【完結】罪状記録   作:初弦

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誰もの日々を読んでいる
最短距離のための下準備


最終問題

:物語を物語たらしめる条件とは、なにか。

 

 

  最短距離のための下準備

 

 

 日向は病室にいた。ベッドの傍らの椅子に腰を下ろして、唇を引き結んでいた。

 鶴蝶も同じ部屋で、横たわる男の頬を眺めていた。

 

 息をしているのは知っている。傍らの機器が心拍数と血圧を示している。

 そのうえで——まるで花垣の有り様は、眠っているというよりは、死んでいるように見えた。

 

 二〇二〇年。八月三日。

 未だ花垣は目覚めない。

 

 ひとまず一週間、と純丘が規定していたインド旅行。移動時間を考えると、もうそろそろ出発しなければ、滞在日数は一週間を超過する。

 仕事や費用に関して無理を押して滞在し続けるにしても、インドの観光用ビザは最長六十日。延長は不可能だ。なによりインドでの入院費は、保険に入っていたとしても、そこそこ膨大な額になる。

 

「おはよう」

 

 純丘は無造作に花垣の病室に踏み入った。

 まず、花垣から眼差しを逸らさない日向を見て、続いて、純丘は鶴蝶に視線を移す。

 

「ちなみにここの入院費って君に支払ったほうがいいやつか?」

「……純丘くんのぶんは、灰谷持ちですね」

「ナルホド」

 

 鶴蝶は思いの外冷静に答えた。

 

「今更なんだが、鉄道の賠償金はどのぐらいの値段だったんだ?」

「聞かねえほうがいいと思いますよ」

「ははは。払ってくれてたのか……」

「借りはこれで返した、ってのがイザナからの伝言です」

「……俺は彼になにか貸してたか? というか、そうなってくるともはや俺が借りてる側じゃねえか?」

 

 首をひねる純丘は、まるでつい一昨日まで、花垣と同じように原因不明の脳死状態だったとは思えない様子だった。

 たしかに目が覚めたとは聞いていたが。言動にも特に問題もなさそうだ。問題なさそうというか全く変わりない。

 

「……つか、あんた出歩いて大丈夫なんですか?」

「実質二日寝込んでただけだからな、医師の診察も終わったので、退院手続の前に立ち寄った……あまり寝たきりだと体がなまることだし、少なくとも、タケミッチくんが起きるまでには体力をつけねえと」

 

 純丘は再び花垣に視線を戻した。

 

「いっぺん殴っておく必要があるからな」

 

 鶴蝶が「そう」と相槌を打ち「……なんつった?」遅れて聞き返した。

 

 さすがに日向まで振り返った。

 元東京卍會のメンバーならまだわからないでもないが(天竺は、当然)元塾講師現職弁護士には、暴力の印象はきわめて薄い。

 

「聞き間違いすか?」

「聞き間違いじゃねえよ。俺にはその権利、あるだろ」

「あるか?」

「なくても行使する」

「……そう」

 

 鶴蝶は諦めた。どうせ聞きゃしない。

 

「タケミチくんは、でも……」

 

 日向が弁解のように言いかけて、口ごもった。

 

 花垣が線路に飛び降りかけたところ、純丘が花垣を止めようとしていたところは、駅員(いたにはいたが、揉めている二人に気づいたときには手遅れだったようだ)が証言し、また防犯カメラにも映っていた。

 たしかに権利はあるかもしれなかった。半間は心中未満と揶揄ったが、実際、純丘も死にかけている。

 

 けれど。

 ……なんとか弁解したいのは、日向が花垣に惚れている(特に、そういうところに)からだ。彼女自身も自覚はある。

 

「彼が悪いとは言わない。絶対に」

 

 純丘は制した。

 

「俺は、救おうとする意志が悪だとは思わない。その行動も。全く、一ミリも。むしろ推奨されるべきだ。だからつまり、俺の八つ当たりだな?」

「……ええ、と、」

 

 言葉を探す日向をよそに、純丘はすたすたとベッドに歩み寄る。

 死人のように血色のない、しかし、まだ肉体的に死んではいない男を、眺める。

 

 中身は過去へと飛んだのか。そもそも精神的に折れて、消えてしまったのか。外観だけではわかるまい。

 

 ——どっちも生きてる方がいいに決まってる!

