二年の歳月を経てふたたび手を組んだ。

 

 手を組んだはいいがぜんぜん成果が出ないままさらに二年半経った。

 つまりこちらもまた二〇二〇年の話に戻るわけだ。

 

 

  呉越同舟よりむごい

 

 

 手を組んだはいいが本当に成果が出ない。というか実証がどうこうというより、人体の時空間移動は鉄太としてもまだ実験の段階にない。

 鉄太はとりあえず花垣に根掘り葉掘りタイムリープのことを諸々聞いてみたが、そもそも花垣がタイムリープを繰り返していたのも、通算で十二年以上前のことある。

 

 細部がぼやけ、記憶は曖昧になり、曖昧じゃない部分もなんか科学とかいうよりコレオカルトじゃね? 感がひどい。

 

「もう寄越せよ俺によ」

「やるにしてもテメエにやるわけねえだろバーカ」

「だッれが莫迦だこの頓馬」

「やーいやーい」

 

 五歳児の喧嘩じみているが、まだ五歳児の喧嘩で済んでいるのは花垣も一応危機管理能力があり、タイムリープに関する全貌は完全には話さなかったからだ。

 殺せば能力が移り渡る、なんて情報ももちろん伏せておいた。わかったら最後また銃撃戦とかホント洒落になんねえから。

 

 しかしなんの収穫もない日が続くと徒労感がひどい。花垣も二〇二〇年のコロナ禍を生きているので、感染拡大に中てられてうっかり風邪をひいたりしていた。

 治ったにしたって病み上がり、体力は低下している。ついでにそろそろ三十越えるのでそのぶん体力もなくなってきている。

 

 稀咲宅を出た瞬間、疲れたな~と花垣は門に寄りかかった。行儀は悪いが不審な目で見られる程度なので問題ないだろう。

 そのままずるずると座り込んだ。なんだか本当に疲れていた。咳も出始めた。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 通りすがりの人が心配して駆け寄ってくるレベル。背中をさする手にお礼を言おうとしたが、言葉の代わりに咳が出る。

 「このへん自販機ないんだよな」舌打ち混じりにつぶやいた男が花垣の背後の壁を叩いた。正確には壁に備え付けられたインターホンを叩いた。ピーンポーンと響き渡るSE、そう時間もたたず、応答のマイクが入れられて、インターホンのランプが点滅する。

 

 今この時、稀咲家には鉄太ひとりしかいない。

 

『おいなんでアンタいるんだ、今日バトルないだろ』

 

 バトルってなに。

 ちょっぴり聞こえた花垣の純粋な困惑。

 

 ……というか稀咲にしてはやけに親しげじゃ、

 

「げほっ、ごほっ」

 

 思考は咳で遮られる。

 

「水寄越せ、コップでいい」

 

 男は構わず、指示を出した。背中をさする手は止めない。

 

『普通に入ってこいよ……溶かしてねえ鍵渡しただろうが。俺はドリンクサーバーじゃねえんだぞ』

「タケミッチくんが君の家の前で死にかけてます。つべこべ言わずに水を寄越してください。今すぐ。早急に」

 

 インターホンはブツッと音を立てて、沈黙した。切断されたようである。

 

「……死にかけてはねえな」

 

 門を開けた鉄太は、水筒を片手に、あてが外れたような顔でつぶやいた。

 

「死にかけてたほうがよかったみたいな言い方すんな!」

「水は要らねえか……」

「すんません、いります」

 

 わざとらしく遠ざけられかけた水筒を花垣はすぐさま所望する。素晴らしい鉄太様何卒御慈悲をください。

 わりと真面目に咳き込みすぎて喉が痛い。風邪を引いてから近頃めっきり気管が弱くなった。

 

「全く肝が冷えた。先日の忘れ物を取りに戻ったら、命の恩人が死にかけてるとこに鉢合わせるだなんて」

 

 純丘はうそぶいた。

 先程、咳き込む花垣の背中をさすり、稀咲宅をピンポン連打したのは誰であろう彼である。

 

「あ、榎さんもあざっす、お気遣い等々……てか榎さん生きてたんすか!?」

「生きてたよ。というか、今は君の東卍(トーマン)内の扱いのほうが大概らしいが?」

「そ、それは……」

 

