【完結】罪状記録   作:初弦

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やっぱり人間誠意が大事

「……榎さん、なにをしようとしていらっしゃるんですか?」

「いろいろと。君には迷惑をかけないよ」

「迷惑とか、考えてる、わけじゃ……」

「知ってる。でもマ、本当に気にしないでくれ。君に怒ってるわけじゃない」

「……。怒っていらっしゃるんですか?」

 

 日向の問いかけに、純丘は曖昧に微笑んだ。

 

 旧知にはたびたび指摘され、自らも口を滑らせた通り。純丘は怒っている。理不尽に怒っている。不条理に苛立っている。

 平等も勧善懲悪も因果応報もすべては理想論、御伽話の中でしか成立し得ないことはよく知っている。それでも。

 

 目指そうともがき、近づこうと足掻く、その行いと振る舞いが糾弾されるゆえんはなかったはずだ。

 

 この夢物語は、正しいハッピーエンドにはもはや辿り着けない。

 正しき主人公は心折られ、その中身は今どうなっているやも定かではない。タイムリープなるご都合主義的能力は、全く異なる、正しくない夢物語の主人公に受け渡された。受け渡されてしまった。

 

 だったら——正しくない手段で抗っても良いだろう。

 

 純丘は心底からそう思っている。そう信じている。

 神も仏もいやしない、己すらも真には信じきれぬ世界で、純丘は自らの信条だけは強く握りしめていた。

 

 すなわち〝正しくなくても賢く使え〟だ。

 

「忠告しただろうが」

「こればかりは君の言い分こそがごもっともだ」

 

 呆れ顔で言い放った鉄太に、純丘は短く頷いてみせた。

 実に一月ぶりの兄弟の対面だったが、前回の対面が十五年ぶりながら無味乾燥に終わったので、この辛辣さも当然といえよう。

 

「それで……タケミッチくんのタイムリープについて、いろいろと聞きたいんだが」

「俺もオカルトは詳しかねえぞ」

「まあその前に。一言も喋らねえな。半間くんです」

 

 純丘が手で指し示した男に、鉄太は一瞥を向けて「知ってる」と短く答えた。

 

「こないだインスタにムンバイのロックダウンの写真載せてたろ」

「今でもインスタ把握してる仲だったのか?」

「ヤ教えてねーけど」

 

 半間は微妙に首を傾げた。

 

 この分岐を辿った世界では、彼は鉄太とは二〇〇五年の事件以降は完全に没交渉だった。

 メールも送りあっていなければインスタの交換もしていない。もちろんLINEもTwitterもだ。

 

「情勢を読むならSNSは欠かせねえだろ。兄貴コイツのアカウント〝ЯeAper〟だぞ」

「……ああ〜有名だな確かに、俺のところにもたまに流れてくる。あれ半間くんのものなのか」

「時々写真に写ってる」

「それは知らなかった、よく気づいたな」

「自分の顔はめったに映してねえが、両手に罪と罰の刺青(スミ)入れてる写真家はそういねえだろ」

「間違いねえわ」

 

 ひとまず彼らは稀咲宅に上がった。九月頭の日本で屋外は当然暑い。

 

「……」

 

 すべてを聞かされた鉄太は頭が痛いとばかりにこめかみを抑えた。

 

 いずれ分岐する過去、あるいはいつかの未来で、彼は同じように兄関連のタイムリープとかいう頭痛案件を持ち込まれることになる。可哀想だね。

 

「……その能力、俺に寄越す気は?」

「殺せるものなら殺してみろよ」

 

 純丘は飄々と答えてみせた。

 意訳——自らの意思で譲る気は全くありません。

 

 的確に読み取った鉄太が途端に舌打ちをこぼす。

 

「花垣ならまだマシだった、兄貴を殺すのはマジで……ああくそ……」

「稀咲にも兄弟なら躊躇するとかいう概念あんだな」

「イヤ普通に不意打ちならまだしも準備万端の兄貴を殺すのに現実味がねえ。昔と違って俺に組織的な駒がない、一方兄貴は弁護士とか言い張りながらフリーランスの身軽さでいろいろと手を伸ばしてやがる」

「鉄太は頭は良いんだけどなァ、人を動かすのが少しばかり下手だ」

「ウワ……」

 

