「こいつ一虎な。一虎、こっち部長」
「君らはどうしてフルネームで紹介しないんだ。純丘榎な」
もはや慣れを含んだ顔つきで、場地の言葉に訂正を入れて、それから純丘はのったりと首をかしげた。
「よろしく、あー……」
隔週のルーチンワークとして林田家での家庭教師のアルバイトを終えた純丘。
彼が不意に投げた〝そういや菓子余ってんだけど食うか?〟という問いにより、林田がすぐさまいつものメンバーに連絡をつけ、見事面々は集まった。
彼らの現在位置は、佐野家に併設された空手道場のド真ん中だ。騒ぐには適しているところという共通認識が浸透している。世の道場すべてがそうであるわけではない。
そのうち純丘の眼前にいる少年は、お互いに初見の顔だ。
晴天教室やら塾講師アルバイトやら空手教室やら諸々で、年下への顔が広い純丘にとって、ちょっと珍しい出来事に当たる。
「……カズトラくん?」
やたらと眼力が強いことが特徴的な少年、もとい羽宮一虎は無邪気な口ぶりで問い返した。
「アンタ島部長みたいにいろんなやつ引っ掛けるから部長って呼ばれてるってマジ?」
11 months ago
「ちなみにそれ誰が言い出しっぺだ?」
「イデデデデデ部長マッ、部長! 痛ェ!」
とりあえず手近にいたあだ名使用者の腕を固めながら——君その由来知った上で使ってたんだろうな、の意を込めて——尋ねる純丘。ギブギブギブ! 悲鳴を上げる場地に一虎は思わずちょっと笑った。
ただし笑っているその頬は若干引き攣っていた。いきなり他人のこと締め上げるタイプの人間とか、聞いてねえんだよな?
普段なら純丘もいきなり他人のこと締め上げたりしないが、まあ発言とタイミングが悪かった。
「マイキーデス」
「ッベ」
「ナルホド……お話しような万次郎くん」
「待ってタイムタイム」
既にある一定の界隈では〝無敵のマイキー〟とその名が知れ渡っている少年は、しかし今回ばかりは明らかに及び腰だ。いくら無敵であっても、五歳も年上の昔馴染との間には、物理的な実力の前に精神的なヒエラルキーというものがある。
いざというときに頼るぐらいの関係性を築いている相手——しかも普段はなんだかんだと許してくれる——に、怒られるのって、嫌だよね。
つまりそういうこと。
あと物理的実力も現時点では純丘の勝率の方がギリ高い。現時点では。
「シンイチローだってそうだなって言ってたし!」
「真一郎さんが肯定したから、なんだ?」
「……ほ、褒めてんの!」
声色が一段階低くなったのを聞いて、万次郎はすぐさま説得の方向性を変えた。他人を引き合いに出して言い訳する行為を、純丘は間違いなく好いていない。
「君が褒めてるつもりでも俺にとっちゃそうじゃねえからなあ。怒るってわかってたから今まで黙ってたんだろ?」
「今度から取締役って呼ぶから!」
「論点がズレてんだよな?」
「痛い痛い痛いごめんって! マジでゴメンって!」
「ははははは」
ギリギリ締め上げられるこめかみ、濁点付きの叫び声が響く。本日は雨寸前の曇り。絶叫は天候に相応しい不吉さを有していた。
内情は〝知人の悪ガキを締め上げる高校生〟ぐらいのアレというか、言葉通りだけれども。
一通り元凶をシメたのち——優等生と言い張るわり、大概純丘もヤンキー理論の中で生きている——改めて詳しい関係性が説明される。
カズトラこと羽宮一虎、万次郎を筆頭とする仲良しメンバーの一人、かつ、同学年とのこと。今まで純丘と出会わなかったのは、単に遭遇する機会がなかっただけの話だ。
「ぶ……純丘くん、こいつ三ツ谷隆っす。確か会ったことないですよね?」
「よろしくお願いします、純丘くん? 榎くん?」
「どちらでもいいが……際立つな」
目を眇めて嘯く純丘。なにがって、差が。
もっとも彼らに関しては、目の前で万次郎と場地がそれぞれ締められて学習したのもあるだろうが。龍宮寺などは一瞬言いかけて直したのが見え見えなので。
締めるか締めまいか迷って、まあいつもしっかりしてるしこんぐらいはな、内心頷く約一名。日頃の行いは身を助く。
「ンで部長」
「万次郎〜?」
「部長だって俺のことマイキーって言わねえクセに。いーだろ、由来言わなきゃ」
「……まァな?」
「で部長、チョコは?」
小首をかしげた万次郎に「よくわかったな」純丘は肩をすくめた。
「ほれ、菓子」
ざらりと机の上に並べられた色とりどりの菓子に「おお」一虎が腰を上げて——その一方、わずかに眉をひそめたのは三ツ谷だ。彼は家庭内の家事をある程度引き受けており、妹たちの世話を焼くのも日常茶飯事。
この場において重要なのは、その特性上、彼は同世代よりも菓子づくりに詳しいということ。
目の前の菓子は、スーパーで売られているような既製品ではなく、手作りばかり。しかもやたらデコレーションに凝っているのがちらほら見受けられる。
……ちなみに今は二月半ば、土曜日だ。学校がないので午後、日が高いうちに早々に集合できたわけだが。
——万次郎は何故、菓子の大半が〝チョコ〟だとわかったのか?