 

 場地の腹部の止血を試みて、てのひらで抑えようとして、うまくいかず、それでも少年はそう怒鳴った。

 純丘はそのさまを見て、花垣への疑いを取りやめた。そうあるべきだと思ったからだ。その善性を信じたからだ。

 既に十五年も前のことになる。

 

「かつて、たしかに君はそう言った。俺も君の言葉に同意した。だから、もちろん——君も生きるべきだ。そう思うだろ、タケミッチくん」

 

 花垣は眠っている。呼吸している。

 今はまだ。未だに。

 

 生きることが必ずしもいいことだとは、純丘は、全く思わない。

 つらいことはもちろんある。苦しいことばかりのときだってある。死を選ぶ方が楽な場合だってあるかもしれない。たとえば、かつての稀咲榎のように。

 そのうえで、生きてほしいと望むのは、ある種の身勝手でもあるのだろう。

 

 純丘は——ゆえに彼は、生きたいと思えるような環境にしなければならないと考える。そのように整えなければならないと思う。

 ただの決意表明だ。

 

 さて、ここからようやく〝下準備〟のお時間となる。

 

 純丘にはまず、真一郎がかつて殺したと思しきホームレスの行方を追う必要があった。

 といっても、手がかりらしい手がかりといえば、二〇〇三年の半間の証言ぐらいだ。純丘や真一郎が探すちょっと前に、救急車で運ばれていったらしい——

 

 ——ところで。

 救急車の通報歴および搬送履歴というものは、実はきちんと各都道府県の消防庁に保管されている。

 

 各病院へ必要な連絡はもちろん、これらから個人情報特定可能な部分をマスキングすることで、年間の救急搬送の記録の分析や分析を踏まえた対策等が可能なわけだ。総務省が毎年発行している消防白書などもこれらのデータをもとに成り立っている。

 

 もっとも、救急搬送の記録とはすなわちダイレクトな個人情報で、本名倒れた場所搬送先の病院当時の病状フルセットとくれば、かなりデリケートな情報に値する。正当な事由のない開示請求はもちろん通らない。純丘榎は弁護士だが弁護士の無理が通る範囲には限度があるのだ。

 加えて、保存期間も規定されており、当然ながら、十七年も経過した記録(それも、細部まで詳細に記録したもの)が現存しているかどうか——非常に怪しいだろう。

 

 十年ちょっと前の渡航歴は、なんとかなった。なんとかした。

 対象の情報を一応知っていたことにも由来する。

 

 十七年前の、今度は本名すらもわからぬ人間の救急搬送の履歴を手に入れるためには、さてどのような手段を講じるべきだろうか。

 

 結論から言うと。

 めちゃくちゃ違法な手段を使った。

 

「九井~、フクブから伝言」

「……灰谷弟。……既に嫌な予感がする」

「アオサギと連絡取りたいんだとよ。あいつ着拒されてんだって?」

「……。俺のメリットは?」

「〝今後九井くんとも乾くんとも関わらないと誓約書を書いてもいい〟とか言ってたけど」

「……願ったり叶ったりだが、それはそれで何を企んでンだよ」

「マたしかに企んでるけどおまえらにゃ関係ねえのは保証するわ。にしても、九井オマエそんなあいつのこと苦手なワケ? 下手すりゃ俺らが仕事振るときより嫌がってね?」

「天竺も大差ねえけど人畜無害みたいな外面でこういうのカマされるよりは開き直られる方がまだわかりやすいだろ」

「ウケる~めちゃくちゃわかる。あいつそういうとこあるよな。一人だけまとも面しやがって」

 

『純丘クンってホントに都合がいいよねえ、なんかぜんぜん反省してなさそうで師匠的には安心~』

「どうも。ちなみに二〇〇三年の七月に渋谷区ないし新宿区内で行われた救急搬送の詳細なデータって、師匠の方で手に入ったりします?」

『……』

「無理なら他をあたるので」

『ううん、まあなんとかなると思うけどぉ』

「けど?」

『なんとかなると思うけどそれはそれとしてなんか君珍しくめーちゃくちゃ怒ってない? 弟クンがやらかしたときレベルじゃなぁい?』

「……いや、別になにも」

『すっごい怒ってんね~どしたん? 師匠が話聞いたげよっか?』

「べつになにも」

『なんだかかわいそうになってきちゃったから、着信拒否解除してあげようねえ』

「俺は子供か?」

 

 もちろんこれで入手できるデータはあまりに数多く、純丘はこの膨大な救急搬送の記録からただ一件を見つけ出さなければならない。

 膨大な——というのが具体的にどのくらいの数か、は違法な手段を使ってはいられないので伏せるとして、概算だけなら合法な手段でも可能だ。

 

 平成十六年に総務省から発行された救急・救護の現況曰く、二〇〇三年の東京都の救急搬送件数はおよそ六七万件。

 もっとも、総務省に集まるデータは全国的な統計をとりまとめているため、日本における救急の活動を粗方把握するにはもっとも適切だが、東京都の渋谷区や新宿区ピンポイントで絞ることはこれ以上は難しい。