 半間修二はちょっと引いた。

 兄弟仲の殺伐さにも引いたし、賢く賢しい者同士の互いの評価にも引いている。

 そもそも稀咲鉄太とて人心掌握と教唆の技術は一人前を通り越した名状しがたきなにかだ。だからこそ二〇〇五年の事件は立て続けに起き、タイムリープというイレギュラーな要素さえなければ、東京卍會は巨悪化して日本に君臨したのだが。

 

「二〇〇五年のやつだって、あれ土壇場に教えられなかったら負けなかったとかじゃねえからな。もともと交友関係がえげつねえから最初っから根回しされた状態で、あとは電話一本さえあればドミノ倒しだ。加えて直前まで初動も悟らせねえ。なにもかもがおかしいだろ」

「常日頃からの地道な努力が評価されてる、いいことじゃないか」

 

 実弟からの悪態混じりの評価である。混ぜっ返しながらも純丘はふと思いを馳せた。

 ……俺まさか弟からも化け物扱いされてる?

 

 そうかもね。

 

「で、呪いか?」

「そうだな、といっても君にこのあたりの知恵まで乞うつもりはない。死霊の呪いだ、すなわち神道に則るならば——」

「……ああ、荒御魂と和御魂か? アンタが神道を信じてるとは思っていなかったが」

「そういうことだな。俺は神道も別に信じているとは言い難い。あくまでもたとえだ、とはいえ、手堅くいくなら定石をなぞるべきだろう」

「……なんの話?」

 

 兄弟間の会話は一足飛びに進んでいるが、周囲はもちろん置いてけぼりだ。

 周囲たる半間修二は怪訝に尋ねた。

 

「オカルトにはオカルト、っつうことらしい」

 

 鉄太は溜息混じりに述べた。

 

「菅原道真、は知らなそうだな。崇徳天皇……も知ってたら半間じゃねえな」

「オイ」

「なら知ってんのか?」

「ヤ知らねえけど」

「平将門もこの調子じゃ知らねえだろうな」

 

 やれやれと鉄太は首を横に振った。

 名前自体は日本史をきちんと学んでいれば目に入る可能性はきわめて高いが、生粋のヤンキーが日本史をきちんと学んでいる可能性はきわめて低い。

 

 ただし、そもそも彼らの共通点に関しては一般教養でもないので、半間でなくとも知らなくとも無理はない。

 

「日本三大怨霊——テメエにもわかるように雑に説明すると、今名前を挙げたコイツら全員、昔わりとひどい目に遭って死んだ有名人だ。いずれも千年は前の話だが」

「知らねーよンな昔のヤツ。俺が知ってんのはトクガワヒデヨシぐらいだっての」

「……混ざってないか?」

「戦国時代から江戸時代にかけての授業は置いとくぞ」

 

 元塾講師が食いつきかけたので、鉄太は話を巻きで進めることにした。

 そもそも話持ってきたのアンタだよな?

 

「ともかく、さっき言った三人の死後。そいつらの死因になったやつらの周囲に立て続けに不幸が起きている。人はそれを祟りと呼んだ。この場合なら、呪いと言い換えてもいいな。もちろん、実際の因果関係は不明だが……平安時代ならそんなモンだろ、祈祷と占いに政治すら左右された時代だ」

「……あー、呪い?」

「そこだな」

 

 純丘榎はタイムリーパーの呪いを叩き潰すと宣った。

 千年も前の無関係な偉人の逸話と、ようやく関連が見えてきた。

 

「ともあれ、祟りを鎮めるため、彼らはいずれも神社に祀られた。神道、日本のアニミズムの考え方だ。荒御魂と和御魂の性質に関してはちょっと面倒なので、簡潔にまとめる」

 

 ここで純丘が説明を引き取った。

 

「祟りを起こせるほどの力は、それすなわち神に通ずる力。供物や祈祷を捧げることで、謝意と反省を示し、機嫌を取り、どうか怒りを鎮めて良い方に力を使ってくれ、と」

「……ソレを、佐野真一郎が殺したホームレス相手にもやんの?」

 

 呆れたような声色で、半間はつぶやいた。

 まったくもって、仰々しいが、詭弁じみた言葉であり、屁理屈にしか聞こえなかった。

 

