純丘榎の師はいやに意味深なことを言うだけ言って電話を切った(ついでに着拒した)が、ヒントは残していった。
〝気になるならホントにインドにでも行ってくれば?〟
関東卍會の残党の一部が、未だにインドに滞在しているのは、間違いないようだ。
「タケミッチくんって最短一週間程度の海外旅行ができるだけの貯蓄はあるか?」
「旅行? ヤ……できるっちゃできますけど……あんまり……」
「おそらく万次郎くんはインドにいるんだが」
「いつから行きます? 明日?」
絵に描いたような手のひら返し。
「俺の準備が整ってないので早くて七月でお願いします……」
純丘の方が及び腰になった。
というか君も君でパスポート申請しなくちゃだろ。
「えっぜんぜん俺だけでも大丈夫ッスよさすがに申し訳ねえしげほ」
「落ち着けよ」
息継ぎなしに言い切るものだから咳込んでいる。
こんこんと咳をする花垣の背中をさすりながらも、純丘は若干呆れ顔だ。
「君がヒンディー語を喋れるというなら、俺とて情報を渡すだけ渡して快く見送った。それとも喋れるのか?」
「ひん……?」
喋れる喋れない以前に、そもそもこいつ言語の名称すら知らねえなと察せられる反応である。
「……。インドの公用語だ。英語も公用語なので、英語が多少喋れればごり押しできるかもしれない」
「一切喋れねっす!」
「だろうなあ」
片言でなんとかなる人間はいるにはいるが、花垣武道は旅行経験自体がそもそもほとんどないので、それ以前の場所で詰まる可能性も高い。ただでさえコロナ禍とくれば、普段の旅行とも勝手が違うのに。
純丘はしっかり有休を取った。どうせちょくちょく取り忘れて、年一でせっつかれているので、ちょうどよかった。
「入国制限が先だって解除されたのは僥倖……というわけで七月からは最短でも一週間はインドにいる。諸々片付けたからしばらく親戚どもは来ないはずだが、来たらこれに書いてある手順に沿えばだいたいなんとかなる」
マニュアルを受け取った鉄太は、訝しむように、自らの兄を眺めた。
「……花垣もか?」
「というより彼の付き添いだな」
「……。付き添う理由のメインはあいつの咳か」
思考をぴたりとあてられた純丘は、しかし特に動揺もない。わずかに小首をかしげてみせた。
「他人の事情に口を出すのも懲りたが」
「懲りたか?」
「やかましいな。……それにしたって、あの咳になんの病名もついていないというのはむしろ奇妙だろ。医者の診断は降りていないにしても、セカンドオピニオンというものもあるしな」
咳き込むのが日常になっているので、花垣本人はもはや気にしてもいないが、些か長続きがすぎる。
「肺疾患だと厄介だが、感染症なら俺も君もとうにやられていそうなものだ」
「実は肺がんかもな」
「君はどうしてそう……」
「重要なのは原因じゃねえだろ」
実兄に苦言を呈されたが、鉄太は気にしていないようだ。気のない素振りでつぶやいた。
「咳は体力を削る。余裕がなけりゃ思考も狭まる。電車にでも飛び込まねえように見張っとけよ」
「……早まった行動をとるほど追い詰められているようには見えないが」
「最終的な出力が合致しているだけで、アンタが思うようなことと俺の想定は趣旨が違う。そりゃあ追い詰められてるようには見えねえだろうな、あいつはただ腹を括るだけだ」
わざと肌を焼くことをやめて長いので、鉄太の顔色はずいぶんと青白く見える。
もともと彼は、実兄が知る幼い頃からお世辞にも血色の良い方ではなかった。こめかみには斑点のように色素が沈着している。不良時代の怪我がうまく治らなかったのか、単ににきびでもつぶしたのか。
純丘は実弟がにきびで悩んだかどうかもよく知らない。鉄太がその年頃の時代、純丘は実家を出ており、鉄太もまた両親の離婚によって住居が変わり、この家にはほとんど寄り付かなかった。
「俺は君ほど頭が良くないんだ、もう少しわかりやすく述べてくれると助かるが」
「よくもぬけぬけと……それに、とっくに言った」
「なにを」
「……もういいだろ。どうでも」