「……今日ってさ」
「ん?」
「十五日すよね」
「そうだな」
三ツ谷の言葉に、純丘はあっけらかんとそう相槌を打った。よくよく周囲を観察すれば龍宮寺の目が死んでいた。こちらは三ツ谷の日付確認でようやく思い至ったクチだが、なまじ純丘との付き合いが三ツ谷よりは長いために疑惑ではなく確信してしまっている。
この人そういうことやるよなわかる。わかりたくもねえ。彼の心を意訳するとこのようになる。
「もしかしてこれバレンタインのチョコ?」
「異物入ってるやつは除いたから安心しろ」
「安心させる気あります?」
むしろ入ってたのあったんだなという。尚更三ツ谷の食欲は失せた。
一瞬前に発覚した通り異物混入と紙一重なのもあるが、先程も述べたとおりこれらのチョコレート菓子はほとんどが手作り、気合が入った様相である。ちらほら混じる既製品もパッケージデザインがブランドもの。絶対高ェよこれ。三ツ谷はそう直感したし実際その直感は正しい。
すなわち。
「これ九割本命チョコっすよね……?」
「いや」
おそるおそる確認された事項を、純丘は短く否定した。
「義理は昨日知り合いにも配ったから十割だな」
「刺されねえ?」
「そんなヘマはしねえよ」
至極真面目な顔で疑問を呈した三ツ谷。一方、よく考えると最低なことを言ってのけた純丘は「まあ確かに」抉じ開けられた形跡のあるパッケージを振った。
「俺だってジャン=ポール・エヴァンのチョコレートとか渡されると思ってなかったけどさ。あのブランド日本上陸してたんだな」
「なにそれ」
「一粒数百円……」
つらりと値段を述べて——少なくとも、それ一粒が明治の板チョコ複数枚と等価——純丘は三ツ谷から視線を外した。視線の先には、ハムスターのように頬をふくらませる林田。
「春樹がいま一気に四千円ぐらい食べ終えたけど、あれだよ」
「ウ、ウワ……」
如実に引いている。心の底から引いている。なにに引いているかといえば、淡々と解説する純丘に引いている。あとぱーちんはもうちょい味わって食え。
元々三ツ谷自身の人が良い性格に加えて、家庭柄彼は家事にも優れているので〝お菓子作りってどういう本参考にすればいい?〟といったような相談も度々持ちかけられる……三ツ谷本人狙いの子がそれを口実にすることだって少なくない。
確かに、本命チョコレートを多数で消費するまでは、特に三ツ谷もなにを言うでもない。他人の話だし。こんな数多いし。この人意外なぐらいモテてんだなと思う程度だ。面積が広いチョコレートを割るのもまあわかる。大きくていや食べられないと駄々をこねるちびっこの世話を焼く三ツ谷としてもわかる。大きすぎると喉詰まらせるし。大抵は小さくした方が食べやすいし。
でもチョコレート全部ご丁寧に半分に割ってんのはさすがにだいぶ違くね? とも思うわけである。
大小の区別なく、目視できる範囲のチョコレートはすべて割れている。丁寧な飾り付けとか配慮の余地もなく最低でも真っ二つだ。
「そのへんは猜疑心……疑り深い知人がいてな」
純丘は興味もなさそうにつぶやいた。特にそういう理由がなくとも、彼はハート型のチョコを割るのに躊躇したりはしない——とかは言及しないとして。
「てかそいつらのチョコもだいぶ混じってるし、別に俺が全部稼いではねえよ」
「だいぶ」
「この中で俺がちゃんと貰ったチョコ、一割ぐらい? 他は捨てられかけてたからさすがに回収してきた」
「人の心がないんすか?」
「たぶんあるけど使う気がない」
真面目な顔つきで言ってのける内容ではない。もちろんお察しの人々である。
ところで、バレンタイン直後の純丘によるチョコレート配布イベント——またの名を無慈悲による好意破壊——は、案の定と言うべきか、既に佐野家における恒例行事と化していた。特に万次郎や場地、林田はそれこそ容赦皆無で食べていく。羽宮は初イベントのはずだがまあまあ満喫している。引いているのはそれこそ双龍ぐらい。
期せずして少数派に属してしまった(比較的)常識人たちは〝もしかしてこれは自分たちがおかしいのか……?〟と自信をなくし始めていた。