「要するに、詫びの品でもやるから、自分を殺しやがった野郎と、殺された原因に怒んのをやめろって? 言うわけ? マジ? そんなん、都合よすぎねえの?」

「そうだな」

「そうだなって」

「だとしてもだ」

 

 純丘は殊の外静かに述べた。

 

 鉄太は口をつぐんで、元部下と、実兄の会話を、注意深く眺めていた。

 純丘榎は——わかりづらいが——怒っている。間違いなく。インドから日本に帰国して、顔を合わせた瞬間から、鉄太は兄の心境を薄々察していた。

 

「起きたことの取り返しはつかない。覆水は盆には返らない。時間を巻き戻せるとしても、やり直しが効かないことは、間違いなくある」

 

 たとえば、それこそ真一郎がホームレスを殺した件をなかったことにするには、真一郎がタイムリープして過去を変える、それ以前までに遡る必要があるだろう。

 

 純丘にはそれができない。何故か——シンプルだ。真一郎が、いつどこのタイミングで過去を変えたのか、彼は把握していないからだ。

 万次郎を助けたこと、三途がトリガーだったことは把握していても、その詳細な年月日まで推理するにはあまりに情報が不足していた。

 

 そして、そもそも。

 あったはずの罪をなかったことにすることは、純丘の信条に反する。

 

「罪を冒してしまったからには、相応の罰を受け、償わなければならない」

 

 純丘のてのひらが、ふと、名刺入れが入った内ポケットの位置を撫でた。

 弁護士バッジは純丘の名刺入れの中に眠っている。

 

「刑法は社会の混沌を整備し、因果応報のない世界で罪への罰を定め、その罰を以てこそ犯罪の抑止力とし、また被害者の救済を意図している。と同時に、加害者が過剰な報復を受けないためにも、規定されたものだ」

 

 法では決して裁かれない犯罪。もはや書き換えられてなかったことになった罪状。

 だからこそ、真一郎は罰を受けなかった。社会が規定した然るべき報いを受けなかった。

 

 代わりに下されたのは〝呪い〟という、不確かな事象による報復だ。下手人たる真一郎を殺し、万次郎を介して暴れ、厄災を振りまいた。

 報復としてはあまりにも過剰だった。全く無関係の人間まで巻き込んで、すべてを破壊し尽くすような。

 

 それでいて——前提として、殺害という手段に出た真一郎が悪い。

 

「謝ればいいというものじゃない。償えばいいというものじゃない。詫びでなにもかもが収まるわけがない。そうだとしても……まずは謝らなければ、なにも始まらない」

 

 悪いことをしたなら、ごめんなさいと、言うべきだ。

 幼子に言い聞かせるような綺麗事——あるいは、人としての大前提。

 

 純丘榎は信じている。神も仏も全く信用していない男は、ただ、倫理と道徳を信じている。法律を信じている。社会を信じている。

 ときどき失望しながら、それでも、信じている。

 

「……言うよな」

 

 鉄太がふとつぶやく。どこか冷めた様子の実弟を、純丘は澄んだ無表情で見返した。

 

「俺から罪も償いも罰も取り上げたアンタが」

「……ああ、だって、そうだろ?」

 

 彼は微笑んだ。まるでいつも通りのように。

 

「償えない、罰も受けられない、つまりその罪は、一生背負い続けなければならない。お前は、よく理解していることだろう」

 

 実弟であれど、実弟だからこそ、純丘は許すつもりは毛頭なかった。

 ひとかけらも、一片たりとも。

 

「……オマエらほんとに兄弟なんだよな?」

 

 さすがにあまりに殺伐としたやり取りに、思わず半間は尋ねた。

 

「兄弟だが」

 

 鉄太が鼻を鳴らす。

 

「その事実が示すのは、家系図で近似の位置、それか遺伝子が相似しているだけの別個体、他の意味はねえだろ」

「俺としても血が繋がってること自体に特別な意味は見出さないたちでな。それに俺は周りをそそのかして自分は手を汚さないやつが嫌いなんだ。俺みたいで」

「だろうな」

 