兄の追及に、鉄太は露骨に投げやりである。
「頓珍漢で愚鈍で直情的な単細胞に助け船を出したところで俺の利になんざならねえんだ」
吐き捨てる口調。
純丘はその横顔をしばし眺めてから「……常々思うんだが」ふとつぶやいた。
「君は嫉妬してるんだか憧れてるんだかいまいちはっきりしないな」
「御託はそれだけか?」
「威嚇するなよ」
「アンタそういう面は本ッ当に灰谷に似てるよな。それとも、灰谷が似たのか?」
「灰谷に似てるはともかく灰谷が似たは悪口としてのラインを越えてるだろ……!」
あまりにも灰谷兄弟に対して失礼な物言いだが、ある意味ではただの事実である。極悪の世代と呼ばれるその人格と素行は伊達じゃない。
褒めてはいない。
純丘と鉄太の兄弟は、ここ数ヶ月共に過ごしたことで、若干は兄弟らしさが戻ってきたのかもしれない。あるいは単にお互いに、事が終わるまでは円滑に過ごそうという意識が働いていただけかもしれない。
とにもかくにも引継ぎは無事終えて、パスポート申請も通り、その間純丘は下調べも行なって、諸々の準備は完了した。
純丘と花垣はインドへ旅立つことになった。
「いいなあインド」
「橘ちゃんも来るか?」
「いいんですか? ほんとに?」
「……うんまあ俺はいいが。観光旅行ではないぞ」
「でもタケミチくん、いるんですよね?」
「……これは俺が安請け合いしすぎたな?」
「榎さんがやっぱりダメって言うならもちろん、しょうがない、んですけど」
「……わかっててやってるだろ」
「私、パスポートはありますよ。貯金もあります。本当にだめなら、諦めます」
「……」
——訂正。
「榎さん、榎さん!? おい!?」
「すまん」
一名増えた。
「久しぶり、タケミチくん」
インド出立当日、空港にて。日向はやわらかく微笑んだ。
純丘の胸倉を掴んで揺さぶっていた花垣がぎくりとかたまった。
「ダメって言われたらちゃんと帰るよ」
「だ、ダメっていうか、ダメっていうかあ……」
「時間ないので巻きで行こうか」
しどろもどろの花垣をよそに、元凶はしれっとした顔で腕時計を確認する。
「そろそろ荷物を預けないと間に合わないので、橘ちゃんの同行を却下する判断を下せるリミットはあと五分だ。タケミッチくんは迅速に決断するように」
「誰のせいだと!?」
「私が無理言ったの。ゴメンネ」
「ぐ……」
そして天竺に辿り着く
この時期の航空券やホテルの予約というのは、それはもう簡単に取れるものだった。いくら出入国の制限が緩和されたにしたって、そうそうすぐに海外旅行と洒落込める人間はそう多くはない。
成田空港からコルカタの空港まで、およそ十時間半。空港からほど近いホテルで一泊。さらに飛行機で一時間、ガヤ空港まで移動——直行便があればもう少しマシなのだが。
ともあれ、あらかじめ手配していた車を借りて二十分ほど走行すれば、ブッダガヤである。
「……インドって広いんですね」
連日、長時間の交通の乗り継ぎで、日向はちょっと疲弊していた。
花垣も若干目が死んでいる。
感染対策のぶん、消毒や検疫の手間も増えており、もちろん必要な手順であり手間なのだがいかんせん何度も似たようなことを繰り返すと体力を削る。
「単純な面積で言えば日本列島の八、九倍だったはずだ」
「わあ」
休憩と称して車を停めて、純丘はカロリーメイトをむさぼりながら、広げた地図を眺めている。
もともと純丘は体力面では丈夫な方で、几帳面にルールに従うことに苦を感じないたちなので、この中だと一番元気だ。
「そして人口は十倍以上」
「だから電車があんなに混むんですね」
彼らも道すがら、列車が何本か通っているのを見かけた。コロナ禍ということもあって普段よりも客数は少ないのだが。
「ムンバイあたりの混雑量だと身の危険まで感じるからな……」
「……ムンバイってどこっすか?」
「インド最大の都市。西海岸の方だから、俺たちが来たルートとはほぼ真逆の方向になる。気になるのであればいつか自分でおいで」