 花垣の目が泳いだ。みんなが悪いわけじゃねえんだけど方向性の違いっていうか……。

 バンドの解散理由筆頭とそう大差ないが、ヤンキーグループとバンドは誤差の範疇かもしれない。

 

 一方で「忘れ物?」訝しげな顔をしたのは鉄太である。

 

「……アンタが?」

「印鑑は忘れると取り返しがつかないだろ」

「……しかも印鑑? 本当に?」

「好き好んで印鑑を忘れるような男だと思われてるのか?」

 

 鉄太はいかにも疑わしそうに実の兄をじっと見つめた。

 純丘は実弟の眼差しに微笑んで、首を傾げた。

 

「やるかどうかで言えば確実にやる」

「信頼がゼロだな」

 

 信頼はゼロだが理解は百まであるかもしれない。先日の純丘が印鑑を稀咲宅に置いてきたのは事実だが、置いてきた理由は物忘れではなく故意である。

 もちろん純丘はそこまでは口にしない。自白を取られなければ真実は立証できないので。

 

 彼の思考をここだけ切り取ればただの悪徳弁護士だ。

 なんで前科ついてないんですか?

 

「ぷは、い、生き返る……てか榎さんマジで久しぶりってか、もう十……なん年ぶりでしたっけ?」

 

 水筒の水をちみちみと飲んで、ようやく落ち着いた花垣。口元をぬぐって、問いかける。

 

「十四かな」

「はや! えっほんとご無沙汰ですね、今なにしてんすか? 元気ですか? 幸せっすか?」

「勢いよ」

 

 あまりに矢継ぎ早に尋ねられるので純丘は思わず半歩引いた。

 

「元気では……あるよ。それなりに幸せでもある」

「よ、よかった、マジで音沙汰ねえなって思ってたんで」

「……俺が当時取った行動に申し訳ないという気持ちはあるが、本当に君が言えた立場じゃねえぞ。ドラケンくんと俺は多少会話しただけだが、彼はたいそう君を気にかけていた。そして彼だけでもないだろう」

 

 純丘の声色がわずかに険しさを帯びた。

 似たようなことをしておいて、という点は純丘こそ言い訳できないのだが、似たようなことをしているからこそ、ともいえる。

 

 少なくとも純丘は、恋人を蔑ろにしてまで別の目的を優先し、挙句の果てに出奔したわけではない。

 

「不義理で別れた橘ちゃんが、君を探して問い詰めない理由を君は考えたことがあるかな」

 

 人探しをするとして、人探しのために共通の知人をあたるとして。まず接触するには、ほとんど初対面の人間よりは、多少気心の知れている相手を選ぶだろう。

 

 なので純丘は、最初に日向を訪ねていた。

 

 日向は千堂の名前を出した。

 彼なら知っていると思いますよ、と、確信を持った声で言った。

 

「彼女はどうやら、君の行方に心当たりがあるようだった」

「……ヒナのやつ、俺がなにしてるか知ってたんすか?」

「〝私が、不用意に背中を押してしまった〟とだけ」

 

 勝利祈願は勝利できなければ呪いにも転じる。勝利を願われた人間と、勝利を願った人間に対して。

 

 日向が願ったものは花垣の帰宅だった。花垣はその日帰宅できなかった。

 彼は間一髪で一命をとりとめ、ふたたび病室に押し込まれた。

 

 日向のもとに帰ることは、できなくなった。

 

「……ヒナのせい、とかじゃねえけど」

「橘に責任をかぶせるならそれこそテメエの神経を疑うな」

 

 鉄太は素気無い声で水を差した。彼の視線は純丘をとらえている。

 印鑑を忘れたのはどう考えてもわざとだとにらんでいるが、どうにせよ実兄が口を割ることはない。

 

「……まァこの件は、俺は説教できる立場にはないな。いずれ顔を出してやれ、心配していた。俺が直接聞いたのはドラケンくんと橘ちゃんぐらいだが」

「うす……」

 

 肩を縮めた花垣が、ついで怪訝そうに純丘を上から下まで眺めた。

 忘れ物が口実だと気づいた——わけではない。

 

「……榎さんっていまだに人探し依頼みたいなことしてんすか?」

「いや、昔ほどには……弁護士にそういうことを依頼するやつは、まれにいるが」

 