 用事があれば表面上円滑にやり取りすることはできるが、やはり、一度生まれた確執が復元される気配はない。

 兄弟双方、織り込み済みの単なる事実だ。鉄太はすんと表情を戻して「ともかく——花垣のタイムリープも、呪いも、俺の研究範囲とは現象こそ似ているが全くかぶらない。まるきり専門外のオカルトだ」話もついでに差し戻した。

 

「そのうえで、思うことはある。呪いとやらだけじゃなく、タイムリープの能力そのものだ。俺にはまるで……こっちも、ある種の生き物の生態みてェに見えて気味が悪い」

「生き物」

「能力者が死ぬ未来を辿る場合は、過去に飛んで、まずは能力者に自らが死ぬ未来を変えさせる。能力者が殺された場合は、殺したやつに能力が移る。能力者とトリガーが目的を達成すればぱったりとなりを潜めるが、死が迫れば、またタイムリープが行われる。宿主を生かさず殺さず、ときには乗り移って生き延びる……寄生虫の生態じみている」

 

 能力者当人を前にはっきりと気味が悪いと言ってのける。鉄太としては意趣返しの目的が半分、そして、もう半分は嘘偽りない彼の所感である。

 気味が悪い現象だった。科学的に説明できない、というだけではなく。

 

「関東事変前後の、花垣が改変するまで未来に戻れなかったとか宣ってたらしい件、あれも案外、未来であいつが死んでたとかじゃねえか? 戻れる肉体が死んでるとき、肉体が生き延びられる未来に行きつくまで、能力は発動しない。戻った瞬間宿主が死ぬんじゃ、タイムリープの能力自体も譲渡される間もなく消滅するから」

「ふむ」

 

 純丘は短く相槌を打った。肯定も否定も含まれない声音である。

 

「タイムリープして過去に戻った時、その過去で能力者が死んだら……案外、さらに過去へ飛ぶのかもしれねえな。死ぬ過去を変えられる時点まで、遡る。絶対に、タイムリープの能力を消さないために」

「さてそこを意図的に検証するつもりは俺にはないとして」

 

 実弟の言葉にそらとぼけたように返し、純丘はふと目を伏せた。

 彼の指先が、テーブルの木目を無意味に繰り返しなぞっている。なにかを思案し、吟味する最中の純丘のくせだった。

 

「……君の評価、一部は間違いなく同意はできる。花垣くんはもとより、俺のタイムリープも、月日に加えて時刻までぴったり一致していた。閏日も、どころかおそらく閏秒も計算に入れて、グレゴリオ暦に則ってキッカリ十七年。俺としも少し、気味が悪い」

「きっかり?」

 

 途中の言い回しを聞きとがめたのは半間だ。

 

「稀咲兄、オマエ二〇二〇年に戻ってきたとき正午ちょい過ぎだったろ。けど俺、てめーと会ったんは日が沈む直前だったんは覚えてるぜ。気色悪いTシャツが夕日の色でさらにキッショくなってた」

「それは……兄貴からしちゃ、だからこそだろ」

「どこがだよ」

「ガヤと日本の時差は四時間だ。日本のほうが早い。日本の午後六時ごろは、ガヤでは正午に該当する」

 

 純丘は端的に述べた。

 

「なんなら、タイムリープしたときもそうだった。俺たちが結果的に飛び込んだ路線、その終電の時刻がおよそ零時半。一方、俺が二〇〇三年七月三十一日に起きた時刻がおよそ四時半」

「……あーね」

 

 気味が悪いと評されるだけはある。人智を超えた現象とひとくくりにまとめるには、些か、人間が取り決めた法則に沿いすぎている。

 

「それで……なるほど、鉄太も見解はおおよそ()()に行きつくか」

 

 含みのある物言いだった。

 半間が兄弟二人を見比べれば、純丘の表情はさして変わらぬ一方、鉄太が露骨に顔をしかめた。

 

「自説の検証に俺を使うな。にしてもアンタ、いったいなにを企んでやがる?」

「大したことじゃない。少なくとも、能力が発動している間、死なないことを前提に回る事象なら……」

 

 純丘は自らの唇をなめて、すこし湿らせた。異国で組み立てられた大まかなシナリオが、さらに細部を彫り込んで、脳内で精緻に示される。

 