 

 ところで昨今は、東京消防庁が広報活動の一環として、東京都内の救急活動の現況を年別に統計して、ウェブ上に提示している。

 データ自体はここ数年のものしか確認できないが、日本のどこからでも、もちろんインドからでも、インターネットにアクセスさえできれば閲覧できるだろう。

 

 都道府県単位のデータであるがゆえにより詳しく、月別や区市町村別の救急搬送件数もまとめられており、たとえば七月の救急搬送件数は、年間総件数に対して一割前後を占めている。

 

 新宿区と渋谷区の救急搬送件数の合計は、例年、東京都全体の搬送件数に対して四、五%を占めているようだ。

 渋谷区や新宿区の、都内における人口比率や面積比率、都市としての発展具合を考えれば、妥当な数値であるといえる。

 

 六七万に〇.一をかけ、さらに〇.〇四ないし〇.〇五をかける。簡単な概算だ。

 

 およそ三千件。

 純丘榎が調べるべき救急搬送の記録である。

 

「書類!? 正気!? 紙!? マジで言ってる!? 今って二〇二〇年だぜ!? 千歩譲ってもせめてUSBでcsvデータだろ!?」

 

 分厚いバインダー(それも数冊ある)に綴じられたかたちで届いた記録に、竜胆が悲鳴を上げた。

 

「……時代の問題か?」

「意図的だろうな。デジタルは足がつきやすいから」

「あいつなんで公僕なワケ?」

 

 蘭のごくごくシンプルな疑問から純丘は視線を逸らした。なんでだろうな。いや本当に。

 

「……待てよ、稀咲兄、オマエこれ三千枚全部調べる気?」

「君らにも手伝ってもらうとして」

「俺イザナんとこで仕事あるからお先〜」

「兄ちゃんおい嘘つくな!」

 

 灰谷兄弟は現在世話役兼お目付け役として純丘に付けられている。オマエらが責任持って手綱握ってろとはイザナ談。つまりイザナのところで仕事などない。純丘を見張ることこそが仕事。

 

 天竺やめたいと彼らは初めて思った。

 

「一応ざっくりすべて目を通す必要はあるが、ただ、絞り込むあてはある」

 

 純丘は指先でバインダーを叩いた。

 

「まず、ここからほぼ半分は除外できる」

「半分? 一気に減るな」

「真一郎さんは、探しているホームレスの特徴として、ヒゲが生えていると言っていた。つまり男だ。どのような事情があろうが、医療現場では身体的性別は重要だ」

「……そりゃそうか」

 

 ホルモンバランス等の由来により、女性で濃いヒゲが生えている可能性もあるが、純丘はあえて除外した。それはそれで、特記事項として表記されている可能性が高い。

 

「同様の理由で、子供も弾ける」

「あたりめェだわな」

 

 よほどの事情でもなければ子供は〝ひげぼうぼう〟とは言われないだろう。ホームレスにはもっとなっていない。

 

 黙々と仕分けること半日。

 

「というわけでこの時点で四割くらいにはなったわけだが」

 

 バインダーから外された書類の山(山だ、まだ)を睨んで、竜胆がうんざりと嘆息した。

 

「三千のうち四割って誤差だろ……」

「俺も一二〇〇件をすべて真面目に見たくはない」

 

 塾講師時代は三百人の生徒をみていた純丘とて、四桁は些か厳しい。

 

「だから、次のフィルターだ。通報時に伝えられた住所」

 

 119番に連絡した経験はあるだろうか。あってもなくても知っておいたほうが役に立つ、かもしれない知識を述べる。

 消防でもこれは同様だが、救急の事案に対し、オペレーターは必ず住所を尋ねる。救急で運ぶべき相手にもっとも近い、動かせる救急車を派遣するためだ。

 

「当時の半間くんは、救急車に運ばれる患者を見た際に〝高架下に住んでいるホームレス〟だとわかった。ということは通報場所も高架下からそう遠くなかっただろう」

「マたぶん……あんま覚えてねえけど」

「十七年も経ってるしな……ただ、だとすれば、このあたり」

 

 ケータイでGoogleマップを開き、東京都渋谷区から新宿区境のある箇所を示して、指先でくくる。

 

「でこのへんの住所を丁番重複は除いて一覧で書き出しておいた。通報元の住所がこれらに当てはまらなければまず弾いていい」

 

 純丘はバインダーの上に、あらかじめ用意していたコピー用紙を置いた。該当の住所リストが記載されている。

 