 弁護士どころかただの専門学生で塾講師だった時代の方が依頼者が多かったとかいう珍現象。

 このひとつくづくなんなんだ? 端で聞いている鉄太はひそかに訝しんだ。

 

「まれにはいるんすね?」

「……まァな」

 

 純丘の答えには間があった。答え自体も言葉少なかった。

 次に出る言葉をおおよそ察したからである。

 

「俺が依頼したらなんか命の恩人割引とかしてくれたり……?」

 

 君らはさあ、という悪態が純丘の喉から出かかって、すんでで飲み込んだ。

 揃いも揃って全く以て、彼がたまに気にかけていた少年たちはこういうところがある。

 

「……万次郎の行方なら時間がかかると思うぞ」

「エスパー!?」

「二〇〇八年の出来事は多少聞いた。業務の片手間で、時間がかかってもいいなら、私事としてタダでもいい」

「それでいいっす、だいじょぶっす、てかタダでやってくれんの!?」

「恩人割とか言い出したのは君だろ」

「命って助けるもんなんだな~!」

 

 花垣は調子よくのたまった。

 本当に、純丘は額を抑えて首を横に振った。

 

「……ところで、タイムトラベルの研究が人体で検証する段階まで進んでいたことには驚きだが?」

「今のは全員まるくお咎めなしの流れだったろ」

「君って実は、特定の皮算用に関してものすごく詰めが甘いよな……」

 

 花垣が水を得た魚のごとく輝かしい笑顔で去ったのち。

 純丘が話を差し向ければ、鉄太は露骨に苦々しい顔をしてみせた。

 

「人体実験なんぞやらかしたあかつきには、実験の成否や彼の安否がどうであれ、君は〝非倫理的な研究者〟だとして下手するとノーベル賞どころか博士号が剥奪されておまけに懲役がつく。いささかリスキーだな」

 

 述べられた言葉は事実だ。

 

 実験結果はどうでもよく、その事実さえあれば鉄太の首は締まる。研究者としては最悪のスタンスでそもそも違法だ。

 よしんば摘発されずとも、少なくとも教授としての登壇は、不可能と化す。

 

「……あいつがタイムリーパーだからだよ」

「ははは言い訳にそんなやりすぎ都市伝説を持ち出せるぐらい柔軟な人間になったとは、兄としては安心する」

 

 苦し紛れに鉄太が述べた言葉は、ただの真実なのだが案の定純丘は一笑に付した。

 

「馬鹿にしてんのか」

「失敬」

 

 一頻り笑ったのち、まるで気のない物言いで謝ると、純丘は不意にその顔から笑みを拭い去った。

 

「……でも、そうだろ? 言い訳だ。わからないとでも思ったか?」

 

 鉄太は沈黙した。

 

 進まない研究。科学に基づかぬ、埒外の法則による時間移動。

 タイムリープの能力を奪取するならともかく、そうできないならもはや花垣には研究材料としての価値はない。とっくに見切って捨て置いてもよかった。

 

 鉄太がそれでも花垣を協力者として置いていた理由。

 

「考え付くとすれば、橘ちゃんかな。彼女に情報を流していたのは千堂くんではなく君の方だと俺は見るが」

 

 定期的に会う口実があれば近況がわかる。

 花垣の近況を知りたがる人間は複数思い当たるとして、筆頭はもちろん、橘日向だろう。

 

「……兄貴」

「うん?」

「……釘でも刺したいのか?」

「同じ轍を踏むようならな。踏むのか?」

 

 鉄太は無言で鉄門を閉ざした。

 

 純丘は肩をすくめた。手元の鍵で鉄門をこじ開けることはしなかった。

 

 

 

 一難去ってまた一難。

 もとい一仕事去ってまた一仕事。

 

 花垣のときとは異なり、万次郎の捜索には純丘は本当に苦労した。

 なにせ花垣は姿を消したと言ったところでけっきょく生活拠点はばっちり都内、実は知人らにも現状を把握されていた。数日もあれば洗える。少なくとも純丘は洗える。

 

 一方で万次郎は、二〇〇八年に起きた抗争からの足跡はきれいさっぱり途絶えていた。

 過去に遡れば遡るほど、資料は探しづらい。人の記憶も曖昧にぼやける。

 