「改変後の俺が、タイムリープに関する情報を入手できるように人員と手段を配備させておく。断片だけでいい……俺なら、指示を含めれば大方察せられる。自分のことは自分が一番よく知っている、とは言わねえが、俺自身がタイムリープしているとわかれば、まず能力を手元に置くはずだ。変数はできるだけ排除するだろう」

 

 改変後の世界で、まだタイムリープしていない純丘がそれでもタイムリープの能力を手元に置こうとする場合、すなわち能力保持者の花垣をどうにかして入手することになるが。

 

 こいつならまァやるわな。

 

 鉄太も半間も思考が一致した。やるっていうか、できるわな。

 殺すまでもない。おそらく容易に騙してかすめ取る。信頼と信用を悪用することに躊躇さえしなければ、造作もないはずだ。

 

「寺野くんの手伝いをすると決めたなら、死の分岐も選択肢も、改変後の俺にはより日常になじんでいるはずだ。だったら……どこかのタイミングで、タイムリープの実証のために、自殺を図るだろう。その時点が二〇二〇年より前になるよう、調整しておく」

 

 つらつらと語られる内容は、長文かつ意図するところがあいまいで、会話というよりは独り言による思考整理の性質が強かった。

 

「意味わかんねーけどバカろくでもねえこと言ってそうなのだけわかる」

 

 半間の感想。

 

 一方、実兄のひとりごともどきの意味をしっかり理解してしまった鉄太は、顔を引きつらせていた。会話の最中に眼鏡の位置が若干下がっていたのに気づいて、今更ながら、もとの位置に戻す。

 

「つまりアンタ……過去を改変した上で、戻るはずの二〇二〇年より()に改変後の自分を死なせておくことで、タイムリープの起点を強制的に変えるとか言ってねえか?」

 

 ほとんど確信を持った問いかけに、純丘は「ついでの補説だが」口角を上げてみせた。

 

「起点の年月日が変わったとして、そこから戻るべき()()は十七年前、あるいは、二〇〇三年のままだと思うか? それとも……行きつく先、辿り着く過去は、変わるだろうか? それこそ、俺が止めたいものは振りまかれた〝呪い〟だ」

「頭おかしいだろ!」

 

 万感こもった糾弾だった。

 日本史上最年少ノーベル賞受賞者、消えた未来では日本裏社会のフィクサーだった男から下される〝頭おかしい〟は説得力が段違いだった。

 

「言うわりに結論そのものは否定しねえな。俺だけならまだしも、君もそう思うなら、なるほど? この路線でいってみるか」

「テメエだから俺を自説の検証に使うなと。第一、あくまでも可能性は否定できないだけだ。上手くいくとも限らねえ。言っちゃなんだが、花垣の賭けの方が前例があるぶんまだ安牌だった」

「正しくなくても賢く使うべきだ。須らく、何事も」

 

 久しぶりに引用されたそれが、純丘榎の座右の銘であることは鉄太はさすがに知っていた。家を出るまでにも何度か耳にした言葉だった。

 

「どうせすべてが不確定なら、いっそやりつくしてみるべきだ。それに——どうにしろ、君には止められない」

 

 いずれ上書きされる世界。このやり取りすら塗りつぶされて消え失せる。

 

 そして純丘榎のタイムリープ、そのトリガーは半間修二だ。稀咲ではなくなった鉄太ではない。

 刹那主義、享楽的、誰かの幸せや正しい生き方よりも、現実を舞台に繰り広げられるサーカスを観たい男。

 

「稀咲がその反応するってことはこれマジでおもろそうだな」

「テメエはテメエで目先の意味不明さに釣られてんじゃねえふざけてんのか」

 

 思惑通り半間も今度こそしっかり釣れてくれたところで、純丘榎の下準備はようやく目標を一つクリアした。

 次の段階に移行しよう。

 

 つまり——殺されたホームレスの男、その墓の所在地の調査である。

 

 

  やっぱり人間誠意が大事

 

 

 基本的に、身寄りがない人間が病院で亡くなった場合、病院から自治体に連絡が行われたのち、自治体のほうで火葬の手続きが取られ、遺骨はしばらく自治体で保管される。その期間は、もちろん自治体によって差はあるとして、およそ五年。