カロリーメイトをすべて食べ終えた純丘、まず指先をハンカチで拭う。
地図を畳んで「すぐ戻ってくるからちょっと車見といてくれ、鍵はここに刺したままだから」純丘はおもむろに運転席から降りた。
「え、はい、えどこ行くんすか?」
「野暮用。本当にすぐ戻ってくるよ、たぶん三十分もかからない」
「なにかお手伝いすることとかあります?」
「君たちの間で積もる話でも済ませておいてくれると俺が今後気まずくないので助かる」
「榎さん!」
キレ気味の花垣の声を他所に、純丘は運転席のドアを閉めた。
エアコンはつけており、飲食物も車内に置いてあるので死ぬことはないはずだ。万一なにかあったとしても、赤子でもないので死ぬ前に買いに行くはずだ。
さて。
純丘が地図を確認していたのはもちろん理由があるからだ。
地図の表記に従って、路地を一本曲がって、突き当りの右手店舗を覗いてみると、男が二人、店の中で各々座り込んで話をしているようだった。店内の壁際には様々なバイクが並んでいる。
彼らの顔を確認し——他人の空似ではない——純丘は足を踏み出した。
「久々だな。インドではバイク屋でもやってるのか?」
声をかければ反応は一目瞭然。
ひとりが眼差しを上げて、目を見開く。ひとりが機敏に振り返り、頬を引き攣らせる。
振り返った方は加えて半歩引いた。
「あ、アンタ……!」
「九井くん、九井くん。いくらなんでもそんな化物でも見たような反応するかよ」
そんなにイヤ? 純丘は思った。
年月を経て印象は悪化の一途を辿ったようだ。大寿にもこの調子で話されたのであれば、過剰な警戒心を養われるには充分すぎる。
「……生きてたんだな」
「こないだからちょくちょく幽霊扱いされるんだが、とうとう乾くんまで」
冗談じみた嘆きに「ちょくちょくってのは知らねえけど」乾は少し首を傾げてみせた。
「刺されたあと、退院したとかの話もほとんど聞いてねえからフツーに死んでてもおかしくねえと思ってた」
「なるほど俺の自業自得か……」
「……っつか、ココとアンタはホントになにがあったんだ?」
乾の訝しげな問いかけに、純丘は若干目を逸らした。
ハロウィンの直前にも彼から投げられた質問で、比較的最近、柚葉にも問いかけられた言葉だ。
「アオサギから連絡寄越してきた理由、これかよ……」
「師匠が君に連絡をしたのか。あのひと、俺のことは着拒したくせに」
「……あのひとに着拒されるって逆にどうやったらできるんですかねえ」
九井は疲れたように嘆息した。
純丘はやんわりと微笑んだ。
「その件なんだが」
言うが早いか、九井はさらに半歩距離を取った。
危機察知能力が高いにも程がある。
「うちはアンタと違って便利屋じゃない」
早口の牽制に「俺も便利屋だったことはない」まずは純丘、認識を訂正。本当に便利屋だったことは一度もない。……なぜかその役回りがついて回っただけで。
「話を聞いてから判断してくれる慈悲はほしい」
「……。要件次第だろ」
睨み合うふたりに、見かねて乾が話を促した。
「万次郎を探してる。居場所に心当たりはないか?」
「……あー」
乾の声色が露骨にトーンダウンした。九井も(純丘からしっかり距離は取ったまま)眉を顰める。
「マイキーの、居場所、な……」
「俺はインド国内だと読んだが。見当違いだったかな」
「……間違っちゃねえけど」
乾と九井は視線を交わす。
目の前で行われるアイコンタクト、明確な水面下の打ち合わせを、純丘は静観した。
九井が(明らかに渋々)口を開いた。
「俺らの管理じゃない」
「黒川くんか?」
「というより。……待て、まずアンタどこまで調べてきた?」
「二〇〇八年の抗争で関東卍會と二代目東京卍會が戦い、引き分けじみたかたちでまとまったこと。関東卍會側に与した幹部陣の大多数——つまり、荒師さん、今牛さん、それに半間くん以外——は、二〇〇九年にインドに飛んでいること。黒川くんの転居先がインドであること。ぐらいか」
並べられた事実の羅列に、九井が眉間にしわを寄せた。