安心してほしいがその自信はなくしてはいけない最後の一線である。
「ふぁふぁん」
「噛み砕いて飲み込んでから喋れ」
と、ここで顔を上げたのは林田だった。
純丘の端的な叱責に、咀嚼して、嚥下して、そうして再び「部長」と口を開く。
「この量、チョコフォンデュした方が早ェと思うぜ」
「ぱーちんまじで言ってんのか?」
「おいやめとけよ……」
「そうだな、アーモンドチョコだのドライフルーツ入りだのアラザンの飾りだのあるから、俺も正直オススメはしない」
「……そうじゃねえだろ!?」
思わず敬語も忘れて怒鳴ってしまった三ツ谷は全く悪くない。
しかし集団というものは得てしてマジョリティに流れがちで、当のマジョリティが実のところ良識的ではないことも儘ある。少数派の意見は軽視されやすい。三ツ谷も龍宮寺もツッコミを入れたというのに微塵も響いていないのは、なにも彼らのせいではない。
民主主義において選挙の問題点ってそういうとこだよね。公民及び政経の授業っぽい話はここで話すことではないとして。
「中学場地とも一虎とも三ツ谷ともぱーちんとも一緒じゃないんだ。信じられる? 裏切りだろ」
「学区に裏切りもクソもあるかよ」
「四月になっても遊ぶからな。逃げんなよ。学校にも乗り込むからな」
「お〜」
「オレが信じるのはケンチンと部長だけだよ」
「ドラケンって言え」
チョコレートを消費しながら、なんのスイッチが入ったのか、永遠に絡み続ける万次郎。散々言われたのか、もはや視線も寄越さぬ場地、およそ一音の相槌しか寄越さぬ林田、あらゆる部分をスルーして呼び名だけに苦言を呈する龍宮寺。
視線に心を込めずに眺めていた——こいつら仲良いな以上のことは敢えて考えないようにしている——純丘は「そういや」ふと首を傾げた。
「四月から晴天教室も家庭教師も道場のTAも日ィ削るから、まあ追々正式な通知はするんだが、先に伝えとくな」
「……なんで?」
澄みきった黒曜の瞳がすっと純丘に向けられる。とびきり澄んだ輝く瞳を純丘は平然と見返した。
顔だけは平然としていたが、心の中でたじろいでもいた。ここまで澄んでると逆に怖いな、若干の困惑は腹の下に押し殺している。
「高三だから受験勉強のために時間を確保したい」
「なんで受験勉強すんの?」
「……俺が行きたい大学に受かるためだな」
言いながら、純丘はわずかに目を細めた。
「なんでそんな勉強しなきゃなんないような難しい大学行きてえの?」
「そこでしかできねえことがあるからだが」
「本当にそこでしかできねえの? 大学っていつでも入れんだろ?」
「熱心な教師の進路相談でも早々ここまで詰めてこねえんだなあ」
口調こそ冗談じみているが、純丘の顔つきは訝しげだ。万次郎の顔を一通り観察したのち、彼が食べたチョコレートの包装をちらりと取り上げる。
成分表示にざっと目を通しつつ、一枚二枚三枚、四枚目の包装は手作りのそれだったので、何気ない仕草で鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
——間違いなく、芳醇なアルコールの香りがした。この特徴的な匂いはウイスキーだろうか。
……諦観の表情を浮かべ、純丘は包装を机の上で畳み直した。
確かにアルコールを含む菓子は、狭義的には毒物ではなく、いろいろと今更などこぞの兄弟の判定に引っかからなかったのも頷ける。純丘はさすがにそういうものの判別はできないので、勝手に仕分けてくる灰谷兄弟は放置していた。まあ……助かるし……。
なればうっかり混ざり込んでいたウイスキーボンボンに、変なところで良識的な純丘が気づかないのも道理だ。純丘榎も灰谷兄弟も未成年なので、彼ら宛の贈り物にウイスキーボンボンが混じってくるとか、少なくとも純丘は想定していなかった。
おかげで大事故が起きている。
「……とりあえずお茶飲んで一回落ち着け」
「ん……」
「あと、ちょっと訂正。そこでしかできないわけじゃない。ただ時期も場所も考えると適切ってだけで」