 引き取り手が現れなかった場合、最終的には公営の合葬墓に埋葬されることとなる。

 

 日本に戻ってきた純丘、リモートでは終わらなかった仕事を片付ける傍ら、十七年前の遺骨の行方を追った。

 所在が分かったころには、九月も終わりに差し掛かっていた。二〇二〇年を使い切るまで残り四ヶ月。

 

「……ガッソウ? ……吹奏楽的な?」

「合葬墓。あるいは合葬墓地。漢字は奏でる方ではなく、葬儀の葬だな。複数人の骨が一緒くたに埋葬される、たいていは身寄りがない人たちだが、昨今は墓仕舞いをした人々が埋葬される場合もある。無縁墓地と呼ぶのは語弊もあるが、知名度はまだ高いかもな」

「ああ、骨のゴミ処理場?」

「絶ッ対に人前で言うなよソレ……」

 

 ドン引きで釘を刺す純丘に「否定しねえってことは合ってんじゃねえの?」半間は怪訝そうに眉を寄せた。

 全方面に喧嘩を売りかねない物言いは合っている合ってない以前の問題だ。

 

「……てかわりと歩くな」

「もう少しだと思うが。……あった」

 

 閑散とした土地に、一本、若木が立っていた。

 純丘や半間の身長よりは育っているが、おそらく、芽が出てから長くても数十年といった様相だ。

 

「昔あったろ、このー木なんの木気になる木ー」

「懐かしいが……これは樹木葬だな。最近増えてきたが、二十一世紀初頭の墓にしちゃ珍しい」

 

 個別に埋葬する場合の樹木葬は、一人ごと、あるいは家系ごとに一本ずつ木を植える場合が多い。一方で合葬墓地でいう樹木葬は、一本の大樹の周りに、複数の遺骨を埋葬する形をとる。

 

 さて純丘はともかくなぜ半間まで墓地に、といえば。

 

「管理者に許可はとったから、参拝客に失礼のない範囲で撮影するならどうぞお好きに」

 

 半間修二。

 彼の現在の職業は、いずれ上書きされた後の世界同様、フォトグラファーである。

 

「稀咲兄、そういうとこは柔軟なのな~? 死人のご機嫌取りに来たくせして」

「真一郎さんが人を殺したことと、君は、まるで関係ねえだろ」

 

 気のない声で述べる純丘に、半間がいかにも意地悪げに笑った。

 

「アンタも関係ねえだろ。タイムリープ以外、なぁんも」

「そうだな」

 

 返答はやはり素気無い。強がりではなく、言葉通り、堪えた様子もない。

 

「だから、本質は、俺の自己満足にすぎない」

 

 樹木に歩み寄る男を眺めて、半間は肩をすくめた。

 柳に風。馬耳東風。暖簾に腕押し。とは若干異なるとして。相手から述べられる言葉を把握しながらも、一切受け入れるつもりのない姿勢。こういうあたりは稀咲鉄太と類似していて、しかし、微妙に違う。その具体的な違いを言葉に落とし込むのは、難しいが。

 

 樹木の前で、す、と純丘はまず背筋を正した。深々と、頭を下げる礼。数十秒の間を開けて、頭をもたげて、もう一度礼。

 続いて、柏手が二度打ち鳴らされる。

 

「……」

 

 手を合わせて祈る姿に向けて、半間は無言で、シャッターを切った。

 

 撮るべき一瞬を、撮る。たとえそのすべてがいずれ消えるにしても。

 

 言うだけあって、純丘榎は確かに()()を行いに来たようだ。死者のもとへ参り、拝する。

 思い入れどころか、顔を合わせたこともない人間に対して。

 

「そういや二礼二拍手一礼って、神社じゃね?」

「そこは知ってんのか。その通りだよ」

 

 半間の問いかけに、純丘は頷いた。参拝を終え、ついでに周辺を掃除していた。これは半ば彼の癖に由来する。

 

「これは君が〝鬼籍〟以外読まなかった調査書にも書いてあったんだが」

「読めとも言われてねえし」

「俺も咎めるつもりはなく。……彼は仏教徒ではなく、神道のひとだったらしい。世界的にみても、日本の宗教観は曖昧で、なんとなく家系で決められがちだから、本人に自覚があったかは怪しいが」