「……。タケミッチくん、探したいというなら君も情報を出してくれ」

「うっす、なんすか?」

「とりあえず、二〇〇八年の、関東卍會と二代目東卍(トーマン)の抗争に参加していた人間の洗い出し。名前を憶えてて君がわかるやつだけでもいいからリストがほしい」

「そんなんでいいんすか?」

「ほかにも頼むかもしれないが。とりあえずな」

 

 一週間捜索してなしのつぶてだったので、純丘はひとまず初心に帰ることにした。

 提出されたリスト(誤字脱字と通名が多いが、ほとんどは純丘が知っている人間だった)をチェックしていく。

 

 若狭と慶三の名前には驚いたが、彼らはカタギに戻ったのち、ボクシングジムを再開していた。明司千壽は【千咒】の名前でYoutuberとして活動中。

 ついでに純丘は会ったことはないが名前は把握している男、明司武臣は、千壽のYoutubeのマネジメントをしているらしい。これは意外だとして。

 

 ——関東卍會側の幹部、これは(ブラフマン)とかいうチームからのメンバー以外、全員失踪か?

 

 元天竺のメンバーは聞いていた通りだが(三途をカウントするかどうかは判断に苦しむが、彼もまた、二〇一八年ごろに失踪届が長兄の手で提出されている)関東卍會最初期から加入していた九井、六波羅単代から加わった乾、抗争に突然現れたらしい半間、この三名も、抗争後の足取りが知れない。

 となれば純丘としては、天竺幹部で唯一、二〇〇八年の抗争には不参加だった黒川イザナの動向が気にかかる。極悪の仲間はもちろん、彼の下僕こと鶴蝶までまとめて行方をくらましているとなれば、さすがに黙ってはいまい。

 

 抗争当時は逮捕されていたらしいが、出所日を確認すると二〇〇九年の二月だった。イザナが寺野の手下をうっかり殺して傷害致死罪とされたのは二〇〇六年のこと、法定刑は三年以上なのでほぼ最速で出てきたことになる。

 あの極悪の頂点が裁判で如何にして最短の刑期を勝ち取ったのかは、あまり深堀したくないとして。

 

 三天戦争があったのは二〇〇八年の七月、抗争は同じ年の九月で、そう月日も経っていない。

 

 ところで、弁護士は照会により他人の住民票を確認できる。当然正当な事由が必要なのだが、そこは適当にでっち上げるとして——職権濫用とはまさにこのこと。

 

 ともかく横浜市から取り寄せられた黒川イザナの住民票は、しかしすでに横浜市からは除票されていた。

 転出先はたった三文字で【インド】と。

 

 ……海外への一年以上の転出にはたしかに相応の届が必要だが、案外あの暴君もマメな方だったようで。

 純丘は変なところで感心した。

 

 転居先については、意外ではなかった。

 

 インドは仏教発祥の地で知られている。釈迦が開いた、世界最初ともいわれる大規模な学問所、ナーランダ大僧院の遺跡がある場所。

 日本ではその国を——その場所を、ピンポイントで天竺と呼ぶ場合も、ある。

 そしてそのような豆知識を、純丘は、場地や灰谷兄弟に吹き込んだことがある。

 

 職権濫用再活用、理由をつけて出入国在留管理庁に幾人かの照会の依頼を出した。

 すべての結果が返ってくるまで、およそ一月かかった。

 

「……。犯歴がついていても海外渡航は可能だものな……」

 

 天竺メンバーに加えて、乾に九井、佐野万次郎の名前はないが明司春千夜は記載されていた。いずれも同時期にインドに渡航している。ほぼ確定と見ていい。入管を誤魔化す方法を純丘はいくつか知っている。彼らなら純丘よりもそのあたり詳しいだろう。

 九井と乾の名前は意外のようなそうでもないような。九井の資産管理能力は天竺メンバーには重宝されており、乾は人質か、案外イザナが黒龍(ブラックドラゴン)および真一郎繋がりの方で引きずっていったのかもしれない。

 半間修二だけは、ロシアに赴いてからの足取りはしれなかった。これはこれで何故。無関係そうなので、脇に置く。

 

 ともあれ九井がいるなら別の心当たりが引き出せる。

 純丘が記憶している電話番号を既に使っていなければ、少々手間がかかるが。

 

『もしもぉし』

「お久しぶりです、師匠」

 

 果たして、電話はあっさり目的の人物に繋がった。やけに間延びした口調は未だ健在のようだ。

 挨拶もそこそこに、純丘は切り出した。

 