「……俺らがブッダガヤにいるとわかったのは?」
「君らの組み合わせってけっこう目立つよな。黒川くん御一行はなんせ前科者ばかりだから、昔から足跡消すのが得意なんだよ。まず調べるなら探しやすそうな方だろ」
「アンタ今何してるんですか? 探偵? 公安? ストーカー?」
「最後の選択肢の人聞きが悪すぎる」
九井が純丘に対して敬語を使うときは、たいてい心の距離を表している。
「ちなみに弁護士です」
「日本の司法は世も末だな」
「本当に酷い」
純丘榎が弁護士だと名乗ったとき、十人十色に異なる反応が返ってきたが、日本の司法を憂われたのは初めてだった。妥当でもあった。
辛辣にくさして、九井はすこし頭を斜めにかたむけた。
「……ただ、てことはこの場所がどこの提供かは?」
「……どこぞの慈善団体が貸し切ってるテナントだとは聞いたが?」
「その慈善団体が天竺、アンタの言う黒川イザナ御一行」
「正気か?」
純丘は純丘で、旧知の不良どもに対してあまりに辛辣だ。自ら極悪を名乗るチームと慈善団体が結びつく方がおかしいと言われてしまえば、その通りである。
「インドは貧乏と金持ちの格差が激しいだろ。だから、自警団と食料配給と孤児院経営の悪魔合体みたいなことしてンの」
「悪魔合体とはまた」
「イザナクン正直いろいろ手ェ出してて俺には訳わかんねえ。ココのが知ってるけど全部把握できてるか怪しい」
親友の説明を乾が補足した。続いて、自らを親指で指す。
「俺は自警団メンバー兼、修理屋。廃材でも上手く弄くりゃ直せるからな。並べてるバイクは商売じゃなくて、趣味」
「なるほど。趣味がいいな」
「ダロ」
「……俺は一部の財政管理」
打ち解けている乾を小突いて——打ち解けるな——九井も、仕方なく説明する。
「あいつら微妙に犯罪にも手ェ出してて、ただそっちは俺らの管轄じゃねェから本気で知らねえ」
「……相変わらずだな」
純丘の目が死んだ。
旧知の前科が積み上がるのは今更だ。自殺教唆、傷害致死、脅迫傷害公務執行妨害賭博罪薬物四法違反エトセトラ。
今更扱いしたいような事象でもない。俺一応今は弁護士でな。
「そもそも慈善団体の代表って前科者でも成り立つのか……?」
と、純丘がぼやくようにつぶやけば。
「実際、さァすがにどうなんよって話は当時の俺らもしたから、代表は鶴蝶ってことになってるぜ? 俺ら天竺の中じゃあいつだけ、
「九井もそうだけど、乾も一番ヤバいのでも
背後から軽快な回答が述べられた。
当たり前だが、乾と九井は純丘の目の前にいるので、この回答者は会話をしていた二人でもなかった。
純丘は深呼吸をして——先程、機敏に振り返った九井の気持ちがちょっとわかった、かもしれない——それから後ろを振り返った。
「やぁ灰谷ブラザーズ。十四年ぶりだな」
挨拶は朗らかに、表情は笑顔を心がけた。
「ハローフクブ」
奇抜な紫の髪色、オールバックヘアの男が柔和に手を挙げる。もう片方の手では花垣の頭にガッツリロックを掛けていて「痛い痛い痛い」悲鳴が聞こえる。表情と行動のアンバランスさが過ぎる。
「連絡ブッチして行方くらましといてずいぶん元気そうだな〜?」
「でコイツらテメエのツレってことでいーい? 他所モンにしては見覚えあンだけど」
長髪を黄色と青で染め上げた男は、強引に腕組みで拘束した日向を指さした。日向の顔は傍らの寒色よろしく青ざめている。
腕を組み合う同年代の男女となると、なんとなく円満なカップル感があるが、カップルではない以上に日向の表情が絶望一択なので全くカップルには見えないだろう。
なにより脇にヘッドロックされている本物の彼氏(未満)がいることだし。
「俺の連れだな。手荒な真似はやめてほしいんだが」
「え? 最初に勝手なことしたのそっちだよな? 自分を棚に上げて俺らには説教するわけ?」
「俺が勝手なことしたことと彼らの存在に因果関係が皆無だろ。手荒な真似はやめてくれ」
「てかオマエが刺されたのってこの女庇ったからでそっちのハガナキはオマエの贔屓だろ? 因果関係ないどころか大アリだろ」