「ふーん。どこの神社? なんか派閥あんだろ、ヤンキーみたいに」

「ヤンキーみたいにて」

 

 半間の認識を間違っていると一概に断ずるには、純丘はヤンキーの文化にはそこまで詳しくなかった。

 でもたぶん違う気がする。

 

「どう言えば伝わるか……ああ、君、武蔵神社は覚えているか? 東京卍會の溜まり場だった」

「あー」

「神道でも同じ系統の信仰を汲んでいるはずだ。あの高架下からは比較的近所ということもあるし、信心深ければ、通っていたりしたかもしれない」

 

 落ち葉や、もしかしたらお供物だったのかもしれない菓子の残骸、たばこの燃えカスといったゴミがちりとりに集まった。

 それらすべて、持参したビニール袋に流し込み、きゅっと結ぶ。

 

「そうだとしたら、案外、真一郎さんはより昔にすれ違っていたりしたのかもな……」

 

 毎年クリスマスに神社に参拝していた、神仏習合ならぬ神神習合じみた奇特な人間。佐野真一郎。もっとも、すれ違っていたとして、だからなんだというのかと尋ねられれば、純丘とて答えられはしない。

 

 いずれ殺す人間と、殺される人間。あるいは全く無関係の人間。

 彼らには、他にも、袖振り合う程度の縁があった。かもしれない。

 

 ごく可能性の低い話だ。

 

 

 下準備はほとんど完了したが、あと少しだけ残っていた。

 

 

「……有休? 十一月から? たしかに余っちゃいるが。テメエはこっちが言っても限界まで取るのを億劫がるから。取らせねえとブラック扱いされんのは俺の方なんだが」

「ははは。すみませんでした雇い主様社長様大寿様」

「謝罪なら俺じゃなく人事と経理に言え。あと柚葉」

「ッス……」

「有休はいいが、取るにしても最低限の引き継ぎはしていけ。もともとそのあたり、言われなくてもやるだろうが……」

「ああそこはもちろん、だから十一月からと言っただろ?」

「だろうな。にしても、なに企んでんだ?」

「揃いも揃って俺が企んでいること前提なんだよな……インドに出向いてくるだけだよ」

「……またか? ……しかも十一月に?」

「そういう気分のときもある」

「……。休職に入るなら伝言でもいいから伝えろ」

「気遣いありがたいが、心配せんでも、有休は残り十五日残っている。週休と合わせりゃ約三週間——問題はない」

「マジでなに企んでやがる?」

「俺の信用はゼロか?」

「ことこの手に関しちゃマイナスだが?」

 

「……ふーん」

「……堤、俺の話聞いてたよな?」

「聞いてたよ。なんで純丘くんが花垣くんの治療費立て替えてるのかなとか思わなくもないけど」

「様々な事情がある」

「その管理を、渡航するにしたって私に投げてくる理由もこいつ話す気ないよねとか思ってるけど」

「とても様々な事情がある」

「まァあなたはあなたのやりたいようにやるだろうから、安否はともかくそのあたりは心配してないけど」

「安否はともかくっつった……?」

「心配してないけど、これ以上ヒナちゃんが心労を負うようなことがあったら殺すからね」

「シンプルな殺意」

「前科あるでしょ」

「あります。悪いと思ってます」

 

 紆余曲折を一部抜粋したがこれ以上の紆余曲折があった。それはさておき純丘は有休をもぎ取り、花垣の治療費の管理を旧知にお任せした。

 紆余曲折というかひたすら各方面から叱られていただけとも言うだろう。

 

 呆れたように嘆息して、彼らは了承した。

 純丘の所業をよくわかっているからこそ忠告や叱責を寄越し、しかし純丘を信頼しているので許可を出し、請け負った。

 

 彼が今まで築いてきた人間関係である。

 もしかしたら一部は(あるいは、大部分が)改変による上書きに基づいて、消し飛ぶかもしれないとしても。

 

「うわ〜マジで戻ってきやがった。……マジで戻ってきやがった」

 

 竜胆はげんなりと繰り返した。大事なことなので二度言いました。

 

「次はなんの無茶振りだろうな」

 