「そもそも俺が把握している限り、あのあたりは普段から人通りが少なかった。シンプルに治安が悪かったから、危機管理能力があれば避けて通る。救急車が呼ばれる機会はそうないはずだ」

 

 三〇〇〇件が一二〇〇件になり、一二〇〇件が五十件まで減った。

 

「あとは一件一件見ていって、最悪は残った面々の素性をすべて調べ上げればいい。楽だな」

「楽……?」

「コイツ頭おかしいから」

「聞こえてるぞ」

「聞こえるように言ってんだよ」

 

 搬送理由や素性を判断基準として、五十人をさらに三人に絞り込む。ここまで三日。

 この三人を詳細に調べ上げ、純丘がまたもや弁護士としての職権濫用をフル活用して、ただ一人が特定されたのが、その半月後だ。

 

「鬼籍」

 

 届いた調査書(の、コピー)その一部を半間が読み上げた。

 生きている人間が鬼籍に入ることはまずない。

 

「マジで死んでんじゃん」

「生霊でなくてよかったな?」

「よかったか?」

 

 純丘は調査書(原本)を団扇で扇ぐようにひらひらと振った。八月もそろそろ下旬に差し掛かる。インドは未だ暑かった。

 花垣はまだ目を覚ましていない。観光ビザは、既に、一月近く使い切っている。

 

「……まァ、おおよそ予想はしていた。次の段階に進むか」

 

 調査書を丁寧にファイルの中へ入れ直した。

 

「とりあえず、俺は橘ちゃんとタケミッチくんを連れて一度日本に帰るよ」

「一度?」

「俺はまだある程度の業務はギリギリリモートでなんとかなり、というか現在進行形でしているのでまあいいとして、絶賛意識不明のタケミッチくんはもはや論外にしても、橘ちゃんの代休と有休がそろそろ底を尽きる。彼女は意外と頑固だから、下手に仕事辞めたりで居残ったとして俺が責任取れん」

 

 もちろん純丘が責任を取るべきかと尋ねられれば、主旨が違うだろう。

 それはそれとして、というやつ。

 

「そもそもあいつ帰る帰らねえとか言ってられる状態かよ? まず意識戻ってねえだろ」

「その現状把握は間違ってねえが」

 

 怪訝げに尋ねた竜胆に、純丘は肩をすくめてみせた。

 

「調査結果が返ってくるまでは暇だったから、仕事がてら、そのあたりの手続は済ませておいた。……実は弁護士ってかなり給与が良くてな?」

「貧乏金欠人間に金の力を与えると手ェつけらんねえんだな」

「おい……」

「マともかく、俺らはようやくお役御免か?」

「そう思うか?」

 

 意味深に問い返した純丘は、蘭がなにかしら返答する前に「ともあれ、一応半間くんには確認を取るべきだろうな」と述べた。

 

「あ? 俺?」

「現状、科学的に引き起こされるタイムトラベルに、世界で一番詳しいのは、おそらくあいつだ。その内容がタケミッチくん由来のタイムリープに対して果たしてどれだけに参考になるかは、俺としても専門外なので詳しくないとして」

 

 半間の読みにくい表情をちらりと見て、純丘は首を傾げてみせる。

 

「鉄太に会うつもりは?」

 

 稀咲鉄太がかつて企てた計画は身勝手かつ外道きわまりないもので、そこに加担した半間修二ももちろん悪であった。悪でしかなかった。

 

 同時に、彼らの間にはたしかな絆があった。彼ら自身がそう捉えていなくとも、たしかに、そこには歪な関係が構築されていた。

 代替の効かない、価値あるものだった。かもしれない。




インドでの入院費
:調べてみてください
 保険の必要性をよくよく実感できる額です

二〇〇三年の東京都の救急搬送件数
:正確には671694件
 総務省消防庁が公式ページにPDFデータとしてアップロードして公開している
 便利な時代ですね

東京消防庁が~
:電子図書館と称したページにPDFファイルで掲載されている
 本当に便利な時代ですね

csv
:メモ帳やExcelで開ける汎用性の高いデータ

ホルモンバランス等の由来により~
:わりとある

 今更ですが。
 弁護士がみんなこんなんだとは絶対に思わないでください。規格外の人脈と人心掌握術と法外手段をフル活用しているからこうなってるだけです。資格剝奪されろ。
 麻薬取締官がこんなんだとも絶対に思わないでください。そもそもこっちは思う人ゼロ感ありますけど本当に絶対に思わないでください。現実だったらどう考えても懲戒免職では済まないのでよろしくお願いします。
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