「こじつけを因果関係と言うならな。本当に手荒な真似をやめろ。そして彼はハガナキではなく花垣だ」
「灰谷、俺らを切り離しといた方が便利だっつうンならウチの前で犯罪臭のする画を作るな」
さすがに膠着状態を見かねた九井が苦言を呈した。
「ったくお硬いな〜ワンニャンどもは」
「ジョークってもんを知らねえんだよな」
「チクるぞ」
乾の顔立ちはケロイドを加味しても整っているので、真顔で静かに言うと迫力がある。
「大将に?」
その迫力を蘭は鼻で笑い飛ばした。
「あいつはこういうの無関心だぜ。脅し文句ならもうちょい真面目にやれよ」
「鶴蝶に」
花垣と日向は無事に解放された。
単純な組織図では表現しきれない、人間関係のパワーバランスがよくわかる一幕だった。
ありがとう……と純丘は乾に頭を下げた。
解放された花垣が日向を庇うように腕を伸ばしている。手を繋ぐ勇気はない模様。
「今更はるばるよーこそ。なんの用? 連絡寄越してりゃ案内してやったのに。あ、フクブが電番もメルアドも変えやがったから連絡取れなかったんだっけ!」
「根に持ってるな?」
「なんにも一切根に持つことなんざあるわけなくね?」
「ああそう……だったら俺を背もたれにするのやめねえか……」
七月のブッダガヤは、高温かつ多湿なので、背中に全体重をかけられると重い上に暑い。じっとりと背中が汗ばんでつらい。
竜胆は鍛えてっから見た目より重いんだよな、純丘は辟易しながらシャツのボタンをひとつ開けた。襟元をぱたぱたと扇ぐように風を送る。純丘のかつての後輩は、たぶんどころではなく昔より筋肉量が増えている。
「マイキーの行方を探してるってよ」
本題は九井が伝えた。
顔には〝さっさと引き取れ〟と書いてある。
蘭が眉を上げて、花垣と日向を順繰りに見て、純丘に眼差しを戻す。
「今更?」
「……悪いか?」
「……フクブ、そんな察し悪くねえよな? それとも十四年で鈍ったか?」
「探す価値はあるだろう」
純丘は落ち着き払った様子で答えた。
具体的な言葉はなくとも、蘭が言わんとすることを理解しているようだ。
「結果がどうであれ」
「ああそういう。変わんねーなァ」
「……どういう意味ッスか?」
奇妙なやり取りに、花垣が尋ねた。
「まいっか」
蘭は横からの質問を完全に無視してつぶやいた。
ポケットからスマートフォンを取り出して「イザナ〜? なんかそんな感じっぽい」軽快に伝達を始める。
「え? ヤべつにオマエより鶴蝶の方が怖ェとかじゃ……」
「怒られてら……」
「今まで電話繋いでたのにイヌピーの挑発にああ返したのかよ……」
「兄貴はわりとわかっててその場の見栄えを取る」
「つくづく妙なやつだな」
謎に叱責されている蘭を他所に、日向が「榎さん」と声を掛ける。
「ン」
「なにか……あるんですか? なにをわかってるんですか?」
彼女の表情は——先程竜胆に拘束されていたときの絶望とは、また別種で——どことなく、不安に満ちていた。純丘にはそのように読み取れた。
「……部外者の俺が言うことでもないだろ。じきにわかる」
純丘は屈めていた膝を(無理やり)伸ばした。寄りかかりづらくなったので、竜胆は仕方なく、自力で立つことにした。
ちょうど蘭がスマホをポケットに戻し、振り返ったタイミングでもあった。
「案内して構わねえとよ。フクブのレンタカー使うか」
「いいけど」
いいけどせめて体裁として許可取る素振りぐらいしたらどうだ? とは言うべきか否か。
全く相変わらずのゴーイングマイウェイだ。
「ウワマジで腹じゃん」
「ご無沙汰して……純丘くん髪型変えたんすか?」
「どうも。物見遊山が増えたな」
きらびやかな建築物の前で、彼らは車を降りた。
途端、待ち構えていたのかたまたま近くにいただけなのか、ともあれ先回りしていた天竺トップ2が興味津々で寄ってきた。
純丘は思わず本音をこぼした。
九井と乾は普通にテナントに残った(彼らにも日常業務がある、加えて九井は純丘に本気で関わりたくない)ので、総人数には変化がない。