 半笑いの蘭が述べる。

 表情こそ半笑いだが目が笑っていない。コイツいい加減にしろよぐらいの怒りはあるだろう。妥当でもあるだろう。

 

「無茶振りだなんてまさか……」

「でも半間連れてきてるよな」

「大層なこと言うわりになにしてんのかよくわかんなくてなんかフツーにおもろくなってきた」

「ああ。まァわかるわそれは」

 

 同意を示す竜胆。

 純丘はこのへんだいぶ意味がわからない。君らの方が間違いなく十二分に突拍子もねえからな。

 

「さすがにウィークリーマンションや俺の城でタイムリープした場合、一週間ぐらいで第三者に見つかって大惨事になること請け合いだから」

「それはそうだとしてなんで俺らだよ」

「この点において君たちが一番信用できる」

 

 純丘はさらりと述べた。

 灰谷兄弟が〝コイツマジでさ〟という顔をした。傍から見ているだけで、付き合いも短く浅い半間でもよくわかった。

 

「わざとなのがな……」

「マジで九割九分わざとなんだよなコイツ……」

「わざとだってのに嘘じゃねえのがマジでたち悪ィ……」

「なんか疲れてんぞ」

「いい加減ちょっとぐらい俺が振り回してもいいだろ」

「いーけどイザナが拒否ったらそのへん捨てっから」

「捨てる先はガンジス川で頼む」

「注文つけてくるし……」

 

 ぽんぽんと交わされる軽快な会話。はたで聞いている半間は、だんだんと首を傾げていった。

 

「……稀咲兄さぁ」

「なに?」

「灰谷どもと話してるときが一番気安いよな」

「イッ、テェなおい待て蘭、今の俺がシバかれるのか!? 半間くんじゃなくて!?」

「オモロ」

「君は君で味を占めてオモチャにするなよ!?」

 

 無論純丘の言葉は真実だ。不用意にそのあたりに倒れてまかり間違って腐乱死体にでもなった場合、普通に迷惑がかかる。

 一方で灰谷兄弟と愉快な仲間たち(愉快とは?)であれば、少なくとも死体の処理はお得意だろう。純丘の希望としては点滴投与ぐらいはしてほしいが、贅沢は言わない。上手く行けばどちらにせよ上書きされる世界だ。

 

 理由はそれだけではないが。

 

「君らちなみになにか変えたい過去とかある?」

「聞き方が買い出しのついでのノリなんだよ」

 

 あまりに軽やかな問いかけに、兄弟は揃って呆れた顔をした。

 

「いらねーいらねー、さっさと行ってこい」

「つうか俺らはどーでもいいけどマジで構ってる暇あんの? はよ行け」

 

 しっしと手を振る兄弟に「ハイハイ了解」純丘はこちらも適当にあしらった。

 

「んじゃいってくるわ」

「おー。いってら。帰ってくんなよ」

「オマエら仲いいのか悪いのかわかんねェな」

 

 仲は悪くない。

 上手く行けば上書きされる世界——ならば、インドを好きなように満喫する者共には、もう二度と会えないだろう。

 

 別れの挨拶はたいへんカラッとサッパリしていたが、しかしまあ、別れの挨拶ができるならしておきたいと思う程度の情はあるわけだ。双方とも。




Twitter
:二〇二〇年なのでTwitter

荒御魂と和御魂
:荒御魂は戦争や勝利の側面を担う場合もあるので別に一概に悪いものでもない
 和御魂は主に平穏や不変的なアレ
 詳しくは調べてください

刑法は~
:法律ってなかなかに奥深くて面白いんですよ(一般通過法律にわかオタクの自我)

午後六時頃
:二〇〇三年八月一日の東京都の日の入りは18時46分
 気象庁参照

身寄りのない人間が~
:行旅病人及行旅死亡人取扱法(行旅法)に則った措置

このー木なんの木気になる木ー
:日立の樹のCM
 徐々にこのCMを流す番組は消えていき、二〇二四年三月に消滅

樹木葬
:日本の場合、一九九九年に岩手県で取り組まれたのが最初といわれている

神道のひとだったらしい
:場地圭介刺傷箇所以来のフルパワー捏造です
 公式で言及されたことはたぶん一ミリもない
 あったら逆に怖い
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