言いながら純丘は机の下にてケータイを開き、真一郎宛に【すみません万次郎にアルコール摂取させました。水分取らせて場合によって病院行かせます。その場合代金は受け持ちます。】そのように記述して、メールを送信した。
「第一、全くやらねえってわけじゃないからな。減るだけで」
「減るんじゃん」
「なんもやってなかった頃のが君との対面時間少なかったよ」
「え〜」
すぐにメールの受信音が響いた。メールボックスを開き、新着メールの本文を確認した純丘は思わず半眼になった。
【日本酒数杯飲んでも平気だったし、飲んでぶっ倒れるとかはねえとおもうよ。】
【飲ませたことあんすか。】
【怒るんなら晩酌片付けんの忘れてた爺ちゃんにしてくれ。】
静かに首を横に振ったのち、純丘は眼前に視線を投げる。
天板に上体を乗せ、駄々をこねる万次郎。マイキーおもしれ、一虎が笑いながらカメラを構えている。チェキなどに代表されるポラロイドカメラだ。
「オレもっと部長で遊びてえ〜」
「〝で〟じゃなく〝と〟だったらもうちょっと考えたかもな……」
「……部長で遊びてえ〜」
「そうかあ」
素直だな、の気持ちで相槌を打つ純丘。〝でもこっちも生活かかってるし〟の意思を感じ取ったのか、万次郎はぐりぐりと額を机の天板に擦り付けた。
「裏切んねーのケンチンだけじゃーん」
「へーへー」
深淵の目つきで見つめられた龍宮寺が、しかしそれに気づかずやはり雑に対応しているのを「仲良しだな」純丘はつぶやいた。
呆れたように、万次郎の服の裾を直してやる三ツ谷の傍ら、出力された写真にじわじわと色が付き始めていた。
——ちなみに。
これはただの前日譚であり、バレンタインデーという意味では後日譚であり、すなわち余談である。
「フクブってもしかして色恋沙汰嫌いなわけ?」
「俺が関係している色恋沙汰は大嫌いだな」
即答した元副部長に「だ〜から……」納得したようにつぶやいたのは竜胆の方だ。怪訝げに一瞥した純丘ににっこーと笑みを返した蘭が、またひとつのチョコレートを弾いた。
露骨に誤魔化してきよる。
なんとなく情報源を察した純丘は「……言っとくけど」と辟易した顔つきでつぶやいた。
「色恋沙汰自体は嫌いじゃないからな。好きでやってる人たちは存分に幸せになってほしいぜ。俺としては」
「あくまでも自分は巻き込まれたくない?」
「……まあそんなもん」
「フクブ、恋とかしたことあんの?」
いかにも興味本位という表情の竜胆がきらきらしく尋ねた。イキイキしている。わかりやすくあからさまに揶揄おうとしている。
「ねえことにしてある」
もはや純丘は視線すら寄越さない。灰谷兄弟が選別し終えたうち、残留決定した方のチョコレートを改めてパッケージに包み直す。丁寧に、慎重に、やけにゆっ……くりと。
こちらはこちらで現実逃避の方法が露骨だ。
「へー」
「へー」
「ユニゾンむかつくな……」
「まあフクブが嫁でも旦那でもセフレでも連れ込んだところで俺らに関係ねえしなあ」
「追い出すし」
「居座るし」
「そうなる前にとりあえず引っ越すから安心しろ?」
住所は教えろよとゴネ倒す灰谷兄弟に「へー」と純丘は雑に相槌を打った。真面目に取り合う気がゼロコンマを切っている。
島部長
:島耕作シリーズをどうぞ
二〇〇三年二月時点だと「取締役島耕作」の最中
ジャン=ポール・エヴァン
:二〇〇二年 東京伊勢丹新宿 日本一号店オープン
半分に割ってんの
:ハート型とか縦半分に割ってる
疑り深い知人
:「こういうのの定番は血」
「オマジナイでな」
「そこまでヤバいやつは俺の周りにいねえ。少なくとも君らの周りほどはいねえ」
「は? 俺らンとこ仕込まれんの、血程度で済むと思ってる?」
「そういう張り合い方はしとらんが」
お察しの人々
:疑り深い知人と同一人物
人の心は一応持ってる
ウイスキーボンボン
:アルコール菓子を除ける思考が素で存在しない者ども
日本酒
:子どもの誤飲 よくある
写真
:おもひで
恋とか
:本人の未来は未定だがどちらにせよ書かない