「フクブ、今弁護士だってよ」
「弁護士? ハ? 腹が本気で弁護したらゼッテェ俺前科つかなかったじゃねえか。タイミングの悪ィ……」
「言いたいことはいろいろあるが、まず俺、君がやらかした当時は弁護士じゃねえぞ」
人差し指で無遠慮に指さしてくる竜胆の指を全力で逸らす回。十四年のブランクがあるはずなのに、全く変わらないやり取りが繰り広げられている。
じゃれ合いは程々に、彼らは門の中へぞろぞろと踏み入った。
赤や金を基調に彩られた建物を、花垣は興味深そうに眺めた。門扉はもちろん、壁や屋根も、色彩豊かに繊細な装飾が綴られている。
「なんか豪華な建物ッスね。天竺の事務所とか……?」
「事務所? ウケるな」
ぽつりとこぼれた感想を、何故か蘭が笑った。
「タケミチくん、たぶんここ、お寺だと思う」
「え」
「旅行番組で見た、外国の寺院さんに似てる」
日向の控えめな進言に「そうだな」聞いていた純丘も頷いた。
「外国というか、インドだけでもなく、たとえば日本でも浅草寺とかはけっこう色とりどりだろ。日光東照宮の外観も、あれはあれで壮観だな」
「へ、へえ……」
花垣は ひとつ 学んだ!
そしてひとつ思い当たった。
「俺たち、マイキーくんのとこに行くんすよね? なんで寺?」
ごく純粋な愚問に、一瞬、その場に沈黙が降りた。
「まさか、本気で気づいてなかったのかよ?」
やがて、竜胆が呆れ声で言う。
「それとも信じたくねえだけ?」
「……まァいいんじゃねえの?」
イザナはまるきりどうでもよさそうだ。
視線を切って、すたすたと石畳を闊歩していく。
「万次郎はタケハナを贔屓にしてた」
「俺のことなら花垣武道ッス」
「ヒーローだとかなんだとか俺は知らねーケド。遅れてくるのが様式美なら、今のタイミングはむしろちょうどいいダロ」
「まァイザナは知らないだろうな……」
「君けっこう形式を重視するよな」
「形だけでも繕ってりゃ騙しやすいからな」
「最悪か?」
「極悪」
辟易した純丘のツッコミに、イザナは(なぜか、澄ました顔で)しれっと回答。天竺幹部から笑いが起きた。彼らには昔から純丘を揶揄って面白がる傾向がある。
「それに、墓ってのは弔う人間がいた方がいいんだろ。つか三途がマジで毎回辛気臭えからたまには他のやつがやれ」
「……。墓?」
皆歩みを止めない。
花垣もつられて歩きつつ、ただ繰り返した。
「あの」
日向が小声で尋ねる。そのてのひらは花垣の袖を掴んでいた。
彼女もまた、花垣の手を握る勇気は持てなかった。
「マイキーくんが。……死んでしまったのは、いつなんですか」
イザナは振り返らなかった。
鶴蝶はちらりと日向を見て、すぐに視線を切り、イザナの斜め後ろについた。
「二〇一〇年の七月二十五。そういや、そろそろ十年目か」
インドの公用語
:正確には連邦の公用語がヒンディー語
ほか、州単位でも公用語が定められている
英語は行政等で使用される
肺疾患
:肺の疾患
この場合は「肺の病気」ぐらいの広い意味
コルカタの空港
:正確にはネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港
長くてインパクトあるので本文中では地名のみに留めた
コルカタはカルカッタともいわれる
インド東端近くにある
ガヤ空港
:ガヤーとも
インド東北東くらいにある
直行便
:ない
今(2024年時点)もない
面積
:約8.7倍
人口
:二〇二〇年時点のインドの人口は13.96億人
今はもう少し多い
二〇二〇年時点の日本の人口は1.26億人
今はもう少し少ない
ムンバイ
:ムンバイの満員電車は乗車率250%だとか
日本の一番混んでいる電車が199%くらい
扉からはみ出て屋根の上まで乗員が乗っているインドの満員電車、となるとだいたいムンバイで撮影されている
まあまあ人死が出る
浅草寺
:よく考えるとなかなかに派手
日光東照宮
:めちゃくちゃきらきらしている
金閣寺ではないはずだが