「九井くんの現在の動向について詳しいですか?」

『九井くん? もちろん把握してるよぉ。なあに? 彼に用事?』

 

 弟子とはいえ十数年会っていない他人の、教えてもいない電話番号を把握していた人間だ。お気に入りの動向はもちろん把握しているだろう。

 

「彼の動向について教えていただくことは可能ですか」

『弟子思いの師匠としてぇ、君のお願いならモチローン! ……とでも言いたいところだけどぉ』

 

 からからと電話向こうの声が笑った。笑い声のわりに心が全くこもっていない。

 

『長いこと行方くらましといてぇ、開口一番ソレって、純丘クンってばず〜いぶん都合がいいねえ?』

「……申し訳ありません」

『べっつにぃ?』

 

 明らかに〝べつに〟ではない言い方だったが、少なくとも表面的には、そう回答された。

 

『僕たちそういうかんじだもんねえ。実際君の居所とか、ふつーに掴んでたしぃ、それはそれとして……君が調べたいのは九井くん本人じゃあないよね?』

「……どこまで読んでます?」

『花垣クンの体調には注意しといたほうがいいよぉ? まだ咳治ってないでしょぉ?』

 

 花垣武道——たしかに純丘が遭遇したときも激しく咳き込んでおり、その後も時折空咳をしていた。COVID-19のいずれの株にもかかったことはなく、純丘が知る範囲では、医者でもただの風邪と診断が降りていたはずだが。

 

 しかし何故知っている。

 

『そんで、なんだっけえ、九井くんを探すと見せかけて佐野クンの居所を知りたいんだっけえ?』

 

 そしてこれはもしかしなくてもすべて把握しているのかもしれない。

 純丘が伏せるかどうか迷っていた部分から、純丘すら知らぬ部分まで。

 

『やめといたら?』

「とは」

『花垣クンはちゃあんとわかってる。君の弟クンの研究はまだ実用性はない。それでもタイムトラベルの実験に協力したのは、彼が二〇〇八年に起きた出来事をひっくり返したいから。わかるかなあ? 研究が実るかどうかは関係なくて、本当に過去に戻れるかどうか、そのヒントがあるかどうか、探ってるワケ』

「俺は部外者なりに理解している方だと思いますが」

 

 すぐさま切り返した純丘に『そーお?』電話相手はおちゃらけたように語尾を伸ばした。

 

『知ってるけどぉ、理解してなくなぁい? だってそうでもなきゃ本気で佐野クン探したりしないよねえ?』

「どういう意図で仰ってます?」

『うんうんワカルワカル、だぁってフツー、人間が過去に遡るなんてまだ無謀だもんねえ。解決できることは解決させて過去に囚われるよりは今に向き合わせてあげたいよねえ? 恩人だしねえ? 別に花垣クン悪くなさそうだしねえ?』

 

 揶揄を含む口振りだった。

 

『でもさあ、みんな夢見てられンならそれがイチバンなんじゃなあい? 残念だけど手がかりはありませんでした、って言ってあげればいいのに。十余年前の君でもないんだから今度はバレないよぉ?』

「あのときと状況が同じだと?」

『ううん全然? マでも百聞一見に如かず、気になるならホントにインドにでも行ってくれば? 僕は責任取らないけどぉ』

 

 まくし立てるように言うだけ言って、通話は一方的に切断された。

 

 純丘は即座にリダイヤルを試みたが「ッチ」程なく舌打ちした。着信拒否されていた。




倫理審査
:動物の場合は動物愛護管理法や、国際的基準では3R等に規定されている
 人間の場合はヘルシンキ宣言などを参照

溶かしてねえ鍵
:許しきれない「Today」より

やりすぎ都市伝説
:2007年から不定期に放映されている
 もとはやりすぎコージーという番組内の1コーナーだった模様

海外への一年以上の転出
:海外転出届が必要になる
 転出先については国名だけが記される

出入国在留管理庁
:単純な出入国の管理はもちろん、在留者、永住者の管理、外国人材や難民の受け入れ等も管轄のうち
 かつては法務省内部の入国管理局という組織であったため、略称として「入管」あるいは「入管庁」等が用いられる

ナーランダ大僧院
:ナランダ僧院とも

場地や灰谷兄弟に
:贖いの意味「on7.25」より
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